№1510 思い出の海外旅行クロニクル 22.2003年ハンガリー 3

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 オーストリアとの国境に近いショプロンと、琵琶湖よりは一回り小さいバラトン湖、2日かけてこの2ヶ所を巡る鉄道に乗ります。

2003年11月24日(月)

 9時半前の列車で出発すればよいので7時くらいまで寝ていれば良いとは思っていたけれど、目覚ましの時計のセットを忘れて、30分は寝坊してしまいました。

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 中央広場。また例によって霧が濃い。ハンガリーに来てから、朝は必ず霧が出る。

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 これでは、火の見の塔に上っても、景色は期待できないだろう。この日は休みのようだったが。

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 ショプロン駅。

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 駅前の静態保存機。

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 駅の構内。右はMAVの新型ELが、GySEV(ジェール・ショプロン・エーベンフルト鉄道)の客車を牽引。左にはÖBBのDLが見えます。
 ゾンバトヘイ行に乗る。EL+客車2両、全てGySEV車両。

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 なんと読むのか解らないけれど、中間駅。全部が全部ではないが、ハンガリーは全体的に、小駅では重圧な駅舎をあまり見ない。こんな感じの質素なコンクリスタイルが多い。旧共産圏だからだろうか。

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 急速に霧が晴れて、ゾンバトヘイに着く頃には快晴。駅は改良工事中。駅舎内はきれいでした。

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 駅の近くの八百屋さん。

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 ヴェスプレーム行の、MÁV のローカル。

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 平原にポッカリという感じで山があり、中腹に、集落がへばりついているのを見かける。教会もいくつか見えた。

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 丘陵地帯の森の中を走る。80㎞/h位は出ていたようだ。きつくはないがカーブが多い。

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 ヘレンド駅。

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 平原は緑の木々が多い。これまでメインで乗ってきた北東部とは違う。どこか北欧のイメージが重なるのは、気のせいだろうか。

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 ヴェスプレーム駅。構内は広いが、付近は閑散としている。中心部が遠いようで、バスで連絡している。

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 スロベニアのリュブリャナから、ブダペストに向かう国際列車。スロベニア編成だが、客車たったの3両。

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 レプセニー行レールバス。今度は単行。

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 車内はクロスシート。

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 平原を行く。曇り空になってきた事もあって、少し暗くなってきたか。

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 読み方は解らないが、Csajag駅。

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 夕陽が消えていく。今回夕陽を見るのは初めてだ。畑に鹿が5~6頭いるのが見えた。

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 レプセニー駅。
 この先列車2本を乗り継いでブダペストに帰るが、もう真っ暗になってしまって、特に見どころがないまま、デリ駅に戻ってきました。
 この後、ブダペストに2泊します。

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2003年11月25日(火)

 今度は寝坊せず6時に起きて、朝食をさっさと済ませてデリ駅に向かう。

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 ケストヘイ行。
 この朝は、霧は出なかった。

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 通過駅は、ホームの真ん中に踏切がある。
 最高速度110㎞/h、欧州レベルとしては早い方ではない。直線は長いし、勾配も特にきついのはないのだが。
 レプセニーまでは、前日と同じ。

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 右手にバラトン湖が見えてきた。高台から見下ろす感じから、どんどん高度を下げてきて、湖畔と同じレベルになる。湖畔はかなりこまめに停車して行く。リゾートホテルは皆閉まっているようだが、夏のシーズン中は賑わいも凄いのだろう。

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 バラトンBoglar駅。

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 構内にはフェリー列車が停車していました。
 単線区間なので、反対方向からの列車を待ちます。

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 これがヴェネチア始発の夜行列車。20分程遅れていたようだ。イタリアとルーマニアの混成で、後部のマルーンのルーマニアの客車はブダペストから、さらにティミショアラまで行く。

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 青空の中、終点のケストヘイ駅。

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 タポルツァ駅までローカルでつなぐ。タポルツァ駅も構内は広いが閑散。やはりハンガリーのジャンクション駅は、こんな感じの駅が多い。

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 そんなタポルツァ駅で、バラトンフュレド行レールバス編成に乗り換え。

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 前日見た山?
 時速は70㎞/h程度は出ていて、レールバスとしては遅くはないかも。この列車には女性の車掌が2人が乗っているが、折り畳みBOXでおしゃべり、駅に着いてもすぐには立たない。途中の駅でお客さん1人が乗り込んできたのを、気づいただろうか?

