№1860 涼しかった、いや寒かった?6年ぶりの由利本荘 2.気の毒だった?まごころ列車

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 6年ぶりの由利本荘は、残念無念の、雨模様…。
 というより、この寒さは何?

 5月14日(月)

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 羽後本荘駅。

 待合室にはTVが2台あって、NHKとAKT(フジ系の民放)が放映されているけれど、由利本荘の天気は、今日はずっと曇りと言っている。最高気温も15℃止まり、だって。秋田県でも北部は晴になっていくらしいけれど。両局とも、全国的には暑くなると伝えているが、信じがたい。トレーナーを持ってきたのは、正解だった。

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 駅舎内。由利本荘名産「ごてんまり」がぶら下がっています。
 6時16分始発の秋田行の発車が近づくと、特に学生が急に増える。皆、マイカーで自宅から送られている。

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 JRの発車時刻表。〔あけぼの〕もなくなり、〔いなほ〕も日中の3往復にまで減少して、本線の主要駅にしては、大分少ないなあの印象が否めない。

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 由利高原鉄道の窓口。

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 2番線に酒田行524M、3番線には由利高原鉄道の初列車2Dが着きました。逆にゾロゾロ学生が降りてくる。東北の朝は早い…!
 2DはYR3002+YR3003の2連。

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 羽後交通バスも、7時を過ぎて本格的に出入りが始まりました。

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 7時40分発の3D。YR2001+YR2002。2001はラッピングを剥がされて、元のカラーになっていました。2002は「EVOLTA ギネス記録」記念のラッピング。

 この天気だと慌ただしく乗り降りしても仕方ないだろうと、昼前の7D「まごころ列車」で行く事にします。
 まずは朝食。こんな地方都市でも、国道沿いにはファミレスがありました。

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 とはいえ7D出発は10時43分。その間、市の中心部を循環する「ごてんまり号」に乗ります。青ルートと赤ルートがあり、青ルートはリエッセ。初便は9時ちょうど。
(ルートがかなり複雑なので、「内回り」「外回り」とは言えない)

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 駅の南の、大鍬町の住宅地。かなり狭い道。

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 一転して、羽越本線の東の国道7号線。ショッピングセンターや量販店が並び、この辺は大都会とほとんど変わりない。

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 反対回りの赤ルート。6年前はエアロミディMEで、3年前に行われたらしい再編成時も引き続き使用されていたのだが、最近ポンチョに代替されたらしい。

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 車内にもごてんまりがぶら下がっています。
 この循環バス、何度も同じ所を経由する。羽後本荘駅も1回立ち寄る。それにしても、乗客が少ない。終始3人以下、三度駅に戻ってきたとき、乗客は私一人だけでした。これでは、先が思いやられるかも。1時間間隔で土休日も同じダイヤとは、この規模の地方都市では破格だと思うのに、利用に結びつかないのは寂しい。

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 駅に掲げられていた、「鳥海山・飛島 ジオパーク構想」。
 鳥海山は特異な山だ、というのは、翌日見て、何となく感じる事になります。

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 由利高原鉄道の窓口脇に掲げられていた、「東北・函館 地方鉄道 共用乗車券」。台湾で発売されているもので、7日の間、東北・函館の私鉄や第3セクター鉄道に乗れるものらしい。
(仙台市営地下鉄・仙台空港鉄道を除き、栃木県に入る野岩鉄道は含む)

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 話題になった、「EVOLTA ギネス記録達成」のポスター。

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 今回は、「コロプラ1日フリー切符」を利用して、由利高原鉄道に乗ります。1,500円。矢島まで片道600円だから、往復+何度か途中下車すれば元が取れるか。
 という事で、一度矢島まで乗り通した後、久しぶりに途中の駅を乗り降りしてみる事にします。

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 10時43分発7Dは「まごころ列車」と称して運行されます。YR-3003。

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 8D~7Dの「まごころ列車」では、専用のヘッドマークがつきます。

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 しかし、車内は正直寂しい…。乗客は私を含めても、4人…。しかも1人は地元客。「おばこ」姿のアテンダントが沿線や鉄道、イベントなどのガイドをして回るのだが、平日という事もあるし、天気も雨模様、鳥海山も全く見えず、少々気の毒だと思いました。
 このあとグッズ販売もあります。クリアファイルと絵はがきを買ったら、しおりをプレゼントしてくれました。

