№1983 弾丸旅行月間 第2弾 1.あの日から8年 仙台へ乗継ぎ

 新元号が「令和」(れいわ)となる事は、昨日、JR関西本線の加茂駅で、スマホのニュースサイトのアプリを開いて知りました。
「平成」の2文字をつけた交通事業者は、九州の第3セクター鉄道・平成筑豊鉄道に、高速バス等を運行する平成エンタープライズ、「昭和」は、佐賀県のバス会社の昭和自動車があります。鉄道の駅としては豊肥本線に平成駅があり、さかのぼれば昭和駅が鶴見線に、大正駅が大阪環状線にあります(旧広尾線にもありました)。さて、「令和」の2文字を冠した交通事業者は現れるのか、令和という駅は造られる事があるのでしょうか。
 令和の2文字の由来とか、意味とか、新しい世の中に向けてどうとか、関係者の思惑はとか、様々侃々諤々議論がお好きな方々も多数おられるようだが、そういう事には私は興味がありません。一日本人として令和の世を生き抜く、ただそれだけです。
 関西の旅については、後日書きます。平成最後の鉄道新線の、おおさか東線にも乗ってきました。

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 平成の30年、良い事も哀しい事も様々あったが、記憶される最も重い出来事の一つに、間違いなく東日本大震災があげられます。
 先月の11日、発生から8年となりました。この日、私は休日となり、この機会に仙台を訪れてみようと考えました。前の週から続く「弾丸旅行月間」の第2弾で、今回は「青春18きっぷ」を使い、前日10日の午後、仕事場から直接、JR普通列車を乗り継いで北上しました。
 途中の黒磯~新白河間は、昨年春のダイヤ改正で運行形態が変わっており、現状はどうなのかを見ておきたい、というのもありました。

 3月10日(日)

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 上野東京ライン・快速アクティ-3526E。一気に宇都宮まで乗ります。

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 尾久には、次の土曜日からの運用開始を待っているのだろうE353系と、既に運用から離脱しているE257系が、並んで留置されていました。

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 奥にはブルートレインがまだ放置されている。〔北斗星〕だけでなく、東海道ブルトレのオシ24も。いつまで置いておくのだろう?

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 ボックスシートに座っていたのだけれど、ある程度空いてきた久喜で、買ってきておいた駅弁を広げます。大船軒の「台湾風ルーロー弁当」。950円。

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 自治医大駅の駅名標。英語表記に注目。普通だと、「Jichi Idaimae」と書きそうな気がするが、ここでは車内アナウンスも「Jichi Medical University」でした。鉄道やバスの英語表記・アナウンスは、空港など一部を除くと、施設名であっても、日本語をそのまま使うケースが大半のように思う。たぶん賛否両方の考え方があるだろうが、私は、固有名詞(地名とか)でないものは、英語に訳して表記・アナウンスした方が良いと考えます。「Shiyakusho」ではなく「City Hall」、「Koko」ではなく「High School」。皆様はどう考えられますでしょうか。

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 宇都宮に着きました。あれ、ホームの乗車目標に〔スーパービュー踊り子〕。宇都宮発着で走った実績って、あったっけ…?
(臨時であったことはあったらしい)

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 宇都宮からの黒磯行663M。京葉線から転用の205系600番台。

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 北上していくと、左手に那須連山が近づいてきました。

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 今回の乗継ぎの焦点、黒磯~新白河間は、昨年春の改正から、キハ110系とE531系の区間運転に変わりました。4145Dは、キハ112+キハ111の2連。磐越東線と共通運用らしい。
 この区間に定期旅客列車でDCが走るのは、東北新幹線開業の頃に急行〔おが〕や〔あがの〕などが廃止になって、それ以来ではないか?

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 663Mは駅舎側の1番線に着いたが、4145Dは離れたホームの4番線から。階段を上り下りしなければ鳴らない上、折返し4145Dとなる4140Dも到着したばかりで、跨線橋がかなりの混雑(跨線橋自体、かなり狭い)になってしまう。

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 工事が終了した後に黒磯駅に来たのは初めて。ELが一両もいないなんて、考えられない。広い構内がガランとしている。侘しい。

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 跨線橋の、次の土曜日17日のダイヤ改正のお知らせ。この区間は、当時のダイヤの最終列車が廃止になり、昼間にシフトされる。最終列車が21時台となり、1時間以上早まる事になる。

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 宇都宮発で後続の665Mから接続して出発。すぐ、交直切り替えセクションの標識が現れます。

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 EH500牽引のフレートライナーとは、頻繁に出会う。新幹線と並行する在来線の主役は、今やどこもフレートライナーだ。

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 黒田原駅前に、伊王野行となるバスが待機していました。この路線は東野交通が運行していて、昨年秋に関東自動車に合併されたが、カラーは東野時代のままだ。他の路線とは繋がりがない「落下傘路線」。遠い昔は、東野交通による黒磯~白河路線もあったのだが、その名残でしょうか。

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 栃木県最後の駅となる豊原で、E531系の4142Mと出会う。

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 県境を越えて福島県へ。会津の山々が遠くに見える。白い。

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 新白河が近づきました。中線に入線します。

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 中線は真ん中で分断され、こちらは6番線。行き止まりの向こうにE721系が見えるが、7番線になります。

