№1674 バスグラフィックvol.30(ネコ・パブリッシング)

「バスグラフィック」は2008(H20)年12月に創刊、8年とちょっとで30号を迎える事となりました。
 沖縄のバスは2015(H27)年のvol.24で大々的に取り上げられたばかりだが、わずか2年足らずで再度の大特集。今回は別の角度から、なかなか興味深い記事を並べています。

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沖縄で一番長い路線バス 77系統名護東線
 那覇と名護を結ぶ一般路線の系統は、他にも北側を走る20・120(空港発着)系統(琉球・沖縄共同運行)があるが、こちらの方が長い。
 ダイヤを調べてみたら、始発地5~19時台で、1時間に1~2本程度の運行がありました(平日はうるま市(中部病院)~名護間の22系統あり)。これだけの長距離としては、利便性は高いと思います。昨今の本土的な思考だと具志川あたりで分断されそうなものだが、なおも長距離運行が維持されているとは、長距離の移動もいまだ少なくないのだろうか。とすればなかなか頼もしい話だとも思います。
 女の子達が喜びそうなスポットで途中下車しながら2日に渡る旅。「A&W」は懐かしいなあ。私は4年前に沖縄に行った時に、空港店に立ち寄った事があります。
 この系統は終盤で辺野古を経由するが、写真は1枚のみ。本当は避けて通れないかも知れない場所だが、バス旅の最中くらい、難しくギスギスした話題には触れたくないのが、私としても本音。
 沖縄のバスは運用する系統を固定しているようなので、77系統はどのような車両が走っているのか、また3時間も掛かるのなら途中休憩やドライバーの交代があるのかとか、少しでも記されていれば良かった。まあ今回は観光ガイドメインだからその辺はカットしても、という所か。

沖縄で新たに登場した 路線バスダイジェスト
 特に東洋バスはカラーリング自体変わったし、久々に新車も入り、体質改善が進み出していて、良い方向に向かいつつあるようです。問題が多かった沖縄のバスだが、ちょっとしたきっかけでうんと良い方向に向かう可能性を秘めた土地だと思うので、この流れがこのまま続いてい欲しい。ICカードも入ったし。

沖縄 特別なバスたち
 空港ランプバスは、ANAの方が台数が多いのはかなり意外だった。ANAは、現在の沖縄発着は全てB737以上の大型機で、ターミナルのボーディングブリッジを使う機会の方が多いと思われたから。ピーチなど、傘下のLCC便などで使うのだろうか(JALは、小型機オンリーのRACがある)。

 今回の沖縄特集を読んでしまうと、また沖縄にいって見たくなりました。次に行く時は、名護は外せないです。ただ、77系統は正直難しい。111系統の高速バスで行く事になると思う。

シターロG連節バス
 モデルチェンジした、シターロGの連節バス。フロントのデザインはシターロのアイデンティティが残されているように思えたが、細かく見ると変わるところはかなり変わっています。エンジンルームがキャビン内のデッドスペースとなっていて、エルガ・ハイブリッド同様マイナスポイントになりはしないかとも思うが、こちらは全体的な収容力が大きいから、あまり気にならないか。導入第1号は果たしてどこか。
(奈良交通が連接車の導入を発表したが、ボルグレン)

1970年代の近鉄路線バス
 車両そのものもさる事ながら、車両の方向幕に書かれた行先に興味深いものもありました。初っぱなの6320号車は撮影場所が京都市内中心部(市電の線路がある)、「般若寺経由」とあるから奈良から来た便、という事ですよね?深江橋という行先も今はないし。テキストでは天理・伊賀上野への路線もあったらしい。「SKY VIST」などの話題はあっても一般路線バスがかなりジリ貧な現状が残念。今月になって路線がかなり廃止になってしまったし(梅田への路線もついになくなった)。

