№2195 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 2.青森県(1)

 平成の30年間の鉄道を、都道府県別に回顧しています。今回からは東北です。最初は青森県です。

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新幹線が変えた 長距離列車の歴史
観光列車相次ぎデビュー ハイブリッド車も


最後の輝き 東北特急
 青函トンネルが前年(1988(S63)年)3月に開通、北海道直通の寝台特急〔北斗星〕〔トワイライトエクスプレス〕等は好評を博したが、連絡船に変わる青森~函館間の足は、快速〔海峡〕を中心に、特急〔はつかり〕の一部が延長して運行された。対東京では、昼行は〔はつかり〕が盛岡で東北新幹線に接続。夜行は引き続き、東北本線では寝台特急〔ゆうづる〕〔はくつる〕、急行〔八甲田〕、奥羽本線では寝台特急〔あけぼの〕、急行〔津軽〕、と、伝統の列車が東京へ向かっていた。〔あけぼの〕は1990(H2)年9月より、福島~山形間の山形新幹線工事のため、1往復は陸羽東線経由に、もう1往復は〔鳥海〕に改めたうえ羽越本線経由に変更された。〔津軽〕は仙山線経由となり、583系寝台特急電車に置き換えられていた。
 しかし、1993(H5)年改正では夜行に大ナタが振るわれ、〔ゆうづる〕〔八甲田〕〔津軽〕が廃止、または臨時列車に格下げとなった(〔ゆうづる〕1往復は〔はくつる〕に建て替え)。583系は〔ゆうづる〕に加え、昼行〔はつかり〕の定期運用からも撤退した。代走または臨時列車でしばらく残る事になるが、「よん・さん・とお」以降四半世紀に渡り、東北特急の顔として昼夜を問わずを走り抜けた583系の、転機となった。
 奥羽本線では、昼行では最長となる特急〔白鳥〕、夜行〔日本海〕が大阪まで結んでいた。また、盛岡からの田沢湖線経由〔たざわ〕が、一部秋田から直通運転を行い、青森県内の輸送も担っていた。〔白鳥〕は2001(H13)年改正で廃止、青森~新潟間は〔いなほ〕として走る事になる。
 一方、普通列車は、ほとんどが50系または改造12系を使用した客車列車、およびDC列車で運用されていたが、東北本線・奥羽本線では1990年代半ばより、交流区間向けの通勤車両701系に順次置き換えられていった。

東北新幹線八戸開業と 特急再編成
 2002(H14)年12月1日、東北新幹線・盛岡~八戸間が延伸開業、新幹線が青森県に到達した。最速列車として〔はやて〕が新設され、東京~八戸間は最短2時間56分で結んだ。合わせて青函トンネルの列車体系が再編され、〔はつかり〕〔海峡〕に代えて、JR北海道789系の〔スーパー白鳥〕、JR東日本485系の〔白鳥〕が、八戸で新幹線と接続する形態となった。〔白鳥〕の愛称は、前年の廃止から1年9ヶ月ぶりの再登板である。県内列車としては、2000(H8)年3月改正より〔スーパーはつかり〕で使用されていた751系が〔つがる〕として、盛岡~青森・弘前間で運行される事となった。1958(S33)年に東北初の特急としてデビュー、以来車両が代わり、区間を短縮しながらも44年間青森の顔として走り続けた〔はつかり〕の名は、終焉を迎えた。
 整備新幹線である東北新幹線の開業により、並行在来線となる東北本線・盛岡~青森間は、第3セクター鉄道に転換された。県境に位置する目時駅を境に、青森側が青い森鉄道、岩手県側がIGRいわて銀河鉄道の運営となったが、列車は直通運転を行っている。青い森鉄道は、当時は専用の車両基地を持たず、編成はIGR編成と共通で運用された。青い森鉄道は第2種鉄道事業者で、線路施設は第3種鉄道事業者の青森県が保有する。同区間を通過する夜行列車は、〔北斗星〕〔カシオペア〕は残存したが、〔はくつる〕は38年の歴史に終止符を打った。

