№1512 思い出の海外旅行クロニクル 22.2003年ハンガリー 5

 熊本地震で亡くなられた方々にはお悔みを、被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げます。
 益城町は去年、熊本市営バスのお別れに関連して、植木市会場行の臨時バスに乗って行った事がありました。熊本市の郊外で、のんびりしたイメージがあったのだが。
 九州新幹線は線路等の損害はなさそうだが、脱線した回送車両の復旧には相当な日数がかかるそう。高速道路の方も時間がかかりそうで、高速バスも長期の運休を余儀なくされる事になるのか。何とかGWまでには復旧出来れば良いが。

画像

 ハンガリー最終日。午前中は電車で郊外に出かけ、午後、ブダペスト発国際列車で、ハンガリーとはお別れ。
 翌日、ミュンヘンから空路乗継で日本に帰るが、最後にハプニングがありました。

2003年11月27日(木)

画像

 ブダペストの郊外にはHÉVと呼ばれる電車があります。4つの独立した路線があるが、観光客に利用されるのは、バッチャーニ広場からセンテンドレに向かう北部の路線でしょう。午前中はこの路線に乗ります。

画像

 電車の車内。オーソドックスなクロスシート。加速は良いが、結構揺れる。下から突き上げる感じがありました。

画像

 起点のバッチャーニ広場駅は地下駅。

画像

 右手にドナウ川を見て走る。

画像

 平原もあります。

画像

 終点の、センテンドレ駅。
 三日乗車券が通用するのはベーカーシュメジェールまでで、その先は210HUF(≒105円)が必要。

画像

 センテンドレの中央広場。

画像

 ブラゴヴェシュテンスカ教会。

画像

 いよいよハンガリーとはお別れ。
 ブダペスト・デリ発ウィーン経由ミュンヘン行EC62「バルトーク・ベラ」(ハンガリーの作曲家の名前)の指定券。

画像

 出発直前の、デリ駅のホーム。7年前(1996(H8)年)のオーストリア方面行はケレティ駅の発着だったのだが、暫定的なものだったのか。工事?
(現在は再びケレティ発着)

画像

 定刻に出発。しばらくはノロノロ。高層団地群を見る。

画像

 高速道路と並走。この日は朝から快晴でした。ハンガリーに来てから、ほとんど曇りとか、霧とかだったから、最終日で快晴とは少々悔しい。

画像

 高速道路と別れるとスピードが上がり始める。ハンガリーらしい平原が広がる。

画像

 食堂車で昼食。グヤーシュ風の豚肉という感じのものと、パスタの付け合せ。
 ここでちょっと失敗。この列車は座席車はÖBBだが、食堂車だけMÁVで、C/Cが一切使えない。昼食の分は手持ちのHUFと€で支払えたが、このままでは夕食は楽しめない。ウィーンの停車中に円を両替しないと。

画像

 ドナウ川。
 まだ国境の手前だが、ジェールでもうパスポートコントロールの係員が乗り込む。

画像

 ハンガリー最後の駅、ヘジェシャロム。
 ハンガリーとはお別れです。Viszontlátásra!

画像

 無論国境を示す国旗だの標識だのがある訳ではないが、オーストリアに入ると、平原は緑が多くなったように感じられた。
 どこかの小駅でローカル列車を抜くが、客車がÖBBなのに、ELがGySEVの新型だった。オーストリアとハンガリーの結びつきの強さが、鉄道の世界でも感じられます。

 ウィーン西駅到着は、10分以上の遅れになっていました。
 一目散に両替所に向かうが、前の客がやや手間取っていてヒヤヒヤ。なんとか両替して戻ると、すぐに発車。このため、ここでは新たな牽引機を確認する事はできませんでした。
 当時は1€≒140円で、かなりの円安でした。

画像

 改めて、2等車の車内。オーソドックスなオープンスタイル。

画像

 ザルツブルクでウィーンからの牽引機を確認できました。

画像

 ザルツブルクを出発した所で、夕食のため2度目の食堂車訪問。ミュンヘンまであと1時間半とあって、お客さんはもうほとんどいない状態で、ラストオーダーまで聞かれる。

画像

 メインはハンガリー風オムレツ。

画像

 スープ。

画像

 最後に、デザートとしてパンケーキとカプチーノコーヒー。
 外はひたすら真っ暗。町の明かりさえほとんど見られない。

画像

 ミュンヘン中央駅には、8分の遅れで到着しました。ブダペストとは全然違う、洗練された世界にかなり戸惑いました。

 この列車は、現在は高速列車「レール・ジェット」として運行されているようです。
 忘備録的に、当時の編成を記しておきたいと思います。座席車は全てÖBB、食堂車はMÁVです。途中駅での増結・切り離しはありませんでした。

