№1789 双発ワイドボディJET TRENDY(イカロス出版)

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 イカロスMOOK「双発ワイドボディJET TRANDY」、昨年12月の頭には発売になっていたが、少し遅くなってしまいました。
 実は元日が早々休みになり、成田空港へ行ってきました。といっても「ひこうきの丘」に3時間強留まっただけだったが、そこに飛来する旅客機の8割方は「双発ワイドボディ」、遠くに見えるB滑走路の着陸をひっくるめても、旅客用のB747は1機も現れず、A380もTGの1機のみ。JAL・ANAからのB747の退役もあるが、10年位前とは、「成田って、こんなだったっけ?」と思わせるくらい、全く様相が変わってしまいました。この1冊、そして前にも取り上げた「3発機リスペクト TRYJET STORY」「4発JET旅客機 LEGACY」と合わせて読む事で、その流れが理解できるようになるのだと思います。

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 前半は、1980(S55)年に就航したTDA(東亜国内航空)のA300B2に始まる、日本のワイドボディ機の歴史が、軽妙なタッチで綴られています。
 歴史そのものは改めてどうという事はないが、「B787が、他機種の置き換えを目的に導入されたものではなかった」というポイントは重要でしょう。JALはデビューがいきなり北米大陸のボストン線で、サンディエゴ、ヘルシンキ、メルボルンはB787でスタートした路線、ANAもシアトル、サンノゼ、ブリュッセル、デュッセルドルフ(シドニーも実質そう)路線がB787で始まっています。「ハブ&スポーク方式の終焉」という世界的な流れを、そのまま体現していると言えます。後に一部でははB777シリーズを置き換えていく事になり、特にANAは、B787-9就航後にはB777-200ERが国際線から撤退、という事も起きるのだが。
 ただ、なぜかどこにも記されていなかったが、JALがB777-300ERのローンチカストマーであった事も、影ながら大きかったと思う。どこまで本気かは解らないが、後に双発ワイドボディ機がB747などに取って代わることになると、密かに読んでいたのかも知れない。後に、知られる通りの一大事があって、思った以上に早くそうなったが、これもまた、世界的な傾向にもなりました。
 あと、JALのB767-200が意外にしぶとかった。「Arc of the Sun」になって、B747と同じ頃まで飛んでいたので。
 ANAのB767-200が一時SKY、ADOにリースされていた事があったので、その写真もあれば良かった。
 JALは来年、国内線にもB787-8を導入するが、どのような仕様になるのでしょうか。羽田~伊丹線中心というから、Fクラス設定の3クラス、普通席は、国内線はさすがに9アブレストになるでしょう。ANAが国内線のB777やB787にもパーソナルTVを付けると言うから、対抗措置が取られるのでしょうか。

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 中盤では、総論として、双発ワイドボディ機の開発の経緯、技術上のポイント、そして現状が記されています。
 双発ワイドボディジェット機が、ここまで隆盛を極めるようになったのは、次の3つのポイントがあったから。

1. 高バイパス比エンジン
2. ETOPS
3. 2メンクルーとグラスコクピット

 この3点が出揃った時点で、多発機は急速に駆逐されていく。まず3発機が、構造上の中途半端さもあって先に姿を消し、4発機も、比較的新しかったA340でさえあっという間に過去のものになりつつあり(日本に来ているのは今やSK・LX・TNのみ)、2階席のあるA380とB747-8のみになった。この両機種も、A380は日米で売れなかったのが誤算になったし、B747-8に至っては3社(LH・CA・KEのみ)47機に留まっていて、終了も間際だろうと言われています(正式なアナウンスはないが、KE向けの1機が旅客用B747では最後だろう、という米の報道もあった)。
 日本の場合、1.国内線は新幹線の延伸や高速化など陸上交通の強化で航空からの転移が少なからずあった、2.国際線も、羽田や成田の拡張である程度増便が可能になった、この2点が、超大型機の必要性が薄まった理由に挙げられるだろうと思われます。日本では、輸送量が急増するのに空港のキャパシティが小さかった事が、ジャンボ機などの大型機を必要とする理由になっていたので。
(他には伊丹空港が騒音対策でジャンボ機の離発着が原則禁止になった事、JALの経営破綻があった事もあるだろう)
 今でも双発機の長距離飛行の安全性を疑問視する声はあり、杉江弘氏(元JAL機長)もはっきり否定的なスタンスを取っている(執筆している青木謙知氏は双発ワイドボディ全肯定だが、この点に関する解答も聞いてみたい)が、現実に長期間の運航で実績が積み上がると、双発である事そのものが多発機に対してはっきり危険、とはもはや言えなくなり、競争が年々厳しさを増す一方の業界だから、運航コストを無視する事がさらに許されなくなってくる(安全性を軽視していい、という事では決してないが)。日本ではこの後羽田空港の離着陸新ルート設定でさらに増便が見込まれるが(スッタモンダもありそうだけれど)、遅くともこの時点でよほどの事情がない限り、日本で見られる多発機はANAなどごくごく少数のキャリアのA380のみとなり、双発機への置き換えはほぼ完了する事になろうと思われます。

