横須賀線と総武線の快速電車が東京をスルーする相互直通運転を1980(S55)年に開始して、今年で37年になります。「湘南新宿ライン」「上野東京ライン」や、西武・東武~メトロ~東急など、首都圏の鉄道網で昨今範囲を拡大する長距離相互直通運転の先駆けとなりました。
横須賀線は、東京~大船間で東海道本線から線路を分離、新たに品川~錦糸町間に建設された地下線を経由して総武快速線に直通、神奈川県から千葉県に直通で電車が走ります。千葉・津田沼の折返しの他、さらに総武本線や成田線、内房線、そして外房線まで長距離の直通が走るようになりました。
今回はこのルートの直通運転の千葉県側の終点の一つ、外房線の上総一ノ宮について書きたいと思います。
外房線の快速は、直通運転開始の時点では大原まで入っていたが、現在は上総一ノ宮まで。
日中は京葉線直通に振り返られて基本的に朝夕の運行になり、上総一ノ宮発着の総武線快速は、朝夕を中心に10往復が設定されています。
一番遠い始発駅は当然、横須賀線の久里浜になります。営業キロ155.5㎞(武蔵小杉経由の実キロ)は、東海道本線の東京~蒲原間、東北本線の東京~那須塩原間にほぼ匹敵します。グリーン車2両込みのE217系基本編成では最長距離の運用、でもあります(付属編成では逗子→鹿島神宮の170.9㎞)。
平日は下り5本・上り4本、土休日は下り5本・土休日6本の設定があります。所要時間は列車によってバラつきがあって(逗子での増解結やNEXなどの待避などに左右される)、だいたい3時間前後。最速は土休日の1938S~1939F~4939Fで、2時間45分です。
先日、「青春18きっぷ」1日分を使って、久里浜から上総一ノ宮まで乗り通してみました。来月書きます。
京葉線E233系の上総一ノ宮行もご覧頂きます。元々朝夕に設定があったが、総武線快速との振り替えで、日中にも見られるようになりました。京葉線の方は、勝浦まで行く列車もあります。
側面の表示。やや見づらくなってしまいました。JR東日本の行先表示は、狭いスペースに情報を詰め込みすぎ。
終点の外房線・上総一ノ宮駅。長生郡一宮町の中心の駅、ではあるが、平屋建ての、普通の田舎の駅のたたずまい。
バス停のスペースに車を止めちゃっていいいの?でもこのスペースから出る小湊鉄道一宮海岸行は、平日の15時00分と16時00分、2本しかありません。反対側も平日に大多喜車庫行3本、土休日に茂原駅行1本のみ。コミュニティバスもなく、町内の公共交通機関事情は、正直お寒い。
駅舎内。こじんまり。
ホームは2面3線。この駅は、駅舎側が3番線で、駅から離れた方が1番線です。房総では他にもあったと思うが、通常上下関係なく主要駅舎側から1・2…と振るJRとしては珍しい。全て15連対応で、駅舎は下り寄りにあるので、上り寄りは駅舎からかなり遠い。
一番右の3番線にいるのは〔わかしお12号〕、2番線は京葉線快速(と言っても外房線内各駅停車)4212A(~1212A)東京行。
下り側の踏切からホームを見ます。左の1番線は総武線快速4144F(~1144F)東京行、右の2番線は、先に着いていた〔わかしお5号〕の増結車両で、ここで切り離されていました。
コミュニティバスはないが、夏期に限り、「町内循環バス」が運行されます。観光客目当てらしい。2コースあるが、曜日によってルートが異なります。1日に内回り・外回り2週ずつ。今シーズンは9月18日まで運行。冬期も運行があるらしい。無料です。
「バス」と言っても、地元のタクシー会社による、白ナンバーのワゴンの運行。発着は、駅舎とは反対側の東側の広場。
一宮町観光協会では、駅を起終点とする、約1時間の周遊コースを提案しています。そのコースに沿って、歩いてみました。
玉前神社の門前にある「赤七屋」。かき氷を中心としたスィーツを中心に提供するお店で、古い土倉を使っている。店内のスペースが小さく、かなり待たされるらしい。無論それだけオイシイはずではあるが、「待つ」という行為はどうも苦手なので…。
玉前神社の鳥居。駅からここまで10分程度。
本殿。黒漆がツヤツヤでピカピカ。これは美しいし、すごい。
本殿は「平成の大修理」が行なわれていて、この春(3月20日)に完成したばかりなのでした。
境内の「はだしの道」。
裸足で玉砂利の道を3周すると願い事が叶うらしい。入り口にはこんな事が書かれています。
一周廻りて無垢となり
二周廻りて気を入れて
三周廻りて気を満たす
その道すがらに、二つの碑が並んでいます。左は西南戦争記念碑、右は征清紀年碑。
