「バスグラフィックVol.33」、先月末には発売になっていたが、これもまた少々遅くなってしまいました。
BUS GRAPHIC TOPICS
伊江島観光バスの客船送迎用BYDはここにも。グラフィック誌らしく、前後左右の4面の型式写真もあります。
先行して3年前から京都で走り出したBYDが、グラフィック誌ではVol.25の西山茂樹氏のコラムで取り上げられているが、比較すると、屋根上のユニットが目立つ以外、車体そのものは同じだと思う。中ドアがやや前よりになっていて、流動性の点ではどうだろうか。あと窓一つ分後方にあると良いと思うが、ドアのすぐ後ろに段差があるので、機器類が入っているのだろうか。ブラックアウトされているから目立たないが、後方の窓がかなり小さい。「中国」っぽさを感じさせます。あるいは強度を保たせるための設計なのか。
東武バスの旧塗装復刻車、私は、このカラーが標準だった頃を知っているが、やはり窓まわりがブラックアウトされている新エルガだと、イメージがかなり変わると感じました。できればグループ他社(セントラル・ウエスト・日光)にも欲しい。
独自のトピックスとしては、電源車を改造したボンネットバス。
KEIKYU OPEN TOP BUS “三崎めぐり”の旅
前Vol.32でデビューが発表になった、京浜急行バスの「KEIKYU OPEN TOP BUS」も含めた、三崎地域の旅。
一昔前の「京急」で「三崎」というと海水浴のイメージが強かったけれど、海水浴の衰退で(全くなくなった訳ではないけれど)、他の分野での観光開発に力を入れているようで、「みさきまぐろきっぷ」も、かなり力が入っている様子。
他に、改めて前後左右4面の型式写真。8DC9エンジンの380PS・16,031ccは、アストロメガがDC13エンジンが410PSで12,742ccだそうだから、ひと昔・ふた昔前のエンジンというのが正直な所。四半世紀前の車だし、いつまで走ってくれるでしょうか。
いいじゃん!川崎鶴見臨港バス
臨港バスは、元々は鶴見臨港鉄道(会社自体は現存する)のバス部門の、今風に言えば「分社化」。同社の公式Webによると、バス部門は1931(S6)年の本山~二本木間の開通が始まりで、その後1937(S12)年、海岸軌道の廃止の代替でバス路線を新設したのに合わせて分社、そこから数えて80周年、という事になるようです。ここでは一切記されていないが、後に京浜急行の資本となって鶴見臨港鉄道とは切れたが、現JR鶴見線・鶴見~国道間の高架の下にある車庫は、当時の鶴見臨港鉄道のバスの車庫の跡、だそうです。
(現在は鶴見〔営〕配下で、特別支援学校のスクールバスが使用している)
「運賃無料デー」とは、太っ腹だったなあ。旧苫小牧市営バスが最終日に無料にしたという事はあったが。こういう事もまた、バス事業への理解を深めてもらう事には必要なのでしょう。
彩香の臨港バス 路線ア・ラ・カルトの旅
Vol.29の「フィールドワーク試乗体験」と同じペアの紀行だけれど、今回は6ページ。
「さいか屋」(川崎店)は、独立したビルとしては閉店してもう3年、今はコインパーキングになっているが、名前が未だ変わらないのはなぜ?「チネチッタ入口」とかした方が、現状に合うと思う。
(さいか屋川崎店自体は駅前の日航ホテルのビルの3階で、子供服や宝飾品を扱う店舗を営業しているらしい)
巻末の付録のカレンダーを見ても感じるが、臨港バスというと、京浜工業地帯があるから沿線はどこも殺風景、というイメージを抱かせるかも知れないが(「臨港」の2文字からくるイメージもあろう)、案外自然とかも多くて(特に鶴見区)、見所が多いかも知れません。ここに出てきた以外では、浮島(飛行機ウォッチング)、「ふれーゆ」、三ツ池公園、綱島温泉あたりが挙げられるのではないでしょうか。
運転席から見た臨港バスあの頃
