№2038 新生三陸鉄道と BRT縦貫の旅 4.いよいよ 三陸鉄道リアス線新規開業区間

 震災の大津波で被災したJR山田線の釜石~宮古間は、今年の3月23日、三陸鉄道に転換の上、8年ぶりに運行を再開しました。三陸鉄道は同時に、盛~釜石~宮古~久慈間を、「リアス線」と称し、一本化して運営しています。一般のニュースでご覧になった方も多いはずです。
 いよいよ新規転換区間、釜石~宮古間に乗ります。途中の各駅で乗り降り、一部は徒歩も交えて訪ねます。旧JR時代に乗った事はあったが、30年くらい前の話で、ほとんど記憶がない。今と違って、あまり写真を撮っていないし。実質、新線に乗るような感覚でしょうか。

 7月30日(火)

2019073001.jpg
 昨日はホテルまでタクシー利用だったが、今朝は駅まで歩き。せいぜい15分程度だが。釜石はラグビーW杯が間近、日曜日には日本のテストマッチが行われたばかりでした。市内はどこでも、W杯の幟が見られます。

2019073002.jpg
 三陸鉄道の釜石駅。釜石に関しては、JRと三陸鉄道で駅舎が分かれたまま。窓口が開いていない…(8時15分から)。

2019073003.jpg
 今回は一気に通し、ではなく、できるだけ多くの途中駅を訪ねます。まず鵜住居まで。久慈行1007Dは3番線からの出発。

2019073004.jpg
 36-712と、36-R3(回送扱い)の2連。

2019073005.jpg
 叡山電鉄とタイアップのヘッドマーク。

2019073006.jpg
 この区間は戦争前の開通なので、純粋にローカル線然として、線路は鄙びている。一方で道路の整備は急ピッチ、のようで、鉄道には厳しいなあ。

2019073007.jpg
 鵜住居復興スタジアム。車窓から見る限り、大分小さいなあ。

2019073008.jpg
 鵜住居は島式ホーム。真ん中に待合室があり、デコっています。

2019073009.jpg
 駅前の「鵜の郷交流館」。あと交通広場があり、岩手県交通バスが、平日ダイヤだと1時間毎には釜石から入ります。

2019073010.jpg
 ラグビーボール形のモニュメント。

2019073011.jpg
 今の鵜住居駅。震災前は築堤上にあり、地下道で外と結ばれていたようだが、今は踏切でホームに向かう。駅舎のようなものはない。

2019073012.jpg
 2005Dで、両石まで一駅戻る。鵜住居付近は街自体、イチから造り直しただけあって、線路が真新しい。

2019073013.jpg
 両石駅。上から見下ろせる位置まで登って撮影。

2019073014.jpg
 下から見下ろすとこんな感じで、ホームに行くには階段しかない。復旧に合わせて、スロープを整備できなかったかな…。

2019073015.jpg
 5009D。盛始発久慈行。

2019073016.jpg
 浪板海岸まで行ってしまいます。大槌の先、ここも大津波で被災したところ、線路は新しいし、右手には防波堤が。

2019073017.jpg
 浪板海岸では驚いた事に、団体のお客さんが多数乗り込んできた。皆高齢者だ。新潟から来たらしい。新潟交通のエアロエースが見えるでしょうか。
 この駅も津波の直撃を受けていて、新しく造り直しています。

2019073018.jpg
 駅前に建つ、「東日本大震災忘備の碑」。
(サイズを大きくしています)

2019073019.jpg
 左の「津波到達の碑」は新しい。右は、昔の津波について書かれたものか。

2019073020.jpg
 海岸沿いには、木が一本、ポツンと立っています。陸前高田の「奇跡の一本松」のように、奇跡的に残った最後の一本、なのだろうか。

2019073021.jpg
 浪板海岸の駅前にも、交通広場が整備されています。

2019073022.jpg
 ただし、釜石から岩手県交通バスは、交通広場から少し離れた位置にある「浪板」を始発としています。
 JTB時刻表には「浪板海岸」の時刻が記されているが、バス停は浪板終点の一つ手前。

 次の釜石方面行きは大分時間があり、吉里吉里方面へ、R45号をテクテク歩いて行きます。バスは行ってしまったばかりだし。

2019073023.jpg
 こんな穏やかな海がねえ…。8年前の阿鼻叫喚の惨劇、正直思い起こせません。

2019073024.jpg
 吉里吉里の駅近くの集落に入ると、こんな碑が。台湾赤十字の支援を記しています。
(これもサイズを大きくしています)

2019073025.jpg
 吉里吉里駅。

2019073026.jpg
 置物があるねえ。募金を募って作られているようです。

 ちょっと遠いけれど、もう一駅、大槌まで歩いてしまおう。途中には長めのトンネルがあり、歩行者の通行を知らせる表示があって、歩行者はトンネルに入る前にボタンを押して、表示させる。