 折込ポスターはシターロG連節バス。

 次号はどんなないようになるでしょうか。久しぶりにカラーで昔の写真をふんだんに見たい気がします。

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 583系がついに引退しました。私は確か、国鉄時代に〔はつかり〕2回、〔ゆうづる〕か〔はくつる〕1回(スミマセン、小学生の頃なのでどちらだったかは忘れました…)、JRになってから急行〔津軽〕(座席)で1回乗った記憶があります。6年前の№435で書いたけれど、東北新幹線〔はやぶさ〕スタート時の「MADE IN DREAM」のポスターに583系がなかった事は、今になっても解せない。

《今日のニュースから》
 7日 津波被災の石巻市鹿波中学校 新校舎完成で落成式
 8日 「レストランバス」ツアー 阿蘇地域で開始

№1673 バスマガジンvol.82(講談社ビーシー/講談社)

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「バスマガジンvol.81」が先月末、発売になりました。
 表紙はトヨタFCバス、この姿そのままで先日、都営バスで営業運転に入りました。

トヨタFCバスに 乗った!!触った!!走らせた!!
 ここでは記されていないが、日野BRCハイブリッドベースとはいえ、トヨタが大型路線バスを販売するのは、1972(S47)年を持って終了したDR15以来、45年ぶりという事になります。
 実は私も先日、試乗する機会を得ました。技術的な事はともかく、とにかく静か!特に停車中は、バス自身から発せられる音がほとんどない。走行中も、ヒューンという低めのノイズのみ。敢えて言うと、欧州とかのLRTの電車に乗っている感覚、としたら解ってもらえるでしょうか?
 今回の車両はわざわざ「東京都営バス仕様」と銘打たれている位だから、都営バスとしての運用に特化した部分が多々あるのだろう。としたら、今後他の事業者が手を上げたら、どの部分が変わる事になるだろうか。今後の普及は車両の単価が下がる事と、水素ステーションの整備が進む事に掛かってくるでしょう。取りあえず数年は都営バスで実績を積んで、それを基に量産車にフィードバック、という流れで行くのでしょう。

今年のヒュンダイ ユニバース
 台日通バスとは初耳だが、調べてみると本社は足立区加賀、日暮里・舎人ライナーの舎人公園駅が近いようだ。2015(H27)年創業らしいからまだ2年しか経っていない。
 車内は、写真を見る限りではどこかレトロチックにも見える。登録番号は希望ナンバーで、やはりオリンピックを意識しているのだろうか。

帰ってきた 路線バス全方位レポート Vol.14 群馬県
 前回は創刊間もないvol.4(2004(H12)年3月刊行)で、十王自動車が埼玉の国際ハイヤーと合併、国際十王自動車となって間もない時期でした。
 群馬県はかなり昔から「厳しい厳しい」と言われ続けていて、それは私自身、特に伊勢崎を訪れる度に感じていました。30年位前はある程度キチンとしたバス乗り場があって、バス会社も数社あったものが、だんだん路線も会社も減って行くのは、はっきり辛いものを感じていました。特に群馬中央バスは、前橋へ行く路線が割と本数が多かったのに、今は廃線になってしまいました。
 ただ、最近はバス復権の動きもあるとの事で、頼もしいところも。しかしそうなると、自主運行の事業者のみとなると、県全体の実情が見えてこないのではないか。vol.4と比較すると、矢島タクシーがないし(太田~熊谷は自主運行ではなかったのか?)、館林市のつつじ観光も、一時は空白域となったエリアを走っているので、この辺も取り上げられるべき。
 また、朝日自動車がなくなったのはどうしてだろう?今でも太田に営業所があるのに(他に本庄から、藤岡市に越境する路線がある)。西武高原バスは、群馬県内の営業所がなくなったから消えたのだろうが。

Bus Magazine in Overseas!
 ソウルの市内バスは乗った事はないが、都市バスのあり方の理想型として、日本でもお手本とすべきとする論調は、他でも聞こえてきます。
 ただ、一方でLRTをやれという声もあるし、中央走行方式もどのみちある程度の道幅がないとスペースが取れない。いずれにしろ、積極的な行政の対応が求められるのだろうが、昨今の日本はあまり行政は口を出すなという論調もあるし、どんなスタイルにしろ、とにかく公共交通の地位の向上が何より必要。整備を求める側の「交通整理」も、必要になろうかと思います。

