お盆シーズンの航空利用の実績が、今週、航空各社から発表になりました。全国的な感染者の急増を受けて、今夏も、多客シーズンというのに減便を強いられた所も少なくなく、辛いお盆休みになってしまいました。数字を並べる方も辛いのだが、ともかく今期も、各社から公表されたデータを並べてみます。
今シーズンも「分析」なんて意味がないので、基本的には(会社によって呼び方が若干違うが)「座席数」「旅客数」「利用率」の数値のみ記します。注記以外は、コードシェア販売分の扱いは記されていません。カッコ内は前年比、とにかく数字が、悲惨さを冷酷に物語っています。
全日空
国内線 座席数 1,464,721席(79.3%) 旅客数 478,650人(30.4%) 利用率 32.7%(△52.6%)
国際線 座席数 45,802席(12.4%) 旅客数 12,501人(3.9%) 利用率 27.3%(△60.6%)
********************
日本航空
国内線 座席数 890,707席(74.1%) 旅客数 346,106人(33.0%) 利用率 38.9%(△48.4%)
国際線 座席数 32,455席(10.6%) 旅客数 8,179人(2.9%) 利用率 25.2%(△67.9%)
日本トランスオーシャン航空
座席数 107,163席(95.0%) 旅客数 26,685人(27.6%) 利用率 24.9%(△60.7%)
琉球エアコミューター
座席数 18,350席(102.2%) 旅客数 5,835人(42.3%) 利用率 31.8%(△45.1%)
日本エアコミューター
座席数 35,112席(121.9%) 旅客数 11,476人(53.9%) 利用率 32.7%(△41.3%)
座席数が大幅に増えているが、JAL便の代替だったのかもしれない。JACは次の冬スケジュールからJAL便としての運航になるので、JACとしての実績の発表は、今回が最後。
********************
スカイマーク
国内線 座席数 211,956席(82.0%) 旅客数 96,483人(40.6%) 利用率 45.5%(△46.3%)
国際線 運航なし
********************
エア・ドゥ
座席数 81,540席(95.0%) 旅客数 25,218人(34.1%) 利用率 30.9%(△55.3%)
********************
ソラシドエア
(ANA販売分は含まず)
座席数 89,711席(123.3%) 旅客数 15,165人(24.8%) 利用率 16.9%(△67.1%)
今夏スケジュールで福岡~那覇・中部~宮崎線を開設しており、加えて羽田~那覇線で臨時便を18便運航しているため、座席数はかなり増えています。しかし利用率は、国内線では唯一20パーセントを切ってしまいました。
********************
スターフライヤー
(ANA販売分は含まず)
国内線 座席数 41,032席(72.8%) 旅客数 15,275人(30.8%) 利用率 37.2%(△50.7%)
国際線 運航なし
********************
フジドリームエアラインズ
座席数 70,824席(119.1%) 旅客数 22,231人(45.0%) 利用率 31.4%(△51.7%)
********************
IBEXエアラインズ
座席数 7,546席(119.1%) 旅客数 3,508人(48.7%) 利用率 46.5%
※前年度は実績を公表していないので、利用率の比較の数値は出せない。
********************
ピーチ
運航はあったが、利用実績についてのリリースは確認できなかった。
********************
ジェットスター・ジャパン
国内線 座席数 162,720席(78.7%) 旅客数 97,851人(52.5%) 利用率 60.1%(△30.2%)
国際線 運航なし
********************
春秋航空日本
国内線 座席数 11,340席(46.2%) 旅客数 3,164人(14.4%) 利用率 27.9%(△61.6%)
国際線 座席数 756席(5.0%) 旅客数 456人(3.1%) 利用率 60.3%(△36.0%)
国際線は、日曜日(9・16日)のみ運航。
エアアジアは、リリースを確認できませんでした。
「緊急事態宣言」下のGWと比較すれば、国内線はやや持ち直しているが、JPPを除いて利用率が半分に満たず、またも苦しいシーズンになってしまいました。「三密」を避ける必要があるので、座席数は前年に近いか、むしろ増えたキャリアもあるが、そのために旅客数との乖離が著しくなってしまって、健全ではない状態になったと言えます。これは航空だけでなく、新幹線などにも言える事だが。
国際線は、何も言う事はない…。
