久しぶりに「私鉄名車列伝」、やります。
今回は小田急のロマンスカー、50000形「VSE」です。
私鉄特急の最高峰の一つだが、気づけばデビューからもう10年以上経ちました。今でもロマンスカー一の人気を博しています。
50000形は、7代目ロマンスカーとして、小田急のフラッグシップの任を担うべく、2005(H17)年に就役した。小田急のみならず、日本の鉄道の特急車両としても最高峰の1つに上げられる。2006(H18)年ブルーリボン賞受賞。他、多数の賞を受賞している。
20世紀末~21世紀初頭のロマンスカーは輸送力増強の必要もあって、汎用的な用途に用いられる30000形「EXE」の増備が続けられてきたが、観光輸送に特化したアコモデーション、特にロマンスカー伝統の展望席を設置したハイグレードな車両が望まれ、箱根特急専用車両として開発された。
著名な建築家をデザイナーに迎え、車内は全体的に、2,550㎜の高いドーム状の天井も持つ事から、
「VSE」(=Vault Super Express)
の愛称を与えられている。
10車体の連接構造となり、M5-M6間を中心に点対称に編成が組成されている。車体はアルミ製、展望室はシングルスキン、他はダブルスキン構造となっていて、シルキーホワイトに、ロマンスカー伝統のオレンジの帯をまく。展望席と運転席に大型曲面ガラスを使用した前頭部は、ドイツの高速列車を髣髴させる。
アンクルチルドリクライニング機構を採用した座席のピッチは中間車1,050㎜・先頭車1,010㎜・展望室1,150㎜に拡大され、全体の定員は358名(含む「サルーン」)と、HiSE(432名)の82.8%に抑えられている。展望席は16席設けられ、12席は向かい合わせにして、ラウンジ風にする事ができる。オレンジ系統の一般席は窓側に5度向けた点が目新しく、通路側からも展望をより楽しめるようになった。床面にはグレー系のカーペットを敷いている。
M3・M8にはVSEのもうひとつの魅力、「ロマンスカーカフェ」が設置され、オーダーエントリー方式のシートデリバリサービスの基点となっているほか、弁当やおつまみ、デザート、記念品などを販売して、カフェコーナーとして利用できる。隣接して、M8(3号車)には4人掛けコンパート「サルーン」、M3(8号車)にはバリアフリー対応の一般席を設けているほか、両車両には「ゆったりトイレ」・洗面所・喫煙ブースを集中して配置している。デッキ部仕切りには液晶モニター「情報パネル」が設けられ、TVOS(Train Vision Odakyu System)を使用して列車や観光案内などを4ヶ国語で提供する他、運転席から前方の映像も適宜放映される。「VSE」ロゴマークも、両車両の側面に大きく描かれている。床はフローリング。
制御方式はIGBT素子のVVVF制御で、台車単位で8M3Tとなった。135kwの密閉式モーターに加えて床下全体をカバーで覆い、騒音防止を図っている。連接車体と、通常より約1m高い空気ばね(連接部の中央部分に見える)方式により、最大2度の車体傾斜制御が実現した。設定最高速度130㎞/hは、ロマンスカー史上最速である。2階の運転台はマスコンを左側に配置、メーター類は液晶画面2面にデジタル表示とした。
2編成が日本車両で製造され、2005(H17)年3月19日より営業運転を開始した。一部の例外的運用を除き、「スーパーはこね」「はこね」に専用されている。なおVSEは当初から客室完全禁煙だったが、2008(H20)年のロマンスカー完全禁煙実施に伴い、喫煙コーナーはフリースペースに転用された。同時期にM8デッキ部にAEDを設置した。2014(H26)年12月には無料Wi-Fiサービスを開始している。
運行開始当初、小田急が作成したVSE運行開始時の、予約開始告知のチラシ。
裏面には当時のVSE運用の時刻が記されています。新宿~箱根湯本間最大6往復は今も変わらないが、平日は5往復だった他、ノンストップの〔スーパーはこね〕が、当時は土休日下り3本・下り2本、平日下り2本設定されていました。
(現行ダイヤは土休日2往復、平日は下り1本のみ)
〔はこね〕は、本厚木は通過でした。
既に何度か記している通り、VSEの「売り」だったはずのシートサービスは、次回3月26日のダイヤ改正時により、他のロマンスカー同様のワゴンサービスに転換される事になっています。