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 途中のザンカ・コヴェスカル駅。いい雰囲気。

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 バラトンフュレド駅。田舎町なのに、駅の佇まいが場違いな気がしました。
 セーケシュフェールヴァール行に乗り換え。

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 セーケシュフェールヴァール駅。
 15時を過ぎたばかりなのに、影が長い。この時期、晩秋のハンガリーは、夕方が関東地方より1時間は早い。

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 案外レールバスに乗る機会が多くなりました。コマロム行もレールバスで、トレーラー連結の2連。後部のトレーラーに乗車。

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 夕暮れの団地。

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 モール駅。農場の納屋のような感じの駅舎。

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 バコニーサーカニー?(Bakonysárkány)駅。

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 キシュバール駅。タタバーニャとパーパを結ぶローカル線との交差地点。

 この先の30分で外は見る見るうちに暗くなる。
 キシュバールの接続列車の遅れでこちらも遅れ、コマロムでもブダペスト行の乗り継ぎ、大丈夫か?と思ったが、ホームの反対側に、ブダペスト行のプッシュプルトレインが待っていていくれました。ブダペスト行は途中2回ECを退避したが、ブダペスト・デリ駅はほぼ定刻。ダイヤはある程度余裕を持たせているようでした。

 ブダペストのホテルに2連泊。市内交通3日間乗車券を購入して、地下鉄で夕食を食べに行く。ヴァーツィ通りのレストランで食べました。やはりハンガリーはグヤーシュだよねえ。地下鉄は終電は23時30分位と、かなり早い。代わりに初電も3時台なのだが。
 これで地方の路線めぐりは終わりました。残りの2日間は、ブダペストの市内&郊外の交通乗りまくり。多彩な乗り物が楽しめます。旧共産圏ならではの鉄道もあります。

  当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
10日 福島第一原発廃炉テーマ 国際シンポジウム開催
11日 白鷗大学学生食堂再開 朝食無料サービス

№1509 思い出の海外旅行クロニクル 22.2003年ハンガリー 2

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 ハンガリーの北東部にあるミシュコルツは、7年前の1996(H8)年10月に訪れていて、駅前から出発する市電も見ています。ただ、あの時はブダペストからのとんぼ返りで終わってしまっていて、乗る機会を作れませんでした。今回は時間を作って、しっかり乗ります。それに、ハンガリー全土にある「農園鉄道」なる軽便鉄道もあるようなので、これも楽しみ。
 翌日は南部周遊の後、オーストリアとの国境の街・ショプロンへ。

2003年11月22日(土)

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 ニュイーレジハーザ駅。相当近代的。

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 ホーム。ミシュコルツへ行く列車はデブレツェンが始発で、客車切り離し作業を行っていた。残りの車両も混雑していて、最後部に立って後方を眺める事にする。

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 ニュイーレジハーザを出発してすぐ、霧が急に濃くなる。線路は単線。直線が長い。
 途中の無人駅はまさにホームだけ。駅名票さえ見当たらない。

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 ワインで有名なトカイの駅。

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 ミシュコルツ・ティシュザイ駅。7年振りです。駅前に発着する市電。

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 市電は2つ系統があって、これはディオーシュジェリに行く1系統。広告車なので派手。

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 こちらはヴァシュジェリへ行く2系統の車両。

 1系統に乗る。ティシュザイ駅前を出発すると、商店街の中のトランジットモールから、道路の真ん中の専用軌道を行く。少しづつ高度を上げているように感じられる。

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 1系統の終点、ディオーシュジェリ・ヴィル電停。ティジュザイ駅から約30分。
 現在はここから路線が延びているらしいが、詳細は不明。

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 2系統の終点、ヴァシュジェリ電停。2系統は、この付近はスプーン状の循環ルートになっている。住宅地の中にあります。

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 ミシュコルツの見どころの一つに、ディオーシュジェリ城があります。最寄りの電停から徒歩5分程度でしょうか。入場料600HUF(≒300円)。

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 その内部。元はモンゴル侵攻からの防衛のために建てられた城らしい。その後行くたびかの戦闘で4つある搭の内の1つは破壊、そのまま残されているらしい。残り3ヶ所の塔は上まで登れます。

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 ミシュコルツの郊外、ドローチャ駅から出発する、農園鉄道の時刻表。2路線あるが、途中で分岐するタクサラパへの路線は、冬季は運休らしい。ガラドナへ行く路線がメイン。