こんな状況下ではあるが、SKYが羽田・神戸・那覇~下地島路線の10月25日就航をリリースし、各キャリアで割引運賃のPRも熱心に行われていて、何とか国内需要は立て直そうという動きは、各キャリアで見られます。しかしここまでくると、次の年末・年始も、(感染の状況にもよるだろうが)たぶん厳しいものになるでしょう。少なくとも、利用率が50%を上回って欲しいと思います。国際線は、日本だけでは難しい。まずビジネス需要からとなろう。一旦は感染を抑え込んだかに見えた他国でも、再び感染者が急増しているとも聞いているし、米ハワイ州が、来月から予定していた自己隔離期間の短縮(14日から、条件付きで7日)を見送るというニュースを聞くと(去年の10月にA380で飛んだ時の彼の地の賑わいを思い返して、今はどうなってしまっているのだろうとか考えてしまう)、観光は立ち直るのには、相当な時間を要するのは間違いなかろう。とにかく、何とか耐え忍んで欲しい。こういう他はないのだが。せめて日本国内は、感染者数が減少傾向に向かっていて欲しいと思います。「緊急事態宣言」など、再び出る事なく。
6月の北海道往復でも強く思った事だが、とにかく、ウキウキ楽しく乗りたいです。飛行機に限らないけれど。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
19日 アップル 時価総額初の2兆ドル超
(日本感染症学会開幕 「日本は第2波」の見解)
20日 グーグル 「Gmail」など複数のサービスで障害
(コロナウィルス対策で空けた病床に補助上乗せ 千葉県森田知事発表)
藤井 聡太くん(と呼んでは失礼か?)が二冠を達成しました。おめでとうございます。二冠達成は羽生 善治の記録を抜く最年少記録だそうで、羽生も若い頃は恐ろしく強いなあと、当時思った記憶があるのだけれど。後は、同世代の強いライバルが複数いるといいと思う。それにしてもプロの将棋とは、「まった」連発の街角のへぼ将棋とは、同じ「将棋」でも全然レべルが違う厳しい世界だと、改めて痛感。
ウィルス感染者は、東京は再び300人台に乗りました。一昨日・昨日は100人台だったのに数字上はかなり不安定な傾向と映る。神奈川県も104人か。ともかくしつこいけれど、政治や行政がどうあろうと、我が身と自由な暮らしは、我々自身が守りぬく以外ない。この自覚が必要。まあ、教会で大規模クラスターが発生した上に関係者が逃げ出している韓国や、若者たちが刹那的な大規模パーティーを繰り返して自らの首を絞める欧米に比べると、この点日本はまだ自制が効いていて、ほんの少しだけ、楽観的に見てもいいのかなあ、とは感じるのだが。
№2196 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 2.青森県(2)
平成の鉄道・青森県のデータ編です。東北新幹線の延伸に伴う青い森鉄道転換により、東北本線は、青森県からは消滅しました。かつての花形特急街道は、今や貨物列車を除けば、地域輸送に専念する第3セクター鉄道です。
◆平成時代の新規開業路線・区間 〔カッコ内は新線開業に伴う新駅(県内のみ)〕
2002(H14)年12月1日
東日本旅客鉄道 東北新幹線 盛岡(岩手県)~八戸
2010(H22)年12月1日
東日本旅客鉄道 東北新幹線 八戸~新青森
〔七戸十和田〕
2016(H28)年3月26日
北海道旅客鉄道 北海道新幹線 新青森~新函館北斗(北海道)
〔新青森/奥津軽いまべつ〕
※新青森は東日本旅客鉄道の駅として開業済み
◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕
1999(H11)年4月1日
弘南鉄道 弘南線 尾上高校前
2001(H13)年12月1日
東日本旅客鉄道 五能線 ウェスパ椿山
2002(H14)年10月1日
弘南鉄道 大鰐線 石川プール前
2013(H25)年3月15日
青い森鉄道 筒井
2013(H25)年7月27日
弘南鉄道 弘南線 田んぼアート
※臨時駅ではないが 冬季は通過
◆平成時代の改称駅
1991(H3)年3月16日
東日本旅客鉄道 奥羽本線 大鰐温泉(←大鰐)
津軽線 三厩(みんまや←みうまや)
2002(H14)年12月1日
東日本旅客鉄道 八戸線 種差海岸(←種差)
2005(H17)年4月1日
弘南鉄道 弘南線 弘前東高前(←東工業高校前)
◆平成時代の廃止路線・区間 〔カッコ内は廃線に伴う廃駅(県内のみ)〕 日付は営業最終日
1998(H10)年3月31日
弘南鉄道 黒石線 川部~黒石
〔川部/前田屋敷〕
※川部は東日本旅客鉄道の駅として存続
2001(H13)年3月31日
下北交通 大畑線 下北~大畑
〔下北/海老川/田名部/樺山/陸奥関根/川代/正津川/大畑〕
※下北は東日本旅客鉄道の駅として存続
2002(H14)年8月1日
南部縦貫鉄道 野辺地~七戸
〔野辺地/西千曳/後平/坪/坪川/道の上/天間林/中野/営農大学/森田牧場/七戸〕
