今日は短く行きます。
前回はJR北海道の経営問題について書きました。ヨソ者がああだこうだいいの悪いのとは言えません。とにかく全ての関係者が納得できる結論を導いて欲しいと願います。どういう方向になっても激痛を伴うものになるとは間違いないだろう、と思わずにはいられないのだが…。
今回は廃止路線ではないが、廃止になった駅をご覧頂こうと思います。1988(S63)年2月11日の石勝線・楓駅です。
石勝線は追分~新得(正確には上落合〔信〕)間の路線で、途中の追分~楓間は、旧夕張線を転用、改良した区間です。この時、新夕張(開業前は紅葉山)~夕張間も石勝線に編入されました。
現在の夕張支線は夕張線時代は本線格、紅葉山~旧登川間は支線格でした。石勝線開業時に登川駅は廃止、楓駅は新線区間に移転しました。両駅を統合した形です。
新得方向へ向う本線は行き違いが可能で、別に楓折返し列車用に、引き込み線上にホームが設けられていました。本線の方にも相対式ホームがあって、旅客列車(特急・急行のみだったが)の客扱いの停車も可能ではあったが、結局本線の客扱い停車の設定はなく、楓⇔新得間の移動は新夕張折返し乗車を認める特例が設けられました。
撮影当時は毎日4本の区間運転の設定がありました。当時のJR各社はまだワンマン運転が始まっておらず、区間運転は新夕張駅の駅員が車掌を兼務する形で乗務していました。
結局この後楓駅を発着する普通列車は少なくなっていき、末期には1往復のみになってしまいました。それも休日運休だったから、普通列車の設定本数に限れば、旧清水港線とか、現行の札沼線(浦臼~新十津川間)さえ下回る、国鉄・JR史上でも最低記録になったと言えました。
2004(H16)年3月12日を持って旅客駅としては廃止となり、信号所として機能するのが現状です。集落が遠くて元々利用者が極小だったし、夕張鉄道のバス路線があったので、問題はほとんど起こらなかったようです。
あれから12年、かつての本線格だった新夕張~夕張間でさえ廃止がほぼ本決まりになって、いつ届け出がなされてもおかしくない状況です。となれば、楓駅発着の普通列車も、遅かれ早かれ廃止になる運命、だったのでしょう。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
インドの列車事故は、犠牲者が145人の大惨事になってしまいました。インドはこの数年、大規模な惨事が相次いでいます。経済的には発展著しく、BRICSの一角も担う大国のはずなのだが、鉄道の基本的な安全対策に資金が廻らないのはどうしてなのでしょうか。インドって豊かなの?貧しいの?
《今日のニュースから》、
20日 「極楽とんぼ」山本圭壱 よしもとクリエイティブ・エージェンシー復帰
21日 サンフレッチェ広島 佐藤寿人 名古屋グランパス移籍発表