私が見聞きする限りでは、小田急のダイヤ改正のリリースの末文に記されているだけで、具体的な理由などを記した文献などは見当たりません。だから想像だけでしかないが、〔スーパーはこね〕の本数が減り、〔はこね〕の停車駅が増えているので(次回改正からは、本厚木または海老名のどちらかに停車する)、シートサービスがやりにくくなっているのかも知れません。ただ、ロマンスカーは車両そのもののハード面だけでなく、シートサービスのようなソフト面も売りで、これがVSEデビューが待望された理由の一つでもあったと思います。なので、やや残念という感はあります。「ロマンスカーカフェ」は残るのだが。
VSE自体、2編成がデビューした後、あとが続きませんでした。私は勝手に、この後も増備が続いて、HiSEだけでなく、LSEも全部置き換えていくのだろうと思っていたのだが。コストの問題もあるだろうが、デビュー直後に発生した、JR福知山線の大惨事が影響していると見ています。無論あんな事は二度と起きてはいけないが、万が一あのような事が起きると、展望席のお客さんが真っ先に危険にさらされる事になるので。
(現にJR北海道の「クリスタルエクスプレス」は、踏切事故を契機に展望室を閉鎖している)
といって、LSE7000形はデビューから35年以上、小田急全体でも最古参の状況では、看板列車でもあればいつまでもこのままとはいかず、早期の置き換えも望まれる状況にあるかと思います。展望席がロマンスカーに不可欠なら、名鉄「パノラマスーパー」のような、運転室と展望席を上下入れ換えた構造も、考えられなくはないが、ロマンスカーの長年のファンからはどう受け止められるか、小型車体の連接構造で可能なのか、という問題もあるでしょう。
この数年、ロマンスカーの増備はMSEのみ続いています。この状況はなんとなく、EXEがNSEを次々に置き換えて行った20年前と似ている気がします。あの時は箱根の観光が伸び悩んだ一方、会社帰りや買い物客の利用など、ロマンスカーの利用が多角化していた事が理由でした。秦野や大和への新規停車があったのも、次回改正で海老名・伊勢原に新規停車するのと似ています。
とはいえ箱根が小田急グループを支える大観光地である事は変わらず、現在は観光の訪問も安定しているし(大涌谷は懸念だが)、まして外国人の訪問が増えているので、20年前と全く同じではない。となると、MSEと共に、次世代のフラッグシップとなるべきロマンスカーのデビューが、そろそろ望まれるのではないかと思います。10年経ってしまったから今更VSEの増備ともいかないだろうし。多くの観光客やファンを唸らせる、新ロマンスカーのデビューを待望したいと思います。
今回の記事は
「鉄道ピクトリアル2006年10月臨時増刊号 鉄道車両年鑑2005年版」(鉄道図書刊行会)
「鉄道ピクトリアル2010年1月臨時増刊号 【特集】小田急電鉄」(鉄道図書刊行会)
「小田急電鉄完全データ DVDBOOK」(メディアックス)
「小田急電鉄の世界」(交通新聞社) 等
を参考にさせて頂きました。
次回は東急田園都市線の2000系です。
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《今日のニュースから》
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№1486 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 14.京王高尾線 高尾山口駅
№1473では、大規模リニューアルオープンした京王高尾線の終点・高尾山口駅について書きました。文字通り高尾山への玄関口で、シーズン中は大勢の観光客で賑わいます。最近は京王もさらに観光客誘致に力を入れるようになりました。「極楽湯」のオープンはその最もなるものでしょう。
今回は高尾山口駅の過去の時刻表の中から主要なものをピックアップして、高尾線を中心に京王のダイヤを振り返ってみます。
(京王は「改正」ではなく「改定」と称するが、ここでは「改正」で統一)
1992(H4)年5月28日改正
手持ちの高尾山口駅の時刻表の中で、一番古いものです。京王線はこの改正で、土曜日のダイヤは休日と同じとなりました。
当時の京王の土休日はシーズンダイヤとオフダイヤの2本立て、4・5月と10・11月の休日(土曜は適用しない)がシーズンダイヤで運行されていました。
日中の京王線は基本的に20分サイクルで、これは今も変わりません。当時は特急が新宿~京王八王子間と、この改正で新設になった新宿~橋本間、急行が新宿~高尾山口間、快速が本八幡~橋本間、各駅停車は新宿~京王八王子・高尾山口・橋本間と、平日は急行に接続する北野~京王八王子間、土休日は新宿~京王八王子・橋本間、調布~高尾山口間の運行でした。
(この他、東京競馬開催日に新宿~府中競馬正門前間に直通急行を運行)
