№1989 弾丸旅行月間 第3弾 3.しなの鉄道と新幹線

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 朝、ホテルを出る時の長野の天気予報は、「晴れのち曇り」だったのです。
 だから午後は空模様を見ながら、と考えていたが、どうやら午後まで晴れが続いてくれそう。南側に移動して、115系旧塗装復刻編成などを撮る事にします。

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 長野駅で、西口のロッカーに預けておいたバッグを引き取って、しなの鉄道の快速604Mに乗ります。途中で、初代長野色復刻編成とすれ違う。まず、この編成を撮りたい。

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 さらに、〔しなの〕とすれ違う。

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 しなの鉄道に入って、屋代で下車。

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 長野で1646Mとして折り返してきた、第1次長野色の復刻編成を、屋代駅の東側にある踏切で撮ります。旧塗装復刻というと国鉄時代のものが多いが、これはJRになってからの色。短命だったという事。

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 650Mの現行色。実は、115系ではこの色は撮っていなかったのでした。転換当時、JRから移籍したばかりの(二代目)長野色は撮っていたのだが(当然「復刻」ではなく、現行色へ塗り替える前の段階、という事)。

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 2654Mの台鉄自強号色。
 この列車は軽井沢行で、軽井沢でJRバス横川行に接続。その次のJRバス接続は2時間後になり、帰りが遅くなりすぎる。なので今日は、軽井沢から新幹線利用と決定し、「青春18きっぷ」は使わない事になりました。

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 駅前に入るバスは、千曲市の循環バスが中心。いくつかの事業者が受託しているが、これはアルピコ交通のリエッセⅡ。
 電車で帰る直前に短区間だけ乗車したのだが、アナウンスが子供の声だった。地元の学校の小学生なのだそうだ。
 一般の路線バスは、現在は長電バスの旧長野電鉄屋代線代替バスのみ。ブルーリボンⅡが待機していたのは見えたが、今回は撮る機会がなかった。

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 その旧屋代線のホームに向かう跨線橋は、廃線から7年経つが、立ち入れなくなってはいるものの、橋そのものはまだ残っていました。

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 旧長電ホームは、上屋は撤去されていたものの、ホームそのものは残されていました。

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 長電テクニカルサービス。115系が入場中。

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 小諸行656Mは、115系の2連。
 そろそろ、薄雲が広がってきただろうか…。

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 坂城駅に展示保存されている169系。湘南色。この色での現役時代を撮りたいと思った時期もあったが、適わないまま終わりました。

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 長野色復刻編成ともすれ違う。快速2605Mだが、正面の窓の「長野行」の札はなんだろう?他のしなの鉄道の列車では見かけないが。

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 小諸で始発774Mに乗り換え。115系2連同士の乗り換えになりました。

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 浅間山が近づいてきました。しなの鉄道は南も北も、有名な山をたくさん見られて楽しいなあ。

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 軽井沢到着直前、先に撮影した台鉄色と出会いました。左は北陸新幹線E7系。

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 軽井沢では、静態保存のEF63型が出迎えてくれました。
 軽井沢の駅舎も見たかったが、残念ながらすぐに新幹線の駅に向かう。何しろ、乗り換え時間が9分しかない。

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〔あさま626号〕。E7系は初乗車になります。

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 E7系は、普通車でも各座席にコンセントがあり、スマホを充電。

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 赤系のインテリアが印象的な車内。座席の柄は、金沢を意識しているのだろう。

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 グングン下って群馬県に入ると、赤城山が出迎えてくれます。今回は、著名な山を見る機会がとても多かった。

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 軽井沢では乗車券に特急券も購入しなければならず慌ただしかったのだけれど、「峠の釜めし」も買いました。これで昼食。ちょっと遅いけれど。

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 大宮のはるか手前、東北新幹線と合流する地点の、ニューシャトル(埼玉新交通)の車両基地。この数年で、車両も様変わりしました。

 という事で、今回の長野弾丸旅行は終わりました。しなの鉄道ではJRのE129系ベースの新型車両の、来年からの導入を発表しており、115系の運行はあと数年で終わりという事になります。旧塗装などのスペシャルカラー編成も例外ではないはずで、今回は撮影しなかった横須賀色、コカコーラ色も、早めに撮っておかなければならないでしょう。上田電鉄や長野電鉄もあるし、今年は長野詣でが多くなるかも。
(「ろくもん」は、どうなるだろう)