おじゃまします バス会社潜入レポート vol.82 川崎市交通局

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 こちらは逆に、6年前のvol.46(2011(H23)年3月刊行)で取り上げられたばかりでした。
 とはいえ市営バスを巡る環境の変化は案外大きく、6年前はなかった菅生〔営〕があり(当時は出張所から、鷲ヶ峰〔営〕の分車庫に格下げされていて、旧相模神奈交バス委託開始で独立した営業所になった)、外部では藤子・F・不二夫ミュージアムの開業と、なぜか触れられていなかったけれど、武蔵小杉駅付近の再開発とかがありました。
 車両面では、東は工業地帯、西は団地があるので、長尺車が多数あるのが、公営バスとしては異例。新エアロスターも入っているが、公営バスではまだかなり珍しいのではないだろうか。少なくとも東京都・横浜市には入っていないし。30年位前は三菱ふそうといすゞで二分されていたのだが(東にいすゞ、西に三菱ふそうの工場があったからだろう。いすゞはなくなったが)、最近は日野の割合がかなり高まっている。こうなるとブルーリボン・ハイブリッドの導入も大いに期待。長尺車もあるし。
 市営バスカラーのポンチョが見たかった。

バスのある公園
 前回までの「バスのある博物館」の番外編的なコラム。国鉄ハイウェイバスも原型のまま残っているなら、もっとキチンとした博物館的な所で保存して欲しいし、都営バスは何度も書くが、「都営交通博物館」を造って、そこで展示をやって欲しい。バスだけでなく都電もあるようだし。BU04はもちろん「美濃部カラー」に復元して。
(都営バスは、本当は都市新バス第1号路線「グリーンシャトル」初代車両があると良かったのだが…)

終点の情景を求めて 第14回 瀬底
 前回から一転して沖縄。当然ながら北海道とも、本州とも全然違う。北海道とは違う意味で異国情緒をも感じる。ただ、瀬底は本数が非常に少ないので、行くのは大変。瀬底はともかく、次に沖縄に行くとしたら、名護はもう外す事はできないです。いつになるかはまだ未定だし、名護は結構遠くて、那覇から高速バスでも1時間半かかるので大変だが。

 連節バスは、何度も繰り返すが、日本の道路事情では普及はやや疑問。公道の走行そのものはまだいいとしてもバス停の停車スペースをかなり取る事になるし、何よりバスターミナルに難があるように思えます。単車の運用を大前提とした構造になっているので。BRTまでは解らないとしても、最低限幕張くらいのレベルで設備が整備されないと、普及は難しいのではないだろうか。ここでも、行政の理解と、何より公共交通の地位の向上が必要になろうかと思います。
(運賃収受は、駅など発着の片道輸送になるなら、地上側でやってしまう方法も考えられる。既にいくつも例がある)

「ムーンライト」の休止について、ほとんど触れられていなかったのは意外。高速バス全般に関わる一大事件とも思うが。南部バス(岩手県北バスの南部支社となった)についても、何もなかった。それとまた、前号の予告と内容が違って、豪華高速バスはほとんど触れられていなかった(成定竜一氏のコラムのみ)。
 次号はバス会社潜入レポートが京都バス、全方位レポートは長崎県(前回はvol.55でやったばかり)。今号は速報だった「いすゞプラザ」(月~金は予約制。公式Webからできる)の詳報も載るようだが、いつも書くように、とにかく予告通りに事を進めて欲しいと願います。

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《今日のニュースから》
 5日 津久井やまゆり園入所者 横浜市へ引っ越し開始
 6日 嘱託警察犬「きな子」 香川県警察が感謝状

 香港で深夜にトラムの脱線事故があって、14人がケガしたとの事。5年前に乗っているので、ちょっとビックリ。スピードの出し過ぎ?