シーズンダイヤでは、京王八王子発着の特急が高幡不動で分割し、6連が高尾山口、4連が京王八王子の発着で運行。8000系が運用されていました。
平日の朝方ラッシュ時は特急はほとんど走らず、下りは新宿発7時33分の後は8時39分までなく、上りの京王八王子発は8時28分になってから。主力は急行と通勤快速でした。
高尾線は、基本的には急行:各駅停車が1:1。平日の夕方は急行の代わりに通勤快速を運行。各駅停車は北野折返しとなり、新宿からでは、通勤快速以外は特急→(府中)→各駅停車→(北野)→各駅停車と2回の乗り換えが必要でした。
1997年(H9)12月24日改正
基本的にはパターンは変わらないが、土休日の各駅停車は、調布折返しが京王八王子発着となり、高尾線は北野折返しで接続のパターンに変わりました。
2001(H13)年3月27日改正
ダイヤ体系が大きく変わった改正になりました。
準特急を新設。当時の停車駅は特急+分倍河原・北野。日中は急行を置き換える形で新宿~高尾山口間、新たに夕方にも新宿~京王八王子間に設定されました。
一方で相模原線の特急は急行に変更。相模原線は、一旦特急が消える事になりました。調布で特急⇔急行・準特急⇔快速が相互に接続する形態になりました。快速は八幡山・仙川に新規停車。日中の急行は新宿線直通になり、新宿線内も急行運転。
各駅停車は、新宿~調布間は平日も10分間隔運転。2本に1本は高幡不動で分断。高尾線と相模原線は共に、日中は線内折り返し運転に変更。
高尾線の平日夕方は全列車各駅停車になり、2本に1本は高幡不動発着となって、特急と接続。北野折返しは準特急と接続する形態になりました。
土休日の早朝には、都営新宿線本八幡から直通の急行1本が新規設定されました。
シーズンダイヤは6月・9月にも拡大され、土曜日も適用になりました。ただし、13~14時台の高尾線特急は取り止め。競馬急行も、レース終了間際からの上りのみに縮小(代替で特急・準特急が東府中に臨時停車)。
2003(H15)年12月1日改正
平日と土休日オフダイヤの高幡不動~京王八王子間各駅停車を高尾山口発着に変更。特急と高尾線の乗り換えが1回になりました。
土休日シーズンダイヤは北野折返しで変わらないが、上りは北野での接続を改善、高幡不動での接続が1本前の特急になり、新宿着が10分早くなりました。
朝ラッシュ時の通勤快速の一部が急行に格上げになりました。ただし高尾線は逆に若干削減になっています。
この改正で、初めて高尾を始発とする上り各駅停車が、朝ラッシュ時に設定になりました。
2006(H18)年9月1日改正
高尾線が大きく様変わりした改正になりました。
シーズンダイヤが廃止になりました。
夕ラッシュ時と土休日の大半の特急が準特急に変更、土休日の特急は下り2本・上り3本のみになりました。
高尾線は土休日のみ、準特急が線内各駅停車になりました。新宿~北野間準特急と北野~高尾山口間各駅停車が、列車番号を変えつつ直通運転する形態になっています。土休日は高尾線内各駅が約10分間隔の停車となり、現在まで続いています。
土休日の本八幡発急行が1本増発になりました。2本とも東京都編成となり、高尾線には定期ダイヤでは初入線です。
この他では相模原線の急行・快速の大半が10連となりました。当時は都営編成には10連はなく、京王編成が直通の大半を占める事となり、変わって相模原線内各駅停車のほとんどが東京都編成で運用されるようになりました。土休日は高尾山口に来た2編成が、共に回送で相模原線に向かいます。
なお、調布周辺の地下化工事の進捗のため所要時間の見直しを行い、新宿~京王八王子間は特急で34→37分に延びています。
2010(H22)年3月のダイヤ修正では、相模原線へのATC導入に対応、快速及び東京都編成で運用されていた各駅停車を10連に増強。
翌2011(H23)年3月のダイヤ修正では、早朝に上り準特急3本を新規設定した他、本線へのATCの導入に対応しました。
直後に発生した東日本大震災直後の節電ダイヤでは、平日日中の相模原線・高尾線内各駅停車が運休になり、高尾線の準特急は高幡不動~高尾山口間、相模原線急行は相模原線内をそれぞれ各駅停車に変更して対応。早朝の準特急1本が増発になりました。早朝の準特急の設定は、この後の京王線ダイヤの基本になります。
2012(H24)年8月19日
調布付近の地下線が完成しました。
暫定的な改正を行い、特急は全て準特急となりました。一時的とはいえ、大手私鉄から特急がなくなるのは異例。
高尾山口発は、土休日はこれだけ見ると、急行系は6時台の急行1本のみ。
この時点で既に、翌2013(H25)年の抜本的なダイヤ改正が予告されていました。