※1997(H9)年5月5日から休止
2012(H24)年3月31日
十和田観光電鉄 三沢~十和田市
〔三沢/大曲/柳沢/七百/古里/三農校前/高清水/北里大学前/工業高校前/ひがし野団地/十和田市〕
2016(H28)年3月25日
北海道旅客鉄道 津軽海峡線 中小国~木古内(北海道)
〔中小国/津軽今別〕 ※中小国は東日本旅客鉄道の駅として存続
◆平成時代の廃止駅 〔廃線に伴わない単独廃止駅〕 日付は営業最終日
2014(H26)年3月14日
北海道旅客鉄道 津軽海峡線 竜飛海底
◆平成時代の営業譲渡路線・区間
2002(H14)年12月1日
青い森鉄道 目時~八戸
(←東日本旅客鉄道 東北本線)
アイジーアールいわて銀河鉄道 盛岡(岩手県)~目時
(←東日本旅客鉄道 東北本線)
2010(H22)年12月1日
青い森鉄道 八戸~青森
(←東日本旅客鉄道 東北本線)
青森県の歴代知事
北村正哉→(1995(H7)年2月26日~)木村守男→(2003(H15)年6月29日~)三村申吾
令和以降の青森県の鉄道
八戸線の「リゾートうみねこ」は、2020(R2)年3月をもって、一般列車の運行が終了した。6月に予定されていた団体臨時列車「ありがとうリゾートうみねこ」の運行は、新型コロナウィルス感染禍の影響で、9月26~27日に延期されている。三陸鉄道リアス線盛まで直通する。
次は秋田県だが、来月になります。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
17日 33年ぶり ミンククジラ漁 北海道網走沖
(ニュージーランド ウィルス感染再拡大 議会選挙延期発表)
18日 東京六大学野球 春のリーグ戦 法政大学46回目優勝
(奈良の行事「鹿の角きり」 中止決定)
次回はお盆休み期間中の航空利用のデータ分析をやります。といってもGW同様、分析になんてならないのだが。トータルで国内線は前年比35%強、国際線は3%とは、ため息が出る。JRも24%だったそう。
◆平成時代の新規開業路線・区間 〔カッコ内は新線開業に伴う新駅(県内のみ)〕
2002(H14)年12月1日
東日本旅客鉄道 東北新幹線 盛岡(岩手県)~八戸
2010(H22)年12月1日
東日本旅客鉄道 東北新幹線 八戸~新青森
〔七戸十和田〕
2016(H28)年3月26日
北海道旅客鉄道 北海道新幹線 新青森~新函館北斗(北海道)
〔新青森/奥津軽いまべつ〕
※新青森は東日本旅客鉄道の駅として開業済み
◆平成時代の新規開業駅 〔新線開業に伴わない単独開業駅〕
1999(H11)年4月1日
弘南鉄道 弘南線 尾上高校前
2001(H13)年12月1日
東日本旅客鉄道 五能線 ウェスパ椿山
2002(H14)年10月1日
弘南鉄道 大鰐線 石川プール前
2013(H25)年3月15日
青い森鉄道 筒井
2013(H25)年7月27日
弘南鉄道 弘南線 田んぼアート
※臨時駅ではないが 冬季は通過
◆平成時代の改称駅
1991(H3)年3月16日
東日本旅客鉄道 奥羽本線 大鰐温泉(←大鰐)
津軽線 三厩(みんまや←みうまや)
2002(H14)年12月1日
東日本旅客鉄道 八戸線 種差海岸(←種差)
2005(H17)年4月1日
弘南鉄道 弘南線 弘前東高前(←東工業高校前)
◆平成時代の廃止路線・区間 〔カッコ内は廃線に伴う廃駅(県内のみ)〕 日付は営業最終日
1998(H10)年3月31日
弘南鉄道 黒石線 川部~黒石
〔川部/前田屋敷〕
※川部は東日本旅客鉄道の駅として存続
2001(H13)年3月31日
下北交通 大畑線 下北~大畑
〔下北/海老川/田名部/樺山/陸奥関根/川代/正津川/大畑〕
※下北は東日本旅客鉄道の駅として存続
2002(H14)年8月1日
南部縦貫鉄道 野辺地~七戸
〔野辺地/西千曳/後平/坪/坪川/道の上/天間林/中野/営農大学/森田牧場/七戸〕
※1997(H9)年5月5日から休止
2012(H24)年3月31日
十和田観光電鉄 三沢~十和田市
〔三沢/大曲/柳沢/七百/古里/三農校前/高清水/北里大学前/工業高校前/ひがし野団地/十和田市〕
2016(H28)年3月25日
北海道旅客鉄道 津軽海峡線 中小国~木古内(北海道)
〔中小国/津軽今別〕 ※中小国は東日本旅客鉄道の駅として存続
◆平成時代の廃止駅 〔廃線に伴わない単独廃止駅〕 日付は営業最終日
2014(H26)年3月14日
北海道旅客鉄道 津軽海峡線 竜飛海底
◆平成時代の営業譲渡路線・区間
2002(H14)年12月1日
青い森鉄道 目時~八戸
(←東日本旅客鉄道 東北本線)
アイジーアールいわて銀河鉄道 盛岡(岩手県)~目時
(←東日本旅客鉄道 東北本線)
2010(H22)年12月1日
青い森鉄道 八戸~青森
(←東日本旅客鉄道 東北本線)
青森県の歴代知事