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 窓の外に垣間見える農村地帯も、雨模様…。視界が悪い。
 窓ガラスには、秋田犬と人間をシンボルしたシルエットが描かれています。

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 旧鮎川小学校。
 7月1日に、「鳥海山 木のおもちゃ博物館」として、グランドオープンします。

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 子吉川。

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 前郷で、10Dと交換。YR-2002。

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 矢島に着くと、YR-3003は運用が終了。
 代わって、緑のYR-3001が運用に入るようです。

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 矢島駅。6年前は駅前に鯉のぼりが掲げられていたのだが、今年は見られなかった。

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 駅舎内には、台湾の平渓線との提携に関連した展示がありました。

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 本棚には、「涼宮ハルヒの憂鬱」「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」など、アニメファンに人気がありそうなコミックが並んでいます。しかし、他には鉄道の書籍と、一方では宗教関連の書籍も同居していて、どこかカオスな印象も。
 手前は、「私立百合ヶ咲女子高鉄道部」とのコラボ。「ゆりてつ」つながりで…。YR-2001にラッピングされた事もあったそうです。

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 旅行センターでは、6年前にもお会いした佐藤さんが、ご健在でした。TVの取材を受けていたよう。また桜茶を振る舞ってくださいましたよ。

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 今回はすぐ折返し。12Dに乗ります。YR-3001。
 フリー切符で乗っているし、ジグザグに各駅を乗り降りして行きます。

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 まず、久保田駅。

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 9Dで一つ戻って、西滝沢駅。
 9Dは由利高原鉄道の職員が添乗していたものの、乗客は、わずか1人…。その一人も、私と同じく西滝沢で降りてしまいました。

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 次の吉沢駅までは、子吉川を挟んでいるが、歩いて行けます。比較的最近できた駅です。

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 子吉川。先ほど乗ったYR-3001が、11Dとして折り返して、渡っていきます。
 川辺駅までは、すぐ後を追ってきた羽後交通バスで移動しました。川辺駅前で降りた時に撮影した画像が、№1855で公開したものです。

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 川辺駅。以前降りた時と比較して、駅舎が建て替えられている。

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 各駅にはこのように、「まごころ通信」と称した、アテンダント発行の新聞が掲げられています。

 16Dで前郷へ。先のYR-3001の折返し。この列車も、乗客は1人…。

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 前郷駅。タブレット交換があるが、駅員は女性でした。
 黒沢まで歩いて行きます。

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 その途中、築堤上にある曲沢駅。待合室は、由利高原鉄道の旧車両(YR-1000形)と同じデザインが施されています。

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 黒沢駅。ここは6年前にも降りているが、ホームが変わった?

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 18Dで子吉駅へ。ここも6年前に降りています。玉ノ池簡易郵便局が入っている、というか、郵便局が駅を兼ねているという感じ。ただし鉄道業務は行いません。

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 今回、旧駅舎を描いた絵画を初めて見ました。

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 改めて、YR-2002。15Dで鮎川へ。

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 鮎川駅。

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 この駅は、先の「鳥海山 木のおもちゃ博物館」の最寄り駅となり、バスが運行されるそう。
 また、この駅自体を「おもちゃ駅」として改修しようと、クラウドファンディングで資金を集める動きもあるようです。
 ただ、バスでのアクセスを必要とするのは、鉄道の利用を遠のかせる要因になりはしないか。「おもちゃ駅」改修もいいのだけれど、旧鮎川小学校は線路に隣接しているので、開館日・開館時間中のみ停車の臨時扱いでいいから、駅を新設する方が、鉄道の利用に繋がるのではないかと思いました。

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 こういうロケーションにあるのだから。羽後本荘からだと、鮎川を渡る手前の踏切に隣接して博物館ができる事になるので、この付近に駅を造った方が、格段に便利でしょう。

 18Dは、ようやく帰宅の学生の姿が見えて、乗客数が2桁に乗っていました。
 後は薬師堂駅が残っているが、明日も午前中はここに留まるので、明日に回す事にして、宿泊のホテルに向かいました。

