№1499 まったり 東海・関西の旅 4.尼崎市営バスと 福知山線事故現場

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 一昨日を持って、尼崎の市営バスは事業を終了、昨日から阪神バスの運行になっています。当面は市営バスのダイヤや制度(「ひまわり」バスなど)を維持して行くという事だが、5年後・10年後にはどうなっていくのでしょうか。
 3日目は、事業終了直前の尼崎市営バスを訪ねてきました。空模様が不安定だったが、ある程度撮影して、お別れ乗車もしてきています。
 また尼崎まで来たという事で、まもなく発生から11年になる福知山線脱線事故の現場の現状も見てきました。やや気が重かったのは事実だが、一度は行っておくべきだと思って。
(この後事故現場付近の画像を出します。あらかじめご承知おきください)

 3月 8日(火)

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 阪神の尼崎駅に並ぶ、快速急行。奈良行の阪神編成と、神戸三宮行の近鉄編成。

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 北口の市営バスターミナルに掲げられていた、尼崎市営バスの全線の路線図。

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 市営バスターミナル内のサービスセンター。オープンが9時とは、やや遅いのではないか?阪神バス転換後も変わっていないよう。
 撮影場所を探しつつ、北の方へ歩いて行くうちに、総合医療センターまで来ました。

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 尼崎交通事業振興のエアロスター。医療センターの玄関前に入る13-2番(尼崎市営バスは「系統」ではなく「番」)は交通事業振興の担当で、平日の日中30分間隔の運行(土休日は運休)。

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 JR尼崎駅からの50-3番は元々阪神バスの運行だが、市営バスと同じ扱いで、他の在来の阪神バスとは路線がつながっていません。ブルーリボンシティ・ハイブリッドが専用で運行されているようだったが、昨日からは旧市営バス車両で運行されている模様。

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 この医療センターは、尼崎市立尼崎工業高校の跡地に立てられました。この学校の前身、住友工業高校は、阪神タイガースのエースだった村山実氏の母校でした。その銅像が建てられています。医療センター建設の際に移動したそう。

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 同じ敷地に、市立尼崎工業高校の記念モニュメントが作られています。

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 記念碑。この学校は今月一杯で閉校になり、先んじて6日に卒業式と閉校式が行われました。記念碑の日付はその2016(H28)年3月6日になっています。

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 阪神尼崎駅まで、市営バスで戻る。一日乗車券は車内で購入できます。500円。市営バス・交通事業振興バスの他、阪神バスも先の50-3番のみ乗れます。

 一時青空が広がったものの、再び曇り空になりました。このタイミングで、福知山線の事故現場に行きます。
 阪神尼崎から市営バスなら22番(阪急園田または交通局行)に乗り、久々知で下車(他に阪急バス便あり)。道路を横断し、東へ歩いて行きます。

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 久々知踏切から見た、事故現場のマンション。JR西日本によって慰霊施設が整備される事になり、1月から工事が始まっています。全体がフェンスで囲まれていました。

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 フェンスに貼られていた、建築計画のお知らせ。
 具体的にどんな姿になるのか、想像図みたいなものはありませんでした。

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 マンションの反対側の、資材置き場として使用されると思われる敷地。
 ここは、1984(S59)年まで、尼崎港へ向かう福知山線の支線が走っていました。旅客営業は1981(S56)年まで行われたが、末期は塚口~尼崎港間が客車列車で1日2往復という、信じがたいダイヤでした。事故現場は尼崎港支線が分岐していた所で、マンションはその跡地に建てられていました。

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 その現場。近くの駐車場から撮影。付近は小規模な町工場が多かったようです。あの日の阿鼻叫喚の地獄絵図は、思い描けません…。

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 改めて、フェンス際にマンションを見る。遺族の方々だけが入れる献花台が奥にあるようで、入り口には警備員が立っていました。マンションの住人は既に全員退去しているようだが、マンション自体は慰霊の施設の一部として取り込まれるよう。

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 反対側の、線路際のフェンスからマンションを見る。マンションには、電車が激突した際にできたと思われるひびがあったり、外壁がはがれていたりしていたのを確認。

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 さらに離れて、塚口方から撮影。

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 実際にJRの塚口駅まで歩いて、電車に乗ってみました。この区間に乗るのは、事故後初めてです。
 塚口を出発すると、すぐに減速の指示のオレンジ色の標識が立っていました。80(㎞/h)・70・60と連続します。

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 ここから60㎞/h。現場から相当手前で、まだ高架橋も通過していません。

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 実際には高架橋の先、この地点から60㎞/h制限になる。相当気を遣っている事が伺えました。

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 車内から見た、電車が激突した事故現場。

 この後、川西池田まで戻って、改めて快速電車で見てみました。川西池田を出ると基本的には直線が長く、次の速度制限は事故現場付近になります。
 あくまで個人的で勝手な推測でしかないが、なまじ速度制限が現場までなかった事が、却ってアダとなったような気がしました。当時のJR西日本社内の陰惨な内部事情もあって、遅延の状況が運転手に重くのしかかり、少しでも遅れを回復させようと躍起になっていた。直前の伊丹ではオーバーランも起こしていて、よりメンタル面での負担がのしかかるうちに列車を減速させないまま事故現場に差し掛かり、「あっ、しまった!」と気づいた時点では、もはや手遅れ…。
 繰り返しになるが、以上はあくまで私自身の推測でしかありません。この点はご了解ください。
 ともあれ、こんな大惨事は二度と御免です。被害者はもちろん、「加害者」にも後々重いトラウマを残す、鉄道先進国のはずなのに100人以上も犠牲になるような事故は、少なくとも日本では、これを最後にしなければなりません。

