№2038 新生三陸鉄道と BRT縦貫の旅 4.いよいよ 三陸鉄道リアス線新規開業区間

 震災の大津波で被災したJR山田線の釜石~宮古間は、今年の3月23日、三陸鉄道に転換の上、8年ぶりに運行を再開しました。三陸鉄道は同時に、盛~釜石~宮古~久慈間を、「リアス線」と称し、一本化して運営しています。一般のニュースでご覧になった方も多いはずです。
 いよいよ新規転換区間、釜石~宮古間に乗ります。途中の各駅で乗り降り、一部は徒歩も交えて訪ねます。旧JR時代に乗った事はあったが、30年くらい前の話で、ほとんど記憶がない。今と違って、あまり写真を撮っていないし。実質、新線に乗るような感覚でしょうか。

 7月30日(火)

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 昨日はホテルまでタクシー利用だったが、今朝は駅まで歩き。せいぜい15分程度だが。釜石はラグビーW杯が間近、日曜日には日本のテストマッチが行われたばかりでした。市内はどこでも、W杯の幟が見られます。

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 三陸鉄道の釜石駅。釜石に関しては、JRと三陸鉄道で駅舎が分かれたまま。窓口が開いていない…(8時15分から)。

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 今回は一気に通し、ではなく、できるだけ多くの途中駅を訪ねます。まず鵜住居まで。久慈行1007Dは3番線からの出発。

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 36-712と、36-R3(回送扱い)の2連。

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 叡山電鉄とタイアップのヘッドマーク。

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 この区間は戦争前の開通なので、純粋にローカル線然として、線路は鄙びている。一方で道路の整備は急ピッチ、のようで、鉄道には厳しいなあ。

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 鵜住居復興スタジアム。車窓から見る限り、大分小さいなあ。

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 鵜住居は島式ホーム。真ん中に待合室があり、デコっています。

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 駅前の「鵜の郷交流館」。あと交通広場があり、岩手県交通バスが、平日ダイヤだと1時間毎には釜石から入ります。

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 ラグビーボール形のモニュメント。

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 今の鵜住居駅。震災前は築堤上にあり、地下道で外と結ばれていたようだが、今は踏切でホームに向かう。駅舎のようなものはない。

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 2005Dで、両石まで一駅戻る。鵜住居付近は街自体、イチから造り直しただけあって、線路が真新しい。

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 両石駅。上から見下ろせる位置まで登って撮影。

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 下から見下ろすとこんな感じで、ホームに行くには階段しかない。復旧に合わせて、スロープを整備できなかったかな…。

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 5009D。盛始発久慈行。

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 浪板海岸まで行ってしまいます。大槌の先、ここも大津波で被災したところ、線路は新しいし、右手には防波堤が。

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 浪板海岸では驚いた事に、団体のお客さんが多数乗り込んできた。皆高齢者だ。新潟から来たらしい。新潟交通のエアロエースが見えるでしょうか。
 この駅も津波の直撃を受けていて、新しく造り直しています。

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 駅前に建つ、「東日本大震災忘備の碑」。
(サイズを大きくしています)

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 左の「津波到達の碑」は新しい。右は、昔の津波について書かれたものか。

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 海岸沿いには、木が一本、ポツンと立っています。陸前高田の「奇跡の一本松」のように、奇跡的に残った最後の一本、なのだろうか。

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 浪板海岸の駅前にも、交通広場が整備されています。

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 ただし、釜石から岩手県交通バスは、交通広場から少し離れた位置にある「浪板」を始発としています。
 JTB時刻表には「浪板海岸」の時刻が記されているが、バス停は浪板終点の一つ手前。

 次の釜石方面行きは大分時間があり、吉里吉里方面へ、R45号をテクテク歩いて行きます。バスは行ってしまったばかりだし。

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 こんな穏やかな海がねえ…。8年前の阿鼻叫喚の惨劇、正直思い起こせません。

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 吉里吉里の駅近くの集落に入ると、こんな碑が。台湾赤十字の支援を記しています。
(これもサイズを大きくしています)

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 吉里吉里駅。

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 置物があるねえ。募金を募って作られているようです。

 ちょっと遠いけれど、もう一駅、大槌まで歩いてしまおう。途中には長めのトンネルがあり、歩行者の通行を知らせる表示があって、歩行者はトンネルに入る前にボタンを押して、表示させる。

