№1863 由利高原鉄道の駅 Before and After
由利高原鉄道は1985(S60)年10月1日、旧国鉄の特定地方交通線だった矢島線を転換して開業した、第3セクター鉄道です。転換と同時に「鳥海山ろく線」の名前が付きました。開業から早くも32年経っています。
開業時点では本荘市・由利町・矢島町の1市2町に跨がっていたが、「平成の大合併」により、現在は全線が由利本荘市に位置しています。
先月の旅行では、「コロプラ」のフリーきっぷで乗っていた事もあって、改めて全部の駅の写真を撮ってきました。ここで、昔撮った各駅の写真と並べて、新旧を比較してみようと思います。昔の写真は、例によって撮影日が不詳になってしまっているが、ほとんどは1994(H6)年に撮影したもので、四半世紀くらいは経過していると思われます。
羽後本荘 うごほんじょう
Before
After
JR東日本の駅で、駅舎内に由利高原の窓口があります。改札も別々だが、ホームへ向かう跨線橋はJRと共用です。
薬師堂 やくしどう
Before
After
ここまでは、羽越本線と併走しています。駅名は、医薬神社の薬師堂から取られているようです。
子吉 こよし
Before
After
駅名は子吉だが、現在は「子吉」という地名はなく、ここは玉ノ池に位置しています。駅舎改築時に、簡易郵便局が入りました。「平成の大合併」までは、ここまでが本荘市でした。
鮎川 あゆかわ
Before
After
駅舎が改築されているが、この後「木のおもちゃ博物館」開館に合わせて再改築される見込み。
黒沢 くろさわ
Before
After
ここは駅舎だけでなく、ホームも新しくなりました。
曲沢 まがりさわ
Before
After
転換後、平成の世になった直後の1989(H元)年10月29日に開業しています。この駅は、YR-1000形の「おばこ号」カラーが今でも残っています。
前郷 まえごう
Before
After
中間では唯一の駅員配置駅で、タブレットの交換が行われます。日本全国でもほとんど見られなくなった光景なので、鉄道側もPRを行っています。この駅も改築されています。
久保田 くぼた
Before
After
転換と同じ日に開業しました。
西滝沢 にしたきざわ
Before
After
ここも駅舎が改築されています。
吉沢 よしざわ
吉沢 よしざわ
Before
After
曲沢と同じ日に開業しました。転換後開業の3駅は皆、ホームと待合室だけの簡素なものになっています。この駅の待合室は、色が変わりました。鮎川からここまでは旧由利町。
川辺 かわべ
Before
After
この駅も改築されています。ここと矢島駅は旧矢島町。
矢島 やじま
Before
After
駅舎改築と同時に交通広場が整備され、羽後交通バスも乗り入れるようになりました。
こうして新旧並べると、国鉄時代からの駅は(羽後本荘を除いて)全て、駅舎が建て替えられました。昔の木造駅舎も味わい深くて良かったと思うが、老朽化が進んでいた駅もあり、維持のためには改築やむなしという事だったのでしょうか。
小規模なローカル第3セクター鉄道だし、利用者も日中はかなり少なく、当然経営は厳しいはずだが、その割には駅施設も車両も、更新は積極的に行われているように思われます。今後「木のおもちゃ博物館」の開館もあるし、その他「まごころ列車」などの諸々の施策によって利用者が増加し、経営が少しでも安定する事が期待されます。
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《今日見た・聞いた・思った事》
NHKの公式Web「NEWS WEB」では現在、3月に行われた西鉄バスの福岡市内の大幅減便についての特集記事(「もう維持できません」)が掲載されています。
