№2020 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 近畿日本鉄道.8

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 一ヶ月近く間が空いたが、四半世紀位前、平成が始まって数年、1990年代前半くらいの近鉄線の駅をご覧頂くシリーズです。今回は山田線・鳥羽線・志摩線です。
 この3路線は、近鉄沿線一の国際的観光地である伊勢・志摩を貫く、ほぼ一体の路線というイメージがあるが、元々の生い立ちが異なります。志摩線はかつては国鉄参宮線に接続する、戦争前に開通したローカル鉄道であり(開通当時は狭軌)、一方で志摩線は、山田線と、後に近鉄に合併された志摩線を短絡するために1970(S45)年に全通した、「比較的」新しい(来年で50周年)路線で、それぞれに異なった雰囲気を持っているように感じます。志摩線は、1994(H6)年の志摩スペイン村開園に合わせて大規模な輸送力の増強が図られた時期で、長大トンネルや複線の新線への付け替えなどの線形改良が行われ、新線上に移転した駅もあります。

山田線 伊勢中川~宇治山田

 伊勢中川は、名古屋線〔後〕でご覧頂きました。

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伊勢中原 いせなかはら

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松ヶ崎 まつがさき

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松阪 まつさか
 JR紀勢本線・名松線との接続駅。近鉄は2面3線です。

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東松阪 ひがしまつさか

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櫛田 くしだ
 中央に通過線がある、相対式ホームの待避駅。

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漕代 こいしろ

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斎宮 さいくう

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明星 みょうじょう
 検車区を併設する、2面4線の待避駅。

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明野 あけの
 中央に通過線がある、相対式ホームの待避駅。櫛田と明野は、地下に駅施設を移転させたばかりだった頃だと思われます。

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小俣 おばた

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宮町 みやまち
 たまにこの駅で折返し、伊勢方面へ向かう列車が設定される事があります(今のダイヤではない)。

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伊勢市 いせし
 JR参宮線の接続駅で、JR東海との共同使用駅。このビルはJR東海の管理下にあるが、近鉄の窓口もあります。

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宇治山田 うじやまだ
 改良工事が終わったばかりの頃です。このあと2001(H13)年に、国の有形登録文化財に登録される事になります。

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 宇治山田駅のホーム。左2線が鳥羽線と繋がっていて、右2線は行き止まり。当時は、行き止まりの先に定期観光バスが発着するスペースがあり、連絡改札と、ターンテーブルがありました。いい時代でした。
(今はツアーバス形態の1コースだけとなり、鳥羽BC発着で宇治山田は駅前)

鳥羽線 宇治山田~鳥羽

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五十鈴川 いすずがわ
 2面4線の待避駅。ここを始終着とする列車も多数設定されています。

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朝熊 あさま

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池の浦 いけのうら

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鳥羽 とば
 JR参宮線の終着駅でもあります。撮影時点ではやや地味目立った橋上駅舎は、この後大幅な増改築が行われる事になります。

志摩線 鳥羽~賢島

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中之郷 なかのごう
 橋上駅舎に改築されたばかりの頃、だったと思います。鳥羽からここまで、先行して複線化されていました。

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志摩赤崎 しまあかさき
 単線区間にある、交換可能な駅。

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船津 ふなつ
 ここから複線になります。

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加茂 かも

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松尾 まつお

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白木 しらき
 青峰トンネルの開通と同時に移転した駅で、中央に通過線を配置した、相対式ホームの待避駅になっています。ここに映っている学校帰りの子供達も、今は社会人となり、良きパパママになっているのだろうか。なっているといいな。

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五知 ごち
 この駅も、青峰トンネル開通に伴う新線上に移転した駅です。

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沓掛 くつかけ

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上之郷 かみのごう
 ここと志摩磯部の1区間は、複線化されませんでした。適切な用地が確保出来なかったからか。エースカーが懐かしいなあ。時代がバレてしまうが。

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志摩磯部 しまいそべ
 志摩スペイン村がオープンした時点では、ここがアクセス最寄り駅とされ、三重交通によるシャトルバスが運行されていました。駅舎も、スペイン風の橋上駅舎に改築されています。基本的には相対式ホームだが、加えて行き止まり式の線路もあり、「伊勢志摩ライナー」の折返し整備も行われていました。現在は鵜方が最寄り駅となり、シャトルバスもなくなった上、「しまかぜ」は通過。

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穴川 あなかわ
 志摩磯部から先がまた、南側に敷設された複線の新線となりました。その新線上に移転した駅です。旧駅からは相当離れています。

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志摩横山 しまよこやま

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鵜方 うがた
 この地域の交通の要衝は鵜方の方で、三重交通バスの発着も多数あります。この駅も、改築されたばかりでした。ホームは普通の島式。3年前のG7サミットの時、ここが一時的に終着駅になった事は、記憶に新しい。

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志摩神明 しましんめい

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賢島 かしこじま
 特急の受け入れのため、高台の上に、頭端式のホームが造られました。駅前には交通広場も造られています。

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 以前は、特急は高台のホームだが、普通電車は志摩電気鉄道時代からの、地平にある駅のホームに発着していました。特急のホームに向かう線路と分かれると、急坂を下って到着していました。町の中心は旧駅舎側に面しているので、一般の利用はこちらの方が便利だったのでしょう。
 しかし後に、高台側にも普通電車専用ホームを造り、合わせて連絡通路も整備し、完全に高台側に統合される事になります。一番上の画像の一番右が、普通電車用のホームです。この旧駅舎は、近鉄職員(乗務員など)の宿泊所に転用されているようです。南口と称しているようです。

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 参考までに、これより前にも賢島を訪れた事があったので、駅舎として機能していた頃の旧駅舎の画像も乗せておきます。棒線でした。さらに路線が延びていたようだった。貨物線だったらしい。


 近年は、特に志摩線は特急・普通とも減便が行われ、大晦日の終夜運転もなくなり(スペイン村の終夜営業が取り止めになったから)、やや低調というイメージがあります。近年こちらの方まで足を踏み入れていないので、実態は解らないが。「しまかぜ」が、山田・鳥羽・志摩の伊勢志摩3線に、再び活気を取り戻してくれる事が期待されます。
 次回は再び大阪に戻って、南大阪線系統の駅を取上げるが、また来月の後半になりそうです。来月で終わりにしたいが。

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