2003(H15)年のハンガリー旅行、最後にハプニングはあったものの、大きなトラブルはなく、無事に終わりました。
最終回はいつもの通り、ハンガリーの鉄道車両と、ブダペスト市内の三大ターミナルの画像をご覧頂きます。またいつもの通り、当時感じたハンガリーの鉄道の印象と、ハンガリーそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
ハンガリーの基幹鉄道事業者、ハンガリー鉄道(MÁV Magyar Államvasutak Reszvenytarsasag)のシンボルマーク。当時は政府100%出資の株式会社でした。
V43型EL。当時のハンガリーの電化区間なら必ず見られたタイプ。ハンガリー版EF65?GySEVにもいます。
入換用と思われる、V46型EL。
V63型EL。これはあまり見かけなかった。
1047型。シーメンス社製の「ユーロスプリンター」。
M41型DL。落書きが残念…。
M43型DL。入換用でしょう。
一般的な客車。これは1等車。
近郊タイプで、プッシュプルトレイン用に運転台付き。
IC用客車。
GySEVの近郊客車。GySEVは客車も機関車も、基本的にはMÁVと同型です。
ブダペスト中心部には3つのターミナル駅があります。ターミナル間は地下鉄・路面電車・バスなどで移動します。
ケレティ(東)駅
三大ターミナルでは最も主要な駅。1884(M17)年開業と古い駅。国際列車の大半はこの駅の発着でした。
他ターミナル駅への移動は、ニュガティ駅へはトロリーバス73系統が乗り換えなしで良さそうでした。地下鉄なら2号線と3号線をディアーク・フェレンツ広場で乗り換え。
デリ駅へは地下鉄2号線で一本。
右手は近郊区間の券売機。左手はインフォーメーション。
切符売場。
構内案内図。左側、真ん中の4線がドームに収まっています。
両替。
売店。
寝台券の発売窓口。
上の4枚は夜間に撮影しました。ルーマニアの寝台車が停車していました。これまでご覧頂いたように、ハンガリーでは東欧各地からの長距離列車が多数運行されています。
中央部のドーム。
発車案内表示。
ホーム。
最後に、夜のライトアップ。
ニュガティ(西)駅
ギュスターブ・エッフェルの設計だそう。大きなガラス張りのファサードが印象的。東部の大平原の方へ行く列車が発着します。
デリ駅へは、駅前を行き交う市電4・6系統と18系統をモスクワ広場で乗り継ぎ。モスクワ広場からは歩きでもそんなにはかかりません。地下鉄だと、やはり3号線と2号線を乗り継ぐ。
ニュガティ駅のコンコース。
長距離切符売場。
時刻表は白い紙に、路線別に時刻が掲載されています。
「エキナカ」。
この駅も中央部はドームです。ケレティと違って三角屋根になっています。
ホーム。
デリ(南)駅
前の2駅がペスト側にあったのに対し、三大ターミナルでは唯一ブダ側にあります。唯一近代的なコンクリ造りだが、中はどこか殺風景で、正直あまり好感は持てませんでした。本来は南部への列車が発着するが、私が訪れた時はなぜか、オーストリア方面行の列車が発着していました。
コンコース。天井が低い。
切符売場。円形なのが特徴。
発車案内表示。
「エキナカ」。
ホームに面した側にも、売店が見られます。
最後に、ホーム。ペスト側2駅よりは開放的な気がします。中央の赤いELの列車が、この後乗り込むミュンヘン行EC「バルトーク・ベラ」号。
今回利用した、「イーストレイルパス」。ハンガリーの他、オーストリア・チェコ・スロバキアの鉄道が乗り放題になります。
以上、ハンガリーの旅について記しました。
それ以前の2回の訪問も加えて、ハンガリーの鉄道について知った事、気づいた事、思った事について記してみます。
1. 列車の種別は、基本的にはインターシティ(IC)とセベスヴォナート(S)の2本立て。ブダペスト~ニュイーレジハーザ間には最上級のインターシティ・ラピッド(ICR)が設定され、一部支線ではIC接続のインターピチ(IP)が運行される。
2. 幹線区でも運転本数はそれほど多くはないし、地方の支線区ではかなり少ない。ブダペスト一極集中の傾向があり、地方都市同士を結ぶ列車も少ない。
3. オーストリアに向かう幹線では150㎞/h運転も行われるが、全体的には線形が良い幹線区であっても、スピードはそれ程出ない。