2019073027.jpg
 大槌駅の近くにある、宮沢賢治の「旅程幻想」の碑。

2019073028.jpg
 大槌の駅舎は、「ひょうたん島」をイメージしたものになっています。大槌も津波の被害が手ひどく、街づくりをイチからやり直している。

2019073029.jpg
 先の下りから2時間近く後になった2011Dに乗車。織笠を目指すが、この駅は再開と同時に、川の反対側に移転している。旧駅はこの付近だったはずだが、全く面影を見いだせない。

2019073030.jpg
 実質新駅と言って良い、今の織笠駅。

 上り列車はしばらく来ない(2時間30分の間が空いている)から、ここからまた歩き、岩手船越まで戻る。

2019073031.jpg
 穏やかな山田湾。対岸に見えるのは霞露ヶ岳。

2019073032.jpg
 途中の「道の駅やまだ」には、あれ?県交通のバス停も立っている。三陸鉄道リアス線開通と同時に、浪板からの乗り入れは終了したはず、と思っていたが、これは釜石から遠野・花巻を経由して東京へ向かう夜行バス〔遠野・釜石号〕のバス停なのでした。ここが始発なのだが、週末中心の運行で、多分今日の出発はないだろう。カレンダーがないのが難点か。左の岩手県北バスのバス停は、宮古駅~田の浜路線。なお、道の駅やまだからは、県北バス・京急の〔ビーム1〕も出発(こちらは毎日運行)。

2019073033.jpg
 岩手船越駅までたどり着くと、ちょうど盛岡からの県北バス〔106急行〕が到着したところ。1日2便宮古から延長して乗り入れがあって、盛岡駅から3時間強。意外と、降りてくるお客さんが多かったような。このバスは、道の駅やまだには入らない。

2019073034.jpg
 岩手船越駅。

2019073035.jpg
 2013D。36-200の2連で、先頭はパナソニックの広告車、2両目はキットカットのラッピング車。
 陸中山田まで乗る間に、もう一度旧織笠駅の跡を確認してみたが、やはり影も形も見当たらない。

2019073000.jpg
 陸中山田到着。1012Dと交換。ここで途中下車します。

2019073036.jpg
 瀟洒な陸中山田の駅舎。バスターミナルもあるが、付近はまだ整備途上。この後、今はまだ離れた所にプレハブで建っている郵便局も、引っ越してくる事になるようです。
 駅付近の飲食店で昼食とコーヒータイム。特に踏切近くのカフェのフルーツパフェは、オススメかも。

2019073037.jpg
 駅舎内の、防災復興の展示。

2019073038.jpg
 ホームに掲げられている、全線開通記念の幟。下に描かれているのは、「鉄道むすめ」の「久慈ありす」と「釜石まな」。
 後半です。2時間後の15Dで、津軽石へ。陸中山田~豊間根間は11.1㎞離れていて、これはリアス線全線で最も長い。

2019073039.jpg
 津軽石駅。ここは交換可能。
 払川までまた歩き。駅間が短い区間では歩きを交えないと、本数が少ない路線では駅を数多く訪ねる事ができない。

2019073040.jpg
 払川駅は、転換と同時に開業した新駅です。ホームがやや短くて、3両編成だと全部は収まらないはず。大丈夫?と思ったが、三陸鉄道は乗降共に一番前のドアなので、必要な部分だけかかれば良いのだろう。この16Dも36-700の2連だったが、先頭はホームの真ん中(待合室付近)に停止し、2両目はホームからはみ出していた。

2019073041.jpg
 豊間根まで、一駅戻る。比較的真新しい駅舎(待合室)だが、JR時代、震災前には既にこの姿だったようだ。
 陸中山田から峠を越えてきたわけだが、この駅はまだ山田町にあります(払川から宮古市)。

2019073042.jpg
「三陸ジオパーク」の案内書き。

2019073043.jpg
 この駅は、以前は交換可能でした。「JTB時刻表2019年4月号」のグラビア特集で、三陸鉄道の運行本部旅客営業部副部長が、「ダイヤ編成が難しいので、豊間根に交換設備が欲しかった…」と語っていたが、スペース的に復活は充分可能です。ただ、線路を引き続き保有しているJR東日本に頼む必要はあるだろうが。

2019073044.jpg
 駅名標は当然、三陸鉄道仕様。

 あと2駅、八木沢・宮古短大と磯鶏の2駅が残ってしまった。が、もう17時を過ぎている上、この日投宿するホテルは釜石と違って、宮古駅からかなり遠く、遅くなるとアクセスが大変(さすがにタクシーは使いたくなかった)なので、翌日、旧北リアス線に乗る前に訪ねる事として、この日は、もう宮古まで行ってしまいます。

2019073045.jpg
 5017Dで宮古到着。入れ替わりに5018Dが、盛に向けて出発していきます。

2019073046.jpg
 宮古駅。リアス線全線開業と同時に、JRの駅員はいなくなり、営業は三陸鉄道に委託する形になっています。翌日の、八戸からの〔はやぶさ〕のきっぷを、ここで購入しておきます。