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 後半は、A300B2/B4以降の8機種(A300はB2/B4と-600で分けている)をラインナップしています。結局の所、双発ワイドボディ機を開発できたのは、エアバスとボーイングだけでした。ロッキードとマクドネル・ダグラスは3発機を造った所で、前者は旅客機の製造を止め、後者はボーイングに吸収されてしまいました。旧ソ連・ロシアも開発できていないし。開発に成功した両社が、大型機市場の「勝ち組」になった、という事でしょうか?
(B747-8やA380が売れないのは痛し痒しだろうが)
 やや気になったのはB787の項目で、各モデルの就航開始あたりの所で筆が止まっているので、5年前のリチウムイオン電池発火による運航停止や、その後のGEnxエンジン機の一時的な飛行制限が記されていない。
 また、B777は当初、短胴型の-100の計画もあったが、この点についても筆が回っていませんでした。
 A300は当初、アメリカ市場の売り込みに当たってイースタン航空やラガーディア空港に色々便宜を図った事はよく知られているが、こんな事、今のトランプ政権下のアメリカでできるでしょうか?

 最後半には「3発機…」同様の事故一覧があるが、事故・インシデントに関しては、エンジンの数は関係なく、全く別にデータベース的な資料を作成し、別に刊行すべき。やや記述がダラダラした印象も受けるし、1994(H6)年に発生したAF機ハイジャックなどは、機体そのものや運航の不備に拠るものではないから、ここでは不適当だと思う。
 むしろ、今後の旅客機の開発の展望を見たい。A350XWBが就航した時点で、エアバス・ボーイングは共に、ナローボディ機も含め、まっさらな新設計機の計画がなくなってしまいました。後は「neo」とか「MAX」とかついた、在来機種の改良型のみ。今後「B797」とか、「A360」なる機体は現れるのか?としたら、それはどのような機体なのか、あるいはどのような機体であるべきか。
 それと、ロシアと中国が旅客機開発で協力、2027年に双発ワイドボディ機の市場投入を目指すとの報道が昨年あった。結構重要だと思うのだが、背景に何があるのか、どのような物になりそうなのか、その辺の所も知りたいなあ、と思いました。

「双発ワイドボディ機 一覧」を見ると、JALのA350は、既に発注分全部の予約登録のレジが記されています。-900が「JA○○XJ」、-1000が「JA○○WJ」、この付け方にも、A350への期待の高さがにじみ出ているような気がします。どちらも、導入がもう来年、という話になりました。東京オリパラの前年なので、スペシャルカラーでデビュー、という事も期待できるでしょう。ANAのB777-9Xも期待です(まだ予約登録されていないし、東京オリパラには間に合わないが)。
 超音速旅客機は、何でもアメリカのベンチャー企業が開発中、JALが資本提携というニュースがあったが、座席数45~55ではビズジェットの発展型という程度で、双発ワイドボディ機の地位を脅かす物にはなり得ない。数年・数十年は双発ワイドボディ機の時代は続きます。新設計機がしばらく実現しないので、成田も羽田も当分の間、ウォッチングではやや面白みを欠く事になろうが、ともあれ日本の空の(内も外へも)主役となった双発ワイドボディ機の動向は、機体の外も内も含めて、今後も注目となるでしょう。

