№1986 バスマガジンvol.94(講談社ビーシー/講談社)

「バスマガジンvol.94」が先月末発売になったが、少々遅くなってしまいました。
 表紙は、鹿児島氏の天文館付近を走るJR九州バスのエアロスター。後方の山形屋は鹿児島一の百貨店で、かつては鹿児島交通のバスターミナルも併設していました。

2019年型 NEW MS06 出撃!!
 新エアロクィーンとエアロエースって、2008(H20)年のBKG-MS96系が始まりだから、早いものでもう11年か。
 エンジンは先代の2TG-MS06系と同じなので、スペック的な変更はない。大きく変わったのは安全システムで、

① ドライバーの異常時に、乗客などが操作する事で自動的に停止させられるスイッチの装備
② 「アクティブ・サイド・ガード」の採用

の2点となろうか。
 ただ、鉄道と違ってバスは、①レールで車輪がガイドされる鉄道と違って、左右方向のコントロールはドライバーまかせ、②他の乗用車等と、道路は供用、という違いがあり、異常時の自動停止システムは、バス自体としては最善としても、全面的には完全に安心、という事は言えないと思う。システム作動中にカーブを曲がり損ねる、他の車両と衝突する、などの危険はあり得る。なので、乗客の側としても、走行中(特に高速道路)は、シートベルトをキチンと締めるなどの、自衛の策は講じておきたい。ドライバーの異常がなくても、事故は起きうるのだから。
 ヘッドライトの形状が変わったが、個人的には前のデザインの方がシンプルでいいと思っていたのだけれどなあ。
 

帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.26 茨城県

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 本来は前号で予告されていたのだが。
 前回はvol.93で取り上げられていました。ちょうど10年前。基本的な構図、関東鉄道(とその子会社)、茨城交通、日立電鉄交通サービスの大手でエリアが3分され、隙間を埋める形で路線を大幅に縮小したJRバス関東に、そのJRバスを引き継いだ中小事業者、東武の系列の朝日自動車と茨城急行自動車、独立系の大利根交通などが支えているのは変わっていない。ただし、特に茨城交通は、前回の刊行直後にみちのりHDの傘下に入り、一度分社した茨交県北バスを再度本体に戻した上、茨城オートを吸収合併している 。5月1日、令和の世が始まると同時に、同じみちのりHD傘下に入った日立電鉄交通サービスと合併、これで茨城県は、水戸市内でエリアが被るが、南の関東鉄道(グループ)と、北の茨城交通に二分される事になります。
 廃止になったローカル鉄道路線のBRT転換路線が2路線あるのが目を惹く。「かしてつBRT」は前回の刊行直前に運行を開始しているが、旧日立電鉄線の線路跡を活用したBRTも、2013(H25)年に開業、今月1日には常陸多賀~大甕間の専用道が本格開業したとの事。今後の日立駅乗り入れは、茨城交通の元で行われる事になります。
「桜東バス」とはブランド名で、前回は晃進物流として掲載されていました。
 利用者は南部のTX沿線あたりを除くとやはり減少傾向だそうだが、高速道路の整備が進んでいて、ここを走る高速バスが、県内のバス業界全体を引っ張って行く形を作れるといいと思います。関東鉄道と(新)茨城交通の一層の協調関係の構築が望ましい(ICカードの互換性がないのが残念)。
 茨城交通は「ガルパン」がなかったねえ。以前聖地巡礼の連載で取り上げていたのに。新ラッピング車を作ろう、という話があるらしい。6月15日には劇場版第2弾公開。

