№1910 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 京王電鉄.2

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 ひと昔・ふた昔前の京王の駅をご覧いただくシリーズ、2回目は京王線の支線です。支線と言っても、相模原線は平成の世になってすぐに橋本に到達、相模原市と都心を結ぶ幹線の役割を与えられる事になります。高尾線は、休日はいつも行楽客でにぎわいます。

相模原線 調布~橋本

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京王多摩川 けいおうたまがわ
 京王閣競輪場の最寄り駅です。長らくこの駅が支線の終点で、この後多摩ニュータウン開発の開始により、路線が延びていきます。

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京王稲田堤 けいおういなだづつみ
 南武線の稲田堤に隣接しています。京王で初めての、神奈川県内の駅です。

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京王よみうりランド けいおうよみうりらんど

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稲城 いなぎ

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若葉台 わかばだい
 2面4線で、工場と検車区を併設しています。撮影当時はやや殺風景な感がありました。駅自体は神奈川県川崎市だが、この後整備される交通広場は、東京都稲城市になります。

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京王永山 けいおうながやま
 ここから多摩センターまで、小田急多摩線と並走します。

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京王多摩センター けいおうたませんたー
 2面4線で、引き上げ線も設けられています。高架駅で、エントランスは小田急と同じだが、別々の駅です。

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京王堀之内 けいおうほりのうち

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南大沢 みなみおおさわ
 平成の世になるまでは、ここが終点でした。後に駅舎の増改築が行われ、「フレンテ南大沢」もオープンします。
 1990(H2)年3月3日、橋本まで延伸します。

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多摩境 たまさかい
 橋本延伸開業時はこの駅は開設されず、1年後に開業しました。当時は殺風景な印象だったが、今は開発も進んでいるようです。京王では唯一、町田市にある駅です。

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橋本 はしもと
 JR駅の西側に高架駅で乗り入れ。相模中野方面への延伸の構想もあったが、立ち消え。都心へダイレクトに直結するターミナルとして機能しています。

競馬場線 東府中~府中競馬正門前

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府中競馬正門前 ふちゅうけいばせいもんまえ
 東京競馬場の前にある駅だが、駅名がどこかまだるっこしい。当時は国鉄の競馬場支線で東京競馬場前駅があったから名前を変えたのだろうが、今はこちらが東京競馬場前と変えても良さそうに思う。レース開催日は賑わうが、普段は区間運転が20分間隔、というのは当時も今も変わらない(ただし、ワンマン運転はまだ)。

動物園線 高幡不動~多摩動物公園

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多摩動物公園 たまどうぶつこうえん
 当時はモノレールが開通していなくて、動物園来園客の他に、平日は大学の学生の姿も多く見られた。多摩センター行のバスも頻発していたが、モノレール開通後は、再び行楽客の往来がメインになっています。手前の△屋根が旧レールランドで、この後駅舎共々全面リニューアルします。№1435で書きました。

高尾線 北野~高尾山口

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京王片倉 けいおうかたくら
 JR橫浜線の片倉駅とは少し距離があります。駅舎はこの後改築されます。

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山田 やまだ
 この駅舎も、後に改築されます。

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めじろ台 めじろだい
 これは確か、改築された直後の撮影ではなかったか。

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狭間 はざま
 この駅舎も、後に改築されます。京王片倉、山田、狭間の各駅は日中の停車回数が少なく(今は準特急が止まるが、当時は各停のみ)、乗降も多くはないが、いずれも駅舎の建て替えが行われています。

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高尾 たかお
 JR中央線との接続駅で、南側に高架駅があります。JRとは連絡通路で繋がっています。
 ここと高尾山口の間は単線。京王で単線なのは、この区間と動物園線のみ。

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高尾山口 たかおさんぐち
 行楽客で通年賑わう終着駅だが、今の目で見るとやや殺風景かも。近年、大幅な改築を行い、同時にスーパー銭湯もオープンしました。京王イチオシの観光駅。№1473で取り上げました。時刻の変遷は、№1486で書いています(2015(H27)年9月27日改正まで)

 次回は最終回、井の頭線です。

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 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 日航ジャンボ機墜落事故の現場の墓標の一部が、先日の台風24号の影響で流され、一時的に別の場所で保管しているものの、大量の倒木のため、今の所は元の場所に戻せるめどがたっていないそうです。山奥なので、保守・管理のご苦労は多いでしょう。

《今日のニュースから》
 7日 加計学園理事長会見 安部首相との面会 再度否定 
 8日 2022年ユース五輪はセネガル 初のアフリカ開催決定
 9日 「就活」ルール 2021年入社分から廃止 経団連決定・発表

 元横綱・輪島氏が死去しました。お悔やみを申し上げます。この所、、(先代)貴ノ花、北の湖、千代の富士など、70~80年代の大相撲を支えてきたスターたちが、相次いで亡くなられています。寂しいです。

