№2192 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 1.北海道(1)

「平成の30年 都道府県別鉄道回顧」、今日から本格的に始めます。第1回目は北海道です。
 基本的には、各都道府県毎に2回に分けて書きます(東京都などはもっと多くなるはずです。逆に1回で終わり、という県もあると思います)。
 1回目は平成の30年に、その都道府県の中で起きた事を、テキストでまとめていきます。出来事から発生するエピソード、こぼれ話、逸話的なものは敢えて排し、できるだけ事実のみを記します。
 なお、基本的には平成の30年間(1989年1月8日~2019年4月30日)の間に起きた事のみを記すが、必要に応じて昭和に起きていた事、令和になってから起きた事も、多少は記します。
(令和になってからの目立った出来事は、2回目のラストに、改めて簡単にまとめます)。
 2回目は資料として、平成の間に開業した路線・駅、廃止になった路線・駅、その他のデータを並べます。
 また、今の新型コロナウィルス対策において、各都道府県の知事が前面に立っている事でも解る通り、都道府県の各種施策においては、知事が果たしている、あるいは果たすべき役割が、当然多々あります。鉄道に限っても、過去には新幹線の新駅計画を公約によって中止にさせた知事もいるし、現在の静岡県内のリニア新幹線工事における、静岡県知事とJR東海の対立もあります。ので、最後に平成30年間の各都道府県の知事の名前も、並べて書いておく事にします。別に各知事がやってきた事をどうこう批評するつもりはなく(ヨソモノにはしようもない)、ただ名前を記すだけです。ただ、一時期はタレント知事も多かったから(現在も千葉県はそう)、「あ、この人名前知っている」という方も多いとは思いますが。


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新幹線 津軽海峡を越え北海道へ到達
JR北海道 経営危機表面化


新時代を迎えた 北海道の鉄路
 平成の世となる前年(1988(S63)年)3月に青函トンネルが開通、北海道は本州とレールがつながった。各列車の利用は好調裏に推移、特に寝台特急「北斗星」は、個室主体の客車に予約制の食堂車、さらにシャワールームやラウンジの設置など、それまでの寝台特急のイメージを一新して、人気を博した。季節列車の定期化、「夢空間」車両(JR東日本)を連結した、横浜~トマム間「北斗星トマムスキー」の運行も行われている。平成の世になってすぐ、大阪~札幌間「トワイライトエクスプレス」(JR西日本)の運行も始まった。初期はツアー専用の臨時として、後に週3~4往復の準定期列車としての運行となった。この他、〔日本海〕1往復が、大阪~函館間を直通していた。
 昭和末期の1988(S63)年11月には、札幌駅が高架化されていた。

高速化進む特急網
 北海道では、電化区間が短いためDC特急車の強化が急務であり、特に曲線が多い函館・室蘭本線向けとして、振り子式DC特急車281系が開発された。試作車による試験走行の後、1994(H6)年、〔スーパー北斗〕で営業デビュー。DC特急初の最高速度130㎞/h運転を行い、一時は函館~札幌間を最速2時間59分で結んでいた。在来線では、電車を含めても、当時の最高表定速度をマークしている。
 1997(H9)年3月、台車に自己操舵機構を備えるなどの改良を施された283系が、道東高速鉄道開発(現北海道高速鉄道開発)によって高速化事業が行われた石勝線・根室本線に導入され、〔スーパーおおぞら〕としてデビュー。最速列車は札幌~釧路間を3時間40分で結び、45分の大幅な短縮を実現した。283系は一時、〔スーパー北斗〕にも運用された。
さらに翌2000(H12)年3月、宗谷本線に261系がデビュー、特急〔スーパー宗谷〕でデビューしている。通勤車201系で採用した車体傾斜方式を採用、デザインは姉妹鉄道として協力関係にあるデンマーク鉄道(DSB)との共同制作となり、グリーン車が牛革シートになるなど、ソフト・ハード両面で新機軸が採用されている。〔スーパー宗谷〕は札幌~稚内間を3時間58分で結び、それまでの急行と比較して、1時間近い所要時間の短縮を実現している。2007(H19)年にはマイナーチェンジを行った1000番台が〔スーパーとかち〕に導入された。
 電車特急は国鉄時代からの781系による〔ライラック〕と〔ホワイトアロー〕の2本立てが確立しており、当時は札幌で進行方向を変え、〔ライラック〕は室蘭~旭川、〔ホワイトアロー〕は苫小牧・千歳~旭川間の直通運転を行っていた。
 1990(H2)年9月、JR北海道初の特急車両として開発された785系が札幌~旭川間〔スーパーホワイトアロー〕でデビュー。交流電車では日本初のVVVF制御を採用し、最高速度130㎞/hで、札幌~旭川間を1時間20分で結んだ。