4. 列車は客車列車が中心で、S以下ではプッシュプルトレインや、動力集中タイプの編成も見られる。支線区ではレールバスも多用される。ICがともかく、S以下では車両の整備状態が良くなく、接客面だけではなく、安全面でも問題と思われる部分が多々見られた。
5. ダイヤは正確さにおいて、多少不安定な面が見られる。慢性的に大幅な遅延が発生する訳でもないが。
6. 地方の駅では、趣のある佇まいの駅舎もあれば、コンクリ造りの殺風景な所もありと、全体的にチグハグ。停留所的な駅では、何故か車道がホームを分断している所が多い。
7. 運転面での自動化はほとんど進んでいない。支線区では腕木式信号機が多用されていて、信号現示やポイントの切り替えなどで、かなりの人手を要しているようだ。
8. 地理的に東欧各国の鉄道網の中継地の役割を担い、各国の車両の長距離列車を多数見かける。オーストリアとの結びつきが強く、南部では相互乗り入れを行っている。
9. 南部とブダペストの近郊に私鉄が存在する。地下鉄はブダペスト、路面電車は加えてミシュコルツでも運行されている。バス・トロリーバスも含め、都市交通は全体的に初発も最終も早い。この他、全国各地にナローの「農園鉄道」が存在する。
10. 女性の職員が多く、特に地方で目立つ。運転の現場でも良く見かけた。
11. 首都ブダペストから主要都市までの運賃。2等で、乏しいハンガリー語などを駆使しながら筆談で聞いたので、ひょっとしたら異なるかも知れません。ご了承ください。あくまで目安としてください。レートは2003(H15)年11月29日現在。日本の感覚では、やはり大分安い。
エステルゴムまで 53㎞ 436HUF(≒220円)
シオーフォクまで 115㎞ 990HUF(≒450円)
ジェールまで 141㎞ 1160HUF(≒580円)
ミシュコルツまで 183㎞ 1666HUF(≒840円)
デブレツェンまで 221㎞ 1918HUF(≒960円)
ニュイーレジハーザまで 270㎞ 2184HUF(≒1090円)
最後にいつもの通り、ハンガリーそのもののパーソナルデータを記しておきます。
(帰国日の2003(H15)年11月29日現在)
正式国名 ハンガリー Hungary
面積 約93,030平方㎞ (日本の約4分の1)
人口 約1016万人(2002年)
政治体制 共和制
国家元首 マードル・フェレンツ大統領(無所属)
※現在はアーデル・ヤーノシュ大統領(フィデス=ハンガリー市民同盟)
政治指導者 メッジェシ・ペーテル首相(無所属)
※現在はオルバーン・ヴィクトル首相()
首都 ブダペスト(人口約177万人 2003年)
国連 加盟(1955(S30)年)
EU(EC) 加盟(2004(H16)年)
NATO 加盟(1999(H11)年)
ユーロ 未導入 (通貨=フォリント(HUF) 1HUF≒0.5円)
言語 ハンガリー語
主な観光地 ブダペスト市内・ショプロン・バラトン湖など
日本からのアクセス 日本からの直行便は運航されていない。
初めて旧共産圏の国の鉄道を本格的に訪ねた訳だが、率直な印象としては、西側、特にドイツやフランス、ベネルクス当たりと比べると、レベルが落ちるなあというのが本当の所。それは帰りにミュンヘンを経由した時に感じた事でもあります。
でも、何もかもがダメダメという訳ではないし、穏やかな田園地帯の風景を存分に楽しむ事もできました。全般的に霧が多かったのは残念だが、それがハンガリーという国なのでしょう。「農園鉄道」「子供鉄道」と、西側にはない鉄道に乗れたのも、良い経験だったと思います。
このあとブダペストの市電に「コンビーノ」が導入されるなど、ハンガリーの鉄道もまた、少しづつだろうが良い方向に向かっているのかと思います。国そのものの政治的・経済的な問題は懸念材料だが。いつか再訪して、その変化を確認できればと思っています。その際は、同じ東側のチェコやスロバキア、ポーランド当たりとセットで行きたいと考えています。同じ旧共産圏でも、何か違いを見いだせるでしょうか。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
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《今日見た・聞いた・思った事》
