№1556 思い出の海外旅行クロニクル 24.2005年ルクセンブルグ 4<終>

 短期決戦のルクセンブルクの旅も、つつがなく終わりました。
 最終回はいつも通り、ここまでの間で紹介しきれなかったルクセンブルクの車両、ルクセンブルク中央駅の画像をご覧頂き、合わせてルクセンブルクの鉄道の印象、そしてルクセンブルクそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。

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 ルクセンブルクの鉄道事業者、CFL(Société Nationare des Chemins de Fer Luxembourgeois ルクセンブルク国鉄)のシンボルマーク。今も変わっていないようです。

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 CFLの在来の近郊電車。9年前にも乗ったタイプです。

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 その車内。オーソドックスなクロスシート。

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 電気機関車。

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 ディーゼル機関車。

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 入換用ディーゼル機関車。

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 今回は乗る機会がなかった、旧型の近郊客車。というか、どの程度運行されていたのだろうか?

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 ルクセンブルク中央駅。国の南にあり、ここから放射状に路線が延びて、ベルギーやフランス、ドイツにつながっています。なので欧州で一般的な頭端式ターミナルではなく、中間駅然としたスタイル。

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 駅舎内のコンコース。

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 発車案内表示。その上はステンドグラスになっています。

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 切符売場。

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 軽食店もあります。両替はなかったと思う。

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 構内の案内図。

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 ホーム。3面6線。
 左はルクセンブルクを発ってブリュッセルに向かう際に乗ったIC。ベルギー行ICは1時間毎の運行だが、ドイツやフランスからは近郊列車が中心で、国際列車はそれほど多くはない。ただこの2年後、フランスの高速新線開通でパリからTGVが乗り入れているとの事です。

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 その数少ない国際列車から、フランスのゲンコツEL。

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 もう一つ、クランベッタンジャン駅を高速で通過するベルギーのIC。最後に乗った列車は客車だったけれど、本来はベルギー国内線同様の電車列車です。

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 ルクセンブルク市の旧市街は中央駅の北、崖に囲まれた低地にあり、鉄道はアーチ橋で見下す形で走ります。ドイツ・コンツ方面とベルギー・リェージュ方面への路線も、ここで分岐します。
 旧市街のアーチ橋を走るシーンをいくつかご覧頂きます。一番下の黄色の建物は、サン・ジャン教会。

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 今回ルクセンブルク国内で利用した「ルクセンブルクカード」。フレキシータイプで、3日間国内の鉄道やバスが乗り放題になります。各種施設等の割引もあります。22€(≒3,000円).


 ルクセンブルクの鉄道について気付いた事、感じた事を記してみます。

1.列車の種別は、基本的にはRE(快速格)とRB(普通)の2種類。北部方面行路線にはIRと称する列車もあるが、停車駅はREとほとんど変わらない。

2.車両はECが中心。一部にはPCも使われ、ダブルデッカー車も運行されている。また、全線電化されているにも関わらず、新型DCも投入されている。

3.地理的な関係からフランス・ドイツ・ベルギーからの乗り入れも多く、国内ローカル列車でも一部は他国の車両が使用されている。ただしECなどの長距離列車は多くはなく、3国以外で見られるのはスイス位か。

4.国土が狭いためか、ローカル列車でも隣国に乗り入れとなるケースが多い。

5.ダイヤは方面別に1時間サイクルでパターンダイヤ化されてわかりやすく、覚えやすい。ただ休日は本数が大幅に減少し、国境越え区間では運転がない所もある。

6.駅の数は意外に多い。駅舎がない停留所然とした駅が多いが、ベルギーよりは設備が整っているように見えた。

7.私鉄・地下鉄・路面電車(LRT)の類は走っていない。CFLのバスが鉄道を補完している。

8.首都ルクセンブルクから主要都市までの運賃(2等車)
 ベトンブール 1.2EUR(≒160円)
 エッシュ・シュル・アルゼット 2.4EUR(≒320円)
 ワッシャー・ビリク 3.6EUR(≒490円)
 エテルブリュック 3.6EUR(≒490円)
 ヴィルツ 4.6EUR(≒620円)
 クレルボー 4.6EUR(≒620円)

最後に、ルクセンブルクそのもののパーソナルデータを記しておきます。。
(帰国日の2005(H17)年5月31日現在)