2019073047.jpg
 旧三陸鉄道の駅舎。JR駅舎への統合により、駅としては閉鎖。

2019073048.jpg
 JRの駅舎と、旧三陸鉄道の駅舎の間にある、「さんてつや」。グッズや観光物産を販売しています。夕方は18時30分まで。

2019073049.jpg
 岩手県北バスの「106急行」には、MEX色の新車も導入されていました。

 ホテルへのバスは、結局19時20分までなく、正直時間をつぶすのが一苦労だった。入りたくなるような飲食店もなく、駅前にあるショッピングセンターも、閉店・撤退した店が多いのか、どこかガランとしている。結局31アイスクリームでクレープとコーヒーを飲み食いして過ごした。
 海岸沿いのホテルに着いたら、もう真っ暗…。
(ちなみにバスは、エルガ・ノンステップだった。どこかからの中古だろうが、出所は解らず)

 今回は、3月11日の野蒜の時の印象も思い返しながら乗ってみたのだが、特に鵜住居、大槌、浪板海岸、織笠、陸中山田の付近は津波で壊滅的な被害に遭ってしまって、鉄道も街も、ゼロからの再建、そんな印象はやはりありました。鉄道は、野蒜と違って大幅なルートの変更までは行っていないが、PC枕木の線路は真新しく、被災せずに済んだ在来の区間とは、大分アンバランスだなあの印象も受けました。
 浪板海岸からの団体もそうだし、今回2回ほど、団体専用の単行の通過を見かけました。全線再開したものの、町の再建はまだまだこれからで、地元の人の利用が定着してくれるか、未知数な部分はあります。しばらくは、団体の利用が、三陸鉄道の経営の生命線、となると思います。それはこの区間に限らない事で、翌日の旧北リアス線区間でも感じる事になります。
 本当は、もう少し本数が多いと良いのだけれどなあ…。

 なお、釜石~宮古間を三陸鉄道の車両が走るのは、これが初めてではありません。〔リアスシーライナー〕もあったし、その前にも三陸鉄道とJR東日本の相互乗り入れの形で、直通を行った期間がありました(逆にJRのキハ110形が三陸鉄道を走った事もあったはず)。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
14日 東北道 佐野SA(上り線) 未明から営業休止 
15日 ジュビロ磐田 鈴木秀人監督退任発表

 鈴木監督は、6月に辞任した名波浩監督の後任だったが、わずか2ヶ月…。名門、復活今だしかなあ…。去年もJ2との入れ替え戦で辛うじてJ1残留だったし。Jリーグの終盤においては、残留が危ういチームの監督交代が毎年必ずどこかで行われるものだけれど、個人的には、今更ジタバタしたってしょうがないだろ?と思う。今の体制のまま、チームの結束をもう一度高める事が、残留に結びつくものだと思うのだが。ジュビロは現在勝ち点17。残留の目安を40とすると、残り12試合で6勝しなければならない。決して不可能な数字でもないと思うが、ここまで22試合で4勝しかできていないジュビロに、奇跡は起きるだろうか?
 台風10号は日本海に抜け、北東に進路を取っています。このままだと今度は明後日くらい、北海道を直撃する事になります。さて、人的な被害は今の所、広島県の1人、となっているが、交通、特に鉄道への影響が非常に心配です。少なくとも明日にならないと、全容は解らないだろうが。この所毎年のように復旧まで数ヶ月、数年かかるような災害があちこちで起きていて、今でも芸備線や日田彦山線など、水害から立ち直れていない路線が残っているのに。

 当ブログは明日、開始から10周年となります。長い間、拙いテキストにお付き合いくださいまして、誠に有り難うございます。
 この10年、それこそ東日本大震災や熊本地震、西日本豪雨といった大災害を数多く経験するなど、交通にとっては受難の10年ではあったが、一方でもちろん明るい話題も多数あったし、辛い出来事のなかでも、懸命に這い上がろう、希望の光を与えようという「乗り物の力」も見てきました。次の10年、20年もまた明暗様々な出来事が交通業界に降りかかる事だろうが、ともかく今まで通り、あくまで自分の見たままに、自分の言葉で、思った事、感じた事を綴って行こうと、決意をあらたに(…ってそんな大げさでもないが)しています。
 ところで、当ブログは、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」のブログ版という形でスタートしました。そのブログ10周年を機会に、本体の方の運営体制を大幅に変更し、ブログ中心にする事を考えていました。その辺の事はチラッと本体に書いてしまったが、朝令暮改的になってしまって申し訳ないけれど、もう少し、現在の2本立ての体制を続けて行きます。本体の方は引き続き、路線バスを中心とした、日本の(海外も一部あるが)バスの画像を、カタログ的に並べるスタイルを取って行きます。本体の方の更新回数は少し減ってしまうと思うが。
 今後とも、当ブログ、本体、両方を、よろしくお願いいたします。

