№1985 弾丸旅行月間 第2弾 3.あの日から8年 仙石東北ラインと野蒜駅

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 東日本大震災では、東北地方の太平洋岸はどこも甚大…という一言では片付けられないほどの酷い津波被害を受けたが、宮城県においては、東松島市の、JR仙石線の野蒜付近が、一番大きな被害を受けた場所の一つと思われます。
 何しろ、電車が丸々ながされてしまったのだから…。東京でのうのうとしていた我が身には、ショッキングな光景でした。
 その結果、再開に際しては、陸前大塚~陸前小野間は内陸の高台に丸々ルートを変更し、東名駅と野蒜駅も移動しています。
 このうち、野蒜駅にはこの後降り立つ事とするが、まず、2015(H27)年に開通した、「仙石東北ライン」の特別快速に、仙台から石巻まで乗り通してみます。

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 乗車の前に、不要なバッグを仙台駅のロッカーに預けておくが、「サイボーグ009」が描かれていました。

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 仙台9時24分発、特別快速5527D。HB-E210系4連。5562Dで到着して、わずか6分で折返し。

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 ドア上に掲げられている、仙石東北ラインを中心とした路線図。

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 車内は、基本的には電車のE721系と同じ、だと思うが、ハイブリッド機器なのか、デッドスペースになっている部分があります(WCではない)。案外旅行者の姿が多い。

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 東北本線は、さすがに幹線らしい成り。E721系と出会う。

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 塩釜を過ぎると、左手に仙石線の単線の線路が現れる。一度山側に映って、再び海側と、東北本線ともつれるルートを取るのは、始祖が私鉄だった事があるだろう。

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 松島の手前、渡り線で上り線に進入し、東北本線とは別れていく。

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 仙石線に合流。

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 高城町駅到着。右は始発のあおば通行932Sの205系。

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 運転台の運行時刻表。先の東北本線からの分岐は、松島駅の構内、という事になり、「接続線」と記されている。

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 陸前大塚を通過すると、新しく造られた、左側の新線へ。旧線跡が右手へ。
 野蒜付近については、後で降ります(この列車は通過)。ここは石巻へ直行。

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 石巻到着。仙台からは、塩釜・高城町・矢本のみ停車で所要52分でした。
(この直後の16日の改正で3分短縮、所要49分になっています)
 仙石東北ラインは、運行本数自体はこんなものかとも思うが(仙台発の終列車がもう少し遅いと良いが)、もう少しキチンとしたパターンダイヤが構築できないか。停車駅も、2パターンくらいに整理された方が良いと思う。

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 仮面ライダーと、サイボーグ009(009と、003&001)のフィギュアがお出迎え。
 ちなみに今年は、サイボーグ009のアニメ化(初めてカラーで作られた2回目)から40周年。同期に「ガンダム」があったから多少地味な地位にあるかも知れないが、隠れた名作の評価もあります。オープニングが、今見ても斬新。

 本来なら石巻に少しでも滞在すべきであるが、後述する理由のため、トンボ帰りで仙石線に乗り、野蒜を訪れる、という事になりました。

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 鹿妻駅前には、ブルーインパルスのT-2型機が展示されていました。松島基地が近い(一番近いのは矢本だが)。

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 陸前小野を出ると、こちらは高架線となり、震災前の旧線の跡を見ます。左手、車道の隣の砂利道然に見えるのが、旧線跡。

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 新しい野蒜駅。高台に位置する、三角屋根のモダンな駅舎。時間によっては駅員の配置があります。

 ここから震災前の旧野蒜駅までは、歩いて10~15分位か。

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 旧駅舎から、旧ホームの反対側に造られた復興祈念公園の慰霊碑。犠牲になられた方々の名前が記されています。
 花束が、いくつか置かれていました。

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 皇后陛下の歌碑。前日10日に除幕式が行わればかりだそう。

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 この野蒜や東名を中心とした、東松山市の概況。

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 旧野蒜駅の駅舎は、現在「復興伝承館」として利用されています。中に入ってみます。

(この先、津波に関する展示の画像があります。津波被害を連想させるものもあります。ご承知おきください)

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 スーツ姿の一団が来ていて、説明を受けていました。埼玉の方から来ていたようだ。

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 東名~野蒜間で津波の直撃を受けた、仙石線205系の写真。ちょうど野蒜で行き違いが終わったばかりの、当時の1426S列車。石巻行快速は、辛うじて難を逃れたらしい。

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 野蒜近辺の比較の写真。上から震災前、震災の翌日、5年後、現在(2017(H29)年5月)。

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 被災した野蒜駅の券売機。正直、そんなにムチャクチャ破壊されている訳でもないが、逆に不気味かも。

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 2Fのホールで流されている、津波が直撃した野蒜の映像。凄まじい。あっという間に、大きな民家を丸々飲み込み、押しつぶしていく。

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 映像と写真による、津波被災直後のドキュメント。仙石線の状況も記されている。1426Sの運転士が津波にのみ込まれそうになったそうだが、両列車とも、幸い犠牲者は出なかったようだ。この画像は、大きく拡大します。

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 映像に映し出された、東名駅付近の惨状。

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 目の前の道路には、バス停がありました。岩手県北バス?「奥松島周遊観光バス」と称する路線で、川内空港から松島・平泉などを経由し、花巻まで向かう路線らしい。ガイドも乗務するようだ。なお、4月1日にダイヤ改正があり、ここには停車しなくなった?
 一般の路線バスは、新駅付近も含めて運行がない。

