№1903 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 19.西鉄天神大牟田線 花畑駅<前>

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 先月の「私鉄名車列伝」では、西鉄7000形について書きました。7000形は6050形をベースとした4ドア通勤車ながら、甘木線での運用も考慮した、ワンマン運転に対応した設計になっています。
 甘木線は天神大牟田線宮の陣から甘木に向かう支線だが、全列車が久留米方面へ直通します。過去には旧式の小型電車200形が運用され人気だったが、平成に入って600形に置き換えられ、ワンマン化されます。そして2001(H13)年より運転系統の変更により、大牟田までの直通運転が基本となって、同時に7000形(後には7050形)も投入されて、順次600形を置き換えていきます。
 運転系統変更までは、甘木線列車は(線内区間運転を除いて)花畑駅発着でした。花畑駅構内には甘木線線用の留置線があり、200形、後には600形を見る事ができました。しかし21世紀に入ると連続立体交差工事が行われて高架駅となり、同時に一気に特急・急行の停車駅に出世する事となりました。
 という事で、過去の天神大牟田線の時刻を振り返るとき、ターミナルの西鉄福岡(天神)も良いが、花畑が天神大牟田線・甘木線両方の時刻を見る事、同時に、特に南部の区間の輸送状況がどのように推移していくのかを知る事が出来て良いのではないかと考えました。なので、今回は花畑駅の時刻表から、西鉄のダイヤを回顧してみたいと思います。
 平成に入ってから、天神大牟田線系統は17回のダイヤ改正を行いました。その全てを、2回に分けて見ていきたいと思います。

 まず参考として、1989(H元)年9月1日現在の、特急・急行停車駅を記してみました。

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 特急急行とも、今より停車駅がかなり少なくなっています。
 当時は、路線名は単純に大牟田線、始発駅も西鉄福岡、でした。土曜日は平日と同じ時刻です。
 大牟田線、は、久留米より南に単線区間があります。なので、下りで時刻が変わると、行き違いで上りにも反映されて時刻が細かく変わっていきます。特急は部分的に複線化されている区間ですれ違うようにダイヤが組まれているから、通常は、運転停車は発生しない。

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1989(H元)年9月1日改正
 この年は福岡で「アジア・太平洋博覧会」が開催され、それを踏まえて3月1日にダイヤ改正が行われていました。8000形はこの改正でデビューしています。また、甘木線の200形の600形置き換えが、この少し後から始まりました。
 この時刻はこの9月に修正されたもので、下大利に急行が停車しています。
 当時は、日中は特急急行とも30分毎、急行は朝方と深夜の特急運転時間帯の前後を除いて、全区間通しで走る列車はなく、久留米または二日市から普通になる列車がほとんどでした(ただし休日の夕方に1本、特急に挟まれる形で、福岡→大牟田間1本の運行があった)。日中の急行は福岡~津福間の運行で、久留米~津福間は普通です。
 それと、正式な種別ではないが、直行という列車がありました。福岡を発つと終点までノンストップという、回送の客扱い的な性格で、平日朝方の下りに二日市行と春日原行がありました。
(当時は普通で春日原折返しがあった)
 甘木線は、1往復(北野~甘木)を除いて花畑発着、平日は甘木発着39往復、本郷折返し3往復、北野折返し1往復、合計43往復、休日は甘木発着39往復がありました。

 花畑駅は当時は普通のみの停車でした。福岡~大牟田間通しの普通、福岡~津福間の急行(久留米~津福間普通)、甘木線が30分サイクルで運行されていました。
 甘木線は10月1日からワンマン化されています。

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1991(H3)年3月27日改正
 大牟田発の普通初発の前に、5時15分発急行が設定されました。折返しで福岡6時30分発特急も増発されています。
 花畑発着では、津福折返しの普通(福岡~久留米間急行)の大半が、大善寺まで延長されました。
 甘木線は、甘木行最終の後に北野行最終が増発されています(甘木→北野最終は花畑まで延長)。この電車は宮の陣で、福岡発最終急行から接続。