おじゃまします バス会社潜入レポート Vol.94 JR九州バス

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 JR九州バスも、Vol.45で取上げられていました。2011(H23)年1月の刊行、九州新幹線鹿児島ルート全通を間近に控えていた頃で、新八代で接続する「B&Sみやざき」用のエアロエースも、速報でカラー写真が掲載されていました。
 一般路線バスに関しては、整理が一段落して、エリアの集約が完了した直後くらい。これが、今でも基本的には維持されています。細かく見るとなくなってしまった区間も、一部にはあるようだが。
「牛の岳線」の写真は懐かしいなあ。15年前、終点の牛の岳まで行った事は本体でも書いています。嬉野温泉から先にテクテク1時間半かけて歩いて行ったのだけれど、ただ、「大茶樹」という大樹があるのは知らなかった。むしろ途中にあった、65年前の国鉄バス遭難の慰霊碑が目を惹きました。「この路線はいつまで持つだろうか」みたいな事を書いて締めたが、15年後の今も、本数は減ってしまったが(休日は1.5往復のみ)、JRバスとして維持されています。
 また、嬉野本線は長崎県の彼杵まで入っているが、長崎県は元々国鉄~JRバスとしては空白域で、民営化の時点でも、大きく遡って「よん・さん・とお」の頃でも、長崎県の国鉄バスはこの路線だけでした。「よん・さん・とお」の時点では約30分毎だったそうで、8往復という現状とは比べものにならないが。
 鹿児島市内のコミュニティバスは、撤退しました。
 今後はどうなるのだろうか。他のJRバス同様高速バスが営業の主力になるのだろうが、一番需要がありそうな福岡発着は西鉄があるから、独自の展開は難しいだろう。一般路線バスはノンステップ車の積極的な導入があり、路線網はこのまま維持、と期待して良いのだろうか。博多駅発着路線で便数が減少傾向にあるのが気がかり。福岡県は「nimoca」を導入しているが、この辺の記載がなかった。

「しばり」のバス旅ミッション
 前回の続きで、マカオの送迎バス事情と、香港の「ザ・ピーク」。
 ホテルの前にエッフェル塔のレプリカが建つなんて、個人的にはあまり趣味が良くないと思った。金持つが集うマカオらしいと言えばらしいのだが、ラスベガスと同じか。カジノ以外にマカオの観光スポット、ってないの?そんな事はないはずだが、一般路線バス事情を、もう少し知りたかった。
 私は7年前に香港に行っているが、「ザ・ピーク」は最初から行くつもりがなかった。行列、もあるが、日本人が多そうでイヤだな、と思ったので。特にピークトラムは。実は、バス路線の存在は知りませんでした。一般のバスなら観光客は少なさそうでいいかも。
 チャーハンのアドバイスはなるほどと思った。思っているほど、現地の漢字は、日本人には解らないもの。
 なお、東京からマカオへの定期直行便はない、と記されていたが、実際にはエアマカオによる直行便が1日1便あります。所要4時間30分~5時間。ANAコードシェアあり。7月1日から増便されるそう。関空からも便あり。前号でも書いたが、日系LCCは、マカオなんてディスティネーション、いいと思うのだが。

鈴木文彦が斬る!バスのいま 第20回
 上のエアロクィーン・エアロエースでもそうだが、特に高速道上を走る機会が多い車両では、安全装置の整備が急ピッチで進んでいるよう。
 ドライバーの健康リスクは数年前から一気に表面化し、去年は私が毎日利用する会社の営業所でも、これが元で旅客死亡事故が起きてしまいました。東京都交通局は全ドライバーに脳ドック受診義務づけ、という話も聞くが、公営や大手はまだ良くても、路線の維持そのものが一苦労の中小事業者では、なかなかここまでは行けないのではないか。政治や行政も、もっと積極的に動いて欲しい。
 ここでも指摘されているが、乗客の側も、特に高速道上のシートベルトの着用で自衛が必要だと思う。だが、3年前に航空科学博物館からのJR高速バスに乗った時、車内アナウンスに加えて高速道に上がる前にドライバー自らがシートベルトを着用するよう促していたのだが、他のお客さんはほとんどしていなかった。軽井沢の事故の直後でもあったのに。どうも、安全確保は(バスに限らず)全て会社にお任せが当然、という考え方が、日本では根強いようだ(無論、まずは事業者側がしっかりやるべき事だが)。この辺の世論全般の意識を変える必要もあろうかと思います。

終点の情景を求めて
 鹿児島交通の今岳。伊集院~枕崎間は旧鉄道線に平行した路線を利用しているが、鉄道が全線廃線になって、35年も経ってしまった。伊集院から西鹿児島(当時)まで直通運転も行っていたのだが。SL列車の復活も模索していたらしい。今岳への路線は平日・土曜日・休日で時刻の違いはない。脱線するが、鹿児島交通を保有するいわさきコーポレーションは、公式Web上でのバスの情報が、不十分なのではないか。

 アクアライン高速バスは、京浜急行バスが3月31日を持って撤退。4社体制による運行になっています。

 南紀白浜空港が「バスターミナル」になったというが、西武バスの大宮・池袋・横浜~南紀白浜路線の夜行バスも、南紀白浜空港まで延長になりました。南紀白浜空港は、航空便は羽田からの3便のみだから、何の意味があるのかと思っていたが、航空⇔バスだけでなく、バス⇔バスの乗継ぎのポイントとしても、期待されているようです。地方空港の新しい生き方となるか。