№1909 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 京王電鉄.1

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 1990年代前半位の私鉄の駅の写真をご覧いただく不定期シリーズ、今回は京王電鉄です。
 京王は新宿~八王子間を結ぶ本線と付帯する支線、渋谷~吉祥寺間の井の頭線から構成されています。両線は出自の違いから、レールの幅や規格が異なり、同じ鉄道ながら異なった雰囲気を持っています。
 両線とも、平成に入ってから輸送力増強の改良工事が行われたが、車両の増結や規格の拡大によるもので、他鉄道のような、大規模な複々線工事のような事は行われていません。なので、京王八王子や府中などの立体化工事が行われた所は別として、基本的には、各駅の姿はあまり変わっていませんでした。
 しかし近年、調布付近の大規模な地下線化工事が行われた他、今後笹塚~仙川間の連続立体化が実現すると、各駅とも大きく姿を変える事になります。また、特に京王本線では、単独で改良された(特に橋上駅舎化された)駅が少なくありません。
 ここでは、姿かたちを変えた、またはこれから変えようとする各駅の、四半世紀くらい前の様子をご覧いただこうと思います。例によって撮影年月日が不明になってしまっているのは申し訳ありませんです。まだ「京王帝都電鉄」だった頃だったと思います。
 まずは京王(本)線です。

京王線 新宿~京王八王子

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新宿 しんじゅく
 京王百貨店の駅ビル。
 ホームは地下で、3面4線。

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 これとは別に、笹塚までの複々線、都営新宿線との相互直通電車が発着する新線駅のホームです。都営との共同使用駅だが、京王が管理しています。本駅とは連絡通路でつながっています。

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初台 はつだい
 地下駅。新線のみ停車。

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幡ヶ谷 はたがや
 地下駅。新線のみ停車。初台・幡ヶ谷は、複々線の新線開通時に、新線側に移転しました。両駅とも全列車停車。

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笹塚 ささづか
 複々線の終点。高架駅です。

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代田橋 だいたばし

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明大前 めいだいまえ
 井の頭線との接続駅。

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下高井戸 しもたかいど
 東急世田谷線との接続駅。

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桜上水 さくらじょうすい
 2面4線の緩急結合駅で、検車区がありました。この後、大規模な橋上駅舎に建て替えられています。

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上北沢 かみきたざわ

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八幡山 はちまんやま
 両側に通過線がある構造で、複々線化を想定していたものかと思えます。

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芦花公園 ろかこうえん

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千歳烏山 ちとせからすやま

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仙川 せんがわ
 当時は島式ホームでした。この後上り側にホームが新設され、駅舎も増築されています。

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つつじヶ丘 つつじがおか
 2面4線の緩急結合駅で、当時は、ホームへは地下で結ばれていました。現在は大規模な改築が行われ、駅ビルと橋上駅舎が造られています。№1262で取り上げました。

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柴崎 しばさき

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国領 こくりょう
 当時は地下駅舎でした。このあと地下線化されます。№1547で取り上げました。

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布田 ふだ
 この駅も当時は地下駅舎で、このあと地下線化されます。№1548で取り上げました。

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調布 ちょうふ
 相模原線分岐駅で、地平時代は平面交差、相模原線からの電車が八王子方面行きの電車の出発を待つため場外で待たされるシーンも、何度も見られました。

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西調布 にしちょうふ
 当時は上り線側にのみ駅舎がありました。この後橋上駅舎化されます。№1491で取り上げました。

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飛田給 とびたきゅう
 東京スタジアム(味の素スタジアム)オープン前は、単純な相対式の小駅でした。この後橋上化され、上りの待避線が造られています。

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武蔵野台 むさしのだい
 ここも当時は地下駅舎でした。後に橋上駅舎になります。№1349で取り上げました。

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多磨霊園 たまれいえん
(追記:2018(H30)年10月23日追加) この駅も、後に橋上駅舎になります。

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東府中 ひがしふちゅう
 競馬場線分岐駅で、競馬場線専用のホーム(1番線)もあるが、現在はあまり使われていないようです。ここも今は橋上駅舎化。

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府中 ふちゅう
 2面4線の緩急結合駅で、高架化工事が完成した直後位の撮影だったと思います。

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分倍河原 ぶばいがわら
 JR南武線との接続駅。確か撮影当時は、JRとの連絡改札はなかったと思います。

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中河原 なかがわら

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聖蹟桜ヶ丘 せいせきさくらがおか
 京王の本社ビルがあります。

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百草園 もぐさえん

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高幡不動 たかはたふどう
 動物園線分岐駅で、広大な検車区も併設されています。当時は、多摩モノレールはまだ開通していません。この後ここも橋上駅舎化され、駅ビルも造られています。。