 なお、実は私も3月、いよいよA350XWBに乗る事になりました。思っていたより1年位早い。LHの羽田→ミュンヘン便で、昨年予約した時点ではA340-600だったが、12月に機材変更で交代となりました。LHの日本路線に双発機が就航するのは初めてで、これもまた、世界の旅客機の潮流を象徴する出来事と言えるでしょう。どんな体験が出来るのか。帰ってきたら改めて書く予定です。
(帰国はフランクフルト便のB747-8)

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《今日のニュースから》
 8日 トランプタワー屋上で火災 3人負傷
 9日 慰安婦問題合意 韓国が新方針発表 

№1788 バスジャパン・ハンドブックシリーズS97 名鉄バス

 今月に限り、日曜日も追加で更新します。
「バスジャパン・ハンドブックシリーズS97 名鉄バス」は昨年11月の末発売になったが、データ分析が少々遅くなってしまいました。いつも通り、分析で中心に書いてみます。

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 名鉄バスは名古屋鉄道(名鉄)のバス部門の分社で、東海地域では最大級のバス事業者になるが、これまでBJハンドブックシリーズで取り上げられた事がなかったので、今回の刊行は歓迎でした。
 グループ2社はさらに分社の名鉄バス東部と名鉄バス中部。名鉄観光バスはないのか?と、前回の「関鉄バス」の最後に書いたが、名鉄バスと名鉄観光バスの両社は共に名古屋鉄道の100%子会社で、資本的には対等。名鉄観光バスは、名鉄バスの子会社、ではない。西尾地域の路線を引き継いでいる名鉄東部交通も、昔からあるタクシー会社で、名鉄バスの資本は入っていない。

◆ 名鉄バスの車両たち
 少々驚きだったが、登録番号(ナンバープレート)の地名が8ヶ所もある。現在名鉄バスの営業所があるのは愛知県内だけなのだが、愛知県内は元々名古屋(愛知運輸支局)・三河(西三河自動車検査登録事務所)・尾張小牧(小牧自動車検査登録事務所)・豊橋(豊橋自動車検査登録事務所)の4ヶ所だった所、「ご当地ナンバー」制度で岡崎・豊田(三河)、一宮・春日井(尾張小牧)ナンバーができて、今の姿になりました。東京都でさえ7ヶ所(品川・練馬・足立・多摩・八王子と「ご当地」の世田谷・杉並)なのに。県の範囲が広い事もあるが、それだけ車が多いという事でしょう。
 1124号車(LKG-MP37FM)は名古屋〔営〕所属になっているが、岡崎ナンバーなので岡崎〔営〕所属が正当ではないでしょうか。これを前提にして分析します。

1.従って純粋な「観光バス」は少なくなるから、用途別割合は乗合78.86%、高速15.82%、貸切5.32%。貸切にはイオンやボートレースの場外への送迎、スクールバス等も含まれていて、「観光バス」は30台と考えられます。
 乗合の営業所別割合は、名古屋〔営〕19.39%、岡崎〔営〕16.86%、一宮〔営〕14.50%が上位。高速中心の名古屋中央を除くと東部・蒲郡が一番少なくなり2.36%。小牧〔営〕2.87%。豊田〔営〕が意外に少なく、11.30%。67台中24台がとよたおいでんバスです。名古屋中央〔営〕は8台中7台が基幹バス。中型1台はどこで使われるのだろう。
 やや強引だが、先のナンバープレートの登録事務所でエリア分けすると、一番多いのは三河になりました。39.12%で、乗合全体の約4割になります。尾張小牧30.86%、名古屋27.66%。やはり名古屋の郊外が手厚くなっているようです。
 高速は2社5営業所に配置され、名古屋中央〔営〕57.14%がやはりダントツです。かつては蒲郡〔営〕もセントレアへの空港バスがあったが、廃止で高速バス配置もなくなりました。
 貸切は小牧〔営〕以外全てに配置があり、一番多いのは津島〔営〕で1/5を占めます。全て純粋な貸切車(全車KL-MS86系)。

