№1506 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 15.東急田園都市線 長津田駅<後>
東急田園都市線と相互直通する営団地下鉄(現東京メトロ)半蔵門線は、2003(H15)年3月19日に押上まで延伸、同時に曳舟から路線を新設した東武伊勢崎線との相互直通運転を開始しました。
この相直の話を最初に聞いた時、「東武の車両はどこまで入るのだろう?」とか思った。渋谷までは行くだろうが折り返しはできず、田園都市線まで行っちゃうの?とか思ったのだが、その通り東武の編成もそのまま直通、東急の編成も東武伊勢崎線まで直通、大規模な三社相互直通運転が実現する事となりました。今回はここから行きます。
2003(H15)年3月19日
前日までのほぼ全列車水天宮前行がガラリ一変、一気に埼玉県の南栗橋(栗橋町)まで100㎞近くを走り抜く列車まで設定される事となりました。ちょうど10年後の東横線でも感じる事になるが、当時は「南栗橋」「東武動物公園」の行先表示に、大いに違和感を覚えたものでした。
ただしこの時点での東武直通は、日中約20分間隔とまだ多くはありませんでした。東武は30000系だったが、自社に戻らず、半蔵門線までで折り返す運用も相当数ありました(今もある)。東武の電車が神奈川県に入るのは初、東武の路線網は田園都市線とは逆に、押上乗り入れまでの全区間が戦争前には開通しており、ニュータウンを走る東武電車は新鮮でした。
東武直通は、東武線内は全て急行運転(当時は区間準急または通勤準急)。
半蔵門線内は6→5分間隔に短縮されるが、当時は3本に1本が清澄白河折り返しでした。
田園都市線内は、日中の急行が15分間隔と、一気に倍増しました。
2004(H16)年10月19日
朝ラッシュ時に設定されていた鷺沼始発の急行3本が、長津田始発に延長になりました。7時12分~8時13分の間、急行と各停が交互に出発する事になります。7時台の上りの出発は28本になりました。1985(S61)年と比較して11本も増えています。
2005(H17)年より、5000系への6ドア車の組み込みが始まりました。
2006(H18)年3月18日
早朝と平日の夜間で増発を行い、急行は5時台から運行が始まりました。
また土休日のみ終日、急行が南町田停車になりました。ショッピングセンター「クランベリーモール」があり、これまでも多客時に臨時停車が行われていました。
東武側でダイヤ形態の変更があり、東武直通増発の上、久喜行が新たに設定されました。東武線内は急行または準急で走る事になります。
半蔵門線の清澄白河折返しは一部が押上(~東武線)まで延長。
この他土休日のみ、大井町線直通の急行3本が設定されました。ただしこの時点では8500系などの5両編成で、大井町線内は各停で運行。
こどもの国線は平日の運行時間帯が拡大され、5時台~0時台まで走る事になりました。
2007(H19)年4月5日
渋谷駅の平日朝ピーク時(8時台)に到着する急行13本を、準急に変更しました。二子玉川~渋谷間の旧新玉川線区間を各駅停車で運行するものです。
この時期、ラッシュ時は急行に利用が集中、各停との乗車率のアンバランスが生じる事で、遅延が増大する傾向がありました。このため旧新玉川線区間を並行ダイヤにして、混雑率の平均化を図る事になったものです。
旧新玉川線区間を各停にすると、1996(H8)年になった快速とほぼ同じになるので(あざみ野停車が異なる)、快速の名を復活させても良かったとも思うが、東武側で準急の名を使っているので、統一を図ったものかと思われます。
(ただしこの時点では、東急→東武の全区間を準急で走る列車はない)
朝ラッシュ時以外は、変更ありませんでした。
2008(H20)年3月28日
大井町線で6000系6連の急行運転が始まりました。
田園都市線では、平日のオフピーク時と夜間に急行の増発がありました。準急の運転時間帯も拡大になっています。
2009(H21)年6月6日
大井町線溝の口延伸に合わせ、2段階に分けて改正が行われました。
この日の改正では、平日の夜間に急行・各停の増発が行われました。
半蔵門線内は清澄白河折返しの押上延伸が進められ、清澄白河終着の列車は土休日は夜間の2本のみ、平日も朝夕ラッシュ時中心の設定となりました。
大井町線溝の口延伸は7月11日開業。延伸区間は原則大半の列車はノンストップ、日中の一部と鷺沼出入庫の各停のみ二子新地・高津に停車します。