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 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 韓国の財閥、クムホグループは昨日、傘下のアシアナ航空の売却を発表しました。財閥前会長の強引な経営が原因で財閥が資金難に陥り、資金援助の見返りに、33%強を保有するアシアナの全株式を売却するという事で、アシアナ自体の経営が悪化している、というわけではないよう。売却代金は1兆ウォン(≒1000億円?)とされ、買収に興味を示している所には、チェジュ航空前社長を迎え入れたSKグループや、そのチェジュ航空を傘下に持つエギョンなどの名前が挙がっていて、アシアナ傘下のLCCのエアソウル・エアプサンも売却されそうなので、売却先によっては、LCCを中心とした、韓国の航空業界の再編成にも繋がるのかも知れない。韓国は大韓航空を傘下に持つハンジングループの会長が先日死去したばかり、「ナッツリターン」事件とか、アシアナのサンフランシスコ事故などもあって、この数年の韓国の航空業界はかなり不安定なものになっているように感じます。当然日本にも無縁ではなくなるので、まず、アシアナの行方は注目だと思います。クムホは国内で高速バスも運行しているが、こちらはどうなるのか。

《今日のニュースから》
14日 西武 源田壮亮 新人からフル出場 299試合でストップ 
15日 港湾労働組合 22年振りの平日ストライキ
16日 東京オリンピック 大会スケジュール詳細発表

 オリンピックの開会式・閉会式はどちらも20時開始・23時頃終了という事。既に関東近郊のJRや私鉄、地下鉄は、最終電車の大幅な延長など、大会期間中の対応を発表しています。
 私はパリには何度か行っているけれど、ノートルダム大寺院は行った事がないのです。今回の大火災は、フランスの世論にも大きな衝撃を与えているようだが、人的な犠牲が出ていない事は、救いだと思います。マクロン大統領は再建を約束したが、しかし、そのみちのりは険しそう…。

№1988 弾丸旅行月間 第3弾 2.8年振りの長野 北しなの線

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 JR信越本線・長野~直江津間は、2015(H27)年3月14日の北陸新幹線開業によって第3セクター鉄道に転換、妙高高原を境に南側は、しなの鉄道に転換され、北しなの線となりました。
 今回の長野の旅は、しなの鉄道115系撮影と合わせて、北しなの線乗車も目的でした。この区間、乗車はたぶん、旧国鉄民営化直後の1987(S62)年のGW以来、32年振り、くらいになるのでしょうか…?

 3月15日(月)

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 長野駅のコンコース。雰囲気は、8年前と変わりない。

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 コインロッカーを利用しようとしたら、新幹線に近い東側は、「警備上」の理由で閉鎖されていました。何があるの?理由が解らないまま、西口に戻って、別のコインロッカーを利用せざるを得ませんでした。

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 在来線のホームに降りると、しなの鉄道115系、横須賀色が停まっていた。横須賀色の編成は2編成あるが、事前にしなの鉄道公式Webで調べた感触では、今日はどちらも撮影はできなさそうだ。

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 8年前と大きく違うのが、北陸新幹線の開業。〔はくたか551号〕。

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 長野8時13分発321M。しなの鉄道の標準色。
 女子学生が多かったが、三才駅でことごとく降りていった。清泉女学院大学への学生だろう。あとはガラガラ。

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 豊野で飯山線と分かれると、急勾配とカーブが続くようになる。後部から見ます。

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 古間を過ぎると、沿線は雪が残っていました。雪を被った飯縄山。

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 黒姫を出て、黒姫山。

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 そして、新潟県に入って妙高山。白い山々が次々に現れて、楽しいです。

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 妙高高原駅は新潟県妙高市にあり、えちごトキめき鉄道の管理駅です。ただし、駅前には長電バスも入ります。といっても1日3便のみ、土休日全便運休。

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 妙高高原駅のホーム。2番線にしなの鉄道、3番線に、直江津から着いた、トキめきのET127系。直通列車はない。
 しなのの115系の前面付近にあるのは、ワンマン運転支援用のTV。

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 わずか9分で折返し、324Mで妙高高原を後にします。もっと居たかったけれど、次の長野行326Mが1時間30分以上も後になる上、この326Mが湘南色になるので、どこかで待ち構えていないと行けない。県境の区間は複線だ。

