№1507 バスマガジンvol.76(講談社ビーシー/講談社)

「バスマガジンvol.76」が先月末発売になりました。
 表紙ははとバスのピアニシモⅢ。
 今号は、前号の末に記されていた予告が、ほとんどありませんでした。どうして?
(函館のバス・インバウンド・公営バス)

先走りINFORMATION
 エルガミオの(予想・妄想コミコミ)先行紹介と称しているが、まず、メーカー正式発表を前に、こんな事をして大丈夫なのか?
 本日、新エルガミオ発売開始が、いすゞより正式に発表になりました。リリースの写真は正面から公式側しかないが、先行発表CGと同じになっています。
 エンジンは4HK1-TCNとされ、210馬力だそう。トランスミッションは6速AMT。全体的にはエルガの構造をそのままダウンサイジングしつつ受け継いでいると言えます。
 なお、日野のレインボーⅡ(レインボー?)に関しては、今日の時点は発表なし。

バスタ新宿誕生
 昨日オープンしたバスタ新宿は、一般のニュースでも大きく取り上げられました。外国人旅行者にもアピールするような設備も多数設けられているようです。
 在来の新宿周辺の高速バス乗場は19ヶ所とされ、現況(「バスタ」オープン前)の地図もあります。中には同じ新宿エリアの中で複数個所停車する路線もあるが(小田急シティバスの夜行など)。
 会社別ではJRバス関東・小田急箱根高速バス・ウィラー・エクスプレスも多いが、京王バスが圧倒的に多い。乗り入れ予定バス事業者を見ると、聞いた事がない事業者(旧ツアーバス)もかなりあります。高速バスだけでなく、深夜急行バスもここからの出発になり、神奈中・横浜神奈交バスの名もあります(在来のハルク前も停車)。
 なお、今回開業の時点では完全には統一しきれず、京王バス系の到着はGW過ぎまでは在来の場所になり、臨時便の出発も変わらないそう。小田急シティバスのプレミアム・アウトレット線はハルク前発着で変わらず、木更津線も夜間はバスタを発着しない便あり。今回は開業前の速報なので、次号の詳報を期待。

日野ブルーリボン ハイブリッド事業者別仕様

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 と言っても今号では2社だけだが。
 南海バス「堺シャトル」の新ブルーリボン・ハイブリッドに乗ってきた事は先日書いたが、バス趣味誌への掲載は、「バスマガジン」誌が初になりました。
 運転の実際については記されず、車内の仕様をメインにしています。神姫バスにも導入されてこちらも車内の写真があるが、比較すると「堺シャトル」は、ずいぶんとおごった仕様になっているなと感じます。たかだか10分程度の路線なのに。ただ、座席の定員は神姫バスと比較して3人増だが、全体の定員は逆に6人減になっているのが興味深い。
(なお、神奈中バス・東急バスにも導入されているらしい)

帰ってきた 路線バス全方位レポート
 Vol.8は沖縄本島。
 沖縄のバスはこれまでにも硬軟さまざまに取り上げられているので、特に新しい事は書かれていないと思います。新規参入は沖縄中央観光。東陽バスの新色・新車両については記されていません。
 一般の長距離路線が残っている背景が興味深い。那覇~名護線など、昨今の本土の思考だったら読谷あたりで分割されてもおかしくはなさそうで、この辺りを見ても、沖縄のバスはほんの少しのきっかけで、とても良くなりそうに思うのだが。
 後はモノレールとの関係が課題で、先月には那覇バスの首里駅琉大快速線が本格運行に移行し、モノレールとの乗継割引が行われているそうです。数年後の浦添市延伸で再編成はあるか、またICカードの導入はあるか、この辺りが今後の注目点でしょうか。

おじゃまします バス会社潜入レポート vol.76 はとバス
 まず、はとバス向けアストロメガの写真が、初めて出ました。
(今日の時点では、まだ具体的なデザインは発表されていない。4月25日の「東京タワーと国会議事堂(ロイヤルパークホテル ザ 汐留の絶景レストランブッフェ) 」でデビュー)
 注目されるのはやはり車両面となろうが、現在は外国産の車両がないという状況。アストロメガデビューまでの、ちょうど谷間という状況。また「フォルテシモ」はなくなって、後継車両も出ていないようです。新ガーラの初期規制車両が先代ガーラGHDより先にリタイアしたのはちょっと驚き。
 沿革には記されているものの、「横浜営業所」の詳細(所在地や経緯)については記されていませんでした(横浜市営バス旧野庭営業所の跡地を利用)。
 その横浜市営バスは、定期観光バス事業を9月一杯で終了すると発表しています。他地域でも、定期観光バスは縮小傾向です。東京は安泰だろうが、思うに、従来の定期観光バスのスタイルは転機に来ているような気がします。去年アメリカに行って、ニューヨークやワシントン、ボストンの「定期観光バス」を見かけたが、もっと短いルートで、かなりの頻度で運行されているようでした。日本で昨今一般路線バスの改造・改装車で運行されている路線のスタイルと見えます。はとバスも、今後はそういう方向性も検討される事になるのでしょうか。