リゾート特急満開
 石勝線内にスキーリゾートを抱えるJR北海道はスキーシーズンに合わせ、毎年のようにリゾート列車を輩出した。国鉄時代末期の「アルファ・コンチネンタルエクスプレス」「フラノエクスプレス」に続き、「ニセコエクスプレス」「トマムサホロエクスプレス」「クリスタルエクスプレス」「ノースエクスプレスレインボー」と、最大で6本のリゾート列車が、団体列車を中心に運用された。臨時特急として運用の実績もある。民営化直後、ANAとの提携で「フラノエクスプレス」を使用して運行されたツアー専用列車「ANAビッグスニーカートレイン」は、平成以降は「ニセコエクスプレス」に代替わりして運行されている。「ノースエクスプレスレインボー」は、令和の世の現在も現役である。

SL列車とトロッコ列車
 雄大な北海道の自然を生かした観光列車も、平成以降相次いで運行を開始した。特に北海道では早くからSLの復活運転が始まっていて、函館本線のSL列車〔C62ニセコ号〕は、昭和末期の1988(S63)年4月より、小樽~倶知安(後にニセコ)間の往復で運行されていた。北海道鐡道協議会を中心にして復活したC62 3号機と旧型客車により組成され、うち1両はカフェカーに改造されている。しかし、スポンサー企業が撤退した事で運行費用を賄えなくなり、1995(H7)年11月3日を持って運行を終了した。C62 3号機は、苗穂工場敷地内で静態保存されている。
 その後、1998(H10)年にドラマ撮影用として真岡鐵道のC12 66号機が留萌本線で走行したのを機に、翌1999(H11)年5月~2006(H18)年9月、復元したC11 171号機けん引の〔SLすずらん〕を運行、さらに2000(H12)年にはC11 207号も復元させ、道内各地でSL列車の運行が続けられた。
 しかし、経営環境の変化もあり、釧網本線の〔SL冬の湿原号〕(釧路~標茶間)を残して、道内のSL列車は運行を終了した。〔SL冬の湿原号〕は、C11 171によってけん引され、ボックスシートに改造された14系客車と、〔C62ニセコ号〕以来のスハシ44形によって運行されている。C11 207号は東武鉄道が借用し、2017(H29)年8月より鬼怒川線で〔SL大樹〕として運行している。
 釧網本線では1989(H元)年6月より、「くしろ湿原ノロッコ号」の運行が始まった。当初は貨車や車掌車などの改造車両を加えた編成で、1999(H11)年には51形客車を使用した新編成に置き換えられた。同じ1999(H11)年6月には、富良野線の「富良野・美瑛ノロッコ号」の運行を開始している。夏季には臨時駅のラベンダー畑駅にも停車する。釧網本線・富良野線とも、編成の端は運転席があり、DLを遠隔操作するプッシュプル運転が可能なシステムになっている。どちらも、JR北海道の夏季の観光の看板として、定着している。

新千歳空港アクセス整備
 航空自衛隊との共用だった千歳空港が新たに民間専用の新千歳空港として独立、旧千歳空港駅が直結していた旅客ターミナルも新規移転した。これに対応し、旧千歳空港駅から千歳線支線を新設、新ターミナルに直結する新千歳空港駅が、1992(H4)年に7月に開業した(旧新千歳空港は南千歳と改称)。
 札幌へのアクセスが整備され、快速〔エアポート〕が15分間隔で設定された。一部は小樽まで直通、また、〔ライラック〕の一部が、札幌~新千歳空港間を快速〔エアポート〕として直通運転を行っている。〔エアポート〕は「Uシート」と称する指定席を設定した。781系では対応して扉の増設も行っている。この機に電車特急は整理が行われ、札幌で系統が分割、室蘭~札幌間は新たに〔すずらん〕として再出発した。新千歳空港発着の特急は2002(H14)年から〔スーパーホワイトアロー〕となり、2007(H19)年には789系1000番台の〔スーパーカムイ〕に改められ、2016(H28)年3月まで設定されていた。