2. 平均車齢(2017年式=0年として計算)は、乗合7.03年、高速6.87年、貸切10.70年。
 乗合で一番若いのは一宮〔営〕で4.86年、平均よりかなり若い。2015(H27)年以降に41台を導入し、乗合全体の半分近くになっています。何があったのだろう。知立〔営〕6.17年、名古屋〔営〕6.45年、春日井〔営〕6.50年が、乗合全体の平均より若くなっています。逆に蒲郡〔営〕11.71年、小牧〔営〕10.35年と、名鉄バスの直接管理でない2営業所が高齢化しています。
 年式別では、愛・地球博があった2005(H17)年が一番多く、81台で13.66%、2006(H18)年が79台で13.32%、2007(H19)年が60台で10.12%。この3年だけで、乗合全体の37%になります。博覧会以外に理由があまり思い浮かばないが。その反動か、2008(H20)年は6台しか購入がありません。
 高速はやはり名古屋中央〔営〕が5.03年で一番若い。津島〔営〕と春日井〔営〕は10年以上の車輌しか配置がありません。年式別では2009(H21)年が19台で15.17%と一番高い。2006(H18)年が17台で14.29%、2005(H17)年が15台で12.61%。一方で2010(H22)年は導入がありませんでした。
 貸切は知立〔営〕7.60年、蒲郡〔営〕7.71年が若く、名古屋〔営〕は2004(H16)年式しかないから13年と最高齢。年式別では2005(H17)年がやはり一番多く、52.50%で貸切全体の半分以上(「観光バス」は17台か)。
 乗合・高速・貸切いずれも最高齢は2003(H15)年式。
 3部門合計では2005(H17)年が115台で名鉄バス全体の15.56%、逆に2008(H20)年はわずか11台の導入に留まり、1.46%にしかなりませんでした。
 中古導入は、大興タクシーから移籍した知立市ミニバスのポンチョ2台の他はありません。

3. 中小型・大型・高速貸切の割合は、それぞれ27.53%、55.98%、16.49%で、大型の一般乗合型式が半分以上。春日井〔営〕は85%強が大型。逆に小牧〔営〕・蒲郡〔営〕と、名鉄直接管理でない2営業所は、中小型の割合が一番高くなっています。
 メーカー別では、三菱ふそうが77.79%で圧倒的、日野が21.28%、トヨタ0.66%、いすゞ0.27%。
 ただし豊田〔営〕は三菱ふそうと日野で完全に逆転し、日野81.25%に対して三菱ふそうは17.50%にしかなりません。日野が三菱ふそうを上回っているのは、他に高速オンリーの中部・名古屋〔営〕(日野6台・三菱ふそう4台)。
 さらに型式で分けると、PJ-MP35JMが84台で乗合全体の14.16%、名鉄バス全体でも11.17%、TKG-MK27FHも82台で乗合全体の13.82%、名鉄バス全体の10.90%と、大所帯です。
 貸切で2TG-MS06GPが入ったが、「ポストポスト新長期規制」車と、燃料電池バスはBJ初登場です。
 津島〔営〕にいすゞ新エルガが2台入ったが、なぜ今になっていすゞ導入なのだろう?初ではないだろうが。

4. 乗合車のノンステップ率は乗合全体の61.55%。豊田〔営〕の68.66%が一番高いが、飛び抜けて高い所はない。津島〔営〕が34.15%で一番低い。
 低公害車は、エアロスター・エコハイブリッドは早々に全車輌が引退、ハイブリッド車は日野20台。内13台はとよたおいでんバスです。CNG車はない。BDF改造車が6台。

