鉄道ピクトリアル誌の臨時増刊、京浜急行電鉄(京急)の特集号が先月発売になりました。ここで取り上げてみようと思います。
表紙は新1000形の最新バージョン2種だが、右側の1800番台は、個人的には前面の形状が中途ハンパに感じます。1500形くらいの、切妻に近い形まで思い切っても良かったと思う。普通と地下鉄直通の共用という思想は、かつての東急の1000系の一部(日比谷線直通と旧目蒲線の共通予備車)と同じだと思います。山陽電鉄6000系もそうでしょうか。
京急は最高120㎞/hの高速運転、本格的クロスシート車の存在、そしてダイヤや実際の運行面での思想で他社とは一線を画すことでファンの人気が非常に高い鉄道、なのだが、実は京急の単独特集臨時増刊号、前回は100周年を間近に控えた1998年7月号、だからもう20年も経ってしまいました。この間に小田急や西武・京王・東武・西鉄は臨時増刊が2回も刊行されています。名鉄に至っては2006年1月と2009年3月と、わずか3年強しか空いていなかったのに。
(実は、阪神電鉄がもっと間隔が空いていて、1997年7月増刊が最後。次回の増刊が阪神と予告されている)
「十年一昔」、だから「20年」はとても長いです。先日工事が終了した京急蒲田駅付近の連続立体化、着工から完工まで16年強も掛かった、他の鉄道でも(複々線化がらみ以外では)あまり例を見ない大規模な工事が、前回刊の時点では、まだ「都市計画決定」を待つ状態、だったのだから。
(着工は2000(H12)年12月)。
前回刊時点では、羽田空港ターミナル新駅乗り入れ開始直前で、700形・旧1000形がバリバリ現役だった一方、新1000形はまだ無かった頃でした。
総説:京浜急行電鉄
今後のプロジェクトで注目されるのは、品川の再開発と、本社の横浜移転。
品川は地平化して、自由通路延長によりJRとの乗換の利便性を向上させるのがメインで、先頃東京都と港区(品川駅は港区にある)、品川区(北品川駅は高架化される)から計画の概要が発表になりました。品川駅は現駅よりやや北側に移動、JR山手線の留置線をいくらかつぶす事になるようで、先にJRの留置線の移設を待つ必要があるようです。
また、「泉岳寺駅の機能強化」が京急が取り組む事業とされているが、この駅は東京都交通局管理なので、どこまで関与し、どのような形態になるのだろうか。
横浜の本社は、みなとみらい線新高島、あるいは地下鉄高島町の駅の近くになりそう。建物の外観のイラストを見ると、確かにガラス張りの建物の中に、赤い電車らしき姿がみえる。230形の他、もう1両展示する事になるらしい。ミュージアムは期待されるが、久里浜工場で展示している京浜電鉄51及び湘南電鉄デ1も、こちらへ持って来れないだろうか。スペース的に無理かも知れないけれど。120年の歴史がある鉄道なら、京急でも本格的な鉄道博物館が期待されると思いますが、どうでしょうか。
京浜急行電鉄の鉄道事業を語る
(京急 道平隆鉄道本部長×今城光英大東文化大学教授)
まず、道平本部長のコメントでおや?と思ったのが、
1.上大岡・金沢文庫は(伸びがなくて?)厳しい状況
2.大師線で上り方向への通勤客が増えている
としている2点。
参考までに、会社要覧(京急公式WebでPDF版をダウンロードできる。現在は2013-2014年度版から)から、乗降人員を比較してみました。2011(H23)年度は東日本大震災のすぐ後だから割り引く必要があるが、金沢文庫の2015(H27)年度は69,870人で2011年度の98.05%、震災直後をも下回っているのだから、厳しいと言えば厳しい。特に2013(H25)~2014(H26)年度にかけては2,000人以上減っていて、70,000人を割り込んでいる。理由がわからないのだが。上大岡は増減の波はあるが、140,000人台を維持していて、「厳しい」とは感じない。
また、横須賀市の人口減少を反映してか、久里浜も2011年度比で微減になっていました。横須賀中央は横ばい。
一方大師線は、特に港町の伸びが大きい。これまでは京浜工業地帯への通勤路線で朝は下りが混む路線、というイメージを持っていたが、どうやらこれが変わってきているようです。
(殿町の国際的研究機関「キングスカイフロント」は、以前のいすゞの工場の跡地に造られた)
