№1798 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 17.名鉄犬山線 犬山<後>

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 名鉄犬山駅の時刻の変遷、後半は21世紀に入って現在に至るまでです。セントレア開港を筆頭に、小牧線の市営地下鉄上飯田線との相直開始、一方でローカル支線廃止と、犬山近辺を巡る名鉄線は、ダイヤ改正の度に明暗様々交錯するようになります。

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2001(H13)年10月1日改正(Vol.18)
 上小田井駅が、ようやく正式な急行停車駅になりました。
 関東や関西では、路線の途中で地下鉄が接続するようになると、同時に急行停車駅に格上げになるのが普通です。関東では小田急小田原線の代々木上原や東武東上線の和光市、関西でも近鉄京都線の竹田があります。ただ上小田井駅は乗降人員が今でも2万人に満たないようで、地下鉄接続駅としては少ない、という事も、正式な停車駅にするには難しい部分だったかも知れません。
 扶桑駅が改良工事により、待避駅となりました。
〔北アルプス〕が廃止になりました。8500系は会津鉄道に移籍する事になります。
 各務原線は、日中の急行は犬山始発・終着となり、犬山線から直通の急行は、各務原線内は普通で運行になりました。
 名鉄ではこの前日9月30日を持って、八百津線に揖斐線(黒野~本揖斐)・谷汲線・竹鼻線(江吉良~大須間)が廃線になっています。

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2003(H15)年3月27日改正(Vol.19)
 名古屋市営地下鉄上飯田線・平安通~上飯田間が開業。小牧線との相互直通運転が始まりました。
 平安通~上飯田~味鋺間は「上飯田連絡線」として地下線工事を行なっていたもので、同時に味鋺~小牧間は全区間複線となり、名城線と接続する事で、小牧線沿線(特に南部)から都心への便が飛躍的に向上する事になります。
 また、磁気式ストアードフェアカード「トランパス」が、小牧線からサービスを開始しました。この後導入範囲を拡大していく事になります。
 小牧線は全列車が上飯田線に直通、15分間隔に増発になりました。
(小牧~平安通間は平日朝方7~8分毎、夕方10分毎)。
 各務原線は、三柿野から普通で運行していた急行が、市民公園前が通過となって、新那加~新岐阜間を普通として運行。
 広見線の特急が可児川に新規停車。

 2004(H16)年3月一杯を持って、三河線の非電化区間(吉良吉田~碧南・猿投~西中金間)が廃線になりました。非電化区間は全て廃線です(全て元は電化路線だった)。

2005(H17)年2月17日、常滑沖に中部国際空港「セントレア」が開港しました。

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2005(H17)年1月29日改正(Vol.20)
 開港に先立って行なわれた改正で空港線(常滑~中部国際空港)が開業、同時に種別体系に大幅な変更がありました。
 列車種別を再度細分化し、特別停車を減らす事で解りやすさを狙ったもので、新たに快速特急快速急行を設定した他、本線の準急が復活しました。
(快速急行は1990年代に名古屋本線で設定されていた事があるが、性格は大きく異なっていた)
 犬山線は、基本は快速特急特急急行準急普通の4本建てとなり、平日朝方のみ快速急行が設定されています。栄生に停車しない列車が快速急行、栄生に停車するが扶桑は通過が急行、扶桑に停車する列車が準急、となります。
(ただし扶桑に特別停車する快速急行あり)
 快速特急は、2000系「ミュースカイ」で運行、神宮前~中部国際空港間がノンストップで、日中の犬山→中部国際空港間は53分。
 河和・内海方面への特急は、半分が名古屋発着となり(河和行・内海発)、快速特急と合わせても、犬山線内では、運転間隔でややバランスを欠く感がありました。下りの西春特別停車は取り止め。
 新可児~常滑間の急行準急となり、中部国際空港まで延長しました。常滑線内は急行で走ります。
 各務原線は、最終電車が三柿野から急行となりました。
 広見線の学校前駅が廃止になった他、新名古屋→名鉄名古屋、新岐阜→岐阜、ナゴヤ球場前→山王、各務原飛行場→各務原市役所前、徳重→徳重・名古屋芸大前に改称。
(他に新那加の「那」の字を常用漢字に変更)

 この改正の直後の3月31日を持って、岐阜県内の600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線・田神線)が全て廃線になりました。名鉄全体では、10年で約100㎞の路線が廃止になった事になります。

