№1554 思い出の海外旅行クロニクル 24.2005年ルクセンブルグ 2

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 ルクセンブルクの鉄道は、首都ルクセンブルクを中心に放射状に路線があるが、営業キロ275km(貨物専用も含む)は日本の私鉄の第三位名鉄(445.4km)よりもはるかに短く、列車本数は比較的多いので、2日もあれば十分に全線乗りつぶしが可能でしょう。この日は支線も含めて鉄道路線を乗り歩き、夕方は鉄道がない北東部のエヒテルナッハを、バスで訪ねて泊まりました。
 翌日はベルギー経由でオランダに向かいます。ルクセンブルクとは早くもお別れ。

2005年 5月27日(金)
 フランスとの国境に近い南西部の路線に乗ります。中央駅からノルツァンジュまで客車列車。前日も乗ったダブルデッカー客車。

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 乗り換えたルメランジュ行はステンレス製の旧型電車。8時少し過ぎの下りだと、乗客は私一人。

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 ルメランジュ駅は支線の終点。構内は広いが行き止まり。

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 ノルツァンジュの南で交差する、A13号線のハイウェイ。
 最初はノルツァンジュからそのままペタンジュまで行くつもりだったが、ホテルの鍵の返却を忘れていた事に気づき、一旦ルクセンブルク中央駅まで戻る羽目に。ルメランジュからの電車がそのまま中央駅まで直通。

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 改めて、ノルツァンジュ経由アチュ行に乗る。エッシュ・シュル・アルゼットは工業都市らしく、広い構内にベルギーとルクセンブルクのELが並んで止まっているのも見る。しかし、それ以外はこんな感じで田園地帯が広がる。

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 新型ダブルデッカー客車。

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 その2階の車内。欧州らしく大柄なので、屋根が高い。

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 ロダンジュから分岐して着いたアチュは、国境を越えたベルギー領。駅もベルギー国鉄(SNCB)の管理下にあります。ただし、この日見た限りでは、旅客列車はルクセンブルク中央駅行列車しかなかった。レールはアーロンの方に延びていて、貨物列車は走っているそうだ。SNCBのDL重連も見かけました。
(今はアーロンへ行く旅客列車もある。ただし平日のみ)

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 ペタンジュ駅。

 今度はフランス領のロンウィへ。最新鋭のダブルデッカー電車。2200系というのか?フランスと共通設計らしく、この5年後にフランスでも乗る事になります。

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 1等車の車内。と言っても3連の内の1両、それも1・2階部の1/3程度。2等と本質的な差は感じない。

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 2等車の2階部分。

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 1階部。近年の欧州の新型車らしく、身体障害者や自転車持ち込みなど、多目的な用途に対応したアコモデーションになっていました。インテリアは先の客車の方が温かみがあるかなと思うが、こちらの方は、2等にもテーブルが設けられています。

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 フランス領のロンウィ駅。この付近はルクセンブルク・ベルギー・フランスの3国の国境がせめぎ合っていて、この駅の駅前にはベルギーの路線バスが乗り入れたりしている。

 今度は一気に、北部のトロワヴィエルジュを目指す。ルクセンブルク中央で乗り継ぐつもりが、ロンウィからの列車がそのまま直通運用。
 この路線は9年前にも乗っています。あの時はベルギーのリェージュ直通でした。

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 いきなり、トロワヴィエルジュ駅になります。国内列車はここが終点。ガラス張りの近代的な駅舎だが、田舎町風情で、駅前に入るバスは日曜日は全面運休。この駅名はフランス語っぽい。

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 北部の農村地帯。南部と違って山がち。従ってカーブが多くなる。

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 2つの支線を訪ねます。まずウィルツへの支線が分岐する、カウテンバッハ駅。

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 森の中をウネウネ走って、途中リクエストストップの駅を2つ過ぎ、ウィルツ駅。すぐ折返し。

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 次に、エテルブリュックから分岐する支線の終点、ディエキルヒ駅。趣のある駅舎だけれど、まだ18時前なのに窓口はもう閉まっていました。

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 駅前には鉄道をモチーフにした、どこかメルヘンチックなモニュメントがありました。ここもすぐ折返し。

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 なだらかな丘陵地帯と、田舎町の集落。青い空と緑の陸地の美しいコントラスト。
 それにしても…暑いよなあ。

 狭いルクセンブルクの国土であるが、全土に鉄道路線が延びている訳ではなく、北東部の観光地、エヒテルナッハへも、残念ながら鉄道はありません。
 代わりにCFLが運行するバスがあります。これに乗って行きます。

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 狭いルクセンブルクの国土であるが、全土に鉄道路線が延びている訳ではなく、北東部の観光地、エヒテルナッハへも、残念ながら鉄道はありません。
 代わりにCFLが運行するバスがあります。これに乗って行きます。110系統は、バス停の表記に拠れば「直行」らしい。

