東京パラリンピックまであと2年、というこの時期に突如相次いで発覚した、中央省庁などの障害者雇用水増し。政治的にどこまで後を引く事になるのか。国民的コミックの原作者の突然の訃報に、静岡のみならず日本全国が涙、涙。相変わらずの殺人的猛暑に相次いで襲来した台風。8月はどのような事が起きたのでしょうか。
1日 パリ・エッフェル塔 ストライキで閉鎖
2日 KDDI 「食べログ」(カカクコム)と資本業務提携
3日 イギリス揚陸艦アルビオン 東京晴海ふ頭寄港
4日 南北離散家族 再会事業再開に向け参加者名簿交換
5日 高波被害の熱海市ホテルレストラン 営業再開
6日 サッカー本田圭佑 豪メルボルン移籍発表
7日 野田総務相 閣僚給与全額返納の意向表明
8日 沖縄県翁長知事 死去
9日 ヤマトホームコンビニエンス 過大請求 国土交通省立ち入り検査
10日 車イスラグビー世界選手権 日本金メダル
11日 鷲宮神社 鳥居の柱崩壊
12日 的場文男騎手 7152勝目 地方競馬最多勝記録更新
13日 国民民主党 津村啓介衆議院議員 代表選出馬を表明
14日 慰安婦問題 少女像 台湾・台南市に設置
15日 リオ五輪代表選手に暴力 コーチ無期限登録抹消
(その後代表選手が処分軽減を要求し、体操協会のパワハラ問題に発展)
16日 倉敷市真備支所 41日振り全業務再開
17日 日本貨物航空 改善措置報告書提出
18日 飛騨川バス転落事故から50年 慰霊塔前で法要
19日 「ピアノの駅プロジェクト」 新鳥栖駅でオープニング演奏会
20日 朝鮮半島南北離散家族再会事業開始 約3年振り
21日 デパート売り上げ 2ヶ月ぶり減少 猛暑影響で来客減少
22日 中国スマホメーカーOPPO 新端末「R15 Pro」「R15 Neo」発表
23日 女性戦闘機パイロット誕生 航空自衛隊初
24日 オスプレイ 佐賀空港配備 佐賀県知事受け入れ表明
25日 智弁和歌山 高嶋監督 退任記者会見
26日 新宿駅ホームでアルミ缶破裂 女性ケガ
27日 ロヒンギャ迫害問題 国連調査団 ミャンマー軍指令官ら訴追要求
28日 多摩市ビル火災 安藤ハザマ本社家宅捜索
今月はこの他、アップル時価総額が1兆ドル突破、大阪の警察署から容疑者逃走、太陽探査機「パーカー・ソーラー・プローブ」打ち上げ、徳島阿波おどりが運営対立の中開催、山口県で行方不明の2歳男児無事発見、大阪桐蔭高校が初の2度目の甲子園春夏連覇達成、アナン元国連事務総長・マケイン米上院議員死去、イタリア・ジェノバで高架橋崩落、携帯電話料金論争、などがありました。
外国の経済に関する大きなニュースが相次ぎました。国家体制を揺さぶるのは、政治的思想・心情ではなく、結局の所は経済、つまりはカネ、だよね…、と、この頃はつくづく思います。「米中貿易戦争」に関しては、乱暴な意見が許されるなら、米中二ヶ国だけが敗者になるのが望ましい。でないと、下手にどちらかが勝つと、勝者がこれをかさに着て他国にグリグリ圧力をかけてきそうで怖い。
今日、岡山県内のJR西日本が、全線で運行を再開しました。これでJR西日本に限ると、西日本豪雨による不通区間は、812.0㎞→304.9㎞にまで減少しました。来月には山陽本線や呉線の再開により、広島~呉間の県内二大都市を結ぶ鉄道が復旧する他、在来線としては孤立していた広島地域が、西側で再び結ばれる事になります。京都丹後鉄道も先日、全線で再開しました。来月にはJR四国も全線で再開できる見込みです。芸備線では、平成の世の内には復旧できなさそうな区間もあるけれど、ともあれ少しずつでも、早い再開により、鉄道ネットワーク全体が復旧する事が望まれます。
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《今月この1枚》
27日、川崎市多摩区のJR南武線登戸駅・生田緑地口前で撮影した、川崎市営バスの新エルガです。藤子・F・不二雄ミュージアムのシャトルバスで、「ドラえもん」を中心にした、藤子コミックのキャラクターがラッピングされています。。「川崎200き2112」の登録番号はドラえもんの誕生年からきているが(ミュージアムシャトルは皆同じ)、という事は、これから産まれる子供達は、ドラえもんの誕生をライブで目の当たりにする事ができるかも知れない?もう100年切っているのだから。
道路事情(特に登戸駅近辺)もあるのか、当初はポンチョも使用されていたミュージアムシャトルだが、やはり日によっては小型では捌ききれない事もあったようです。夏期は平日も土休日ダイヤで増発運行だが、特に入館指定時刻(ミュージアムは完全予約制で、1日4回の入館時刻が指定されている)近くの便では、積み残しも発生しています。現在この車両以外はエルガミオだが、いずれ代替時期には大型化、という方向になるのでしょうか。いずれミュージアムシャトルバスも全車両、他社のアニメラッピング車同様に、前後左右を押さえて公開したいと考えています。