北村正哉→(1995(H7)年2月26日~)木村守男→(2003(H15)年6月29日~)三村申吾
令和以降の青森県の鉄道
八戸線の「リゾートうみねこ」は、2020(R2)年3月をもって、一般列車の運行が終了した。6月に予定されていた団体臨時列車「ありがとうリゾートうみねこ」の運行は、新型コロナウィルス感染禍の影響で、9月26~27日に延期されている。三陸鉄道リアス線盛まで直通する。
次は秋田県だが、来月になります。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
17日 33年ぶり ミンククジラ漁 北海道網走沖
(ニュージーランド ウィルス感染再拡大 議会選挙延期発表)
18日 東京六大学野球 春のリーグ戦 法政大学46回目優勝
(奈良の行事「鹿の角きり」 中止決定)
次回はお盆休み期間中の航空利用のデータ分析をやります。といってもGW同様、分析になんてならないのだが。トータルで国内線は前年比35%強、国際線は3%とは、ため息が出る。JRも24%だったそう。
№2195 平成の30年 都道府県別鉄道回顧 2.青森県(1)
平成の30年間の鉄道を、都道府県別に回顧しています。今回からは東北です。最初は青森県です。
最後の輝き 東北特急
青函トンネルが前年(1988(S63)年)3月に開通、北海道直通の寝台特急〔北斗星〕〔トワイライトエクスプレス〕等は好評を博したが、連絡船に変わる青森~函館間の足は、快速〔海峡〕を中心に、特急〔はつかり〕の一部が延長して運行された。対東京では、昼行は〔はつかり〕が盛岡で東北新幹線に接続。夜行は引き続き、東北本線では寝台特急〔ゆうづる〕〔はくつる〕、急行〔八甲田〕、奥羽本線では寝台特急〔あけぼの〕、急行〔津軽〕、と、伝統の列車が東京へ向かっていた。〔あけぼの〕は1990(H2)年9月より、福島~山形間の山形新幹線工事のため、1往復は陸羽東線経由に、もう1往復は〔鳥海〕に改めたうえ羽越本線経由に変更された。〔津軽〕は仙山線経由となり、583系寝台特急電車に置き換えられていた。
しかし、1993(H5)年改正では夜行に大ナタが振るわれ、〔ゆうづる〕〔八甲田〕〔津軽〕が廃止、または臨時列車に格下げとなった(〔ゆうづる〕1往復は〔はくつる〕に建て替え)。583系は〔ゆうづる〕に加え、昼行〔はつかり〕の定期運用からも撤退した。代走または臨時列車でしばらく残る事になるが、「よん・さん・とお」以降四半世紀に渡り、東北特急の顔として昼夜を問わずを走り抜けた583系の、転機となった。
奥羽本線では、昼行では最長となる特急〔白鳥〕、夜行〔日本海〕が大阪まで結んでいた。また、盛岡からの田沢湖線経由〔たざわ〕が、一部秋田から直通運転を行い、青森県内の輸送も担っていた。〔白鳥〕は2001(H13)年改正で廃止、青森~新潟間は〔いなほ〕として走る事になる。
一方、普通列車は、ほとんどが50系または改造12系を使用した客車列車、およびDC列車で運用されていたが、東北本線・奥羽本線では1990年代半ばより、交流区間向けの通勤車両701系に順次置き換えられていった。
東北新幹線八戸開業と 特急再編成
2002(H14)年12月1日、東北新幹線・盛岡~八戸間が延伸開業、新幹線が青森県に到達した。最速列車として〔はやて〕が新設され、東京~八戸間は最短2時間56分で結んだ。合わせて青函トンネルの列車体系が再編され、〔はつかり〕〔海峡〕に代えて、JR北海道789系の〔スーパー白鳥〕、JR東日本485系の〔白鳥〕が、八戸で新幹線と接続する形態となった。〔白鳥〕の愛称は、前年の廃止から1年9ヶ月ぶりの再登板である。県内列車としては、2000(H8)年3月改正より〔スーパーはつかり〕で使用されていた751系が〔つがる〕として、盛岡~青森・弘前間で運行される事となった。1958(S33)年に東北初の特急としてデビュー、以来車両が代わり、区間を短縮しながらも44年間青森の顔として走り続けた〔はつかり〕の名は、終焉を迎えた。
整備新幹線である東北新幹線の開業により、並行在来線となる東北本線・盛岡~青森間は、第3セクター鉄道に転換された。県境に位置する目時駅を境に、青森側が青い森鉄道、岩手県側がIGRいわて銀河鉄道の運営となったが、列車は直通運転を行っている。青い森鉄道は、当時は専用の車両基地を持たず、編成はIGR編成と共通で運用された。青い森鉄道は第2種鉄道事業者で、線路施設は第3種鉄道事業者の青森県が保有する。同区間を通過する夜行列車は、〔北斗星〕〔カシオペア〕は残存したが、〔はくつる〕は38年の歴史に終止符を打った。
東北新幹線 新青森到達
2010(H22)年12月1日、東北新幹線は新青森に到達、全線が開業した。新青森駅は「国鉄最後のダイヤ改正」が行われた1986(S61)年11月に、無人駅として開業していた。青函トンネルの〔スーパー白鳥〕〔白鳥〕は新青森発着となり、〔つがる〕は青森~秋田間の特急となった。〔いなほ〕は秋田で分断され、〔かもしか〕と共に〔つがる〕に統合されている。青森~新青森間は自由席利用の場合、特急料金免除の特例が適用された。