札幌都市圏輸送の拡充
 札幌都市圏では列車の増発や快速の設定、ほしみ駅の開業などが重ねられ、都市鉄道としての機能を強化していった。民営化直後の721系に続き、1996(H8)年には北海道初の一般通勤車として、全ロングシート・デッキなしの731系と、協調運転が可能なDCの201系が導入された。電車はその後733系・735系に発展し、国鉄時代の711系や、客車の51系を置き換えていった。
 また、「学園都市線」の愛称が付いた札沼線・(札幌)桑園~北海道医療大学前間は増発が重ねられ、51系客車から改造された143系DCも追加で導入されたが、一部区間の複線化に加え、2012(H24)年6月には電化が完成し、函館本線・千歳線と共通で電車が運用されるようになった。快速〔エアポート〕も一部が乗り入れている。電車に置き換えられた143系の一部はJR東日本に売却され、2014(H26)年より〔SL銀河〕の客車として使用されている。

ローカル支線・駅の廃止進む
 旧国鉄特定地方交通線は、平成の世になった時点では4路線が残されていたが、1989(H元)年6月の池北線を最後に、全路線で転換が完了した。北海道では100㎞を超える長大路線も少なくなかったが、池北線を除いて全て、バスへの転換となった。その後もJR北海道単独でローカル線の廃止が散発的に行われ、函館本線上砂川支線(1992(H4)年)、深名線(1995(H7)年)、江差線・木古内~江差間(2014(H26)年)、留萌本線・留萌~増毛間(2016(H28)年)に廃止となった。深名線は特定地方交通線の指定からは外されていたが、輸送量は極小で、ほとんどの区間で1日3往復の運行に留まっていた。廃止後はJR北海道自ら(2000(H12)年にジェイ・アール北海道バス(JHB)に分社)が代替バス路線を運行している。
 また、2001(H13)~2004(H16)年にかけて、乗降が希少な駅の廃止も行われている。2001(H13)年6月いっぱいで、石北本線の石北峠を挟む上川~上白滝間の中間3駅が廃止になったが、山手線の一周分に匹敵する34.0㎞の区間から旅客駅がなくなり、これは当時の在来線の最長となった。

急行・夜行列車の縮小
 急行列車は特急への格上げと廃止が進み、2000(H18)年の宗谷本線〔宗谷〕〔利尻〕〔サロベツ〕〔礼文〕を最後に、青森発着〔はまなす〕以外は全廃となった。宗谷本線の各急行は、1988(S63)年11月より、40系を急行用に改造した400系を使用していたが、急行廃止後は再び一般用40系に、さらに一部はお座敷車両に改造されている。夜行列車は函館~札幌間は夜行バスに対抗した快速〔ミッドナイト〕が運行され、特急〔まりも〕〔オホーツク〕、急行〔利尻〕では客車列車からの置き換えと共に、寝台車をDCに組み込んだ独自の編成で運行されたが、2008(H16)年の臨時特急〔まりも〕を最後に全て廃止、道内で完結する夜行列車は消滅している。

東北新幹線連絡特急の再整備
1999(H11)年にはJR東日本の豪華寝台特急〔カシオペア〕が、東京~札幌間にデビュー。1編成のみの製造で週3日程度の運行だった。全車両がA寝台の個室で、特に「カシオペアスイート」は1室50,000円程度と高額だったが、常に人気の的だった。
2002(H14)年12月、東北新幹線が八戸まで延伸。これに合わせて青函トンネルを走行する列車の体系が再編され、昼行は特急〔はつかり〕・快速〔海峡〕が、八戸~函館間の特急に一本化された。JR北海道では新特急車789系を〔スーパー白鳥〕に投入、JR東日本485系〔白鳥〕と共に、新幹線接続の任を担う事となった。青函トンネル内は最高140㎞/hで走行し、八戸~函館間は最速2時間52分で結んでいる。2010(H22)年に東北新幹線が新青森まで到達すると、〔白鳥〕系は新青森駅発着に変更され、〔スーパー白鳥〕は新青森~新函館間を最速2時間02分で結んだ。