正式国名 ルクセンブルク大公国 Grand Duchy of Luxembourg
面積 約2,586平方㎞ (佐賀県・神奈川県よりやや広い程度)
人口 約46万5千人(2005年推定)
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 アンリ大公
政治指導者 ジャン・クロード・ユンケル首相(キリスト教社会人民党)
※現在の欧州委員会委員長 現在はグザビエ・ベッテル首相(民主党)
首都 ルクセンブルク(人口約7万7千人 2001年推定)
国連 加盟(1945(S20)年) 創設メンバー
EU(EC) 加盟(1958(S33)年)
NATO 加盟(1949(S24)年)
ユーロ 導入 1€≒135円
言語 ルクセンブルク語 フランス語 ドイツ語
主な観光地 ルクセンブルク市内(世界遺産)・エヒテルナッハ・ヴィアンデンなど
日本からのアクセス 日本からの直行便は運航されていない

 今回いろいろ調べている内、ああそうだったっけ?と思ったのは、今回訪れた2005(H17)年5月、当時の小泉首相が日本の総理大臣としては初めてルクセンブルクを訪問し、首脳会談を行っていた事。
 それと前回フランスが否決して大騒ぎしたと書いたEU憲法は、ルクセンブルクにおいてはこの2か月後に国民投票で、批准が承認されていました。

 とにかく国も小さいし、鉄道も小さいので、ほんの2~3日、ひょっとしたら1日で全線完乗できてしまうのではないか?と思えるほどでした。一番最初に書いた通り、普通はこの国だけで訪れる事はあまりないと思います。他のベネルクス、オランダやベルギーと合わせて訪れる事をお勧めします。それによってこの両国にはない、ルクセンブルクならではのものが見えてくると思います。
 次回の「クロニクル」は同じく2005(H17)年10月のスイスです。ただし9月以降に書きます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


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《今日見た・聞いた・思った事》
 日米航空交渉で2月に合意した羽田空港発着枠を巡り、6月の日本側に続いて、アメリカ側も昨日(米時間)、羽田空港発着枠の配分について発表しました。これで日米とも昼5便・深夜早朝1便の枠が確定した事になり、次のウィンタースケジュールから順次運航を開始する事になります。
 米側は昼間枠でDL2便、UA・AA・HA各1便、深夜早朝枠でHA1便が配分されました。
 日米双方の羽田~米国路線を整理してみます。

昼間枠
<日本側>
 ANA ニューヨーク(JFK) B777-300ER 成田からのシフト
      シカゴ B777-300ER 成田からのシフト
      ホノルル B787-8 深夜早朝枠からの変更
 JAL サンフランシスコ B787-8 深夜早朝枠からの変更
     ホノルル B777-200ER 深夜早朝枠からの変更
<アメリカ側>
 DL ミネアポリス B777-200ER/LR 新路線
    ロサンゼルス B777-200ER/LR 深夜早朝枠からの変更
 UA サンフランシスコ B787-9 深夜早朝枠からの変更
 AA ロサンゼルス B787-8 深夜早朝枠からの変更
 HA ホノルル A330-200 深夜早朝枠からの変更

深夜早朝枠
<日本側>
 ANA ロサンゼルス B777-300ER ※羽田発は時刻繰り上げ 出発日が変更になる
<アメリカ側>
 HA ホノルル(4/W)・コナ(3/W) A330-200 新規就航

 なお、DLのアトランタ、UAのニューヨーク(ニューアーク)、AAのダラスは認められませんでした。東海岸行はANAのNY路線のみになります。
 DLのミネアポリス線は現在成田に就航があるが、これがシフトするのか、純増なのか、現時点では不明。
 米側各キャリアの公式Webサイトの発表は、今日の20時現在ではまだなので、具体的なダイヤまでは解りません。西海岸が中心なので、昼間枠は夕方の発着になるのではないかと思われます。特に冬場は、撮影はどうなるかな…? 

《今日のニュースから》
19日 マレーシア~シンガポール間高速鉄道 2026年開通めざし覚え書き
20日 独メルケル=英メイ 首脳会談 英EU離脱問題を協議
21日 ロシア五輪委員会提訴を却下 スポーツ仲裁裁判所が裁定

№1555 思い出の海外旅行クロニクル 24.2005年ルクセンブルグ 3

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 最初はブリュッセル、アムステルダムで宿泊のプランを考えていたのだが、スキポール空港での旅客機撮影を思いついて、急遽アムステルダム連泊としたのでした。ただ、これまでルクセンブルクでは基本的にずっと晴れていたのに、午後になって、こんな感じで急に雲が広がってしまったのが、何とも残念でした。
 翌日、OS便を乗り継いで帰国の途に就きます。