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2006(H18)年4月29日改正(Vol.21)
「ミュースカイ」を順次4連化しました。中部国際空港駅線増も行なわれ、空港アクセスの増強が図られていきます。
 早朝に中部国際空港行快速特急を増発、夜間には内海行特急を増発(名古屋から延長)しています。
 各務原線は、初電となる急行を、普通の前に増発。
 広見線は土休日の最終を繰り下げました。

 この年、特急の政策が再度変更され、全車特別車の列車は「ミュースカイ」のみとし、快速特急特急は全列車特別車・一般車併結とする方向へ行く事になりました。2200系増備の一方、1000系の4両固定(全車特別車)編成は順次廃止となり、通勤車5000系への更新が進められます。

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2007(H19)年6月30日改正(Vol.22)
 その第1弾として、新鵜沼~河和間の特急が一部特別車編成の運行に成りました。平日朝の広見線特急も、一部特別車編成です。
 平日朝方の河和・内海行特急を、中部国際空港行快速特急に変更しました。

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2008(H20)年6月29日改正(Vol.23)
 この年は2回に渡って改正が行なわれました。
 西尾線の運転形態の変更がメインになったが、同時に広見線・新可児~御嵩間でワンマン運転がスタートした事で、運転系統が新可児で完全に分断されました。
 
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2008(H20)年12月27日改正(Vol.23)
 特急政策変更の総仕上げとなる改正です。
 全車特別車の列車は2000系「ミュースカイ」のみとなり、独立した種別名称となりました。ミュースカイは中部国際空港~岐阜及び新鵜沼間を交互に運行する事になります。夜間は特急に代わり、広見線新可児へ直通。本数も増えています。
 快速特急特急は全て一般車併結編成となりました。運転系統が変更になり、日中は豊橋発着になります。なお、下り…快速特急、上り…特急とアンバランスだが、名古屋本線内(豊橋~神宮前間)の停車駅の違いだけで、犬山線内は同格。両者とも、柏森に新規停車。
 河和・知多新線内は原則特急(名古屋発着)…河和発着、急行…内海発着に統一となり、犬山を発着する急行は大半が内海行で運行。
 準急が岩倉まで各駅に停車となり、普通を統合して削減。鶴舞線直通は、犬山発着は朝方のみ(平日は深夜に1本あり)となりました。
 各務原線は、朝方の一部を除いて犬山線との直通がなくなり、急行も犬山発着で運行されています。夜間の準急急行(新那加~岐阜間普通)に変更になり、三柿野~岐阜間の区間運転が削減されています。岐阜~新可児直通急行は廃止になりました。
 この前日をもって、モンキーパーク・モノレール線が廃線になりました。名鉄の路線は全て1500V・1067㎜軌間に統一された事になります。また、7000系パノラマカーが引退しました。名鉄の一大転換点となる出来事でした。

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2011(H23)年3月26日改正(Vol.25)
 前回の改正から2年以上間が空きました。
 犬山線は、平日朝方の特急2本がミュースカイになりました。
 河和・知多新線の特急急行の運転形態が結局元に戻って、共に河和発着と内海発着を交互に運行する形態になりました。犬山を発着する急行も、河和行と内海行が交互に発車します。
 広見線は、朝方の特急急行が取り止め。広見線の急行がなくなり、優等列車は朝方上り・夜間下りのミュースカイのみ。土休日も最終電車が繰り下げになりました。
 直前の2月11日、ICカード「manaca」がスタートしました。名鉄は基本的に全線利用できるが、広見線・新可児~御嵩間(および蒲郡線)は対象外で、新可児に絡む利用のみ、新可児駅で処理する事で利用可能になっています。

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2011(H23)年12月17日改正(Vol.26)
 太田川駅の立体化に伴う改正で、犬山駅関連は小規模な修正に留まりました。

