№1553 思い出の海外旅行クロニクル 24.2005年ルクセンブルグ 1
今回の「思い出の海外旅行クロニクル」は、2005(H17)年5月のルクセンブルクです。
オランダ・ベルギーと共にベネルクス三国を構成する王国のルクセンブルクは、佐賀県や神奈川県より少しばかし広いだけの小国、欧州ユーレイルパス通用17ヶ国、そして欧州で自前の基幹鉄道事業者がある国では最小です。普通は単独で訪れる事などないでしょう。私の旅も、ルクセンブルク滞在は4日に留まり、鉄道だけでなくバスの旅も加えました。これにベルギー経由オランダ行も加えて7日間の旅となり、これを今回から4回に分けて書きたいと思います。
2005年 5月25日(水)
今回は往復ともオーストリア航空(OS)のウィーン経由です。
成田空港へは、日暮里経由京成線スカイライナー。車両も駅ももう見られない光景なので、ここに掲げておきます。
成田のチェックインはANAが代行。当時はまだ第2ターミナル発着。
搭乗はバス利用。OS52便はANAのコードシェア便(NH285便・今回はANAの便名で搭乗)でもあります。
OSのA340-300。新CIのカラー(現在のカラー)になっていました。
タラップを上がって搭乗。成田空港で搭乗にバスを利用したのは初めて、国際線では今の所唯一です。
非常デモビデオ。音声は英語と独語で、日本語は字幕。CGだけれど、登場人物の顔はちょっとヘン?
バスだったからか搭乗がやや手間取って、10分程遅れての出発。
R/W34Lより離陸。延々と突っ走って、花時計まで過ぎて、どこまで走るのよ?と思った頃、ようやく上昇開始。重そう。
日本海まで一直線。奥日光。
ベルトサインが消えたのは、離陸から30分以上も経ってからだった。確かに日本海上空に抜けるあたりでやや揺れが大きかったが、CAは早々とドリンクサービスの準備に取り掛かっていました。
離陸から2時間程でシベリア上空。雪はもうない。
キャビン。新カラー化に合わせたのか、座席も明るい緑色に変わっていました。
離陸後のドリンクサービスで提供されたオツマミ。
離陸後、最初の食事。
パーソナルモニターのゲーム。
映画。「レモニー・スニケット 世にも不幸せな物語」。ジム・キャリー演じる悪いオジサンと闘う子供たち、という話。
リフレッシュメントのカップめん。
到着前の食事。
大分端折ってしまうけれど、いきなりウィーン着陸直前になります。ドナウ川。ここはまだスロバキア、右手には首都ブラチスラバが見えていたはずです。
着陸直前、バーデタイヒの集落。
R/W34に着陸。
ウィーン・シェベヒャート空港は、定刻より早く着きました。向かい風があまり強くなかったようだ。ターミナルAの到着。
ターミナル内の免税品店エリアには、日産のSUV「PATHFINDER」(「開拓者」の意味)が展示されていました。
ルクセンブルクへ行くOS441便はターミナルBから出発。ここもバスだ。この便はルクセンブルクからさらにフランスのストラスブールまで行く。ルクスエアとのコードシェア便(LG1441)。
OS442便はチロリアン航空のCRJ200による運航。チロリアン航空はOSの新CI導入に合わせて「オーストリアン・アローズ」のブランド名で運航されるようになったが、この機体はチロリアン色のまま。CRJ200は、初めて乗ります。他にも日本人が数名乗りました。
R/W29より離陸。すぐにカラフルな農村地帯だ。
ザンクト・ポルテン。
飛行高度はそれ程高くはならず、じっくり景色を見られるが、ひたすら田舎が続く。
CRJ200のキャビンは、ひょっとしたらYS-11より狭い。A340と同じ明るい緑色のシート。
この便の機内サービスは、コーヒー・紅茶(+ウエハース1個)は無料提供だが、その他の飲食サービスは有料で、ユーロと米ドルの現金しか受け付けない。私は両替はルクセンブルグで行うつもりだったから、手元の現金は日本円しかなく、利用できませんでした。
離陸から1時間足らずで降下開始。ドイツのコンツ。
R/W24に着陸。こんもりした丘陵地帯の中の空港。
驚いたのは、このジャンボ貨物機。9G-MKRと記されているが、明らかに元大韓航空機だ。
(この後、MKエアラインズのカラーになって就航)
ルクセンブルク空港到着。小さい空港だ。2Fから降りるともう出口。手荷物受取のターンテーブルも一つしかない。
