平成の30年間の鉄道を回顧するシリーズ、今回と次回は秋田県です。昼に夜に、東京や大阪からの長距離特急・急行列車が行きかっていた秋田県もまた、新幹線到達で様相が変わりました。
秋田新幹線開業 新車両導入でスピードアップ
伝統の〔あけぼの〕 運行区間二転三転のすえ廃止
伝統の〔あけぼの〕 運行区間二転三転のすえ廃止
秋田新幹線に至る道
1997(H9)年3月22日、秋田新幹線が開業した。山形新幹線に次ぐ、新在直通のミニ新幹線である。愛称は公募で〔こまち〕となり、専用車両E3系が導入され、東北新幹線内では〔やまびこ〕と併結運転を行う。同時デビューのE2系と併結運転を行う3往復は最高速度275㎞/h運転を行い、東京~秋田間を最短3時間49分で結んだ。
盛岡~大曲間は田沢湖線を改軌、大曲~秋田間は奥羽本線の複線の片側を改軌して、在来線との単線並列となった。一部区間は新幹線を複線とするため、複線の片方が標準軌と狭軌の3線軌条となっている。
秋田新幹線開業前は、盛岡で東北新幹線から接続する特急〔たざわ〕が主力だった。田沢湖線は全通が1966(S41)年と、比較的新しいローカル線だったが、東北新幹線が開業すると、東京方面への最速のルートとなり、1982(S57)年には電化され、それまでのDC急行に代えて〔たざわ〕がフリークエントサービスを行い、東京への新しいチャンネルとなった。〔たざわ〕は一部が青森まで直通している。この電化工事の際も大規模なため、工事運休で全線に渡り代行輸送が行われていた。
秋田新幹線工事も全線で改軌工事を行ったため、再度工事運休となり、全線で代行バスを運行した。〔たざわ〕の代替として、北上~秋田間で北上線を経由するDC特急〔秋田リレー〕が、1996(H8)年3月から、新幹線開業までの1年間運転された。車両はJR東日本のローカル線区に導入されつつあったキハ110系だったが、車内はリクライニングシートの特急仕様となり、外部の塗装も変えられた。変則的な形だが、〔秋田リレー〕はJR東日本初のDC特急であり、また今の所(そして恐らくは今後も)唯一のDC特急である。秋田新幹線開業後は一般仕様に改装して、飯山線に転属していった。〔たざわ〕は秋田~青森間の設定となっている。
この他福島接続の奥羽本線特急〔つばさ〕、新潟で上越新幹線から接続する特急〔いなほ〕が、対東京のチャンネルとして機能していた。〔つばさ〕は大半が横手止まりだったが、秋田発着もあり、1往復は東北新幹線開業後も上野へ直通していた。山形新幹線工事期間中は仙台発着(仙山線経由)となった。山形新幹線開業後は〔こまくさ〕と改められ、新幹線〔つばさ〕から接続していたが、1999(H11)年12月に山形新幹線が新庄まで延伸した時点で廃止となり、新庄~秋田間に同名の快速が設定された。
夜行は、奥羽本線経由の寝台特急〔あけぼの〕と急行〔津軽〕、羽越本線経由の寝台特急〔出羽〕が東京と秋田を結んでいた。山形新幹線の工事を控えた1990(H2)年、2往復の〔あけぼの〕は1往復が陸羽東線経由、1往復は〔鳥海〕と改称して羽越本線経由に変更された。〔あけぼの〕はこの改正で「レディースカー」を設定、翌1991(H3)年よりA寝台・B寝台共に個室寝台車の連結が始まった。〔津軽〕は仙山線経由となり、583系電車に置き換えられた。1993(H5)年には臨時に格下げとなり、事実上廃止の道をたどる。
秋田新幹線が開業すると、陸羽東線経由の〔あけぼの〕は廃止となったが、〔鳥海〕が〔あけぼの〕を名乗り、羽越本線経由で運行が継続された。2002(H14)年には寝台のアメニティを省略し、座席(指定席)扱いとした「ゴロンとシート」を設定している。夜行バスへの対抗策でもあった。
大阪方面へは、昼行は〔白鳥〕、夜行は〔日本海〕が運行されていた。〔白鳥〕は昼行列車では最長距離であったが、2001(H13)年改正で廃止・分断され、新潟~青森間は〔いなほ〕として運行が継続された。
奥羽本線や羽越本線の普通列車には50系客車やDCが使用されていたが、1993(H5)年に新型通勤車両701系が導入、順次置き換えが進められた。全ロングシートには批判もあったが、輸送力増強やスピードアップ、増発や快速設定などのプラス面もあった(快速は後に大半が普通に格下げ)。秋田新幹線開業後の田沢湖線には、標準軌仕様の5000番台が専用で導入されている。
〔こまち〕世代交代
〔こまち〕の利用は好調で、E3系は開業翌年の1998(H10)年に1両増結、5→6連となった。翌1999(H11)年には併結相手が全てE2系となり、さらに2002(H14)年改正で併結相手が〔はやて〕となって、平均の所要時間が短縮された。しかし、航空対策でさらに所要時分の短縮が求められた事、E3系の老朽化が進行した事で、後継車両のE6系が導入される事になった。E6系は、東北新幹線E5系とは兄弟関係にあり、東北新幹線内では併結運転で最高320㎞/h運転を行う。居住性も向上させたため、さらに1両増結して、7両編成となった。
2013(H25)年3月16日改正でまず6往復に導入、この時点ではE3系も残されていたため、区別のため〔スーパーこまち〕の愛称が与えられた。「スーパー」の4文字付与は全新幹線で史上初であったが、翌2014(H26)年改正でE6系に統一され、再び全列車〔こまち〕の名に戻った。E5系との併結で東京~秋田間は最短3時間37分にまで短縮された。