熊本地震に関しては、私は阪神淡路大震災や東日本大震災同様、しょせん「傍観者」でしかないから、今の時点でああだこうだいうのは控えたいと思います。ともかく、被災された皆様が早く通常の暮らしに戻れる事を願います。
そのためにも、公共交通の復旧が急がれます。でないと、熊本県外から被災地や熊本市に入る公共交通が今の所ないので。しかし今の時点では、JRの新幹線、在来線、高速道路(高速バス)、航空はいずれも被害が甚大で、今日明日どうにかなるものではなさそうです(高速バス〔ひのくに〕は、明日午後以降の運行再開を協議するらしいが)。新幹線は、GWには間に合わないと思ってよさそうです。とりあえず、鹿児島本線の荒尾~熊本間の再開が望まれる所ではないでしょうか。支援物資の輸送のためにも。
日本だけではなく、エクアドルでも大地震が起きて、死者が多数出ているそうです。思えば5年前もニュージーランドから始まり、東日本→タイ・ミャンマー国境→スペイン→アメリカと地震の連鎖反応が起きました。起きる時は起きる、のでしょうか…。
今日は全国的には大荒れの天気だったようです。懸念された熊本は幸い大した事は無かったようだが、関東地方は風が強く、電車が止まったり遅れたり、成田空港では強風で到着便の関空やセントレアへのダイバートが相次いだようでした。
《今日のニュースから》
16日 フランシスコ法王 ギリシャ・レスボス島を訪問
17日 群馬県南牧村 星尾諏訪神社御柱祭 境内の御柱を立て替え
№1512 思い出の海外旅行クロニクル 22.2003年ハンガリー 5
熊本地震で亡くなられた方々にはお悔みを、被害に遭われた方々にはお見舞いを申し上げます。
益城町は去年、熊本市営バスのお別れに関連して、植木市会場行の臨時バスに乗って行った事がありました。熊本市の郊外で、のんびりしたイメージがあったのだが。
九州新幹線は線路等の損害はなさそうだが、脱線した回送車両の復旧には相当な日数がかかるそう。高速道路の方も時間がかかりそうで、高速バスも長期の運休を余儀なくされる事になるのか。何とかGWまでには復旧出来れば良いが。
ハンガリー最終日。午前中は電車で郊外に出かけ、午後、ブダペスト発国際列車で、ハンガリーとはお別れ。
翌日、ミュンヘンから空路乗継で日本に帰るが、最後にハプニングがありました。
2003年11月27日(木)
ブダペストの郊外にはHÉVと呼ばれる電車があります。4つの独立した路線があるが、観光客に利用されるのは、バッチャーニ広場からセンテンドレに向かう北部の路線でしょう。午前中はこの路線に乗ります。
電車の車内。オーソドックスなクロスシート。加速は良いが、結構揺れる。下から突き上げる感じがありました。
起点のバッチャーニ広場駅は地下駅。
右手にドナウ川を見て走る。
平原もあります。
終点の、センテンドレ駅。
三日乗車券が通用するのはベーカーシュメジェールまでで、その先は210HUF(≒105円)が必要。
センテンドレの中央広場。
ブラゴヴェシュテンスカ教会。
いよいよハンガリーとはお別れ。
ブダペスト・デリ発ウィーン経由ミュンヘン行EC62「バルトーク・ベラ」(ハンガリーの作曲家の名前)の指定券。
出発直前の、デリ駅のホーム。7年前(1996(H8)年)のオーストリア方面行はケレティ駅の発着だったのだが、暫定的なものだったのか。工事?
(現在は再びケレティ発着)
定刻に出発。しばらくはノロノロ。高層団地群を見る。
高速道路と並走。この日は朝から快晴でした。ハンガリーに来てから、ほとんど曇りとか、霧とかだったから、最終日で快晴とは少々悔しい。
高速道路と別れるとスピードが上がり始める。ハンガリーらしい平原が広がる。
食堂車で昼食。グヤーシュ風の豚肉という感じのものと、パスタの付け合せ。
ここでちょっと失敗。この列車は座席車はÖBBだが、食堂車だけMÁVで、C/Cが一切使えない。昼食の分は手持ちのHUFと€で支払えたが、このままでは夕食は楽しめない。ウィーンの停車中に円を両替しないと。
ドナウ川。
まだ国境の手前だが、ジェールでもうパスポートコントロールの係員が乗り込む。
ハンガリー最後の駅、ヘジェシャロム。
ハンガリーとはお別れです。Viszontlátásra!