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 車内はJR時代に更新されているが、今の目で見ると、これでもレトロに映るのでしょうか。

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 牟礼駅で降ります。ここで、湘南色編成を待ちます。緑の屋根が印象的な、良い雰囲気の木造駅舎。ただ、駅前は交通広場の整備途上で、足下には注意。

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 湘南色が来るまでの間、付近を歩いてみたのだけれど、長電バスの古いバス停標識を見つけました。かなり昔から使われているようで、「長電バス」の文字の下に、「長野電鉄」の文字を確認出来ました。下段に書かれた路線は、もうありません(今は東柏原までで、土休日運休)。

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 飯縄山。広々して、すがすがしい。

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 牟礼駅から離れた所に、長電バスの飯綱営業所があります(バス停名は牟礼)。長野行や町内各地へのローカル路線の他、「i(アイ)バス」と称する、地元民向けのデマンドバスを運行しています。
(長野行以外は全て、土休日運休)

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 飯綱町役場の、旧牟礼役場の庁舎。今は教育委員会が使っているよう。特に何かの文化財として指定されているとかはないようだが、こぢんまりした、モダンな洋館です。

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 待ちに待った、115系湘南色編成。ちょっと正面がつぶれ気味、になったでしょうかねえ。
 この326Mは、この牟礼で長野からの327Mと交換。この327Mで一駅、古間まで戻ります。

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 古間駅。無人駅で、一番上の画像で解るとおり、かつては行き違いが可能だったようだが、現在は棒線。

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 一つ後、329Mで妙高高原に向かう、コカコーラ色。この編成まで復刻するとは思わなかった。実は先に記した32年前に、JR時代のコカコーラ色編成を見ています。この時とは、コカコーラのロゴが多少異なっています。この編成も、編成としてキチンと撮るのは、次の機会になりそうです。

 この329Mが黒姫で交換した、328Mで長野に戻りました。
 北しなの線は、本数的には1時間に1本あり、ロケーションからするとこんなものだろうとも思います。ただ、もう少し運転間隔がパターン化されると良いが。
 急勾配を駆け上がる115系は良い雰囲気です。有名な山々を愛でるのも楽しく、昼間なら長野駅で駅弁を買って、車内で食べるのも良いでしょう。下り電車の乗車をオススメ。

 後半は、先行して転換されていたしなの鉄道線区間で、115系を撮ります。帰りは、軽井沢から新幹線となりました。

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 熊本地震で長期の不通になっているJR豊肥本線・肥後大津~阿蘇間は、2020(R2)年度の運転再開の見通しとなったと、石井国土交通大臣が明らかにしました。このスケジュール通りになるか、南阿蘇鉄道はどうなるのか、もう少し様子を見る必要はあるでしょう。

《今日のニュースから》
12日 日米経営者 NYで会合 生産性向上などで意見交換
13日 東京パラリンピック ピクトグラム公表

 NYでの会合にはANA HDの片野坂社長も参加していたそうだが、航空業界も、日本のバスほどではないかも知れないが、特にパイロットの人材不足は、全世界的に問題となっているよう。一番不安視しているのは、先進国のLCCかも知れない(途上国は、少なくとも数的にはまだ何とかなるかも知れないが)。既存のキャリアよりコクピット、キャビン、双方ともただでさえクルーの労働条件を低くしているのに、さらに生産性向上とか言って労働強化を強行しようとすると、人材が集まらなくなったり、労働者の抗議活動とか起きたりして、、LCCの経営モデルが崩れ、運行そのものが成り立たなくなってしまうかも知れない(現にライアンエアーでは去年、労使の対決で運行にも支障が出た)。同日、日本では生産年齢人口が過去最低になったと発表があったが、もはや人口の減少は食い止められないものと覚悟した上で(たとえ今、一転して出生率が急上昇したとしても、生まれた子供が社会人として戦力になるのは20~30年後の話だ)、交通業界もこれを大前提にした計画(運行の確保だけでなく、人材の獲得や、もちろん労働条件の維持向上も大事)を立てないといけないのだろうか。

