№2012 DMV転換直前 阿佐海岸鉄道を訪ねて 2.甲浦まで トンボ帰り…
今回の弾丸旅行の目的は、阿佐海岸鉄道再訪。
なのに、帰りの航空便の都合で、前夜、空路で到着してすぐに牟岐線で阿南まで入った上、翌朝の午前中に甲浦まで行って、徳島まで戻って、それで終わりになってしまいました。弾丸旅行の哀しさ…。
徳島駅前の広場の総合案内、だが、左下が「小松島市営バス」のまま…。
その、旧小松島市営バスの姿のままの徳島バス。和田島行。
徳島19時ちょうど発、阿南行525D。1500形の2連で、車掌乗務。日曜日の夜だが、部活の帰りか学生が多かった。
南小松島で、高徳線直通板野行578Dと行き違う。
ここまでは4年前にも乗った。この先は…恐らく、2001(H13)年1月以来、になると思う。ただ、正直記憶がない。
西日本の5月は、19時を過ぎてもまだ明るい。
この晩は、阿南駅に隣接するホテルに投宿。
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5月13日(月)
ホテルの朝食会場で見た、TVニュースの天気予報では、徳島は「晴れのち曇り」。せめて、徳島駅から空港に向かうまでは、晴れが続いて欲しい、と願いつつチェックアウト、阿南駅に戻る。
昔の阿南駅の事は全然知らんが、今はローカル線には似合わぬ?近代的な橋上駅舎。
東側の商工業振興センターには、なんと、JRバス関東のエアロキング。しかもプレミアカラー。意外性があるが、〔ドリーム徳島号〕として着いたばかりだ。
高速バス時刻表。東京行は他に、徳島バス・京急バス〔エディ号〕が入り、昼行便は大阪行が発着。海部観光は、ここには入らない。
海部行527D。1500+1200の2連。7時46分発とかなり早いが、哀しい事に、次の海部行は10時25分までない…。
阿南駅ホーム。530Dと行き違い。向こうは3連。上下とも登校の学生が多いのは地方都市の朝ならではで、狭い階段がごった返す。
続いて、3月改正で1往復に削減された、特急〔むろと2号〕。牟岐から来ているが、見た限りあまりお客さんの姿がなかったような。この列車の到着を待って、出発。
学生はまだ残っていたけれど、次の見能林でみんな降りていった。ガラガラ、という程でもないが、車内はかなり空いた。
前日乗車した阿南までの区間は比較的平坦で、直線も長いところが多かったが、阿波橘を過ぎると、急勾配に急カーブが多くなってきた様に感じられる。
桑野で534Dと交換。向こうも1500+1200の2連。
沿線はローカル色が濃くて雰囲気が悪くないのだが、由岐付近では山側に「日和佐道路」と称するらしい、高規格の道路が現れる。こういうのが相手だと、ローカル鉄道は分が悪い、かもなあ。
阿南から1時間弱で、牟岐到着。ホームの反対側は、4542D。
こちらはここから4527Dとなり、ワンマン運転となります。ただし、車両の切り離しは行わない。
2両目の1200形は回送扱いとなり、ドア部にはこのような札が掲げられます。
駅舎には、阿佐海岸鉄道の、DMV転換をPRするポスターが掲げられていました。世界初、か…。でも、元々はJR北海道が研究・試験走行を行っていたもの、だったんだけれどなあ。
1500形の車内。ローカル列車で転換クロスシートは破格、と関東の者には思うが、これが利用の増加に結びつかない、というのが哀しい。
海部の高架駅に到着。ASA-101が待っていました。
海部駅ホーム。高架駅だが、踏切で線路を横断して、反対のホームに向かう。線路は繋がったままだが、直通運転がなくなっているので、接続部は両線路とも赤さびています。
5527Dに乗り換え。6分の待ち合わせで出発。比較的新しい路線で、直線が長く、トンネルが多い。
10分強で、甲浦到着。だから18年振り、なのか。当時と変わらぬ高架駅。
ここは高知県になります。
変わっているのは、DMV化で地上の道路に取り付く部分の工事が、高架線の先で行われている事か。室戸岬経由で安芸方面へ向かうバス乗り場も移動している。
現状の甲浦駅のホーム。
ホーム案内板に「フェリー乗り場」と書かれているが、18年前の2001(H13)年は、当時大阪(南港)~甲浦~足摺間の「高知シーライン」という夜行のフェリーで、甲浦に来ていました。この表記はその名残なのだが、この航路は後に廃止になってしまいました。だから現状では誤り、という事。