無論国境を示す国旗だの標識だのがある訳ではないが、オーストリアに入ると、平原は緑が多くなったように感じられた。
どこかの小駅でローカル列車を抜くが、客車がÖBBなのに、ELがGySEVの新型だった。オーストリアとハンガリーの結びつきの強さが、鉄道の世界でも感じられます。
ウィーン西駅到着は、10分以上の遅れになっていました。
一目散に両替所に向かうが、前の客がやや手間取っていてヒヤヒヤ。なんとか両替して戻ると、すぐに発車。このため、ここでは新たな牽引機を確認する事はできませんでした。
当時は1€≒140円で、かなりの円安でした。
改めて、2等車の車内。オーソドックスなオープンスタイル。
ザルツブルクでウィーンからの牽引機を確認できました。
ザルツブルクを出発した所で、夕食のため2度目の食堂車訪問。ミュンヘンまであと1時間半とあって、お客さんはもうほとんどいない状態で、ラストオーダーまで聞かれる。
メインはハンガリー風オムレツ。
スープ。
最後に、デザートとしてパンケーキとカプチーノコーヒー。
外はひたすら真っ暗。町の明かりさえほとんど見られない。
ミュンヘン中央駅には、8分の遅れで到着しました。ブダペストとは全然違う、洗練された世界にかなり戸惑いました。
この列車は、現在は高速列車「レール・ジェット」として運行されているようです。
忘備録的に、当時の編成を記しておきたいと思います。座席車は全てÖBB、食堂車はMÁVです。途中駅での増結・切り離しはありませんでした。
255 Bmz 6181 21-90 003-8 2等車
256 Bmpz 738129-91 062-1 2等車
257 Bmpz 7381 29-91 065-4 2等車
258 Bmpz 7381 29-91 058-9 2等車
259 Bmz 6181 21-90 010-3 2等車
260 Bmz 6181 21-70 132-9 2等車
261 WRmz 6155 88-91 105-2 食堂車
262 Amz 6181 19-91 107-0 1等車(コンパート)
263 Amz 7381 19-91 004-5 1等車
ウィーン~ミュンヘン間は逆編成
257号車と260号車は新色でした。新色は車内も更新され、パソコン用のコンセントも設けられていました。
<牽引機>
ブダペスト~ウィーン 1116 005-8
ウィーン~ミュンヘン 1016 030-7
どちらもÖBB
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2003年11月28日(金)
ミュンヘンからはパリ乗継での帰国を予定。出発が午後なので、少し位は朝寝坊しても大丈夫だろうと思っていたが、結局6時30分には目が覚めました。ミュンヘンは雨。
早めに空港に向かいます。空港行Sバーン。
空港に着くと、大変な事態が判明。予定していたパリ行AF便が、ストライキのためキャンセル!
私も内際含めて航空便を多数利用するようになったが、キャンセルになってしまったのは初の経験でした。
代替便を探してもらった結果、LH便を利用し、フランクフルト発のJAL便への乗り継ぎが提示されました。
フランクフルト行LH975便は、意外にもワイドボディのA300-600Rでした。距離的に羽田~山形間とほとんど変わらず、ICEが頻発している区間でもあるのだが。
機内での非常デモ。実演。
指定された21Aは翼の付け根のやや前。ともかく窓際だし、この状況では致し方なし。
R/W26Rより離陸。雲が低く、すぐに雲の中。
高度が低いからだろう、レベルフライトになっても、上も下も雲が広がる。
キャビンの様子。短距離路線用なのだろう、そんな大それた設備はない。
短距離の国内線ながら、サンドイッチのサービスがありました。
着陸直前、ゲーシュビッツバイヤーの湖。
フランクフルト空港、R/W25Lに着陸。米軍機を見ます。
ミュンヘン離陸から、わずか33分!よくサンドイッチのサービスなんてやれたものだ。
改めて、LH975便。JAS~JAL以外でのA300-600Rへの搭乗はこれが最初で、今の所唯一。
LHが発着するターミナル1から、JAL便が出発するターミナル2へ移動。「スカイライン」と呼ばれる新交通システムからエプロンを眺める。残念ながらフランクフルトも悪天、旅客機撮影、という状況ではない。
あと一ヶ月でクリスマス。ターミナルには、装飾を施されたクリスマスツリーもありました。
第2ターミナルはかなり斬新。
JL408便。B747-400。まだ「Arc of the Sun」になっていなかった。
7年前に搭乗した時と同じ、D1ゲートから出発。ジャンボ機を見下ろす位だから、かなり高い位置。
あちこちから日本語が聞こえてきて、現実に引き戻されたような感覚を覚えました。
幸い窓際を確保できました。出発直前、右手にはMA機がいた。F70。
20時20分出発予定の所、管制塔からの指示とかで20分程の遅れで出発とアナウンス、実際には17分程過ぎての出発になりました。真っ暗な滑走路から離陸、暗黒の空間の中に、渋滞する道路の車の明かりが連なるのが見えました。半年前、ほぼ同じ時刻のANA便に乗った時はサンサンと真昼間だったのに、欧州は夏と冬で昼間の時間が極端に違う。
********************
2003年11月29日(土)
離陸後にサービスされた、オツマミ。
機体はこれから、バルト海に抜ける所。
離陸後、最初の食事。
シベリアの夜明け。
レナ川。
到着前の、2回目の食事。定番?のオムレツ。機内が乾燥しているからだろう、リンゴジュースが恐ろしく?うまい。
フランクフルト出発の時点で、成田到着1時間半前位から揺れが予想されると事前のアナウンスがあり、そのためだろう、ハバロフスク通過よりやや早めの提供になりました。
日本の上空は、案の定曇り空が広がる。
成田付近はかなり雲が低く、地上が見えた、と思ったらもう滑走路!