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1992(H4)年3月25日改正
 三国ヶ丘駅が開業しました。朝ラッシュ時の上り急行で、8連運転を開始しています。
 下り花畑行の増発があったが、花畑発に関しては、修正程度か。

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1993(H5)年8月28日改正
 西鉄福岡駅で改良工事が始まり、1線を閉鎖して2線での発着になりました。折返し時間が短くなり、6000形はこの工事に対応するため製作されたものでした。この改正で30両の勢力になっています。
 夜間を中心に、急行の増発・延長などが行われました。
 花畑発着では、二日市までの最終が23時台に繰り下げられています。

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1995(H7)年3月25日改正
 高架化された薬院駅が、特急急行停車駅になりました。
 花畑発着では、夕方の福岡発急行の運行区間延長により、普通が増発になっています。

 1997(H9)年1月15日、三潴~大溝間が複線化されました。

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1997(H9)年9月27日改正
 この改正から、土曜日は休日ダイヤと統合しました。
 工事の進捗により、福岡駅も再び3線に戻りました。
 筑紫が新規に急行停車駅になりました。
 日中は福岡~小郡間で急行が増発しました(筑紫~小郡間は普通)。福岡発着の急行は、日中は毎時4本になりました。
 花畑発着では、朝夕に設定されていた、二日市から急行となる列車が、筑紫から急行に変更となりました。
 甘木線は、土休日ダイヤの朝方、花畑~本郷間で3往復増発。日中は宮の陣で福岡発着急行との接続が図られました。

 翌1998(H10)年より、花畑駅付近の連続立体化工事が始まりました。

 1999(H11)年4月、西鉄福岡駅の再開発事業が完成し、「ソラリアステージビル」としてオープンしました。ショッピング・レストラン機能の他、天神バスセンターが3Fに移転し、日本最大級の高速バスターミナルとなりました。

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1999(H11)年4月24日改正
 これまで平日朝ラッシュ時の上り急行は下大利・春日原・大橋を通過としていたが、この時間帯を縮小し、3本がこの3駅に新規停車する事になりました。

 ここまで、20世紀の間に行われた平成のダイヤ改正を、おおざっぱに振り返りました。
 次回は21世紀に入ってからここまでに行われたダイヤ改正を振り返ります。駅自体も変わるし、ダイヤの形態もまた、特に普通電車が甘木線も絡んで、大きく変わります。

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 香港~広州間の高速鉄道が明日開業、今日はそれを前に記念式典が行われました。香港側のターミナル・西九龍駅は、私が6年前に香港を旅した時には大規模工事の真っ只中、まだまだ時間が掛かりそうだと感じていました。これで広州まで最速47分で行けるようになるそうだが、越境施設が香港側に設けられた事で、抗議行動も行われているようです。来年は天安門事件から30年になるため、大きな騒動の基になったりしないか、やや心配。色々な意味で、何事もない、安全で安定した運行が成される事を望みます。

《今日のニュースから》
21日 ベトナム チャン・ダイ・クアン国家主席死去
22日 横綱白鵬 41回目の優勝 史上初 幕内1000勝

№1902 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 西武鉄道.4

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 昔の西武の駅をご覧頂くシリーズ、最後は新宿線の支線と新交通システムの山口線、そして独立した落下傘路線の多摩川線です。

拝島線 小平~拝島

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萩山 はぎやま
 多摩湖線接続駅。

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小川 おがわ
 国分寺線接続駅。

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東大和市 ひがしやまとし

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玉川上水 たまがわじょうすい
 撮影時点では、多摩モノレールはまだ開通していませんでした(今はこの背後に高架駅舎がある)。2面3線で、車両基地があります。ここから単線になります。

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武蔵砂川 むさしすながわ
 ここから西武立川までの一区間だけ、複線に戻ります。

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西武立川 せいぶたちかわ
 JRの立川駅とは、全く別の場所にあります。