2013(H25)年2月22日改正
本格的な改正は、約6年半振り。
特急が分倍河原・北野に停車し、準特急と1本化。相模原線も特急が再設定されました。
準特急は高尾線内各駅停車となり、特急との違いは高尾線内が各駅停車か否かという事になりました。土休日も新宿~高尾山口間で準特急に1本化されています。平日は特急として運行。準特急は上り早朝の高尾山口発1本のみ。
快速は調布以西が各駅停車になりました。夕ラッシュ時の高尾線は各駅停車を快速に変更して運行。ただし2本に1本はつつじヶ丘折返し。下りは調布始発の各駅停車で、地下化で調布での折返しができなくなったので、つつじヶ丘での回送折返しを旅客扱いにしている、という所でしょう。
(つつじヶ丘で各駅停車に接続)
夕ラッシュ時の調布以西は、京王八王子発着の特急・高尾山口発着の快速・各駅停車の2本立て。
通勤快速は区間急行に変更して運転時間帯を日中にも拡大。
2015(H27)年9月25日改正
昨年9月より使用されている、現行ダイヤです。
準特急が笹塚・千歳烏山に新規停車。日中の特急の3本に2本、橋本発着と、平日は京王八王子発着が変更に準特急に変更されています。新宿~調布間は平日・土休日とも、特急:準特急=1:2。
早朝の特急・準特急が大幅に増発、4時台から設定があります。高尾線の初発が繰り上がり、北野で新宿行準特急(高幡不動まで各駅停車)に乗り換えると、新宿には6時03分に着きます。高尾山口始発5時台の準特急も2本設定されました。
平日夕方の新宿行快速が新宿線直通に変更、東京都編成も運用されています。
平日日中の各駅停車の2本に1本は高幡不動で分断、高幡不動~高尾山口間は7000系6連で運用されています。2006年改正で廃止されて以来です。
(震災直後の節電ダイヤで運用された実績がある)
以上、本当に簡単ながら、高尾山口駅の時刻表から京王線のダイヤを振り返ってみました。本当はもっと色々トピックスもあったと思うが、全部は書ききれなかったはずだと思います。
高尾線を中心に記したものの、全体的にあっち行ったりこっち行ったりと、とっ散らかった記述になってしまいました。ただ、京王線はその路線の形態から、特に高尾線及び相模原線への直通運転も相当考慮せざるを得ず、中間駅の利便性を確保しつつ、両線への急行系の直通運転や、北野(または高幡不動)及び調布での接続の確保に苦心しているだろう事が、今回ダイヤを振り返って強く感じました。
高尾線に限ると、種別や途中駅の停車(土休日)を除けば、2006(H18)年改正までのシーズンダイヤ以外は、急行系+各駅停車=1:1の形態が現在まで維持されています。線内には特にこのパターンを変えるべき要素がなく、このダイヤ形態がしばらくは維持され続けるのではないでしょうか。
全車指定席特急を期待する声もあるようだが、最長の新宿~高尾山口間で44.7㎞と短距離の鉄道なので、有料の列車をある程度の本数走らせるにはやや不向きではないか。「TJライナー」程度のレベルなら可能性があるかも知れないが。
高尾山口駅は、通勤通学の利用はそれ程多くはないはずだから、今後もいかに観光・行楽の利用を取り込んでいくかが、課題であり続けるでしょう。その点も考慮して、沿線外の利用者にも(特に外国人)解りやすいダイヤの構築に今後も務めて欲しいと願います。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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《今日のニュースから》
19日 ジャンプ女子W杯 高梨沙羅が3度目の総合優勝
20日 宮城県東松山市宮戸小学校 人口減で閉校式
学校がある宮戸島は、震災後人口が半分に減ってしまったそうです。3月11日まで1ヶ月弱となり、震災・原発事故関連の報道が目立つようになってきました。
№1485 思い出の海外旅行クロニクル 21.2003年デンマーク 7<終>
足かけ2ヶ月かかってしまった2003(H15)年5月のデンマーク旅行、今回は後半にノルウェーも加えた実質2部構成になったが、最終回はデンマークの鉄道の印象、デンマークそのもののパーソナルデータを記して、完結とします。
デンマークの基幹鉄道事業者、デンマーク国鉄(DSB=Danske Statsbaner)のシンボルマーク。
今回、この場でご覧頂く車両はこの1枚だけになりました。旧型プッシュプルトレイン近郊列車の先頭車。日本の485系のような高運転台タイプだが、貫通型ではありません。
ここではコペンハーゲン中央駅と、オーフス駅の写真をご覧頂きます。