(この日は「エスパー魔美」が運用されていなかった)
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
東北・北陸でまた豪雨…。特に山形・秋田の県境付近が酷いようで、この付近の在来線は、少なくとも明日・明後日までは運行ができない模様。今の時点で早々に、明後日まで走らないと言っているのだから、とてつもなく凄まじい雨なのだろう。山形新幹線は山形~新庄間が明日朝までは運転を見合わせると発表になっています。また大災害で長期不通、なんて事態にならない事を、この場ではただ祈るのみ。
《今日のニュースから》
29日 ロシア・プーチン大統領 年金年齢引き上げ見直しを表明
30日 アジア大会男子400mリレー 日本20年振り金メダル
31日 辺野古埋め立て承認 沖縄県が承認撤回
来月の沖縄県知事選挙は、衆議院の解散がなければ、今年最大の選挙イベントになります。どういう方向に向かうのか。
来月から週3回(火・木・土)更新に戻します。明日も更新します。
№1892 昭和の路線バス オールカラー ララバイ(ネコ・パブリッシング)
「バスグラフィック外伝」と称し、去年発刊された、昭和のバスを並べた「バスグラフィック」の姉妹誌の第3弾。今回は主に、首都圏の10事業者の、特に昭和の「モノコック」車両がカタログ形式でふんだんに並べられています。
特に、序盤の都営バスと東急バスが手厚い。共に16ページ。
都営バスは、白+水色帯の「美濃部カラー」、黄色(ここではマルーンとしているが)+赤帯の「スズキカラー」、白地に緑+グレーの「ナックルカーブ」に分けられている。それと、廃止になった大塚・目黒両営業所と今井支所(今井支所は、前身はトロリーバスの車庫だったはずだ)。ナックルカーブの方が見ている期間が長くなったはずなのだが、やはり都営バスというと、「美濃部カラー」の印象が強いです。先日エルガで復刻したけれど、やはりラッピングでなく、全塗装で本気を出して欲しかった(他のカラーもだが)。
あとは「グリーンシャトル」初代車両がどこかで出てきたら嬉しかったが(「昭和青春バス紀行」にあるが)。
東急バスは、車両そのものもだが、新羽営業所の写真が多かったのがウレシイ。このブログをスタートさせた当初に、新羽のバスで通学していた頃の思い出話を書いていたもので。車庫の片隅に廃車車両を置いていたのも、何度も見ました。他所からの車両も多かった。東急は、首都圏では最後まで「サイド板」を使っていたのが特徴で、正面の系統板もだが、本来、ドライバーが交換するものだから手間ヒマかかって面倒なもののはずで、逆に言うと、東急バスは、複数の系統を同じ車両・同じ運用で賄う事がほとんどなかった、という事でしょう。小学生の時の新羽もそうだったのだから。
その他で言うと、京王は、中型系も大量に導入された現代と違って、長尺の車両、しかも3ドアが目立つのが注目。特に桜ヶ丘〔営〕は、今は確か全部が中型系なので。モノレール開通はるか前で、需要が極めて多かったという事。こちらは、復刻が全塗装なのがウレシイ。
国際興業はほとんどがモノコックで、このウグイス色だったらやはり「KKK」だろ?とは思うのだが、国際情勢で消さざるを得なかった事情はあるにしろ(悪名高きアメリカの白人至上主義団体の略称と同じなので)、やはり残念。
東武は、今でも東武バスとして走っている路線の車両がほとんどのようだが、首都圏では珍しい前後扉車が多いのは、やはり長距離路線が主体だったことがあるのか。今の埼玉県の登録番号は「大宮」「所沢」「熊谷」「春日部」「越谷」「川越」と分かれているが、昭和40年台までは全県で「埼」の1文字で通用していたのか?
京成は、やはり京成車体だよね。同じバス窓でも、他メーカーとは大分違って、車体だけでなく、窓の開口部も「かまぼこ」状だ。一方でリアの行先表示部あたりの形状は、オリジナルの西工ともまた違っている。
京急は比較的新しく、スケルトンの5Eも見られる。いすゞのナロー車が多かったのも特徴的で、首都圏で大量に導入していたのは、京急ぐらいだったかも知れない(他に相鉄などで見られたが)。
逆に横浜市はテキストにもあるように大分古く、まだスケルトンが発表になっていない時期だ。北村車体は日デも本牧〔営〕あたりにあったような気がするが、写真はなかった。0-4758の写真の左にある三角屋根は、旧市電の工場ではないか?
(生麦〔営〕は、以前は市電の車庫だった)
神奈中は、北村車体、「なまず」にモデルチェンジする前のかまぼこ状のモノコックだが、2段サッシ、冷房車とは貴重だ。首都圏では神奈中だけだったはず。方向幕が皆横長で、電動での切替だから、こちらは皆比較的新しいが、「バスカード取扱車」のプレートが懐かしい。となれば、夏場の「ペンギンマーク」(冷房車)も見たかった?