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拝島 はいじま
 撮影当時は東西別々に駅舎があり、東側が西武、西側がJRの管轄だったが、中間の改札などはなく、自由に往来出来ました。今は橋上駅舎となって、西武とJRで改札が分離されています。


国分寺線 国分寺~東村山

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国分寺 こくぶんじ
 この駅の時刻表の変遷は、№1432で書きました。3年も前だが。出自の違いで、国分寺線と多摩湖線のホームは別々になっています。こちらは北口だが、区画整理が思うようにいっていないようで、撮影当時も今も駅前広場は雑然としていて、西武バスは多摩湖線ホームの傍らの狭いターミナルに発着、一車線の専用道路で出入りしています。

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恋ヶ窪 こいがくぼ

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鷹の台 たかのだい


西武園線 東村山~西武園

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 西武園競輪場が近く、競輪開催日には西武新宿発着の急行もあったので2面3線と広くなっているが、通常は閑散としています。この駅は東京都東村山市にあるが、競輪場は埼玉県所沢市になります。


多摩湖線 国分寺~西武遊園地

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一橋学園 ひとつばしがくえん
 この駅は2つの駅を統合して出来たので、小駅ながら南北に駅舎があります(これは南口)。昔はラッシュ時に、ここで折り返す列車の設定がありました。

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青梅街道 おうめかいどう

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八坂 やさか
 築堤上の駅で、駅舎は後に改築されているが、棒線のまま。
 ここを出ると、国分寺線と交差します。同じ鉄道なのに交差地点に駅がないのは、私鉄では珍しい。確かここだけ。その先が一部複線になっているのだが、回田(めぐりだ)信号場という、単一の信号場です。

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武蔵大和 むさしやまと

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西武遊園地 せいぶゆうえんち
 山口線の乗換駅で、階段の上り下りなしに乗換が出来ます。山口線乗り場はトンネルの中です。


山口線 西武遊園地~西武球場前

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遊園地西 ゆうえんちにし
 棒線の駅。この先に東中峯信号場があり、野球開催日などに行き違いがあります。


多摩川線 武蔵境~是政

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武蔵境 むさしさかい
 当時は橋上駅舎で、JRに委託していました。中央線快速の下りとは、同じホームでの乗換が出来ました。後の高架化で分離されています。

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新小金井 しんこがねい

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多磨墓地前 たまぼちまえ

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北多磨 きたたま
 今の白糸台。車庫があります。
 この南で、京王線と交差します。西武が京王より南を走るのは面白い。

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競艇場前 きょうていじょうまえ
 橋上駅舎になっているのだが、当時は行き違いが出来たのだけれど、今は1線撤去して、棒線化されています。

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是政 これまさ
 棒線は変わっていないが、駅舎は改築されています。なおJR南武線の駅は、多摩川を渡った南多摩が一番近いです。

 という事で、4回に渡って、1990年代前半くらいの西武線の駅をご覧頂きました。例によって、撮影日を特定できず、資料性という点では難があるのはご了承ください。
 当時の西武は、JRとの共同使用駅がいくつか見られたのが目につきました。昔から貨物輸送もやっていたので、旧国鉄との親和性があったのでしょうか。今は全て分離されているが。
 このあと池袋線は高架複々線化、相互直通運転の規模の拡大などで各駅とも姿を変えていく事になるし、新宿線はやや遅れている感もあるが、こちらも駅によっては、今後大きく変わるでしょう。特に高架化工事真っ只中の東村山と、地下線化される事になる新井薬師前・沼袋(地上の駅を地下に移すのは、西武では初)はどのような形になるのか、期待して工事の完成を待ちたいと思います。その他の駅の変化も、列車の運転形態共々、注目していきます。

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《今日のニュースから》
19日 従業員雇用飲食店は原則禁煙 千葉市の条例可決・成立
20日 旭岳 初冠雪 平年比5日 昨年より10日早