コペンハーゲン中央駅は、スルー形態の線路・ホームの上に大きな駅舎が建つスタイル。
駅舎の案内図。ホームは6面もあります。
出入り口に近いあたり。
近距離路線用の券売機。
駅舎内の、ドーム状のコンコース。多数のエキナカが並んで賑やかです。
コンコースの飲食店。
両替商。
乗車券販売カウンター。番号札方式を採っています。
駅を発着する列車の、出発到着案内モニター。上段のTok ankomstが出発、下段のTok afgangが到着。
ホームにも飲食店があります。
ホーム毎のモニター。
ホームは、西側は露天になっています。跨線橋からも直接ホームへ出入りできます。
もう一か所、ユトランド半島のオーフス駅。
コンコース。シャンデリアが印象的。
乗車券販売カウンター。ここも番号札方式です。北欧の大きな駅はどこでもそうです。
ホーム。
最後に、今回の旅で使用した、スカンレイルパス。2ヶ月の間の10日間利用できるフレキシータイプ。日本で購入、302USDは、当時のレートで約35,600円。1年前と比較して、円高もあってやや安くなっていました。
以上、デンマーク(+ノルウェー)の鉄道の旅について書いてきました。
それ以前に周った分もひっくるめて、デンマークの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。
1.列車の種別は、インターシティ・リュントーク(IC Lyn=快速特急?)、インターシティ(IC=特急格)とレギオナル(Re=普通)が主で、一部の区間・曜日にインターレギオ(IR=急行格)が設定されている。 コペンハーゲン近郊には近郊列車Sトーク(S Tog)が設定されている。
2.基本的にはパターンダイヤになっていて、発車時分が揃えられて解りやすい。ユトランド半島ではReの設定がなく、IC編成がローカル輸送も担っている。
3.土曜・休日は本数が大幅に減り、私鉄や民営委託路線では平日の1/2~1/3程度になる。平日も18時台以降は設定本数が減る傾向にある。
4.海底トンネルやオアスン海峡新線の開通で電化率は上がったが、他国に比べると低め、車両の中心はDCになり、小単位編成のユニットを適宜増結して運用する。電化区間ではECも使われ、ICではDCとの協調運転も行われる。欧州では珍しく動力分散方式の車両が中心になり、客車はコペンハーゲン近郊のReで見られるのみ。自転車の積み込みが多く、車椅子・乳母車の置き場を兼ねたスペースがほとんどの編成で確保されている。
5.目だった山が皆無の国土のため、急勾配や山岳トンネルはない。線形が良好で、主要な幹線ではDCでも180㎞/h運転が行われる。
6.駅の数は、本線は少なく、支線は割と多い。小駅では駅舎がないか、他の用途(個人の民家や事務所)などに転用されているケースが目立つ。地域毎にゾーン制運賃が採用され、どの駅にもたいてい、自動券売機が設けられている。ホームと同一平面でバス乗場が整備されている駅が多い。
7.運転部門の合理化が進んでいるようで、ローカル列車はほとんどがワンマン運転、駅も列車の発着時に運転の職員が出てくる、という事がない。
8.オアスン海峡新線の開通により、スウェーデン南西部と直通のフリークエントサービスが始まっている。本格的な国際列車はドイツ行が設定されている。。
9.私鉄がフュン島以外の各地で運行されている。また、DSBの一部路線が第3セクターに移管されている。車両の基本的な設計はDSBと同じ。コペンハーゲンでは地下鉄「メトロ」が開通した。」
10.首都コペンハーゲンから主要都市までの運賃(2等車)
カストラップ空港 11㎞ 22.5DDK(≒410円)
ヘルシンオア 46㎞ 52.5DDK(970≒円)
オデンセ 160㎞ 197DDK(≒3,640円)
オーフス 329㎞ 273DDK(≒5,050円)
オールボー 469㎞ 304DKK(≒5,620円)
フレデリクスハウン 554㎞ 315DKK(≒5,830円)
※1DKK≒18.5円で計算
最後に、デンマークそのもののパーソナルデータを記しておきます。。
(帰国日の2003(H15)年5月20日現在)
正式国名 デンマーク王国 Kingdom of Denmark
面積 約43,090平方㎞ (本土のみ、フェロー諸島とグリーンランドは含まない 九州とほぼ同じ)
人口 約535万人
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 マルグレーテ2世女王
政治指導者 アナス・フォー・ラスムセン首相(ヴェンスタ)
※後のNATO事務総長 現在はラース・ロッケ・ラスムセン首相(保守党)