車両そのものもだが、表示されている行先も、ものによっては興味深い。車庫内の撮影で「回送」が比較的多くなっているものの、それでもなくなってしまった行先も結構見られる。
全体的には、事業者によって撮影されている車両の年式に差が見られ、とことん古い所と、割と新しい所が混在しているように見えるが、ともあれ、今ほどバス撮影が一般的ではない(ましてデジタルなんて夢のまた夢)だった時代に、これだけの車両の記録が残され、今こうして眺める事ができる、という、ウレシイ1冊であるのは間違いないでしょう。昔のバスをふんだんに見たい向きにはオススメの1冊だと思います。
今後は、今回発表がない(過去の「バスグラフィック」で取り上げられている所もあるだろうが)西武バスや関東バス、臨港バス、相鉄バスあたりも、いずれかの機会に取り上げられる事を、大いに期待します。
それにしても、モノコックの路線バス群、もう一度乗りたいよねえ。大半は非冷房車だから、今の感覚では夏場に乗るのはややシンドく感じるかも知れないが。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
「ちびまる子ちゃん」原作のさくらももこ先生が亡くなったと、昨日発表がありました。お悔やみを申し上げますが、53歳って、早すぎます(そういうお歳だったんだ)。静岡鉄道からもお悔やみのリリースがありました。「ちびまる子ちゃん」ラッピング電車、今年の正月に撮りに行きました。運行あと1年延長と、先月リリースがあったばかりだったのだが。
《今日のニュースから》
26日 新宿駅ホームでアルミ缶破裂 女性ケガ
27日 ロヒンギャ迫害問題 国連調査団 ミャンマー軍指令官ら訴追要求
28日 多摩市ビル火災 安藤ハザマ本社家宅捜索
今月は火・土の週2回更新でやってきて、本来なら今日が今月最後の更新になるが、8月はまだ3日残っていて、最後とするにはやや早い。なので31日金曜日も更新し、「今月のできごと」を振り返ります。その後9月は、週3回(火・木・土)更新に戻す予定。
№1891 鉄道ピクトリアル2018・8月臨時増刊号 【特集】東武鉄道(鉄道図書刊行会)
鉄道ピクトリアル誌の臨時増刊、東武鉄道(東武)の特集号が先月発売になりました。少しおそくなってしまったが、ここで取り上げます。
表紙はこの新特急車「リバティ」500系と、日比谷線直通用の70000系。
東武鉄道は「ピクトリアル誌」の世界では人気が高いのか、臨時増刊の特集は比較的コンスタントに刊行されていて、平成に入ってからは1990年12月(表紙はスペーシア)、1997年12月(複々線を走る30000系)、2008年1月(JR485系と交換するスペーシア)と、7~10年のスパンです。この他「アーカイブス セレクション」シリーズで2回刊行されているが、「23 1960~70」は早々に売り切れとなった模様で、在庫もないそう。大きな書店にもないしなあ。可能なら欲しいのだけれど。
総説:東武鉄道
この10年間で最大の出来事はやはり、スカイツリーとスカイツリータウンの開業、でしょう。
野田線(アーバンパークライン)で複線化が進行中だが、私鉄で今、他に複線化工事を行っている路線はないはず。東武は新路線がほぼなくて、押上~曳舟間以外は全て戦前の開通なのだが、一方で在来路線の複線化・複々線化が高度成長期から相当進みました。元々はローカルの要素が濃かった路線で、急速に都市化が進んでいる、それは東武に於いては現在進行形、という事でしょう。本当はせめて野田市~運河間も複線化するべきだと思うのだが。
東武鉄道の鉄道事業を語る
(東武 都筑 豊 鉄道事業本部長×今城 光英 大東文化大学教授)
日光・鬼怒川観光輸送は東武グループには欠かせないが、SLを中心に据えてPRを図っていこうという考えか。日光~鬼怒川温泉間は、SL運行に合わせた、日光軌道線電車を模したバスの運行も行われているのだが、この点は触れられていなかった。
「リバティ」は、会津鉄道直通は好調だが、〔アーバンパークライナー〕は今一歩、という所か。
野田線(アーバンパークライン)の急行運転は、そんなに沿線に効果を与えているものなのか?日中のみ30分間隔では限定的だろう、と思っていたのだが。今後は既にアナウンスされている区間に加え、大宮~船橋間全線も検討するとしているが、春日部~運河間は単線のまま既に10分間隔で運行されていて割とタイト、ダイヤ体系そのものにも手が加わるのか。
直営でなくなって久しいが、バス事業についても触れて欲しかった。
輸送と運転 近年の動向
「南高北低」、この傾向は昔からあったが、21世紀に入ってから(特にメトロ半蔵門線直通が始まった頃)、その傾向がよりいっそうその傾向が強まっています。
ちなみに、同じ路線で複々線と単線、両方介在するのは、私鉄では東武の伊勢崎線と東上線のみ。
輸送人員の推移を見ると、2011(H23)年は震災の影響大だったが、既にそれ以前から、やや減少傾向にあった。翌2012(H24)年はスカイツリー開業があり、定期外が5.1%も増加。一方で通学定期は2014(H26)年に、前年から3.8%も減少しました。全国的に学生自体が減少傾向にあるのを反映しているのだろうが、この年だけ激減したのは、何があったのだろうか。大学の移転だろうか?合計では、2017(H29)年は、2008(H20)年より4.8%増加しています。各路線毎の動向があれば良いと思った。
乗務員の勤務形態は、泊まり勤務も交えた、他社と同じスタイル。特急は、東武ではどうなっているのだろうか。
駅・乗務管区のあらまし
北部にローカル線を抱える割には、無人駅は少ない。25駅あるが、この数字は、(東武ワールドスクエア駅を除いて)この数十年変わっていない。他社だと、特に栃木・群馬県内はもっと無人駅が多くなりそうだが。
一方でJRへの委託駅は大分あったが、新駅舎建設による分離で、全部なくなりました。
(逆に小川町・越生がJRから受託している形態は変わらない)
車両総説
というか、最近の東武は、「系」と「型」の呼称を厳密に使い分けていて、例えば50000番台は「50000型」「50050型」「50070型」「50090型」を総称して「50000系」と称しているようだ。前回刊の時は「50000系」「50050系」「50070系」「50090系」と称していたが、いつから変わったのだろう?