東北新幹線 新青森到達
 2010(H22)年12月1日、東北新幹線は新青森に到達、全線が開業した。新青森駅は「国鉄最後のダイヤ改正」が行われた1986(S61)年11月に、無人駅として開業していた。青函トンネルの〔スーパー白鳥〕〔白鳥〕は新青森発着となり、〔つがる〕は青森~秋田間の特急となった。〔いなほ〕は秋田で分断され、〔かもしか〕と共に〔つがる〕に統合されている。青森~新青森間は自由席利用の場合、特急料金免除の特例が適用された。
 同時に並行在来線の八戸~青森間が青い森鉄道に転換、目時~青森間121.9㎞となり、国鉄・JRから転換された第3セクター鉄道では、当時としては最長となった(北海道ちほく高原鉄道は既に廃線)。八戸に運転所を新設、IGRいわて銀河鉄道とは運用が分離される事になった。
 この結果、JR大湊線は、八戸・青森から青い森鉄道経由で快速〔しもきた〕が直通するものの、他のJR旅客営業路線と直接接続しない「落下傘」路線となった。国鉄・JRでは初のケースである。
 風光明媚で観光資源を数多く抱える路線がある青森県内では、観光列車が相次ぎデビューしていた。始まりは、1990(H2)年の五能線〔ノスタルジックビュートレイン〕で、レトロ調に改装された50系をDE10形が牽引した。1997(H9)年にはDC編成の〔リゾートしらかみ〕がデビューしている。運行区間は青森~秋田間に拡大され、2003(H15)年と2006(H18)年には1編成ずつ増備され、3編成体制が確立した。新幹線新青森全通時には〔リゾートあすなろ〕がデビュー、新青森駅発着の観光列車として、県内の各路線で運行されている。車両はハイブリッド車HB-300形が導入された。同型は〔リゾートしらかみ〕の初期編成置き換え用にも導入されている。

〔はやぶさ〕デビューと 東日本大震災
 2011(H23)年3月5日、東北新幹線の新型E5系が最、高速列車〔はやぶさ〕でデビューした。宇都宮~盛岡間の300㎞/h運転により、東京~新青森間は最速3時間10分で結ばれる事になった。同系にはグリーン車を上回る最高級車両「グランクラス」が設定された。航空のファーストクラスと同等の大型リクライニングシートが並び、専任アテンダントによる軽食・ドリンクやアメニティの提供も行われる。東京~新青森間2往復、東京~仙台間1往復の設定だった。
 ところが運行開始のわずか6日後に東日本大震災が発生。東北新幹線は各全線で不通となり、新青森口の再開は22日(盛岡まで)、全線の再開は4月29日となった。〔はやぶさ〕は300㎞/h運転を封印、高額に設定されていた料金は〔はやて〕等と同等とする措置がなされている。グランクラス料金は義援金として寄付された。この措置は、震災前のダイヤに復帰した9月23日まで行われた。在来線では八戸線が、階上以南(岩手県区間)が津波に被災、全線の再開は翌2012(H24)年3月になってからであった。〔リゾートうみねこ〕は新幹線全線再開時に八戸~階上間で暫定的にデビューした。土休日に普通列車を代替する形で運行されている。
 全線再開後の東北新幹線はE5系の増備が進み、〔はやて〕から〔はやぶさ〕の転換も進められた。2013(H25)年3月改正では320㎞/h運転を開始、東京~新青森間は最短2時間59分と、3時間を切る事になった。盛岡~新青森間は原則全列車E5系での運行になっている。一方、奥羽本線の寝台特急は衰退、2012(H24)年3月改正で〔日本海〕、2014(H26)年3月改正では〔あけぼの〕が定期運転を取り止め、臨時列車に格下げとなり、県内を始終着とする寝台特急列車は事実上、全て廃止になった。〔日本海〕は56年、〔あけぼの〕は54年の歴史であった。

