№1858 30年前の「阪神時刻表」

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 かつては関西の大手私鉄も、各社で時刻表を作成・販売していました。阪神電鉄でも20~30年位前はダイヤ改正の度に作っていたようだが、比較的早い内に、全線の時刻表の作成がなくなったようでした。
 手元に、ちょうど30年前の1988(S63)に発売された阪神の時刻表があります。どんな状況だったのか、鉄道のダイヤを中心に振り返ってみます。

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 表紙は当時の最新系列、8000系のイラストです。№1844で書いたとおり、1984(S59)年より製造が始まった急行車で、翌1985(S60)年より大幅なモデルチェンジが行われました。時刻表発売の時点では、クーラーが集約分散式に変更された第6編成(8219F)までが製造されています。

 表紙をめくると、すぐに阪神タイガースのCM。村山実監督と、バース、掛布、岡田、真弓の4選手の写真。キャラクターグッズの宣伝もあります。

カラーページ

阪神電車沿線案内図
 当時は当然阪神なんば線はありませんでした。西九条~尼崎間が西大阪線として運行、一方で今津~西宮間に西宮東口駅がありました。香櫨園駅の「ろ」は、常用漢字の「炉」でした。
 梅田は再開発の前で、ハービスはまだありませんでした。

列車別の停車駅ご案内
 これは現在でも似たような傾向なのだが、阪神は同じ種別名でも、上下で運転区間や停車駅がかなり異なっていて、また限定された時間のみ停車する駅もあるため、ヨソ者には少々解りづらく感じられる所もあります。準急が典型的でした。

車両の種類
 8000系は、ここではなぜか、モデルチェンジ後の第2編成以降を「8211形」、阪神スタイルでデビューした第1編成は「8201形」と記しています。

阪神電鉄バス路線図
 当時は阪神電鉄の直営でした。
 三宮からの灘の浜方面への循環系統はまだなかったが、エリア的には、(旧尼崎市営バスを除いて)現在とほぼ変わりがない。ただし、系統はかなり変わっています。当時は尼崎~三宮間が直通で運行されていました。
 本格的な高速バスへの参入はまだで、関西空港もまだなかったから、高速バスタイプの車両の路線は、梅田・神戸~大阪国際空港(伊丹)だけ。

 沿線案内では、明石海峡大橋開通で廃止になった、甲子園フェリーが記されています。鳴尾川の河口に乗り場があり、3000㌧級のフェリーが1日20便、終夜運行だったとしています。津名まで約2時間。
 7年後の阪神淡路大震災で、姿を変えざるを得なかった所も多々見られます。

施設案内
 阪神と言えば甲子園で、球場の座席案内を中心にした見取り図が記されています。当時は外野に「ラッキーゾーン」というものがありました。
 高校野球は、選抜は1987(S62)年の59回、夏は69回までの優勝校が書かれています。PL学園が春夏連覇を達成しているが、清原・桑田の「KKコンビ」は2年前にプロ入りしていて、この時期は元中日の立浪、元橫浜の野村らが中心でした。大学アメフトの甲子園ボウルも記されています。1986(S61)年の41回までで、京都大学が日本大学を破って優勝していました。
 閉園してしまった阪神パークも詳しく記されています。休憩所として、国道線の電車も保存されていました。モノレールもあったそう。

 企業広告で、NECのパソコンがあります。斉藤由貴が起用されているが、本体標準価格が、「1MBタイプ5インチフロッピーディスク2台内蔵」のPC-8801MAが198,000円、「320KBタイプ」のPC-8801FAが168,000円、皆様はどう思われるでしょうか?

時刻表本文
 阪神はダイヤ改正の度に、運行形態や停車駅が大きく変わる事が多く、30年前は現在とはかなり異なる部分が多々あります。1995(H7)年の阪神淡路大震災と、2009(H21)年の近鉄との相互直通開始が、特に大きく変えている要因でしょう。
 参考までに … この時刻表にも掲載されているけれど … 梅田駅と三宮駅の発車時刻表を作成してみました。

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梅田駅時刻表

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三宮駅時刻表

 当時は、土曜日は平日と同じ。ただし朝ラッシュ時上りの区間特急は、土曜日は運休でした。
 快速急行は、この改正で初めて設定されました。梅田~西宮間運行の急行を三宮までノンストップで延長した形で、直前に民営化された東海道線(今の通称JR神戸線)への対抗策だったと思います。
 基本的には12分サイクルで、日中は特急・快速急行・普通を、夕方は特急・急行・準急・普通を運行していました。種別毎の内容は複雑だが、ダイヤ体系は、今と比べればかなりシンプルに映ります。
 
 特急は今と比べて停車駅が少なく、基本的には梅田~西宮間を日中はノンストップで13分、梅田~三宮間は27分で結んでいました。急行が甲子園折返しとなる夜間(休日は夕方から)に、甲子園に停車します。
 急行は朝晩のみの運行になり、今津は基本的には通過、平日の下り夜間のみ停車でした。大石と青木はどちらも上りのみの停車で、需要もあるだろうが、大石は区間特急、青木は特急の待避の意味もあったと思います。
 準急も朝晩のみの運行になるが、停車駅が上下、また時間帯でもかなり変わります。基本的には梅田~甲子園間の設定。平日朝のみ西宮・御影発着もあるが、下りの御影行は、特急停車駅の芦屋は通過でした。普通電車の補完の意味が濃かったのではないか。休日は運行期間が限られていて、行楽対策だったのか?
 日中は、特急は野田(下りのみ)・尼崎センタープール前・西宮・御影で、快速急行は尼崎・西宮・御影で普通を追い抜いていました。