№2037 新生三陸鉄道と BRT縦貫の旅 3.BRTの今と 三陸鉄道旧南リアス線

2019072950.jpg
 大船渡・気仙沼線のBRTは、開業直後の2013(H25)年4月14日に盛→柳津で乗り通し、№933で書きました。当時は両路線とも専用道路がまだ整備されておらず、大半が一般道路だったし、陸前高田は仮設の乗り場でした。あれから6年、どう変わっただろうか、読み比べて頂けると幸いです。一気に行きます。

** 気仙沼線 **

2019072951.jpg
 柳津11時33分発が、専用ホームに入ってきました。実際の運行は、ミヤコーバス佐沼〔営〕。

2019072952.jpg
 単線断面のトンネルを抜けていく。長いので、前後には信号設置の行き違い場所があります。

2019072953.jpg
 トンネルを抜けた先の、信号付の行き違い場所で停止。柳津行の到着を待ちます。みなみさん

2019072954.jpg
 志津川の手前で一般道におります。志津川駅は、6年前のカプセル状の「駅舎」があった場所とは別の、プレハブの小屋が建つ折返し場所に入る。
 志津川の中心部は一般道。右手の丘を上がって南三陸役場・病院前(病院の前が乗り場)、戻って左の丘の志津川団地中央と、めまぐるしい。

2019072955.jpg
 志津川団地中央の先で専用道に戻るが、左手にも専用道があるのに、今は使われておらず、ロープが張られている。

2019072956.jpg
 清水浜の手前の、信号付の交換場所で、今度は向こうが待っていた。

2019072957.jpg
 歌津。6年前はトンネルを抜けるとここで一般道に乗り換えたものでした。

2019072958.jpg
 長いトンネルを抜けて、陸前港の手前で一般道(R45)へ。しかし専用道の工事も進行中のよう。

2019072959.jpg
「過去の津波浸水区間」。この標識はこの後も、岩手県にかけてR45の各地で見られる様になります。

2019072960.jpg
 本吉。ここも6年前は駅前広場発着だったものが、専用のプラットホームが造られています。
 ここで少々停車。トイレ休憩も兼ねているようだ。また、ドライバーもここで交代。降車したドライバーは、ミヤコーバスのマイカーで営業所に向かいました。
 私はここで途中下車します。

2019072961.jpg
 専用道延伸を見据え、旧鉄道ホーム付近に、また新しく専用プラットホームを造成中です。

 ここで下車したのは、後続の本吉始発気仙沼行が「e-BRT」運用、と記されていたから。しかし…。

2019072962.jpg
 下の津谷〔営〕から現れたのは、「普通の」ブルーリボンシティ・ハイブリッド。「e-BRT」は、今日はお休み、だって…。

2019072963.jpg
 しばらくは専用道を走行するが、小金沢の手前でまたR45へ。R45上の小金沢駅。ミヤコーバスの赤井海岸のバス停を併設。

2019072964.jpg
 8年前の惨劇が信じられないくらい、穏やかな三陸海岸。8年経つと、「爪痕」というものはさすがにあまり感じられなくなったが、海岸沿いは、至る所で工事中だ。

2019072966.jpg
 陸前階上~松岩間がまた専用道。6年前より専用道区間が延伸され、真新しい橋もある。

2019072967.jpg
 この便は気仙沼市立病院経由で、松岩から一般道だが、逆行していく感じ。途中で一般のミヤコーバスとも出会います。結構遠回り(松岩~南気仙沼間は、直行の7分に対して、19分かかる)。

2019072968.jpg
 気仙沼市内中心部でグンとマイカーが増えるが、不動の沢からまた専用道路。大きくカーブを切って、鉄道の大船渡線と並走していきます。

2019072969.jpg
 気仙沼駅には、「ポケモントレイン」の姿がありました。
 気仙沼駅も、以前の駅前発着から、鉄道から転換した専用ホーム発着になっていました。

** 大船渡線 **

2019072970.jpg
 気仙沼の駅舎。それ自体は変わっていない。
 時間まで街中をうろついていたら、お天気雨?

2019072971.jpg
 14時20分発盛行。陸前高田まで乗ります。大船渡線は岩手県交通に委託。

2019072972.jpg
 こちらも、鹿折唐桑まで専用道になっています。なので以前見た、津波で打ち上げられた漁船があった町の様子は解らない。

2019072973.jpg
 専用道路から見た、気仙沼港。
 鹿折唐桑で一般道に降りる。この先上鹿折方向は、更地のまま。専用道にする事はないのか。
(上鹿折は、ミヤコーバスの金山行に乗る。平日6.5往復、土休日5.5往復)

 R45に乗って、岩手県に入ります。

2019072974.jpg
 陸前高田の中心部に入って、気仙中学校の校舎の跡。6年前と変わっていない。

2019072975.jpg
 6年前は保存作業中だった、「奇跡の一本松」。後は旧ユースホステル。これも変わっていない。

2019072976.jpg
 変わったのは、陸前高田駅。以前の高台から移転し、バスターミナルとして整備されていました。「駅舎」もあり、現在は毎日窓口が開いています。

