№1497 まったり 東海・関西の旅 2.三重のナローめぐり
本当はこの日、近鉄電車で伊勢に行くつもりでした。ただ、本当は乗りたかった「しまかぜ」は早々に満席。それでも「つどい」は撮りたいなと思って(だから日曜日に休みをもらった)いました。サミット直前の伊勢志摩の雰囲気も見たかったし。
しかし、予報通り、曇天…。伊勢行はあきらめて、昨年日帰りで行って乗ったばかりだが、元近鉄のナロー路線、三岐鉄道北勢線と、四日市あすなろう鉄道に、今回は全線全区間乗りに行く事とします。三岐は、三岐線も加えました。
松阪行の近鉄急行。5200系含め6連。
伏屋駅の高架化は、下り線が完成していました。
快速みえに追いつくが、すぐに引き離されました。
今回はこの「1日乗り放題パス」を購入しました。北勢線・三岐線両方乗れます。
8時23分発の電車に乗って、阿下喜まで乗り通します。
大泉で、旧塗装復刻編成と交換。この電車は在良で7分、七和・大泉でも行き違いのための停車時間があり、阿下喜まで59分かかって、やはり時間かかるなあの印象は否めない。
阿下喜駅。ひな人形が作られているが、ペットボトルのキャップを利用しています。
交通広場の真向かいには、三交バスのターミナルがあります。しかし、今や桑名行が1時間に1本あるのみ。他の路線は皆なくなってしまいました。交通広場からは、三交の代替もあるだろう、員弁市コミュニティ「iバス」が発着するが、日曜日のこの日は運休。
駅の隣に、「軽便鉄道博物館」があります。第1・3日曜日オープンで、この日はオープン日、ミニ列車の事前の準備が行われていました。
ミニ列車はどこか調子が悪かったのかエンジンがかからなかったが、ベテランのおじさんが診たら一発で直りました。さすが。子供を含め、ボランティア数人がいます。
かつての近鉄ナロー路線の主力だったモニ220形(226号)。外板の塗装が剥がされていて、足場も組まれているから、補修工事に入っているようです。
阿下喜から戻る車内で、ミニ列車が動いているのを見ました。
かつての六把野駅の跡地。
旧塗装復刻の201Fの動力車、モハ277号。車内が一方向きシート、行先表示の大型化という改良点があります。
北勢線名物の「めがね鉄橋」「ねじれ鉄橋」を訪ねてみました。めがね鉄橋は楚原駅から徒歩15分弱。楚原方に向けて上り勾配になり、阿下喜から西桑名に向かう電車は、釣り掛け式のモーター音をめい一杯響かせます。
こちらはねじれ鉄橋。上を走る電車は、イオンモールのラッピング電車。
ねじれ鉄橋の袂に掲げられた、「土木学会選奨土木遺産」のプレート。
ねじれ鉄橋の近くには、ご丁寧にめがね鉄橋への案内板もあります(右手に小さく見えます)。
楚原駅近くのミニギャラリー。北勢線の絵も3枚あります。北勢線愛を感じます。
楚原神社。
楚原駅に近いいなべ総合学園は、今春のセンバツに出場します。
(初戦は24日の高松商業戦と決まった)
楚原から西桑名に戻り、近鉄電車に乗り継いで富田へ。次は三岐線です。
西藤原行1852F。富田方のMユニットは800形で、Tcとは台車が異なる所が相違点。
丹生川で交換したのは、西藤原方が元西武新101系の1881F。クハ1881は、クハ1851が事故廃車となったため代替で導入されたもので、前後で顔つきが違います(富田方MMユニットは元701系)。
伊勢治田駅構内の、貨物博物館。
伊勢治田を出たら、乗客は私と、ここに写っている人々、合計5人のみ…。
大分久しぶりに降り立った西藤原駅は、SLを模した駅舎になっています。
ホームには、西藤原駅前公園からも見物できる車両が展示されています。これは入換用で使われていたDB25。
そして、戦前製のE102号。
折り返して、保々駅構内。元西武401系の101系。
三岐らしく、貨物列車も運行されています。
富田に戻り、近鉄で四日市に向かうが、そのホームには「神戸」の2文字が。名古屋線でも見られるとは。
(「賢島」よりは「伊勢・志摩」とした方が良い気がする)
最後に、四日市あすなろう鉄道。新車両は、この日は八王子線運用に入っていました。
ここも久しぶりの西日野駅。駅舎は、表札以外は近鉄時代と変わらないか。ただ、ホームは何かしらの改修工事が行われています。
妻面の記号番号の表記には、四日市市のマークが描かれています。この鉄道は、車両も四日市市が保有し、あすなろう鉄道に貸与する形になっています。
ボランティア活動のおかげできれいになった、日永駅。
ここで内部行に乗り換え。
泊駅で、ママさんが娘さんにカメラを向けて、ハイチーズ。こういうシーン、いつまでも見られるといいな。
終点の内部駅。ここも近鉄時代と変わりなし。
内部駅から、笹川テニス場行の社会実験のバスが運行されているようです。廃業した鉄板焼きレストランの駐車場の跡地にバス停があります。
一般の三交バスは、四日市から来る平田町行と和無田行があるが、合わせても1~2時間に1本程度と少ない。
久しぶりに旧近鉄のナロー路線、それに三岐線を全線乗り通しました。どの路線も経営は厳しいが、少なくとも何とか今のお客さんを繋ぎ留めて、さらに増加につながる事が望まれます。
近鉄四日市駅構内の、伊勢志摩サミットのカウントダウン表示。一般のお客さんには何の関係もないのだけれど、のんびりしているなあ、日本。
大阪への移動、時間が押してきたので、やや安易だが特急を利用。最初は津からアーバンライナー利用のつもりだったが、一つ前の乙特急に間に合いました。15時59分発は、券売機の表示では空席が残り少なかった。
12410系の4連。思いの外短編成。
この編成は、1号車に喫煙ブースが設けられていました。
以前は喫煙車だった1号車の座席の背もたれには、こんな表記も。
関西は駅の喫煙コーナーも、整理統合されつつ残されているし、煙草に関しては、関東より未だ緩い?
大和八木で、後から来た賢島からのビスタEXを待ち合わせ。相互に乗り換えるお客さんが少なくなかったよう。
久しぶりに近鉄特急に乗って気になったのだが、この12410系は、車内放送が車掌の肉声による日本語のみ。大阪と名古屋の2大都市を結ぶ、あるいはサミットまでやる国際的観光地の伊勢・志摩などへ向かう特急のアナウンスが、日本語だけのままで良いのだろうか?
難波には、18時前に到着。この日はそのままホテルに向かいました。この晩から、3連泊します。
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《今日のニュースから》
16日 沖縄戦賠償訴訟 住民敗訴判決
17日 山陽道八本松トンネルで多重衝突事故 2人死亡 67人負傷
震災以降長らく原ノ町駅構内で留め置かれていた651系と415系が今日、郡山に向けて搬出されました。651系は当時の〔スーパーひたち〕折返し待ちの最中に震災にあったもので、「上野」の行先方向幕が名残を残しています。車体はかなり薄汚れていました。全車解体されるらしいが、クハ651の1両くらいは、鉄道博物館で保存できないでしょうか?民営化後のJR東日本初の特急車で、在来線で初めて130㎞/h運転を開始した事と、震災の「生き証人」という意味で。