№1927 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 東京急行電鉄.4

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 ひと昔、ふた昔前の東急の駅をご覧頂いてきたが、最終回は旧目蒲線と池上線です。
 当時の東急は、東横線・田園都市線を中心とした輸送力増強策が進められようとしていた時期で、運行形態も、今とは異なる所がありました。目蒲線はその最もたるもので、2000(H12)年には多摩川園(→多摩川)を境に分断され、目黒側は目黒線と称し、複々線となった東横線へ直通、蒲田側は東急多摩川線と称して、独立して折返し運転を行うようになります。その前の記録です。

目蒲線 目黒~蒲田

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目黒 めぐろ
 後に地下に移転する事になるが、既に工事が始まっていました。確か地上時代は頭端式の相対式ホームだったと思います。

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不動前 ふどうまえ

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武蔵小山 むさしこやま
 今は地下化されて、急行の追い抜きも行われています。

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西小山 にしこやま
 ここも今は地下化されています。

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洗足 せんぞく
 ここは目蒲線時代、既に地下ホームになっていました。

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大岡山 おおおかやま
 ここは既に工事が始まっていました。仮設の橋上駅舎が建っています。当時は目蒲線と大井町線でホームが別々でした。今は地下ホームとなり、内側が大井町線、外側が目黒線となって、同じホームで乗換が可能になっています。これも、田園都市線のバイパス機能を強化する施策だったわけです。地上には東急の大きな病院が建ちました。

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奥沢 おくさわ
 検車区がありました。今も留置線があります。

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田園調布 でんえんちょうふ
 ここも既に工事が始まり、特徴的な旧駅舎は姿を消していました(工事完成後に、エントランスとして復元)。当時は東横線と目蒲線でホームが別々でした。目蒲線は工事開始まで、朝ラッシュ時に田園調布折返しが設定されていました。今は地下ホームで、東横線と目黒線が同じホームで乗り換え可能となっています。

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多摩川園 たまがわえん
 今は改称されて多摩川。ここも工事が始まった頃でした。今は東横線と目黒線は高架、東急多摩川線ホームは地下です。

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沼部 ぬまべ
 目蒲線は旧型電車(旧3000系)が7200系などに置き換えられた時に4連化されていたが、この駅はホームが短く、蒲田側の1両がドアカットを行っていました。東急多摩川線分離後は再び3連となり、自然に解消されています。

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鵜の木 うのき

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下丸子 しもまるこ

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武蔵新田 むさしにった

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矢口渡 やぐちのわたし


池上線 いけがみせん
 池上線は東急の鉄道線では唯一、大規模な輸送力増強策がありませんでした。なので他の路線と違って、当時の駅の面影が、今もかなり残っているようです。

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五反田 ごたんだ
 山手線の高架ホームのさらに上に、島式ホームがあります。

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大崎広小路 おおさきひろこうじ

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戸越銀座 とごしぎんざ

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荏原中延 えばらなかのぶ
 ここは早くに駅舎が建て替えられていたようでした。

 旗の台は、大井町線で出しました。

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長原 ながはら
 地下ホームになっています。

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洗足池 せんぞくいけ

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石川台 いしかわだい

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久が原 くがはら

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雪が谷大塚 ゆきがやおおつか
 検車区があります。

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御嶽山 おんたけさん
 この駅のホームの真下を、東海道新幹線と横須賀線の線路が横切っていきます。

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千鳥町 ちどりちょう

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池上 いけがみ
 乗降が多く、駅前には東急バスのバスターミナルもあるが、駅は手狭でした。この駅はいよいよ橋上駅舎化に着手、2020年の開業を目指すとしています。

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蓮沼 はすぬま

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蒲田 かまた
 目蒲線(→東急多摩川線)・池上線が合流する駅で、東急プラザの駅ビルが建っています。規模は小さいし、両路線とも各駅停車しかないが、東横線渋谷駅の地下移転後は、頭端式ホームの、典型的な私鉄のターミナルの雰囲気を持つ唯一の駅となりました。一番上の画像です。JALの「リゾッチャ」のポスターが懐かしいなあ。