同時に並行在来線の八戸~青森間が青い森鉄道に転換、目時~青森間121.9㎞となり、国鉄・JRから転換された第3セクター鉄道では、当時としては最長となった(北海道ちほく高原鉄道は既に廃線)。八戸に運転所を新設、IGRいわて銀河鉄道とは運用が分離される事になった。
この結果、JR大湊線は、八戸・青森から青い森鉄道経由で快速〔しもきた〕が直通するものの、他のJR旅客営業路線と直接接続しない「落下傘」路線となった。国鉄・JRでは初のケースである。
風光明媚で観光資源を数多く抱える路線がある青森県内では、観光列車が相次ぎデビューしていた。始まりは、1990(H2)年の五能線〔ノスタルジックビュートレイン〕で、レトロ調に改装された50系をDE10形が牽引した。1997(H9)年にはDC編成の〔リゾートしらかみ〕がデビューしている。運行区間は青森~秋田間に拡大され、2003(H15)年と2006(H18)年には1編成ずつ増備され、3編成体制が確立した。新幹線新青森全通時には〔リゾートあすなろ〕がデビュー、新青森駅発着の観光列車として、県内の各路線で運行されている。車両はハイブリッド車HB-300形が導入された。同型は〔リゾートしらかみ〕の初期編成置き換え用にも導入されている。
〔はやぶさ〕デビューと 東日本大震災
2011(H23)年3月5日、東北新幹線の新型E5系が最、高速列車〔はやぶさ〕でデビューした。宇都宮~盛岡間の300㎞/h運転により、東京~新青森間は最速3時間10分で結ばれる事になった。同系にはグリーン車を上回る最高級車両「グランクラス」が設定された。航空のファーストクラスと同等の大型リクライニングシートが並び、専任アテンダントによる軽食・ドリンクやアメニティの提供も行われる。東京~新青森間2往復、東京~仙台間1往復の設定だった。
ところが運行開始のわずか6日後に東日本大震災が発生。東北新幹線は各全線で不通となり、新青森口の再開は22日(盛岡まで)、全線の再開は4月29日となった。〔はやぶさ〕は300㎞/h運転を封印、高額に設定されていた料金は〔はやて〕等と同等とする措置がなされている。グランクラス料金は義援金として寄付された。この措置は、震災前のダイヤに復帰した9月23日まで行われた。在来線では八戸線が、階上以南(岩手県区間)が津波に被災、全線の再開は翌2012(H24)年3月になってからであった。〔リゾートうみねこ〕は新幹線全線再開時に八戸~階上間で暫定的にデビューした。土休日に普通列車を代替する形で運行されている。
全線再開後の東北新幹線はE5系の増備が進み、〔はやて〕から〔はやぶさ〕の転換も進められた。2013(H25)年3月改正では320㎞/h運転を開始、東京~新青森間は最短2時間59分と、3時間を切る事になった。盛岡~新青森間は原則全列車E5系での運行になっている。一方、奥羽本線の寝台特急は衰退、2012(H24)年3月改正で〔日本海〕、2014(H26)年3月改正では〔あけぼの〕が定期運転を取り止め、臨時列車に格下げとなり、県内を始終着とする寝台特急列車は事実上、全て廃止になった。〔日本海〕は56年、〔あけぼの〕は54年の歴史であった。
北海道新幹線開業と長距離列車全廃
2016(H28)年3月26日、北海道新幹線が開業。北海道への足は連絡船から在来線を経て、新幹線の時代となった。全区間がJR北海道の運営となる。青森県内には奥津軽いまべつ駅が開設されたが、停車回数は全新幹線で最も少ない。青函トンネル内は貨物列車と共用の3線軌道のため最高速度制限があり、今の所十分な速達効果があがっていない。東北新幹線〔はやぶさ〕がそのまま直通する形態を基本としている。JR北海道は、E5系と同系のW5系を導入した。
この影で、1999(H7)年から運行されていた豪華寝台特急〔カシオペア〕、特急〔スーパー白鳥〕〔白鳥〕、急行〔はまなす〕が全て廃止になっていた。既に新幹線工事に関連して〔トワイライトエクスプレス〕廃止、〔北斗星〕臨時化がおこなわれており、県内の在来線長距離列車は全て廃止となった。青森県内を走る在来線定期優等列車は、青森~秋田間の特急〔つがる〕3往復のみとなり、昼夜を問わず、長編成の特急・急行が青函連絡船からの接続を受け、東京・大阪へ向けて多数発って行った、青森駅のかつての面影は、失われた。
八戸線では、2013(H25)年より、レストラン列車「TOHOKU EMOTION」が、キハ110系の改造で運行されている。旅行商品の申し込みで利用できる。一般列車は、2018(H30)年3月よりキハE130系が導入され、キハ40系を置き換えた。同形式の導入は、JR東日本初の公募調達によって行われている。八戸線では東北本線二戸までの直通列車があり、青い森・IR転換後も継続されていたが、この改正で廃止(八戸で乗り換え)になった。