北海道新幹線開業と長距離列車全廃
 2016(H28)年3月26日、北海道新幹線が開業。北海道への足は連絡船から在来線を経て、新幹線の時代となった。全区間がJR北海道の運営となる。青森県内には奥津軽いまべつ駅が開設されたが、停車回数は全新幹線で最も少ない。青函トンネル内は貨物列車と共用の3線軌道のため最高速度制限があり、今の所十分な速達効果があがっていない。東北新幹線〔はやぶさ〕がそのまま直通する形態を基本としている。JR北海道は、E5系と同系のW5系を導入した。
 この影で、1999(H7)年から運行されていた豪華寝台特急〔カシオペア〕、特急〔スーパー白鳥〕〔白鳥〕、急行〔はまなす〕が全て廃止になっていた。既に新幹線工事に関連して〔トワイライトエクスプレス〕廃止、〔北斗星〕臨時化がおこなわれており、県内の在来線長距離列車は全て廃止となった。青森県内を走る在来線定期優等列車は、青森~秋田間の特急〔つがる〕3往復のみとなり、昼夜を問わず、長編成の特急・急行が青函連絡船からの接続を受け、東京・大阪へ向けて多数発って行った、青森駅のかつての面影は、失われた。
 八戸線では、2013(H25)年より、レストラン列車「TOHOKU EMOTION」が、キハ110系の改造で運行されている。旅行商品の申し込みで利用できる。一般列車は、2018(H30)年3月よりキハE130系が導入され、キハ40系を置き換えた。同形式の導入は、JR東日本初の公募調達によって行われている。八戸線では東北本線二戸までの直通列車があり、青い森・IR転換後も継続されていたが、この改正で廃止(八戸で乗り換え)になった。

苦闘するローカル私鉄線
 青森県内の特定地方交通線は大畑線と黒石線の2線が指定されていたが、どちらも第3セクター鉄道ではなく、純民間鉄道に転換されていた。黒石線は、弘前を中心に2路線の電鉄を運行していた弘南鉄道、大畑線は、当時バス専業だった下北バス(鉄道引き継ぎと同時に下北交通と改称)が運営した。両社とも旧国鉄から譲渡されたキハ22形(弘南は後に、小坂鉄道の中古車両を導入)がピストン運行していたが、共に沿線人口が少ないうえ、地域の中心(弘前・大湊)への直通がなくなったなどの不利で利用が減少し、黒石線は1998(H10)年3月、大畑線は2001(H13)年3月に廃止となった。黒石線は、特定地方交通線の鉄道転換路線では、全国でも初の廃止であった。大畑線では、大畑駅構内でキハ22形の保存運転が行われている。
 日常の利用が希少でありながら、旧式小型レールバスがファンには人気だった南部縦貫鉄道は、1997(H9)年に休止。東北新幹線との接続の可能性を模索していたが適わず、そのまま廃止となった。七戸駅構内ではレールバスが残され、定期的に運転会が行われている。
 十和田観光電鉄は2002(H14)年に東急からステンレスカーを購入して車両の体質改善を図ったが、利用の減少や震災の影響に加え、十和田市駅の駅ビル所有者から立ち退きを要求された事もあって存続が困難になり、2012(H24)年3月いっぱいで廃線となった。これで三八上北地方からは、在来の私鉄が全て消滅する事になった。
 弘南鉄道は平成の世になって以降、東急からステンレスカーを購入して、旧国鉄・旧阪和などの旧型電車を置き換えていった。南海からの中古車両の購入も行われたが、利用の減少が著しくなり、ラッシュ時の減便や快速の廃止が行われた。大鰐線では一時区間運転の増発も試行されたが、結局両路線とも、日中は1時間間隔にまで便数が減少している。弘南線には2013(H25)年、田舎館村の田んぼ等に描かれた芸術を楽しめる、「田んぼアート」の第二会場オープンに合わせた新駅が開業した。
 津軽鉄道は、1996(H8)年以降、新型DC導入で体質改善を行った。「走れメロス」の愛称がある。名物のストーブ列車は観光列車の色彩が濃くなり、現在は料金を必要としている。北海道新幹線開業により、新しいアクセスとして、津軽半島を横断する津軽中里~奥津軽いまべつ間の路線バスが、弘南バスによって運行されている。

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《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
16日 広島土砂災害から20日で6年 安佐南区慰霊碑で追悼式
(京都五山送り火 コロナ禍で規模縮小し実施)

 相変わらず新型コロナウィルスの感染が止まらない一方、熱中症の搬送も相当の数に上っているそうで、やはり今年の夏は狂っているなあ。今年の夏は、電気代かかっても、クーラーを効かせた部屋の中でおとなしく過ごす、のが正解かも知れない。私は、そうはできないのだけれど。公私双方において。