 とにかく、明日15日くらいは晴れて欲しい。でないと、ここへ来た意味が薄くなってしまうので…。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 日本貨物航空(NCA)は、整備作業記録に事実と異なる不適切な点があり、全11機を点検する必要があるとして、今日から全ての便を運航停止にする事になりました。運行再開までには、最低でも一週間程度かかる見込みとの事。NCAは先月から、国土交通省の立ち入り検査が入っていて、行政処分も検討しているとの事。

《今日のニュースから》
15日 スティーブン・ホーキング博士 ロンドン・ウェストミンスター寺院に埋葬
16日 楽天 梨田監督 辞任

№1859 涼しかった、いや寒かった?6年ぶりの由利本荘 1.ドリーム鳥海号

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 先月半ば、秋田県の由利本荘市に行ってきました。無論、由利高原鉄道に乗るためです。色々あって今回はやや決定が慌ただしく、今月の北海道よりも後になりました。
 由利高原鉄道は、ちょうど6年前にも乗りました。あの時はYR-1500形がまだ残っていた一方で、YR-3000形がデビューしていたが、YR-3000形は運用されず、撮影できませんでした。
 6年経って、YR-3000形は3両・3色が全て揃い、YR-1500形を全て置き換えました。という事で、今回はYR-3000形の撮影がメインとなりました。出来れば3色、全部撮りきってしまいたいが…。

 5月13日(日)

 しかし、前日の天気予報では、秋田の天気は良くない…。それ以前に、前の晩の関東地方が本降りだ。
 6年前に乗った寝台特急「あけぼの」は廃止されて久しく、今回は自動的に、夜行バス〔ドリーム鳥海号〕となりました。過去にも乗った事はあったけれど。夜行ではもうこれしか手段がない。
(本荘は今の所、旧ツアー組の路線はない模様)

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 日曜夜の東京駅八重洲口高速バス乗り場。天気など関係なく、どの乗り場も長蛇の列。

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 出発案内表示。表示されている夜行便は、〔ドリーム鳥海号〕(「1号」と表示されているが、この便しかない)を含めてほぼ満席。「昼行」便もまだあるが、満席が多い。

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 手前は茨城交通の水戸行。奥は京成バスの鹿島神宮行。「昼行便」の出発もまだ多い。

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 清水行出発の後、〔ドリーム鳥海号〕が8番線に入場。この日は秋田ナンバーのJRバス東北のセレガ。

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 乗車開始。ネット予約時点では座席は指定されておらず(事前にはできなかった)、2Aと指示されました。
 この次に出発する勝田行も、乗客が列を成している。

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 座席のポケットにはスリッパとオシボリが入っていました。
(帽子は私物です)

 前方のカーテンは、発車直前に早々に閉じられました。定刻に出発。

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 八重洲口のイルミネーション。
 アナウンスは、首都高速→東北道→山形道を経由して走るという。途中福島西ICでドライバーが交代するが、乗客が途中降りられる休憩はない。秋田支店所属車両だが、ドライバーは交代前・交代後、共に福島支店所属らしい。

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 これまで何度か乗ってきた八戸・盛岡行は池袋経由だったが、この便は宝町ICからすぐに首都高速に乗って、北へ向かう。荒川を渡る東武電車。

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 沿道も雨、スカイツリーはライトアップされているが、霞んでいる。
 浦和料金所は東京駅出発30分後に通過。やはり早い。自動放送が消灯を告げ、岩槻ICを通過する頃、明かりが完全に消されました。

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 雨の中、決して急いではいないが(何より80㎞/h制限が出ている)、トラックを次々追い抜く。ヤマト運輸がほとんどだったような気がする。
 いつも思うが、東北道の沿道は暗い。東名とは全然違う。

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 2時過ぎ、どこかのSAに停車していました。寒河江SAだったと思う。

 5時ちょうど、間もなく象潟到着とアナウンスがあった。明かりもつく。
 10分程度早く着いた象潟駅前は降車なし。昔は国鉄→JRバスの営業所があって、鳥海山への麓などへの路線が延びていたのだが。〔ドリーム鳥海号〕も、スタート時点は象潟〔営〕担当だったはずだ。

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 金浦駅前角で、最初の降車。JAの支店の前に迎えに来ていたマイカーが止まっていて、乗客が乗り換えて行った。これを見ると、定時に到着するのは大事な事だと、改めて思う。遅延はもちろん、大幅な早着も望ましくない。当然安全上もだが、加えて地方ではマイカーで迎えに来る客が多いので、早すぎると乗客、迎えに来た人、双方に迷惑になると思う。