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 大槌駅の近くにある、宮沢賢治の「旅程幻想」の碑。

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 大槌の駅舎は、「ひょうたん島」をイメージしたものになっています。大槌も津波の被害が手ひどく、街づくりをイチからやり直している。

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 先の下りから2時間近く後になった2011Dに乗車。織笠を目指すが、この駅は再開と同時に、川の反対側に移転している。旧駅はこの付近だったはずだが、全く面影を見いだせない。

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 実質新駅と言って良い、今の織笠駅。

 上り列車はしばらく来ない(2時間30分の間が空いている)から、ここからまた歩き、岩手船越まで戻る。

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 穏やかな山田湾。対岸に見えるのは霞露ヶ岳。

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 途中の「道の駅やまだ」には、あれ?県交通のバス停も立っている。三陸鉄道リアス線開通と同時に、浪板からの乗り入れは終了したはず、と思っていたが、これは釜石から遠野・花巻を経由して東京へ向かう夜行バス〔遠野・釜石号〕のバス停なのでした。ここが始発なのだが、週末中心の運行で、多分今日の出発はないだろう。カレンダーがないのが難点か。左の岩手県北バスのバス停は、宮古駅~田の浜路線。なお、道の駅やまだからは、県北バス・京急の〔ビーム1〕も出発(こちらは毎日運行)。

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 岩手船越駅までたどり着くと、ちょうど盛岡からの県北バス〔106急行〕が到着したところ。1日2便宮古から延長して乗り入れがあって、盛岡駅から3時間強。意外と、降りてくるお客さんが多かったような。このバスは、道の駅やまだには入らない。

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 岩手船越駅。

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 2013D。36-200の2連で、先頭はパナソニックの広告車、2両目はキットカットのラッピング車。
 陸中山田まで乗る間に、もう一度旧織笠駅の跡を確認してみたが、やはり影も形も見当たらない。

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 陸中山田到着。1012Dと交換。ここで途中下車します。

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 瀟洒な陸中山田の駅舎。バスターミナルもあるが、付近はまだ整備途上。この後、今はまだ離れた所にプレハブで建っている郵便局も、引っ越してくる事になるようです。
 駅付近の飲食店で昼食とコーヒータイム。特に踏切近くのカフェのフルーツパフェは、オススメかも。

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 駅舎内の、防災復興の展示。

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 ホームに掲げられている、全線開通記念の幟。下に描かれているのは、「鉄道むすめ」の「久慈ありす」と「釜石まな」。
 後半です。2時間後の15Dで、津軽石へ。陸中山田~豊間根間は11.1㎞離れていて、これはリアス線全線で最も長い。

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 津軽石駅。ここは交換可能。
 払川までまた歩き。駅間が短い区間では歩きを交えないと、本数が少ない路線では駅を数多く訪ねる事ができない。

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 払川駅は、転換と同時に開業した新駅です。ホームがやや短くて、3両編成だと全部は収まらないはず。大丈夫?と思ったが、三陸鉄道は乗降共に一番前のドアなので、必要な部分だけかかれば良いのだろう。この16Dも36-700の2連だったが、先頭はホームの真ん中(待合室付近)に停止し、2両目はホームからはみ出していた。

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 豊間根まで、一駅戻る。比較的真新しい駅舎(待合室)だが、JR時代、震災前には既にこの姿だったようだ。
 陸中山田から峠を越えてきたわけだが、この駅はまだ山田町にあります(払川から宮古市)。

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「三陸ジオパーク」の案内書き。

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 この駅は、以前は交換可能でした。「JTB時刻表2019年4月号」のグラビア特集で、三陸鉄道の運行本部旅客営業部副部長が、「ダイヤ編成が難しいので、豊間根に交換設備が欲しかった…」と語っていたが、スペース的に復活は充分可能です。ただ、線路を引き続き保有しているJR東日本に頼む必要はあるだろうが。

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 駅名標は当然、三陸鉄道仕様。

 あと2駅、八木沢・宮古短大と磯鶏の2駅が残ってしまった。が、もう17時を過ぎている上、この日投宿するホテルは釜石と違って、宮古駅からかなり遠く、遅くなるとアクセスが大変(さすがにタクシーは使いたくなかった)なので、翌日、旧北リアス線に乗る前に訪ねる事として、この日は、もう宮古まで行ってしまいます。

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 5017Dで宮古到着。入れ替わりに5018Dが、盛に向けて出発していきます。