2005年 5月29日(日)
 
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 午前中は快晴だった。展望デッキから、手前は今は無きプルコボ航空のツポレフ機。

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 こちらも今は無きノースウエスト機。既にスカイチームはスタートしていたが、2番目の旧塗装機は、KLMとの提携マークが残っています。

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 JALのB747-400Fも見られました。遠くを走って行って、光線状態も良くなかったのが残念。
 遠くには、これも今は無きトランスアエロ機。

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 しかし午後になると南の方から雲海が押し寄せ、あっという間に空一面を覆い尽くしてしまった。何て事…。これが欧州の初夏の空、なのかも知れないが。

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 それでも夕方までは飛行機を見ていました。
 KLMは新デザインへの移行の途中で、旧デザインもまだ数多く見られました。JALはB747-400に変わっていたが、90’s鶴丸カラー。それにしてもまさか、この5年後に撤退する事になるとは、思いもしなかった。

 そんなに数は多くないが、KLMを中心に、午前中撮ったフリートの画像をご覧頂きましょうか。

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KLMオランダ航空 B737-800 PH-BXE

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KLMオランダ航空 B737-900 PH-BXR
 旧デザイン。

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KLMオランダ航空 B747-400 PH-BFL
 日本でもお馴染みではありますが。

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KLMオランダ航空 B767-300ER PH-BZK

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KLMオランダ航空 MD-11 PH-KCA
 旅客機としては全て退役してしまったMD-11、新デザインを撮れて良かった。

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KLMオランダ航空 B747-400M PH-BFE
 台湾路線専門のKLMアジア。王冠のマークがなくて、小さく中国語の社名が書かれています。

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ノースウエスト航空 DC-10-30 N226NW

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コンチネンタル航空 B767-200ER
 こちらも今はユナイテッドに合併したコンチネンタル機。

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エバー航空 B747-400M B-16407
 以前LAでは全旅客型を撮影したが、ここでは貨客混載コンビ型をご覧頂きます。後に全貨物型に改造されたそうです。

 曇ると寒い。おまけにホテルへの帰り道、雨まで降りだした…。本当、欧州の空は、変わる時はあっという間だ。そういえばホテルを出る前のTV、予報は「晴れ後曇り」と言っていたっけ…。これ程ピッタリ当てはまるとはねぇ…。

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2005年 5月30日(月)

 曇り空は変わらず。出発は午後なので、朝っぱら晴れなら撮影も期待できたのに。

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 改めて、スキポール空港のターミナルビル。

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 チェックインカウンターは、ルフトハンザと共用。

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 OS372便。A319。新色。

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 搭乗口のB19番ゲート。他に日本人はいなかったみたい。

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 搭乗中の機内。この機体にはモニターがあり、また座席にはオーディオのコントロールパネルもある。ただしヘッドホンの類は入っていない。

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 非常デモビデオ。これは当然音声がキャビンに流れる。英語(男)→独語(女)の流れは変わらない。日本語を含め、他言語の字幕はなし。

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 定刻を10分過ぎて出発。左はアリタリアの、同じくA319。

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 R/W24より離陸。左手にウエストエインデル湖。

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 残念ながらオランダ上空の曇り空は変わらずにすぐ雲海に突っ込む。抜けると青空。遠くに、反対方向に向かう機影が見えます。

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 キャビン。やはり緑色の座席の色が印象的。
 ヘッドホンが配られ、オーディオを聞く事が出来た。欧州域内短距離路線としては、非常に珍しいと言えます。

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 機内サービス。この便も飲食は基本的には有料。この頃から、欧州域内路線はLCCでなくてもサービスの有料化が進んでいる印象があります。

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 昼過ぎの便だったし、せっかくなので利用してみました(行きに利用していなかった事もあるし)。チーズサンドイッチ3€+コーラ2.5€。

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 比較的大きな街が見えたが、どこかは解りません。ゴメンナサイ。

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 シェベヒャート空港に向けて降下。肥沃そうな農村地帯が広がる。

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 ドナウ川を横切る。R/Wは成田からの時と同じ34。

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 ウィーン到着はほぼ定時でした。AF機の隣のMD機は、これまた今は無きスパンエア。
 2時間近く待ち合わせの時間があったが、ウィーンの空港の敷地内は屋外で撮影できる場所がなさそうなのは成田から着いた時に感じていた。だから快晴というのはかえって恨めしい、アムステルダムと逆だったらなあ、というのが、本当に正直な印象でした。