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 前後してしまったが、事故現場からJR塚口駅に向かう途中の、交通局(塚口営業所)。
 阪神バス転換後も使用(バス停は塚口営業所と改称)。今日は展示即売会が行われた模様。
 バス事業は終わったが、「尼崎市交通局」という部局は、今月一杯は残るのか。

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 もう一つの事故現場。塚口から乗った福知山線電車を大阪まで乗り通して、梅田から川西能勢口(川西池田最寄り)まで阪急神戸線で移動したのだが、その際、阪急の梅田駅まで移動する際に撮影。先月末起きた、乗用車暴走事故の現場には、花束が山積みになっていました。

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 再び阪神の尼崎駅に戻って、市営バスを撮影。尼崎市キャラクター「あまっこ」ラッピング車。このキャラクターは、経年車を除く車両の座席にもプリントされています。

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 市営バスのバス停。太陽光発電。阪神バス転換を知らせる張り紙があります。

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 市営バスのターミナルは、JR・阪神・阪急の各駅に分散しています。阪急塚口駅。
 電車で一駅移動、武庫之荘から、北部へ向かう市営バスに乗ります。これでお別れ。

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 武庫営業所。住宅地の中にあり、塚口と比べるとやや小さい。「阪神バス武庫営業所」の表札が掲げられている。国道を宝塚へ北上する路線が昔からあるけれど、阪急電車よりさらに北のこの場所で「阪神バス」とは、違和感も感じないではない。

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 尼崎市の最北部、宮ノ北団地。歴史がある団地で、今年はちょうど50周年になるらしい。
 武庫之荘まで40番・41番があり、営業的には優良路線になっているらしい。ただ、鉄道の駅から遠いのだが、両系統とも1時間に2~3本は、やや少なく感じました。他に阪神尼崎へ行く43番もあり、1時間かかるらしい。

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 バス停の先のロータリーで折り返します。(バス専用ではない)。ここは尼崎市の北の果て、一歩どぶ川を踏み越すと、もう伊丹市です。
 ロータリーを折り返すこのエルガで、武庫之荘まで帰りました。これで、市営バスとはお別れです。

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 武庫之荘駅北口は18時に近くなり、帰宅のラッシュが始まっていました。市営バス乗場はどこも長蛇の列。
 今後阪神バスになっても、しばらくは車体裾の社名以外は、いつもと変わらぬ光景が見られる事になるのでしょう。市営バスであれ阪神バスであれ、どこでもいつまでも、この賑やかかつ穏やかな光景が続く事を願います。

 この日乗って、見た限りでは、阪神バスによる教習は特に行われていないようでした。武庫〔営〕は既に阪神バス委託になっていた訳だし。塚口〔営〕はどうしていたのだろうか。
 尼崎市というと、阪神沿線を中心とした臨海部の工業地帯をすぐに連想するが、お別れ乗車で乗った40・41番の路線の沿線は住宅地の中に畑が見られたりして、狭いようで広い市なんだなあと、改めて実感しました。特に阪急神戸線に「尼崎」と名のつく駅がなく、尼崎市内を走る事をあまり意識させられないので、よりそう感じられたのかも知れません。その尼崎市内のほぼ全域をネットしていた市営バス、他の事業終了の市営バス同様、もう少し早く訪れて、見て、乗っていれば、また理解が深まったのかも知れません。

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 最後に、阪急梅田駅構内の、ターキッシュ・エアウェイズ(TK)の広告。このキャッチコピーの意味が解る人は、年齢がバレる!?
 ただ、トルコもここへきてテロが続発、一昨日もイスタンブールで自爆テロが起きているし、シリアや欧州の難民の問題が相次いだり、国内メディアへの弾圧とかいう話も聞こえてきて、政治的・社会的にかなり混乱してきているのではないか。関空に毎日1便来るTK定期便も、今後は不透明という気がします。

 夕方は完全に曇り空、明日の大阪は朝から雨模様、という予報。市営地下鉄今里筋線の駅を訪ね、夜は浜松へ移動します。

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 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


〔カシオペア〕定期最終列車が上野に着きました。一昨日の下りは福島県内で何やかやあったそうだが、ともあれ無事に帰って来れて何よりです。この後、青森発〔はまなす〕が青函トンネルを抜けると、津軽海峡線は、在来旅客線としては事実上終了になります。どうか最後まで事故のないように…。

《今日のニュースから》
20日 米オバマ大統領キューバ訪問 米現職大統領88年振り
21日 船橋オートレース 65年の歴史に幕 最終レース 永井大介優勝

 船橋オートは売り上げのピークが1990(H2)年の744億円だったが、2013(H25)年度はその1/7に落ちていたそうです。四半世紀足らずでそんなに落ちるものかと思いました。他の公益競技(競輪や競馬)も廃止が相次いでいて、どこも大変そうです。この最終開催には元SMAPの森且行も出場していたが、昨日のレースで落車、だって…。