№1501 まったり 東海・関西の旅 5.大阪の地下駅めぐり

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 関西の旅、続けます。
 しかし4日目は、朝からはっきり雨模様…。阪神なんば線(桜川は去年行きました)と、大阪市営地下鉄今里筋線の地下駅を訪ねます。

 3月 9日(水)

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 雨の中之島。

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 雨の福島天満宮。

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 その雨の中を、阿波座駅近くのホテルからJRの福島駅までわざわざ歩いて行ったのは、途中の京阪中之島駅で、19日の改正ダイヤの時刻表を入手するためでした。新ダイヤでは、日中の各駅停車は枚方市行と萱島行が交互に発着する事になります。平日の朝ラッシュ時に8000系が3回入ります。
 19日改正の大手私鉄(近鉄・京阪・阪急神戸線・阪神)の内、この日の時点では京阪と阪神は既に改正ダイヤの時刻表がありました。近鉄と阪急はまだでした。

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 福島でやってきた環状線内回りは「POWER LOOP」でした。正直私は知らなくて、なんだこれ?と思ったものです。

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 車内の「POWER LOOP」の説明書き。ラッシュ時でなければ、少しは内外の観察もできたかもしれないが。

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 西九条で待っていたゆめ咲(桜島)線の201系も、USJラッピング編成でした。左からスヌーピー、エルモ(セサミ・ストリート)、キティちゃん
 ここで阪神なんば線に乗り換えます。ずいぶん大回りしたもの。

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 西九条駅に到着する、近鉄の快速急行。5820系。

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 阪神の九条駅。この1番出入口から横断歩道を渡ると、地下鉄中央線の九条の高架駅です。
 九条からは、阪神なんば線でも地下鉄中央線でも、奈良県の生駒に行けます。

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 この駅の近く(NTTビルに入っている2番出入口の方が近い)、九条新道の傍らに立つ「大阪市電創業の地」の碑。

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 阪神なんば線でもう一か所、ドーム前駅。ドームやイオンモールに近いのは、この2番出入口。

 続いて、市営地下鉄今里筋線の駅です。全線乗った事はあるが、各駅を乗り降りした事はありませんでした。井高野から順に並べます。

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 井高野駅。団地の中の駅です。

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 瑞光四丁目駅。背後の高架線は東海道新幹線。

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 だいどう豊里駅。
 この先で淀川をくぐる。淀川より北側に行く大阪市営地下鉄は、御堂筋線と今里筋線の2路線のみ。

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 太子橋今市駅。谷町線乗換駅。この駅は守口市にあります。

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 清水駅。鶴見公園北車庫への連絡線が通じていて、井高野~清水間の区間運転が設定されています。日中は1編成が留置されています。

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 新森古市駅。

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 関目生育駅。左に京阪の関目駅が見えます。この駅はホームが上下で二層に分かれています。

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 蒲生四丁目駅。長堀鶴見緑地線乗換駅。

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 鴫野駅。JR学研都市(片町)線乗換駅で、後方に207系が見えます。

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 緑橋駅。中央線乗換駅。

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 最後に、今里駅。千日前線乗換駅。

 今里筋線は新しい路線だけに、各駅に共通する新しいデザインが見られます。
 外観では、ラインカラーのオレンジ色に覆われた門構えの出入り口が目を惹きます。
(ビルと一体の出入口を除く)
 駅の内部を、瑞光四丁目駅の例で見てみます。

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 エレベーターは基本的に、全ての出入口に併設されています。

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 エスカレーターは、一部の出入口にあります。下りがない所もあります。

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 券売機。

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 改札口はどこも、天井にはオーバル状の照明、出た所に方角を示すタイルがあります。

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 改札口の上には、通常ある発車案内表示装置の代わりに、列車の接近を表示するモニターがあります。

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 精算機。

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 改札内コンコース。壁面には、駅がある区(市)の花があしらわれています。瑞光四丁目(東淀川区)は「こぶし」。

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 ホームのエスカレーター。

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 ホームのエレベーター。基本的には同じ形態です。
(関目成育は、ホームの端に位置する)

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 ホームも、小さなモニターが設けられています。発車時刻は表示されず(井高野・今里を除く)、接近を表示します。