ベテランドライバーの座談会。「銀バス」は、横浜博覧会の幕だから1989(H元)年か。塩浜〔営〕ながら横浜ナンバーだが、川崎陸運支局は1981(S56)年発足でした。10年前の70周年は、このカラーを復刻して走らせていたのだが。
今の工業地帯のラッシュって、どうなんだろう?工場で働く人は減少しているし(JR鶴見線も減便している)、ロジスティックスは専用の送迎バスを用意したりしているので。
「馬に抜かれた」話は面白い。
今の高速バスや貸切バスのカラーは、「スーパークィーンK」から始まっています。台数が減ったのは、京急グループの中での再編もあったからでしょう(東洋観光が中心になった)。
川崎鶴見臨港バスで活躍する車両たち
「ポストポスト新長期規制」車がもう入っている。
昔の臨港バスは、特に塩浜〔営〕や神明町〔営〕はほとんどが長尺車だったが、一頃はダウンサイジングされて(いすゞLTの他、三菱ふそうMMが入っていた事もある)、この辺にも工業地帯の衰退を感じたりしたものでした。ただ、最近はエルガや新ブルーリボン・ハイブリッドで長尺車が復活してきているようです。「りんたん」は塩浜〔営〕だけ長尺、エンジンルームのリッドが公式側にあるので、他営業所の車両とは、デザインのパターンが違っている。
今回は、昔の「銀バス」の頃の車両はありませんでした。過去の号で何度か出てきている事もあるでしょうか。「銀バス」時代だと、前ドアの脇に運賃の表示を書いたサボと、非公式側の運転席の窓の下に、恐らくはドライバーの仕業番号と思われる青い(朝ラッシュ時だと黄色も見られた)プレートが掲げられていたのが印象的でした。
京急グループの中期計画では、臨港バスにおいては、塩浜〔営〕と浜川崎〔営〕の統合が明記されている。塩浜〔営〕の移転もその一環でしょう。今後は京急大師線の末端区間の地下化が間近で、産業道路付近の走行環境が劇的に好転するはずなので、期待は大きいでしょう。
横浜市交通局 サヨナラ 最後の方向幕車
行先表示のLED化は事業者によって考え方がかなり違うようで、神奈中バスあたりはさっさとLED化を済ませていました(さらに現在は一部営業所で白色LED化を行なっている)。一方で横浜市営バスや、民営だと相鉄バスは在来車両の交換は行なわなかったので、最近まで方向幕車両がかなり残っていました。
赤いランプの終バスも幕ならでは。LED車だと、終バスの表示の仕方はどこも結構苦労しているようです。深夜バスは見物のファンで賑わった、とあるが、どうやって情報を仕入れているものだろう?別に横浜市交通局は運用を公表していないはずだったし。
讃えよう P-の功績
今回は全部富士重7Eボディ車。鞆鉄道のP-U33Kは、車両そのものの引退はやむなき事だが、イラストラッピングが可愛らしいので、他車に受け継がれていないとしたら、残念。
(エアロスターなどにあるが、デザインが異なる)
裏表紙は臨港バスのドライバー募集だったが、グラフィック誌もこの所、裏表紙はドライバー募集が多い。Vol.28と30~33は西武バスの募集だったし。グラフィック誌を見て、バスドライバーを目指す人が増えてくれると、幸いです。そのためにも、グラフィック誌の紙面の充実も期待されます。同じバス趣味誌でも他誌と違って、美しい風景を走る写真や楽しげな紀行の記事が多いので、それに惹かれてドライバーになりたい、という方々が増えれば。
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今号のグラフィック誌、「バス歳時記」は雪景色の中を走る立川バスのポンチョだったが、ひょっとしたら明日、関東地方はこういう景色を見せつけられる事になるのでしょうか…?「見せつけられる」だけならまだ良かろうが、国土交通省が「緊急発表」までするようでは一大事だ。更新時点では、戸塚は雲一つない星空、なのだが。間違っても、半日もの間電車の中に閉じ込められる、という事態だけは、起こらないように。
《今日のニュースから》
21日 卓球全日本選手権男子シングルス決勝 張本智和 14歳の史上最年少優勝