 以上、昔の東急の駅を全てご覧頂きました。何回も繰り返すように、当時は東横線・田園都市線を中心とした大規模の輸送力増強の工事が始まろうとしていた(一部は既に始まっていた)頃で、撮影時点では、比較的新しい田園都市線などは別として、他の路線では昔ながらの駅がまだ残っていたように思えます。今の目で見ると質素、ではあるが、よくよく見れば「レトロモダン」と感じる事もできる駅舎も、少なくはなかったように思えます。もし大規模な工事がなくて、この時代の駅舎のままでリニューアルとかが行われていれば、あるいは別の魅力が生まれたのかも知れません。とはいえ伸び盛りだった東急の事、どの路線も駅も、現状を維持し続ける事は許されなくなっていたのでしょう。今現在、唯一ターミナル形式を残す蒲田駅も、京急駅まで建設する「蒲蒲線」の地下新線が具体化すると、恐らくは渋谷同様、地上からは姿を消す事になるのでしょう。せめて写真の世界で、古き良き時代を懐かしむ事にしましょうか。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
21日 元従軍慰安婦支援財団 韓国政府が解散発表
22日 財務省決裁文書改ざん問題 会計検査院 検査結果報告

№1926 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 東京急行電鉄.3

 ひと昔、ふた昔くらい前の東急の駅、今回は大井町線とこどもの国線、そして世田谷線の各駅をご覧頂きます。
 大井町線は、混雑が激化しつつあった田園都市線のバイパスの役割を期待されて、撮影の後、各地で大規模な改良工事に着手する事になります。その直前、という時期だったでしょうかね?

大井町線 大井町~二子玉川園

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大井町 おおいまち
 この後、駅舎が増改築されます。この駅舎、今見ると「レトロモダン」という感じがしないでもない。

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下神明 しもしんめい

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戸越公園 とごしこうえん
 当時はホームが短く、大井町方1両のドアカットが行われていました。今は踏切の移動でホームを延伸し、ドアカットを解消しています。

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中延 なかのぶ

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荏原町 えばらまち

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旗の台 はたのだい
 池上線との接続駅。当時は大井町線も、オーソドックスな相対式ホームでした。

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北千束 きたせんぞく

 大岡山は、次回の目蒲線で出します。大岡山は大規模な工事が始まっていました。

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緑が丘 みどりがおか
 この後改築されます。№1005で書きました。

 自由が丘は、東横線で出しました。

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九品仏 くほんぶつ
 この駅もホームが短く、二子玉川園方1両がドアカットを行っていました。この駅はこの短いホームのままで、ホームドアが設置されています。踏切は移動できなさそうだし。

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尾山台 おやまだい

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等々力 とどろき
 線路と線路の間に駅舎があります。これは今も変わっていません。

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上野毛 かみのげ
 2011(H23)年に改築され、急行運転のために上りに通過線が設置されています。№805で書きました。

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二子玉川園 ふたこたまがわえん
 今は二子玉川と改称しています。昔は遊園地がありました。
 当時の駅は、2面4線の両側が大井町線、中央の2線が田園都市・新玉川線になっていました。4番線に大井町線の8000系が停まっているのが見えます。
(当時の大井町線の時刻表では、二子玉川園駅の到着が1番線・4番線のどちらになるかが色分けされ、列車の方向幕の色も変えられていた)
 この後駅は改築され、溝の口への複々線化(大井町線延伸)に備えて、田園都市線と大井町線が入れ替えられました。周辺も再開発されて、楽天などのビルが並んでいます。

こどもの国線 長津田~こどもの国
 当時は、財団法人こどもの国協会が線路を保有、こどもの国へのアクセスがメインの役割で、運転時間帯も短く、運行本数も多くはありませんでした。7000系最後の活躍の地でした。
 途中に東急の長津田工場があるが、中間に駅はありませんでした。恩田駅が開業するのは、線路の保有が横浜高速鉄道に移って通勤路線化した、2000(H12)年3月19日です。