 次号の予告には、公営バス全般の特集がラインナップされているようです。去年大阪市営バスが、今年も先日佐世保市営バスが民営に転換されているが、その先は引き受ける民営側の体力がなくなってきているので、現存の公営バスは、当面はこのままだろうと思われる。その点の分析だろうか。ただ、予告通りやってくれれば、だが。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 昨日は小田急が、朝ラッシュのピーク時に1時間半も全線で止まって、JRや京王なども巻き添えになって大混乱になったらしい。私はこの時間千葉県の方にいて、たまたま見かけたTVの画面のテロップで初めて知ったのだが。小田急だけでなく、京急も、特にトラブルなどはなかったはずなのに7時前から混雑のための遅延が発生し、それが京成線や北総線にまで波及していきました。スカイライナーも遅れていたし、成田空港発アクセス特急も、一部が青砥止まりになっていたほどだ。夕方には人身事故もあり、とばっちりで地下鉄ブルーラインも遅延が発生していて、昨日の関東私鉄はあちらこちらでトラブルが頻発していたようでした。千葉の京成線を乗りあるいていた私は、ラッキーだった、という事?

《今日のニュースから》
 7日 気仙沼大島大橋開通 渡り初め 
 8日 関西空港連絡橋 全車線復旧
 9日 航空機エンジン不正検査 IHIに業務改善命令

 昨日は中朝国境間の2本目の橋も開通したと聞いています。
 航空自衛隊のF35Aが、青森沖で行方不明だそう。

№1985 弾丸旅行月間 第2弾 3.あの日から8年 仙石東北ラインと野蒜駅

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 東日本大震災では、東北地方の太平洋岸はどこも甚大…という一言では片付けられないほどの酷い津波被害を受けたが、宮城県においては、東松島市の、JR仙石線の野蒜付近が、一番大きな被害を受けた場所の一つと思われます。
 何しろ、電車が丸々ながされてしまったのだから…。東京でのうのうとしていた我が身には、ショッキングな光景でした。
 その結果、再開に際しては、陸前大塚~陸前小野間は内陸の高台に丸々ルートを変更し、東名駅と野蒜駅も移動しています。
 このうち、野蒜駅にはこの後降り立つ事とするが、まず、2015(H27)年に開通した、「仙石東北ライン」の特別快速に、仙台から石巻まで乗り通してみます。

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 乗車の前に、不要なバッグを仙台駅のロッカーに預けておくが、「サイボーグ009」が描かれていました。

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 仙台9時24分発、特別快速5527D。HB-E210系4連。5562Dで到着して、わずか6分で折返し。

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 ドア上に掲げられている、仙石東北ラインを中心とした路線図。

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 車内は、基本的には電車のE721系と同じ、だと思うが、ハイブリッド機器なのか、デッドスペースになっている部分があります(WCではない)。案外旅行者の姿が多い。

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 東北本線は、さすがに幹線らしい成り。E721系と出会う。

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 塩釜を過ぎると、左手に仙石線の単線の線路が現れる。一度山側に映って、再び海側と、東北本線ともつれるルートを取るのは、始祖が私鉄だった事があるだろう。

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 松島の手前、渡り線で上り線に進入し、東北本線とは別れていく。

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 仙石線に合流。

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 高城町駅到着。右は始発のあおば通行932Sの205系。

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 運転台の運行時刻表。先の東北本線からの分岐は、松島駅の構内、という事になり、「接続線」と記されている。

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 陸前大塚を通過すると、新しく造られた、左側の新線へ。旧線跡が右手へ。
 野蒜付近については、後で降ります(この列車は通過)。ここは石巻へ直行。

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 石巻到着。仙台からは、塩釜・高城町・矢本のみ停車で所要52分でした。
(この直後の16日の改正で3分短縮、所要49分になっています)
 仙石東北ラインは、運行本数自体はこんなものかとも思うが(仙台発の終列車がもう少し遅いと良いが)、もう少しキチンとしたパターンダイヤが構築できないか。停車駅も、2パターンくらいに整理された方が良いと思う。

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 仮面ライダーと、サイボーグ009(009と、003&001)のフィギュアがお出迎え。
 ちなみに今年は、サイボーグ009のアニメ化(初めてカラーで作られた2回目)から40周年。同期に「ガンダム」があったから多少地味な地位にあるかも知れないが、隠れた名作の評価もあります。オープニングが、今見ても斬新。