バスのある博物館 第三回 トヨタ博物館
 昔はトヨタも大型バスを使っていて、昭和の終わりまでは見られたけれど、今のバスはマイクロバスのコースターだけで、あまりバスメーカーというイメージがしません。
 なのでバスの展示はボンネットバスと、「愛・地球博」のIMTSバスのみ。世界有数の自動車メーカーなので、車が好きな人は十分楽しめるだろうが。トヨタと言えば「カローラ」だろ?と思うが、ここでは出てきませんでした。
(あるとは思うが、公式Webサイトには記されていなかった)

 鈴木文彦氏の系統番号への提言は、既に5年前に発売されている「バスマップの底力」でも記されている事で、オリンピックを控えて外国人旅行者が急増している事で、再度の提言になったと思われます。
 ここでは番号そのもの(特に関東で主流の漢字併用)を問題視しているが、それは解るとして、それ以前に、付与に至るアプローチに問題があろうかと思います。神奈川県、特に横浜市で顕著だが、事業者によって付与方法がてんでバラバラで、主要事業者だけでも、

横浜市 … 数字のみ1~3ケタ
神奈中・東急 … 漢字1文字(発着地地名から)+数字2ケタ
京急 … 漢字1文字(発着地地名から)+数字1~2ケタ
相鉄 … 漢字1文字(担当営業所)+数字1~2ケタ
江ノ電 … 系統番号なし
(どの事業者でも、路線によって多少例外あり 特に市営→民営への転換路線)

となってしまっています。
 鉄道の種別名(特急・急行・快速など)のように、バスの系統番号の付与も各事業者それぞれの歴史的な経緯があるので、それぞれ発展してエリアが重複するようになると、不具合も生じるのだと思います。
 また、路線・系統そのものの性格や形態、、一部の便だけ若干の寄り道がある系統はどうするか、通勤・通学オンリーの特殊な系統は?とかも考慮する必要があります。
 まず乗客の利便性や採算性に多大な犠牲を強いない程度に、ある程度系統・ダイヤの整理・再編成を行っておく必要がある、それを踏まえて、どこかが音頭を取って、各事業者を説き伏せて統一に動く、という方向性もあるべきでしょう。

 軽井沢のバス事故は、成定竜一氏のコラムのみ、報道の在り方の方が中心に読めました。さくら観光バスはNHKの調査報道にも現れていて、今回の事故に関しては積極的にコミットメントしているようです。

 次号は新エルガミオにはとバスのアストロメガ、連接バス、痛バス(って?)と予告がラインナップされているが、色々事情もあろうが、まずは予告した内容をきちんと掲載して欲しいと思います。新エルガミオ、市販第1号は姿を見せるでしょうか。

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 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 半蔵門線の九段下の一件は、車掌経験者としてはちょっと考えさせられてしまいました。アクシデント発生後に非常ボタンが列車の内外で操作された上に、ベビーカーの乗客とやり取りまであったのに、交代した後上司から言われるまで気づかなかったのは、ややヘンな気がします。そもそも、九段下は確か直線ホームで、時間からしても監視を普通に行っていれば、気づかないはずはない、と思うのだが…。

《今日のニュースから》
 4日 イスラエル 初の津波避難訓練
 5日 ウクライナ・ポロシェンコ大統領来日 二条城など見学

№1506 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 15.東急田園都市線 長津田駅<後>

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 東急田園都市線と相互直通する営団地下鉄(現東京メトロ)半蔵門線は、2003(H15)年3月19日に押上まで延伸、同時に曳舟から路線を新設した東武伊勢崎線との相互直通運転を開始しました。
 この相直の話を最初に聞いた時、「東武の車両はどこまで入るのだろう?」とか思った。渋谷までは行くだろうが折り返しはできず、田園都市線まで行っちゃうの?とか思ったのだが、その通り東武の編成もそのまま直通、東急の編成も東武伊勢崎線まで直通、大規模な三社相互直通運転が実現する事となりました。今回はここから行きます。