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南平 みなみだいら
 ここも当時は地下駅舎。後に橋上駅舎になります。地下→橋上駅舎になるのは、地下のままでは拡張が難しい事、バリアフリー対策でエスカレーター・エレベーターを整備するにも橋上駅舎化した方が有利だろうと思われたからかと思います。

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平山城址公園 ひらやまじょうしこうえん

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長沼 ながぬま
 当時はどうだったか解らないが、今の京王では、2番目に乗降が少ない駅です(最少は府中競馬正門前)。

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北野 きたの
 高尾線分岐駅で、ここは高架化後も平面での分岐のままです。調布より本数が格段に少ないからでしょう。

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京王八王子 けいおうはちおうじ
 地下駅。地上に駅ビルが建てられています。

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 地下ホーム。1面2線。

 次回は、京王線に付属する支線、相模原線、競馬場線、動物園線、高尾線です。

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《今日のニュースから》
 5日 韓国・李明博元大統領 懲役15年の実刑判決 
 6日 打ち上げ花火地上付近で破裂 10人軽傷 土浦全国花火大会

№1908 バスマガジンvol.91(講談社ビーシー/講談社)

「バスマガジンvol.91」が先月末、発売になりました。
 表紙は福井駅前を出発する京福バス。

'18モデルの日野セレガ フルステージ試乗
 個人的に注目したのは、EDSSの装備。最近はドライバー不足と同時に、走行中のドライバーの急な体調不良で事故になったり、その一歩手前になった事態が、はっきり問題になってきているので。6月にも岐阜バスの観光バスでありました(EDSSと合わせて、NHK NEWS WEB「News Up」で今取り上げられている)。ただ、緊急停止を乗客に任せるというのは、まだ完全ではないかも(夜行運行中で乗客がみんな寝ている時とか)。鉄道のEB装置のようなものまで行ければいいのかも知れないが、EB装置は動作まで1分以上かかり、専用の走行路がなく、周辺に車両や障害物が多数ある道路となると、それでは遅いだろう。難しい。こんな装置が必要なくなるのが一番良いのだが。

インドネシアのステキなバスたち
 いすゞエルフNQR71ミディアムバスは、ずいぶん腰高。観光バスなのだろうか?NLR55LXバス共々、車内客室部の写真がなかったのが残念。どちらもMT。日野ポンチョEVは、墨田区の「すみりんちゃん」と同型のようだ。観光バスの顔つきは皆中国っぽい。
 インドネシアも日本の通勤電車が多数活躍するようになっているし、バスもBRTとかあって、一度行ってみようかと考えてもいるが、東南アジアは、他の地域と違う面が多々あるはずで、事前に十分な準備が必要そう。
(彼の地では大地震・津波に火山の噴火もあったそうで、人的な被害が甚大だが、バスがどの程度被害を受けているか、心配)

帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.23 神奈川県 Part2

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 前回に続いて神奈川県で、今回は地元資本を中心にした郊外部。
 この12年でどの事業者も再編成がかなりあって、神奈中は分社の「神奈交」5社が再編成、京急は分社(神奈川県は「橫浜京急バス」「湘南京急バス」)が京浜急行バスに一本化されています。江ノ電は先行分社の江ノ電バスは「江ノ電バス藤沢」、鉄道直営で残っていた横浜市地域が「江ノ電バス橫浜」と完全に分社になりました。
 相鉄も完全に「相鉄バス」に一本化されたが、深夜急行バスカラーは、これまでは当然深夜の運行で、明るいうちに公道を走る様子はほとんど見られないのだが、今夏に運行された橫浜~サマーランド間の高速バスに、この深夜急行車が運用されたらしい(相鉄は橫浜→サマーランドのみ)。今年の運行は終わっているが、来年も運行されるなら、撮影に挑戦してみたい。
 確かに、特に相模川より西側は田舎の路線も少なくはないのだが、神奈中バスの、東京へ直通する大手私鉄の駅からの路線でさえこの数年、整理が相次いでいるので、やはり厳しいなあ、神奈川も例外ではないなあと感じます。一方で富士急湘南バスが、これまで平日のみ運行だった新松田~ブルックス路線を毎日運転に拡大するなど、明るい話題もないわけではないが。
 東海バスオレンジシャトルの写真があるが、他に、伊豆東海バスが熱海から湯河原への乗り入れがあります。

おじゃまします バス会社潜入レポート Vol.91 京福グループ
 地元ではないのであまり語れる事はないが、一般路線車はこの数年、中古導入が大半だったが、大型の新ブルーリボンがはいったのか。旧京福電鉄線が連続正面衝突事故で全線で運転休止になった時、代替バス用に大量の中古車が入ったが、さすがにもうないようだ。早いもので、もう17年経っている。
 京福リムジンバスに描かれているJALのマークは、まだ「Arc of the Sun」なの?
「すまいる」はポンチョに代替されているようだが、先代車両は一般路線転用か。
 今後はやはり北陸新幹線の福井延伸が転換点になりそうだが、それがいつになるか。2020年福井暫定開業、という話も聞こえてくるが、時間が足りないのでは?