 平日の朝ラッシュ時は13~14分サイクル。特急・急行・準急・普通に加え、上りのみ区間特急・区間急行が運行されていました。どちらも停車駅が、今とはかなり異なっています。特急・急行と停車駅を変えて、千鳥停車の思想があります。
 山陽電鉄との直通は、当時は阪神は須磨浦公園まで、山陽は大石まででした。
 旧西大阪線は普通電車のみ12分間隔、武庫川線は朝夕12分・日中20分間隔。

その他の時刻表
 他社線は、今津からの阪急今津線は、この時期はもう宝塚側とは分離されていていて、西宮北口行のみが朝夕は平日6分・休日12分、日中10分間隔。
 ポートライナーは6分間隔で、平日の朝ラッシュ時は4分間隔でした。魚崎で接続する事になる六甲ライナーは、まだ開業していない。
 三宮からの神戸市営地下鉄は、当時は西神線方面は西神中央行と名谷行を交互に運行していて、ラッシュ時に学園都市行の設定がありました。北神急行開業前で、全列車新神戸発着。

阪神営業案内
 初乗り運賃は100円(現在は140円)で、三宮~元町間のみ80円でした。
 営業キロは、阪神には隣の駅まで2㎞以上の区間はない。最長は淀川を挟む姫島~千船間と伝法~福間で、共に1.5㎞。
 阪神は、「○番線」は「○番乗り場」という呼び方をするが、当時の尼崎駅には、西大阪線用に欠き取り式の5番乗り場がありました(ただし通常は発着がなかった)。

阪神バス営業案内
 路線網に大きな変化はなくても、ダイヤはかなり変わりました。
 特に野田阪神前は、甲子園行が平日・土曜16分・休日17分毎で朝夕には宝塚行もあり、天神橋筋六丁目行は15分間隔の運行がありました。どちらも軌道線の代替路線だったが、現在は見る影がほとんどありません。
 三宮からも、尼崎行が10分間隔でした(今は西宮まで20分間隔)。

データボックス
 ファン向け。車両編成表は、3561形2連(3567-3568)がまだ残っていました。後に2000系に改造される事になる7001・7101・7801・7901形も全車両残っています。旅客車は1987(S62)年10月1日現在306両。
(2017(H29)年4月1日現在では358両)
 線路略図に、石屋川・尼崎両車庫の構内略図まであります。石屋川は検車庫がありました。
 車両諸元一覧表もあるが、一般向けの時刻表で、ここまで必要だったかなあとも思いました。

 最後に、グループ企業の一覧表があります。名古屋阪神観光バスという、観光バス専業事業者の存在が目に付きました。六甲摩耶鉄道は現六甲山観光。

 以上、本当に簡単ながら、30年前の時刻表から、当時の阪神を振り返ってみました。こうしてみると、須磨浦公園までの直通運転はあっても、阪神自体は鉄道も、企業自体も、(タイガースがありながら)どこかこぢんまりしている印象がありました。当時は大手私鉄最小だったし。この後、特に阪神淡路大震災が、阪神電鉄を大きく変えて行く事になります。エリアの外部に、ビジネスチャンスを求める傾向が出てくる、という事でしょうか。それが、山陽直通特急であり、阪神なんば線開業に伴う近鉄との相互直通に現れていると思います。
 それにしても、阪神に限らないが、関西の大手私鉄は、近鉄を除いて全線の時刻表の販売がなくなっているのが残念。京阪は公式Webからのダウンロード、南海は冊子の無料配布(南海線・高野線別)があるが、阪神・阪急は一切ないのが寂しい。何らかの形で復活できないですかねえ。

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 新幹線車内での殺傷事件が波紋を広げているが、残念ながら決定的な保安対策は、鉄道に関してはないのではないか。数年前の〔のぞみ〕車内の放火事件も、結局は罰則は強化されても、危険品持ち込みを防ぐ手段はない。ちょうど20年前のスペインのAVE乗車時に、セビリア駅のホームで、空港のような手荷物検査を受けた事があるが、日本の新幹線は本数も旅客数も比べものにならないくらい多いし、通勤電車でも起こりうる事。それに、下手すると今度は人権問題とかいう方向に行きかねない。セビリアの時も、鉄道は空港のようなマネはしないで欲しい、と思ったものだし、結局は、こんな事が起こらないような世の中を作る以外ない、という所に落ち着かざるを得ないのか。

《今日のニュースから》
10日 卓球荻村杯 男子シングルス張本智和 女子シングルス伊藤美誠 初優勝
11日 袴田事件 東京高裁 再審申し立て却下
12日 サカイ引越センター 家電リサイクル法違反で改善勧告

 米朝首脳会談、個人的にはこれまでの経緯も考えると、何か釈然としない部分が多数あるのだが、とりあえずは、核戦争が勃発するよりは圧倒的にまし、と考えるべきなのでしょう。