 北海道は、いよいよ冬が間近に迫ってきたようです。道内の電力事情は大丈夫か。「あいつが悪い、こいつが悪い」言っている場合ではない。関東も明日は雨で、寒そう…。

№1901 ひと昔・ふた昔前 私鉄の駅 西武鉄道.3

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「ひと昔・ふた昔前」の西武鉄道の駅、3回目は新宿線です。
 新宿線もまた西武の幹線の一つ、ではあるのだが、池袋線とJR中央線に挟まれた微妙な位置にあるためか、輸送量はやや少なめ、従って本数も池袋線に比べると若干少なくなっています。今回の写真の大半を撮影した時期である1990年代前半には、それでも地下に急行線を通して複々線化する計画もあったが、結局取り止めとなった経緯もあります。そういう事もあってか、高架化まで行った池袋線と比べると、構造自体はそれほど変わっていない駅がほとんどです。

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西武新宿 せいぶしんじゅく
 他線との直接の接続がない独立したターミナル。そのためか、乗降人員約18万人(2017(H29)年度)は、大手私鉄のターミナルとしては少ない。ただ、阪神の梅田が約16万5千人だから、決して閑散としているわけではない。関東では少ない方、という事だけ。プリンスホテルが入っています。

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高田馬場 たかだのばば
 こちらの方が、乗降人員は圧倒的に多い。

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下落合 しもおちあい

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中井 なかい
 のちに都営大江戸線が接続する事になるが、駅は別々で、連絡通路が造られたとかはしていない。真ん中に通過線を持つ2面4線構造。

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新井薬師前 あらいやくしまえ

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沼袋 ぬまぶくろ
 ここは上下共用の通過線がある2面3線。時間帯によって使い分けているのは変わりません。
 新井薬師前と沼袋は、連続立体化により、いずれ地下駅になります。

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野方 のがた
 この後橋上駅舎になります。№1082で書きました。

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都立家政 とりつかせい

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鷺ノ宮 さぎのみや
 2面3線で、下りのみ待避があります。今も同じ。

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下井草 しもいぐさ

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井荻 いおぎ
 上下の駅舎が別々で(今もそう)、当時はこんな田舎然とした木造駅舎でした。上りのみ通過線があり、待避も行われています。

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上井草 かみいぐさ
 駅前にガンダムのブロンズ像が造られる事になるのは、ずっと後の事。
(製作したスタジオ・サンライズがすぐ近くだから)

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上石神井 かみしゃくじい
 車両基地があります。2面3線。ここで折り返す各駅停車が多い。

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武蔵関 むさしせき

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東伏見 ひがしふしみ
 西武新宿から来ると、私鉄では一般的な2面4線の配線の駅は、ここが初めてになります(ただし急行は通過なので、緩急結合は行われない)。

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西武柳沢 せいぶやぎさわ
 わざわざ「西武」の2文字がついています。国鉄→JRに柳沢という駅はなかったのだが。
(長野電鉄と十和田観光電鉄にあったが、どちらも今は廃止)

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田無 たなし
 ここも2面3線で、各駅停車の一部はここで折返し。
 高架複々線化前の池袋線もそうだったが、西武では、大手私鉄では一般的な、上下同時に緩急結合が行える2面4線構造の駅は、多くはありませんでした(池袋線も撮影当時では、各駅停車しか止まらない江古田の次は、ひばりヶ丘までなかった)。当時の西武は、急行運転に適した線路配線にはなっていなかったと思います。

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花小金井 はなこがねい
 このあと橋上駅舎になります。

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小平 こだいら
 拝島線分岐駅。

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久米川 くめがわ

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東村山 ひがしむらやま
 国分寺線が合流し、西武園線が分岐する駅。現在、高架化工事中です。

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所沢 ところざわ
 新宿線と池袋線が接続する、西武有数の大ターミナルです。西口の駅ビル。

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 こちらは東口。西武鉄道本社も、駅前にあります。

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 ホームは3面5線。新宿線が2線、池袋線が3線。池袋線の下りのみ、待避があります。
 この後所沢駅は、地域密着に舵を切る新生西武の象徴として、抜本的に改築される事になります。