 本来なら石巻に少しでも滞在すべきであるが、後述する理由のため、トンボ帰りで仙石線に乗り、野蒜を訪れる、という事になりました。

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 鹿妻駅前には、ブルーインパルスのT-2型機が展示されていました。松島基地が近い(一番近いのは矢本だが)。

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 陸前小野を出ると、こちらは高架線となり、震災前の旧線の跡を見ます。左手、車道の隣の砂利道然に見えるのが、旧線跡。

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 新しい野蒜駅。高台に位置する、三角屋根のモダンな駅舎。時間によっては駅員の配置があります。

 ここから震災前の旧野蒜駅までは、歩いて10~15分位か。

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 旧駅舎から、旧ホームの反対側に造られた復興祈念公園の慰霊碑。犠牲になられた方々の名前が記されています。
 花束が、いくつか置かれていました。

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 皇后陛下の歌碑。前日10日に除幕式が行わればかりだそう。

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 この野蒜や東名を中心とした、東松山市の概況。

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 旧野蒜駅の駅舎は、現在「復興伝承館」として利用されています。中に入ってみます。

(この先、津波に関する展示の画像があります。津波被害を連想させるものもあります。ご承知おきください)

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 スーツ姿の一団が来ていて、説明を受けていました。埼玉の方から来ていたようだ。

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 東名~野蒜間で津波の直撃を受けた、仙石線205系の写真。ちょうど野蒜で行き違いが終わったばかりの、当時の1426S列車。石巻行快速は、辛うじて難を逃れたらしい。

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 野蒜近辺の比較の写真。上から震災前、震災の翌日、5年後、現在(2017(H29)年5月)。

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 被災した野蒜駅の券売機。正直、そんなにムチャクチャ破壊されている訳でもないが、逆に不気味かも。

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 2Fのホールで流されている、津波が直撃した野蒜の映像。凄まじい。あっという間に、大きな民家を丸々飲み込み、押しつぶしていく。

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 映像と写真による、津波被災直後のドキュメント。仙石線の状況も記されている。1426Sの運転士が津波にのみ込まれそうになったそうだが、両列車とも、幸い犠牲者は出なかったようだ。この画像は、大きく拡大します。

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 映像に映し出された、東名駅付近の惨状。

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 目の前の道路には、バス停がありました。岩手県北バス?「奥松島周遊観光バス」と称する路線で、川内空港から松島・平泉などを経由し、花巻まで向かう路線らしい。ガイドも乗務するようだ。なお、4月1日にダイヤ改正があり、ここには停車しなくなった?
 一般の路線バスは、新駅付近も含めて運行がない。

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 ホームも、被災した時のまま、保存されています。ただ、柵に覆われていて、立ち入りはできない。

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 旧駅のホームは、構内踏切で出入りしていました。遠くに、今の野蒜駅が小さく見えます。
(テキストを書き加えました)

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 今の野蒜駅へ帰る。その途中。津波被害を受けた場所ではあるが、新しい住宅もチラホラ見られました。皆が皆、高台に引っ越したわけではないようだ。

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 現在の駅には、仙石線開通90周年記念ののぼりがはためいていました。でも、宮城電気鉄道によって開業したのは1928(S3)年、90周年は去年の話なのだが。

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 現在の駅のホームから、旧駅の方向を見ます。三角屋根の白い建物が旧駅です。

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 1時間後の仙石線普通電車あおば通行。これで仙台に戻ります。仙石線に乗り通すのも、久しぶり。

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 何でこんなに、「駆け込み乗車おやめください」のステッカーが、ベタベタ貼られているんだ?東京でさえこんな事はないのに。

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 穏やかな松島湾。8年前の惨劇は、これを見るだけでは想像出来ない。

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 久しぶり、という点で大きく変わったポイントの一つは、多賀城が高架線になっていた事。2面3線。ちょうど、多賀城折返し電車が入ってきました。

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 もう一つは、仙台市内区間が地下線になり、あおば通へ延伸していた事。以前の仙石線の仙台駅ホームは東側にあり、西側からの回遊性が今一つだったから、この開通は、利便性の向上に大いに繋がったと思われる。地下駅のホームは皆4連分でこぢんまりしている。これ以上の増結はもう考えないという事か。

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 地上出入口。後方に、ちょっと解りづらいだろうが、仙台駅が見えます。