 以上全く簡単ながら、名鉄犬山駅を巡る31年間のダイヤの変遷をたどってみました。まだまだ書き足りない事も多かったはずで、この点はご了承ください。
 名鉄はこの改正を最後に6年間、本格的なダイヤ改正が行なわれていません(工事の進捗による修正はあったようだが)。大手私鉄では一番古いダイヤになっています。今の名鉄のダイヤはセントレアへのアクセスにかなりの重きが置かれているが、この間のセントレアの利用者は2011(H23)年度8,890,731人(内際計)から、2016(H28)年度10,962,596人と、23.3%も増加しています。インバウンドとLCC便の増加が理由として挙げられると思われるが、そうなるとそろそろ、アクセスのダイヤの見直しが行なわれて然るべきと考えますj。中部国際空港駅の時刻表について書いた№1007の繰り返しになる部分も多いが、現状でも完成度はある程度高いとは思うけれど、さらに増発(特に特急)や、運行時間帯の拡大も検討されるべきでしょう。
 それが犬山にはどの程度波及するかは解らないけれど、名鉄は21世紀に入って減量傾向にあり、犬山付近も例外ではありません。セントレアの好成績が名鉄のダイヤに、ひいては犬山駅のダイヤにも良い影響を与える事が期待されます。無論、通常の通勤・通学や行楽の需要の増加も求められるが。

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 大手私鉄のダイヤと言えば昨日は京王(と都営新宿線)、今日は西武(とメトロ有楽町線)のダイヤ改正がリリースされました。どちらも、有料通勤列車の新設・増発がメインのポイントになります。次回書きます。

 JALは昨日の取締役会で、4月1日より植木義晴社長が会長に就任し、赤坂祐二氏が新社長に就任する人事を発表しました(大西賢会長は取締役となり、6月の定時株主総会を持って退任の見込み)。赤坂氏は技術畑のよう。「ご被災者相談部長」とは、ジャンボ機墜落事故の対応なのか?

《今日のニュースから》
24日 夏の甲子園100回大会 外野席有料化決定 
25日 円相場一時1$=108円台 4ヶ月半ぶり円高水準

 夏の甲子園では3年前(清宮幸太郎出場))から6時30分の開場を待つ観客が5000人を越えるようになって、安全面で懸念があったとの事。この事は、早朝に臨時急行を運行している阪神電車には、なにか影響を与えるだろうか?
(春のセンバツは無料を継続)

№1797 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 17.名鉄犬山線 犬山<前>

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 名鉄犬山線の犬山駅は、愛知県北部の犬山市にある、名鉄の主要駅の一つです。広見線と小牧線を分岐し、検車区も併設する、名鉄路線網の北のハブとしても機能しています。
 今回は、この犬山駅の時刻の変遷を、名鉄が刊行する時刻表を元にたどってみようと思います。別に今年が「戌年」だからここを選んだ、という訳ではありません。念のため。

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1987(S62)年2月12日改正(Vol.4 以下、カッコ内は名鉄時刻表)
 手持ちの時刻表で一番古いのは、この改正ダイヤを収録したVol.4です。31年も前になりました。
 全体的に30分サイクルでダイヤが回っていて、この基本線は今も変わりません。当時は、土曜日は平日と同じダイヤでした。
 当時の名鉄は特急急行普通に加えて高速準急の種別があったが、高速は名古屋本線だけの種別なので、犬山はあまり関係ありません。準急も犬山線は岩倉まで。
 特急は、当時は全車指定席でした。
 犬山線は、日中は1時間あたり特急2本・急行4本・普通2本の設定。常滑線(河和線・知多新線)との結びつきが強く、特急・は基本的に新鵜沼~河和または内海間、急行は新岐阜~犬山~河和または内海間、及び新可児(御嵩・明智)~常滑間(広見線内は普通)で運行されています。
 また、観光特急「パノラマDX」(8800系)に、高山本線直通DC特急〔北アルプス〕もありました。〔北アルプス〕は、当時は神宮前~富山間の運行でした。
 平日の朝ラッシュ時は運行形態が変則的で、岩倉で種別が変わる列車もあり、急行では扶桑に特別停車する列車が3本だけありました。一方で特急1本は岩倉を通過していました。
 急行は平日・休日とも日中のみ、栄生に特別停車していました。
 当時の名鉄は観光輸送も盛んで、犬山市と近郊には犬山遊園やモンキーパーク、リトルワールド、明治村、日本ライン下りなどがあり、休日には広見線直通の特急も設定されていました。ここでは記さなかったが(この後も同じ)、不定期の特急の設定も見られます。
 下りは新鵜沼から先は各務原線となるが、日中は急行普通が共に30分間隔でした。急行は河和または内海発着。上りのみ三柿野で追い抜きがあります。
 広見線は、普通電車約15分毎。2本に1本(主に御嵩・明智行)は、常滑始発の犬山線急行が種別を変更して直通します。当時は新可児~明智間に学校前駅があったが、日中の半分は通過でした。平日・休日とも、夕方に特急が1本あります。
 小牧線は当時は上飯田が終点、犬山~上飯田間と小牧~上飯田間を交互に運行する形態で、犬山発着は30分間隔と少なかった。

