№1584 思い出の海外旅行クロニクル 25.2005年スイス 1

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「思い出の海外旅行クロニクル」、今回は2005(H17)年10月のスイスです。
 既にスイスは何度も行っていて、単独でも1994(H6)年に15日に渡ってあちらこちらと乗り歩いてきました。
 あれから11年、風光明媚な景色は変わらないが、鉄道網はさらに進化を遂げているようです。その様子と、これまで乗った事がない小鉄道巡りを中心にプランを組みました。ただ、途中で何度もプランを変えたりしましたが。
 あと、例によってジュネーブとチューリッヒの空港で旅客機の写真を撮りました。「クロニクル」終了後にまとめて公開します。

2005年10月 9日(日)

 今回はパリ経由、往復ともJALです。2003(H15)年のハンガリー以来、2年ぶり。

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 第2ターミナルの出発ロビー。JALのエコノミークラスのカウンターは行列が長く、20分は待たされた。

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 お馴染みのJL405便。JA8071は、まだArc of the Sunにはなっていませんでした。後方のB767は変わっていたが。

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 今日の成田はザンザ降り。風も強い。R/W34Lに向かう途中、B747フレイターの着陸を見るが、リバーサーの水煙が凄い。

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 離陸。こちらも水煙が凄い。この後JRのE217系を見るが、すぐに下界は何も見えなくなる。

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 日本海側は快晴だ。離陸から20分位で新潟、日本海へ抜けていきます。

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 1時間30分でシベリア。山の中にこぢんまりした集落と、小空港を見る。

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 キャビン。

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 離陸直後のオツマミ。

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 離陸後、最初の食事。カツレツ、だったっけ?

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 リフレッシュメントのデニッシュとドリンク。

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 ポルポフ。

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 成田離陸から9時間で、サンクトペテルブルクを右に見る。さすがに大都会で、広大な鉄道の操車場らしきもの見える。空港も確認できました。

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 CDGを間近にして降下。どこかの大都会の上空だが、どこかは失念してしまいました。

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 ヴィナントの集落。フランスの田舎町は本当に小さい。バスで行ける所なのだろうか。行けるものなら、いつかは行ってみたい…?

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 CDG到着、見慣れぬキャリアの尾翼に、異国を強く感じる。

 これまで何度も搭乗してきたJALの東京~パリ路線だが、B747-400は結果的に、これが最後になりました。

 次のチューリヒ行AF5108便が出発するF46番ゲートに向かう途中、手荷物検査場があって、バッグの中身も調べられました。CDGは何度も来たが、こんな事は初めてだ。

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 ガラス張りのターミナルF。
 機体まではバス。しかし車内で20分以上も待たされてようやく動き出し、新ターミナルらしき工事現場の脇を走って行く。どこまで行くんだよ?と思った頃、相当遠く離れたエプロンに小型機が見える。

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 AF5108便は、アイルランドのシティジェットが運行するBAe146-200。
 指定された席は、翼の真下で、ややうっとおしいかも。でもフラップが展開されると、内部の機構が丸見えで面白い。今回は大して待たされもせずに滑走路へ。

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 離陸。位置が低いので、滑走はスピード感がありました。

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 キャビン。

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 機内食のサービスが回る。

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 機内食と言っても、サンドイッチ2種類とタルトがパックに詰まった簡素なもの。

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 わずか30分で早くもベルトサインが再点灯。遠くのアルプスの山々は、屏風のよう。

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 チューリヒ郊外の田舎町。

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 チューリヒ到着。ここもターミナルまではバスだ。陽が暮れた事もあって、寒い。

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 手荷物受取場。
 ところがここでとんでもない事態が判明。突然アナウンスで名前を呼ばれた。成田で預けたバッグが着いていない!他にも機内で一緒だった女性など日本人ばかり数名が名前を呼ばれている。どうやらCDGで、荷物が積み替えられていなかったらしい。
 どうしよう。一泊目のホテルのバウチャーやスイスパスなどは皆、預けた方だ。バッグは到着次第ホテルに届けると言うが。ともかくチューリヒの中心部まで移動しなければならないが、切符を買って乗らなければならない。ホテルは中央駅のすぐそばだったのでなんとかなったが、時差ボケもあって頭が朦朧、服を着たまま眠ってしまった…。