 ここまで乗ってきた限り、野蒜を除くと、「3月11日だからどうだ」というものは、正直感じられませんでした。それだけ、人々の日々の暮らしが平穏なものに戻ってきたという事なのだろうが。震災発生の14時46分が近づいたら、また違ったものが見られたのかも知れません。
 私は直接震災の被害を被ったりはしなかったし、家族・親戚など、大事な人々を失ったとかいう経験もしませんでした。だから、何度も書くのだけれど、「痛み」を感じる事がなかった私には、大震災とか、原発事故とかに関してどうのこうの言う資格は、たぶんないでしょう。できる事は一つ、亡くなられた大勢の方々の冥福を、静かに祈る事、それだけだと思っています。

 本当は仙台空港鉄道(仙台空港アクセス線)とかにも乗って、震災発生の14時46分を迎えなければならない、はずでした。
 ところが、全く個人的な事になるが、白状すると、先日私物を紛失してしまって、警察に届けを出していたのだが、今朝石巻で、見つかって警察に保管していると電話がありました。となると、今日中には引き取っておきたい。そうなると、夕方まで留まるというわけにはいかなくなって、想定よりだいぶ早くなってしまうのだが、昼過ぎの東北新幹線で仙台を発つ事と、なってしまいました。仙台空港鉄道などは、また次の機会。

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 この日の仙台は一日中雨模様。晴れたら少しはバスも撮りたかった。6年振りだったし。宮城交通の新ブルーリボンとかも見たのだけれどなあ。でも、路線バスが当たり前のように走れる事もまた、仙台が震災から立ち直りつつある証といえるでしょう。

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 仙台市営バスでは以前から、姉妹友好都市を描いたバスを運行しているが、今はラッピングで表現しているようだ。これはベラルーシのミンスク。

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 仙台駅のコンコースには、「仙台駅の思い出」と称して、かつて仙台駅を出入りしていた特急・急行のヘッドマークが掲げられている。〔カシオペア〕廃止以降、仙台駅(というか宮城県)の在来線は、特急・急行がありません。

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 ヘッドマークの中から、寝台特急〔ゆうづる〕。前に少し書いたが、黒岩保美氏の手に拠るもので、彼の傑作の一つとされる。確かに、隣りの〔はくつる〕と比べても、どこかモダンさを感じる(特にフォント)。

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 13時30分発〔はやぶさ18号〕で帰るが、日中だからと甘く見ていた所、指定席が残りわずか。窓際も通路側もなく、B席しか残っていなかった(併結の〔こまち18号〕は満席の表示)。となると、車内で昼寝しているだけでした。

 と言うわけで、今回の旅は終わりました。野蒜訪問は貴重な体験だったが、全体的には個人的な事情もあり、消化不良で終わった感が否めませんでした。次の訪問は、もう少し充実したものになれば。もう一度仙石東北ラインに乗りたいし、地下鉄東西線も、一つ一つの駅を乗り降りして訪ねてみたいと思っています。

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 ANAのB787-10の就航が発表になりました。4月26日から成田~シンガポール戦、7月1日から成田~バンコク線。ここへ来て各社とも新機材ラッシュになっているが、影を落としそうなのが、ボーイングからB737MAXの減産が発表になった事。月産52機→42機に減らすとのことで、2021(R3)年導入予定のANAの機材計画に、影響を与えることになるのだろうか。

《今日のニュースから》
 5日 日英外相会談 河野外相 「合意なき離脱」回避要求
 6日 JFA田嶋幸三会長 FIFA理事に再選

№1984 弾丸旅行月間 第2弾 2.あの日から8年 地下鉄東西線にあいさつ

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 運命の日、3月11日の朝になりました。
 ホテルの部屋から見えるのは、雨模様。

 仙石東北ラインで石巻へ向かうことになるが、朝方はまず、前回6年前の仙台訪問後に開通した、市営地下鉄東西線に全線乗り通します。

 3月11日(月)

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 地下鉄のコンコースで目にするのは、市営バスの経営状況。
 数値は、「100円稼ぐのにいくら必要か」という営業係数で、私くらいの歳の人なら、旧国鉄が毎年公表していたのを覚えておられるでしょう(今はJR北海道も、見直し表明路線で公表しているが、JRになってからは基本的に公表していない)。
 全路線が赤字か。一番良いのが桜ヶ丘線で、一番悪いのは八ツ森線。やはり郊外の山間部へ行く路線は良くなさそう。
 公営バスは去年大阪市営が民営に転換、今年も3月24日に佐世保市営バスが廃止になり、徳島市営バスもいずれは…とされているが、それ以降は、現状では民営側に受け入れの体力がなくなっているので、しばらくは仙台市も含めて、公営バスは残る事になるのでないか。ただ、「なぜ、公営でなければならないのか」の説明は今後も必要でしょう。少なくとも、この程度の営業成績の公表は必須と思われます(京都市営がバス停に係数を表示している)。

