№1555 思い出の海外旅行クロニクル 24.2005年ルクセンブルグ 3
最初はブリュッセル、アムステルダムで宿泊のプランを考えていたのだが、スキポール空港での旅客機撮影を思いついて、急遽アムステルダム連泊としたのでした。ただ、これまでルクセンブルクでは基本的にずっと晴れていたのに、午後になって、こんな感じで急に雲が広がってしまったのが、何とも残念でした。
翌日、OS便を乗り継いで帰国の途に就きます。
2005年 5月29日(日)
午前中は快晴だった。展望デッキから、手前は今は無きプルコボ航空のツポレフ機。
こちらも今は無きノースウエスト機。既にスカイチームはスタートしていたが、2番目の旧塗装機は、KLMとの提携マークが残っています。
JALのB747-400Fも見られました。遠くを走って行って、光線状態も良くなかったのが残念。
遠くには、これも今は無きトランスアエロ機。
しかし午後になると南の方から雲海が押し寄せ、あっという間に空一面を覆い尽くしてしまった。何て事…。これが欧州の初夏の空、なのかも知れないが。
それでも夕方までは飛行機を見ていました。
KLMは新デザインへの移行の途中で、旧デザインもまだ数多く見られました。JALはB747-400に変わっていたが、90’s鶴丸カラー。それにしてもまさか、この5年後に撤退する事になるとは、思いもしなかった。
そんなに数は多くないが、KLMを中心に、午前中撮ったフリートの画像をご覧頂きましょうか。
KLMオランダ航空 B737-800 PH-BXE
KLMオランダ航空 B737-900 PH-BXR
旧デザイン。
KLMオランダ航空 B747-400 PH-BFL
日本でもお馴染みではありますが。
KLMオランダ航空 B767-300ER PH-BZK
KLMオランダ航空 MD-11 PH-KCA
旅客機としては全て退役してしまったMD-11、新デザインを撮れて良かった。
KLMオランダ航空 B747-400M PH-BFE
台湾路線専門のKLMアジア。王冠のマークがなくて、小さく中国語の社名が書かれています。
ノースウエスト航空 DC-10-30 N226NW
コンチネンタル航空 B767-200ER
こちらも今はユナイテッドに合併したコンチネンタル機。
エバー航空 B747-400M B-16407
以前LAでは全旅客型を撮影したが、ここでは貨客混載コンビ型をご覧頂きます。後に全貨物型に改造されたそうです。
曇ると寒い。おまけにホテルへの帰り道、雨まで降りだした…。本当、欧州の空は、変わる時はあっという間だ。そういえばホテルを出る前のTV、予報は「晴れ後曇り」と言っていたっけ…。これ程ピッタリ当てはまるとはねぇ…。
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2005年 5月30日(月)
曇り空は変わらず。出発は午後なので、朝っぱら晴れなら撮影も期待できたのに。
改めて、スキポール空港のターミナルビル。
チェックインカウンターは、ルフトハンザと共用。
OS372便。A319。新色。
搭乗口のB19番ゲート。他に日本人はいなかったみたい。
搭乗中の機内。この機体にはモニターがあり、また座席にはオーディオのコントロールパネルもある。ただしヘッドホンの類は入っていない。
非常デモビデオ。これは当然音声がキャビンに流れる。英語(男)→独語(女)の流れは変わらない。日本語を含め、他言語の字幕はなし。
定刻を10分過ぎて出発。左はアリタリアの、同じくA319。
R/W24より離陸。左手にウエストエインデル湖。
残念ながらオランダ上空の曇り空は変わらずにすぐ雲海に突っ込む。抜けると青空。遠くに、反対方向に向かう機影が見えます。
キャビン。やはり緑色の座席の色が印象的。
ヘッドホンが配られ、オーディオを聞く事が出来た。欧州域内短距離路線としては、非常に珍しいと言えます。
機内サービス。この便も飲食は基本的には有料。この頃から、欧州域内路線はLCCでなくてもサービスの有料化が進んでいる印象があります。
