№1620 木古内駅時刻表 今昔<前>
今年の鉄道界で最大のトピックは、間違いなく北海道新幹線の開業でしょう。新青森~新函館北斗間148.8㎞が3月26日に開業。大半が東北新幹線に直通、東京~新函館北斗間が最速4時間02分で結ばれる事となりました。
奥津軽いまべつ~木古内間は、青函トンネルを在来線と共用します。青函トンネルは1988(S63)年3月13日に開業、本州と北海道が鉄道で結ばれる、画期的な出来事となりました。
青函トンネルを抜けて最初の駅が木古内(一時手前に知内駅が置かれていた事もあったが)、昔はローカル線が分岐する小駅だったものが、今では東京へ直通する新幹線の駅が置かれるまでになりました。私も合計3度木古内駅へ降り立った事があり、新幹線開業直後の今年5月にも訪れています。
2回に分けて、ローカル線の分岐駅だった頃から新幹線開業時までの、主な改正の時刻表を並べてみて、本当に簡単ではあるが、木古内駅の変化をダイヤ面からたどってみようと思います。
1981(S56)年10月1日改正
手持ちで一番古い「国鉄監修 交通公社の時刻表1982年4月号」から作成した、1981(S56)年10月1日の時刻表です。
当時、木古内駅からは松前線が分岐していました。松前線は木古内と松前を結ぶ50.8㎞の路線でした。この2年前までは急行も運転されていたようだが、既に普通列車のみとなっていました。函館~木古内間は大半の列車が、江差線と松前線直通の併結運転でした。
1986(S61)年11月1日改正
「国鉄最後のダイヤ改正」・1986(S61)年11月1日改正の時刻です。そのままJR北海道に引き継がれる事になります。
江差線では、函館~上磯間の普通列車が増発されていたが、木古内は特に大きな変化が見られません。
むしろ木古内~江差の本数が削減されています。江差行より、松前線の方が利用者が多かったのだが、松前線の方が特定地方交通線に指定される事となり、青函トンネル開業の直前の1988(S63)年1月31日を持って廃線、函館バスに転換されました。
一番上の画像は、松前線廃線~青函トンネル開業の谷間という時期に訪れた時に撮影したです。松前線は、乗った事がないまま終わりました。
1988(S63)年3月13日改正
青函トンネル開業時の時刻です。函館~木古内間は、「津軽海峡線」の一部として組み込まれる事になりました。
青森~函館間に快速〔海峡〕を8往復設定、盛岡~青森間の特急〔はつかり〕の一部が函館まで延長、2往復が木古内に停車する事になりました。
また、大阪~青森間の寝台特急〔日本海〕の1・4号も一部車両が函館まで延長、木古内に停車しています。
東京~札幌間の寝台特急〔北斗星〕は、全列車木古内通過でした。
普通列車は、函館行1本が削減されました。
1990(H2)年7月1日改正
江差行は初発が1時間繰り下がった上、渡島鶴岡・吉堀が通過となりました。午後に1本増発され(休日運休)、6往復に戻っています。
海峡線・江差線とも、木古内に関してはこの体制がしばらく続きます。
1997(H9)年3月22日改正
〔はつかり〕停車が1往復増えました。一方〔海峡〕は7往復に削減された上、うち1往復は特定日のみ運転に変更されました。青函トンネルの旅客需要が減少に転じていた頃です。
江差行は、休日運休だった日中の列車が毎日運転になりました。
1998(H10)年12月8日改正
下り〔はつかり〕の停車が1本減、〔海峡〕が遅い時間帯にシフトしています。特定日運転の〔海峡〕の時刻が立て替えられています。
普通列車は、5時台の函館行が削減され、9本になりました。
〔海峡〕に関しては編成内容についても記しても良かったが、ここでは時刻のみとしました。
次回は、東北新幹線八戸延伸以降の変化について記します。
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《今日のニュースから》
18日 JR浜松工場の不発弾 移送・爆破処理 新幹線・東海道線一時運転見合わせ
19日 新潟県米山新知事 原発再稼働問題で経済産業相と会談