2019072977.jpg
 バスターミナルにはBRTの他、岩手県交通の一般のバスも入ります。一ノ関からの長距離便も入るが、6年前に乗った夜行バス〔けせんライナー〕は入らない。

2019072978.jpg
 道路の反対側には、岩手県のスーパー「Maiya」を中心とした、ショッピングセンターが建っていました。

 次に、陸前矢作行に乗り換えます。エルガ・ハイブリッドでした。端折ってしまうけれど、沿線はまだ復興に向けた、再開発の途上、と見ました。旧JRバス東北の中学校前バス停がまだ残っている。遠野本線は震災よりはるか前、2004(H1)年に廃線になっているのだが。あるいは、何か別の用途があるのか?高速バスとかはないのだが。車内からは解らなかった。
 陸前矢作は、旧鉄道駅の近く、鉄道用地を転用した折返し場所に移転しています。

2019072979.jpg
 鉄道時代の駅舎。と言っても待合室レベルだが。

2019072980.jpg
 相対式ホームの真ん中の部分に、BRT乗り場に向かう通路が造られています。

2019072981.jpg
 旧ホームの駅名標が、まだ残されていました。でも、直接上鹿折まで行く事は、もうできそうにない。

2019072983.jpg
 反対側、上鹿折方向を見る。

2019072982.jpg
 専用道と交差する道路には、踏切のマークが残されていました。しかもSL。震災前からのものなのか?

2019072984.jpg
 BRT乗り場から専用道を見る。ここまで乗ってきたエルガ・ハイブリッドは回送で去って行って、別のBRCハイブリッドが回送で来ました。

2019072985.jpg
 改めて、陸前矢作のBRT乗り場。旧鉄道駅構内の東側を回転場所としています。
 この形態からして、やはり鹿折唐桑~上鹿折~陸前矢作間は、BRTとしても再生する事はないだろうと思われます。県境を挟む区間でこの区間だけの流動はほとんどなく、気仙沼~陸前高田・大船渡間の広域の流動は、比較的高規格のR45経由で走れば充分、という事でしょう。

2019072986.jpg
 6年前は「ここが終点?」と唖然とさせられた、旧陸前矢作。当時は折返し場所を工事中だったが、再度の移転で役割を終えて、解体されています。現役の姿を見る事はなかった。
 矢作「支線」はここと、あと竹駒駅付近も専用道になっていました。

2019072987.jpg
 高台にある栃ヶ沢公園。ここが、6年前の陸前高田駅でした。一般のバス停が並んでいるが(〔けせんライナー〕もここに停車)、バス停名が「陸前高田市役所」のままで、統一が取れていない。いずれ市役所も本庁舎に移転するはずで、なのでBRTは名前を変えているのだろうか。
 陸前高田に戻り、再度盛を目指す。

2019072988.jpg
 16時40分発は高田病院前経由便。5分遅れで来た(一番上の画像)。最後部に座る。せっかくの病院経由なのに、乗降なし。高校前は帰宅の学生が多かったのだが。
 高台の一般道を経由。穏やかな海を見る。

2019072989.jpg
 6年前は整備途上だった、小友からの専用道に乗ります。
(この専用道の開通により、開業時に設定された直行便の設定はなくなっている)

2019072990.jpg
 碁石海岸口の手前の、信号設備のある交換場所で、陸前矢作行を待ちました。気仙沼線も同じだが、信号がある場所だと、赤信号で一旦停止し「感知中」の文字が現れ、それから対向車がいないと青に切り替わって出発、という手順を踏む。ここは対向車があったのでしばし停車していたわけ。

2019072991.jpg
 鉄道時代のホームの跡が残る、細浦。その先にBRTのホームがあります。

2019072992.jpg
 終点近く、右手に港を見て、やがて三陸鉄道と合流して、盛に到着しました。盛も、旧鉄道駅施設を転用したプラットホームの発着になっています。
 大船渡線は、6年前は盛~大船渡間のごく短区間だけが専用道だったが、特に気仙沼市内と、大船渡市内では相当整備が進みました。一方で陸前高田市内は、「矢作支線」以外は専用道が見られなかったが、大津波が何もかもを押し流して、線路跡もヘッタクレもなかった、という事だろう。復興を期す市内は区画整理も行われていて、一般道を走ればそれで充分、という事でしょう。
 あとは、陸前高田市役所が移転して、それから、という事になろう。その時点でまた、路線の再編が行われるのか。BRTに関してはまだまだ書きたい事が一杯あるのだが、ともあれ大船渡線も気仙沼線も、BRTはまだ変化が繰り返される事になりそう、と感じました。次に再訪する機会があったら、また違ったものが見えるでしょう。

2019072993.jpg
 盛駅。6年前はBRTもここからの出発でした。今も岩手県交通の路線の一部が入るが、一番遅くても最終が18時台…。

2019072994.jpg
 陸橋から駅を見る。気仙沼行のエルガ・ハイブリッドが出発。右手は三陸鉄道。

2019072995.jpg
 岩手開発鉄道の盛駅。と言っても旅客列車が無くなってもう四半世紀を過ぎているし、ホームへの立ち入りもできないが、そのままの姿で残っています。向こうにBRTの待機スペースがあります。