ターミナル内部。閑散としている。
驚いた。両替が閉まっている!?平日は22時までと書いてあるのに、他の空港関連の職員に聞いても、理由は解らないらしい。いくら小さくたって仮にも首都の国際空港なのに、なぜ両替が開いていないの?このままではバスに乗れず、やむなくC/Cのキャッシュサービスを利用して、ユーロを引き出す羽目になってしまった。初っ端から少々イヤな経験になってしまった。
ともあれバスでルクセンブルク中心部に向かい、中央駅からはやや遠いがYHにたどり着いて投宿。予約はしていなかったが、この晩の空きはありました。ただ、連泊したかったのに、次の晩は満室、だって。
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2005年 5月26日(木)
特にアテはなかったのだけれど、主にルクセンブルクを中心にした、短い鉄道路線を乗り歩きます。
ルクセンブルク駅に停車する近郊電車。後方に立つのは、CFLの本社。
まず東のワッシャービリクへ行きます。この路線は9年前、1996(H8)年11月の欧州一周大旅行の中で乗った事がありました。あの時と同様、往路はドイツ鉄道DBの列車で行きます。
ワッシャービリク駅。今回はホーム側から駅舎をご覧頂きます。
駅の近くの教会。
折返しもDBの列車になりました。ルクセンブルクに戻る道すがらの沿線。
各駅からは次々に乗客が増えていくが、妊婦みたいな出っ腹の車掌(男)はほとんどの時間は乗務員室で運転士とペチャクチャオシャベリ。検札に回ったのは1回だけ。まあルクセンブルク行だと、途中の下車はあまり多くはないはずだから、これでも良いのかも。
次にルクセンブルクの西、ベルギーとの国境に近いクランベッタンジャンに行きます。流線型の新型DC2連。その車内。中央部が低床で、窓の下部がホームに近い。
クランベッタンジャン駅。路線はベルギーのアーロンの方につながる幹線で、駅は中間駅の風情。
やや遅れて着いた事もあって、慌ただしく折り返して行った。次の1時間後の列車まで待つ事になる。
駅の近くの踏切。CFLのDLの重連が駆け抜けていく。遮断時間が相当長い。
先の列車がルクセンブルクから折り返してきた。これで戻ります。
こちらの沿線も、田園地帯が続く。
さらに今度は南へ行きます。
支線の終点、ヴォルメランジュ。ここは、国境を越えたフランス領になります。比較的新しいが、駅舎がない無人駅。周辺も、DAFの工場や小さいレストランがあるだけで閑散としている。一つ手前のデュドランジュとの間、国境をまたいだ区間は、日曜日は列車が走らないようです。
ここからデュドランジュ駅まで、歩いて戻ってみます。途中に国境があり、ルクセンブルクの交通ルールが書かれた標識が立っていました。
デュドランジュ駅。
前日航空便で着いた時、ひょっとしたら空港の外に敷地から、旅客機を撮れるのではないかと感じていました。そこで夕方はバスで空港に向かい、外から旅客機を数枚撮影しました。撮影地のロケーションはどんな感じだったか、失念してしまいました。スミマセン。
ルクスエア B737-700 LX-LGR
ルクスエア B737-500 LX-LGO
ルクスエア ERJ145RJ LX-LGI
ルクスエア ERJ145EU LX-LGU
ルクスエア ERJ135 LX-LGL
カーゴルクス B747-400F LX-NCV
この空港はトラフィック自体少ないし、旅客で一番大きいのがB737。むしろ、カーゴルクスが日本にも現れるように、貨物の割合の方が大きいようです。
19時過ぎで撮影を終えて、ターミナルからまたバスで市中に戻ります。両替は、今日も休業だった。どうなっているのよ…。
この晩は、中央駅の近くのホテルに泊まりました。
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10日 サッカーEURO2016 ポルトガル初優勝
11日 文化庁京都移転 実証実験の勤務開始
12日 ミャンマーで大規模都市開発 三菱商事など正式発表
イギリスはメイ内相が首相に選出される見込みとなりました。このままなら、来年のシチリア島のG7サミットは、初めて女性の首脳が複数参加する事になりそうです。