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 新白河では、乗換は必要になるものの、階段の上り下りはしなくて良い。
 黒磯も、この点なんとかなりませんかね?新白河もだろうが、12~13連とかの長編成の特急・急行はなくなって久しいし、今後も設定の可能性はほぼない。黒磯は10連の上野東京ラインの発着が若干あるが、基本的には短編成の区間運転だけになっていて、乗換の改善を図る方法はいくらでもあると思う。電気方式の工事に合わせて、線路配線の変更までできなかっただろうか?
 根本的には、黒磯、新白河、両方で乗換が必要になるのが辛い。交流⇔直流の直通運転が出来る車両を導入しているのだから、宇都宮~新白河、または黒磯~郡山の直通運転は不可能なのだろうか?車両運用上も長い回送を設定しなければならず、無駄が多くなる気がするのだが。

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 2147Mは、E721系4連。
 3月ともなればさすがに陽が長くなってきたが、それでも18時前になると、どんどん暗くなってくる。

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 郡山で5分停車。右は磐越西線の快速3240M。

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 車内。モーター音以外は話し声もほとんど聞こえず、駅もボタンで開け閉めするから、乗降がないとドアの開閉がなく、静かでした。

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 福島に着きました。
 仙台行まで30分あるので、うどんでもすすって夕食にしよう、と思ったが、東口には立ち食いのうどん屋はなく、西口の新幹線駅のコンコースしかないそうだ。

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 コンコースには、雛壇が飾られていました。「飯野つるし雛まつり」のものだそうです。

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 東京オリンピック・パラリンピックのカウントダウン。県営あづま球場で「野球・ソフトボール」の試合が行われる事が決まっています。

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 うどん店は新幹線駅のコンコースにしかないが、連絡改札でこの「出場券」を貰って、終わった後還せば、OKです。

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 ホームには、〔北斗星〕の乗車目標が残ったままでした。

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 仙台行589Mも、E721系。590Mからの折返しだが、やや遅れていて、慌ただしい。
 外は完全に真っ暗で、特に記す事なく、仙台に近づいていく。しかし、長町の高架駅ホームでは、多くの女性客がホームにあふれて、静かだった車内が、急に賑やかになった。何があったのだろう、と思った。
(ゼビオアリーナ仙台の「新しい地図」のライブ?)

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 仙台に着きました。
 この編成は、折返し原ノ町行になります。仙台滞在は6年振りだが、あの当時の常磐線はまだ浜吉田までだったから、感慨深い。
 次にまた普通電車乗継ぎで仙台に行く機会があれば、常磐線で、という事になるだろう。原発事故の傷は癒えていないだろうが、そもそも鉄道再開できるの?と思っていた路線だから。

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 最後に、この晩投宿するホテルへの足となる、仙台地下鉄東西線。当然初乗りになります。雰囲気的には、他都市のリニア地下鉄と違いはない。

 明日は、運命の3月11日。まず東西線に乗って、それから仙石東北ラインで石巻へ。野蒜にも降ります。あれから8年、何が見えてくるのでしょうか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
31日 詰将棋解答選手権チャンピオン戦 藤井聡太五段 初の5連覇
 1日 オスプレイ 大阪空港に緊急着陸
 2日 プロ野球「楽天 ホーム球場完全キャッシュレス化


 4月のタイトル画像は、のと鉄道の「花咲くいろは」です。昨年4月に撮った事は、№1850でも書きました。高級温泉宿で下働きとして奮闘する少女の青春ストーリー、という内容だと思うが、このアニメが他の「聖地巡礼もの」と違うのは、舞台は「湯乃鷺温泉」という架空の土地で、借景として、湯涌温泉や西岸駅を使っているという事でしょうか。
 1年前も書いたけれど、桜のシーズンはもう終わりなのは仕方なくても、「花咲く」というくらいだから、何でもいいから花と組み合わせて、ラッピング車を撮ってみたいと思いました。七尾から北上し、ホームの菜の花が良いなと思って降りたのが、西岸でした(だから初めに西岸駅ありきではなかった事は、お断りしておきます)。少しばかしは薄日も差して、そこそこはきれいに撮れたのではないかと、思っています。今年は、これから1~2週間くらいは、西岸駅を中心として、「聖地巡礼者」を中心として、大いに賑わう事になるのでしょう。

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(5月1日追加) 4月 タイトル画像

 また、平成の世があと1ヶ月で終わり、5月から令和の世が始まる、という事で、今月から今年いっぱい、個別記事のページでは、平成時代に起きた交通業界の出来事やトピックスを、月替わりで飾って行きます。
 今月は、西鉄の夜行高速バス「はかた号」です。昭和の終わり頃から始まった高速バスブームは、1990(H2)年10月12日運行開始の、日本最長距離1,160㎞の東京(新宿)~博多間を、約15時間で駆け抜ける「はかた号」の開業でピークを迎えました。当時は西鉄と京王の共同運行で2往復だったものが、後に西鉄の単独運異なり、車両もエアロキングに交代して現在に至っています。
 高速バスブームはその後も続き、特に夜行ではJRの夜行列車をことごとく駆逐するまでになりました。が、一方で早期に廃止になる路線も現れるようになった上、21世紀に入ると規制緩和による新規参入が乱立、さらに「ツアーバス」の台頭で業界内部に混乱が生じました。結果重大事故が相次いで発生した事で、新規制による新高速バス制度が確立する事になります。ただ、今はバスだけでなく、航空のLCCも地位を確立しつつあり、加えて業界全体を覆うバスドライバーの極度の不足が、高速バスの世界にも、暗い影を落としています。西鉄でさえ、高速バスブームの火付け役の「ムーンライト」が休止になってしまい、「はかた号」についても、需要を見極める必要はあるとしても、ドライバー確保の問題もあって、今後どこまで維持できるのだろうか、現行のエアロキングの代替時期が、一つの判断の時期になるのではないかと思います。

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(5月1日追加) 4月 個別記事画像