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2003(H15)年3月19日
 前日までのほぼ全列車水天宮前行がガラリ一変、一気に埼玉県の南栗橋(栗橋町)まで100㎞近くを走り抜く列車まで設定される事となりました。ちょうど10年後の東横線でも感じる事になるが、当時は「南栗橋」「東武動物公園」の行先表示に、大いに違和感を覚えたものでした。
 ただしこの時点での東武直通は、日中約20分間隔とまだ多くはありませんでした。東武は30000系だったが、自社に戻らず、半蔵門線までで折り返す運用も相当数ありました(今もある)。東武の電車が神奈川県に入るのは初、東武の路線網は田園都市線とは逆に、押上乗り入れまでの全区間が戦争前には開通しており、ニュータウンを走る東武電車は新鮮でした。
 東武直通は、東武線内は全て急行運転(当時は区間準急または通勤準急)。
 半蔵門線内は6→5分間隔に短縮されるが、当時は3本に1本が清澄白河折り返しでした。
 田園都市線内は、日中の急行が15分間隔と、一気に倍増しました。

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2004(H16)年10月19日
 朝ラッシュ時に設定されていた鷺沼始発の急行3本が、長津田始発に延長になりました。7時12分~8時13分の間、急行各停が交互に出発する事になります。7時台の上りの出発は28本になりました。1985(S61)年と比較して11本も増えています。

 2005(H17)年より、5000系への6ドア車の組み込みが始まりました。

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2006(H18)年3月18日
 早朝と平日の夜間で増発を行い、急行は5時台から運行が始まりました。
 また土休日のみ終日、急行が南町田停車になりました。ショッピングセンター「クランベリーモール」があり、これまでも多客時に臨時停車が行われていました。
 東武側でダイヤ形態の変更があり、東武直通増発の上、久喜行が新たに設定されました。東武線内は急行または準急で走る事になります。
 半蔵門線の清澄白河折返しは一部が押上(~東武線)まで延長。
 この他土休日のみ、大井町線直通の急行3本が設定されました。ただしこの時点では8500系などの5両編成で、大井町線内は各停で運行。
 こどもの国線は平日の運行時間帯が拡大され、5時台~0時台まで走る事になりました。

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2007(H19)年4月5日
 渋谷駅の平日朝ピーク時(8時台)に到着する急行13本を、準急に変更しました。二子玉川~渋谷間の旧新玉川線区間を各駅停車で運行するものです。
 この時期、ラッシュ時は急行に利用が集中、各停との乗車率のアンバランスが生じる事で、遅延が増大する傾向がありました。このため旧新玉川線区間を並行ダイヤにして、混雑率の平均化を図る事になったものです。
 旧新玉川線区間を各停にすると、1996(H8)年になった快速とほぼ同じになるので(あざみ野停車が異なる)、快速の名を復活させても良かったとも思うが、東武側で準急の名を使っているので、統一を図ったものかと思われます。
(ただしこの時点では、東急→東武の全区間を準急で走る列車はない)
 朝ラッシュ時以外は、変更ありませんでした。

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2008(H20)年3月28日
 大井町線で6000系6連の急行運転が始まりました。
 田園都市線では、平日のオフピーク時と夜間に急行の増発がありました。準急の運転時間帯も拡大になっています。

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2009(H21)年6月6日
 大井町線溝の口延伸に合わせ、2段階に分けて改正が行われました。
 この日の改正では、平日の夜間に急行各停の増発が行われました。
 半蔵門線内は清澄白河折返しの押上延伸が進められ、清澄白河終着の列車は土休日は夜間の2本のみ、平日も朝夕ラッシュ時中心の設定となりました。
 大井町線溝の口延伸は7月11日開業。延伸区間は原則大半の列車はノンストップ、日中の一部と鷺沼出入庫の各停のみ二子新地・高津に停車します。

 この後、東日本大震災による節電ダイヤがあります。手元に資料がないから詳細は書けないが、急行の減便が行われる一方、大井町線急行の長津田延長運転が行われたとの事です。
 大井町線は、確か平日の日中は二子玉川折返しとなり、この時間帯の溝の口駅2番線(大井町線降車)に6000系が留置されているのを見た記憶があります。

