№1468 思い出の海外旅行クロニクル 21.2003年デンマーク 2
コペンハーゲンを基点として、シェラン島北部の近郊電車とローカル線を乗り歩きます。ユニークな電車が走っていました。
翌日はIC3でユトランド半島に渡ります。
2003年 5月11日(日)
近郊電車「Sトーク」が発着する、ノアポート駅。
新型近郊電車は「X31系」というの?ヘルシンオアからコペンハーゲン、カストラップ空港を経由してスウェーデンに渡り、マルメからさらに一部はスウェーデン国内へロングラン運用されている。DSBとSJ、双方に所属があります。
その車内。
折りたたみ式のサイドシートが並ぶ、フリースペース。乳母車の乗車、自転車の積み込みなどを想定しているのでしょう。
ヘルシンオアへ向かう途中、クランベンボーで途中下車してみました。
駅のすぐ右手は砂浜、真夏は海水浴場になるようです。
ヘルシンオア駅。かつてはスウェーデンのヘルシンボリまで連絡線があり、国際列車の客車の航送も行われていました。私も夜行で通過した事があるが、エーレ海峡の鉄道の開通で廃止になりました。
(現在も、民間のフェリーはある)
ただし、駅に降り立つのは初めて。またずいぶん重厚な駅舎。
海岸では、釣りをする人が多い。青空の下、ヨーロッパの休日の一シーンが展開されています。
クロンボー城。
ギレレイエへ行くDCは私鉄で、Hornbækbanen(ホルンバーク鉄道、というの?)。スカンレイルパスでは乗れない。前日乗ったのと同じ旧型車両。
たんぽぽ畑の中を行く。きれい…。海の近くを走っていると思ったのに、海は見えませんでした。
島の西部に位置するギレレイエ駅。ここで、ヒレロズ行に乗り換えます。また別の私鉄。Gribskovbanen。グリブスコフ鉄道というのか?(デンマーク語は発音が解らないので、違っていたらスミマセン)同タイプの3連。
初めて、運転室の仕切りの窓から前方を見る事ができました。森の中を走る。人家は少ない。
ヒレロズ駅。
フレデリクスボー城。
チラホラ見かけていた、Sトークの新型に乗ってみたいと思います。ヒュンディエへ行くA系統で乗車。
小型車体で、4車体を背中合わせにして、この部分で分割できるようになっている。一時期JR東日本京葉線で試用されていたE331系は、これをモデルとしていたのではないでしょうか?ただし、こちらは1軸連接。
その車内。ボックスシートはベンチ風で、幅がかなり広いから、いまひとつ落ち着かないかもしれない。
スピードは出るが、2軸だからか少しフワフワした乗り心地。かつての日本の第3セクター鉄道のLE-CARのような感じ。それにしてもさすが北欧、ご覧の通り、犬とか乳母車とか自転車とか、本当に何気なく電車に乗り込んできます。
コペンハーゲン中央駅を過ぎると、海に面したニュータウンという印象の団地の中を行く。
A系統の終点Hundige(ヒュンディエ?)駅。ここもまた、ニュータウンの一角という感じの橋上駅舎。
乗車した時点では、この新型はAとEの2系統に集中的に運用されているように見えました。
コペンハーゲン市中に戻って、プチ観光。市庁舎。
クリスチャンボー城。
コペンハーゲンは1996(H8)年以来7年ぶりだったが、その間で大きく変わったのは、地下鉄が開通していた事でした。
2路線あるが、当時は合わせて10㎞強の短区間に留まっていました。
小型の3連で、完全自動運転。
その車内。
最前部は簡易運転台すらなく、完全に特等席。
M1系統は地上区間がある。沿線はまだ開発途上という感じで、M1系統の終点Vestamageri(ベスタマゲリ?)駅付近も、車両基地以外は何もない。住宅地は遠く。
地下鉄は後に路線を延伸、M2系統はカストラップ空港まで乗り入れているそうです。
今回2泊したユースホステル「アマガー」。M1系統のベラセンター駅が最寄となり、アクセスが向上していました。中も近代的です。
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2003年 5月12日(月)
都市のYHという事もあるのか、朝食は曜日を問わず7時~9時30分と早い。この朝はグループ客が多かった。
地下鉄でノールポートに向かう。ラッシュ時は本数が多くなっているが、乗客は平日のラッシュなのに少ない。
コペンハーゲン中央駅に移動し、オーフス行きのLynに乗ります。前日の快晴が一転、曇り空で、風がやや強い。
オーフス行Lyn(リュントーク)。ICより上位に来る列車。
2日前オデンセに行った時のICもそうだったが、ストアベルト海峡をクリアする海底トンネルの開通に合わせてフレデリシアまでは電化が完成、同時にIC3の電車版IC4(通常のボギー車4連)も作られ、DCとの強調運転も行われています。この列車では、オーフス直通がDCのIC3、後部のフレデリシアどまりが電車でした。なお、IC3は新色に移行中だった。
ストア海峡トンネルを3分33秒で通過、フレデリシアで電車を切り離して、オーフスに向かいました。
オーフスからは、ローカル線を訪ねます。まずグレーナへの路線。
左側は、一部の路線を運営するArriva社の車両。同型で、DSBからの移籍?