首都 コペンハーゲン(人口約50万人 2002年推定)
国連 加盟(1945(S20)年) 創設メンバー
EU(EC) 加盟(1973(S48)年)
NATO 加盟(1949(S24)年)
ユーロ 未導入 (通貨=デンマーク・クローネ(DDK) 1NOK≒18.5円)
言語 デンマーク語・英語
主な観光地 コペンハーゲン市内・リーベ・オデンセなど
日本からのアクセス コペンハーゲン・カストラップ空港へ、成田空港からSKが1日1便。
今回は比較的小国だったため、かなりあちらこちらへ行きつ戻りつの旅になり、無理に夜行を組み込んだりしたので、やや慌ただしくなった感もありました。また後半はノルウェーの旅も数日組み込んだため、少しばかし印象がぼけた感もあったかも知れません。
ただ、ノルウェーを組み込んだ事で、逆にデンマークの国土が他の北欧諸国とはかなり違う事も実感できました。ダイナミックな車窓はないけれど、とことん美しい田園風景を楽しむには良いのではないでしょうか。鉄道も一部ローカル線を除けば本数も少なくはなく、安心して利用できると思います。
それにしても欧州全体に暗い影を落とす難民問題はデンマークも例外ではなく、「クロニクル」中断中の1月後半には難民から財産を没収できる法案が可決されたりして、雲行きが怪しくなってきているようです。右翼の台頭も見過ごせなくなってきました。国がどういう方向に行くのかは彼の地の人々が決める事ではあるけれど、どうかこの先何も事が起こらず、穏やかに旅を楽しめる国であって欲しいと、強く願います。
つぎの「クロニクル」は2003(H15)年11月のハンガリー。ユーレイルパス通用17ヶ国中唯一の旧共産圏です。ただ公開は早くても4月、下手すると夏になるかも知れません。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
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《今日見た・聞いた・思った事》
日米航空交渉が合意しました。
日米間の航空路線は過去にも以遠権(相手国から第三国へ運航する権利)とか、オープンスカイとかでもめにもめた歴史がありました。それだけこの路線が、航空会社にとってはオイシイものだという事も言えるのだが。
今回は羽田の日中枠(6~23時)の発着枠を巡るもので、日米双方とも日中枠5便・早朝深夜枠1便を配分するというものです。合計で12便となり、トータルでは2便増です。
特に東海岸路線の充実が期待されているようです。№1443でも書いたが、特に日本→東海岸路線は時差と所要時間の関係で日本発・米着の時刻がほぼ同じになり、深夜早朝枠ではどちらかの時刻が悪くなってしまうのです。一度深夜早朝枠でAAのニューヨーク線が就航しながら短期間で終わってしまったのも、羽田発が6時台だったため、国内の集客がうまくいかなかったのが要因と思われます。
今後は秋頃とされる就航に向けて、それぞれの国内で配分・路線決定など様々動きが起こる事になります。日本側は、既に成田発着でダブルデイリーになっているANA・JALのNY線、ANAのシカゴ線の内1便ずつが羽田シフトとなると思われます。特にANAのNY発103便、シカゴ発113便は最近増便されたものだが、どちらも成田着が20時過ぎと北米路線にしてはかなり遅く、最初から羽田シフトを目論んだダイヤではないかと思われるのです。残りの3便はどうなるかはちょっと想像がつかないです。深夜枠の扱いもあるし。
米側は単純に考えたらUA・AA・DLに2便ずつ配分かと思われるが、日中枠5便は、ひょっとしたら日本側にパートナーがいないDLに優先的に配分されるのではないか?DLは早朝深夜枠でLA路線があるが、これを昼間にシフトした上で、さらに2便位どこかへ就航させる事になるのではないか。後はUAとAAが昼間は1便ずつとなるのか。AAはNY路線の再開が予想されます。
以上は全て私の勝手な予想なので、違った結果になったらゴメンナサイ。いずれにしろ、今後の関係各社の動きには要注目です。
《今日のニュースから》
17日 天体観測衛星「アストロH」打ち上げ成功 「ひとみ」と命名
18日 石岡駅構内で旧日本軍砲弾発見 JR常磐線一時運転見合わせ
常磐線については駅のモニターで見たが、あれ、今日不発弾処理の予定ってあったっけ?と思いました。普通なら休日の午前中位に行うものだし、鉄道が止まるなら、事前に大掛かりな予告があるはずなので(特に常磐線は全車指定席の特急が頻発しているのだから)。