成田は管制塔が見えない程視界が悪い。ターミナルに向かう途中右手に着陸するNW貨物機は、水しぶきが凄い。
悪天の影響もあっただろう、成田は遅れを31分にまで増幅させての到着になりました。
「どうもお疲れ様でしたー」みたいな声が、あちらこちらから聞こえてくる。
最後に、当時の成田空港第2ターミナルの到着ロビー。
この後は、京成と京急の特急を乗り継いで、帰宅の途に就きました。
最後の最後でハプニングはあったが、ともあれハンガリーの旅、無事に終わりました。
最終回はいつも通り、ハンガリーの鉄道の印象や、ハンガリーそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
14日 田母神俊雄元航空幕僚長 公職選挙法違反の疑いで逮捕
15日 「新電力」日本ロジテック 経営破綻
益城町は去年、熊本市営バスのお別れに関連して、植木市会場行の臨時バスに乗って行った事がありました。熊本市の郊外で、のんびりしたイメージがあったのだが。
九州新幹線は線路等の損害はなさそうだが、脱線した回送車両の復旧には相当な日数がかかるそう。高速道路の方も時間がかかりそうで、高速バスも長期の運休を余儀なくされる事になるのか。何とかGWまでには復旧出来れば良いが。
ハンガリー最終日。午前中は電車で郊外に出かけ、午後、ブダペスト発国際列車で、ハンガリーとはお別れ。
翌日、ミュンヘンから空路乗継で日本に帰るが、最後にハプニングがありました。
2003年11月27日(木)
ブダペストの郊外にはHÉVと呼ばれる電車があります。4つの独立した路線があるが、観光客に利用されるのは、バッチャーニ広場からセンテンドレに向かう北部の路線でしょう。午前中はこの路線に乗ります。
電車の車内。オーソドックスなクロスシート。加速は良いが、結構揺れる。下から突き上げる感じがありました。
起点のバッチャーニ広場駅は地下駅。
右手にドナウ川を見て走る。
平原もあります。
終点の、センテンドレ駅。
三日乗車券が通用するのはベーカーシュメジェールまでで、その先は210HUF(≒105円)が必要。
センテンドレの中央広場。
ブラゴヴェシュテンスカ教会。
いよいよハンガリーとはお別れ。
ブダペスト・デリ発ウィーン経由ミュンヘン行EC62「バルトーク・ベラ」(ハンガリーの作曲家の名前)の指定券。
出発直前の、デリ駅のホーム。7年前(1996(H8)年)のオーストリア方面行はケレティ駅の発着だったのだが、暫定的なものだったのか。工事?
(現在は再びケレティ発着)
定刻に出発。しばらくはノロノロ。高層団地群を見る。
高速道路と並走。この日は朝から快晴でした。ハンガリーに来てから、ほとんど曇りとか、霧とかだったから、最終日で快晴とは少々悔しい。
高速道路と別れるとスピードが上がり始める。ハンガリーらしい平原が広がる。
食堂車で昼食。グヤーシュ風の豚肉という感じのものと、パスタの付け合せ。
ここでちょっと失敗。この列車は座席車はÖBBだが、食堂車だけMÁVで、C/Cが一切使えない。昼食の分は手持ちのHUFと€で支払えたが、このままでは夕食は楽しめない。ウィーンの停車中に円を両替しないと。
ドナウ川。
まだ国境の手前だが、ジェールでもうパスポートコントロールの係員が乗り込む。
ハンガリー最後の駅、ヘジェシャロム。
ハンガリーとはお別れです。Viszontlátásra!