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 ターミナルA。成田行の他上海行OS57便の出発もあって、日本人だけでなく中国人の姿も数多くありました。
 成田行OS51便はA340だが、いつもの300型ではなく、短尺の200型だ。ANAのコードシェアで、NH286便名で乗ります。

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 ところが、目の前のはずなのに階段を降ろされ、目の前のバスに乗る事になる。しかし30秒足らずで、機体に据え付けられたタラップの横に着いた。どうやらボーディングブリッジが故障していたようだ。
 それにしても外に出たら、かなり暑かった。

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 このOE-LAGは、パーソナルテレビが付いていなかった。天井のモニターで非常デモビデオを見る事になります。日本語字幕の、本来は「避難用出口」の「避」の字が、「非」になっていました。

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 搭乗でややドタバタした感があった割には、定刻に出発できました。

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 R/W16から離陸、左旋回。エンツァードルフ・アンデア・フィーシャーの街。

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 ザラスドルフの集落。

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 キャビン。前述の通り、パーソナルテレビがありませんでした。TVモニターではNHKニュースが放映されていた(日本時間の昼12時)が、EU憲法採択をフランスが否決したというニュースがありました。そういえば朝のホテルで見た地元のニュースがどこもずいぶん騒いでいたが、この事だったか(今にして思えば、この頃からEUの雲行きは怪しかったのか)。また、1ヶ月前に発生した福知山線事故の復旧作業が中断したとかとも伝えていた(なぜかは忘れた)。

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 機内サービス。

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 オツマミ。成田発便と同じクラッカー。

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 離陸後、最初の食事。

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2005年 5月31日(火)

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 夜明け…と言っても真夏の極東の事、太陽は沈む事はなかった。
 シベリアは天気が悪く、下界はひたすら雲がべったり張り付いて、どこを飛んでいるかは解らない。

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 到着前の食事。

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 日本の上空も悪天候。不気味な雲行き。

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 B滑走路・R/W34Rに着陸するのは4年前と同じ。第2ターミナルを見下ろす感じ。

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 定刻より10分早い到着。天候の影響はなかったようだ。多少揺れたけれど。
 左にはJALのDC-10。この年の10月に全面退役する事になります。

 OS便はこの後旧ラウダのB777に機材を変更しつつ、さらに再度カラーリングも変更して運航されていたが、今年の9月に日本路線の運航が終了する事になっています。OS日本路線は往復計4回あったが(全部A340だった)、結果的にこれが最後という事になりました。

 最終回はいつも通り、ルクセンブルクの鉄道の印象や、ルクセンブルクそのもののパーソナルデータを記して完結です。といっても小国ゆえ、いつもより書く事はやや少なくなると思いますが。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 トルコのクーデターは未遂に終わったが、犠牲者が多すぎます。このご時世で安全保障をどうするかなんて世界各地で論議されているけれど、政治が「強権化」すれば安定した治安が約束されるのかと言えば、そんな事はないよね、という話だろうと思います。先日のイスタンブール・アタチュルク空港のテロと併せて考えると、TKの日本路線、今後は大丈夫なのかと大いに懸念される所です。

《今日のニュースから》
16日 ASEM終了 「国際法に基づく紛争解決」議長声明
17日 熊本地震 県内最大の仮設住宅 入居開始
18日 競走馬2頭を銃撃 牧場経営者を逮捕

№1554 思い出の海外旅行クロニクル 24.2005年ルクセンブルグ 2

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 ルクセンブルクの鉄道は、首都ルクセンブルクを中心に放射状に路線があるが、営業キロ275km(貨物専用も含む)は日本の私鉄の第三位名鉄(445.4km)よりもはるかに短く、列車本数は比較的多いので、2日もあれば十分に全線乗りつぶしが可能でしょう。この日は支線も含めて鉄道路線を乗り歩き、夕方は鉄道がない北東部のエヒテルナッハを、バスで訪ねて泊まりました。
 翌日はベルギー経由でオランダに向かいます。ルクセンブルクとは早くもお別れ。

2005年 5月27日(金)
 フランスとの国境に近い南西部の路線に乗ります。中央駅からノルツァンジュまで客車列車。前日も乗ったダブルデッカー客車。

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 乗り換えたルメランジュ行はステンレス製の旧型電車。8時少し過ぎの下りだと、乗客は私一人。