デンマークの基幹鉄道事業者、デンマーク国鉄(DSB=Danske Statsbaner)のシンボルマーク。
今回、この場でご覧頂く車両はこの1枚だけになりました。旧型プッシュプルトレイン近郊列車の先頭車。日本の485系のような高運転台タイプだが、貫通型ではありません。
ここではコペンハーゲン中央駅と、オーフス駅の写真をご覧頂きます。
コペンハーゲン中央駅は、スルー形態の線路・ホームの上に大きな駅舎が建つスタイル。
駅舎の案内図。ホームは6面もあります。
出入り口に近いあたり。
近距離路線用の券売機。
駅舎内の、ドーム状のコンコース。多数のエキナカが並んで賑やかです。
コンコースの飲食店。
両替商。
乗車券販売カウンター。番号札方式を採っています。
駅を発着する列車の、出発到着案内モニター。上段のTok ankomstが出発、下段のTok afgangが到着。
ホームにも飲食店があります。
ホーム毎のモニター。
ホームは、西側は露天になっています。跨線橋からも直接ホームへ出入りできます。
もう一か所、ユトランド半島のオーフス駅。
コンコース。シャンデリアが印象的。
乗車券販売カウンター。ここも番号札方式です。北欧の大きな駅はどこでもそうです。
ホーム。
最後に、今回の旅で使用した、スカンレイルパス。2ヶ月の間の10日間利用できるフレキシータイプ。日本で購入、302USDは、当時のレートで約35,600円。1年前と比較して、円高もあってやや安くなっていました。
以上、デンマーク(+ノルウェー)の鉄道の旅について書いてきました。
それ以前に周った分もひっくるめて、デンマークの鉄道について気付いた事、感じた事を簡単に記してみます。
1.列車の種別は、インターシティ・リュントーク(IC Lyn=快速特急?)、インターシティ(IC=特急格)とレギオナル(Re=普通)が主で、一部の区間・曜日にインターレギオ(IR=急行格)が設定されている。 コペンハーゲン近郊には近郊列車Sトーク(S Tog)が設定されている。
2.基本的にはパターンダイヤになっていて、発車時分が揃えられて解りやすい。ユトランド半島ではReの設定がなく、IC編成がローカル輸送も担っている。
3.土曜・休日は本数が大幅に減り、私鉄や民営委託路線では平日の1/2~1/3程度になる。平日も18時台以降は設定本数が減る傾向にある。
4.海底トンネルやオアスン海峡新線の開通で電化率は上がったが、他国に比べると低め、車両の中心はDCになり、小単位編成のユニットを適宜増結して運用する。電化区間ではECも使われ、ICではDCとの協調運転も行われる。欧州では珍しく動力分散方式の車両が中心になり、客車はコペンハーゲン近郊のReで見られるのみ。自転車の積み込みが多く、車椅子・乳母車の置き場を兼ねたスペースがほとんどの編成で確保されている。
5.目だった山が皆無の国土のため、急勾配や山岳トンネルはない。線形が良好で、主要な幹線ではDCでも180㎞/h運転が行われる。
6.駅の数は、本線は少なく、支線は割と多い。小駅では駅舎がないか、他の用途(個人の民家や事務所)などに転用されているケースが目立つ。地域毎にゾーン制運賃が採用され、どの駅にもたいてい、自動券売機が設けられている。ホームと同一平面でバス乗場が整備されている駅が多い。
7.運転部門の合理化が進んでいるようで、ローカル列車はほとんどがワンマン運転、駅も列車の発着時に運転の職員が出てくる、という事がない。
8.オアスン海峡新線の開通により、スウェーデン南西部と直通のフリークエントサービスが始まっている。本格的な国際列車はドイツ行が設定されている。。
9.私鉄がフュン島以外の各地で運行されている。また、DSBの一部路線が第3セクターに移管されている。車両の基本的な設計はDSBと同じ。コペンハーゲンでは地下鉄「メトロ」が開通した。」
10.首都コペンハーゲンから主要都市までの運賃(2等車)
カストラップ空港 11㎞ 22.5DDK(≒410円)
ヘルシンオア 46㎞ 52.5DDK(970≒円)
オデンセ 160㎞ 197DDK(≒3,640円)
オーフス 329㎞ 273DDK(≒5,050円)
オールボー 469㎞ 304DKK(≒5,620円)
フレデリクスハウン 554㎞ 315DKK(≒5,830円)
※1DKK≒18.5円で計算
最後に、デンマークそのもののパーソナルデータを記しておきます。。
(帰国日の2003(H15)年5月20日現在)
正式国名 デンマーク王国 Kingdom of Denmark
面積 約43,090平方㎞ (本土のみ、フェロー諸島とグリーンランドは含まない 九州とほぼ同じ)
人口 約535万人