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 最後に、ホーム。今里筋線は最初から、ホームドアを採用しています。
 全体的な印象として、今里筋線の各駅は地下駐輪場を併設しているが、一部の駅の出入口では、駐輪場から先、駅への通路がやや目立たない感があった事と、ホームが狭くて小さいためか(リニア式で4連)、特にエスカレーターの配置には苦慮した駅もあるようで、エスカレーターでホームに降りると、電車の停止位置は背後、という駅も見られました。
 今里筋線は都心に乗り入れない外環状線的な性格を持つが、このままだと今後の伸び代はあるのかなとも感じました。さらに南の湯里六丁目(平野区)への延伸構想があり、先に改めて公表された「民営化プラン」でも引き続き記されているが、実現の可能性は、どの程度あるものでしょうか。

 駅を乗り降りする間も、雨が止む事はほとんどありませんでした。今里に着いた所で今日はギブアップ、最後の目的地、浜松へ向かう。一旦ホテルに戻ってバッグを引き取った後、あえて近鉄の大和西大寺を経由して京都に向かいました。

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 最初は在来線(関西本線も含めて)か近鉄の乗り継ぎも考えていたが、結局京都から、浜松停車の〔ひかり478号〕の利用となりました。岡山始発でもあり、さすがに窓際という訳にはいかなかった。自由席車は、華やかないでたちの旅行者が多いようでした。

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 京都で買っておいた「柿の葉寿司」を開きます。
 浜松までは1時間で着きました。浜松も雨。濡れ鼠になりそうになりながらホテルに向かいます。
 最終日は、昨年訪ねた天竜浜名湖鉄道の西半分の駅を訪ねます。徒歩もあると思うので、雨だけは勘弁してほしいなあ。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


 明日はいよいよ、北海道新幹線開業です!
(私は5月に乗る予定です)

《今日のニュースから》
24日 16年振りJRA女性騎手 浦和競馬で初勝利
25日 JR新宿「ミライナタワー」 開業

「バスタ新宿」も今日、報道陣に公開されました。39都府県へ、118の事業者が約1600便を運行する、との事。

№1500 ありがとうございます おかげさまで1500回

 当ブログは、おかげさまで更新1500回目を達成いたしました。
 いつもながら拙くて、見苦しい記事ばかり書いていますが、それでもおつきあいくださっている皆様には、心より御礼申し上げます。
 今後も、あくまで私自身の言葉で、日本の、世界の公共交通に着いて書いて行きます。
 今後も、よろしくお願いいたします。

 2013(H25)年8月7日の1000回達成時には、日本各地の「1000」と番号が付いた形式・系列の鉄道車両を並べてみました。
 今回も「1500」系(形)を並べてみたい…と思ったのだが、1500系(形)と付いた車両は思いの外少なく、手持ちの画像資料で見つかったのは、4社のみでした。
 これは特に大手の場合、千の位で系列を定めるケースが大半で、1500という番号は、1000系(など)を構成する形式の一つである場合が多い事にあると思います。
 例えば、京王で「1500」というと、井の頭線用の1000系を構成するサハ1500形(1・2次車のみ)、阪神なら、1000系の増結用2連の神戸方の制御車(正確には1501形)、という事になります。
 そんな中見つかった1500系(形)を並べてみます。

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京浜急行電鉄 1000形
 大手私鉄ではこれだけでした。

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由利高原鉄道 YR-1500形
 YR-1000形の改造車両。引退済み。

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能勢電鉄 1500系
 元阪急2100系。

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神戸電鉄 1500形
 ワンマン運転の予備車両。正式には、1000系シリーズの一員。

 また、正式に1500系(形)ではなくても、仕様の変更や改造などでそう呼ばれる事もある車両もあります。「1500番台」という位置づけでしょうか。

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小田急電鉄 1000形(1500番台)
 混雑緩和のため、1000形の客用ドアを2mの幅広タイプとした。後に開口部を狭める改造を行い、さらに4連は全て6連に改造した(なので、現在は1500番台の車両は存在しない)。

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東京急行電鉄 1000系(1500番台)
 日比谷線直通用に東横線に導入された8連を、直通運転終了・東横線撤退後に3連に短縮改造、池上線・多摩川線に転用した。7000系に準じた緑系のカラーに変わっている。

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江ノ島電鉄 1000形(1500番台)
 江ノ電で初のカルダン駆動を採用した。デビュー当初はオレンジ系の「サンライン号」、その後他車と同様の緑系となったが、後に一時デビュー時のカラーを復刻して走った。

 今回見つかったのは、ここまででした。過去にさかのぼればもっとあったかも知れません。

 今回は、1500回達成記念みたいなものは、特にありません。
 今のペースなら恐らく3年ちょっと後位には達成できそうな2000回の時には、記念企画を考えています。1000回の時と、やる事は同じになりそうですが。