車両管区・検修区(車両基地)の概要
工場や検修区そのものの機能もあるが、それ以上に興味深い点として、東武は21世紀に入るまでは長らく春日部・館林・新栃木・七光台・森林公園の5検修区体制が続いてきました。
1986(S61)年開設の南栗橋派出所が21世紀に入って立場を逆転させ、本線系統の検修区を全て包括する形になったが、旧体制の5検修区の内の3ヶ所、そして現在の南栗橋車両管区(及び工場)は、この50年以内の開設と、比較的若い。
無論このようなケースは東武だけでなく、小田急の海老名や京成の宗吾、西鉄の筑紫というケースもあります。
ただ東武のこの4ヶ所は全て、接続する駅の新規開業とセットになっているのが特徴的です。まだ開発が進んでいなかった郊外に適当な場所を求めた結果、という事でしょう。
「SL復活運転プロジェクト」のこれまでと今後
非常に力が入ったプロジェクト、というのは解った。過去にSL運行の歴史があったとはいえ、ほぼ0の状態からスタートしているのだから。
ただ、鬼怒川線全体をレトロ調にしていくのであれば、やはり14系客車は適当ではない。それも国鉄~JR時代の、ブルトレカラーでリクライニング座席のままではなおさら。また、車掌車連結は保安上止むなしとしても、ヨ8000形は近代的すぎる。1974(S49)年製造開始では、既に国鉄線上からはほぼSLが廃止になっていた頃で、SLとはミスマッチだろう。補機のDLも含め、編成全体がどこかチグハグな印象が否めない。
当分は運行を軌道に乗せていくので精一杯だろうが、どこかの時点で、車両の側も、沿線の雰囲気にふさわしいものに更新したい。40分弱の短距離ではイベント的な設備は必要ないし、車体をアルミで造って、冷房も省略すれば、全体的に軽くなって、DLの補機も必要なくなるのではないか(ただし、野岩鉄道への直通も考慮されるのなら、そうも行かなくなるが)。保安装置装備車両も、この後「東武の貨車」で出てくるような、旧型の貨車(緩急車 ワフ341形みたいな)を模したものを復元すれば、昔の混合列車みたいになって、よりSL列車復刻の趣旨に合うのではないだろうか?
東武東上線都心直通運転の経緯
ここが今回、一番興味深かった。
東上線は元々は、和光市から高島平方面に新線を建設、都営三田線(当時は6号線)と接続して相互直通するはずだったが(6号線の初代6000形が高運転台になったのも東武直通を想定していたから)、かなり直前になって、計画が取り止めになったという経緯は有名です。
「東京圏における人口集中地図の変化」があるが、東京から南、京浜工業地帯を中心とした神奈川県方面が1962(S37)年時点で既に開発されきっているが、東武沿線を中心とした北部は、旧国鉄線沿線を除くと、あまり開発が進んでいなかった。それが約四半世紀で、北部も急激に人口が増えています。野田線~JR川越線よりも外側のエリアでも、人口が大幅に増えているのが読み取れます。東上線~6号線の相直も、当初はこの状況に対応するものでした。
しかしこのルートでは、池袋乗り換え客の転移がほとんど見込めないという分析だったそうで、「大都市センサス」の「流動状況(1965(S40)年)」を見ると、池袋で到着した旅客の3分の1は山手線内回りに乗り換えて新宿方面へ向かう流れになっていて、巣鴨経由だと確かに遠回りになってしまう(6号線自体もややウロウロという感じの線形だし)。当時は都庁が有楽町にあった頃だったが、新宿が現在の発展を遂げた現状では、このまま造ってしまっていたら、問題がさらに大きくなってしまっていたのは間違いない(今はもっと流れが太いし)。
その後東武は直通先を旧営団の有楽町線・さらに副都心線に乗り換える事になるが、この変更は、ここでは、
「想定を上回る東京圏の拡大と輸送需要の大幅な増加に対処するためだった」
と結論づけている。その事自体は間違いないでしょう。
ただし、果たしてそれだけか?もっとウラに何かあったんじゃないの?という分析が、過去にありました。2001年7月の「臨時増刊号【特集】東京都営地下鉄」に西野保行氏(京都大鉄研OBの肩書きで書いているが、都交通局のOBらしい)の「都営地下鉄あれこれ」という論文があり、その中で「実現しなくてよかった計画」というタイトルで、三田線~東上線直通運転計画を取り上げています。この相直ルートが適切なものではなかったという見識は同じだが、元々この路線は、東武(と、五反田から直通するはずだった東急)が熱心にPRしていたからある程度事業が進んでいたのに、両社が突然熱意を見せなくなったのはなぜだ、という視点で書いていて、推測されている理由として、