この後、東日本大震災による節電ダイヤがあります。手元に資料がないから詳細は書けないが、急行の減便が行われる一方、大井町線急行の長津田延長運転が行われたとの事です。
大井町線は、確か平日の日中は二子玉川折返しとなり、この時間帯の溝の口駅2番線(大井町線降車)に6000系が留置されているのを見た記憶があります。
2012年3月17日
その実績を踏まえての事なのか、大井町線直通急行が正式に設定されました。
特に土休日は日中30分間隔の運転。平日も6時台に始発が1本設定されています。全て6000系で、大井町まで急行運転です。
平日7時台出発の上り急行は、全て準急となりました。7時02分~8時28分まで、準急と各停が交互に出発します。
半蔵門線の半蔵門折返しは、1本のみとなりました。
土休日は夕方に、渋谷始発中央林間行急行2本が設定されています。
こどもの国線は、土休日も始発は5時台となりました。
2014(H26)年6月21日
準急が下りも含め、日中にも設定、増発されました。
これまではラッシュ対策という意味が強かった準急だが、このあたりからある程度、ダイヤ上の戦略的な意味がこめられてきたようです。
30分間隔の運転で、平日・土休日とも全列車、南町田に停車。
平日朝ラッシュ時は、下りも急行10本が準急に変更されています(渋谷発7時34分~8時58分)。下りで1本だけ、東武→東急の全区間、準急で走る列車の設定があります。
また、日中にも渋谷折返しの各駅停車が設定されました。こちらも30分間隔の運転です。
(実際には半蔵門まで回送して折返し)
上り最終鷺沼行の前に、もう一本鷺沼行が増発されています。
2016(H28)年3月26日
先月末から使われている、新ダイヤです。
始発繰上げ・最終繰り下げが行われ、長津田発では二子玉川行最終が渋谷まで、最終一つ前の鷺沼行が二子玉川まで延長されています。
平日のみ半蔵門線内も最終の繰り下げがあり、長年見られた永田町行が押上まで、青山一丁目行が清澄白河まで延長されました(土休日は変わらず)。
平日の上りは、夜間の急行の2本に1本が準急に変更されました。
以上、本当に簡単ながら31年間の田園都市線のダイヤを振り返ってみました。まだまだ書き漏らした事は多いはずです。
多摩田園都市開発の進捗による列車の増発はめざましいものがあり、長津田発では31年でこれだけ増加しました。
(急行・準急・快速、区間運転、大井町線直通を含む)
上り 平日 1985年 176本 → 2016年 299本 休日 1985年 136本 → 2016年 244本
下り 平日 1985年 92本 → 2016年 263本 休日 1985年 75本 → 2016年 243本
上り渋谷方面行は70~80%の増加、下り中央林間行に至っては3倍に増えています。ラッシュ時を除けば、長津田での段差はほぼなくなりました。
今後の田園都市線は、5000系6ドア車の4ドア化が進む事で、ラッシュ対策はとりあえずは一段落、という所でしょうか。本当は旧新玉川線区間こそ複々線化したい所、大井町線延伸で迂回させなければならない所が、東急、ひいては首都圏の鉄道の泣き所だと思います。
特急を走らせて欲しい、という声もあるようだが、現在の急行の停車駅を減らすのは無理っぽいと思う。むしろ急行の10分間隔運転実現のほうが、渋谷までの所要時間が平均化されるので、より良くなるのではないでしょうか。
あとはやはり車両で、8500系は田園都市線への貢献大ではあるものの、沿線のブランドイメージと昨今の電力事情からしたら、いつまでもこのまま、とはいくまい。まずは在来の5000系の4ドア化が優先、となるだろうが…。昨今の他社の動向からしたらもう5000系で置き換えとはならず、この数年のうちに新系列(新8000系!?)が起こされるのではないかと、今から期待しています。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
2日 広島 黒田博樹投手 日本復帰後初の完封勝利
3日 神奈川県最古の木造校舎 火災で全焼
相模原市緑区、というのだが、ここは旧津久井町で山梨県との県境に近く、神奈中バス路線もこの数年でかなり減便しています。新入生も含めて生徒がたった4人とか。残念な話だが、ケガ人などがいなかったのは不幸中の幸いだと思います。