 明日は大阪の旅行に戻ります。

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《今日見た・聞いた・思った事》
 また大規模なテロが起きてしまいました。しかも今回は空港と地下鉄、公共交通機関が狙われる事となりました。
 ブリュッセル空港というと、昨年からANAが定期就航を始めたばかり、昨日は既に成田を出発していたが、行先をデュッセルドルフに変更、今日から今月一杯ブリュッセル路線は全面的に欠航と発表しています。ANAの関係者は全員無事だったそうで何より。
(24・25日デュッセルドルフ→成田の臨時便を運航)
 しつこく繰り返すが、無論どこで起こしても許されるものではないが、まして大勢の人々が日常利用する公共交通を狙ったテロなど、私は絶対認めません。
 一方で、今後欧州などでは今後、市民による反テロの運動などが行われたりするのだろうが、昨年のパリの2件の大規模テロなども合わせて見ていると、正直意味があるのかとも思ってしまいます。これまで様々繰り返された一連の反テロ行動が、テロリストに対して何の圧力になっていないのは明らかなので。
 そもそも、「一致団結」と言われたって、昨今の難民対策を巡る政治的な混乱とか、市民の対立(特に難民排斥を掲げる右翼の台頭)とかを見ていると、どこか絵空事のようにも感じます。ベルギーに関しては、元々フランダースとワロン、2大言語圏の政治的対立がずっと以前から続いていて、その隙をテロ組織に突かれているのではないのかなあ、とも感じます。
 反テロの声を上げるのも良いが、それより前に皆が一度立ち止まって、なぜテロが繰り返されて、それを止める事が出来ていないのか、今我々がいる世界はどういう状況になっているのか、やっている事はこれでいいのか、もう一度冷静に考えるべき時ではないでしょうか。でないと、もっと凄惨な事態が発生する危険も、ないとは到底言いきれません。
 この一件は、2ヶ月後にサミットを控えた日本も、当然無関係ではないでしょう。会場から遠く離れた東京や大阪あたりの大都市も、厳戒態勢が敷かれる事になるのではないでしょうか。仕方ないと言えばないと思うが、今から憂鬱だなあ。

 ANAと言えば、昨日の国内線はホストコンピューターが4台全部止まって、ADO・SNA・SFJもひっくるめて大量の欠航が発生、各空港は大混乱していたようです。思うに、ANAって、コンピューター関係の大規模なトラブル、少なくないのではないですか?JALでは、少なくとも運航が長時間に渡って混乱するようなトラブルって、ほとんど聞かない気がするのだが。

《今日のニュースから》
22日 ジカ熱患者 韓国で初めて確認
23日 「同一労働 同一賃金」 検討会初会合

№1499 まったり 東海・関西の旅 4.尼崎市営バスと 福知山線事故現場

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 一昨日を持って、尼崎の市営バスは事業を終了、昨日から阪神バスの運行になっています。当面は市営バスのダイヤや制度(「ひまわり」バスなど)を維持して行くという事だが、5年後・10年後にはどうなっていくのでしょうか。
 3日目は、事業終了直前の尼崎市営バスを訪ねてきました。空模様が不安定だったが、ある程度撮影して、お別れ乗車もしてきています。
 また尼崎まで来たという事で、まもなく発生から11年になる福知山線脱線事故の現場の現状も見てきました。やや気が重かったのは事実だが、一度は行っておくべきだと思って。
(この後事故現場付近の画像を出します。あらかじめご承知おきください)

 3月 8日(火)

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 阪神の尼崎駅に並ぶ、快速急行。奈良行の阪神編成と、神戸三宮行の近鉄編成。

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 北口の市営バスターミナルに掲げられていた、尼崎市営バスの全線の路線図。

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 市営バスターミナル内のサービスセンター。オープンが9時とは、やや遅いのではないか?阪神バス転換後も変わっていないよう。
 撮影場所を探しつつ、北の方へ歩いて行くうちに、総合医療センターまで来ました。

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 尼崎交通事業振興のエアロスター。医療センターの玄関前に入る13-2番(尼崎市営バスは「系統」ではなく「番」)は交通事業振興の担当で、平日の日中30分間隔の運行(土休日は運休)。

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 JR尼崎駅からの50-3番は元々阪神バスの運行だが、市営バスと同じ扱いで、他の在来の阪神バスとは路線がつながっていません。ブルーリボンシティ・ハイブリッドが専用で運行されているようだったが、昨日からは旧市営バス車両で運行されている模様。