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 ルメランジュ駅は支線の終点。構内は広いが行き止まり。

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 ノルツァンジュの南で交差する、A13号線のハイウェイ。
 最初はノルツァンジュからそのままペタンジュまで行くつもりだったが、ホテルの鍵の返却を忘れていた事に気づき、一旦ルクセンブルク中央駅まで戻る羽目に。ルメランジュからの電車がそのまま中央駅まで直通。

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 改めて、ノルツァンジュ経由アチュ行に乗る。エッシュ・シュル・アルゼットは工業都市らしく、広い構内にベルギーとルクセンブルクのELが並んで止まっているのも見る。しかし、それ以外はこんな感じで田園地帯が広がる。

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 新型ダブルデッカー客車。

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 その2階の車内。欧州らしく大柄なので、屋根が高い。

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 ロダンジュから分岐して着いたアチュは、国境を越えたベルギー領。駅もベルギー国鉄(SNCB)の管理下にあります。ただし、この日見た限りでは、旅客列車はルクセンブルク中央駅行列車しかなかった。レールはアーロンの方に延びていて、貨物列車は走っているそうだ。SNCBのDL重連も見かけました。
(今はアーロンへ行く旅客列車もある。ただし平日のみ)

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 ペタンジュ駅。

 今度はフランス領のロンウィへ。最新鋭のダブルデッカー電車。2200系というのか?フランスと共通設計らしく、この5年後にフランスでも乗る事になります。

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 1等車の車内。と言っても3連の内の1両、それも1・2階部の1/3程度。2等と本質的な差は感じない。

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 2等車の2階部分。

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 1階部。近年の欧州の新型車らしく、身体障害者や自転車持ち込みなど、多目的な用途に対応したアコモデーションになっていました。インテリアは先の客車の方が温かみがあるかなと思うが、こちらの方は、2等にもテーブルが設けられています。

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 フランス領のロンウィ駅。この付近はルクセンブルク・ベルギー・フランスの3国の国境がせめぎ合っていて、この駅の駅前にはベルギーの路線バスが乗り入れたりしている。

 今度は一気に、北部のトロワヴィエルジュを目指す。ルクセンブルク中央で乗り継ぐつもりが、ロンウィからの列車がそのまま直通運用。
 この路線は9年前にも乗っています。あの時はベルギーのリェージュ直通でした。

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 いきなり、トロワヴィエルジュ駅になります。国内列車はここが終点。ガラス張りの近代的な駅舎だが、田舎町風情で、駅前に入るバスは日曜日は全面運休。この駅名はフランス語っぽい。

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 北部の農村地帯。南部と違って山がち。従ってカーブが多くなる。

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 2つの支線を訪ねます。まずウィルツへの支線が分岐する、カウテンバッハ駅。

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 森の中をウネウネ走って、途中リクエストストップの駅を2つ過ぎ、ウィルツ駅。すぐ折返し。

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 次に、エテルブリュックから分岐する支線の終点、ディエキルヒ駅。趣のある駅舎だけれど、まだ18時前なのに窓口はもう閉まっていました。

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 駅前には鉄道をモチーフにした、どこかメルヘンチックなモニュメントがありました。ここもすぐ折返し。

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 なだらかな丘陵地帯と、田舎町の集落。青い空と緑の陸地の美しいコントラスト。
 それにしても…暑いよなあ。

 狭いルクセンブルクの国土であるが、全土に鉄道路線が延びている訳ではなく、北東部の観光地、エヒテルナッハへも、残念ながら鉄道はありません。
 代わりにCFLが運行するバスがあります。これに乗って行きます。

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 狭いルクセンブルクの国土であるが、全土に鉄道路線が延びている訳ではなく、北東部の観光地、エヒテルナッハへも、残念ながら鉄道はありません。
 代わりにCFLが運行するバスがあります。これに乗って行きます。110系統は、バス停の表記に拠れば「直行」らしい。

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 バスは中央駅前から出発。
 しばらくは旧市街の一方通行区間を行く。基本的には一方通行だが、路線バスだけ逆の専用レーンを走れます。

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 後はひたすらE29号線を走ります。

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 ルクセンブルク行CFLバスと出会う。
 この国道は、基本的には3車線。中央は主に左折車両が使用、あとは地形に応じて上りか下りに使い分けられているようだった。思い出したように集落が現れるほかは、森と田園地帯が交互に現れる。