№1672 JRワンマン運転 始まりは浜川崎支線

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 前回はJRで30年の間に何があったのか、趣味的な目線で、私なりに振り返ってみました。
 様々な切り口で見る事ができるが、私は私鉄車掌経験者なので、「ワンマン化」についてもう少し書いてみようかと思います。

 JRで本格的にワンマン運転が始まったのは民営化から約1年後の1988(S63)年3月13日、青函トンネル開業と同じ日の、東日本の南武線(浜川崎支線)。当時は101系(クモハ101+クモハ100)の2連でした。
 当時私は、勤務していた会社の組合と深いつきあいがあった国鉄労働組合(国労)のパンフレットをチラッと眺めた事があります。言うまでもなく絶対反対、だったのだが、「危険危険」というだけで具体的にどこがどう行けないのはは全く記されず、正直説得力に欠けると言うのが当時の感想でした。
 既に私鉄では関東鉄道竜ヶ崎線や日立電鉄(現在は廃線)、西鉄宮地岳線(現在は路線短縮で貝塚線)や名鉄の一部路線などでワンマン運転が始まっていました。宮地岳線はローカルではあっても、少なくとも浜川崎支線よりは利用者は多かったはずです。当時は3連もあったし。
 それにJRスタートの30年前は同時に、特定地方交通線の整理が強力に推進されていた時期でもあったが、三陸鉄道や樽見鉄道など、第三セクター鉄道に転換された路線は全て、基本はワンマン運転でした(樽見の客車列車など例外もあるが)。どこも、少なくとも安全面で問題があったとは聞いていませんでした。なのでこれらの例を見た時、浜川崎支線のワンマン化が絶対危険、とはとうてい思えなかったのが、正直な所です。車掌としては間違った考え方だったでしょうか?

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 結局当然ながらワンマン化の方針は覆る事はなく、青森県の大湊線と同時にワンマン化がスタート、以来103系→205系と代替わりしながらもワンマン運転は完全に定着。
 そしてこれ以降、全国各地のJR線で、一気にワンマン化が進められていきます。当初は浜川崎支線のような短区間の折返し運転を行なう所から始まったが、やがて幹線区の、比較的長距離の列車にも広がっていきます。一時はJR在来線の半分以上の区間で、何らかの形でワンマン運転の列車が走っていました。
(後に整備新幹線並行在来線の第三セクター移管があったから、現在の割合は解らない)

 そして、JRに引きずられる形で、大手私鉄や都市鉄道、地下鉄でも相次いでワンマン運転が始まります。同じく最初は短区間の支線的な所からだったが、特に利用者が少なくて、編成も短い路線だと、やはり幹線区でもワンマン列車が走るようになります(近鉄・西鉄など)。
 また、路線全体がワンマン運転を前提にしたシステムになっている路線だと、もっと大規模なワンマン運転が行なわれるようになります。一番最初は福岡市営地下鉄だと思うが、メトロ南北線やつくばエクスプレス(TX)など、東京都心でもワンマン運転が導入されつつあります。メトロ副都心線なぞ、ついには10連で急行が走る相互直通路線が、完全にワンマン運転となってしまい?ました。在来地下鉄路線も、都営三田線や札幌市営など、支援システム導入の上でワンマン化に踏み切る路線もあります。
 ローカル私鉄に至っては、もはやワンマン列車が全くない所を探す方が難しいほどです。ワンマンを飛び越えて無人運転が基本の新交通システムはもちろん、モノレールも車掌が乗っているのは、湘南モノレールのみになりました。
 駅なども含めて鉄道の合理化が急激に進んだのもこの30年だが、そのきっかけは、やはりJRにあったのだろうと思います。「JRが始めたのだから」と。

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 先日、小田栄駅見学もかねて、久しぶりに浜川崎支線の電車に乗りました。運転士は運転台とホームのミラーで車内及びホームを確認して、運転台にあるドア開閉ボタンを操作します。意外に?小田栄駅の乗降が多かったのだが(川崎駅へ直行する臨港バス路線が頻発しているのだが)、やはりどうしてもワンマン化はぜったいダメ、とは映りませんました。
(小田栄駅は駅員無配置で、ホームには乗車駅証明書発行機と簡易ICカードリーダーがあるのみ。運転士は運賃収受までは行なわない)
 神奈川県でワンマン運転を行なっているのは、JRは浜川崎支線の他に東海の御殿場線、東急の目黒線とこどもの国線、横浜市営地下鉄のブルーラインとグリーンライン全線。計算していないから断定はできないが、恐らくこれでも、全47都道府県で、ワンマン運転の割合が最も少ない県だと思われます。
(他にシーサイドラインが無人運転)