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こどもの国 こどものくに
 今は新しい駅舎になっているが、無人駅(遠隔操作)になっています。

世田谷線 三軒茶屋~下高井戸
 300形導入前なので、どの駅もホームは低く、古びています。

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三軒茶屋 さんげんぢゃや
 ちょうど改築工事の真っ只中でした。

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西太子堂 にしたいしどう

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若林 わかばやし

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松陰神社前 しょういんじんじゃまえ

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世田谷 せたがや

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上町 かみまち
 検車区があります。

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宮の坂 みやのさか

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山下 やました
 小田急小田原線の豪徳寺駅に隣接しています。

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松原 まつばら

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下高井戸 しもたかいど
 京王線との接続駅で、この時点で既に、京王によって改築が行われていました。世田谷線の乗り場は、この奥です。

 次回は、当時の目蒲線と池上線の駅をご覧頂いて、東急は完結です。

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《今日のニュースから》
18日 「丹波篠山市」へ改称 篠山市住民投票実施 賛成多数
19日 旧スペースワールド 実物大スペースシャトル模型 解体作業開始
20日 「地面師グループ」 主犯格逮捕

 日産のゴーン会長の逮捕劇、水面下ではかなり前から動きがあったようだが、一般には直前まで何も知らされず、電撃的でした。色々な話を聞いた印象として、ひょっとしたら彼は、日産自動車という会社を「食い物」にしていたのではないか?思うに日本人はゴーンさんに限らず、「カリスマ」的な業績を上げて、業界外にまで発言力を高めている企業のTOPの人々を、少しばかし英雄視しすぎるのではないか?日産に限らず、昨今のITベンチャー企業とかでも見られる現象なのだけれど、どうも彼らを盲目的に祭りあげる所がある気がする(ライブドアの「ホリエモン」だって、そうだったでしょ?)。私は別に、昨今世界で叫ばれている「富める者と貧しきものの格差」についての議論に首を突っ込む気は無いが(しょせん、高額所得者のサラリーを羨んだり、怒ったり、妬んだりしたって、自分の収入が増えるわけではない)、少しばかし、彼らの口にする事、やっている事を、常日頃から疑ってかかる必要は、あるのではないだろうか。「金持ち」の「カリスマリーダー」に対する向き合い方は、「格差」の時代に生きる我々一人一人にも突きつけられた課題でもあろうと思います。

№1925 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 東京急行電鉄.2

 ひと昔、ふた昔位前の東急の駅をご覧頂く短期シリーズ、2回目は田園都市線です。
 といっても撮影の時点では、渋谷~二子玉川園(現二子玉川)間の地下線区間は、新玉川線と呼称していました。

新玉川線 渋谷~二子玉川園
 地下路線なので駅の写真と言っても地上の入口だけ、少々つまらなく感じられるのはご了承ください。

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渋谷 しぶや
 東横線駅の地下移転までは、東横線とは別々の駅でした。ホームは結構狭くて、昔も今も、終日混雑が激しいです。ちょっと小さいのだけれど、入口上には「新玉川線」と書かれています。

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池尻大橋 いけじりおおはし
 遠い昔は、玉電の車庫がありました。廃線後は東急バスの車庫になったが、今は高速道のJCTです。

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三軒茶屋 さんげんぢゃや
 世田谷線の乗換駅だが、地下通路を経てやや遠く離れています。

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駒沢大学 こまざわだいがく

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桜新町 さくらしんまち
 上下線が上下に分離されていて、それぞれ通過線があります。

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用賀 ようが
 駅前に、当時の東急コーチの姿があります(今は一般路線に転換)。

田園都市線 二子玉川園~中央林間

 二子玉川園(現二子玉川)は、大井町線で出します。

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二子新地 ふたこしんち

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高津 たかつ
 当時は「電車とバスの博物館」があり、高架下に510号が見られます。博物館はこの後の複々線化工事で、宮崎台に移転する事になります。