№1987 弾丸旅行月間 第3弾 1.8年振りの長野 東京→長野 普通列車乗継ぎ

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 弾丸旅行の第3弾は長野です。長野は8年前、東日本大震災の直後以来です。あの時は震災発生以降、重苦しい世の中全体の雰囲気は精神的に苦痛で苦痛で、被災者の方々には失礼と思いつつも、どうしても「息抜き」をしたくて、出かけて行ったものでした。あの時も弾丸旅行的で、行きは仕事が終わった直後に京王の高速バスで出かけて、翌日の新幹線で帰ってきたのみでした。
 今回は、往路は「青春18きっぷ」なので、普通列車乗継ぎ。中央東線・松本経由で、ひたすら普通列車を乗り継いで行きました。帰りをどうするかは、この時点では決めていなかった。

 3月24日(日)

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 東京からの中央特快1341T(上りで到着したばかりなので、列車番号は1240Tのまま)

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 高尾からの甲府行539M。211系6連で、ロングシート。211系で中央東線に乗るのは、初めてになりました。思ったより、混んでいないと思った。

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 次の相模湖で、さっそく〔かいじ11号〕通過待ち。

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 相模湖の、やや奥まった所。ボート遊びをしている。

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 藤野駅前の神奈中バス(神奈川中央交通西)。南のやまなみ温泉と、北の和田(陣馬峠の近く)に路線があります。やまなみ温泉からは小型車の路線があったが、3月いっぱいで廃止になりました。神奈川県でもローカル線は厳しい。たとえ政令指定都市(相模原市緑区)になったとしても。

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 春本番!沿線はどこも桜を初め、花がブンブン咲いていました。この先もそう。

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 梁川~鳥沢間の右手に見える、扇山。

 比較的静かな車内だったが、大月で、高齢者のハイキングのグループが乗り込んできて、賑やかになる。

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 初狩駅は、かつてのスイッチバックの跡がそのまま活用されている事で知られています。旅客用ホームは本線上にあるが、勾配がきつい。

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 初狩出発。この山の名前はちょっと解らない。スイッチバック部に保線車両がいるのが解るでしょうか。

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 甲斐大和で〔あずさ21号〕通過待ち。大月~塩山間は16日改正で、日中は約1時間間隔に削減されています。そんなものかな、という乗り具合。

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 甲斐大和は「鞍馬石」が産出される所なのだそうで、ホームには灯籠を模った碑がありました。

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 甲斐大和が、甲府までの間のサミットになるようで、この先は甲府盆地を左に見ながら、グングン下っていく。

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 富士山は、甲府盆地からだと、三つ峠や破風山などの山々が連なっているので、見えるのはてっぺんだけ。

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 甲府で小淵沢行347Mに乗り換え。今度も211系6連だが、前3両はセミクロス、後3両はロングシート。

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 再び急坂を上っていく。むしろ、甲府から遠ざかっていく方が、富士山が良く見える様になる。面白い事に、新府では、富士山は(下り列車では)右側に見えます。

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 瑞牆山・金峰山、といった山々。高校生の時に部活動で行った事があるんだけれどなあ。
 車内は、元々乗客は多くないし、ドアはボタン開閉式に改造されていて、乗降がないとドアの開閉もないから、静かだ。長坂ではドアが空いたが、吹き込む風が冷たい。
 今日は休日、臨時〔あずさ〕の運行も多いようで、E353系と次々すれ違う。

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 小淵沢到着。寒い!
 左に見える白くて高い山は、甲斐駒ヶ岳、だと思う。
 小淵沢は3番線に着いたが、次の長野行1547Mは、小海線ホームの5番線からの出発。「HIGH RAIL 1375」と並んで待っていました。車内は暖房が入っていた。

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 小海線234Dが4番線に到着。5番線出発になっているのは、このためだったか。面白い事に、4番線には架線が張られていないが、5番線にはあります。このような接続パターンが多いのか。

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 小海線との分岐部。遠くに八ヶ岳の山々を見ます。

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 青柳~茅野間からの八ヶ岳。雪を被っている様子は、こちらからの方がはっきり解ります。
 茅野で〔あずさ23号〕待ち合わせ。茅野の先の普門寺(信)から岡谷にかけては単線。本線なのにダイヤ編成上のネックだと思う。何とか複線化できないの?と思うが、下諏訪~岡谷間の高架線も単線で造ってしまっているからなあ。
 春分の日が過ぎたばかり、陽は長くなってきたが、さすがに18時を過ぎると暗くなってきた。塩尻から先、篠ノ井線に入ると、乗客も増えていきます。