苦闘するローカル私鉄線
青森県内の特定地方交通線は大畑線と黒石線の2線が指定されていたが、どちらも第3セクター鉄道ではなく、純民間鉄道に転換されていた。黒石線は、弘前を中心に2路線の電鉄を運行していた弘南鉄道、大畑線は、当時バス専業だった下北バス(鉄道引き継ぎと同時に下北交通と改称)が運営した。両社とも旧国鉄から譲渡されたキハ22形(弘南は後に、小坂鉄道の中古車両を導入)がピストン運行していたが、共に沿線人口が少ないうえ、地域の中心(弘前・大湊)への直通がなくなったなどの不利で利用が減少し、黒石線は1998(H10)年3月、大畑線は2001(H13)年3月に廃止となった。黒石線は、特定地方交通線の鉄道転換路線では、全国でも初の廃止であった。大畑線では、大畑駅構内でキハ22形の保存運転が行われている。
日常の利用が希少でありながら、旧式小型レールバスがファンには人気だった南部縦貫鉄道は、1997(H9)年に休止。東北新幹線との接続の可能性を模索していたが適わず、そのまま廃止となった。七戸駅構内ではレールバスが残され、定期的に運転会が行われている。
十和田観光電鉄は2002(H14)年に東急からステンレスカーを購入して車両の体質改善を図ったが、利用の減少や震災の影響に加え、十和田市駅の駅ビル所有者から立ち退きを要求された事もあって存続が困難になり、2012(H24)年3月いっぱいで廃線となった。これで三八上北地方からは、在来の私鉄が全て消滅する事になった。
弘南鉄道は平成の世になって以降、東急からステンレスカーを購入して、旧国鉄・旧阪和などの旧型電車を置き換えていった。南海からの中古車両の購入も行われたが、利用の減少が著しくなり、ラッシュ時の減便や快速の廃止が行われた。大鰐線では一時区間運転の増発も試行されたが、結局両路線とも、日中は1時間間隔にまで便数が減少している。弘南線には2013(H25)年、田舎館村の田んぼ等に描かれた芸術を楽しめる、「田んぼアート」の第二会場オープンに合わせた新駅が開業した。
津軽鉄道は、1996(H8)年以降、新型DC導入で体質改善を行った。「走れメロス」の愛称がある。名物のストーブ列車は観光列車の色彩が濃くなり、現在は料金を必要としている。北海道新幹線開業により、新しいアクセスとして、津軽半島を横断する津軽中里~奥津軽いまべつ間の路線バスが、弘南バスによって運行されている。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
16日 広島土砂災害から20日で6年 安佐南区慰霊碑で追悼式
(京都五山送り火 コロナ禍で規模縮小し実施)
相変わらず新型コロナウィルスの感染が止まらない一方、熱中症の搬送も相当の数に上っているそうで、やはり今年の夏は狂っているなあ。今年の夏は、電気代かかっても、クーラーを効かせた部屋の中でおとなしく過ごす、のが正解かも知れない。私は、そうはできないのだけれど。公私双方において。
新幹線が変えた 長距離列車の歴史
観光列車相次ぎデビュー ハイブリッド車も
観光列車相次ぎデビュー ハイブリッド車も
最後の輝き 東北特急
青函トンネルが前年(1988(S63)年)3月に開通、北海道直通の寝台特急〔北斗星〕〔トワイライトエクスプレス〕等は好評を博したが、連絡船に変わる青森~函館間の足は、快速〔海峡〕を中心に、特急〔はつかり〕の一部が延長して運行された。対東京では、昼行は〔はつかり〕が盛岡で東北新幹線に接続。夜行は引き続き、東北本線では寝台特急〔ゆうづる〕〔はくつる〕、急行〔八甲田〕、奥羽本線では寝台特急〔あけぼの〕、急行〔津軽〕、と、伝統の列車が東京へ向かっていた。〔あけぼの〕は1990(H2)年9月より、福島~山形間の山形新幹線工事のため、1往復は陸羽東線経由に、もう1往復は〔鳥海〕に改めたうえ羽越本線経由に変更された。〔津軽〕は仙山線経由となり、583系寝台特急電車に置き換えられていた。
しかし、1993(H5)年改正では夜行に大ナタが振るわれ、〔ゆうづる〕〔八甲田〕〔津軽〕が廃止、または臨時列車に格下げとなった(〔ゆうづる〕1往復は〔はくつる〕に建て替え)。583系は〔ゆうづる〕に加え、昼行〔はつかり〕の定期運用からも撤退した。代走または臨時列車でしばらく残る事になるが、「よん・さん・とお」以降四半世紀に渡り、東北特急の顔として昼夜を問わずを走り抜けた583系の、転機となった。
奥羽本線では、昼行では最長となる特急〔白鳥〕、夜行〔日本海〕が大阪まで結んでいた。また、盛岡からの田沢湖線経由〔たざわ〕が、一部秋田から直通運転を行い、青森県内の輸送も担っていた。〔白鳥〕は2001(H13)年改正で廃止、青森~新潟間は〔いなほ〕として走る事になる。
一方、普通列車は、ほとんどが50系または改造12系を使用した客車列車、およびDC列車で運用されていたが、東北本線・奥羽本線では1990年代半ばより、交流区間向けの通勤車両701系に順次置き換えられていった。