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 この医療センターは、尼崎市立尼崎工業高校の跡地に立てられました。この学校の前身、住友工業高校は、阪神タイガースのエースだった村山実氏の母校でした。その銅像が建てられています。医療センター建設の際に移動したそう。

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 同じ敷地に、市立尼崎工業高校の記念モニュメントが作られています。

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 記念碑。この学校は今月一杯で閉校になり、先んじて6日に卒業式と閉校式が行われました。記念碑の日付はその2016(H28)年3月6日になっています。

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 阪神尼崎駅まで、市営バスで戻る。一日乗車券は車内で購入できます。500円。市営バス・交通事業振興バスの他、阪神バスも先の50-3番のみ乗れます。

 一時青空が広がったものの、再び曇り空になりました。このタイミングで、福知山線の事故現場に行きます。
 阪神尼崎から市営バスなら22番(阪急園田または交通局行)に乗り、久々知で下車(他に阪急バス便あり)。道路を横断し、東へ歩いて行きます。

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 久々知踏切から見た、事故現場のマンション。JR西日本によって慰霊施設が整備される事になり、1月から工事が始まっています。全体がフェンスで囲まれていました。

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 フェンスに貼られていた、建築計画のお知らせ。
 具体的にどんな姿になるのか、想像図みたいなものはありませんでした。

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 マンションの反対側の、資材置き場として使用されると思われる敷地。
 ここは、1984(S59)年まで、尼崎港へ向かう福知山線の支線が走っていました。旅客営業は1981(S56)年まで行われたが、末期は塚口~尼崎港間が客車列車で1日2往復という、信じがたいダイヤでした。事故現場は尼崎港支線が分岐していた所で、マンションはその跡地に建てられていました。

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 その現場。近くの駐車場から撮影。付近は小規模な町工場が多かったようです。あの日の阿鼻叫喚の地獄絵図は、思い描けません…。

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 改めて、フェンス際にマンションを見る。遺族の方々だけが入れる献花台が奥にあるようで、入り口には警備員が立っていました。マンションの住人は既に全員退去しているようだが、マンション自体は慰霊の施設の一部として取り込まれるよう。

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 反対側の、線路際のフェンスからマンションを見る。マンションには、電車が激突した際にできたと思われるひびがあったり、外壁がはがれていたりしていたのを確認。

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 さらに離れて、塚口方から撮影。

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 実際にJRの塚口駅まで歩いて、電車に乗ってみました。この区間に乗るのは、事故後初めてです。
 塚口を出発すると、すぐに減速の指示のオレンジ色の標識が立っていました。80(㎞/h)・70・60と連続します。

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 ここから60㎞/h。現場から相当手前で、まだ高架橋も通過していません。

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 実際には高架橋の先、この地点から60㎞/h制限になる。相当気を遣っている事が伺えました。

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 車内から見た、電車が激突した事故現場。

 この後、川西池田まで戻って、改めて快速電車で見てみました。川西池田を出ると基本的には直線が長く、次の速度制限は事故現場付近になります。
 あくまで個人的で勝手な推測でしかないが、なまじ速度制限が現場までなかった事が、却ってアダとなったような気がしました。当時のJR西日本社内の陰惨な内部事情もあって、遅延の状況が運転手に重くのしかかり、少しでも遅れを回復させようと躍起になっていた。直前の伊丹ではオーバーランも起こしていて、よりメンタル面での負担がのしかかるうちに列車を減速させないまま事故現場に差し掛かり、「あっ、しまった!」と気づいた時点では、もはや手遅れ…。
 繰り返しになるが、以上はあくまで私自身の推測でしかありません。この点はご了解ください。
 ともあれ、こんな大惨事は二度と御免です。被害者はもちろん、「加害者」にも後々重いトラウマを残す、鉄道先進国のはずなのに100人以上も犠牲になるような事故は、少なくとも日本では、これを最後にしなければなりません。

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 前後してしまったが、事故現場からJR塚口駅に向かう途中の、交通局(塚口営業所)。
 阪神バス転換後も使用(バス停は塚口営業所と改称)。今日は展示即売会が行われた模様。
 バス事業は終わったが、「尼崎市交通局」という部局は、今月一杯は残るのか。