① このルートが最善だと信じた
② 最善ではないが、次の直通ルート設定まで、都心乗り入れの権利を確保したかった
の2点をあげ、鉄道史的には、どちらだったのかは解明しておく必要があろうと指摘しています。
(高島平側の団地住人はおかげで始発から座っていけるし、東急は目黒線直通で責任を果たしたのだから、実害はほぼなかった、とも記しているが)
今各路線を利用する乗客の大半が、過去にこのような経緯があった事を知る事はないだろうし、その必要もない(なくて済んだという事か)が、鉄道趣味者としては、このような歴史の一ページを紐解いてみるのも、一興ではないでしょうか。
一九六四(昭和39)年の東武電車沿線案内
前回刊からさらに10年ほど遡った頃のもので、東京オリンピック終了直後のものになるよう。まず鉄道以上に、東武バス路線が北関東一帯、津々浦々伸びているのが非常に印象的。茨城県の土浦や水戸へも路線が延びていた。鬼怒川からの路線は会津田島まで延びている。野岩鉄道開業の前日までは会津バスが鬼怒川に乗り入れていたのだが、当時は2社共同運行だったのだろうか?ただ一方で、南部の団地輸送的な路線は、まだほとんどない。
鉄道で見ると、現行路線で押上~曳舟間以外は全部この時点で開通していて、このあと廃線になる日光軌道線も記されている。一方で、駅が非常に少ない。平成以降開業の駅はもちろん、伊勢崎線では、今は急行停車駅のせんげん台や北春日部、日光線では杉戸高野台や南栗橋、野田線では七光台や新柏、東上線では若葉や北坂戸という所も未開業。東上線は、池袋から17.8㎞に過ぎない志木の次は、4.2㎞先の鶴瀬まで駅がなく、通勤鉄道としてはまだまだ、刊行の直後から、急激な開発が進む事になるというのが、この沿線案内からも伺えます。
繰り返しになるが、バス路線網の充実振りが、うらやましい。
他にも色々あるが、「セイジクリーム」単色は、確かにややインパクトに欠ける印象はあるが、側面の窓ガラスが銀サッシなので、より目立たなく感じられるのかも知れない。もし黒サッシだったら、また違う印象も与えられるのだろうと思う。ただ、東武博物館所有の8111Fや、東上線で復刻しているのを見ると、これはこれで思い入れのあるファンも、少なくはないのだろう(正面を更新した車両にはやはり合わない気はするが)。
今回の内容は、やや不満があります。ダイヤ面の記述がかなり希薄だと感じました。全線に渡ってこの10年の間の変化が大きく、特に東上線はで東急東横線・みなとみらい線直通開始があり、さらに「Fライナー」スタートや快速新設などかなり大きな変化が繰り返されているが、その辺の、特にビジュアル的な記述が、ほぼなかった。
趣味的に言うと、相直区間拡大の結果、現在東武に直通する鉄道会社が6社(東京メトロ・東急・JR東日本・野岩・会津・橫浜高速)もあって、大手私鉄では東急と並んで最多なのだが、どこも写真がほとんど出て来なかった。特に東急はスカイツリーライン・東上線双方に、かなりの長区間乗り入れてくるのだが、1枚もなかった。ちょっともったいない構成だと思う。
今後の東武鉄道だが、日光・鬼怒川方面は引き続き、インバウンドの利用に力が入るのか。そろそろスペーシアの置き換えも視野に入っているようだが(もうすぐ30年だし)、今一度、プレミアムのサービスの提供(昔のDRCのラウンジルームのような)などのゆとりも考えて欲しい。近鉄「しまかぜ」や、JR東日本の伊豆行新型特急のような列車も考えられるか。「りょうもう」は本文記事にもあったけれど、こちらも200系・250系にそろそろ何らかの動きがあるだろうか。
残念なのは、快速の廃止で浅草~日光・鬼怒川間を通しで走る無料の列車が無くなってしまった事で、見た限り利用は少なくはなかったと思うのだが。ホームドア設置で6050系だと合わなくなる?という事情もあったのかも知れないが、この際10000系などの通勤車でも構わないので、復活はありえないでしょうか?