◆ 名鉄バスのあゆみ
 序盤では鉄道会社としての名鉄の成立に、割とスペースが割かれていました。大正時代、母体の名古屋電気鉄道が名古屋市内の路面電車を市に譲渡し、郊外線専門と設立した名古屋鉄道に事業を郊外鉄道事業を譲渡したのが初代。美濃電気鉄道と合併して名岐鉄道となり、戦争前に東の愛知電気鉄道と合併して出来たのが、2代目となる、今の名鉄。
 バス事業は戦前は直営もあったが(被合併企業が運営していた路線)、戦争中に子会社に譲渡、戦後再び名鉄直営となる。だから名鉄のバス事業は直営→子会社譲渡→直営→分社の繰り返しになっています。
 名古屋~飯田間のバスは戦前の開業、1938(S13)年スタートだから、今年は80周年という事になります。「(高速バス)金沢線の成功が高速バスの全国的な展開を主導した」と記されているが、1987(S62)年の開業時は既に夜行で〔ムーンライト〕〔ノクターン〕があり、昼行でも新宿発着の中央高速の延伸などがあって、「ブーム」と呼ばれる位の路線の展開が見られていたから、やや違うと思う。名鉄バスとしての高速バスの基礎は、やはり名古屋~伊那・飯田線という事になるのではないか。
 21世紀に入るとグループ内のバス事業の再編成が大規模に行なわれるが、合併・分社に事業のやりとりもあったりして結構ややこしい。「名鉄」+「東部」の社名の会社が3つ出てくる。名鉄東部交通・名鉄東部観光バス・名鉄バス東部、全部異なる会社。
 蒲郡エリアは20年足らずの間で、名古屋鉄道→(1990(H2)年)サンライズバス→(1999(H11)年)三河交通→(2003(H15)年)名鉄東部観光バス→(2008(H20)年)名鉄バス東部と、グループ内で4回も会社が変わっています。

◆ 名鉄バスの路線エリア
 基本的に名古屋を軸として、JR東海道本線の東側・関西本線の東側。営業所毎に個別に路線網が発達はしているが、営業所間のつながりがあまりなく、尾張小牧エリアは他エリアとのつながりがない。落下傘路線が多い。今は木曽川が北限で、一般路線は他県への乗り入れがありません。
 31年前の「名鉄時刻表」を改めて紐解いて見ると、路線網がかなり縮小されている事を感じます。全体的な路線図がないので視覚的な比較は難しいが、当時は名鉄バスセンター~小牧・一宮・日進・多治見、東岡崎~蒲郡・西浦温泉、神宮前~鳴子みどりヶ丘、などの路線が確認できます。こんな路線もあったんだ、という感じ。
 名鉄バスに限らないが、高速バス・空港バス路線の一覧の目的地は、地域名の方が良いと思う。「西部車庫」って、どこ?と思う人もいるはず(熊本の九州産交バスの車庫)。

◆ 終点の構図 西中野
 名鉄バスの終点は、雑誌時代の№4(1987(S62)年刊行)で上仁木(小原村・現豊田市)が取り上げられています。当時は交通公社の時刻表(現JTB時刻表)または弘済出版社の時刻表(現JR時刻表)の索引地図に掲載されている終点から1ヶ所を選んでいて、その中の「和紙のふるさと」を選んだ所、ここへ行く豊田市からの路線は和紙のふるさとの少し先、上仁木を終点としていた、という事。古びた民家の傍らにある回転場に「飯野 豊田市」の行先を掲げた、「低床バス」の「ブル」が待機している写真が掲げられていました。この路線は現在は「とよたおいでんバス」に移行しています。
(「路線バス 終点の情景」には未収録。ネガが見つからなかったそう)
 西中野は旧尾西市。折返し場所は無くて、上下でルートが異なるループの途中にある終点。途中の尾張中島までは旧軌道の起線の代替路線もあって(といっても65年も前の話)15分毎位には便があるが、西中野行は朝夕約1時間、日中は2時間毎、1日11往復と減少します。渡し船は愛知県と岐阜県を結ぶが、愛知県営らしい。対岸は岐阜県羽島市で、名鉄竹鼻線の代替バス路線があるようです。
(右側に見える小屋は、渡し船のものではないようだ)