2019072996.jpg
 もう一息、今日の宿泊地、釜石まで、三陸鉄道の旧南リアス線区間で行きます。6年前は、吉浜までの暫定再開、という状況でした。18時20分発の217D。36-715の単行。
 1ボックスに1~2名程度の乗車。

2019072997.jpg
 高台を行く列車から望む、三陸の海。BRTの車内でも痛感したが、こんな穏やかな海がどうして8年前、大津波として牙をむき、何千人もの犠牲を出す事になってしまったのか…。
 前方を時々、シカが横切る。

2019072998.jpg
 三陸駅で218Dと交換。
 車内の乗客は駅毎にパラパラ降りて行って、吉浜から先は、もう5人しかいなかった。皆男。

2019072999.jpg
 終点の釜石。行き止まりの5番線に到着しました。さすがに暗い。
 この日の釜石は、全国で2番目の猛暑を記録したらしい。海に近いのに?19時を過ぎても、昼間の蒸し暑さが残っているようでした。
 タクシーで、この晩投宿のホテルに移動。初乗り+2段階で済んだ。明日の転換区間の乗車に備えます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
11日 群馬 防災ヘリコプター墜落から1年 記念式典開催
12日 西武 秋山翔吾 連続フル出場記録701試合 歴代2位
13日 DeNA パットンに罰金500万円 冷蔵庫殴打で骨折

 群馬の墜落と言えば、昨日は日航ジャンボ機墜落事故から34年となり、追悼式典が行われました。JALの赤坂社長も参列、昨年続発した飲酒問題で、遺族の方々から「厳しいお叱りを受けた」とも。平成の30年間は幸い、日本のキャリアによる旅客死亡事故は発生しなかったが、一歩間違えれば大惨事、という事態は、決して少なくはありませんでした。海外キャリアの惨事もありました。全ての関係者が、令和の世も引き続き、旅客死亡事故ゼロに向けて、研鑽を続けて欲しいと願います。
 香港の抵抗運動はさらに過激化し、空港機能がマヒして、日本路線を含むかなりの航空便に影響が出たようです。抵抗勢力は、今はまだ高揚感もあるが、前にも少し書いたが、自ら後戻りできない、危険な領域に踏み込みつつあるのではないか?妥協を全否定して運動をさらに先鋭化させ、香港全体を大混乱に陥れてしまった以上、もはや要求の100%達成以外に、道はなくなってしまった(退路は失われた)。香港政府側も、過激化した行動に、一方的に折れる事もできなくなってしまったし。それに、事が香港の領域の中だけで終わる話ならまだ良いが、中国メインランドの共産党政権が本腰を上げて介入してきたら、どうなるのか?「天安門」の二の舞も、全くない話ではないだろう。彼らなら言い訳はいくらでも作れるし、「内政問題」とすっとぼける事も、できてしまうので。
「超大型」台風10号が西日本に接近してきています。航空は今日から、鉄道は明日から影響が出そうで、JR西日本は、明後日15日の山陽新幹線は、終日運休になる可能性もあるとしています(具体的な運行計画は明日11時発表との事)。何より人的な犠牲が出ない事が第一だが、また復旧まで年単位の時を必要とするような、鉄道を中心とした交通の被災がなければ良いのだが…。去年の西日本豪雨の傷跡がまだ癒えていないのに。

№2036 新生三陸鉄道と BRT縦貫の旅 2.仙台空港アクセス線と東北本線・石巻線

2019072900.jpg
 4ヶ月前の3月11日、東日本大震災から8年の日、野蒜を訪れたあと、本当は仙台空港アクセス線にも乗っておきたかったのだけれど、個人的な事情により、急遽帰宅を早めなくてはならなくなり、乗らずに終わっていました。
 三陸縦貫の旅の前に、まずは仙台空港まで往復します。今回は単純往復のみ、試し乗りで終わる事になるが。
 その後、東北本線と石巻線から気仙沼線への直通DCを乗り継いで、柳津へ。

 7月29日(月)

2019072901.jpg
 横浜からのバスが到着した、仙台駅東口。

2019072902.jpg
 東西自由通路の、七夕飾り。そう、月が変わったら、もう間もなく七夕祭り。

2019072903.jpg
 仙台空港行の電車は、欠き取り式ホームの3番線からの出発がメイン。6時08分発1304Mは、SAT721系+E721系500番台の混成4連。ワンマン。仙台発車時点だと、空港利用者はそんなに多くなかったかも。むしろ次の長町の方が、多かったかも知れない。

2019072905.jpg
 車内には、津波警報発表時の脱出方法が記されています。

2019072904.jpg
 東北本線内は、長町を過ぎると田園地帯。

2019072906.jpg
 それは、名取から分岐してSATの高架線に入っても、空港の直前まで、中間駅の近辺以外は変わりがないのでした。
 各駅停車で、25分で仙台空港着。