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 もう一つの事故現場。塚口から乗った福知山線電車を大阪まで乗り通して、梅田から川西能勢口(川西池田最寄り)まで阪急神戸線で移動したのだが、その際、阪急の梅田駅まで移動する際に撮影。先月末起きた、乗用車暴走事故の現場には、花束が山積みになっていました。

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 再び阪神の尼崎駅に戻って、市営バスを撮影。尼崎市キャラクター「あまっこ」ラッピング車。このキャラクターは、経年車を除く車両の座席にもプリントされています。

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 市営バスのバス停。太陽光発電。阪神バス転換を知らせる張り紙があります。

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 市営バスのターミナルは、JR・阪神・阪急の各駅に分散しています。阪急塚口駅。
 電車で一駅移動、武庫之荘から、北部へ向かう市営バスに乗ります。これでお別れ。

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 武庫営業所。住宅地の中にあり、塚口と比べるとやや小さい。「阪神バス武庫営業所」の表札が掲げられている。国道を宝塚へ北上する路線が昔からあるけれど、阪急電車よりさらに北のこの場所で「阪神バス」とは、違和感も感じないではない。

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 尼崎市の最北部、宮ノ北団地。歴史がある団地で、今年はちょうど50周年になるらしい。
 武庫之荘まで40番・41番があり、営業的には優良路線になっているらしい。ただ、鉄道の駅から遠いのだが、両系統とも1時間に2~3本は、やや少なく感じました。他に阪神尼崎へ行く43番もあり、1時間かかるらしい。

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 バス停の先のロータリーで折り返します。(バス専用ではない)。ここは尼崎市の北の果て、一歩どぶ川を踏み越すと、もう伊丹市です。
 ロータリーを折り返すこのエルガで、武庫之荘まで帰りました。これで、市営バスとはお別れです。

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 武庫之荘駅北口は18時に近くなり、帰宅のラッシュが始まっていました。市営バス乗場はどこも長蛇の列。
 今後阪神バスになっても、しばらくは車体裾の社名以外は、いつもと変わらぬ光景が見られる事になるのでしょう。市営バスであれ阪神バスであれ、どこでもいつまでも、この賑やかかつ穏やかな光景が続く事を願います。

 この日乗って、見た限りでは、阪神バスによる教習は特に行われていないようでした。武庫〔営〕は既に阪神バス委託になっていた訳だし。塚口〔営〕はどうしていたのだろうか。
 尼崎市というと、阪神沿線を中心とした臨海部の工業地帯をすぐに連想するが、お別れ乗車で乗った40・41番の路線の沿線は住宅地の中に畑が見られたりして、狭いようで広い市なんだなあと、改めて実感しました。特に阪急神戸線に「尼崎」と名のつく駅がなく、尼崎市内を走る事をあまり意識させられないので、よりそう感じられたのかも知れません。その尼崎市内のほぼ全域をネットしていた市営バス、他の事業終了の市営バス同様、もう少し早く訪れて、見て、乗っていれば、また理解が深まったのかも知れません。

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 最後に、阪急梅田駅構内の、ターキッシュ・エアウェイズ(TK)の広告。このキャッチコピーの意味が解る人は、年齢がバレる!?
 ただ、トルコもここへきてテロが続発、一昨日もイスタンブールで自爆テロが起きているし、シリアや欧州の難民の問題が相次いだり、国内メディアへの弾圧とかいう話も聞こえてきて、政治的・社会的にかなり混乱してきているのではないか。関空に毎日1便来るTK定期便も、今後は不透明という気がします。

 夕方は完全に曇り空、明日の大阪は朝から雨模様、という予報。市営地下鉄今里筋線の駅を訪ね、夜は浜松へ移動します。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


〔カシオペア〕定期最終列車が上野に着きました。一昨日の下りは福島県内で何やかやあったそうだが、ともあれ無事に帰って来れて何よりです。この後、青森発〔はまなす〕が青函トンネルを抜けると、津軽海峡線は、在来旅客線としては事実上終了になります。どうか最後まで事故のないように…。

《今日のニュースから》
20日 米オバマ大統領キューバ訪問 米現職大統領88年振り
21日 船橋オートレース 65年の歴史に幕 最終レース 永井大介優勝

 船橋オートは売り上げのピークが1990(H2)年の744億円だったが、2013(H25)年度はその1/7に落ちていたそうです。四半世紀足らずでそんなに落ちるものかと思いました。他の公益競技(競輪や競馬)も廃止が相次いでいて、どこも大変そうです。この最終開催には元SMAPの森且行も出場していたが、昨日のレースで落車、だって…。