東北新幹線八戸開業と 特急再編成
2002(H14)年12月1日、東北新幹線・盛岡~八戸間が延伸開業、新幹線が青森県に到達した。最速列車として〔はやて〕が新設され、東京~八戸間は最短2時間56分で結んだ。合わせて青函トンネルの列車体系が再編され、〔はつかり〕〔海峡〕に代えて、JR北海道789系の〔スーパー白鳥〕、JR東日本485系の〔白鳥〕が、八戸で新幹線と接続する形態となった。〔白鳥〕の愛称は、前年の廃止から1年9ヶ月ぶりの再登板である。県内列車としては、2000(H8)年3月改正より〔スーパーはつかり〕で使用されていた751系が〔つがる〕として、盛岡~青森・弘前間で運行される事となった。1958(S33)年に東北初の特急としてデビュー、以来車両が代わり、区間を短縮しながらも44年間青森の顔として走り続けた〔はつかり〕の名は、終焉を迎えた。
整備新幹線である東北新幹線の開業により、並行在来線となる東北本線・盛岡~青森間は、第3セクター鉄道に転換された。県境に位置する目時駅を境に、青森側が青い森鉄道、岩手県側がIGRいわて銀河鉄道の運営となったが、列車は直通運転を行っている。青い森鉄道は、当時は専用の車両基地を持たず、編成はIGR編成と共通で運用された。青い森鉄道は第2種鉄道事業者で、線路施設は第3種鉄道事業者の青森県が保有する。同区間を通過する夜行列車は、〔北斗星〕〔カシオペア〕は残存したが、〔はくつる〕は38年の歴史に終止符を打った。
東北新幹線 新青森到達
2010(H22)年12月1日、東北新幹線は新青森に到達、全線が開業した。新青森駅は「国鉄最後のダイヤ改正」が行われた1986(S61)年11月に、無人駅として開業していた。青函トンネルの〔スーパー白鳥〕〔白鳥〕は新青森発着となり、〔つがる〕は青森~秋田間の特急となった。〔いなほ〕は秋田で分断され、〔かもしか〕と共に〔つがる〕に統合されている。青森~新青森間は自由席利用の場合、特急料金免除の特例が適用された。
同時に並行在来線の八戸~青森間が青い森鉄道に転換、目時~青森間121.9㎞となり、国鉄・JRから転換された第3セクター鉄道では、当時としては最長となった(北海道ちほく高原鉄道は既に廃線)。八戸に運転所を新設、IGRいわて銀河鉄道とは運用が分離される事になった。
この結果、JR大湊線は、八戸・青森から青い森鉄道経由で快速〔しもきた〕が直通するものの、他のJR旅客営業路線と直接接続しない「落下傘」路線となった。国鉄・JRでは初のケースである。
風光明媚で観光資源を数多く抱える路線がある青森県内では、観光列車が相次ぎデビューしていた。始まりは、1990(H2)年の五能線〔ノスタルジックビュートレイン〕で、レトロ調に改装された50系をDE10形が牽引した。1997(H9)年にはDC編成の〔リゾートしらかみ〕がデビューしている。運行区間は青森~秋田間に拡大され、2003(H15)年と2006(H18)年には1編成ずつ増備され、3編成体制が確立した。新幹線新青森全通時には〔リゾートあすなろ〕がデビュー、新青森駅発着の観光列車として、県内の各路線で運行されている。車両はハイブリッド車HB-300形が導入された。同型は〔リゾートしらかみ〕の初期編成置き換え用にも導入されている。
〔はやぶさ〕デビューと 東日本大震災
2011(H23)年3月5日、東北新幹線の新型E5系が最、高速列車〔はやぶさ〕でデビューした。宇都宮~盛岡間の300㎞/h運転により、東京~新青森間は最速3時間10分で結ばれる事になった。同系にはグリーン車を上回る最高級車両「グランクラス」が設定された。航空のファーストクラスと同等の大型リクライニングシートが並び、専任アテンダントによる軽食・ドリンクやアメニティの提供も行われる。東京~新青森間2往復、東京~仙台間1往復の設定だった。
ところが運行開始のわずか6日後に東日本大震災が発生。東北新幹線は各全線で不通となり、新青森口の再開は22日(盛岡まで)、全線の再開は4月29日となった。〔はやぶさ〕は300㎞/h運転を封印、高額に設定されていた料金は〔はやて〕等と同等とする措置がなされている。グランクラス料金は義援金として寄付された。この措置は、震災前のダイヤに復帰した9月23日まで行われた。在来線では八戸線が、階上以南(岩手県区間)が津波に被災、全線の再開は翌2012(H24)年3月になってからであった。〔リゾートうみねこ〕は新幹線全線再開時に八戸~階上間で暫定的にデビューした。土休日に普通列車を代替する形で運行されている。
全線再開後の東北新幹線はE5系の増備が進み、〔はやて〕から〔はやぶさ〕の転換も進められた。2013(H25)年3月改正では320㎞/h運転を開始、東京~新青森間は最短2時間59分と、3時間を切る事になった。盛岡~新青森間は原則全列車E5系での運行になっている。一方、奥羽本線の寝台特急は衰退、2012(H24)年3月改正で〔日本海〕、2014(H26)年3月改正では〔あけぼの〕が定期運転を取り止め、臨時列車に格下げとなり、県内を始終着とする寝台特急列車は事実上、全て廃止になった。〔日本海〕は56年、〔あけぼの〕は54年の歴史であった。