無論国境を示す国旗だの標識だのがある訳ではないが、オーストリアに入ると、平原は緑が多くなったように感じられた。
どこかの小駅でローカル列車を抜くが、客車がÖBBなのに、ELがGySEVの新型だった。オーストリアとハンガリーの結びつきの強さが、鉄道の世界でも感じられます。
ウィーン西駅到着は、10分以上の遅れになっていました。
一目散に両替所に向かうが、前の客がやや手間取っていてヒヤヒヤ。なんとか両替して戻ると、すぐに発車。このため、ここでは新たな牽引機を確認する事はできませんでした。
当時は1€≒140円で、かなりの円安でした。
改めて、2等車の車内。オーソドックスなオープンスタイル。
ザルツブルクでウィーンからの牽引機を確認できました。
ザルツブルクを出発した所で、夕食のため2度目の食堂車訪問。ミュンヘンまであと1時間半とあって、お客さんはもうほとんどいない状態で、ラストオーダーまで聞かれる。
メインはハンガリー風オムレツ。
スープ。
最後に、デザートとしてパンケーキとカプチーノコーヒー。
外はひたすら真っ暗。町の明かりさえほとんど見られない。
ミュンヘン中央駅には、8分の遅れで到着しました。ブダペストとは全然違う、洗練された世界にかなり戸惑いました。
この列車は、現在は高速列車「レール・ジェット」として運行されているようです。
忘備録的に、当時の編成を記しておきたいと思います。座席車は全てÖBB、食堂車はMÁVです。途中駅での増結・切り離しはありませんでした。
255 Bmz 6181 21-90 003-8 2等車
256 Bmpz 738129-91 062-1 2等車
257 Bmpz 7381 29-91 065-4 2等車
258 Bmpz 7381 29-91 058-9 2等車
259 Bmz 6181 21-90 010-3 2等車
260 Bmz 6181 21-70 132-9 2等車
261 WRmz 6155 88-91 105-2 食堂車
262 Amz 6181 19-91 107-0 1等車(コンパート)
263 Amz 7381 19-91 004-5 1等車
ウィーン~ミュンヘン間は逆編成
257号車と260号車は新色でした。新色は車内も更新され、パソコン用のコンセントも設けられていました。
<牽引機>
ブダペスト~ウィーン 1116 005-8
ウィーン~ミュンヘン 1016 030-7
どちらもÖBB
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2003年11月28日(金)
ミュンヘンからはパリ乗継での帰国を予定。出発が午後なので、少し位は朝寝坊しても大丈夫だろうと思っていたが、結局6時30分には目が覚めました。ミュンヘンは雨。
早めに空港に向かいます。空港行Sバーン。
空港に着くと、大変な事態が判明。予定していたパリ行AF便が、ストライキのためキャンセル!
私も内際含めて航空便を多数利用するようになったが、キャンセルになってしまったのは初の経験でした。
代替便を探してもらった結果、LH便を利用し、フランクフルト発のJAL便への乗り継ぎが提示されました。
フランクフルト行LH975便は、意外にもワイドボディのA300-600Rでした。距離的に羽田~山形間とほとんど変わらず、ICEが頻発している区間でもあるのだが。
機内での非常デモ。実演。
指定された21Aは翼の付け根のやや前。ともかく窓際だし、この状況では致し方なし。
R/W26Rより離陸。雲が低く、すぐに雲の中。
高度が低いからだろう、レベルフライトになっても、上も下も雲が広がる。
キャビンの様子。短距離路線用なのだろう、そんな大それた設備はない。
短距離の国内線ながら、サンドイッチのサービスがありました。
着陸直前、ゲーシュビッツバイヤーの湖。
フランクフルト空港、R/W25Lに着陸。米軍機を見ます。
ミュンヘン離陸から、わずか33分!よくサンドイッチのサービスなんてやれたものだ。
改めて、LH975便。JAS~JAL以外でのA300-600Rへの搭乗はこれが最初で、今の所唯一。
LHが発着するターミナル1から、JAL便が出発するターミナル2へ移動。「スカイライン」と呼ばれる新交通システムからエプロンを眺める。残念ながらフランクフルトも悪天、旅客機撮影、という状況ではない。
あと一ヶ月でクリスマス。ターミナルには、装飾を施されたクリスマスツリーもありました。
第2ターミナルはかなり斬新。
JL408便。B747-400。まだ「Arc of the Sun」になっていなかった。
7年前に搭乗した時と同じ、D1ゲートから出発。ジャンボ機を見下ろす位だから、かなり高い位置。
あちこちから日本語が聞こえてきて、現実に引き戻されたような感覚を覚えました。
幸い窓際を確保できました。出発直前、右手にはMA機がいた。F70。
20時20分出発予定の所、管制塔からの指示とかで20分程の遅れで出発とアナウンス、実際には17分程過ぎての出発になりました。真っ暗な滑走路から離陸、暗黒の空間の中に、渋滞する道路の車の明かりが連なるのが見えました。半年前、ほぼ同じ時刻のANA便に乗った時はサンサンと真昼間だったのに、欧州は夏と冬で昼間の時間が極端に違う。
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2003年11月29日(土)
離陸後にサービスされた、オツマミ。
機体はこれから、バルト海に抜ける所。
離陸後、最初の食事。
シベリアの夜明け。
レナ川。
到着前の、2回目の食事。定番?のオムレツ。機内が乾燥しているからだろう、リンゴジュースが恐ろしく?うまい。
フランクフルト出発の時点で、成田到着1時間半前位から揺れが予想されると事前のアナウンスがあり、そのためだろう、ハバロフスク通過よりやや早めの提供になりました。
日本の上空は、案の定曇り空が広がる。
成田付近はかなり雲が低く、地上が見えた、と思ったらもう滑走路!