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 ドローチャ駅、と言っても簡素なホームがあるだけ。窓口はあったが閉まっていた。
 時間ぎりぎりに着いたが、列車は時刻を少し回ってからDLのエンジンがスタートする。のんびりしたもの。

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 DLに牽引される客車の車内。木製のシートが並ぶ。中央部には石油ストーブがあります。窓ガラスは、一部がひび割れたまま…。

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 とにかく線路はひなびている。まるで森の中、公園の散策路にレールをそのまんま敷いたようなイメージ。軽便鉄道らしくて宜しい。

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 パスカポロスで行き違い。車掌がポイントを転換させて対向列車を通過させる。ここも霧が出てきて、どこか幻想的でもあります。

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 時刻表にない中間駅もある。駅名票とベンチがあるだけの、単なる空地に過ぎない感じ。

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 そんな中、リリャフレドは急に付近の装いが変わる。リゾート?降りる乗客より、乗る乗客が多くなりました。

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 終点のガラドナ駅は、まさに森の中。折返しの合間にコーヒーでも、と思ったが、その手の店はどこにもありませんでした。DLが付け替えられて折返し。
 沿線は、意外にリゾートとして発展していて、車の利用は多いようだが、農園鉄道は恩恵がないかも。夏季にはSL列車も走るそうなので、この時期は賑わうのでしょう。ともかく、沿線の雰囲気はとても良いので、一度乗車を。MÁV の駅からは市電の利用でアクセスが必要なので、この点は注意。

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 改めて、ミシュコルツ・ティシュザイ駅。

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 ブダペスト・ケレティ行ICのサボ。

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 ICの2等車車内。ボックスシート。
 客車は1等車1両・2等車3両、それに食堂車が連結された5両編成。全車指定席。

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 ブダペストまで2時間かからないのに、本格的な食堂車が連結されていました。7年前と変わっていません。ミシュコルツ出発時点で、既に料理を食べている人もいました。

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 ハンガリーだったらグヤーシュだろ?と思っていたのに、メニューにはなかった。ハンガリー風ポークカツレツ。
 せっかくの食堂車なのに客はほとんどないが、所要時間に加えて、夕食直前の時間帯とあれば当然か。それに、乗車前にサンドイッチなどを買い込み、デッキでビールと共に仲間とオシャベリ、という客が多かった。

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 ブダペスト・ケレティ駅は定刻に着きました。この辺はさすがIC。

 ホテルに投宿し、ヴァーツィ通りのカフェでケーキとお茶。小さな女の子がケーキを選んでいる様は楽しい。
 ホテルに戻ってTVをつけたら、グルジア(今のジョージアで、このTVもジョージアと呼んでいた)で国会に群衆がなだれ込み、大混乱になったらしい(「バラ革命」)。

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2003年11月23日(日)
 日曜日とあって、通りの車も人も、一昨日(金曜日)に比べたら全然少ない。

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 この日は南部を目指す。ツェグレードまでは一昨日と同じルートだが、今日は近郊列車。
 ニュガティ駅からキシュクンフェーレジハーザに向かう列車は、駅舎からかなり遠い、空地のような場所のさらに端、20番線からの出発。

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 近郊タイプの客車。

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 その車内。デッキと客室の仕切りの扉は、キチンと閉じてもロックが外れ、勝手に開いてしまう…。

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 今日も、沿線は霧が濃い。

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 ツェグレードで、トレーラーを搭載したフェリー列車を見る。ここで、ミシュコルツから来た客車を連結し、単線の線路に入る。
 ケチケメートを過ぎたら、青空が広がる。霧が晴れると、快晴なのだが…。

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 キシュクンフェーレジハーザ駅。ホームに屋根がなく、開放感があります。

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 キシュクンハラシュ行に乗り換え。沿線では放牧が見られる。

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 バータセーク行DC列車。DLのプッシュプルトレイン、なのだが、運転台がある最後部車両にもエンジンがある。動力車ではないと思うが、ブルブル震えている。電源用?中間の客車は、一般と共用か。

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 ヤーノシュハルマ駅はユニークな駅舎。ここで降りるお客さんが多い。

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 バータセーク駅。

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 ドンボーヴァール行は待望?の2軸レールバス。ハンガリーに入ってからここまでの間、あちらこちらで見かけていたもので、乗ってみたいなと思っていました。この手の2軸タイプの小型DCは、旧共産圏ではよく見られるもの、なのか。ドイツでも旧東で乗った事があるし。