2019072907.jpg
 空港駅のコンコースにも、七夕飾りが吊るされています。右側の飾りに描かれている女の子は、「鉄道むすめ」の「杜みなせ」。

2019072909.jpg
 記念撮影ボード。杜みなせと、「サッとくん」。杜みなせは駅員じゃなくて、運転指令員、なんだって。名前は、「せきのした」「たその」「とり」「んだいくうこう」の頭の文字から。

2019072908.jpg
 改めて、仙台空港駅の外観。高架駅。空港ターミナルとは、後方の橋で結ばれています。

2019072910.jpg
 8年前のあの日、津波はここまで押し寄せてきました。駅はまだ良かったのだろうが、SATは滑走路の直下を地下線で交差するので、被害が甚大なものになりました。

2019072911.jpg
 仙台空港のターミナル。なるほど、「仙台国際空港」と書かれている。

2019072912.jpg
 ホームは2面4線。6連に対応している。

2019072913.jpg
 折返し1305Mで仙台方面に戻ります。ワンマン運転で、窓上にモニターがあります。運転士はSATで、名取での交代もなく、仙台まで乗り通します。なので、一般の乗客からしたら、名取を境に別の会社が運営する相互乗り入れの形態、とは、気づく機会は少ないだろう。
 帰りは、乗務員室の後に立って、前方を見ます。

2019072914.jpg
 発車すると、左手にIBEXのCRJ700の姿を間近に見ます。ターミナルにはANAが2機、JALとAPJが1機ずつ、という所でしょうか。

2019072915.jpg
 単線の高架線が、田園地帯を突っ切って行く。沿線の建物は皆、真新しい。やはり津波被害に遭って、新しく建て直した、という所なのだろうか。

2019072916.jpg
 美田園で交換可能。ここから、通勤の乗客が乗り込んでくる。1線スルーのようだ。行き違いがなければ、上下とも右側を通過するのだろう。

2019072917.jpg
 右手は、田園地帯の向こうに、仙台市中心部の高層ビル群を見ます。

2019072918.jpg
 杜せきのしたは、駅前にイオンモール名取と、全国チェーンのホテルがあり、それなりに利用が多いのだろう、とは思うが、今の所行き違いの線路は準備工事だけで、棒線になっています。

2019072919.jpg
 名取で、JR東北本線に合流。SATは基本的には、上下とも2番線発着らしい(空港行は1番線も使うようだが)。ここでかなりの混雑になる。

2019072920.jpg
 長町で降りました。3月11日の東西線に続いて、南北線にもあいさつしてこようと思って。

 仙台空港アクセス線は、結局は地方空港のアクセスなので、東京や大阪のような高頻度のフリークェントサービスにはならないのだろうけれど、中間2駅の利用者の存在も考えたら、少なくとも20分間隔のパターンダイヤは欲しいと思う。快速(名取のみ停車)は、このダイヤでは中途半端ではないか?何より、全列車仙台止まりで、その先は必ず乗り換えなければならないのは不便。空港仕様編成によるワンマン運転が理由なのだろうが、小牛田方面からとか、仙山線、仙石東北ラインからの直通運転は、できないものだろうか?
(実は25日に、来春に輸送力増強策を採るとJR東日本仙台支社からリリースが出ているが、日中時間帯の増結による輸送力増強の実施がメインになるそう。「車両の捻出」と言っているから、新造はなくて、他線区の車両の転用改造を行うのだろう)

2019072921.jpg
 仙台市営地下鉄の広告は、吉川晃司を起用。広島出身で、仙台とは特に縁がなさそうだが。Thanks, Thanks, Thanks, Thanks, モニカ~♪(歳がバレる)。

2019072922.jpg
 南北線1000系。冷改や行先表示のLED化が行われている。ホームドアが整備されていました。

2019072923.jpg
 しかし、開業が1987(S62)年だからもう32年、翌年にはローレル賞も受賞しているが(「ファジィ制御」という言葉は当時の白物家電でも取り入れられていて、ちょっとした流行語だった)、そろそろ代替、という話は、出てこないのだろうか。

 この後長町→富沢→泉中央→広瀬通と乗って、ファミレスで小休止、朝食を食べます。

2019072924.jpg
 その後、時間まで近くの交差点でバスを撮っていました。時間が短くて、そんなに撮れなかったけれど。そんな中、サイボーグ009を描いたしミヤコーバスの高速車が現れました。石巻のPR、という感じ。
 脱線するが、今年は「009」のアニメ(カラーによる2回目のアニメ化)が、ちょうど40年です。でも、東映アニメーションの公式Web、制作作品のリストにに記載がないのは、どうして?(アニメ製作がサンライズへの委託だから?)