この影で、この改正において、ついに寝台特急〔あけぼの〕が廃止(臨時格下げ)、44年の歴史に終止符が打たれた。既に〔日本海〕も2012(H24)年改正で廃止になっており、秋田県の夜行列車は事実上、全て消滅した(大阪~札幌間〔トワイライトエクスプレス〕廃止は2016(H28)年だが、秋田県内の停車はなかった)。昼行も、秋田県内の特急は羽越本線〔いなほ〕と、秋田~青森間〔つがる〕が、いずれも3往復にまで縮小している。〔いなほ〕は〔フレッシュひたち〕から転用のE653系、〔つがる〕は〔スーパーはつかり〕から転用のE751系が使用されている。
ローカル線の動向 男鹿線に蓄電池式電車
五能線は、能代市中心部へのアクセスを担う区間運転が頻発する東能代~能代間を除くと、閑散としたローカル線区であったが、風光明媚な車窓は魅力的であった。この資源を活かすべく観光列車が企画され、1990(H2)年開始の「ノスタルジックビュートレイン」を経て、秋田新幹線開業時に、秋田~青森間を直通する〔リゾートしらかみ〕の運行が始まった。2010(H22)年の東北新幹線新青森開業時にはハイブリッド編成も導入され、最大1日3往復運行される人気列車に成長している。
男鹿線は平成の世になった時点では、ラッシュ時に客車列車も残されていた。その後はキハ48形などの国鉄形DCが使用され続けているが、2017(H29)年より、蓄電池式電車EV-E801系が導入された。当面は3往復に運用、寒冷地における性能を確認した上で量産される予定。終点の男鹿駅は2018(H30)年に新駅舎に移転した。
花輪線は、かつての急行〔よねしろ〕は、民営化の時点では秋田~鹿角花輪間の設定となり、秋田~大館間のみ急行、花輪線内は普通列車となっていた。1990(H2)年にはグレードアップ改造されたキハ58系も導入されたが、東北新幹線八戸開業の2002(H14)年12月改正で廃止。代わって設定された全線通しの快速〔八幡平〕は2015(H27)年3月改正で廃止、現在は全て普通列車である。沿線は安比高原や八幡平などもあり、十和田湖への秋田側のアクセスの起点として、十和田南駅からJRバス〔とわだこ〕号も運行されていたが、東北自動車道の延伸もあって観光需要は衰退、1990年代末期には信号システム近代化やキハ110系導入も行われているが、2019(H31)年3月のダイヤ改正でも減便が行われており、行く末には懸念も持たれている。盛岡側は、好摩で接続する東北本線の第3セクター鉄道転換により、全列車IGRいわて銀河鉄道線へ直通する形態となった。
県内の第3セクター・私鉄
秋田県内の特定地方交通線3路線は、いずれも国鉄時代末期に第3セクター鉄道に転換されていた。秋田内陸縦貫鉄道は、本来は奥羽本線を短絡する路線として計画されていたが、北側が阿仁合線、南側が角館線として開通したものの、中間部の建設が凍結されたまま、特定地方交通線に指定されていた。転換後に中間部の建設が再開され、平成の世になって間もなくの1989(H元)年4月1日、全線が開業した。阿仁マタギ~戸沢間の十二段トンネル(5,674m)は、秋田県では最長の鉄道トンネルとなった。転換時点では国鉄からキハ22形を借り受けていたが、全通時に新型車両を導入、同時に直通の有料急行〔もりよし〕も設定された。しかし、輸送人員は20年で半分以下に減少してしまい、近年は存廃の議論も起こっている。1990(H2)年、日本初の女性運転士がデビューした事が特筆事項で、男性が戦場に駆り出された戦時中を除けば、普通鉄道では初の快挙となった。2017(H29)年より「スマイルレール秋田内陸線」の愛称が与えられている。
矢島線を転換した由利高原鉄道は、「おばこ号」の愛称を持つ小型ディーゼルカーが使用されていたが、2000(H12)年以降、順次大型車両に置き換えられていった。一部列車では、「おばこ」姿のアテンダントが観光案内や物品販売を行っている。2015(H27)年に旅客列車を休止して行われた、乾電池の電力のみで車両を走らせる試みが成功、ギネス世界記録を達成した事は、大きな話題となった。2018(H30)年には沿線に「鳥海山木のおもちゃ博物館」が開館、合わせてYR2001号が「おもちゃ列車」としてリニューアルデビューしている。
大館~小坂間を結んでいた同和鉱業(1989(H元)年10月から小坂精錬)小坂鉄道は、濃硫酸の出荷時に運転される貨物列車のDL三重連がファンに注目されていたが、旅客輸送は、末期には平日7往復・土休日4往復の運行に留まっていた。1994(H6)年に旅客営業を廃止、貨物輸送も2008(H20)年に終了し、翌年全線が廃止になった。小坂駅跡地には2014(H26)年、「小坂レールパーク」がオープン、〔あけぼの〕で使用されていた寝台車が「列車ホテル」として営業している(冬季休業)。大館駅は、JRの同名の駅とは離れた場所にあった。
秋田内陸縦貫鉄道は、旧国鉄阿仁合線・角館線時代を含めても乗った事がない、というのはお恥ずかしい。来年には乗りに行くと、宣言しておきます。次回はデータ編です。
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釧路から関空へ向かっていたピーチ機で、乗客がマスクを着けていなくて、CAとのスッタモンダの挙句、新潟空港に緊急着陸、なんて事態があったそうです。日本ではマスク着用は義務ではないし、正直私もつけたくはないなあ、というのが隠すつもりもないホンネ、だけれど、それで周りが納得して、終始穏やかなフライトになるのなら、私はつけますよ!