◆ 尾張・三河の史跡と伝統産業
 今回の谷口礼子さんの紀行は東京・バスタ新宿から夜行便で出発。名古屋から長久手方向への基幹バスで東に向かい、一転して南の、主に三河のエリアを乗り歩くプランになっています。BJの紀行は東京からの高速バスで始まる事が多く、「S」では京都バス・京福バス(S88)越後交通(S90)奈良交通(S92)が、東京からの高速バスでスタートしています。
 瀬戸の陶芸の体験は、1時間20分の待ち合わせでできるものなのか。えらく時間が掛かりそうなイメージがあるのだが。伝統品の製作の体験は、私は?というと、中学生だったと思うが、七宝焼きをやった事があるくらい(名鉄バスにも七宝地域(あま市)を経由する路線がある)。
 足助というと香嵐渓、という事になり、シーズン中だと全国各地からツアー客が来る。紅葉期は絶景らしいが、かといって人でゴミゴミするのはイヤ。宿泊場所の確保も難しくなりそうだし、いつ訪れるのが良いのかは微妙な所。
 岡崎城は「直虎」でも出てきたので、興味が持たれました。正室の瀬名を住まわせていた所でもありました。阿部サダヲが演じていた徳川家康は、これまでの大河ドラマで出てきた家康像とは若干違って、特に後半はやや穏やかな印象を受けた気がします。本能寺の変の直後くらいまでの、若き日の頃が描かれていたからだろうが。

 名鉄バスは恒常的に乗る事業者ではないからあまり多くは語れないが、ご当地ナンバーの多さに現れるように、とにかくマイカーとの闘いに明け暮れる地域なので、今後も厳しい環境に置かれる事になるのでしょう。鉄道の名鉄やJRでさえ、クロスシートの特急や快速を頻発させながら苦戦しているので。大きなショッピングセンターができる度に渋滞に巻き込まれるのもお約束だが(最近ではIKEA長久手、日中は渋滞対策で、一部の路線が長久手古戦場駅に入らない)、バスでも各イオンモールなどへの契約貸切輸送や路線バスもあるので、何とか利用者を獲得したい。これは名鉄バスだけでなく、ショッピングセンター側にも考えて欲しい所。
 高速バスは、長距離の夜行便はドライバーの確保もあって、今後も維持し続けられば良いが(特に東北・九州方面)。主力は引き続き、中央自動車道を中心とした中・短距離路線となろうか。セントレア空港バスは開港当初の路線網からすぐに大幅に整理、親会社の鉄道アクセスが比較的良いから展開が難しいが、空港利用者が確実に増えてきているので、今一度対応の見直しが必要かも知れない。特にインバウンド。24時間空港で、今後深夜・早朝発着便が特にLCCで設定される事も考えられるので、この点への対応が求められる場面があるかも。
 車輌面では、乗合車の主力の三菱ふそうが昨年秋「E-FUSO」ブランドを立ち上げており、今後はバスも急速にEV化が進むと思われる。既にトヨタの燃料電池バスも運行されているが、各営業所の脱内燃への対応が急務となるかもしれません。
 ともあれ愛知県で一般乗合・高速・貸切3部門いずれも営業を行なう事業者では最大、東海地方でも最大級の事業者であり、各分野でリーダーシップが図られる事が期待されます。それが、地域のバス事業の地位向上にもつながるでしょう。

 次回刊は小田急バス・立川バスと発表されています。NEW31とR65で取り上げられていて、ハンドブックシリーズとしては3回目になります。小田急グループとしては、路線網の展開が異色な事業者です。グループ2社は小田急シティバスとシティバス立川でしょう。立川バスにはリラックマやウドラなどの他、ここにもアニメタイアップラッピング車があるが(フレームアームズガール)、写真が出てくるでしょうか。

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《今日のニュースから》
 7日 帝京大学 ラグビー全国大学選手権優勝 史上初9連覇

№1787 闘将 逝く

 衝撃、という他はない。

 中日ドラゴンズのエースとして活躍、また中日・阪神タイガース・東北楽天ゴールデンイーグルスで監督を務め、3チームで4度のリーグ優勝、楽天ではついにチームを日本一に導いた星野仙一氏が、4日に亡くなられたと、今日早朝、ニュースで明らかになりました。
 この時点では具体的な事が解らないまま仕事に向かったのだが、帰ってきてから各種報道で確認した所、一昨年膵臓がんが判明、闘病生活を続けてきたが、先月下旬に病状が悪化していたという事でした。