北海道新幹線開業と長距離列車全廃
2016(H28)年3月26日、北海道新幹線が開業。北海道への足は連絡船から在来線を経て、新幹線の時代となった。全区間がJR北海道の運営となる。青森県内には奥津軽いまべつ駅が開設されたが、停車回数は全新幹線で最も少ない。青函トンネル内は貨物列車と共用の3線軌道のため最高速度制限があり、今の所十分な速達効果があがっていない。東北新幹線〔はやぶさ〕がそのまま直通する形態を基本としている。JR北海道は、E5系と同系のW5系を導入した。
この影で、1999(H7)年から運行されていた豪華寝台特急〔カシオペア〕、特急〔スーパー白鳥〕〔白鳥〕、急行〔はまなす〕が全て廃止になっていた。既に新幹線工事に関連して〔トワイライトエクスプレス〕廃止、〔北斗星〕臨時化がおこなわれており、県内の在来線長距離列車は全て廃止となった。青森県内を走る在来線定期優等列車は、青森~秋田間の特急〔つがる〕3往復のみとなり、昼夜を問わず、長編成の特急・急行が青函連絡船からの接続を受け、東京・大阪へ向けて多数発って行った、青森駅のかつての面影は、失われた。
八戸線では、2013(H25)年より、レストラン列車「TOHOKU EMOTION」が、キハ110系の改造で運行されている。旅行商品の申し込みで利用できる。一般列車は、2018(H30)年3月よりキハE130系が導入され、キハ40系を置き換えた。同形式の導入は、JR東日本初の公募調達によって行われている。八戸線では東北本線二戸までの直通列車があり、青い森・IR転換後も継続されていたが、この改正で廃止(八戸で乗り換え)になった。
苦闘するローカル私鉄線
青森県内の特定地方交通線は大畑線と黒石線の2線が指定されていたが、どちらも第3セクター鉄道ではなく、純民間鉄道に転換されていた。黒石線は、弘前を中心に2路線の電鉄を運行していた弘南鉄道、大畑線は、当時バス専業だった下北バス(鉄道引き継ぎと同時に下北交通と改称)が運営した。両社とも旧国鉄から譲渡されたキハ22形(弘南は後に、小坂鉄道の中古車両を導入)がピストン運行していたが、共に沿線人口が少ないうえ、地域の中心(弘前・大湊)への直通がなくなったなどの不利で利用が減少し、黒石線は1998(H10)年3月、大畑線は2001(H13)年3月に廃止となった。黒石線は、特定地方交通線の鉄道転換路線では、全国でも初の廃止であった。大畑線では、大畑駅構内でキハ22形の保存運転が行われている。
日常の利用が希少でありながら、旧式小型レールバスがファンには人気だった南部縦貫鉄道は、1997(H9)年に休止。東北新幹線との接続の可能性を模索していたが適わず、そのまま廃止となった。七戸駅構内ではレールバスが残され、定期的に運転会が行われている。
十和田観光電鉄は2002(H14)年に東急からステンレスカーを購入して車両の体質改善を図ったが、利用の減少や震災の影響に加え、十和田市駅の駅ビル所有者から立ち退きを要求された事もあって存続が困難になり、2012(H24)年3月いっぱいで廃線となった。これで三八上北地方からは、在来の私鉄が全て消滅する事になった。
弘南鉄道は平成の世になって以降、東急からステンレスカーを購入して、旧国鉄・旧阪和などの旧型電車を置き換えていった。南海からの中古車両の購入も行われたが、利用の減少が著しくなり、ラッシュ時の減便や快速の廃止が行われた。大鰐線では一時区間運転の増発も試行されたが、結局両路線とも、日中は1時間間隔にまで便数が減少している。弘南線には2013(H25)年、田舎館村の田んぼ等に描かれた芸術を楽しめる、「田んぼアート」の第二会場オープンに合わせた新駅が開業した。
津軽鉄道は、1996(H8)年以降、新型DC導入で体質改善を行った。「走れメロス」の愛称がある。名物のストーブ列車は観光列車の色彩が濃くなり、現在は料金を必要としている。北海道新幹線開業により、新しいアクセスとして、津軽半島を横断する津軽中里~奥津軽いまべつ間の路線バスが、弘南バスによって運行されている。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》 カッコ書きは新型コロナウィルス感染関連
16日 広島土砂災害から20日で6年 安佐南区慰霊碑で追悼式
(京都五山送り火 コロナ禍で規模縮小し実施)
相変わらず新型コロナウィルスの感染が止まらない一方、熱中症の搬送も相当の数に上っているそうで、やはり今年の夏は狂っているなあ。今年の夏は、電気代かかっても、クーラーを効かせた部屋の中でおとなしく過ごす、のが正解かも知れない。私は、そうはできないのだけれど。公私双方において。