期間限定配信なので閲覧は今のうち、なのだが、100円循環バスのルート変更・減便や深夜バスの全廃など多岐に渡る内容になっていて、特に深夜バス廃止は、「困ってしまう」という声も多いとしています。100円循環バスは呉服町方面には行かなくなり、平日は快速毎時2本・普通3本程度、土休日は快速10分毎・普通20分毎の運行に削減されています(在来系統もこのエリアは運賃が100円なのでカバーできる、という事)。
理由はご多分に漏れずドライバー不足で、通常でも不足気味なのに、イベント(たぶんヤフオク!ドーム)の臨時運行が多く、休日出勤などをお願いして何とかやりくりしてきたが、これを理由に離職するドライバーが多くなったという。このためダイヤの見直しをせざるを得なくなったが、地方路線は維持しなければならない(8年前に大幅な縮小を行っているし)、ので「ドル箱」の福岡市中心部の削減に手を付けざるを得なくなった、という事です。
西鉄のみならず、国土交通省の調査では8割のバス事業者がドライバー不足、さらに5社に1社が路線廃止や便数削減に手を付けざるを得ないという解答があったそうです。だろうな、というのは実感としてあります。敢えて名前を出せば私の地元の神奈中バスがそうで、この所各営業所で便数の削減が行われていて(25日には藤沢〔営〕でも実施)、ローカル線でもないのに10→12分、12→15分、15→20分、20→30分というように、運行間隔を拡大する形で削減が進んでいます。私が高校時代通学に利用していた路線もそうで、高校時代は確か日中8分毎だったと思ったのに、今のダイヤでは15分毎にまで減ってしまいました(無論純粋な利用者減少もあるのだろうが)。
女性の登用を積極的に進める日立自動車交通の事例もあったが、東京オリ・パラを控え、ドライバーの争奪戦はさらに激化するだろう、との予測も記されていました。
「行政や利用者も一緒になって、地域交通の在り方を考えていくことが大切だと感じた」という結論は、ややありきたりに過ぎる気もする。体力があるはずの西鉄や神奈中でこれでは、もっと小規模の事業者は相当深刻だろう事は容易に想像できる。待遇を改善するにしても、そのコストを運賃に転嫁するのは、現状ではかなり難しい(また客離れを招く恐れ大)。西鉄バスにしても、今更「100円バス」はやめにくいだろうし。そもそも労働者人口自体が減少していく中で、数ある業種からバスドライバーを選んで貰うというのは、大変厳しい作業になるでしょう。
新規参入も巻き込んだバス業界の抜本的再編成も必要になってくるのではないかと思うが、何回が書いているが、根本的にはバス(に限らず公共交通全般)の社会的地位の向上が欠かせない。特にバスは記事にもあったとおり、渋滞に巻き込まれて日常的にダイヤが乱れる事が多いし、大きなショッピングセンターやアウトレットモールができるたびにマイカーで大渋滞になって、バスのダイヤが崩壊状態に陥るようでは、バスドライバーが職業として敬遠されるのも仕方ないだろうと思う(肉体的にも、精神的にも辛い)。BRTというのではないが(西鉄のBRT計画は推進できるのか?)、道路上でもっとバス(タクシーなども)が優先的に走れて、定時性が確保される施策が施される必要があるのではないか。走行条件が改善され(それは利用者の増加にもつながるはずだし)、道路上での地位が向上すれば、バスドライバーを目指す人も増えるでしょう。この点こそ、業界や行政、利用者、あるいは一般のドライバーも含めて、考えるべき事だろうと思います。
(岡山の新規参入問題も、両備HDが指摘している根本的な問題はここだろうと思う。「行政はなにもかもをバス業界任せにして、知らん顔をするな」という事ではないのか)
《今日のニュースから》
22日 OPEC 7月から石油増産で合意
23日 「はれのひ」元社長 詐欺容疑で逮捕
高槻市の小学校のブロック塀の問題の報道は、事が起きてから初めて「実はああでした、こうなっていました」と騒ぐばかりで、それはあの福知山線の大惨事と同じ、だと思った。ブロック塀以外にも、将来起こる大地震に向けた問題点が、きっと目に見える形で存在するはず。それが今の内に明らかにされるべき。