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 この列車の2両目は、エンジンがなくて動力車に牽引されるトレーラー。なので最後部は特等席。この席に座って、後方を眺めて行く事にします。多少上下動があるものの、線路が割と良いので、思ったほど乗り心地は悪くなかった。

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 駅はどこもホームが長くて、レールバスはアンバランス。

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 湖も見る。丘陵地帯でカーブが多い。

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 ドンボーヴァール駅。構内は広くて駅舎のなりも大きいが、集落の中心部は駅から遠いようだ。

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 駅前広場には、静態保存のSLがいました。

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 ペーチ行のローカル列車。

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 農村地帯の集落。

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 ペーチ駅。お城のようなたたずまい。

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 ブダペストに戻るICの車内。前日のミシュコルツ→ブダペストと違って、一方向主体のシートが並んでいます。

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 食堂車は前日のものより古く、割と揺れるし、時々明かりが消えて予備灯だけになったりする。

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 食堂車の食事。リゾット。量が多くて、やや塩辛い?

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 デザートに、キャラメルクリームがかかったパンケーキ、それとカフェカプチーノ。
 列車は1等車2両、2等車6両、食堂車1両、それに日曜日に限り、バヤからの2等車3両がシャールボガードで連結されます。

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 ブダペストはデリ駅に到着。この駅はターミナルなのに、ホーム上に屋根がない。ホームが狭いのに、ショプロン行を待つ乗客が加わってかなり混雑します。

 この後、このショプロン行に乗るが、疲れていたのかほとんど記憶がない。窓の外はもう真っ暗だし。
 ショプロンには22時前に到着。客車5両のうち、2両はさらにオーストリアのウィーナー・ノイシュタットまで行く。ショプロン駅構内にもÖBBのDCがいました。

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《今日のニュースから》
 8日 甘利前経済再生担当大臣現金授受問題 URなど強制捜査
 9日 「モンチッチ公園」オープン 東京都葛飾区

№1508 思い出の海外旅行クロニクル 22.2003年ハンガリー 1

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「思い出の海外旅行クロニクル」、今回は2003(H15)年11月のハンガリー旅行について、6回に分けて書きます。
 ハンガリーは、当時のユーレイルパス通用17ヶ国で唯一の、旧共産圏の国家です。ここには過去2回、1996(H18)年と翌1997(H19)年に訪れているが、どちらも他国から来て、わずかな期間過ごしたにすぎません。今回はある程度日数を取って、全てとはいかないが、あちらこちら鉄道で足を運んできました。さて、体制が違う他国とはどこか違いがあるのでしょうか。楽しみでもあり、ほんのわずかだが、正直緊張感もありました。

2003年11月20日(木)
 今回は往復ともJAL利用、パリ経由です。冬場はお馴染みのパターンかな。

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 おなじみのJL405便、B747-400、JA8081。まだ90’s鶴丸カラーでした。その向こうには第1ターミナル移転前のANA機、そしてJALとの統合が決まっているJAS機も見られます。
 この日の成田は天気が悪く、管制塔の上部がもう雲に隠れてしまう程。

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 15分程遅れて出発。エアインディア機の手前にいるのは、フェアリンク(現IBEX)のCRJと、NAL(後にエアーセントラル→ANAウィングス)のF50。

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 R/W34Lより離陸、すぐ後ろに、退役間近のMD-11がいました。ちょっと浮いただけでもう雲の中、窓の外が真っ白になる。

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 10分弱で雲海を抜けると、青空。この劇的な変化も飛行機ならでは、か。

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 キャビンの様子。ほぼ満席との事。最後部のブロックは、見た限りでは日本人しかいない。

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 離陸直後に提供されたオツマミ。モニターはNHKニュースで、前日発足した第二次小泉内閣について伝えていた。

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 離陸後の食事。洋食のカジキマグロをチョイス。ワインはボルドーの「FLEUR DE LYNCH」(白)。

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 日本海からシベリアへ抜け、成田離陸から2時間でアムール川上空。

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 リフレッシュメントはデニッシュを選択。

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 この日はウラル山脈上空は経由せず、もっと北よりのルートを飛行。カラ海?昼間のはずなのに薄暗い。

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 成田から10時間弱でストックホルム郊外のアーランダ空港上空。10ヶ月前のポルトガル行の時も通過していました。ここはまだ雪はない。11月となると、北欧は真昼間でも、もう夕方みたいだ。

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 CDGに向けて降下を開始、という所だが、デンマーク上空あたりから、欧州も曇り空になってしまって、下界は雲しか見えない。