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航空公園 こうくうこうえん
 戦前開業の駅が大半の新宿線にあって、ここは1987(S62)年5月28日開業と、新宿線では一番新しい駅です。駅前に旧ANKのYS-11が展示されています。

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新所沢 しんところざわ
 2面4線。ここを終着とする列車が多く、ここと入曽の間に南入曽の車両基地があります。

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入曽 いりそ

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狭山市 さやまし

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新狭山 しんさやま

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南大塚 みなみおおつか
 かつてはここから安比奈貨物支線が分岐していました。一時は車両基地への引き込み線として活用する、という案もあったらしいが、立ち消えとなりました。
 終点本川越の間に脇田信号場があり、単線となります。
(川越線・東武東上線との交差地点が単線のままなので)

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本川越 ほんかわごえ
 他線との接続がない、独立した終着駅。1面2線だったが、特急〔小江戸〕運行開始の後、真ん中に特急専用の線路が設けられました。東武東上線の川越市駅が比較的近い。

 次回は新宿線に付属する支線、それと山口線、それに落下傘路線の多摩川線です。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 今日ではなく昨日の事になるが、旧新橋停車場 鉄道歴史展示室で行われている「没後20年 工業デザイナー 黒岩保美」の展示に行ってきました。国鉄の車両設計事務所に在籍し、車両のカラーリングやマークのデザインなどを手がけられた方で、アートの世界でも活躍されたそうです。
 撮影禁止なので写真とかはないが、展示室そのものがあまり広くはないので展示物がわんさか並ぶという事はなかったのだが、かなり興味深い展示もありました。「ビジネス特急」(151系〔こだま〕)のカラーデザイン案というのもあって、その中に、後の581・583系で採用される青+クリームの案もあったのは少々驚きでした。20系客車もブルーでない案があり、これになっていたら、「ブルトレ」なんて言葉は生まれる事はなかった。
 真ん中に寝台特急〔ゆうづる〕のヘッドマークがドンと置いてあって、マークのデザインに関する話も書かれていました。〔はくつる〕との差別化もあって、特に当時の常磐線は非電化区間も長くてC62牽引だったから、黒いSL牽引で映えるようにオレンジ色にした、という事でした(上野口のEF80牽引時はあまり冴えなかったが、あまり気にしなかった、との事)。SL牽引を前提としたオレンジ色、だったという事でしょうか(「夕鶴」でもあるからだろうが)。ヘッドマークには鶴2羽案もあったそう(後の583系や24系のマークは2羽)。黒岩氏の「最高傑作」の一つ、だったか。日記まであって、貨車にまで携わっていて(「たから号」とか)、かなりハードワークの日々だった事も伺えます。
 アートという点では、「フライング・スコッツマン」が描かれたサントリーウイスキーの広告(1991(H3)年)も掲げられていました。
 昔と今では状況が完全に異なるので比較はしないけれども、昭和30~40年代、国鉄がひたすら輸送力増強に明け暮れていた時代にあっても、なお鉄道利用の意欲をそそるような車両デザインの考案に関わり続けた(それも国鉄内部に)方がおられた、この事は知っておくべきでしょう。鉄道史の隠れた「偉人」だと思いました。
 最近の「観光レストラン列車」とかも良いけれど、行けるものなら昔に行って、151系〔こだま〕とか、20系〔あさかぜ〕なんて、乗って見たいと思いました。今と比べたら決して快適ではないのかも知れないけれど、今の私にはそちらの方がむしろ魅力的にも感じます。国鉄→JRに限らないが。
 展示室は、「鉄」の姿はいなくて、むしろやや年配の女性の姿が多かったのが印象的でした。10月14日まで行われているので、まだの方は是非。
(入館無料 通常は月曜日休み 昨日のように月曜が休日になると翌日が休み)

《今日のニュースから》
16日 ベルリンマラソン男子 キプチョッゲ優勝 2時間1分39秒の世界新記録
17日 福島県飯館村 明治大学と農業再生事業で協定
18日 職員残業代30年以上未払い公表 神奈川県二宮町