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2012年3月17日
 その実績を踏まえての事なのか、大井町線直通急行が正式に設定されました。
 特に土休日は日中30分間隔の運転。平日も6時台に始発が1本設定されています。全て6000系で、大井町まで急行運転です。
 平日7時台出発の上り急行は、全て準急となりました。7時02分~8時28分まで、準急各停が交互に出発します。
 半蔵門線の半蔵門折返しは、1本のみとなりました。
 土休日は夕方に、渋谷始発中央林間行急行2本が設定されています。
 こどもの国線は、土休日も始発は5時台となりました。

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2014(H26)年6月21日
 準急が下りも含め、日中にも設定、増発されました。
 これまではラッシュ対策という意味が強かった準急だが、このあたりからある程度、ダイヤ上の戦略的な意味がこめられてきたようです。
 30分間隔の運転で、平日・土休日とも全列車、南町田に停車。
 平日朝ラッシュ時は、下りも急行10本が準急に変更されています(渋谷発7時34分~8時58分)。下りで1本だけ、東武→東急の全区間、準急で走る列車の設定があります。
 また、日中にも渋谷折返しの各駅停車が設定されました。こちらも30分間隔の運転です。
(実際には半蔵門まで回送して折返し)
 上り最終鷺沼行の前に、もう一本鷺沼行が増発されています。

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2016(H28)年3月26日
 先月末から使われている、新ダイヤです。
 始発繰上げ・最終繰り下げが行われ、長津田発では二子玉川行最終が渋谷まで、最終一つ前の鷺沼行が二子玉川まで延長されています。
 平日のみ半蔵門線内も最終の繰り下げがあり、長年見られた永田町行が押上まで、青山一丁目行が清澄白河まで延長されました(土休日は変わらず)。
 平日の上りは、夜間の急行の2本に1本が準急に変更されました。

 以上、本当に簡単ながら31年間の田園都市線のダイヤを振り返ってみました。まだまだ書き漏らした事は多いはずです。
 多摩田園都市開発の進捗による列車の増発はめざましいものがあり、長津田発では31年でこれだけ増加しました。
(急行・準急・快速、区間運転、大井町線直通を含む)

上り 平日 1985年 176本 → 2016年 299本  休日 1985年 136本 → 2016年 244本
下り 平日 1985年 92本 → 2016年 263本  休日 1985年 75本 → 2016年 243本

 上り渋谷方面行は70~80%の増加、下り中央林間行に至っては3倍に増えています。ラッシュ時を除けば、長津田での段差はほぼなくなりました。
 今後の田園都市線は、5000系6ドア車の4ドア化が進む事で、ラッシュ対策はとりあえずは一段落、という所でしょうか。本当は旧新玉川線区間こそ複々線化したい所、大井町線延伸で迂回させなければならない所が、東急、ひいては首都圏の鉄道の泣き所だと思います。
 特急を走らせて欲しい、という声もあるようだが、現在の急行の停車駅を減らすのは無理っぽいと思う。むしろ急行の10分間隔運転実現のほうが、渋谷までの所要時間が平均化されるので、より良くなるのではないでしょうか。
 あとはやはり車両で、8500系は田園都市線への貢献大ではあるものの、沿線のブランドイメージと昨今の電力事情からしたら、いつまでもこのまま、とはいくまい。まずは在来の5000系の4ドア化が優先、となるだろうが…。昨今の他社の動向からしたらもう5000系で置き換えとはならず、この数年のうちに新系列(新8000系!?)が起こされるのではないかと、今から期待しています。

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《今日のニュースから》
 2日 広島 黒田博樹投手 日本復帰後初の完封勝利
 3日 神奈川県最古の木造校舎 火災で全焼

 相模原市緑区、というのだが、ここは旧津久井町で山梨県との県境に近く、神奈中バス路線もこの数年でかなり減便しています。新入生も含めて生徒がたった4人とか。残念な話だが、ケガ人などがいなかったのは不幸中の幸いだと思います。

№1505 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 15.東急田園都市線 長津田駅<前>

 新年度になりました。今年度も引き続き日本の、世界の交通について、私の目線で見て、私の言葉で書いていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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 東京急行電鉄、そして東急グループを大きく飛躍させた要因の一つに、「多摩田園都市」構想があります。東京都から神奈川県にかけた多摩丘陵で大規模なニュータウン開発を展開させるというものです。その大動脈として、大井町線を延伸する形で田園都市線が建設され、第一期として溝ノ口(現溝の口)~長津田間が1966(S41)年4月1日に開業しました。
 今日、ついに開業50周年を迎えました。東急では記念のヘッドマーク付電車を今日から運行(5000系と8500系各1編成)。今後もグッズ販売や各種イベントが展開されます。
 この50年の沿線の急激な変化は目を見張るものがあり、それは田園都市線のダイヤにも大いに反映されています。
 今回は長津田駅の時刻表から、田園都市線のダイヤの変遷を振り返ります。

