芸備線は中国地方の中央を東西に貫き、岡山県の備中神代と広島県の広島を結ぶ159.1㎞の比較的長大なローカル線です。私は9月、(全線ではないが)芸備線に乗りました。たぶん26年ぶりだったのではないかな…。
先月JR北海道の路線維持問題が公のものとなり、改めてローカル鉄道の存続問題がクローズアップされています。それは北海道だけのものではなく、全国規模の問題でしょう。芸備線も恐らくは無関係ではないはずです。
今回、芸備線全線の34年前、1982(S57)年と現在のダイヤを作成してみたので、比較してみようと思います。本当は、その間のダイヤの変遷もじっくり研究すべきだが、結構大変な作業なので、あえて単純比較とさせていただきました。かなりの年月が経っている事もあるが、これが同じ路線なの?と思う位まるっきり変わっていました。一部区間では、北海道と同様の問題を抱えているのではないかと、ダイヤ面からはっきり感じられると思います。
まず、手持ちの時刻表で一番古い、「国鉄監修 交通公社の時刻表 1982(S57)年4月号」から作成したダイヤをご覧いただきます。下手クソな手書きなので見苦しいのはご了承ください。また、スキャナーの性能から4時間毎に画像を区切っているので、前後のつながりがつかみにくくなっているのも、ご勘弁願えればと思います。
1982(S57)年3月20日現在(訂補)のダイヤです。芸備線は備中神代が起点・広島が終点で、備中神代→広島が下り、その逆が上りです。
青いラインは急行です。
備中神代側は全列車伯備線に直通し、新見を発着します(東城始発848Dは岡山行)。当時は伯備線も非電化で、特急〔やくも〕は181系DCで食堂車も連結、急行〔伯耆〕も運行されている時代でした。
新見~備中神代間の布原駅は、当時は正式な駅ではなく、信号場で客扱いを行う「仮乗降場」という扱い、国鉄最終日の1987(S62)年3月31日に正式に駅に昇格しました。なので時刻表には記載がありません。時刻は推定である事をお断りしておきます。当時も今も、布原駅は芸備線列車のみの停車です。
(新見~備中神代間は芸備線列車のみ記載)
塩町~新見間は福塩線列車も直通します。
全体としては、三次~広島間、特に広島口は今の目線では相当、というかとんでもなく少ない。普通列車に限ると、日中は2時間30分程度列車がない時間帯もあります。山陽本線でさえ、「ひろしまシティ電車」がスタートする前の話だし…。
一方で(新見)備中神代~三次間はそれなりに本数があり、備後八幡、小奴可、備後西城、高の各駅は交換も可能でした。備後落合駅は、三次方は下り12本・上り11本、新見方は8往復、また木次線も8往復の発着がありました(急行含む)。
それと、当時は50系の客車列車もありました。新見~三次間1往復、三次~広島間4往復で、特に広島口は朝の到着と夕方の下りが3本ずつ集中し、輸送力列車となっていた事がうかがえます。
急行は米子~広島間〔ちどり〕(3号は鳥取発・4号は松江から普通)2往復、新見~広島間〔たいしゃく〕(1号は新見~備後庄原・他は新見~備後落合間普通)、ただし〔ちどり4号〕と〔たいしゃく2号〕は広島→備後落合間は併結運転なので、急行は合計で下り4本・上り3本。〔ちどり〕はグリーン車と指定席車を連結していました。
新見~広島間全線通しの列車が急行〔たいしゃく〕2往復(一部区間普通)、普通下り2本・上り3本ありました。米子~広島間は5時間~5時間30分程度だったでしょうか。三次~広島間は1時間20分前後。
全体的には、区間による格差が現在ほど大きくはなかった時代です。
続いて、今回乗車した今年9月現在の時刻を掲載した、「JTB時刻表9月号」から作成したダイヤです。
2016(H28)年8月25日現在(訂補)のダイヤです。急行はとっくになくなり、代わって快速が設定されています。緑のラインで記しています。
三次を境に、西高東低の傾向がはっきり出たダイヤです。