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 パリのシャルル・ド・ゴール空港は、9分の遅れ。それでも成田での遅れを10分詰めました。
 ガラス張りのボーディングブリッジが長い。周りが日本人ばかりだと、どうも外国の空港、という感じがしない。
 ブダペスト行AF2694便はターミナル2Bから。殺風景な乗場からバスで移動するが、F→E→C→A→Bと大回りになるので15分位かかった。

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 ターミナル2B。
 AF2694便は、旧マレーヴ・ハンガリー航空(MA)のコードシェアで、MA555が正確なナンバー。しかし理由は解らなかったが、1時間の遅れになるとの事だった。外は急速に真っ暗になる。

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 暗くなってしまって景色は楽しめないが、空港の明かりは美しい。しかし滑走路は遠い。
 離陸すると、少しは天候が良くなったのか、雲の切れ目からパリの街明かりが見えたようだ。

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 キャビン。座席は全革。スクリーンが展開されてプログラムが流れるが、イヤホーンはないから音声は聞こえない。

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 機内食はきちんとしたホットミールで、肉ときのこをクリームで絡めたものにポテトが付く。
 旧共産圏のエアラインだからサービス面でどうかなあとも少し思っていたが、少なくとも西側のエアラインとの差はありませんでした。CAの対応も良く、好印象でした。

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 22時ちょうど、ブダペスト空港に着陸。モヤが出ているのか、ターミナルは少し霞んで見える。そのターミナルからかなり離れたスポットに停止した。

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 改めて、MA555(AF2694)便。B737-700。
 外へ降りると、寒い…。首都の空港ではあるが、CDGや成田と比べたら、やはりどこか閑散としていました。機体の数も少ないが、見た限りでは、旧ソ連機の姿はもうなかった。

 MAはこの4年後、JALなどと共にワン・ワールドに加盟するも、2012(H24)年に経営破綻、消滅してしまいました。

 空いていた事もあったろうが、入国は思ったよりスムーズに事が運びました。

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 最初は普通のバスと地下鉄の乗り継ぎで市中まで行くつもりだったが、ただでさえ遅い時間の上に、さらに1時間の遅れ、時差ボケもあって疲れました。市中までは、「エアポートミニバス」を利用。早い話が相乗りタクシーで、待合室の脇の案内所で、先に買っておいた乗車券(ホテル名を記される)を渡すと、ある程度乗客が集まった時点で、ホテルの名前で呼び出されるシステム。2100HUF(≒1050円)と、やや高いか。市中の、宿泊のホテルまでは20分程度で着くのは便利でラク。
 とにかくもうすぐ日付が変わってしまう時刻。さっさと床に就いてしまいます。

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2003年11月21日(金)

 翌日はニュガティ駅から北東部を目指す。市電に乗って(市電は後日書きます)駅に向かい、今回利用する「ヨーロピアン・イースト・パス」をヴァリデードしてもらうが、窓口が違っていたりしてあちらこちら行ったり来たりする内、デブレツェン行出発2分前。駅の様子を撮るヒマはありませんでした。

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 とにかく霧が濃くて、しばらくは窓の外は何も見えない。視界100m?風景を楽しめなければ全然面白くない。

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 それでも2時間位走ると、霧が晴れてきた。青空が広がる。ひなびた農村地帯。
 列車の速度はあまり早くない。100㎞/h弱。最初は霧のせいかとおもったが、そうではなく、最初からこのスピードで設定されているみたい。

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 理由は解らないが(やはり霧か?)、デブレツェンは30分以上の遅れになり、次のマーテーサルカに行く列車はギリギリになった。なのでとても駅の観察とかはできませんでした。
 列車は混雑して、しばらくは座れない。

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 名前は失念したが、どこかの無人駅。駅付近の集落は、どこもひなびている。駅以外は人家がほとんど見られない。

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 マーテーサルカ駅は案外大きく、駅舎は近代的建築。駅前にはバスターミナルがあり、どの乗場も乗客が長い列をなしている。

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 一方で、駅の近くでは馬車を見ました。ハンガリー国内では他の場所でも、チラホラ見かけます。

 最初はダイレクトにニュイーレジハーザを目指すプランだったが、ザーホニへの路線に乗ってみます。他にもたくさんの路線が分岐しているようで、どれも魅力的ではあるが。

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 ザーホニ行ローカル列車。

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 どこかの無人駅の反対側には墓地があり、色取り取りの花が飾られカラフル。花は皆新しい。春分の日・秋分の日のような習慣が、ハンガリーにもあるのでしょうか。
 沿線の集落は、正直な所少し貧しいのかなあと思ってしまいました。欧州の他の農村地帯と比較して、そう感じる。

