№1942 永久保存版 都営バス 全形式アルバム(講談社ビーシー/講談社)

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「ベストカースペシャル」「バスマガジンMOOK」として刊行された、「都営バス車両大図鑑」。

 序盤に線然の1920年代~1970年代前半までの歴史が記された後、1973(S48)年度「A代」から、2017(H29)年度「C代」まで、これ、都営バス在籍の全型式で、漏れがないというのがオドロキ。特定用RL100なんて、撮影していた人は、どの位いただろう?
(2015(H27)~2017(H29)年度は序盤に置かれている)。

 全体を眺めてはっきり解るのは、21世紀に入るとほぼ同時に、導入型式が極めて少なくなる事。当然ではあるだろう。昔の都営バスは特定バス事業があり、貸切バスは今より規模が遙かに大きかった。また乗合車は営業所毎にメーカー+車体の指定があり、各メーカーが並行して導入されていたので、自然に型式は多くなる。しかも、冷房車の黎明期は非冷房車と並行して導入されたり、同じ三菱ふそうでも早稲田〔営〕車は視野拡大窓を採用したりして(なぜ早稲田〔営〕だけだったのだろう?)、よりバラエティが豊富だった。

 転機は大江戸線全通に伴う路線再編成が行われた1999(H21)~2000(H22)年度、車両購入を入札方式に変更した2004(H16)年度だろう。試作的な車両もあるが、これ以降、目立って型式が減少していく。JBUS発足によるいすゞと日野のモデルの統合、日産ディーゼル(UDトラックス)や富士重工・西日本車体のバス事業の撤退もあるでしょう。あくまで趣味的な目線でしかないが、正直昔に比べたら、つまらなくなった。
 今の都営バスは、青梅→品川に転じたエルガミオが早めに除籍、江東区「しおかぜ」用リエッセも退役して、中・小型車はなくなった。今はコミュニティバスも全て民営事業者が受託しているので、今後も都営バスで中・小型車が導入される可能性は、低くなってきているのだろうか。あるとしても、青梅〔支〕のみか。

 全体的な流れとしては、①冷房化・方向幕大型化が始まり、カラーリングが模索された1970~1980年代 ②低床化・低公害化の動きが見えてきた1990年代 ③型式の統合・ノンステップ化の推進が行われた2000年代 ④低公害化の方向性がはっきり定まった2010年代 という流れになるのだろうか。
 それは、その時々の都政、言い換えれば都知事の意向も、ある程度は反映されていたのではないだろうか?「美濃部カラー」の美濃部都政と、今の小池都政において特に明確になっているように思う。

 写真の点数は圧倒的で見応えがあるが、2つ挙げると、①「美濃部カラー」の白+青帯、その次の黄+赤帯のカラー写真が(ラッピング復刻のエルガを除いて)1枚もないのが残念。②スーパークルーザー貸切車は後に一部が東京駅~お台場間快速路線で運行されたが、その写真もなかった。という所だろうか。

 車両そのものだけでなく、風景写真も今昔様々あるが、特に品川駅東口(今の港南口)は、全然比較にならない。アキバのバス停付近も家電専門店が並んでいるあたりは、現代とは違う。バスそのものだけでなく、都営バス(ひいては日本のバス)の歴史を紐解く、という点では、格好の1冊だろう。
 なお、先頃発表された、スカニアのフルフラット・ノンステップ車が、たぶんギリギリで間に合わなかったのは、残念。

 何度もしつこいのだけれど、「グリーンシャトル」の初代車両、車体だけでも良いから、どこかに残っていないですかねえ?都営バス史に於いても重要な車両だと思うし、「都営博物館」を作って、そこで保存してもらえたら嬉しいのだけれど…。

 ところで、タイトルが「形式」となっているが、私は以前メールで、「バスは『型式』です」と指摘された事があります。これで正しいのだろうか?
 それと、BJエディターズのWebを読むと、これは「BJハンドブック100号記念別冊」らしいけれど、そうだったの?そんな事はどこにも記されていないのだが…。

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