通勤輸送は、南部は東上線も含めて現状維持だろうか。ダイヤは、ある程度完成されていると思うので。北部は、ともかく現状の利用をつなぎ止める事でしょう。群馬の8000・800・850系も、あるいは20000系改造車に置き換わる可能性はあるか。あるいは10000系・30000系の改造転用の可能性も、なくはない(東上線で10両固定になった編成も、京王や小田急のような乗務員室の客室化までは行っていないのは、再度運転台機能を復活させ、地方路線へ転用する可能性を残すためではないか?)。
ともあれ次の10年、特急も通勤車(特に地方)も車両面で大きな変化がありそうです。どのような方向に行くか、期待してみてみたいと思っています。
それにしても、博物館で保存されている5700系のような電車に、もし乗れるのなら、乗ってみたかったです。豪華列車でなくていいから、とにかくこれに乗って遠くへ行きたい!という電車に巡り合いたいです。福島県まで行く東武なら、可能性はある、と思いたいです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
「鉄道ピクトリアル」誌は21日にレギュラーの2018年10月号が発売になっているが、終わりの方に、民鉄車両動向が掲載になりました。「鉄道車両年鑑」の代替となるもので、やや文字が小さくて読みづらい感はあるが、ともかくありがたい。大手はまだしも、中小はもちろん、意外に公営地下鉄や準大手の都市鉄道でも、車両を中心とした動向の把握が難しいので。JRがないのは、既に他社発行の趣味誌で多数取り上げられていて、今更必要はないと考えたのだろうか。今回は2016(H28)年度と2017(H29)年度の2年分をまとめているが、今後は毎年10月号に掲載となると考えて良いのだろうか。さらに充実を期待。
(橫浜高速鉄道で、元住吉事故の被災車両Y516Fは、一旦東急が引き取って、廃車にしている)
今日は芸備線・狩留家~下深川間が運行を再開しました。台風20号が豪雨の被災地の傷口を広げる事になりはしないかと不安だったが、幸いそのような事はなかった模様。追いかけっこのように台風が相次いで日本に来るのも異例で、これ以上の異常気象、そして豪雨災害はもうカンベン。
《今日のニュースから》
22日 中国スマホメーカーOPPO 新端末「R15 Pro」「R15 Neo」発表
23日 女性戦闘機パイロット誕生 航空自衛隊初
24日 オスプレイ 佐賀空港配備 佐賀県知事受け入れ表明
25日 智弁和歌山 高嶋監督 退任記者会見
表紙はこの新特急車「リバティ」500系と、日比谷線直通用の70000系。
東武鉄道は「ピクトリアル誌」の世界では人気が高いのか、臨時増刊の特集は比較的コンスタントに刊行されていて、平成に入ってからは1990年12月(表紙はスペーシア)、1997年12月(複々線を走る30000系)、2008年1月(JR485系と交換するスペーシア)と、7~10年のスパンです。この他「アーカイブス セレクション」シリーズで2回刊行されているが、「23 1960~70」は早々に売り切れとなった模様で、在庫もないそう。大きな書店にもないしなあ。可能なら欲しいのだけれど。
総説:東武鉄道
この10年間で最大の出来事はやはり、スカイツリーとスカイツリータウンの開業、でしょう。
野田線(アーバンパークライン)で複線化が進行中だが、私鉄で今、他に複線化工事を行っている路線はないはず。東武は新路線がほぼなくて、押上~曳舟間以外は全て戦前の開通なのだが、一方で在来路線の複線化・複々線化が高度成長期から相当進みました。元々はローカルの要素が濃かった路線で、急速に都市化が進んでいる、それは東武に於いては現在進行形、という事でしょう。本当はせめて野田市~運河間も複線化するべきだと思うのだが。
東武鉄道の鉄道事業を語る
(東武 都筑 豊 鉄道事業本部長×今城 光英 大東文化大学教授)
日光・鬼怒川観光輸送は東武グループには欠かせないが、SLを中心に据えてPRを図っていこうという考えか。日光~鬼怒川温泉間は、SL運行に合わせた、日光軌道線電車を模したバスの運行も行われているのだが、この点は触れられていなかった。
「リバティ」は、会津鉄道直通は好調だが、〔アーバンパークライナー〕は今一歩、という所か。
野田線(アーバンパークライン)の急行運転は、そんなに沿線に効果を与えているものなのか?日中のみ30分間隔では限定的だろう、と思っていたのだが。今後は既にアナウンスされている区間に加え、大宮~船橋間全線も検討するとしているが、春日部~運河間は単線のまま既に10分間隔で運行されていて割とタイト、ダイヤ体系そのものにも手が加わるのか。
直営でなくなって久しいが、バス事業についても触れて欲しかった。
輸送と運転 近年の動向
「南高北低」、この傾向は昔からあったが、21世紀に入ってから(特にメトロ半蔵門線直通が始まった頃)、その傾向がよりいっそうその傾向が強まっています。
ちなみに、同じ路線で複々線と単線、両方介在するのは、私鉄では東武の伊勢崎線と東上線のみ。
輸送人員の推移を見ると、2011(H23)年は震災の影響大だったが、既にそれ以前から、やや減少傾向にあった。翌2012(H24)年はスカイツリー開業があり、定期外が5.1%も増加。一方で通学定期は2014(H26)年に、前年から3.8%も減少しました。全国的に学生自体が減少傾向にあるのを反映しているのだろうが、この年だけ激減したのは、何があったのだろうか。大学の移転だろうか?合計では、2017(H29)年は、2008(H20)年より4.8%増加しています。各路線毎の動向があれば良いと思った。
乗務員の勤務形態は、泊まり勤務も交えた、他社と同じスタイル。特急は、東武ではどうなっているのだろうか。
駅・乗務管区のあらまし
北部にローカル線を抱える割には、無人駅は少ない。25駅あるが、この数字は、(東武ワールドスクエア駅を除いて)この数十年変わっていない。他社だと、特に栃木・群馬県内はもっと無人駅が多くなりそうだが。
一方でJRへの委託駅は大分あったが、新駅舎建設による分離で、全部なくなりました。
(逆に小川町・越生がJRから受託している形態は変わらない)
車両総説
というか、最近の東武は、「系」と「型」の呼称を厳密に使い分けていて、例えば50000番台は「50000型」「50050型」「50070型」「50090型」を総称して「50000系」と称しているようだ。前回刊の時は「50000系」「50050系」「50070系」「50090系」と称していたが、いつから変わったのだろう?