境内を降りた所にある「さざれ石」。無論「君が代」で歌われているものだけれど、結構日本のあちらこちらにあるものだ。
玉前神社から徒歩5分程度、坂道をフウフウ言いながらたどり着く、観明寺。これは本尊。
こちらは金比羅堂。
さらに住宅地の中を行くと、城山公園に着きます。北側にある、メインの入口と言える大手門。
この公園は、一宮城の跡に造られています。その城の説明書き。
右側に本多忠勝(大多喜の領主で、後に徳川家康の側近となる)の名前が見えます。大河ドラマで去年の「真田丸」では藤岡弘、が、今現在の「直虎」では高嶋政宏が演じているが、この人を主人公にした大河ドラマを作ってくれ、という運動を大多喜町が起こしている、というのは、春先にいすみ鐵道で大多喜に着いた時に目にしました。
城山公園の広場。春先は桜が美しいそうだ。
階段を上がって振武館の脇の道を行くと、一宮の市街地を見下ろす場所に出ます。海も見えます。
下の広場は一宮小学校の校庭。振武館の下のトンネルを抜けると校庭に出るが、通り抜けはしない方が良いでしょう。
ちょっと小さくなってしまっているが、JRの電車を見る事もできます。1時間後の大船始発3845Fです。
加納久宣公の墓。一宮の藩主でした。
この墓の前の道を下って、市街地に抜けるのが良いでしょう。
ちょっと大変だったけれど、一宮海岸にも行ってみました。駅から徒歩で30分弱。前述の通りバス便はないに等しく、臨時のバスとかもないので、車がなく、タクシーも利用しないなら、たとえキツくても歩き以外に道はない。
何とかたどり着いた、一宮海岸の北側。
ここは海水浴場ではなく、遊泳は禁止。ただ、サーファーが多い。マイカーがずらりと並んでいます。サーフボードを持参する必要があるので、残念ながら電車・バスの乗客にはなってもらえないでしょう。
県道沿いには、サーファー目当てのショップや飲食店もいくつか並んでいます。
海岸の南側。
なお、東京オリンピックのサーフィンの会場となる釣ヶ崎海岸はこの向こうで、電車では一つ先の東浪見が最寄りになります。
駅と海岸を結ぶ道路の途中、このような津波を想定した標識もあります。延宝地震(1677(延宝5)年)の地震の時は赤い線の所まで津波で浸かった、という事だろうが、6年前のような大津波だと、こんなものでは済まないだろうと思う。少なくとも城山公園の振武館あたりまでは逃げないといけないかも。
町のあちこちで、五輪のサーフィン開催決定を歓迎するポスターが見られました。
サーフィンだけなのでそんなにたくさんの観客が来る事はないかも知れないが、それでも世界各地から人々が訪れる事になるでしょう。その時、外房の田舎町・一宮町は、一宮駅は、外房線は、横須賀線直通総武快速電車にはどのような変化が起きるのでしょうか。楽しみに観察していきたいと思います。
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《今日のニュースから》
27日 阿蘇長陽大橋 1年4ヶ月ぶり再開
28日 羽田孜元首相 死去
29日 インド ムンバイ郊外で列車脱線 10日間で3度目
北朝鮮のミサイル発射で、6時過ぎのあさのTV・ラジオ番組はこの報道一色、通勤の東海道線は10分位の遅れが発生しました。今の東海道線は、栃木県・群馬県から来るからね…。この程度で済めば良いのかも知れないが、これからはこの手の事態が発生する度に、いろいろな面で憂鬱な思いをしなければならないのだろうか。
ヒューストンの豪雨災害は、TVで見るだけだと正直緊迫感が今一つ伝わりにくいのが正直な印象だが、相当凄まじい事態になっているようです。「ミリ」じゃなくて「センチ」単位で雨が降り続いているとか。空港も閉鎖されていて、ANAはヒューストン便全便が今月一杯欠航と発表しました。UAも欠航になっています。確かに雨が凄すぎるのもあるだろうが、ヒューストンの街の構造自体に、何か構造的に重大な欠陥があるのではないでしょうか?米第4位の大都市にしては、どこか事前の備えがお粗末にも感じられます(東京は大丈夫?)。
米ハリケーン災害の報道を見る度に思うのだが、米ではハリケーンに「カトリーナ」「サンディ」「ハービー」とかと人の名をつけるけれど、これって、子供のイジメのタネになったりはしませんか?日本で「台風マサヒト」が甚大な被害をもたらしたら、日本全国のマサヒトくんが辛いイジメに遭う事になりそうな気がする。彼の地ではどうなっているのだろう?