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 国道7号線を北上していくが、日本海は意外に見る機会がない。西目付近だけでした。しかし雨模様で、寒々としている。視界が良くない。

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 西目では菜の花が咲いているのも見えたが、寒さで凍えているかのよう。

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 羽後本荘到着は、定刻より15分程早い到着になりました。ほとんどの乗客がここで降りるが、高齢者の姿が多いと見えたのが、地方都市行らしいところだったでしょうか。
 この後、終点の羽後交通の営業所に向けて出て行きました。

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 東京からの乗客が各地へ散って行った後、6時過ぎ、入れ替わるように仙台行の羽後交通バスが着きました。酒田を経由して仙台へ向かう。営業所から既に2人乗車していて、ここからも1人乗車していきました。この後、どの程度乗客が増えていくでしょうか。

 残念無念な雨模様。というか、寒い!トレーナーを持ってきたのは正解だったが、いくら東北で雨模様だからって、この寒さはどうしたものか。
 さて、この後はどうしよう。由利高原鉄道にはもちろん乗るが、あまり慌てる事はないような気もする。どこかで朝飯にするか…。

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 昨日の阪神電鉄の株主総会で、「電車の色が巨人を連想させる」という株主の指摘があったそう。2001(H13)年デビューの9300系で初採用され、8000系の更新車両でも取り入れられている「プレストオレンジ」がやり玉に挙がっているのだが、9300系デビューから既に17年、個人的には「何をいまさら?」と思う。阪神経営陣は「今のカラーは評判が悪いようだ」としているが、それは、ここから来ているのか?阪神ファンの皆様も、同じ印象を抱きながら利用されているのでしょうか?車体のカラーリングはどの鉄道でも常に関心事だが、「タイガース」がらみで批判されるのが、阪神電鉄の宿命、なのか。しかし阪神の場合は、急行系と普通系を明確に区別する必要もあるので、新しい色を選ぶのも、簡単ではないはずです。

《今日のニュースから》
13日 成人年齢 2022年4月から18歳に引き下げ 改正民法成立
14日 学校給食に「ピロシキ」 茨城県鹿嶋市公立校

 サッカーW杯に合わせての事らしくて、献立の写真を見たけど、おいしそうじゃん!私も食べたいよ(と幼児退行)。

№1858 30年前の「阪神時刻表」

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 かつては関西の大手私鉄も、各社で時刻表を作成・販売していました。阪神電鉄でも20~30年位前はダイヤ改正の度に作っていたようだが、比較的早い内に、全線の時刻表の作成がなくなったようでした。
 手元に、ちょうど30年前の1988(S63)に発売された阪神の時刻表があります。どんな状況だったのか、鉄道のダイヤを中心に振り返ってみます。

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 表紙は当時の最新系列、8000系のイラストです。№1844で書いたとおり、1984(S59)年より製造が始まった急行車で、翌1985(S60)年より大幅なモデルチェンジが行われました。時刻表発売の時点では、クーラーが集約分散式に変更された第6編成(8219F)までが製造されています。

 表紙をめくると、すぐに阪神タイガースのCM。村山実監督と、バース、掛布、岡田、真弓の4選手の写真。キャラクターグッズの宣伝もあります。

カラーページ

阪神電車沿線案内図
 当時は当然阪神なんば線はありませんでした。西九条~尼崎間が西大阪線として運行、一方で今津~西宮間に西宮東口駅がありました。香櫨園駅の「ろ」は、常用漢字の「炉」でした。
 梅田は再開発の前で、ハービスはまだありませんでした。

列車別の停車駅ご案内
 これは現在でも似たような傾向なのだが、阪神は同じ種別名でも、上下で運転区間や停車駅がかなり異なっていて、また限定された時間のみ停車する駅もあるため、ヨソ者には少々解りづらく感じられる所もあります。準急が典型的でした。

車両の種類
 8000系は、ここではなぜか、モデルチェンジ後の第2編成以降を「8211形」、阪神スタイルでデビューした第1編成は「8201形」と記しています。

阪神電鉄バス路線図
 当時は阪神電鉄の直営でした。
 三宮からの灘の浜方面への循環系統はまだなかったが、エリア的には、(旧尼崎市営バスを除いて)現在とほぼ変わりがない。ただし、系統はかなり変わっています。当時は尼崎~三宮間が直通で運行されていました。
 本格的な高速バスへの参入はまだで、関西空港もまだなかったから、高速バスタイプの車両の路線は、梅田・神戸~大阪国際空港(伊丹)だけ。