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1985(S60)年4月1日現在
 本当は開業時のダイヤから掲げる事ができれば良いのだが、手持ちの東急の時刻表で一番新しいのがこれです。それでも、31年も前の話になりました。
 前の年、1984(S59)年4月につきみ野~中央林間間が開業し、田園都市線が全通しました。当時は、渋谷~二子玉川園間は新玉川線と称していて、「田玉線」と称する事もありました。
 営団(現東京メトロ)半蔵門線と相互直通運転を行っているが、当時はまだ半蔵門まででした。
 この当時は、土曜日は平日と同じ時刻表でした。それにしても、今の目で見てしまうと、本数がとても少なく見えてしまいます。新玉川線区間も急行運転を行う急行は、平日の朝夕ラッシュ時に数本走るのみで、急行系の主役は快速、それも日中はまだ30分間隔に留まっています。急行快速も、長津田~中央林間間は設定されていません。
 平日渋谷朝ラッシュ時のピーク(8:00~9:00)の上り到着は、急行3本・快速3本・各停12本で合計18本とまだ余力はあり、日中は毎時快速2本・各停6本とささやかなものでした。急行快速は、平日朝ラッシュ時江田と梶ヶ谷で各停を追い抜き、、他の時間帯は鷺沼で各停と相互に接続します(急行は他に桜新町で追い抜き)。この追い抜きのパターンは基本的に、現在と変わりません。
 下り中央林間行は、日中は各停が15分おき。
 こどもの国線は、当時はこどもの国協会が施設を保有して東急に運行を委託、7200系アルミ試作車2連(7500+7200)で運行される、ささやかなものでした。休園日は1時間に1本程度。

 このあと1986(S61)年10月及び1987(S62)年9月にダイヤ改正が行われているが、手元に時刻表がないので割愛させていただきます。申し訳ありません。東急8500系・営団8000系とも8・10連が混在していたが、1986年改正で、東急については全編成10連化されたという事です。

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1989(H元)年8月20日現在
 1月26日に改正されたダイヤです。半蔵門線が三越前まで延伸しました。
 この改正から土曜専用ダイヤが設定されているが、スペースの都合で省略させていただきます。
 平日ラッシュ時の急行系は全て急行に統一されました。渋谷ピーク時の到着は急行8本・各停15本(うち半蔵門折り返しし6本)、合計23本にまで増加しています。日中も、各停は毎時8本にまで増えました。
 急行系は、運転時間帯も拡大しています。
 下り中央林間行きは、日中は各停が毎時6本に増えました。最終電車の繰り下げも行われています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は9~10分サイクルで急行1:各停2本、日中以降は休日とほぼ同じ)
 こどもの国線は7000系2連(7057+7052)に置き換えられ、同時に東急初のワンマン運転が始まっています。

 この年の11月28日、半蔵門線が水天宮前まで延伸しました。しばらくはここが終点となります。

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1991(H3)年3月16日
 田園都市線・こどもの国線にCS-ATCが導入され、朝ラッシュ時の間隔がさらに短縮されました。渋谷ピーク時の到着は急行8本・各停16本、合計24本。夕ラッシュ時も、急行の本数が増加しています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は10~11分サイクルで急行1:各停2本)

 翌1992(H4)年は2回に分けて改正が行われました。4月改正では夕刻以降の急行の増発と、最終電車の繰り下げが行われたという事です。当時はバブル景気末期、東急に限らず、関東各鉄道は最終電車の繰り下げが強く求められた頃でした。

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1992(H4)年9月11日
 溝の口駅上りの副本線が完成、交互発着とする事で朝ラッシュ時の運転間隔の短縮が図られました。
(溝の口での追い抜き、というのはない)
 鷺沼始発の急行2本を設定、この時間帯は急行各停が1:1となりました。渋谷ピーク時の到着は急行10本・各停16本、合計26本です。
 夕ラッシュ時も、急行の運転間隔が短縮されています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は10~11分サイクルで急行1本:各停2本)