255 Bmz 6181 21-90 003-8 2等車
256 Bmpz 738129-91 062-1 2等車
257 Bmpz 7381 29-91 065-4 2等車
258 Bmpz 7381 29-91 058-9 2等車
259 Bmz 6181 21-90 010-3 2等車
260 Bmz 6181 21-70 132-9 2等車
261 WRmz 6155 88-91 105-2 食堂車
262 Amz 6181 19-91 107-0 1等車(コンパート)
263 Amz 7381 19-91 004-5 1等車
ウィーン~ミュンヘン間は逆編成
 257号車と260号車は新色でした。新色は車内も更新され、パソコン用のコンセントも設けられていました。

<牽引機>
ブダペスト~ウィーン 1116 005-8
ウィーン~ミュンヘン 1016 030-7
 どちらもÖBB

********************

2003年11月28日(金)

 ミュンヘンからはパリ乗継での帰国を予定。出発が午後なので、少し位は朝寝坊しても大丈夫だろうと思っていたが、結局6時30分には目が覚めました。ミュンヘンは雨。

画像

 早めに空港に向かいます。空港行Sバーン。

 空港に着くと、大変な事態が判明。予定していたパリ行AF便が、ストライキのためキャンセル!
 私も内際含めて航空便を多数利用するようになったが、キャンセルになってしまったのは初の経験でした。
 代替便を探してもらった結果、LH便を利用し、フランクフルト発のJAL便への乗り継ぎが提示されました。

 フランクフルト行LH975便は、意外にもワイドボディのA300-600Rでした。距離的に羽田~山形間とほとんど変わらず、ICEが頻発している区間でもあるのだが。

画像

 機内での非常デモ。実演。
 指定された21Aは翼の付け根のやや前。ともかく窓際だし、この状況では致し方なし。

画像

 R/W26Rより離陸。雲が低く、すぐに雲の中。

画像

 高度が低いからだろう、レベルフライトになっても、上も下も雲が広がる。

画像

 キャビンの様子。短距離路線用なのだろう、そんな大それた設備はない。

画像

 短距離の国内線ながら、サンドイッチのサービスがありました。

画像

 着陸直前、ゲーシュビッツバイヤーの湖。

画像

 フランクフルト空港、R/W25Lに着陸。米軍機を見ます。
 ミュンヘン離陸から、わずか33分!よくサンドイッチのサービスなんてやれたものだ。

画像

 改めて、LH975便。JAS~JAL以外でのA300-600Rへの搭乗はこれが最初で、今の所唯一。

画像

 LHが発着するターミナル1から、JAL便が出発するターミナル2へ移動。「スカイライン」と呼ばれる新交通システムからエプロンを眺める。残念ながらフランクフルトも悪天、旅客機撮影、という状況ではない。

画像

 あと一ヶ月でクリスマス。ターミナルには、装飾を施されたクリスマスツリーもありました。

画像

 第2ターミナルはかなり斬新。

画像

 JL408便。B747-400。まだ「Arc of the Sun」になっていなかった。
 7年前に搭乗した時と同じ、D1ゲートから出発。ジャンボ機を見下ろす位だから、かなり高い位置。
 あちこちから日本語が聞こえてきて、現実に引き戻されたような感覚を覚えました。

画像

 幸い窓際を確保できました。出発直前、右手にはMA機がいた。F70。
 20時20分出発予定の所、管制塔からの指示とかで20分程の遅れで出発とアナウンス、実際には17分程過ぎての出発になりました。真っ暗な滑走路から離陸、暗黒の空間の中に、渋滞する道路の車の明かりが連なるのが見えました。半年前、ほぼ同じ時刻のANA便に乗った時はサンサンと真昼間だったのに、欧州は夏と冬で昼間の時間が極端に違う。

********************

2003年11月29日(土)

画像

 離陸後にサービスされた、オツマミ。
 機体はこれから、バルト海に抜ける所。

画像

 離陸後、最初の食事。

画像

 シベリアの夜明け。

画像

 レナ川。

画像

 到着前の、2回目の食事。定番?のオムレツ。機内が乾燥しているからだろう、リンゴジュースが恐ろしく?うまい。
 フランクフルト出発の時点で、成田到着1時間半前位から揺れが予想されると事前のアナウンスがあり、そのためだろう、ハバロフスク通過よりやや早めの提供になりました。

画像

 日本の上空は、案の定曇り空が広がる。
 成田付近はかなり雲が低く、地上が見えた、と思ったらもう滑走路!

画像

 成田は管制塔が見えない程視界が悪い。ターミナルに向かう途中右手に着陸するNW貨物機は、水しぶきが凄い。

画像

 悪天の影響もあっただろう、成田は遅れを31分にまで増幅させての到着になりました。
「どうもお疲れ様でしたー」みたいな声が、あちらこちらから聞こえてくる。

画像

 最後に、当時の成田空港第2ターミナルの到着ロビー。
 この後は、京成と京急の特急を乗り継いで、帰宅の途に就きました。

 最後の最後でハプニングはあったが、ともあれハンガリーの旅、無事に終わりました。
 最終回はいつも通り、ハンガリーの鉄道の印象や、ハンガリーそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。

  当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
14日 田母神俊雄元航空幕僚長 公職選挙法違反の疑いで逮捕
15日 「新電力」日本ロジテック 経営破綻