昼過ぎの便だったし、せっかくなので利用してみました(行きに利用していなかった事もあるし)。チーズサンドイッチ3€+コーラ2.5€。
比較的大きな街が見えたが、どこかは解りません。ゴメンナサイ。
シェベヒャート空港に向けて降下。肥沃そうな農村地帯が広がる。
ドナウ川を横切る。R/Wは成田からの時と同じ34。
ウィーン到着はほぼ定時でした。AF機の隣のMD機は、これまた今は無きスパンエア。
2時間近く待ち合わせの時間があったが、ウィーンの空港の敷地内は屋外で撮影できる場所がなさそうなのは成田から着いた時に感じていた。だから快晴というのはかえって恨めしい、アムステルダムと逆だったらなあ、というのが、本当に正直な印象でした。
ターミナルA。成田行の他上海行OS57便の出発もあって、日本人だけでなく中国人の姿も数多くありました。
成田行OS51便はA340だが、いつもの300型ではなく、短尺の200型だ。ANAのコードシェアで、NH286便名で乗ります。
ところが、目の前のはずなのに階段を降ろされ、目の前のバスに乗る事になる。しかし30秒足らずで、機体に据え付けられたタラップの横に着いた。どうやらボーディングブリッジが故障していたようだ。
それにしても外に出たら、かなり暑かった。
このOE-LAGは、パーソナルテレビが付いていなかった。天井のモニターで非常デモビデオを見る事になります。日本語字幕の、本来は「避難用出口」の「避」の字が、「非」になっていました。
搭乗でややドタバタした感があった割には、定刻に出発できました。
R/W16から離陸、左旋回。エンツァードルフ・アンデア・フィーシャーの街。
ザラスドルフの集落。
キャビン。前述の通り、パーソナルテレビがありませんでした。TVモニターではNHKニュースが放映されていた(日本時間の昼12時)が、EU憲法採択をフランスが否決したというニュースがありました。そういえば朝のホテルで見た地元のニュースがどこもずいぶん騒いでいたが、この事だったか(今にして思えば、この頃からEUの雲行きは怪しかったのか)。また、1ヶ月前に発生した福知山線事故の復旧作業が中断したとかとも伝えていた(なぜかは忘れた)。
機内サービス。
オツマミ。成田発便と同じクラッカー。
離陸後、最初の食事。
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2005年 5月31日(火)
夜明け…と言っても真夏の極東の事、太陽は沈む事はなかった。
シベリアは天気が悪く、下界はひたすら雲がべったり張り付いて、どこを飛んでいるかは解らない。
到着前の食事。
日本の上空も悪天候。不気味な雲行き。
B滑走路・R/W34Rに着陸するのは4年前と同じ。第2ターミナルを見下ろす感じ。
定刻より10分早い到着。天候の影響はなかったようだ。多少揺れたけれど。
左にはJALのDC-10。この年の10月に全面退役する事になります。
OS便はこの後旧ラウダのB777に機材を変更しつつ、さらに再度カラーリングも変更して運航されていたが、今年の9月に日本路線の運航が終了する事になっています。OS日本路線は往復計4回あったが(全部A340だった)、結果的にこれが最後という事になりました。
最終回はいつも通り、ルクセンブルクの鉄道の印象や、ルクセンブルクそのもののパーソナルデータを記して完結です。といっても小国ゆえ、いつもより書く事はやや少なくなると思いますが。
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トルコのクーデターは未遂に終わったが、犠牲者が多すぎます。このご時世で安全保障をどうするかなんて世界各地で論議されているけれど、政治が「強権化」すれば安定した治安が約束されるのかと言えば、そんな事はないよね、という話だろうと思います。先日のイスタンブール・アタチュルク空港のテロと併せて考えると、TKの日本路線、今後は大丈夫なのかと大いに懸念される所です。
《今日のニュースから》
16日 ASEM終了 「国際法に基づく紛争解決」議長声明
17日 熊本地震 県内最大の仮設住宅 入居開始
18日 競走馬2頭を銃撃 牧場経営者を逮捕