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溝の口 みぞのくち
 当時は改築工事中。先に上り線に待避線を新設する事になります。南武線乗換駅だが、JRの武蔵溝ノ口に対して、東急は溝の口です。

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梶が谷 かじがや
 2面4線。ラッシュ時に急行の追い抜きがありました。

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宮崎台 みやざきだい

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宮前平 みやまえだいら

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鷺沼 さぎぬま
 2面4線。急行と各駅停車の相互接続駅。半蔵門線の検車区が、営団地下鉄(当時)の本体から飛び地として設けられていました。また、大井町線車両の留置線もあります。

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たまプラーザ
 東急電鉄、というより東急グループ全体を代表する駅です。後に改良工事が行われ、大きく姿を変えました。№920で書いています。

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あざみ野 あざみの
 この駅は、路線開通の11年後、1977(S52)年5月25日に開業した、比較的新しい駅です。橫浜市営地下鉄乗換駅。駅そのものは今もあまり変わっていないように思うが、バス停の上屋が、今は大きくなりました。

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江田 えだ
 2面4線で、ラッシュ時に急行の追い抜きがあります。

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市が尾 いちがお

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藤が丘 ふじがおか
 後に上りの通過線が造られます。当時は確か、駅構内にトイレが無かったと思う。

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青葉台 あおばだい

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田奈 たな

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長津田 ながつた
 こどもの国線分岐駅で、JR横浜線との接続駅。検車区があります。当時は半分くらいはここを終点としていました。長津田駅の時刻の回顧を、№1505№1506の2回に分けて書いています。

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つくし野 つくしの
 ここから南町田までは東京都町田市になります。東急の路線が東京23区及び神奈川県横浜市・川崎市(政令指定都市)以外の市を走るのは、初めてになりました。

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すずかけ台 すずかけ台

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南町田 みなみまちだ
 クランベリーモール開業前で、閑散とした駅でした。今の目で見ると、質素。
 付近は現在再開発の真っ只中で、次期ダイヤ改正では、正式な急行停車駅(平日も停車)となる事がアナウンスされています。

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つきみ野 つきみの
 ここを終点としていた時期が、割と長期間ありました。ここと中央林間は、神奈川県大和市です。
 大きな屋根が印象的。

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中央林間 ちゅうおうりんかん
 小田急江ノ島線との接続駅で、ホームは地下です。

 次回は大井町線とこどもの国線、それに世田谷線です。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 この所航空でパイロットの飲酒トラブルが相次いでいるが、JALとANAは昨日、国土交通省に再発防止策を提出しました。色々報道を読んでの感触として、日本の航空業界全体が、意外に酒に甘いなあと思った。特にJALは数年前にも金沢で、泥酔した副操縦士が機長に暴力を働き、欠航が発生する事態が起きています。ロンドンの一件も副操縦士でした。なにかパイロット組織のシステムに欠陥があるのか?ともあれ、酒に関わる決まり事は、うんと厳しくしないとダメでしょう。それも大事だが、最終的にはパイロット、に限らず、交通業界においては、運行に携わる者全ての、個々のモラルが問われる事だと思います。 

《今日のニュースから》
16日 さくらももこ先生偲ぶ 「ありがとうの会」開催
17日 日本大学アメフト部 処分後初の練習試合

 サッカーJリーグJ2は今日最終節で、松本山雅(優勝)と大分トリニータのJ1昇格が決まりました(同時にJ1Vファーレン長崎のJ2降格も決定)。大分は過去にはナビスコカップ優勝経験もあるのに、運営の問題もあって、一昨年はJ3にまで落ちていました。J3を経験したクラブがJ1に昇格するのは、初のケースとなります。先日の九州旅行では大分空港に降り立ったが、ターミナルにはトリニータ応援のコーナーもありました。皆様、おめでとうございます。