甲浦滞在は、今回はわずか11分。すぐの折返しの5532Dで甲浦を後にしなければなりません。DMV転換前の阿佐海岸鉄道自体、これが最後。でないと、徳島空港からのANA便に乗れなくなってしまうので。弾丸旅行は、哀しい…。
高架線から眺める太平洋。
海部に戻ってきました。先のJRの2連がそのまま待機しています。
改めて、海部の高架駅。JRと阿佐海岸、2社の共同使用駅、という形にはなるが、その印象は薄いな…。
現状の海部駅は、JRが10本、阿佐海岸が16本(3本は宍喰止まり)で、末端の方が本数が多い。しかも県境を挟むのに。
次にここに来るのは、DMV転換後になります。高千穂鉄道から来たASA-301は、残念ながら見る、乗る機会はないまま終わりそうです。
海部10時02分発4548D。今度は徳島方の1200形が客扱い、1500形が回送扱いとなります。
連結部の、2両目の回送表示。
牟岐に戻ってきました。ここから548Dとなり、1500形も客扱い。再び車掌が乗務します。だったら海部まで車掌が乗務したままでいいじゃん、とも思うが、車掌の勤務時間なども関わってきているのかも知れません。現在、牟岐~海部間は全列車ワンマン運転です。
(牟岐線は、列車番号4000番台がワンマン)。
1200形の車内。点対称配置のセミクロスシート。
現在牟岐線には「阿波室戸シーサイドライン」の愛称があるが、その名に反して、海が近づくのは、田井ノ浜臨時駅付近のみだった。名前に偽りあり?牟岐線でいいじゃん…。
由岐で4535Dと交換。向こうは単行。
車内の荷物棚には、避難はしごが搭載されています。
津波が来る時の、避難の方法を記したイラストも描かれています。はしごはそのためにあるようで、東日本大震災の後に整備されたのだろう。
阿南まで戻ってきました。ここから先は30分間隔と、都市鉄道的なダイヤになります。
左は徳島発阿南止まりの4539D。1500形だが年式で若干仕様が異なるようで、左の初期型?は行先表示が左側の窓の内部にあり、スカートの色も違う。
先の3月ダイヤ改正のお知らせで、徳島~阿南30分間隔運転が大きく取上げられています。ただ、阿南以南と〔むろと〕の減便は記されていない。
思い違いをしていたのだが、阿南~牟岐間の徳島バス高速路線共通乗車は、単に減便された鉄道の補完という意味のみで、阿南で徳島方面との列車の接続はしない。
中田駅で、右から旧小松島線の線路の跡が合流します。4年前に歩いたように、遊歩道に転換されています。
二軒屋で最後の行き違い。阿南~徳島間は羽ノ浦、南小松島、二軒屋で交換とパターン化されているが、上りは南小松島で2分、終点を間近にした二軒屋で4分の停車時間があり、やや時間が掛かる印象がありました。パターンダイヤ化を優先するなら仕方がない部分もあるが。
という事で徳島まで帰ってきました。まだ12時過ぎ。くどいが、もう少し、阿佐海岸鉄道に掛ける時間が欲しかった…。正直、やや消化不良、だったかな?
ちょうど2600形〔うずしお11号〕が、高松から到着しました。このまま、少数派で終わってしまうのか。
徳島駅。
一つ、4年前と変わった点として、南側にダイワロイネットホテルが開業、その1階部に高速バスの発券窓口が設けられていました。徳島バス・JR四国バス共通。高速バスも(一部路線を除き)ここから出発するようになります(海部観光はまた別)。
最後に、徳島駅間を出発する、旧小松島市営バスの「たぬき」バス。
駅前14時10分発の空港バスまで2時間もないが、幸い天気は持ってくれそうで、近くの道路で、バスの撮影を行いました。4年前は適わなかった事。いずれ公開します(いつになるやら?)。
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橫浜市営地下鉄ブルーラインの脱線は、どうやら明日も復旧はなさそうです。半地下区間なので、まず車両を移動させるのが一苦労、という事のよう。
《今日のニュースから》
7日 元KAT-TUN田口淳之介 保釈
8日 津久井やまゆり園再建方針 説明会開催
今日は附属池田小学校の事件から18年、アキバの通り魔事件から11年、やまゆり園や先日の登戸の事件、〔のぞみ〕の事件なども合わせると、日本の安全は、やはり急速に揺らいでいるのか?アメリカに比べたらまだ遙かにマシ、とは思いたいのだが…。もうすぐ国政選挙だが、この点は争点に浮上、するのだろうか?(してくれるのか?)