 1988(S63)年7月8日改正は、時刻表Vol.5がないので、省略します。1000系「パノラマスーパー」がデビューしました。名鉄初の、本格的な一般有料電車特急になります。

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1989(H元)年7月15日改正(Vol.6)
 この日開幕した「世界デザイン博」に合わせた改正です。
 金山橋駅を岐阜寄りに移転、JR(東海道線にホーム新設)・地下鉄と合わせた「金山総合駅」となり、金山と改称しました。
 8800系「パノラマDX」3連化。
 犬山駅関連では、犬山線は朝ラッシュ時の急行を増発。各務原線は、夕方の一部に三柿野から普通となる急行を、新岐阜まで急行としました。新鵜沼行最終が繰り下げになり、初めて犬山駅を、24時を過ぎて発車する列車が設定になりました。
 小牧線は朝夕に増発。

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1990(H2)年10月29日改正(Vol.7)
 この年は4月にも改正を行なっていて(神宮前~金山間複々線化)、再度の改正となりました。
 高速特急準急(瀬戸線以外)を急行に統合し、特急急行普通の3本建てとしました。このため、特に急行で特別停車(主に旧準急が停車していた駅)が増加しています。
 名古屋本線の特急では、座席指定車と一般席車を併結が始まりました。JRへの対抗策です。犬山線は全列車全車指定席のまま。
 各線区で最終電車繰り下げの繰り下げがあり、犬山駅関連では、広見線の最終が繰り下げになりました。小牧線は夜間に増発。
〔北アルプス号〕は3月のJRダイヤ改正で、高山までの運行に短縮されていました。

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1991(H3)年10月21日改正(Vol.8)
 名古屋本線では1200系・1250系が製造し、1000系の一部編成を分割した指定席・一般席併結編成が造られました。現在に至る特急政策の本格化と言えます。
 小牧線が全区間20分間隔運転に統一されました(ラッシュ時の小牧~上飯田間は10分毎)。
 月~金曜日、神宮前→新鵜沼間の特急を増発。
〔北アルプス〕が、新型8500系に置き換えられています。JR東海のキハ85系と同性能で、多客期には〔ひだ〕との連結も見られるようになりました。
 この6日後の27日、平田橋駅が移転し、上小田井と改称しています。

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1992(H4)年10月24日改正(Vol.9)
 犬山線で朝ラッシュ時に特急急行を増発。
 新鵜沼行と小牧線の最終が繰り下げになりました。
「パノラマDX」が廃止になり、8800系は改装の上、津島線~西尾・蒲郡線特急に転用される事になります。

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1993(H5)年8月12日改正(Vol.10)
 名古屋市営地下鉄鶴舞線が上小田井まで到達、犬山線との相互直通運転が始まりました。
 ただし引上げ線がまだ完成していなかったため、相互直通列車以外は庄内緑地公園折返しのままの変則的な形態。このためか、急行は引き続き通過のままでした(特別停車1本のみ)。
 相互直通列車は普通だけだが、平日朝ラッシュ時は大山寺・徳重を通過する列車が設定されています。
 岩倉~犬山間で、普通が毎時2~4本に増発されています。
 この頃から名古屋空港(今の小牧)へのアクセスが意識されるようになり、犬山線の下り特急が平日5本のみ、西春に特別停車するようになりました。西春から空港までは、名鉄バス路線があります。

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1994(H6)年3月30日改正(Vol.11)
 地下鉄鶴舞線の庄内緑地公園折返しが全列車上小田井まで延長、ここで初めて、朝方の急行が上小田井に特別停車する事になりました。平日・休日とも、犬山発8時30分までの列車が停車。
 また名古屋空港アクセスとして、夕方の急行6本が行先を常滑→豊橋に変更しました。
 新岐阜→新可児間直通の急行が、夕方に設定になりました。各務原線は夕方と平日朝方に急行が増発されています。
 各務原線は三柿野まで、広見線と小牧線も最終電車が繰り下げになっています。

