新年度になりました。今年度も引き続き日本の、世界の交通について、私の目線で見て、私の言葉で書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
東京急行電鉄、そして東急グループを大きく飛躍させた要因の一つに、「多摩田園都市」構想があります。東京都から神奈川県にかけた多摩丘陵で大規模なニュータウン開発を展開させるというものです。その大動脈として、大井町線を延伸する形で田園都市線が建設され、第一期として溝ノ口(現溝の口)~長津田間が1966(S41)年4月1日に開業しました。
今日、ついに開業50周年を迎えました。東急では記念のヘッドマーク付電車を今日から運行(5000系と8500系各1編成)。今後もグッズ販売や各種イベントが展開されます。
この50年の沿線の急激な変化は目を見張るものがあり、それは田園都市線のダイヤにも大いに反映されています。
今回は長津田駅の時刻表から、田園都市線のダイヤの変遷を振り返ります。
1985(S60)年4月1日現在
本当は開業時のダイヤから掲げる事ができれば良いのだが、手持ちの東急の時刻表で一番新しいのがこれです。それでも、31年も前の話になりました。
前の年、1984(S59)年4月につきみ野~中央林間間が開業し、田園都市線が全通しました。当時は、渋谷~二子玉川園間は新玉川線と称していて、「田玉線」と称する事もありました。
営団(現東京メトロ)半蔵門線と相互直通運転を行っているが、当時はまだ半蔵門まででした。
この当時は、土曜日は平日と同じ時刻表でした。それにしても、今の目で見てしまうと、本数がとても少なく見えてしまいます。新玉川線区間も急行運転を行う急行は、平日の朝夕ラッシュ時に数本走るのみで、急行系の主役は快速、それも日中はまだ30分間隔に留まっています。急行も快速も、長津田~中央林間間は設定されていません。
平日渋谷朝ラッシュ時のピーク(8:00~9:00)の上り到着は、急行3本・快速3本・各停12本で合計18本とまだ余力はあり、日中は毎時快速2本・各停6本とささやかなものでした。急行・快速は、平日朝ラッシュ時江田と梶ヶ谷で各停を追い抜き、、他の時間帯は鷺沼で各停と相互に接続します(急行は他に桜新町で追い抜き)。この追い抜きのパターンは基本的に、現在と変わりません。
下り中央林間行は、日中は各停が15分おき。
こどもの国線は、当時はこどもの国協会が施設を保有して東急に運行を委託、7200系アルミ試作車2連(7500+7200)で運行される、ささやかなものでした。休園日は1時間に1本程度。
このあと1986(S61)年10月及び1987(S62)年9月にダイヤ改正が行われているが、手元に時刻表がないので割愛させていただきます。申し訳ありません。東急8500系・営団8000系とも8・10連が混在していたが、1986年改正で、東急については全編成10連化されたという事です。
1989(H元)年8月20日現在
1月26日に改正されたダイヤです。半蔵門線が三越前まで延伸しました。
この改正から土曜専用ダイヤが設定されているが、スペースの都合で省略させていただきます。
平日ラッシュ時の急行系は全て急行に統一されました。渋谷ピーク時の到着は急行8本・各停15本(うち半蔵門折り返しし6本)、合計23本にまで増加しています。日中も、各停は毎時8本にまで増えました。
急行系は、運転時間帯も拡大しています。
下り中央林間行きは、日中は各停が毎時6本に増えました。最終電車の繰り下げも行われています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は9~10分サイクルで急行1:各停2本、日中以降は休日とほぼ同じ)
こどもの国線は7000系2連(7057+7052)に置き換えられ、同時に東急初のワンマン運転が始まっています。
この年の11月28日、半蔵門線が水天宮前まで延伸しました。しばらくはここが終点となります。
1991(H3)年3月16日
田園都市線・こどもの国線にCS-ATCが導入され、朝ラッシュ時の間隔がさらに短縮されました。渋谷ピーク時の到着は急行8本・各停16本、合計24本。夕ラッシュ時も、急行の本数が増加しています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は10~11分サイクルで急行1:各停2本)
翌1992(H4)年は2回に分けて改正が行われました。4月改正では夕刻以降の急行の増発と、最終電車の繰り下げが行われたという事です。当時はバブル景気末期、東急に限らず、関東各鉄道は最終電車の繰り下げが強く求められた頃でした。
1992(H4)年9月11日
溝の口駅上りの副本線が完成、交互発着とする事で朝ラッシュ時の運転間隔の短縮が図られました。
(溝の口での追い抜き、というのはない)