 沿線案内では、明石海峡大橋開通で廃止になった、甲子園フェリーが記されています。鳴尾川の河口に乗り場があり、3000㌧級のフェリーが1日20便、終夜運行だったとしています。津名まで約2時間。
 7年後の阪神淡路大震災で、姿を変えざるを得なかった所も多々見られます。

施設案内
 阪神と言えば甲子園で、球場の座席案内を中心にした見取り図が記されています。当時は外野に「ラッキーゾーン」というものがありました。
 高校野球は、選抜は1987(S62)年の59回、夏は69回までの優勝校が書かれています。PL学園が春夏連覇を達成しているが、清原・桑田の「KKコンビ」は2年前にプロ入りしていて、この時期は元中日の立浪、元橫浜の野村らが中心でした。大学アメフトの甲子園ボウルも記されています。1986(S61)年の41回までで、京都大学が日本大学を破って優勝していました。
 閉園してしまった阪神パークも詳しく記されています。休憩所として、国道線の電車も保存されていました。モノレールもあったそう。

 企業広告で、NECのパソコンがあります。斉藤由貴が起用されているが、本体標準価格が、「1MBタイプ5インチフロッピーディスク2台内蔵」のPC-8801MAが198,000円、「320KBタイプ」のPC-8801FAが168,000円、皆様はどう思われるでしょうか?

時刻表本文
 阪神はダイヤ改正の度に、運行形態や停車駅が大きく変わる事が多く、30年前は現在とはかなり異なる部分が多々あります。1995(H7)年の阪神淡路大震災と、2009(H21)年の近鉄との相互直通開始が、特に大きく変えている要因でしょう。
 参考までに … この時刻表にも掲載されているけれど … 梅田駅と三宮駅の発車時刻表を作成してみました。

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梅田駅時刻表

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三宮駅時刻表

 当時は、土曜日は平日と同じ。ただし朝ラッシュ時上りの区間特急は、土曜日は運休でした。
 快速急行は、この改正で初めて設定されました。梅田~西宮間運行の急行を三宮までノンストップで延長した形で、直前に民営化された東海道線(今の通称JR神戸線)への対抗策だったと思います。
 基本的には12分サイクルで、日中は特急・快速急行・普通を、夕方は特急・急行・準急・普通を運行していました。種別毎の内容は複雑だが、ダイヤ体系は、今と比べればかなりシンプルに映ります。
 
 特急は今と比べて停車駅が少なく、基本的には梅田~西宮間を日中はノンストップで13分、梅田~三宮間は27分で結んでいました。急行が甲子園折返しとなる夜間(休日は夕方から)に、甲子園に停車します。
 急行は朝晩のみの運行になり、今津は基本的には通過、平日の下り夜間のみ停車でした。大石と青木はどちらも上りのみの停車で、需要もあるだろうが、大石は区間特急、青木は特急の待避の意味もあったと思います。
 準急も朝晩のみの運行になるが、停車駅が上下、また時間帯でもかなり変わります。基本的には梅田~甲子園間の設定。平日朝のみ西宮・御影発着もあるが、下りの御影行は、特急停車駅の芦屋は通過でした。普通電車の補完の意味が濃かったのではないか。休日は運行期間が限られていて、行楽対策だったのか?
 日中は、特急は野田(下りのみ)・尼崎センタープール前・西宮・御影で、快速急行は尼崎・西宮・御影で普通を追い抜いていました。

 平日の朝ラッシュ時は13~14分サイクル。特急・急行・準急・普通に加え、上りのみ区間特急・区間急行が運行されていました。どちらも停車駅が、今とはかなり異なっています。特急・急行と停車駅を変えて、千鳥停車の思想があります。
 山陽電鉄との直通は、当時は阪神は須磨浦公園まで、山陽は大石まででした。
 旧西大阪線は普通電車のみ12分間隔、武庫川線は朝夕12分・日中20分間隔。