車両管区・検修区(車両基地)の概要
工場や検修区そのものの機能もあるが、それ以上に興味深い点として、東武は21世紀に入るまでは長らく春日部・館林・新栃木・七光台・森林公園の5検修区体制が続いてきました。
1986(S61)年開設の南栗橋派出所が21世紀に入って立場を逆転させ、本線系統の検修区を全て包括する形になったが、旧体制の5検修区の内の3ヶ所、そして現在の南栗橋車両管区(及び工場)は、この50年以内の開設と、比較的若い。
無論このようなケースは東武だけでなく、小田急の海老名や京成の宗吾、西鉄の筑紫というケースもあります。
ただ東武のこの4ヶ所は全て、接続する駅の新規開業とセットになっているのが特徴的です。まだ開発が進んでいなかった郊外に適当な場所を求めた結果、という事でしょう。
「SL復活運転プロジェクト」のこれまでと今後
非常に力が入ったプロジェクト、というのは解った。過去にSL運行の歴史があったとはいえ、ほぼ0の状態からスタートしているのだから。
ただ、鬼怒川線全体をレトロ調にしていくのであれば、やはり14系客車は適当ではない。それも国鉄~JR時代の、ブルトレカラーでリクライニング座席のままではなおさら。また、車掌車連結は保安上止むなしとしても、ヨ8000形は近代的すぎる。1974(S49)年製造開始では、既に国鉄線上からはほぼSLが廃止になっていた頃で、SLとはミスマッチだろう。補機のDLも含め、編成全体がどこかチグハグな印象が否めない。
当分は運行を軌道に乗せていくので精一杯だろうが、どこかの時点で、車両の側も、沿線の雰囲気にふさわしいものに更新したい。40分弱の短距離ではイベント的な設備は必要ないし、車体をアルミで造って、冷房も省略すれば、全体的に軽くなって、DLの補機も必要なくなるのではないか(ただし、野岩鉄道への直通も考慮されるのなら、そうも行かなくなるが)。保安装置装備車両も、この後「東武の貨車」で出てくるような、旧型の貨車(緩急車 ワフ341形みたいな)を模したものを復元すれば、昔の混合列車みたいになって、よりSL列車復刻の趣旨に合うのではないだろうか?
東武東上線都心直通運転の経緯
ここが今回、一番興味深かった。
東上線は元々は、和光市から高島平方面に新線を建設、都営三田線(当時は6号線)と接続して相互直通するはずだったが(6号線の初代6000形が高運転台になったのも東武直通を想定していたから)、かなり直前になって、計画が取り止めになったという経緯は有名です。
「東京圏における人口集中地図の変化」があるが、東京から南、京浜工業地帯を中心とした神奈川県方面が1962(S37)年時点で既に開発されきっているが、東武沿線を中心とした北部は、旧国鉄線沿線を除くと、あまり開発が進んでいなかった。それが約四半世紀で、北部も急激に人口が増えています。野田線~JR川越線よりも外側のエリアでも、人口が大幅に増えているのが読み取れます。東上線~6号線の相直も、当初はこの状況に対応するものでした。
しかしこのルートでは、池袋乗り換え客の転移がほとんど見込めないという分析だったそうで、「大都市センサス」の「流動状況(1965(S40)年)」を見ると、池袋で到着した旅客の3分の1は山手線内回りに乗り換えて新宿方面へ向かう流れになっていて、巣鴨経由だと確かに遠回りになってしまう(6号線自体もややウロウロという感じの線形だし)。当時は都庁が有楽町にあった頃だったが、新宿が現在の発展を遂げた現状では、このまま造ってしまっていたら、問題がさらに大きくなってしまっていたのは間違いない(今はもっと流れが太いし)。
その後東武は直通先を旧営団の有楽町線・さらに副都心線に乗り換える事になるが、この変更は、ここでは、
「想定を上回る東京圏の拡大と輸送需要の大幅な増加に対処するためだった」
と結論づけている。その事自体は間違いないでしょう。
ただし、果たしてそれだけか?もっとウラに何かあったんじゃないの?という分析が、過去にありました。2001年7月の「臨時増刊号【特集】東京都営地下鉄」に西野保行氏(京都大鉄研OBの肩書きで書いているが、都交通局のOBらしい)の「都営地下鉄あれこれ」という論文があり、その中で「実現しなくてよかった計画」というタイトルで、三田線~東上線直通運転計画を取り上げています。この相直ルートが適切なものではなかったという見識は同じだが、元々この路線は、東武(と、五反田から直通するはずだった東急)が熱心にPRしていたからある程度事業が進んでいたのに、両社が突然熱意を見せなくなったのはなぜだ、という視点で書いていて、推測されている理由として、
① このルートが最善だと信じた
② 最善ではないが、次の直通ルート設定まで、都心乗り入れの権利を確保したかった
の2点をあげ、鉄道史的には、どちらだったのかは解明しておく必要があろうと指摘しています。
(高島平側の団地住人はおかげで始発から座っていけるし、東急は目黒線直通で責任を果たしたのだから、実害はほぼなかった、とも記しているが)
今各路線を利用する乗客の大半が、過去にこのような経緯があった事を知る事はないだろうし、その必要もない(なくて済んだという事か)が、鉄道趣味者としては、このような歴史の一ページを紐解いてみるのも、一興ではないでしょうか。
一九六四(昭和39)年の東武電車沿線案内