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1995(H7)年4月5日改正(Vol.12)
 犬山線は、朝方の急行が全て、扶桑に特別停車になりました。上小田井同様、平日・休日とも犬山発8時30分までの列車が停車します。
 広見線は朝方の急行を増発。
 各務原線は三柿野行最終を新岐阜へ延長。犬山線は普通の最終を繰り下げています。小牧線は早朝に増発、休日は初電が繰り上げになりました。
 犬山線下り特急は休日も、朝方は西春に特別停車。

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1996(H8)年4月8日改正(Vol.13)
 犬山線は、平日の急行の扶桑特別停車時間帯が、1時間拡大されました。
 休日はこの時間帯、扶桑ではなく犬山口に4本特別停車するようになったが、どういう意図があったのだろうか。

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1997(H9)年4月5日改正(Vol.14)
 この改正から、土曜日は休日と同じダイヤとなりました。結果小牧線の土休日の初電が平日と同じになりました。犬山線は土曜日のみ運転の急行を1本設定。
 扶桑・上小田井の急行特別停車時間帯を拡大。扶桑は犬山発10時30分まで、上小田井は9時30分まで。
(土休日の犬山口特別停車は扶桑に変更になった)
 この改正で初めて、犬山線で一部指定席の特急が設定になりました。平日の豊橋→新鵜沼間1本。

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1998(H10)年4月6日改正(Vol.15)
 土休日の新岐阜→新可児直通急行が取りやめになりました(新岐阜→犬山間は普通で運転)。
 各務原線は、折返し新可児直通急行となる急行3本を普通に変更。
 犬山駅関連ではこれ以外に大きな変化はないが、谷汲線や三河線(海側)で減便が行なわれるなど、名鉄全体では減量の傾向が出てくるようになります。

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1999(H11)年5月10日改正(Vol.16)
 この改正から、特急の指定席は、特別車と呼称される事になりました。乗車には「ミューチケット」が必要になります。
 1600系デビューにより、特急は全て専用車両で運行される事になりました。7000系・7700系「白帯車」は、特急から撤退。
 扶桑の急行特別停車時間帯がさらに拡大し、犬山発11時30分まで停車になります。
 平日朝方の特急は全列車岩倉に、鶴舞線直通の普通は全列車大山寺・徳重停車になりました。

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2000(H12)年3月21日改正(Vol.17)
 夕方の急行が上小田井に特別停車。犬山発15時30分以降全列車が停車します。栄生も犬山発18時30分まで延長になりました。
 夕方の豊橋行急行は、結局常滑行に戻りました。
〔北アルプス〕は江南・犬山遊園に停車。
 広見線は、土休日ダイヤで22時台以降2本削減。

 この年の8月、中部国際空港「セントレア」の起工式が行なわれました。

 前半は、20世紀終わりまでのダイヤ改正を振り返って見ました。
 この時期の名鉄は、毎年必ずダイヤ改正が行なわれていました。デザイン博開催や金山総合駅開業、鶴舞線と相互直通運転開始などのイベントがあった他、名古屋本線におけるJR東海との競争が、他線区にも波及しつつありました。6000系に始まる3ドア通勤車の相次ぐ投入による混雑緩和、「パノラマスーパー」導入で特急のグレードアップが進められた事も、度重なるダイヤ改正の要因となっていたと思います。ただ、後半は特に閑散線区でダイヤの減量が並行して始まり、この流れが21世紀に繋がっていきます。
 次回後半は最大のイベント・セントレアの開港による本格的空港アクセス輸送の開始、小牧線と地下鉄上飯田線の相互直通開始、一方でローカル支線の相次ぐ廃止など、明暗様々入り交じった21世紀のダイヤ改正を、犬山駅目線で回顧します。改正のペースも、一気に落ちていきます。

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 昨日休みだったのは運が良かったのか悪かったのか、関東地方は午後になったらあっという間の豪雪になりました。鉄道も様々大変だったが、それ以上にバスが大変で、相鉄バスや川崎市営バスでは衝突事故も起きてしまいました。今日も、平地でも一部では運休したり(特に急坂がある路線)、高速道通行止めの影響で大幅な遅延が起きている路線(神奈中バスでは180分遅延、なんて路線もあるらしい)があります。雪そのものは、昼間に陽が当たると案外早く消えていくが、影響は数日は続くでしょう。
 そこへ持ってきて草津白根山が噴火。ロープウェイ駅では80人が取り残されているそうです。自衛隊員1名の犠牲はお悔やみを申し上げるとしか言えないが、ともかくこれ以上の人的犠牲が出ないように、祈るのみです。