その他の時刻表
 他社線は、今津からの阪急今津線は、この時期はもう宝塚側とは分離されていていて、西宮北口行のみが朝夕は平日6分・休日12分、日中10分間隔。
 ポートライナーは6分間隔で、平日の朝ラッシュ時は4分間隔でした。魚崎で接続する事になる六甲ライナーは、まだ開業していない。
 三宮からの神戸市営地下鉄は、当時は西神線方面は西神中央行と名谷行を交互に運行していて、ラッシュ時に学園都市行の設定がありました。北神急行開業前で、全列車新神戸発着。

阪神営業案内
 初乗り運賃は100円(現在は140円)で、三宮~元町間のみ80円でした。
 営業キロは、阪神には隣の駅まで2㎞以上の区間はない。最長は淀川を挟む姫島~千船間と伝法~福間で、共に1.5㎞。
 阪神は、「○番線」は「○番乗り場」という呼び方をするが、当時の尼崎駅には、西大阪線用に欠き取り式の5番乗り場がありました(ただし通常は発着がなかった)。

阪神バス営業案内
 路線網に大きな変化はなくても、ダイヤはかなり変わりました。
 特に野田阪神前は、甲子園行が平日・土曜16分・休日17分毎で朝夕には宝塚行もあり、天神橋筋六丁目行は15分間隔の運行がありました。どちらも軌道線の代替路線だったが、現在は見る影がほとんどありません。
 三宮からも、尼崎行が10分間隔でした(今は西宮まで20分間隔)。

データボックス
 ファン向け。車両編成表は、3561形2連(3567-3568)がまだ残っていました。後に2000系に改造される事になる7001・7101・7801・7901形も全車両残っています。旅客車は1987(S62)年10月1日現在306両。
(2017(H29)年4月1日現在では358両)
 線路略図に、石屋川・尼崎両車庫の構内略図まであります。石屋川は検車庫がありました。
 車両諸元一覧表もあるが、一般向けの時刻表で、ここまで必要だったかなあとも思いました。

 最後に、グループ企業の一覧表があります。名古屋阪神観光バスという、観光バス専業事業者の存在が目に付きました。六甲摩耶鉄道は現六甲山観光。

 以上、本当に簡単ながら、30年前の時刻表から、当時の阪神を振り返ってみました。こうしてみると、須磨浦公園までの直通運転はあっても、阪神自体は鉄道も、企業自体も、(タイガースがありながら)どこかこぢんまりしている印象がありました。当時は大手私鉄最小だったし。この後、特に阪神淡路大震災が、阪神電鉄を大きく変えて行く事になります。エリアの外部に、ビジネスチャンスを求める傾向が出てくる、という事でしょうか。それが、山陽直通特急であり、阪神なんば線開業に伴う近鉄との相互直通に現れていると思います。
 それにしても、阪神に限らないが、関西の大手私鉄は、近鉄を除いて全線の時刻表の販売がなくなっているのが残念。京阪は公式Webからのダウンロード、南海は冊子の無料配布(南海線・高野線別)があるが、阪神・阪急は一切ないのが寂しい。何らかの形で復活できないですかねえ。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 新幹線車内での殺傷事件が波紋を広げているが、残念ながら決定的な保安対策は、鉄道に関してはないのではないか。数年前の〔のぞみ〕車内の放火事件も、結局は罰則は強化されても、危険品持ち込みを防ぐ手段はない。ちょうど20年前のスペインのAVE乗車時に、セビリア駅のホームで、空港のような手荷物検査を受けた事があるが、日本の新幹線は本数も旅客数も比べものにならないくらい多いし、通勤電車でも起こりうる事。それに、下手すると今度は人権問題とかいう方向に行きかねない。セビリアの時も、鉄道は空港のようなマネはしないで欲しい、と思ったものだし、結局は、こんな事が起こらないような世の中を作る以外ない、という所に落ち着かざるを得ないのか。

《今日のニュースから》
10日 卓球荻村杯 男子シングルス張本智和 女子シングルス伊藤美誠 初優勝
11日 袴田事件 東京高裁 再審申し立て却下
12日 サカイ引越センター 家電リサイクル法違反で改善勧告

 米朝首脳会談、個人的にはこれまでの経緯も考えると、何か釈然としない部分が多数あるのだが、とりあえずは、核戦争が勃発するよりは圧倒的にまし、と考えるべきなのでしょう。