前回刊からさらに10年ほど遡った頃のもので、東京オリンピック終了直後のものになるよう。まず鉄道以上に、東武バス路線が北関東一帯、津々浦々伸びているのが非常に印象的。茨城県の土浦や水戸へも路線が延びていた。鬼怒川からの路線は会津田島まで延びている。野岩鉄道開業の前日までは会津バスが鬼怒川に乗り入れていたのだが、当時は2社共同運行だったのだろうか?ただ一方で、南部の団地輸送的な路線は、まだほとんどない。
鉄道で見ると、現行路線で押上~曳舟間以外は全部この時点で開通していて、このあと廃線になる日光軌道線も記されている。一方で、駅が非常に少ない。平成以降開業の駅はもちろん、伊勢崎線では、今は急行停車駅のせんげん台や北春日部、日光線では杉戸高野台や南栗橋、野田線では七光台や新柏、東上線では若葉や北坂戸という所も未開業。東上線は、池袋から17.8㎞に過ぎない志木の次は、4.2㎞先の鶴瀬まで駅がなく、通勤鉄道としてはまだまだ、刊行の直後から、急激な開発が進む事になるというのが、この沿線案内からも伺えます。
繰り返しになるが、バス路線網の充実振りが、うらやましい。
他にも色々あるが、「セイジクリーム」単色は、確かにややインパクトに欠ける印象はあるが、側面の窓ガラスが銀サッシなので、より目立たなく感じられるのかも知れない。もし黒サッシだったら、また違う印象も与えられるのだろうと思う。ただ、東武博物館所有の8111Fや、東上線で復刻しているのを見ると、これはこれで思い入れのあるファンも、少なくはないのだろう(正面を更新した車両にはやはり合わない気はするが)。
今回の内容は、やや不満があります。ダイヤ面の記述がかなり希薄だと感じました。全線に渡ってこの10年の間の変化が大きく、特に東上線はで東急東横線・みなとみらい線直通開始があり、さらに「Fライナー」スタートや快速新設などかなり大きな変化が繰り返されているが、その辺の、特にビジュアル的な記述が、ほぼなかった。
趣味的に言うと、相直区間拡大の結果、現在東武に直通する鉄道会社が6社(東京メトロ・東急・JR東日本・野岩・会津・橫浜高速)もあって、大手私鉄では東急と並んで最多なのだが、どこも写真がほとんど出て来なかった。特に東急はスカイツリーライン・東上線双方に、かなりの長区間乗り入れてくるのだが、1枚もなかった。ちょっともったいない構成だと思う。
今後の東武鉄道だが、日光・鬼怒川方面は引き続き、インバウンドの利用に力が入るのか。そろそろスペーシアの置き換えも視野に入っているようだが(もうすぐ30年だし)、今一度、プレミアムのサービスの提供(昔のDRCのラウンジルームのような)などのゆとりも考えて欲しい。近鉄「しまかぜ」や、JR東日本の伊豆行新型特急のような列車も考えられるか。「りょうもう」は本文記事にもあったけれど、こちらも200系・250系にそろそろ何らかの動きがあるだろうか。
残念なのは、快速の廃止で浅草~日光・鬼怒川間を通しで走る無料の列車が無くなってしまった事で、見た限り利用は少なくはなかったと思うのだが。ホームドア設置で6050系だと合わなくなる?という事情もあったのかも知れないが、この際10000系などの通勤車でも構わないので、復活はありえないでしょうか?
通勤輸送は、南部は東上線も含めて現状維持だろうか。ダイヤは、ある程度完成されていると思うので。北部は、ともかく現状の利用をつなぎ止める事でしょう。群馬の8000・800・850系も、あるいは20000系改造車に置き換わる可能性はあるか。あるいは10000系・30000系の改造転用の可能性も、なくはない(東上線で10両固定になった編成も、京王や小田急のような乗務員室の客室化までは行っていないのは、再度運転台機能を復活させ、地方路線へ転用する可能性を残すためではないか?)。
ともあれ次の10年、特急も通勤車(特に地方)も車両面で大きな変化がありそうです。どのような方向に行くか、期待してみてみたいと思っています。
それにしても、博物館で保存されている5700系のような電車に、もし乗れるのなら、乗ってみたかったです。豪華列車でなくていいから、とにかくこれに乗って遠くへ行きたい!という電車に巡り合いたいです。福島県まで行く東武なら、可能性はある、と思いたいです。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
「鉄道ピクトリアル」誌は21日にレギュラーの2018年10月号が発売になっているが、終わりの方に、民鉄車両動向が掲載になりました。「鉄道車両年鑑」の代替となるもので、やや文字が小さくて読みづらい感はあるが、ともかくありがたい。大手はまだしも、中小はもちろん、意外に公営地下鉄や準大手の都市鉄道でも、車両を中心とした動向の把握が難しいので。JRがないのは、既に他社発行の趣味誌で多数取り上げられていて、今更必要はないと考えたのだろうか。今回は2016(H28)年度と2017(H29)年度の2年分をまとめているが、今後は毎年10月号に掲載となると考えて良いのだろうか。さらに充実を期待。
(橫浜高速鉄道で、元住吉事故の被災車両Y516Fは、一旦東急が引き取って、廃車にしている)
今日は芸備線・狩留家~下深川間が運行を再開しました。台風20号が豪雨の被災地の傷口を広げる事になりはしないかと不安だったが、幸いそのような事はなかった模様。追いかけっこのように台風が相次いで日本に来るのも異例で、これ以上の異常気象、そして豪雨災害はもうカンベン。
《今日のニュースから》
22日 中国スマホメーカーOPPO 新端末「R15 Pro」「R15 Neo」発表
23日 女性戦闘機パイロット誕生 航空自衛隊初
24日 オスプレイ 佐賀空港配備 佐賀県知事受け入れ表明
25日 智弁和歌山 高嶋監督 退任記者会見