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 終点のバスターミナル。ルクセンブルク中央駅から1時間弱、だったかな?
 YH泊。明日は朝寝坊しても大丈夫だろう。

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2005年 5月 29日(土)
 この日も素晴らしい快晴。少なくとも、明日一杯までは持ってほしいなあ、とか思いつつ、朝食前の散歩(8時からとやや遅い)。

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 実は、このサウアー川の対岸はドイツ領になります。と言っても国境のパスポートコントロールも何もない、全くのフリーパス、なのであるが。ドイツ側はエヒテルナッハ・ブリュックというらしい。

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 マルシェ広場。前の晩の大賑わいがウソのような、静寂な土曜日の朝。

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 再び110系統のバスで、ルクセンブルク中央駅に戻ります。

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 前日は一番前に座ったが、今度は一番後ろに落ち着きます。2人掛けシートが並ぶのが、「国鉄バス」らしい?

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 鉄道同様、国道も森と田園地帯が交互に現れる。このバスは冷房がないが、風が入ってくれればとりあえず気持ちいい。

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 バスの撮影をしつつ、プチ観光とばかりルクセンブルク市内を歩きます。アドルフ橋。

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 ノートルダム寺院。

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 憲法広場。

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 ギョーム広場。

 残念ながら?ルクセンブルク市は近郊の地区を含めても人口が10万3600人程度、とあっては地下鉄も路面電車・LRTも、BRTさえなく、市内の公共交通はバスだけ(連接車が走っている)。ここで撮影したバスについては、この後本体で公開の予定です。

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 ルクセンブルク中央から、アムステルダム中央までの乗車券。当時のレートで約6,550円。

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 早くもルクセンブルクとはお別れになってしまいました。
 14時24分発ブリュッセル行IC2137列車で出発です。電車ではなく、客車のダブルデッカー編成。車内販売はないと聞いたので、サンドイッチとコーラを買い込んで乗り込みます。

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 2等の2階車内。

 2日前に乗って行ったクランベッタンジャンは工事のため、反対側の線路に進入して通過。線路を引っぺがしていた。とにもかくにもルクセンブルクとはお別れになります。Äddi!

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 国境を越えて、ベルギーのアーロン。工事の影響か、15分程の遅れになっていました。

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 直線が続く。いくつも駅を通過して行くが、どこも相変わらずバス停然としたホームで、ルクセンブルクより粗末に映る。

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 ベルギーの田舎。ルクセンブルクとは同じように見えるし、違うようにも映る。
 懸命に飛ばしたのだろう、シネーで定時に戻った。ブリュッセルのミディ駅も定刻到着。

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 アムステルダム中央行IC。ベルギーEL+オランダ客車のペンデルツークは変わっていない。

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 車内も変わっていない。さすがに古いかなあ。

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 アントワープ中央で進行方向が変わり、ELが最後部になります。6年前より進んではいるが、まだ工事は進行中でした。

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 オランダの田舎。本当に真っ平…。ルクセンブルクとも、ベルギーとも違う。

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 やがてアムステルダム市内を走る軽鉄道の車庫を見て、アムステルダム中央駅に到着しました。

 最初は市中のYHへの宿泊を考えていたのだが、電話で問い合わせたら満室、だって。翌晩、最初から宿泊の予定で日本から予約を入れていた、スキポール空港に近いホテルまで行って聞いてみたら、空室はあった。ただ、翌朝は部屋が変わるのでチェックインをし直す必要がある、との事だった。
 5月の欧州は20時を過ぎてもまだまだ存分に明るいが、結構寒くなってきた。

 明日はスキポール空港で撮影の予定。晴れて欲しい。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
13日 日本人の人口1億2589万人 減少幅過去最大
14日 タイ国鉄 中国から車両115輌購入 記念式典開催
15日 日産自動車 自動運転技術搭載新型車公開

 イタリアの列車衝突事故は、前回更新の直後に一報が入りました。映像を見る限り、恐らくは双方とも相当なスピードを出していたに違いありません。閉塞システムはどうなっていたのか?未だに電話による通信に頼っていたとの報道も聞いたが、ともかく今後の調査を待つ他はないと思います。
 ニースの一件は…。今は何も言いたくないです。
 VHS家庭用ビデオデッキの生産終了が発表になりました。最後の機種は、実は今私も使用している所です。DVDへのダビングを進めている最中だが、まだ結構残っているのでね…。あとは、アナログカメラがどうなってしまうのか、が心配のタネ、でしょうか。カメラが先か、フィルムが先か…。