《今日のニュースから》
22日 沖縄県議会 米軍機事故・トラブルへの抗議決議文手渡し 
23日 松坂大輔 中日入団テスト合格 入団決定

№1796 バスグラフィックVol.33(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィックVol.33」、先月末には発売になっていたが、これもまた少々遅くなってしまいました。

BUS GRAPHIC TOPICS
 伊江島観光バスの客船送迎用BYDはここにも。グラフィック誌らしく、前後左右の4面の型式写真もあります。
 先行して3年前から京都で走り出したBYDが、グラフィック誌ではVol.25の西山茂樹氏のコラムで取り上げられているが、比較すると、屋根上のユニットが目立つ以外、車体そのものは同じだと思う。中ドアがやや前よりになっていて、流動性の点ではどうだろうか。あと窓一つ分後方にあると良いと思うが、ドアのすぐ後ろに段差があるので、機器類が入っているのだろうか。ブラックアウトされているから目立たないが、後方の窓がかなり小さい。「中国」っぽさを感じさせます。あるいは強度を保たせるための設計なのか。
 東武バスの旧塗装復刻車、私は、このカラーが標準だった頃を知っているが、やはり窓まわりがブラックアウトされている新エルガだと、イメージがかなり変わると感じました。できればグループ他社(セントラル・ウエスト・日光)にも欲しい。
 独自のトピックスとしては、電源車を改造したボンネットバス。

KEIKYU OPEN TOP BUS “三崎めぐり”の旅
 前Vol.32でデビューが発表になった、京浜急行バスの「KEIKYU OPEN TOP BUS」も含めた、三崎地域の旅。
 一昔前の「京急」で「三崎」というと海水浴のイメージが強かったけれど、海水浴の衰退で(全くなくなった訳ではないけれど)、他の分野での観光開発に力を入れているようで、「みさきまぐろきっぷ」も、かなり力が入っている様子。
 他に、改めて前後左右4面の型式写真。8DC9エンジンの380PS・16,031ccは、アストロメガがDC13エンジンが410PSで12,742ccだそうだから、ひと昔・ふた昔前のエンジンというのが正直な所。四半世紀前の車だし、いつまで走ってくれるでしょうか。

いいじゃん!川崎鶴見臨港バス

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 臨港バスは、元々は鶴見臨港鉄道(会社自体は現存する)のバス部門の、今風に言えば「分社化」。同社の公式Webによると、バス部門は1931(S6)年の本山~二本木間の開通が始まりで、その後1937(S12)年、海岸軌道の廃止の代替でバス路線を新設したのに合わせて分社、そこから数えて80周年、という事になるようです。ここでは一切記されていないが、後に京浜急行の資本となって鶴見臨港鉄道とは切れたが、現JR鶴見線・鶴見~国道間の高架の下にある車庫は、当時の鶴見臨港鉄道のバスの車庫の跡、だそうです。
(現在は鶴見〔営〕配下で、特別支援学校のスクールバスが使用している)
「運賃無料デー」とは、太っ腹だったなあ。旧苫小牧市営バスが最終日に無料にしたという事はあったが。こういう事もまた、バス事業への理解を深めてもらう事には必要なのでしょう。

彩香の臨港バス 路線ア・ラ・カルトの旅
 Vol.29の「フィールドワーク試乗体験」と同じペアの紀行だけれど、今回は6ページ。
「さいか屋」(川崎店)は、独立したビルとしては閉店してもう3年、今はコインパーキングになっているが、名前が未だ変わらないのはなぜ?「チネチッタ入口」とかした方が、現状に合うと思う。
(さいか屋川崎店自体は駅前の日航ホテルのビルの3階で、子供服や宝飾品を扱う店舗を営業しているらしい)
 巻末の付録のカレンダーを見ても感じるが、臨港バスというと、京浜工業地帯があるから沿線はどこも殺風景、というイメージを抱かせるかも知れないが(「臨港」の2文字からくるイメージもあろう)、案外自然とかも多くて(特に鶴見区)、見所が多いかも知れません。ここに出てきた以外では、浮島(飛行機ウォッチング)、「ふれーゆ」、三ツ池公園、綱島温泉あたりが挙げられるのではないでしょうか。