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 宮古駅。リアス線全線開業と同時に、JRの駅員はいなくなり、営業は三陸鉄道に委託する形になっています。翌日の、八戸からの〔はやぶさ〕のきっぷを、ここで購入しておきます。

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 旧三陸鉄道の駅舎。JR駅舎への統合により、駅としては閉鎖。

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 JRの駅舎と、旧三陸鉄道の駅舎の間にある、「さんてつや」。グッズや観光物産を販売しています。夕方は18時30分まで。

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 岩手県北バスの「106急行」には、MEX色の新車も導入されていました。

 ホテルへのバスは、結局19時20分までなく、正直時間をつぶすのが一苦労だった。入りたくなるような飲食店もなく、駅前にあるショッピングセンターも、閉店・撤退した店が多いのか、どこかガランとしている。結局31アイスクリームでクレープとコーヒーを飲み食いして過ごした。
 海岸沿いのホテルに着いたら、もう真っ暗…。
(ちなみにバスは、エルガ・ノンステップだった。どこかからの中古だろうが、出所は解らず)

 今回は、3月11日の野蒜の時の印象も思い返しながら乗ってみたのだが、特に鵜住居、大槌、浪板海岸、織笠、陸中山田の付近は津波で壊滅的な被害に遭ってしまって、鉄道も街も、ゼロからの再建、そんな印象はやはりありました。鉄道は、野蒜と違って大幅なルートの変更までは行っていないが、PC枕木の線路は真新しく、被災せずに済んだ在来の区間とは、大分アンバランスだなあの印象も受けました。
 浪板海岸からの団体もそうだし、今回2回ほど、団体専用の単行の通過を見かけました。全線再開したものの、町の再建はまだまだこれからで、地元の人の利用が定着してくれるか、未知数な部分はあります。しばらくは、団体の利用が、三陸鉄道の経営の生命線、となると思います。それはこの区間に限らない事で、翌日の旧北リアス線区間でも感じる事になります。
 本当は、もう少し本数が多いと良いのだけれどなあ…。

 なお、釜石~宮古間を三陸鉄道の車両が走るのは、これが初めてではありません。〔リアスシーライナー〕もあったし、その前にも三陸鉄道とJR東日本の相互乗り入れの形で、直通を行った期間がありました(逆にJRのキハ110形が三陸鉄道を走った事もあったはず)。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
14日 東北道 佐野SA(上り線) 未明から営業休止 
15日 ジュビロ磐田 鈴木秀人監督退任発表

 鈴木監督は、6月に辞任した名波浩監督の後任だったが、わずか2ヶ月…。名門、復活今だしかなあ…。去年もJ2との入れ替え戦で辛うじてJ1残留だったし。Jリーグの終盤においては、残留が危ういチームの監督交代が毎年必ずどこかで行われるものだけれど、個人的には、今更ジタバタしたってしょうがないだろ?と思う。今の体制のまま、チームの結束をもう一度高める事が、残留に結びつくものだと思うのだが。ジュビロは現在勝ち点17。残留の目安を40とすると、残り12試合で6勝しなければならない。決して不可能な数字でもないと思うが、ここまで22試合で4勝しかできていないジュビロに、奇跡は起きるだろうか?
 台風10号は日本海に抜け、北東に進路を取っています。このままだと今度は明後日くらい、北海道を直撃する事になります。さて、人的な被害は今の所、広島県の1人、となっているが、交通、特に鉄道への影響が非常に心配です。少なくとも明日にならないと、全容は解らないだろうが。この所毎年のように復旧まで数ヶ月、数年かかるような災害があちこちで起きていて、今でも芸備線や日田彦山線など、水害から立ち直れていない路線が残っているのに。

 当ブログは明日、開始から10周年となります。長い間、拙いテキストにお付き合いくださいまして、誠に有り難うございます。
 この10年、それこそ東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨といった大災害を数多く経験するなど、交通にとっては受難の10年ではあったが、一方でもちろん明るい話題も多数あったし、辛い出来事のなかでも、懸命に這い上がろう、希望の光を与えようという「乗り物の力」も見てきました。次の10年、20年もまた明暗様々な出来事が交通業界に降りかかる事だろうが、ともかく今まで通り、あくまで自分の見たままに、自分の言葉で、思った事、感じた事を綴って行こうと、決意をあらたに(…ってそんな大げさでもないが)しています。
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 今後とも、当ブログ、本体、両方を、よろしくお願いいたします。