三浦半島は海水浴一辺倒でなく、観光を多角的に売り込む、特にサイクリングには期待しているようです。
改良工事プロジェクト
完成した京急蒲田付近と、進行中の大師線地下線化。
大師線は来年度には第1期1区間が地下に切り替わるよう。先の大師線発の通勤需要の増加を見ると、早期の全面地下線化も待望されるが、第2期区間はルートが完全に変わり、京急川崎駅のホームも全く別の所になる。当然本線ホームとの接続は確保されるはずだが、この位置だとJR川崎駅にも近くなり、せっかくの利用者がJRに流れる可能性もあって、痛し痒しか?もっとも第2期はいつ着工になるかさえ解りません。着工そのものが怪しくなっているようでもあります。
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歴史に残る駅の統合前後のきっぷ
今は新馬場に統合された北馬場・南馬場の両駅だが、きっぷというより、新馬場駅(南馬場・北馬場)高架ホームが印象的。ホームの方面表示が「三崎口」になっているのは今なら当たり前、と感じられるはずだが、現状の京急線の本線・久里浜線の下りホームは、皆「三浦海岸」になっています(三浦海岸駅以外)。時刻表が近鉄と同じ縦軸スタイルになっているのもアレっ?と思いました。他の駅もそうだったのでしょうか。
京浜急行ノスタルジー
京急は昔から人気の鉄道会社なので、運転の記録は昔から多数残されているようだが、イレギュラー的な輸送では、やはり海水浴ダイヤでしょうかねえ。有料の列車は乗った事はなかったが、三浦海岸の海水浴の帰り、旧600形の臨時快特のクロスシートに乗った事はある、と記したら年齢がバレてしまうでしょうか。ここにはなかったが、毎夏毎に、ホームの屋根に停車駅などをしるしたボードがぶら下げられていたのを見た事があるオールドファンも多いでしょう。20年前でも既に最盛期の1/5(30万人程度だったそう)に減少していたそうだが、海水浴が廃れているのは三浦(京急は今でも「海水浴きっぷ」を発売して誘致に努めているようだが)だけではなく全国的な話で、海水浴客は8年間で半分以下になり、海水浴場も10年間で約100ヶ所閉鎖されているそうです。今年はさらに天候不順もあったし。もうあの暑い日の青空の下、旧1000形や旧600形の「フゥーン」と唸るMG音に強烈に夏を感じた、ギラギラした時代は来ないのでしょう。
(「1240」は、タイアップしていた関東のラジオ局・ニッポン放送の当時の周波数。「ラメール」は後に、横浜~名古屋間の夜行バスで使われた事がある)
湘南電気鉄道 沿革史
今回は、この記事が一番興味深く読めました。
京急も決して湘南電気鉄道を継子扱いしている訳ではないだろう。だから久里浜にデ1(本当はデ18らしいが、保存車については記されていない)を保存しているのだろうから。
横浜市内の起点は黄金町だったが、市内中心部(横浜)に向けてどのようなルートを取るかは、ずいぶんアレコレと迷いもあったようです。当初の起点は蒔田を想定、という事は、上大岡までは今の鎌倉街道沿い、地下鉄ブルーラインと同じルートを想定していたのでしょうか。京浜電鉄との連絡に関して、東京の地下鉄(今の銀座線を構成する2社)にまで話が及ぶとは思わなかった。
トンネルが多くなって建設費の高騰を招き、当初の経営を圧迫する事になった、と読めるが、こうしてある程度無理して路線を開いてくれたから、三浦半島の奥地から高速電車で横浜・品川方面へダイレクトに利用者を輸送できて、大回りのJR横須賀線に対して(横須賀線・大船~横須賀間のトンネル数は8で、それほど大規模なものはない)絶対的なアドバンテージを得る事もできているわけです。この事は知っておくべきでしょう。
京急品川駅(二代目)の今昔
この駅は、日本の鉄道のターミナル全体でも歴史上特異な点があります。頭端式スタイル構造のまま、線路を延長して地下鉄に接続したのは、品川が唯一です。
これが京王線の新宿だと笹塚からの新線を建設、別に地下駅を新設して都営新宿線と接続。近鉄上本町も別に大阪難波へスルーする地下線を新設して、別に地下ホームを設けました。東急東横線渋谷に至っては、丸々地下駅に移転して副都心線と相互直通を開始している訳です。