 今後もたぶん、JRのワンマン化は進むでしょう。JRで一番長いワンマン列車はたぶん4連だと思うが、これ以下の普通列車は、人員不足対策もあって、例えば神奈川県で言うと相模線のような他線との直通が少ない、独立した形態の路線で編成も短い路線では、今後も強力に推進される事になるのではないでしょうか。
 ただ、さすがに〔にちりん〕〔ひゅうが〕のワンマン化は行き過ぎでは?安全面は問題ないとしても、特急という「格」としてはどうなんだろう?グリーン車まで連結しているのに、キチンとチェックできるのだろうか?
(アテンダントが乗務しているが、無期限というわけでもなさそう)

 今後一つ望むとすれば、ワンマン化そのものは時代の趨勢と受け入れるとしても、運転士の負担ができるだけ少なくなるようにして欲しい。開業時から既に高度にシステム化されたTXみたいな路線はともかく(昨日TXに乗る機会があったが、「運転士」というより「オペレーター」という感じに映る)、特に地方の「バス型」ワンマンは、ドア開閉やそれに伴う安全確認作業に加えて、「営業」が加わるので。特にJRはたとえ地方のローカル線でも、全国レベルの営業規則が適用されるので。「えーと、このきっぷはこの列車には乗れるんだっけ?」と運転士が右往左往するようでは、それこそ安全性や定時運転にも悪影響を与える事になるので。車両の機器の配置とか、ホームの表示とか、場合によっては事前の乗客への十分な周知も必要でしょう(特にインバウンド対策)。そういう所にもっと気を配って欲しいと思います。

 先に「ワンマン化反対」の労組のチラシについて少し書いたが、ワンマン化に限らず、合理化(駅の無人化など)をやろうとすると、当初はどこでも反対運動は多かれ少なかれ起こるものです。労組だけならず地域の住民からも。九州の筑豊線(「DENCHA」区間)でも、今改正で遠隔操作システムを導入して駅員の配置を止めようとしたときも、地元では反対の署名活動が行なわれていると書いた事がありました。結局計画通りに事が運んで、無人化が行なわれたようだが(若松のみ、朝方2時間に窓口が開くようだ)。
 しかしそもそも自動改札機だってそう、自動券売機だってそう、まして今の若い人は、「そこの通りを走る路線バスも昔は車掌が乗っていたんだよ」と言われても、ハァ?みたいな感覚に陥るのでは?私の経験からすると、結局合理化ってものは、最初の内は非難ゴウゴウでも、何事もなく数日・数ヶ月・数年もしたら、「こんなもんだろ?」って意識に落ち着くもの、なのだろうと思っています。まもなくワンマン化30年の浜川崎支線も、その典型的な例だと改めて感じました。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 JR東日本は、上越新幹線にE7系を導入すると発表しました。北陸新幹線と同じグランクラス連結の12連で、来年から2020(H32)年の間に11編成・132両を導入。E4系は全て置き換えで、これで全ての新幹線から、2階建て車両が消える事になります。

《今日のニュースから》
 2日 富士重工から社名変更 SUBARU群馬製作所で式典
 3日 ロシア・サンクトペテルブルク市地下鉄で爆発 10人死亡
 4日 韓国駐在長嶺大使 三ヶ月ぶり帰任

 つい最近までバスのボディやローカル鉄道用車両を製造していたのに、「富士重工」の名前が消えてしまうと、そういった物も製造していたという記憶もさらに薄くなっていくのでしょうか。
 いかなる理由があろうと、公共交通機関を狙い撃ちしたテロ事件は、絶対に認めない。