2019072925.jpg
 仙台駅西口のコンコース。さすがにメインエントランスだけあって、七夕飾りも大きい。

2019072926.jpg
 最初は3月と同様、仙石東北ラインの特別快速に乗って、石巻経由で前谷地・柳津を目指す事も考えていました。でも今回は素直に、東北本線と石巻線を乗り継いで行く事にします。9時46分発2535M。E721系の2連×2。
 青空は良いが、暑くなってきました。車内の冷房が極楽。

2019072927.jpg
 仙石東北ライン5564Dとのすれ違い。
 仙台は東北一の大都会のはず、なのに、東仙台を過ぎたらもう田園地帯だ。南部もそうだったけれど、仙台市の市街区域は、案外狭い。

2019072928.jpg
 塩釜~松島間は山間部。途中並走する仙石線は「マンガッタンライナー」が走っていた。
 松島の手前で、仙石線への短絡線を分岐。3月は右へ渡っていったが、今日は直進。

2019072929.jpg
 再び田園地帯が続く。何の変哲もないけれど、こういう風景、いいな。

2019072930.jpg
 小牛田に着くと、すぐに2538Mで折返し。仙台方の2連がラッピング車だったとは、気づかなかった。相馬野馬追い。クハE720-2。

2019072931.jpg
 クモハE721-2。

 石巻線2927D(柳津直通)に乗り換えます。キハ110-133の単行で、乗客は他に3人だけで、皆涌谷で降りてしまいました。入れ替わりに乗車もあって、車内には自分一人しかいなかった、という場面は、柳津までなかったが。

2019072932.jpg
 石巻線は、線路が貧弱だなあ。「比較的」最近まで、貨物列車も走っていたはずだが。

2019072933.jpg
 何の変哲もない田園地帯が続く。この「何の変哲もない」所が逆に新鮮・魅力的なのかも知れない。現代では。

2019072934.jpg
 前谷地で、女川からの1630Dと離合。右が1630D。もし仙台から仙石東北ラインの特別快速に乗っていたら、石巻からはこの列車になっていました。左が、今乗っている2927D。

2019072936.jpg
 車内の運賃表には、柳津から先のBRT区間の駅(バス停?)も表示されるが、一部表示がない駅もある。最近設定された所がほとんどだ。

2019072937.jpg
 直線が続く。

2019072938.jpg
 暑い中、農作業に励む人の姿。この人達が、我々の暮らしを支えてくれていることを、忘れてはならないと思う。

2019072939.jpg
 北上川を渡って、鉄道としては終点となる柳津に到着。

2019072940.jpg
 柳津駅。6年前に気仙沼方面から着いた時は、志津川~柳津間は全区間一般道経由、BRTは駅前の広場からの発着でした。

2019072941.jpg
 6年経ち、柳津からのBRT専用道路が完成、専用のプラットホームもできあがっていました。鉄道のプラットホームの待合室の脇に、BRTのホームへの案内表示があります。

2019072942.jpg
 BRT専用のホーム。向かい合わせのホームの手前側は、降車及び前谷地直通便の乗り場。反対側が気仙沼行になります。

2019072943.jpg
 専用道路が延びていきます。トンネルも見える。

 ここからいよいよBRTと、三陸鉄道旧南リアス線区間を乗り継いで釜石を目指す事になります。それは次回です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 東急は昨日、田園都市線と大井町線の、10月1日のダイヤ改正を発表しました。11月13日のグランベリーパーク街開きを見据え、南町田駅は「南町田グランベリーパーク」と改称し、平日も急行が停車。準急は長津田~中央林間間が各駅に停車(各駅停車は一部が長津田で折返し)。大井町線の急行は日中も2本に1本が中央林間へ直通、平日18~20時台の溝の口行急行が長津田へ延長。なお増発という所まではなく、メトロ半蔵門線や東武スカイツリーラインは、今の所リリースは出ていない。修正程度(東急行の行先の変更など)になるだろう。
 この10月1日には、東急が持ち株会社制に移行する予定になっています。今の東京急行電鉄は持ち株会社の「東急」となり、鉄道部門は現在の分割準備会社が継承(9月2日に「東急電鉄」と改称)。

 デルタ航空が、来年夏ダイヤより成田空港から全面撤退し、米本土路線は羽田空港に統一すると発表しました。ノースウエストからの引き継ぎもあって、あんなに便数があったのに?個人的には、少々ビックリ。アジアへの拠点は、ソウル・仁川へ移すという事。

《今日のニュースから》
 9日 今年度各都道府県最低賃金確定 時給平均901円 27円上昇
10日 国民民主党 衆参両議院の新統一会派 結成要求の回答決定

 国連機関のIPCCが、このままでは地球温暖化で食料の生産・供給が不安定になるとする報告書をまとめました。対策の一つとして、肉を減らして(家畜が二酸化炭素を大量に輩出するから)植物を中心とした食事に切り替える事や、「フードロス」を減らす事も求めています。「飛行機に乗るのは恥」と、北欧の高校生は言った。次は、「肉を食べるのは恥」になるのか。ひょっとしたら、人間が生きる事自体が、「恥」になのか?