鷺沼始発の急行2本を設定、この時間帯は急行:各停が1:1となりました。渋谷ピーク時の到着は急行10本・各停16本、合計26本です。
夕ラッシュ時も、急行の運転間隔が短縮されています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は10~11分サイクルで急行1本:各停2本)
2000系は、この朝の増発を見据えて導入された新系列でした。この改正ダイヤを掲載した時刻表の表紙を飾っています。
1995(H7)年2月17日現在
改正は1994(H6)年10月28日です。オフピーク時の急行が増発されました。
その直前には、営団8000系も全編成10連化されています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は12分サイクルで急行1本:各停2本)
こどもの国線は、不定期列車の設定が、時刻表上からは消えました。
この年の11月には、鷺沼始発の急行を1本増発し、ラッシュ時の増発が行われているとの事です。
渋谷ピーク時の到着は急行11本・各停16本の合計27本となっていて、ほぼ限界に達していました。混雑緩和対策として大井町線の改良により旅客の分散を図る事になり、この年、東横線対策の目蒲線(現目黒線)と合わせ、改良事業の認可を受けています。
この当時、田園都市線各駅のホームに掲げられていた、停車駅案内板(これは藤が丘)。
いつ撮ったかは記録がないが、急行・快速両方があり、半蔵門線が水天宮前まで延伸されているので、1989(H元)年11月28日~1996(H8)年4月25日の間になります。
1996(H8)年4月26日
ついに快速がなくなり、急行系は急行に一本化されました。
急行は日中のみ、中央林間まで運行されるようになりました。
(土曜日は、朝ラッシュ時は13分サイクルで急行1本・各停2本を運転、日中以降は休日とほぼ同じ)
1999(H11)年12月3日
中央林間発着の急行の運転時間帯が、夜間まで拡大しました。
(土曜日は、朝ラッシュ時は14分サイクルで急行1本・各停2本を運転)
2000(H12)年3月29日、こどもの国線は通勤線化し、ラッシュ時10~12分間隔、その他20分間隔を大幅に増発され、運転時間帯も拡大されました。中間の長津田工場付近に恩田駅が開業しています。
先駆けてこどもの国線の保有がこどもの国協会→横浜高速鉄道になっていて、前年1999(H11)年よりY000系が就役しています。こどもの国線史上初の新車です。
2000(H12)年8月6日、目蒲線が運転系統を変更、多摩川で系統を分割して目黒側は地下鉄南北線・三田線と相互直通運転を開始し、目黒~武蔵小杉間で目黒線と呼称、蒲田側は多摩川園→多摩川~蒲田間で折り返し運転として東急多摩川線と改称しました。
これに合わせて新玉川線も線名を改称、渋谷~中央林間間を田園都市線で統一しました。
また、二子玉川園駅は二子玉川と改称。昔は遊園地の町だったが(1985(S61)年3月一杯で閉園)、この後は東急が推進する「4大拠点プロジェクト」の一翼を担う開発が始まる事になります(2005(H17)年~)。
2002(H14)年3月28日
藤が丘の上り通過線を使用開始、平日朝ラッシュ時で12回、急行の各停追い抜きが設定されました。この時間帯の急行は長津田→渋谷間で1分程度短縮になっています。
急行はあざみ野に新規停車。あざみ野には、1993(H5)年3月18日に横浜市営地下鉄が延伸していました。あざみ野停車は、藤が丘通過線新設が条件になっていたと思われます。
また平日では初めて、8時台以前に中央林間を発着する急行が設定されました。もっとも上りは、渋谷のピーク時の到着をはずした設定なのだが。
土曜ダイヤは休日と統合、平日と土休日の2本立てとなりました。
翌2003(H15)年3月、半蔵門線は押上まで延伸、同時に東武伊勢崎線と相互直通運転を開始します。
東武の車両も田園都市線まで直通する事になり、田園都市線自体のダイヤも目まぐるしく変わっていく事になるが、以降は次回書きます。
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今日はJALでトラブルが起きてしまいました。ウエイト&バランスのシステムの不具合だそうです。この手のトラブルはJALではあまり聞かないと書いてしまったが、2年前にも起きていました。先月のANAの一件とも合わせて、国土交通省がGW前までに、航空各社にシステムの再チェックを行うよう要請を出しました。航空に限らず昨今のJR東日本あたりもそうで、どこかシステムが狂うとネットワーク全体に悪影響が出てしまうというのは、少し考えなければならない事だと思います。どう解決するのか?と問われると、オンチの私は答えに詰まってしまうが…。
《今日のニュースから》
1日 芥川賞作家目取真俊氏 米軍に拘束