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 ホームも、被災した時のまま、保存されています。ただ、柵に覆われていて、立ち入りはできない。

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 旧駅のホームは、構内踏切で出入りしていました。遠くに、今の野蒜駅が小さく見えます。
(テキストを書き加えました)

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 今の野蒜駅へ帰る。その途中。津波被害を受けた場所ではあるが、新しい住宅もチラホラ見られました。皆が皆、高台に引っ越したわけではないようだ。

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 現在の駅には、仙石線開通90周年記念ののぼりがはためいていました。でも、宮城電気鉄道によって開業したのは1928(S3)年、90周年は去年の話なのだが。

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 現在の駅のホームから、旧駅の方向を見ます。三角屋根の白い建物が旧駅です。

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 1時間後の仙石線普通電車あおば通行。これで仙台に戻ります。仙石線に乗り通すのも、久しぶり。

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 何でこんなに、「駆け込み乗車おやめください」のステッカーが、ベタベタ貼られているんだ?東京でさえこんな事はないのに。

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 穏やかな松島湾。8年前の惨劇は、これを見るだけでは想像出来ない。

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 久しぶり、という点で大きく変わったポイントの一つは、多賀城が高架線になっていた事。2面3線。ちょうど、多賀城折返し電車が入ってきました。

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 もう一つは、仙台市内区間が地下線になり、あおば通へ延伸していた事。以前の仙石線の仙台駅ホームは東側にあり、西側からの回遊性が今一つだったから、この開通は、利便性の向上に大いに繋がったと思われる。地下駅のホームは皆4連分でこぢんまりしている。これ以上の増結はもう考えないという事か。

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 地上出入口。後方に、ちょっと解りづらいだろうが、仙台駅が見えます。

 ここまで乗ってきた限り、野蒜を除くと、「3月11日だからどうだ」というものは、正直感じられませんでした。それだけ、人々の日々の暮らしが平穏なものに戻ってきたという事なのだろうが。震災発生の14時46分が近づいたら、また違ったものが見られたのかも知れません。
 私は直接震災の被害を被ったりはしなかったし、家族・親戚など、大事な人々を失ったとかいう経験もしませんでした。だから、何度も書くのだけれど、「痛み」を感じる事がなかった私には、大震災とか、原発事故とかに関してどうのこうの言う資格は、たぶんないでしょう。できる事は一つ、亡くなられた大勢の方々の冥福を、静かに祈る事、それだけだと思っています。

 本当は仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)とかにも乗って、震災発生の14時46分を迎えなければならない、はずでした。
 ところが、全く個人的な事になるが、白状すると、先日私物を紛失してしまって、警察に届けを出していたのだが、今朝石巻で、見つかって警察に保管していると電話がありました。となると、今日中には引き取っておきたい。そうなると、夕方まで留まるというわけにはいかなくなって、想定よりだいぶ早くなってしまうのだが、昼過ぎの東北新幹線で仙台を発つ事と、なってしまいました。仙台空港鉄道などは、また次の機会。

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 この日の仙台は一日中雨模様。晴れたら少しはバスも撮りたかった。6年振りだったし。宮城交通の新ブルーリボンとかも見たのだけれどなあ。でも、路線バスが当たり前のように走れる事もまた、仙台が震災から立ち直りつつある証といえるでしょう。

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 仙台市営バスでは以前から、姉妹友好都市を描いたバスを運行しているが、今はラッピングで表現しているようだ。これはベラルーシのミンスク。

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 仙台駅のコンコースには、「仙台駅の思い出」と称して、かつて仙台駅を出入りしていた特急・急行のヘッドマークが掲げられている。〔カシオペア〕廃止以降、仙台駅(というか宮城県)の在来線は、特急・急行がありません。

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 ヘッドマークの中から、寝台特急〔ゆうづる〕。前に少し書いたが、黒岩保美氏の手に拠るもので、彼の傑作の一つとされる。確かに、隣りの〔はくつる〕と比べても、どこかモダンさを感じる(特にフォント)。

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 13時30分発〔はやぶさ18号〕で帰るが、日中だからと甘く見ていた所、指定席が残りわずか。窓際も通路側もなく、B席しか残っていなかった(併結の〔こまち18号〕は満席の表示)。となると、車内で昼寝しているだけでした。

 と言うわけで、今回の旅は終わりました。野蒜訪問は貴重な体験だったが、全体的には個人的な事情もあり、消化不良で終わった感が否めませんでした。次の訪問は、もう少し充実したものになれば。もう一度仙石東北ラインに乗りたいし、地下鉄東西線も、一つ一つの駅を乗り降りして訪ねてみたいと思っています。

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 ANAのB787-10の就航が発表になりました。4月26日から成田~シンガポール戦、7月1日から成田~バンコク線。ここへ来て各社とも新機材ラッシュになっているが、影を落としそうなのが、ボーイングからB737MAXの減産が発表になった事。月産52機→42機に減らすとのことで、2021(R3)年導入予定のANAの機材計画に、影響を与えることになるのだろうか。

《今日のニュースから》
 5日 日英外相会談 河野外相 「合意なき離脱」回避要求
 6日 JFA田嶋幸三会長 FIFA理事に再選