「しばり」のバス旅ミッション
 前回の茨城~上海の「しばり旅」のために香港までパスポート更新に行ったのはウソくさい、と書いたのだが、コストよりも、パスポートを更新しないと上海行の便に乗れない(残存有効期間が6ヶ月以上必要なのに、それを切っていた)ので、日本よりも短期間で更新できる香港まで行った、という事らしい。
 香港まで片道2,570円、復路にも同じ運賃があるから往復で5,000円強は確かに安いけれど、香港まで4時間位かかるのに、サービスレベルはどうなんだろう?LCCとはあってもどのキャリアかまでは書いてないし、機内のサービスの様子もいっさい書かれていないが、個人的には敬遠、かなあ。韓国くらいの距離ならいいだろうが。
 バスから離れるが、パスポートの更新の話が興味深かった。何しろ12年前、シドニーでパスポートを紛失して、在外公館の方に多大な迷惑を掛けた前科があるので。「帰国のための渡航書」も、本来は3~4日かかるところ、休日をつぶして渡航書作成に費やして頂いた、非常に申し訳ない経験でした。
(「国内申請より遙かに早い」のは、本国と比べたら申請者数は遙かに少ないだろうから、当然だとは思う)
 香港のバスには6年前に乗っているけれど、運賃制度は気づかなかった。オクトパスカードを使っていたからだろうが。という事は、途中のバス停を利用する場合、同じ区間でも行きと帰りで運賃が異なる場合がある、という事だろうか?
「地下鉄ばかりの観光はもったいない」というのは同感で、要は地下鉄・バス・トラム、それにここには出てこなかったが、郊外の軽鉄道をうまく組み合わせるのがベストでしょう。

鈴木文彦が斬る!バスのいま 第17回
 今号で、西日本豪雨で被災し不通になった鉄道の代替バス輸送について言及したのは、このコラムだけでした。ほぼ輸送体制についてテキストが割かれ、具体的な提言は最後の方のみ。あらかじめ開催が解りきっている大規模イベントは事前に計画を立てる事が可能だが、災害時の代替輸送は、バス会社自体も被災してしまう事が多いし、代替の道路も被災する上(北海道の地震や先日の台風では、大規模な信号の停電も起きているし)、残された道路も大渋滞が避けられなくなるため不確定要素があまりにも多く、出だしの計画づくりからして困難が伴うのは、仕方がない部分もあるかと思う。地域規制については、東日本大震災の時の臨時高速バス運行がある程度柔軟に出来たので、この点は今後も期待して良いのではないだろうか。本当はこんな事が起こらないのが一番なのだが、年毎に災害の規模が大きくなっていくのが、非常に不安…。

終点の情景を求めて
 北海道・礼文島のスコトン。「スコトン」とは北海道らしい地名だが、どういう由来があるのだろうか?宗谷バスはもう東急グループではないが、車両供給面ではまだ結びつきが強そうで、東急バスそのまんまのノンステップ車もあるようだし、「礼文島ようこそ」のラッピング車は、新横浜~溝の口間で走っていたワンロマだったのではないか?
 礼文島は利尻島と違って空路がなくなってしまったので、まず、島にたどり着くのが大変そうだ。

 サンフランシスコのケーブルカーって、今は観光用なの?7$とは高い。いつかシスコに行って、ケーブルカーも、とは思っているのだが、ちょっとガッカリ。地元の足が観光客向けになってしまうとこういう事になるのは、どこでも同じなのだろうが。Orion Bus Ⅶは、構造がエアロスター・ノンステップみたいだ。

 黒部のトロリーバスは、開業は1954(S29)年だが、現行の車両は1993(H5)年製で、ちょうど四半世紀。新しいEVとの仕様の比較があるが、モーターの出力が倍近く違うのが少々驚きだった。今回は特殊な用途になるが、これが橋頭堡となって、日本のバスのEV化が進む事になるのだろうか。1996(H8)年にディーゼルバスからトロリーバスに転換した立山黒部貫光も、3年後に転換25周年となって車両の置き換えを検討する時期になるが、やはりEVバスへ転換になるのだろうか。

 ここのところは前号の予告通りに誌面が展開できているが、次号はCNGバスが予告されている。そういえばこの所、CNGバス新車導入、のニュースはとんと聞かなくなりました。EVや燃料電池バスの導入が本格的になるようなら、先行きは厳しくなるのかも。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
 3日 関西地域デパート5社 カルテルで課徴金 
 4日 ベトちゃんドクちゃん分離手術30年 ベトナムで記念式典