西側、特に広島口は、広島市内区間となる狩留家~広島間でフリークエントサービスが提供されるようになりました。昼以降20~30分間隔のほぼパターン化したダイヤになっています。下り広島着は18→47本、上り広島発は18→45本と3倍近くに増発されています。三次発着の広島方面行も、下り15→19本、上り15→20本となり、快速も含めれば、1時間に1本は列車が確保されています(2往復は狩留家で乗り換え)。
運転時間帯も拡大し、広島発最終列車は、下深川着が24時を過ぎます。
快速〔みよしライナー〕は三次~広島間を1時間20分前後で走り、広島~下深川間各駅停車にも関わらず、急行時代とほとんど変わりません。
一部の列車はワンマン運転。
一方、三次の東側は本数の落ち込みが顕著です。特に東城~備後落合間は3往復しかなくなり、JR西日本では木次線・出雲横田~備後落合間、小野田線・雀田~長門本山間とともに最少です。備後落合~備後庄原間も5往復(特定日6往復・学校帰宅対策?)で、34年前の半分以下です。
系統も現在は備後落合・新見で分断され、新見~広島間でその日のうちに到達できるダイヤは2本しかありません。
確認はしていないが、恐らく全列車がワンマン運転になっているかと思われます。新見方は岡山の車両で運用されています(津山線・姫新線と共通のようです)。
芸備線に限らず、あるいはJR西日本に限った話でもないが、昨今の長大路線は幹線でもローカル線でも、区間による差が大きくなる傾向にあります。芸備線も、路線のロケーションからしてそういう傾向になるのは当然かなと、先日乗車して感じました。それにしても、差が東と西で大きくついた…。
今後の事となると、西側の区間は広島の近郊区間を含むので、当面は現状維持でしょう。ただ前にも書いたが、三次市は広島県内の中でも決して小さな都市ではなく、高速バスに押されている面はあるのだろうが、もう少し線路に手を入れ、スピードアップを図る施策があっても良いのではないか?本当はこの位本数があったら電化も検討されてしかるべきかと思うが(もっと本数が少ない小浜線が電化されている)、トンネルがいくつかあるので、コスト的にその点がネックかも知れない。せめて姫新線姫路口の127系のような新型車両の導入が欲しい。広島はとにもかくにも電車の新車は入ったので、次は芸備線の番だと思います。
一方東側は…。ダイヤと車両からして、恐らく輸送量が、JR北海道が公表した「単独では維持困難な路線」と同等、あるいはそれ以下の輸送量しかないと思われる。JR北海道の発表をきっかけに、この地域でも(木次線まで含め)路線の存廃が議論される事になるかも知れない。かつて急行が走った区間ではあるが、現在は高速バスが広島~備後庄原間を約2時間、広島~東城間を約2時間20分で走っていて、本数も多いので、都市の規模まで考えると、都市間輸送ではちょっと太刀打ちできないか。少なくとも現状の乗客をつなぎとめる事が必要…と思うが、沿線の人口自体が急激に減少しているので、鉄道側だけではどうにもならなくなっているかも知れない。数年後にはJRにも、自治体にも、難しい事態になりそうに思えます。
今回は、34年前の時刻表を基にして、現在と比較する形でダイヤを作成してみました。34年前となると芸備線に限らず、国鉄・JRに限らず、様相が今とまるっきり違っていて(何しろ東北新幹線大宮暫定開業直前)、めまいさえ覚える程?時刻表そのものも、基本的なシステム自体は現代と違わないと思うが、アニメのカレンダーのオマケやら、マンガとのコラボがある現代と違って、グラビアさえなくてやや硬さを感じる内容と思わせます(「国鉄監修」だったからだろうが)。それを一つ一つ取り上げたら、とても1年2年では終わらないだろうが、今後も機会あるごとに、昔の時刻表から解る事について記してみたいと思っています。
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