政治体制 立憲君主制 議員内閣制
国家元首 マルグレーテ2世女王
政治指導者 アナス・フォー・ラスムセン首相(ヴェンスタ)
※後のNATO事務総長 現在はラース・ロッケ・ラスムセン首相(保守党)
首都 コペンハーゲン(人口約50万人 2002年推定)
国連 加盟(1945(S20)年) 創設メンバー
EU(EC) 加盟(1973(S48)年)
NATO 加盟(1949(S24)年)
ユーロ 未導入 (通貨=デンマーク・クローネ(DDK) 1NOK≒18.5円)
言語 デンマーク語・英語
主な観光地 コペンハーゲン市内・リーベ・オデンセなど
日本からのアクセス コペンハーゲン・カストラップ空港へ、成田空港からSKが1日1便。
今回は比較的小国だったため、かなりあちらこちらへ行きつ戻りつの旅になり、無理に夜行を組み込んだりしたので、やや慌ただしくなった感もありました。また後半はノルウェーの旅も数日組み込んだため、少しばかし印象がぼけた感もあったかも知れません。
ただ、ノルウェーを組み込んだ事で、逆にデンマークの国土が他の北欧諸国とはかなり違う事も実感できました。ダイナミックな車窓はないけれど、とことん美しい田園風景を楽しむには良いのではないでしょうか。鉄道も一部ローカル線を除けば本数も少なくはなく、安心して利用できると思います。
それにしても欧州全体に暗い影を落とす難民問題はデンマークも例外ではなく、「クロニクル」中断中の1月後半には難民から財産を没収できる法案が可決されたりして、雲行きが怪しくなってきているようです。右翼の台頭も見過ごせなくなってきました。国がどういう方向に行くのかは彼の地の人々が決める事ではあるけれど、どうかこの先何も事が起こらず、穏やかに旅を楽しめる国であって欲しいと、強く願います。
つぎの「クロニクル」は2003(H15)年11月のハンガリー。ユーレイルパス通用17ヶ国中唯一の旧共産圏です。ただ公開は早くても4月、下手すると夏になるかも知れません。
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《今日見た・聞いた・思った事》
日米航空交渉が合意しました。
日米間の航空路線は過去にも以遠権(相手国から第三国へ運航する権利)とか、オープンスカイとかでもめにもめた歴史がありました。それだけこの路線が、航空会社にとってはオイシイものだという事も言えるのだが。
今回は羽田の日中枠(6~23時)の発着枠を巡るもので、日米双方とも日中枠5便・早朝深夜枠1便を配分するというものです。合計で12便となり、トータルでは2便増です。
特に東海岸路線の充実が期待されているようです。№1443でも書いたが、特に日本→東海岸路線は時差と所要時間の関係で日本発・米着の時刻がほぼ同じになり、深夜早朝枠ではどちらかの時刻が悪くなってしまうのです。一度深夜早朝枠でAAのニューヨーク線が就航しながら短期間で終わってしまったのも、羽田発が6時台だったため、国内の集客がうまくいかなかったのが要因と思われます。
今後は秋頃とされる就航に向けて、それぞれの国内で配分・路線決定など様々動きが起こる事になります。日本側は、既に成田発着でダブルデイリーになっているANA・JALのNY線、ANAのシカゴ線の内1便ずつが羽田シフトとなると思われます。特にANAのNY発103便、シカゴ発113便は最近増便されたものだが、どちらも成田着が20時過ぎと北米路線にしてはかなり遅く、最初から羽田シフトを目論んだダイヤではないかと思われるのです。残りの3便はどうなるかはちょっと想像がつかないです。深夜枠の扱いもあるし。
米側は単純に考えたらUA・AA・DLに2便ずつ配分かと思われるが、日中枠5便は、ひょっとしたら日本側にパートナーがいないDLに優先的に配分されるのではないか?DLは早朝深夜枠でLA路線があるが、これを昼間にシフトした上で、さらに2便位どこかへ就航させる事になるのではないか。後はUAとAAが昼間は1便ずつとなるのか。AAはNY路線の再開が予想されます。
以上は全て私の勝手な予想なので、違った結果になったらゴメンナサイ。いずれにしろ、今後の関係各社の動きには要注目です。
《今日のニュースから》
17日 天体観測衛星「アストロH」打ち上げ成功 「ひとみ」と命名
18日 石岡駅構内で旧日本軍砲弾発見 JR常磐線一時運転見合わせ
常磐線については駅のモニターで見たが、あれ、今日不発弾処理の予定ってあったっけ?と思いました。普通なら休日の午前中位に行うものだし、鉄道が止まるなら、事前に大掛かりな予告があるはずなので(特に常磐線は全車指定席の特急が頻発しているのだから)。