3番線は、20~30年位前だと、引上げ線でポイントの清掃作業を行なっている時間に、3番線→一旦横浜方に引き揚げ→1番線に転線、して発車という事もやっていたようです(快特はそのまま引上げ線に入った)。
3番線が泉岳寺方面へスルーできるようになれば、もっと柔軟なダイヤ編成ができるのに、と思っていた所だが、抜本的な改良工事(2面4線)の完成が期待されます。
京急電車の行くところ 京急線に来る電車
相互直通は、今回はカラーグラフ見開き2Pに終わって、やや軽くなってしまったのは気になった。趣味的な面だけではなく、羽田⇔成田両空港間を直結する事で、経営戦略の面でも重要になってきているので。
(羽田空港新駅開業までの京急は、どこか相互直通運転の充実には消極的だったような気がする)
この20年の間、前回刊直後の羽田空港新駅開業時に600形の成田空港、さらには京成上野乗り入れの実績もあったので、過去写真でも出して欲しかった。
京急車のアクセス特急には何度も乗って、三崎口から乗り通した事もあるが、何度も書くけれど、同じ120㎞/h運転でも田園地帯の連続高架線は雰囲気が全然違い、通勤電車で新幹線を走っているような感覚。
他者は、千葉ニュータウン鉄道は京成からリースの9800形(京成3700形)が入ったので、こちらを出して欲しかった。京成3400形は下回りが初代AEの流用だから3600形より古く、案外そろそろ置き換えかも。
3600形は営業列車には入らないが、全M(VVVF)化された3668F4連が自社車両輸送のために金沢文庫まで入る事があるので、そこまで書いてもよかった。
なお他者様のサイトによると、東日本大震災発生翌日の2011(H23)年3月12日には、京成3051Fの三崎口乗り入れの実績があったそう。
「2000」という電車
カラーについては私も同感。№1010でも書いたが、800形以降の京急の電車(新1000方アルミ車まで)は窓が黒ぶちなので、赤ベース+白帯だと窓がバックの赤に溶け込んでしまって、メリハリがないように感じるのです。それは、800形の旧デザイン復刻編成でも改めて感じました。
逆に3ドア化は、窓の形態が揃わなくなったので、アンバランスになった印象があります。それは、前面が在来系列とは一線を画した、快特に特化したデザインになっている事もあるでしょう。西鉄の同じ2000形でも感じる事だが、もし、前面が在来系列をそのまま引き継いだものだったら、アンバランス感はなかったように思います(阪急2800系がそう)。
(小田急8000形は、ブルーの帯が非常扉にまで回っていない)
最後に、この記事があったら良かった、という点を2点。
旧1000形が2010(H22)年に引退したが、以前の京急の最大系列、かつ浅草線直通運用に携わった歴史的形式に関わらず、扱いがあまりに軽すぎると思いました。末期には旧塗装復刻ラッピング編成もあったが、白黒の写真があったのみ。この引退劇も歴史的出来事のはずで、独立した項目を立てて欲しかったと思います。
「モーニングウイング」の新設定が話題になっているが、列車が生まれるまでの裏話みたいなものも知りたかった。無論、朝方にも有料列車を走らせたかった、という願望は昔からあったろうが、今回設定を後押ししたものは何だったのでしょうか。また三浦海岸始発で久里浜通過の設定は意表を突かれたが、なぜこのダイヤ形態になったのか(久里浜通過は、始発列車が多数あるからか?)、純増だが車両面の手当はどうしたのか、そのあたりは聞いてみたかった所です。
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京急は、オペレーションの面で全体的に高評価を得ているが、それは会社組織全体のモラルの高さに裏付けられているのだと思います。それは大手私鉄車掌勤務時代に京急を見て感じた事です。
(これを、同業他者がどう感じるのかも気になる)
ただ、今後は何もかも今と同じシステムで続けられるのか。あくまで私自身の思想では、やはり今後は自動化できる所は自動化し(他社より人力を介入できる余地を多くする事になるだろうが)、運行に携わるスタッフの負担を軽くする方向に進んだ方が良いと思っています。大分前だが、品川の引上げ線でポイントの切替ミスで電車が脱線、長時間不通になったという事態も起きているので。列車本数がさらに増えるのなら、なおさらです。