運転席から見た臨港バスあの頃
 ベテランドライバーの座談会。「銀バス」は、横浜博覧会の幕だから1989(H元)年か。塩浜〔営〕ながら横浜ナンバーだが、川崎陸運支局は1981(S56)年発足でした。10年前の70周年は、このカラーを復刻して走らせていたのだが。
 今の工業地帯のラッシュって、どうなんだろう?工場で働く人は減少しているし(JR鶴見線も減便している)、ロジスティックスは専用の送迎バスを用意したりしているので。
「馬に抜かれた」話は面白い。
 今の高速バスや貸切バスのカラーは、「スーパークィーンK」から始まっています。台数が減ったのは、京急グループの中での再編もあったからでしょう(東洋観光が中心になった)。

川崎鶴見臨港バスで活躍する車両たち
「ポストポスト新長期規制」車がもう入っている。
 昔の臨港バスは、特に塩浜〔営〕や神明町〔営〕はほとんどが長尺車だったが、一頃はダウンサイジングされて(いすゞLTの他、三菱ふそうMMが入っていた事もある)、この辺にも工業地帯の衰退を感じたりしたものでした。ただ、最近はエルガや新ブルーリボン・ハイブリッドで長尺車が復活してきているようです。「りんたん」は塩浜〔営〕だけ長尺、エンジンルームのリッドが公式側にあるので、他営業所の車両とは、デザインのパターンが違っている。
 今回は、昔の「銀バス」の頃の車両はありませんでした。過去の号で何度か出てきている事もあるでしょうか。「銀バス」時代だと、前ドアの脇に運賃の表示を書いたサボと、非公式側の運転席の窓の下に、恐らくはドライバーの仕業番号と思われる青い(朝ラッシュ時だと黄色も見られた)プレートが掲げられていたのが印象的でした。

 京急グループの中期計画では、臨港バスにおいては、塩浜〔営〕と浜川崎〔営〕の統合が明記されている。塩浜〔営〕の移転もその一環でしょう。今後は京急大師線の末端区間の地下化が間近で、産業道路付近の走行環境が劇的に好転するはずなので、期待は大きいでしょう。

横浜市交通局 サヨナラ 最後の方向幕車
 行先表示のLED化は事業者によって考え方がかなり違うようで、神奈中バスあたりはさっさとLED化を済ませていました(さらに現在は一部営業所で白色LED化を行なっている)。一方で横浜市営バスや、民営だと相鉄バスは在来車両の交換は行なわなかったので、最近まで方向幕車両がかなり残っていました。
 赤いランプの終バスも幕ならでは。LED車だと、終バスの表示の仕方はどこも結構苦労しているようです。深夜バスは見物のファンで賑わった、とあるが、どうやって情報を仕入れているものだろう?別に横浜市交通局は運用を公表していないはずだったし。

讃えよう P-の功績
 今回は全部富士重7Eボディ車。鞆鉄道のP-U33Kは、車両そのものの引退はやむなき事だが、イラストラッピングが可愛らしいので、他車に受け継がれていないとしたら、残念。
(エアロスターなどにあるが、デザインが異なる)

 裏表紙は臨港バスのドライバー募集だったが、グラフィック誌もこの所、裏表紙はドライバー募集が多い。Vol.28と30~33は西武バスの募集だったし。グラフィック誌を見て、バスドライバーを目指す人が増えてくれると、幸いです。そのためにも、グラフィック誌の紙面の充実も期待されます。同じバス趣味誌でも他誌と違って、美しい風景を走る写真や楽しげな紀行の記事が多いので、それに惹かれてドライバーになりたい、という方々が増えれば。

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 今号のグラフィック誌、「バス歳時記」は雪景色の中を走る立川バスのポンチョだったが、ひょっとしたら明日、関東地方はこういう景色を見せつけられる事になるのでしょうか…?「見せつけられる」だけならまだ良かろうが、国土交通省が「緊急発表」までするようでは一大事だ。更新時点では、戸塚は雲一つない星空、なのだが。間違っても、半日もの間電車の中に閉じ込められる、という事態だけは、起こらないように。

《今日のニュースから》
21日 卓球全日本選手権男子シングルス決勝 張本智和 14歳の史上最年少優勝