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 2000系は、この朝の増発を見据えて導入された新系列でした。この改正ダイヤを掲載した時刻表の表紙を飾っています。

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1995(H7)年2月17日現在
 改正は1994(H6)年10月28日です。オフピーク時の急行が増発されました。
 その直前には、営団8000系も全編成10連化されています。
(土曜日は、朝ラッシュ時は12分サイクルで急行1本:各停2本)
 こどもの国線は、不定期列車の設定が、時刻表上からは消えました。

 この年の11月には、鷺沼始発の急行を1本増発し、ラッシュ時の増発が行われているとの事です。
 渋谷ピーク時の到着は急行11本・各停16本の合計27本となっていて、ほぼ限界に達していました。混雑緩和対策として大井町線の改良により旅客の分散を図る事になり、この年、東横線対策の目蒲線(現目黒線)と合わせ、改良事業の認可を受けています。

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 この当時、田園都市線各駅のホームに掲げられていた、停車駅案内板(これは藤が丘)。
 いつ撮ったかは記録がないが、急行快速両方があり、半蔵門線が水天宮前まで延伸されているので、1989(H元)年11月28日~1996(H8)年4月25日の間になります。

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1996(H8)年4月26日
 ついに快速がなくなり、急行系は急行に一本化されました。
 急行は日中のみ、中央林間まで運行されるようになりました。
(土曜日は、朝ラッシュ時は13分サイクルで急行1本・各停2本を運転、日中以降は休日とほぼ同じ)

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1999(H11)年12月3日
 中央林間発着の急行の運転時間帯が、夜間まで拡大しました。
(土曜日は、朝ラッシュ時は14分サイクルで急行1本・各停2本を運転)

 2000(H12)年3月29日、こどもの国線は通勤線化し、ラッシュ時10~12分間隔、その他20分間隔を大幅に増発され、運転時間帯も拡大されました。中間の長津田工場付近に恩田駅が開業しています。
 先駆けてこどもの国線の保有がこどもの国協会→横浜高速鉄道になっていて、前年1999(H11)年よりY000系が就役しています。こどもの国線史上初の新車です。

 2000(H12)年8月6日、目蒲線が運転系統を変更、多摩川で系統を分割して目黒側は地下鉄南北線・三田線と相互直通運転を開始し、目黒~武蔵小杉間で目黒線と呼称、蒲田側は多摩川園→多摩川~蒲田間で折り返し運転として東急多摩川線と改称しました。
 これに合わせて新玉川線も線名を改称、渋谷~中央林間間を田園都市線で統一しました。
 また、二子玉川園駅は二子玉川と改称。昔は遊園地の町だったが(1985(S61)年3月一杯で閉園)、この後は東急が推進する「4大拠点プロジェクト」の一翼を担う開発が始まる事になります(2005(H17)年~)。

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2002(H14)年3月28日
 藤が丘の上り通過線を使用開始、平日朝ラッシュ時で12回、急行各停追い抜きが設定されました。この時間帯の急行は長津田→渋谷間で1分程度短縮になっています。
 急行はあざみ野に新規停車。あざみ野には、1993(H5)年3月18日に横浜市営地下鉄が延伸していました。あざみ野停車は、藤が丘通過線新設が条件になっていたと思われます。
 また平日では初めて、8時台以前に中央林間を発着する急行が設定されました。もっとも上りは、渋谷のピーク時の到着をはずした設定なのだが。
 土曜ダイヤは休日と統合、平日と土休日の2本立てとなりました。

 翌2003(H15)年3月、半蔵門線は押上まで延伸、同時に東武伊勢崎線と相互直通運転を開始します。
 東武の車両も田園都市線まで直通する事になり、田園都市線自体のダイヤも目まぐるしく変わっていく事になるが、以降は次回書きます。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 今日はJALでトラブルが起きてしまいました。ウエイト&バランスのシステムの不具合だそうです。この手のトラブルはJALではあまり聞かないと書いてしまったが、2年前にも起きていました。先月のANAの一件とも合わせて、国土交通省がGW前までに、航空各社にシステムの再チェックを行うよう要請を出しました。航空に限らず昨今のJR東日本あたりもそうで、どこかシステムが狂うとネットワーク全体に悪影響が出てしまうというのは、少し考えなければならない事だと思います。どう解決するのか?と問われると、オンチの私は答えに詰まってしまうが…。

《今日のニュースから》
 1日 芥川賞作家目取真俊氏 米軍に拘束