また、ホームドアの整備も影響を与えるかも知れません。もし全駅設置という方向になれば、TCISなどの導入をしないのなら、特に普通電車の所要時間の大幅増が避けられなくなり、ダイヤのシステム全体に大きな影響を与える事になります。無論普通電車のみ停車の駅は乗降が少なく(1万人を割る駅もある)、整備の優先度は低くなるが、一方で快特120㎞/h運転区間の通過駅の安全性の確保も必要になるだろうから(狭い上に、カーブ上にあって見通しが良くないホームもある)、今後議論の的になる事も予想されます。
120周年記念でひょっとしたら出るか?と思われた新快特車は、結局何もナシ。妄想で終わりました。2100形の更新が終わったばかりだから、当分はこれで行くのでしょう。巻頭の対談で「有料特急は距離が短いから考えていない」とあったが、品川~横須賀中央間は約50㎞、西武の西武新宿~本川越間あたりより長いから、まったく考えられないとも思わない。やるとしたら、快特の一部車両を指定席とする事でしょうか(京阪「プレミアムカー」のようなものにはできないと思う)。特に横浜あたりだと、早くから並ばないと座れない事もあるから。
あと、早いイメージがある京急だが、ラッシュ時の所要時間、特に品川発着の短縮が図れていない。№824で記したが、現在のダイヤの「B特急」(金沢文庫まで特急→その先は快特)10本の横須賀中央→品川間の平均所要時間は64.1分で、4年前よりさらに増大してしまいました。現状の設備では無理かも知れないが、横浜でJRなどに乗り継ぐ乗客を品川までつなぎ止めるためにも、所要時間の短縮は、今後も課題とすべきでしょう。
羽田空港アクセスは、空港駅引上げ線設置という話は一般のニュースでも聞いたが、中間の駅の線路容量がそれほど多くないから(待避駅は2つしかない)、増発は不可能ではないにしても、本線系統の列車に影響を与える等の副作用はあるかも知れない。品川大改良で好転すれば良いが。浅草線~京成・北総線直通でくるくる種別が変わる列車が多いのは、地方や海外からくる利用者には混乱の元になるので、できる限りの整理を。やはり関係各者が話し合って、一度白紙ダイヤ改正をやるべきだと思います。
最後に、先日の八丁畷の一件もそう、5年前(あるいは20年前にも)の追浜付近の脱線事故もそうだが、意外に地上設備側に、安全で安定した運行を阻害する要因が見落とされているかも知れません。安全運行は当然だし、長時間運行を阻害する事態は、特に本格的国際空港アクセス鉄道となった現状では、できる限り避けなければなりません。
本当はもっと書きたい事も多かったが、ともかく来年120年を迎える京浜急行電鉄の躍進に期待します。相互直通する他鉄道事業者との密接な協調関係の構築(今はこれがないと、今後の発展はありえない)の上に、羽田空港や三浦半島への大動脈として発展する事が望まれます。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
ドイツのエア・ベルリンが経営破綻しました。エティハド航空の支援が打ち切られたためで、既に前からある程度話は出てきていました。当分は政府の支援で運航が継続されるが、いずれ精算は避けられなさそう。優良路線はルフトハンザに譲渡となりそうだが、特にベルリン発着路線は、公正取引委員会のチェックが厳しくなりそう。欧州内一部路線でコードシェアを行なっているJALにも、何らかの影響が出るのでしょうか(JALの公式Webでは、今日現在は何も言っていない)。
《今日のニュースから》
16日 NAFTA(北米自由貿易協定)再交渉 日本企業と定期的協議で合意
17日 海上自衛隊ヘリ 岩国基地で横転 4人ケガ
米シャーロッツビルの衝突のおけるトランプ大統領の発言が非難の的になっています。「双方に自制を求める」とかいう言い方なら別の方向に行ったのかも知れないが、この人は根本的に、他人を見下し、口汚くののしる事で自分を美化する体質があるようで、正直人間性を疑わざるを得ない。一方でオバマ前大統領のツイッター投稿は大勢の人の共感を呼んでいるそう。20歳くらい年下のバラク・オバマの方がよっぽど大人だと思うのは、たぶん私だけではないでしょう。ともあれ根本的には、何年・何十年経っても解消できない人種問題にあるのは明らかで、どうにか平和的に解決しないといけません。