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2005年10月10日(月)

 バッグは届いていない…。これでは、今日は少なくとも午前中は、チューリヒからは出られそうにない。いきなりプランが狂う事になる。それにしても、サマータイム終了直前の10月は、朝がとても遅い。7時30分頃になってようやく明るくなってきたが、曇り空。
 自力での解決が難しく、9時を回ってから、当時のJALの支店を訪ねて、ロストバゲージについてアドバイスしていただいた。10時を過ぎたらAFに聞いてみるから、11時過ぎに電話下さい、という話になった。その後電話したら空港に着いているという事で、再び空港まで受取に行く事となった。
(JALの支店のスタッフの方々には改めて、お礼を申し上げたいと思います)

 なんとか荷物を受け取り、午後は電車に乗る。最初はローザンヌに泊まる予定にして、新型電車特急ICN(Intercity-Neigezüge)に乗りに行く。チューリヒからコンスタンツ行に乗車。

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 コンスタンツはドイツ領。10分弱で慌ただしく折返しで、駅を取るのが精一杯。

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 ICNの1等車の車内。7連の中間の3両(1両はコンパートと食堂の合造)。

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 2等車の車内。全部オープン席。

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 やはり食堂車が付いていたら行かなくては!1等コンパート車と合造なので、20席分とこぢんまり。

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 メニューは独仏の二ヶ国語しかない(英語すらない)。なんだか解らないが、ドイツ語で“GEMÜ SEEBLY MIT CURRY”なるものと、ペプシコーラを注文。カレー風味の、豆が入った混ぜご飯?という感じ。

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 編成には自転車置き場があるのも、欧州の新型らしい。
 チューリヒに戻ってくる頃、青空が広がってきたのは少々悔しい。中央駅で方向転換。

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 オエンジンゲンで、山腹に古城を見る。

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 沿線は田舎であるが、案外人家が多いかも。

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 ビール駅。

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 インスまでは私鉄の電車で行きます。旧BTI(Biel-Täuffelen-Ins-Bahn)。乗車当時は既にASm(Aare Seeland mobil)に合併していたが、BTIのロゴは残されています。LRT風の連接車。

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 その車内。部分超低床。
 システムもLRTに近い。ワンマン運転で、途中の駅も停留所然とした所ばかり。

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 沿線はほとんど、のどかな田園地帯が続く。

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 BTI(ASm)のインス駅は、国鉄駅を挟んだ反対側の、やはり路面電車の電停然とした場所にあります。
 TPF(Transports publics fribourgeois)の電車に乗り換え、最初はムルテンで降りるつもりが、いつの間にか乗り過ごしていた。居眠りしていたわけではなかったのに。フリブールまで乗ってしまう。

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 フリブール駅。このちょうど11年前にも降り立っています。駅そのものの雰囲気は変わらないが、広場は少し変わっているかな。
 最初はローザンヌで降りるつもりだったが、ここまで来たらジュネーヴまで行ってしまおう。やってきたICはダブルデッカーの新型でした。

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 この編成にも食堂車があります。夕食にします。

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 パスタ。

 ジュネーヴ中央駅着後、YHに電話すると空きベッドあり。さっそくバスで移動するが、駅前に現れる路面電車13系統には、デザインが素晴らしい超低床車両が入っていました。11年前に訪ねて以降、新路線が開通しています。明日は乗らねば。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 JR北海道が、来年3月改正に合わせて4路線10駅を廃止する方針らしい。この中には千歳線の美々駅があります。この駅はICカード「kitaca」のエリアの中にあるが、廃止になるとしたら、全国相互利用ICカードが利用できる駅で廃止になる初のケースになるはずです。新千歳空港に近く、撮影ポイントが近いらしいが(行った事はない)、普通電車でさえ通過が多い所。札幌から1時間程度なのだが、やはり相当利用者が少ないのでしょうか。

《今日のニュースから》
 3日 個人情報 無登録貸し金業者に漏洩 神奈川県伊勢佐木署警察官を逮捕
 4日 英ポンド 1£≑1.273$ 31年ぶり安値