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 東西線2000系車内の路線図。2000系はドアの両側に液晶モニターがあるが、左側は今の所画像を放映せず、路線図を貼り付けています。

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 まず、東側の終点、荒井。バスターミナルが整備されています。既に行列が出来ている。

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 荒井駅のホーム。1番線が出発、2番線が到着で、2番線の電車が一旦引き揚げられて、1番線に転線される。

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 車内。荒井7時43分発だったが、この時点では空席も。関東に比べると、やはりラッシュは遅いか。

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 単線断面のシールドトンネルが続く。郊外部は直線が長く、70㎞/h出るが、市中心部に近づくと、急カーブが連続する。
 六丁の目、卸町と、だんだん混み合ってくる。乗車した列車に限ると、東側では薬師堂、連坊が、一番乗車が多くなるだろうか。

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 引上げ線がある大町西公園(現状は定期での折返しはない)を出ると、広瀬川を渡る区間は地上の高架線になる。リニア地下鉄で営業区間に地上部があるのは、橫浜市営グリーンラインに次いで2例目。ただし地上に駅はない。

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 広瀬川を渡る。

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 八木山動物公園の手前でもう一度、短区間ながら地上に出るが、山の中。地下鉄沿線という感じがしない。この区間は、道路橋と一体になっている。

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 終点、八木山動物公園駅のホーム。ここは1・2番線両方を発着で使用している。朝方は交互に発着していた。

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 エレベーターのガラスには、動物たちのイラスト。「標高136.4m 日本で一番高い地下鉄駅」と書かれている。荒井が海に近いのだから、かなりの高度を稼いだことになる。箱根登山鉄道で言うと、箱根湯本(96m)より遙かに高く、塔ノ沢(153m)よりはやや低い程度だ。

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 コンコースのパブリックアート「笑顔」。「I wish you are always smiling」(あなたがいつまでも笑顔であるように)と書かれています。

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 西側の終点、八木山動物公園。こちらもバスターミナルとなっている。こちらは宮城交通も入る。

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 仙台まで戻る。先の、終点手前の高架橋。

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 複線断面のトンネル。かなりの下り勾配。

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 国際センター駅で途中下車してみました。駅の東側で、広瀬川を渡る高架橋を見る事ができます。東西線の場合、地上部で2000系をある程度、編成全体で見られるのは、ここだけ、と言って良いです。

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 コンコースには、土木学会田中賞受賞記念のモニュメントがありました。

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 駅の近くの駐車場は、山形からの山交バス高速便の待機場所となっているようでした。仙台側の起終点の県庁市役所前にある程度近いが、こんな所で待機するのか。

 という感じで、仙台まで戻ってきました。
 今回はあくまで「お試し」感覚でした。いずれ残りの各駅に乗り降りしてみたいと考えています。

 ここまでは、普通の、いつもの月曜日だと思いました。
 仙台から仙石東北ラインで石巻へ、そして野蒜に降り立つ事になります。災厄から8年を迎えた、各地の表情はどうでしょうか。

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 JALのA350-900就航は9月1日と、正式に発表になりました。羽田12時10分発福岡行317便でデビュー、以降9月いっぱいは303→306→317→318→329→332便のパターンで、羽田と福岡1日3往復します。その後札幌新千歳、沖縄路線などにも順次就航(大阪(伊丹)がないのは、B787-8国内線仕様がメインになるという事か)。機体は、最初の3機には後部に「AIRBUS A350」の文字が大きく入り、初号機は赤、2号機はシルバー、3号機はグリーンで描かれます。ウイングレットも赤く塗られるようだ。機内はインテリアデザインを一新し、パーソナルTVが装備されるあたりは、明らかにANAへの対抗策です。全席にコンセントやUSBポートを装備し、インターネットも最新のものになるらしい。6月の詳細の発表が待たれます。初号機の日本への来日は、いつになるか。

《今日のニュースから》
 3日 米通信大手ベライゾン 5Gサービス開始発表
 4日 カルロス・ゴーン前日産会長 特別背任容疑で再逮捕