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 バスは中央駅前から出発。
 しばらくは旧市街の一方通行区間を行く。基本的には一方通行だが、路線バスだけ逆の専用レーンを走れます。

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 後はひたすらE29号線を走ります。

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 ルクセンブルク行CFLバスと出会う。
 この国道は、基本的には3車線。中央は主に左折車両が使用、あとは地形に応じて上りか下りに使い分けられているようだった。思い出したように集落が現れるほかは、森と田園地帯が交互に現れる。

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 終点のバスターミナル。ルクセンブルク中央駅から1時間弱、だったかな?
 YH泊。明日は朝寝坊しても大丈夫だろう。

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2005年 5月 29日(土)
 この日も素晴らしい快晴。少なくとも、明日一杯までは持ってほしいなあ、とか思いつつ、朝食前の散歩(8時からとやや遅い)。

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 実は、このサウアー川の対岸はドイツ領になります。と言っても国境のパスポートコントロールも何もない、全くのフリーパス、なのであるが。ドイツ側はエヒテルナッハ・ブリュックというらしい。

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 マルシェ広場。前の晩の大賑わいがウソのような、静寂な土曜日の朝。

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 再び110系統のバスで、ルクセンブルク中央駅に戻ります。

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 前日は一番前に座ったが、今度は一番後ろに落ち着きます。2人掛けシートが並ぶのが、「国鉄バス」らしい?

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 鉄道同様、国道も森と田園地帯が交互に現れる。このバスは冷房がないが、風が入ってくれればとりあえず気持ちいい。

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 バスの撮影をしつつ、プチ観光とばかりルクセンブルク市内を歩きます。アドルフ橋。

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 ノートルダム寺院。

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 憲法広場。

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 ギョーム広場。

 残念ながら?ルクセンブルク市は近郊の地区を含めても人口が10万3600人程度、とあっては地下鉄も路面電車・LRTも、BRTさえなく、市内の公共交通はバスだけ(連接車が走っている)。ここで撮影したバスについては、この後本体で公開の予定です。

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 ルクセンブルク中央から、アムステルダム中央までの乗車券。当時のレートで約6,550円。

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 早くもルクセンブルクとはお別れになってしまいました。
 14時24分発ブリュッセル行IC2137列車で出発です。電車ではなく、客車のダブルデッカー編成。車内販売はないと聞いたので、サンドイッチとコーラを買い込んで乗り込みます。

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 2等の2階車内。

 2日前に乗って行ったクランベッタンジャンは工事のため、反対側の線路に進入して通過。線路を引っぺがしていた。とにもかくにもルクセンブルクとはお別れになります。Äddi!

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 国境を越えて、ベルギーのアーロン。工事の影響か、15分程の遅れになっていました。

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 直線が続く。いくつも駅を通過して行くが、どこも相変わらずバス停然としたホームで、ルクセンブルクより粗末に映る。

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 ベルギーの田舎。ルクセンブルクとは同じように見えるし、違うようにも映る。
 懸命に飛ばしたのだろう、シネーで定時に戻った。ブリュッセルのミディ駅も定刻到着。

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 アムステルダム中央行IC。ベルギーEL+オランダ客車のペンデルツークは変わっていない。

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 車内も変わっていない。さすがに古いかなあ。

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 アントワープ中央で進行方向が変わり、ELが最後部になります。6年前より進んではいるが、まだ工事は進行中でした。

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 オランダの田舎。本当に真っ平…。ルクセンブルクとも、ベルギーとも違う。

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 やがてアムステルダム市内を走る軽鉄道の車庫を見て、アムステルダム中央駅に到着しました。

 最初は市中のYHへの宿泊を考えていたのだが、電話で問い合わせたら満室、だって。翌晩、最初から宿泊の予定で日本から予約を入れていた、スキポール空港に近いホテルまで行って聞いてみたら、空室はあった。ただ、翌朝は部屋が変わるのでチェックインをし直す必要がある、との事だった。
 5月の欧州は20時を過ぎてもまだまだ存分に明るいが、結構寒くなってきた。

 明日はスキポール空港で撮影の予定。晴れて欲しい。

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《今日のニュースから》
13日 日本人の人口1億2589万人 減少幅過去最大
14日 タイ国鉄 中国から車両115輌購入 記念式典開催
15日 日産自動車 自動運転技術搭載新型車公開

 イタリアの列車衝突事故は、前回更新の直後に一報が入りました。映像を見る限り、恐らくは双方とも相当なスピードを出していたに違いありません。閉塞システムはどうなっていたのか?未だに電話による通信に頼っていたとの報道も聞いたが、ともかく今後の調査を待つ他はないと思います。
 ニースの一件は…。今は何も言いたくないです。
 VHS家庭用ビデオデッキの生産終了が発表になりました。最後の機種は、実は今私も使用している所です。DVDへのダビングを進めている最中だが、まだ結構残っているのでね…。あとは、アナログカメラがどうなってしまうのか、が心配のタネ、でしょうか。カメラが先か、フィルムが先か…。