成田は管制塔が見えない程視界が悪い。ターミナルに向かう途中右手に着陸するNW貨物機は、水しぶきが凄い。
悪天の影響もあっただろう、成田は遅れを31分にまで増幅させての到着になりました。
「どうもお疲れ様でしたー」みたいな声が、あちらこちらから聞こえてくる。
最後に、当時の成田空港第2ターミナルの到着ロビー。
この後は、京成と京急の特急を乗り継いで、帰宅の途に就きました。
最後の最後でハプニングはあったが、ともあれハンガリーの旅、無事に終わりました。
最終回はいつも通り、ハンガリーの鉄道の印象や、ハンガリーそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
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《今日のニュースから》
14日 田母神俊雄元航空幕僚長 公職選挙法違反の疑いで逮捕
15日 「新電力」日本ロジテック 経営破綻
№1511 思い出の海外旅行クロニクル 22.2003年ハンガリー 4
他の国の首都と同様、ブダペストもまた多彩な乗り物が中心部、そして郊外を網羅しています。2日間かけて乗り歩きました。市電に地下鉄、バス、郊外電車、登山電車、そして、旧共産圏ならではの鉄道がありました。
2003年11月26日(水)
今回購入・利用した「三日乗車券」(前日購入)。1950HUF(≒975円)で、日本人の感覚ではかなり割安です。
当時のブダペストの地下鉄は3路線あり、これは1896(M29)年5月2日に開業した1号線(だからまもなく開業120年)。ロンドンに次いで2番目、電気鉄道としては最古だそう(ロンドンはSLから始まった)。かなり小型。ユニークな構造になっています。前年2002(H14)年に世界文化遺産に登録されています(複合遺産)。
その車内。輸送力的には、市電の連接車より小さいと思われます。
2・3号路線は一般的な地下鉄になりました。オーソドックスな旧ソ連製の電車。2号線は5連、3号線は顔つきが異なる6連です。
その車内。薄暗い。駅に着く直前で一旦暗くなるのは、01系導入以前の銀座線と同じ。
市電の1500形(? 形式は番号から勝手に推測しただけなので念のため)。当時の最新鋭だが、ドイツ・ハノーファーの中古だそう。ステップが折り畳み式で、高床式ホームにも対応できるようになっているが、ブダペストの路線では意味がない。見た限りでは、3・62・69系統で運用されていました。
その車内。それにしても、中古車が最新鋭とはね。
(現在はコンビーノが導入されているよう)
それでは在来車はと、まず4000形。単車で、系統によって2~3連で走る。56・61系統などで見ました。いかにも旧共産圏の顔つき。
この車両は内外とも改装されてきれい。行先表示や、車内の表示もマグサインが使われています。ドアが閉まる時の音も優しい(たいがいバタン!とやかましいので)。
1400形(1300形かもしれない)。3連接だが、4・6系統では2編成連結されています。4・6系統は3~5分間隔で運行される、市電の中でも大幹線です。ドナウ川を2回渡ります。島式ホームが多いのが特徴。
3400形。3連の中間車は動力がなく、両端に動力車を連結しています。ブダペストの市電は前後に運転台があるシャトルタイプ。
地下鉄1号線の駅の入口。クラシックな装い。階段を降りたら、もうホーム。
モスクヴァテールは市電の系統が集中する一大ターミナルだが、それ以上に人がものすごく多い。
モスクヴァテールから市電56系統で着いたヒューヴェシュヴェルジ。この路線は中間の停留所に緑色のクラシカルな待合所があり、標識は市電の一般的な物とは異なっていたので、ひょっとしたら昔はローカル私鉄だったのかも知れない。ここもそんな佇まい。バスターミナルとして機能している。
さて、旧共産圏で多いとされるのが、「子供鉄道」。子供たちに鉄道について学ばせるためにあるそうだが、話には聞いていたが、実際に目の当たりにすると、「本当にあったんだ…」と感慨深いものがありました。
子供鉄道のヒューヴェシュヴェルジ駅。