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 ザーホニ駅。やけに近代的な駅舎だが、駅付近は閑散。
 構内は広く、架線が貼られているのは、ウクライナとの国境に接しているからだろう。もっともウクライナの車両は見かけなかったが。
(ウクライナ側は1520㎜軌間になっているようだ)
 ザーホニ駅の窓口の路線図を見ると、全国各地に「ファーム鉄道」なるものが走っているらしい。一部はナローらしい。

 この後、この日泊まるニュイーレジハーザまで向かうが、もう暗くなって、見てもらえるような写真はありません。スミマセン。
 ニュイーレジハーザ駅は去年建て替えられたばかりらしい。とてもハンガリーとは思えない、モダンな駅舎。そのファーム鉄道なのか、駅前には路面電車然とした、ナローの線路が引かれていました。結局どんな鉄道なのかは解らず仕舞いになるのだが。

 駅から30分ほど歩いた場所に、ホテルを見つけて投宿。12100HUF(≒6050円)ではあるが、部屋はバストイレ付で広くしっかりしている。朝食もあって、上々ではなかったろうか。ただしエアコンの効き過ぎ?で少し暑い。敢えて窓を開けて寝る事に…。

  当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
 JR東日本が昨日、首都圏に駅ナンバリングの導入を発表しました。
 私鉄に比べて遅くなったが、オリンピックまでには導入されるだろうとは思っていました。品川~田町間に想定されている新駅の開業時につくのかなあとも思っていたが、私の想定よりはやや早目になりました。
 対象は電車特定区間(リリースで未だ「E電」の2文字を見るとは思わなかった)の276駅。10月1日から順次導入、同時に駅名票には中国語簡体字・韓国語の表記も加えられるとの事。
 またJR独自の施策として、主な乗換駅21駅には、3レターコードも併記。東京はTYO、秋葉原はもちろんAKB、我が街戸塚にもTTKってつくんだ。駅ナンバーと併用されるよう。
 16路線にナンバーが展開され、アルファベット2文字(JRのJ+路線の名前から1文字)に2ケタの数字。東海道線はJT、京葉線はJE、など。ある程度運転系統を重視した付け方になっていて、横須賀線~総武快速線は久里浜から千葉までJO○○で通し、青梅線と五日市線は中央線快速と同じJC○○になります。
 また、系統が重複してもそれぞれ独立したナンバーが与えられるので、戸塚は、東海道線のJT06、横須賀・総武快速線のJO11、湘南新宿ラインのJS10と、3つのナンバーが一挙に与えられる事になります。
 先の新駅新設を考慮し、山手線のJY26と、京浜東北線のJK21は空番になっています。
 電車特定区間とした導入エリアは、狭すぎるのではないか?成田空港や小田原(箱根)、大月(富士山)が入っていないのは、外国人観光客の訪問を考えると、?です。JR東日本は広いからどこまでやるべきか?という問題もあるが、電車特定区間自体、広域化している現在の列車の運行形態からして実態に合っていないし、大手私鉄(京成・東武・西武・小田急)がもっと遠くまで全線全駅につけている事を考えると、少なくとも、車内に掲げられている「路線ネットワーク」に記された路線・駅は全部つけるべきだと思います。
 あとは同じJR東日本でも仙台や新潟のエリアには導入されるのか。またJRは既に北海道・四国が導入済みだが、この後東海・西日本・九州も続く事になるのか。東日本の導入発表で、この3社も今年中には、という気がします。
 大手私鉄の方も、先に名鉄が導入が発表しており、残るは西鉄のみとなりました。いずれ、各社の駅ナンバリングについて、大手私鉄を中心に分析してみたいと考えています。ナンバリングから、それぞれの路線の、各社における位置づけも、特に関東では見えてくる気がします。

 ANAのブリュッセル便が、11日から再開される事になりました。もう少し後になるのかと思っていたのだが。ただ、空港ターミナルへの出入りは当然ながら相当厳しくなります。少なくとも、昔の成田なんて比べ物にならない。再開されても、利用率はどうだろう。日本企業のブリュッセル渡航自粛は続いているようだし。

《今日のニュースから》
 6日 「なでしこ」大儀見優季選手 離婚 公式ブログで公表
 7日 セブン&アイHD鈴木会長 退任を発表