苦難の時の中 北海道新幹線開業
 2011(H23)年7月、〔スーパーおおぞら〕で火災事故が発生、その後、線路の検査記録の改ざんなど、JR北海道の不祥事が相次いで発覚した。それら自体も問題だったが、これがきっかけとなって、JR北海道自体が、深刻な経営難に陥っている事が露呈した。その後、特急のスピードダウンや減便、DMVや新特急DC285系の開発中止など投資抑制が行われる、札幌~旭川間の電車特急は、最速が1時間25分に改められている。さらに2016(H28)年7月になり、JR北海道は当時保有・運営する全路線の半分が、自力での運営が困難と発表、翌2017(H29)年には、具体的に対象となる線区・区間のデータが公表された。特急が運行されていても、輸送量が特定地方交通線の基準を大幅に下回る路線があり、全道に衝撃を与えた。このデータをたたき台として関係者の協議が始まっているが、地元の反対の声は強く、一部を除いて事態は進展を見ていない。この間、自然災害により根室本線・日高本線で大半の区間が長期に渡って不通になっており、このまま再開されず廃線となる可能性が高まっている。乗降が希少な駅の単独の整理も2016(H28)年以降強力に進められ、データ公表以降、平成の終わりまでの3年間に、22駅が廃止となった。
 このような中、2016(H28)年3月26日、北海道新幹線が津軽海峡を越え、函館の郊外、北斗市の新函館北斗(渡島大野を改称)まで到達した。基本的に東北新幹線〔はやぶさ〕が新青森から延長するダイヤで、東北新幹線内では320㎞/h運転も行われるが、青函トンネル区間は在来線の貨物列車と共用する3線軌道のため最高速度制限があり、開業当初は最速〔はやぶさ〕でも、東京~新函館北斗間で4時間を切る事はできなかった。2019(H31)年3月改正で2往復のみ、青函トンネル内の最高速度を引上げ、最速3時間58分を達成している。開業にあたってJR北海道では、JR東日本と同型のH5系を導入している(共通運用ではない)。函館市中への二次アクセスは、函館本線を電化し、731系電車の〔はこだてライナー〕を新設して対応している。
 この影で青函トンネルの在来線旅客列車は全て廃止となり、〔カシオペア〕〔白鳥〕〔はまなす〕が姿を消して行った。〔はまなす〕は日本全国でもJR最後の定期急行であり、JRでは最後の定期客車列車でもあった。青函トンネル開業から走り続けた、唯一の列車でもある。789系は札幌に移動、翌2017(H29)年3月改正より〔ライラック〕に転用され、〔スーパーカムイ〕改め〔カムイ〕と共に、札幌~旭川間の都市間輸送を支えている。この改正では、183系DCの老朽化に対応した特急の再編成が行われ、2007(H19)年運行開始より人気を博していた臨時特急〔旭山動物園号〕も運行を終了した。石北本線内特急では、かつての急行の愛称である〔大雪〕の名が復活している。
 車両の老朽化は、特に国鉄時代からのキハ40形で深刻になっていて、2017(H29)年の減量改正も、車両数削減の必要に迫られていた事もあった。函館本線にはついては2015(H27)年、JR東日本の電気式DCをベースにした新型DCの導入が発表になった。「DECMO」の愛称がついたH100形は、令和になって2020(R2)年3月に営業運転を開始、今後も増備が予定されており、非電化ローカル列車の新たな主役となる事が期待されている。
 北海道新幹線は今の所十分な効果を上げてはいないとの見方が強く、札幌への延伸が強く期待されているが、計画通りでも開業は2030(R12)年度末とされ、札幌駅のホームの建設地を巡る議論もあって、計画通り進むかは不透明である。何より、そこまでの間でJR北海道自体がどうなっているかが問題になる。石勝線夕張支線は2019(H31)年3月一杯を持って廃線となり、札沼線の非電化区間は令和の世になって1年後の、2020(R2)年のGWを持って廃止が決定しているが、他の路線は、一部に活性化の動きが模索されているものの、状況を大きく変えるには至らない。北海道の鉄道、ひいては交通網はどこへ向かうべきか、重い課題を背負ったまま、令和の世を迎えた。