 星野氏は無論エースだったから、私より年上の方々なら中日のイメージが圧倒的に強いでしょう(申し訳ないが、私個人は現役時代の印象は今一つ)。あるいは東日本大震災の直前に監督に就任し、2年後にチームと共に自らも初の日本一を獲得した、楽天時代も印象に残るでしょう。
 しかし、特に監督としてのキャリアで一番強烈だったのは、2003(H15)年の阪神タイガースのリーグ優勝、だったのではないでしょうか。

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 阪神電鉄から発売された、優勝直後に発行された、「らくやんカード」のセットです。
 台紙上部に、星野監督直筆の「夢」のサインが、書かれています。
 右側が星野監督。
 中日と楽天では星野監督の磁気カードがあったかどうか解らず、ひょっとしたら星野監督を描いた鉄道の磁気カードを発行したのは、阪神だけではなかったでしょうか。
 ただこのカードセットは優勝決定前に準備されていたはずで、優勝決定そのものを描いたものではありませんでした。
 その後の日本シリーズでは当時の福岡ダイエーホークスと対戦、この時は日本一は逃したが、第5戦で3勝目を上げて王手、あと一歩という所まで王貞治率いるホークスを追い詰めました。この事もまた、印象を強くさせているはずです。
(史上初めて、全7戦でホーム側が勝った「内弁慶シリーズ」でもあった)

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 シーズン終了後、セ・リーグでタイトルを獲得したタイガースの選手を集めたカードセットが発売されたが、台紙で改めて、優勝決定直後の、ペナントを掲げた集合写真が掲げられています。
 星野監督は右から3人目(丸で囲んでいます)。
 下のカードに描かれたタイトルホルダーの井川、今岡、赤星、これにFA移籍の金本(現監督)に矢野、藤本、ウィリアムスらが大活躍、チームを18年振りのリーグVに導きました。
 特に赤星は、リーグ優勝が決まった日にサヨナラタイムリー、今日のニュースでも使われていたが、星野監督と抱き合って喜ぶシーン。今でも良く覚えているよ、という方々、多いでしょう。
(この後のナイトゲームでマジック対象のヤクルトが敗れて、Vが決まった)

 一方でずいぶん「武勇伝」もあった星野氏だが、それもまた個性の一つ。70歳なんてあまりにも早すぎ、若すぎるけれど、その強烈な個性が与え続けた印象は、ファンであろうがなかろうが、いつまでも忘れる事は、ないはずです。
 ご冥福をお祈り致します。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 前回書けなかった、ジェットスター・ジャパン(JJP)の年末年始の利用状況が、昨日発表になりました(日付は4日だが)。

国内線 座席数119,520席(106.8%) 旅客数108,833人(113.4%) 利用率91.1%(+5.4%)
国際線 座席数17,460席(99.0%) 旅客数15,637人(104.1%) 利用率89.6%(+4.4%)
 国内線はこの直前に成田~宮崎線が開設になり、座席数が増加、それ以上に旅客数が増えて、利用率は90%を上回りました。ピークは下りが31日の95.2%、上りは3日の91.4%。
 国際線は成田~上海線が開設になっているが、座席数は微減。しかし旅客数は逆に増えていて、利用率は向上しました。ピークは日本発が1日の96.7%、日本着が30日の90.2%で、着が発より先になりました。
 JJPも期間中全日、国内線は下りが上りを、国際線は日本発が日本着を上回りました。
 なお、JJPのプレスリリースは掲載年から選択するが、「年度」になってしまっている。「2018年度」は2018年4月1日~2019年3月31日を差すので、このリリースを掲載している「2018年度」は誤り。
 エアアジア・ジャパンは発表がありませんでした。年末には予約状況が発表されていて、全日70%を上回っています(3日80%)。29~31日と3日に臨時便を運航したとの事。

《今日のニュースから》
 5日 男子ゴルフ新会長 石川遼が最年少で選出
 6日 米軍ヘリ 伊計島の砂浜に着陸

 なんだか関東地方はこの数日、地震が多いです。昨日の緊急地震速報は「誤報」みたいな感じだったらしいが、ちょっと不気味。

 書きたい事が多いので、今月に限り、日曜日も追加で更新します。明日、更新やります。