切符を買って(無論駅員は子供)、ホームに上がると、列車到着前にポイントの点検に出て来たのは、本当に子供だ。きちんとした制服をまとっているが、10歳そこそこ、という感じ。
セーチェーニ・ヘジに向かう列車に出発の合図を出すのも、子供。合図を出したこのあと、敬礼して見送るのが、らしいかなと。
車内改札も、もちろん子供。切符拝見だけでなく、「記念品はいかが?」と、商魂たくましい所も見せてくれます。
「子供鉄道」である事を除いても、人里まれな山の中腹を、オメガカーブまでながら走って、車窓にも見どころがあると思います。
中間の駅の一つ、チッレベールツ駅の駅舎。壁面にハンガリーの国旗と、傍らに5人の子供が立つ壁画があります。(一人はラッパを吹いています)。これもまた、いかにも旧共産圏、という印象がありました。
もう一方の終点、セーチェーニ・ヘジ駅。
ここでも、子供駅員の出発合図を見る事が出来ます。ピリッとして好印象。
なお、運転士はさすがに大人です。
「子供鉄道」に限らず、腕木式信号機はハンガリー全土に相当残っていました。日本とは逆に、出発は腕木が上に上がります。
子供の「車掌さん」から購入した絵ハガキ2枚をご覧頂きます。2枚で100HUF(≒50円)。SLは夏のシーズンに走るようです。
列車は日中のみ1時間毎、シーズン中は45分毎です。運賃は200HUF(≒100円)でした。MAVの運営なので、イーストレイルパスで乗れると思いますが(この日は他のHAV路線には乗らないので使わなかった)。
モスクワ広場のそばのヴァーロシュマヨオルからセーチェーニ・ヘジまで登る登山電車。全線ラックレール方式。自転車の利用が目立ちます。
電車の車内。クロスシート。
セーチェーニ・ヘジ駅。「子供鉄道」の駅は、100m位離れた所にあります。
セーチェーニ・ヘジ駅のホームから、ブダペストの市街地を見下ろす事が出来ます。
麓の終点、ヴァーロシュマヨル駅。
所要16分。平日20分毎・土休日はシーズン12分毎・オフシーズンは15分毎。やはり休日の方が、行楽で利用する人々が増えるという事でしょう。160HUF(≒80円)だが、市内交通の三日乗車券等で乗れます。
もう一つ、クラーク・アーダム広場から王宮の丘を上がるケーブルカー。
上り500HUF(≒250円)、下り400HUF(≒200円)。三日乗車券等では乗れません。
観光地名所めぐりもしてみました。ペスト側にある国会議事堂は、改修工事中のようでした。
ドナウ川に架かる「くさり橋」。両端にライオンの像がある、有名な橋です。
上流側の「自由橋」。解りづらいと思うが、中央部を市電が走っているのが見えるでしょうか。
ペスト側から見た、ブダ側の丘の上に立つ王宮。
丘の麓に、ここでも市電が見られます。
同じく、ブダ側の王宮の近くに建つマーチャーシュ教会。
王宮の丘付近は観光地が揃っているから観光客が多いのは当然としても、路駐がかなり多くて、この点がやや興醒めか。モスクワ広場から、王宮の丘の観光地を循環して走る「城バス」が頻発しています。
王宮の丘の展望台、「漁夫の砦」。広場の中央に建つのは、「イシュトバーンの騎士像」。
砦の展望台から眺める、ブダペストの市街地。真ん中をドナウ川が流れ、手前がブダ、反対側がペスト。
最後に、ライトアップされた夜の王宮。ハンガリー最後の夜を彩ってくれました。
バスについては後日、本体で再公開したいと思います。少しお待ちください。
明日は郊外電車でセンテンドレを訪ねた後、ミュンヘン行ECでついにハンガリーを後にします。
その翌日、旅客機で帰国の途に就くが、ハプニングが待っているのでした。
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2月のドイツ・バイエルン州の列車事故は、駅の運行管理者が逮捕されました。事故直前まで、ケータイのオンラインゲームで遊んでいたとか。もう少し様子を見ないといけないと思うが、この所日本でも事故に至らぬまでも、ケータイがらみの不祥事が交通事業者で相次いでいるけれど、こういうの、洋の東西を問わないものだなあ。
《今日のニュースから》
12日 新宿歌舞伎町「ゴールデン街」で火災 1人負傷
13日 ローソン・スリーエフ 合弁会社設立を発表