地下鉄・市電・第3セクター鉄道
 札幌の市営地下鉄は、東豊線・豊水すすきの~福住間が1994(H6)年に延伸開業した。終点の福住は、2001(H13)年に開場した札幌ドームに近く、サッカーJリーグのコンサドーレ札幌、2003(H15)年に東京から移転したプロ野球・北海道日本ハムファイターズの主催試合開催時にはアクセスとして多くの利用が見られる。2002(H14)年開催のサッカーW杯でも、メインアクセスとして機能した。1999(H11)年には東西線・琴似~宮の沢間が延伸し、現在の路線の形態が完成している。
 路面電車は、至近距離にあった西四丁目とすすきのの起終点をつなぐ新線が完成、2015(H27)年12月20日より循環運転が始まった。同区間は1973(S48)年3月に廃止になっており、42年ぶりの復活となった。車両面では、超低床車両「ポラリス」「シリウス」が相次いで導入されている。
 一方、函館市電は1992(H4)年と1993(H5)年、2段階に分けて閑散2路線を廃止、2系統に規模を縮小した。同年、レトロ電車「箱館ハイカラ號」が運行を開始し、観光資源の一つとなっている。函館市でも、超低床電車「らっくる」が導入されている。札幌・函館の両市とも市営バスを運営していたが、函館市は2003(H15)年3月いっぱいで、札幌市は2004(H16)年3月いっぱいでバス事業を廃止、地元の民営事業者に譲渡した。政令指定都市の公営バス事業廃止は、札幌市が初だった。札幌市ではJHBも、琴似を中心とした路線の引継ぎを受けている。函館市は事業規模の縮小に対応し、運営母体を交通局から企業局に再編している。
 北海道では1987(S62)年7月の三菱大夕張鉄道廃線以降、純民間の鉄道は存在しなくなった。1989(H元)6月、第3セクター鉄道・北海道ちほく高原鉄道が開業。池北線からの転換で、北海道の特定地方交通線では唯一の鉄道への転換であり、池田~北見間140㎞は、当時の第3セクター鉄道では最長だった。新型軽気動車の導入、帯広に直通する快速〔銀河〕の設定、足寄・陸別など主要駅の施設改築など営業努力が続けられたが、希少な沿線人口からくる利用の低迷はいかんともし難く、終始厳しい経営を強いられた結果、2006(H18)年4月、17年弱の歴史に幕を閉じた。岡女堂駅は本別町内の同名の和菓子メーカーの工場に隣接して新設され、列車到着時には音楽を流して旅客を迎えていたが、10年強の短命に終わった。陸別では鉄道保存展示施設とした観光鉄道「ふるさと銀河線りくべつ鉄道」としてレールが残り、夏期に運転体験や乗車体験を楽しむ事ができる。
 一方、北海道新幹線開業と同時に、並行在来線の江差線・木古内~五稜郭間が第3セクター鉄道・道南いさりび鉄道に転換された。車両はJR北海道からのキハ40形譲渡でまかない、JR時代のダイヤをおおむね受け継ぎ、全列車が五稜郭から函館まで直通している。イベント対応「ながまれ」を初め、一両毎に異なるマルチカラーを採用した。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


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 京急が、今年度の設備投資計画を発表しました(7日付になっているが、7日にはなかったはずだ)。車両面では、1000形を8両(8×1?)新造し、8両を更新。平和島・京急鶴見・京急東神奈川・日ノ出町・追浜・汐入にホームドアを設置(汐入は3月2日のリリースで、「軽量型」を導入すると発表になっている)。追浜・汐入が先行するのは意外。横須賀中央がまだで(具体的な計画もまだない)、駅全体の改良、という話も聞かないが、ホームが広いので、まずは狭い駅を優先させるという事か。花月総持寺は改築、京急東神奈川はホーム上屋延伸。大師線の立体化は地上部分の進めるとともに、品川の連続立体交差事業に着手。なお、安全対策として運行管理支援システム、工場・検車庫の改良・改修はあるが、去年の神奈川新町の事故を踏まえて踏切の改良、とかいうのはまだない。事故調査報告書が出ないうちは、対策の立てようがないのかも知れない(もうすぐ1年になるが、報告書が上がるのは、かなり先になりそう。今年中には出ないかも?)。総額175億円は、去年は271億円だったから、大幅な減少です。やはり新型コロナウィルス感染禍が影響も出ているのか。

《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
10日 ホワイトハウス近くで発砲事件 トランプ大統領 記者会見一時退席
(東京六大学野球 春のリーグ戦 4か月遅れで開幕)
11日 ソフトバンクグループ 3か月決算は1兆2557億円の黒字 TモバイルUS株価一部売却
(「コロナ」関連の倒産 7月は106社 2か月連続で100社超)

 今日の関東地方は暑かったです。群馬の伊勢崎市では40度を超えたとか。実は、私は昨日、わたらせ渓谷鐡道のトロッコ列車や、上毛電鉄の電車とかを撮りに群馬まで出かけていたのだが、桐生も大間々も、どこもかしこも暑かったです。ずいぶんガブ飲みもしてしまったけれど、どこかフラフラの頭の中で考えたのは…。①ただでさえ酷暑、しかもコロナ感染禍の最中、マスクを着けてまで無理に外出せず、昼間は自宅にこもりきり、②部屋の中でクーラーをガンガン効かせながら、③TVを見たり、PCのゲームをやっていたり、皆がこれをやっていたら、今年の日本の夏は、相当な量の電力を消費する事になるのではないか?一方で、感染の拡大をある程度でも抑えるには、いいのかも知れないが…。