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 松本で10分停車。反対側には〔しなの24号〕。

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 上高地線の乗り場案内は、未だ「松本電鉄」と書かれている。アルピコ交通になって8年になるのだが、表示は新しいものだし、敢えてそう表記しているのか。到着前のアナウンスも「松本電鉄」だったし。
 松本では、駅弁を購入出来ました。といってもロングシート車(3連)では、車内で開く、というわけにはいかない。長野に着いてからのお楽しみ。

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 姨捨駅。スイッチバックと夜景が有名、ではあるのだが、車内の乗客は、行楽・観光はほとんどいないようで、車窓に関心を持つ旅客はほぼいない。中央線ルートに関しては、「青春18大移動」は見られなかったように思えました。

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 上りホームからの夜景。上りホームには、ミニ展望台もあります。
 目の前に見えるのは本線の架線で、〔しなの26号〕が通過して行きました。

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 稲荷山で行き違った1548M小淵沢行(121系4連)が少々遅れていたが、終点の長野はほぼ定刻に着きました。小淵沢から2時間52分。高尾発長野行441Mよりは列車のスケールとしては小さいが、それでも充分に乗り応えのある列車だと思いました。ロングシートがどうかだが。
 東京を出たのが13時50分だったから、長野まで6時間37分かかりました。
(東京は9分後の中央特快1355TでもOK)

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 夜の長野駅。

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 最後に、松本駅で購入した、「信州和風牛肉弁当」。レタスが、駅弁としては異色。ゼリーは赤ワイン。

 今回の旅の最大の目的は、しなの鉄道の、国鉄・JR時代の旧塗装を復刻した115系の撮影になります。全部、とは行かないだろうが、1つでも2つでも撮りたい。北陸新幹線開業と同時に転換開業した、北しなの線にも乗ります。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


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《今日見た・聞いた・思った事》
 京成と新京成が、新型車両の導入を発表しました。
 共同開発で、京成は3100形(8連)、新京成は80000形(6連)になります。3100形は「赤電」以来2代目。80000形とはずいぶんなインフレで、形式名では日本の鉄道史上、東武70000系を抜いて、最も大きな数字になるはずです(東武には80000番台の車両もあるが、あくまで8000系)。3100形は基本的にはスカイアクセス線用になるようで、オレンジの帯で本線用とは区別、スーツケース持ち込みに対応した、折りたたみ座席を設置するという事。確かにアクセス特急だと、結構大荷物が多くて、少々邪魔かな?と思うケースも少なくなかったので。80000形は在来形式と同じジェントルピンクと白のツートンがベースで、車内はオーソドックスに思えるが、急カーブが多い路線のロケーションに対応し、騒音に追従して自動的に音量の調節を行える放送装置が備えられるらしい。どちらもフルSiC-VVVF制御となり、車内はプラズマクラスターイオン発生装置を搭載する、という事。デビューは、3100形は今秋、80000形は今冬を予定しているが、80000形の運行区間は自線内の松戸~京成津田沼間としていて、京成千葉線には入らないのだろうか?
 京成は、1972(S48)年製の3500形が残っており、金町線は4連しか入線出来ないから、これに対応して3500形を置換える形式を(4+4にするとかして)造るのかと思っていたが、そうではない。3100形導入による玉突きで、在来車両(3400形あたり?)を転用・編成替えをして、置換える事になるのだろうか。

 ZIP AIRの機体デザインと、クルーのユニフォームが発表になりました。機体は、窓の部分にチトーライン(緑色)を引くのは、昨今のエアライン業界では珍しい。ユニフォームは、LCCとしては落ち着いているなあと感じました。ただ、スニーカーを履くらしい。

《今日のニュースから》
10日 価格不当要求の疑い エクスペディア・楽天・ブッキングドットコム 公正取引委員会捜査 
11日 スーダン 軍クーデター バシール大統領拘束

 ウィキリークスのアサンジ代表が逮捕されました。前にもどこかで書いたけれど、ウィキリークスって、そんな大した事をやってはいないんじゃないの?嫌がらせにはなったろうが、政治体制を大きく変えた、という事はなかった。「パナマ文書」「パラダイス文書」の方が数十倍、世界的な影響が大きかった。この程度の事で7年も、こぢんまりした大使館の中でヒッキーやってるなんて、個人的にはなんてつまらない人生だと思う。「ウィキリークス大好き♡」とはしゃいでいたドナルド・トランプは、何というのかねえ。