途中のホアンスレト駅。行き違いがあるのだが、デンマークは運転部門の合理化が進んでいるようで、運転の職員が出てくるという事がありません。
雨交じりの曇り空の中、農村地帯を行く。牛や馬が目立つ。
終点のグレーナ駅。駅舎はあるが、列車は駅舎から遠く離れた、バスターミナルのすぐ脇に到着する。駅舎は、もう本来の機能はないようだ。
オーフスに戻る直前、左手はKalø湾。
もう一路線、南のオッダに行く私鉄に乗ります。HHJの運営で、標準タイプの旧型DC。
スカンレイルパスはつかえず、往復で60DKK(≒1,110円)。
その車内。左右対称で、座席の向きが違っています。これまで乗ってきた標準タイプもこんな感じでした。
青空が戻ってきました。緑の大地とのコントラストが美しい。
オッダ駅。駅舎は立派ではあるものの、コンビニスタイルの売店はあるものの、鉄道の窓口みたいなものは皆無。運転の駅員さえいないようだった。
折り返しの列車でそのまま戻ります。
オーフス郊外のYHに泊まるつもりだったが、せっかく最寄り駅からえっちらおっちら歩いてきたのに、空きがない…。平日だからとタカをくくっていたが、空き地に観光バスがいて、子供たちが遊んでいたから、彼らが止まっていたのか。欧州のYHはこういうケースが多い。
ホテル探しも面倒だし、若干予定変更。一旦ICでコペンハーゲンに戻った後、夜行でUターンし、フレデリクスハウンに向かうプランとしました。
帰り道の田園地帯。
21時を15分ほど回った頃、ようやく西の空に、太陽が沈んでいきました…。
この列車はカストラップ空港行だが、コペンハーゲン中央駅で大方の旅客が下車、ガラガラになって空港に向かう。
旅客便の出発は、もう明日の朝までありません。
両替を済ませた後、フレデリクスハウン行夜行の発車まで待つ事になります。
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《今日見た・聞いた・思った事》
貸切バスの惨事が起きてしまいました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。この30年で最悪のバスの事故になるそうです。海外のTV局のニュースサイトでも取り上げられていました。直接的にはドライバーの健康問題とか行動などが鍵となろうが、根本的にはバス会社の体質そのものがやはり問題だろうと思う。早々に捜索の手が入ったそうだが。
貸切バス自由化の政策自体が正しかったのか、もう一度そこから議論を始めるべき時でしょう。「性善説」はもう成り立たないと思い知るべき。盲目的に自由化で競争しろと煽ってきたジャーナリズムの責任も大きいが。去年も1月はバスの事件が多かったし、今年も京王バスの一件があったばかりで、業界全体がどうしたものかと思います。
あと、死亡した乗客の一部はシートベルトをしていなかったそう。高速バスや貸切バスでは、どんなバスでもシートベルト着用を意識付けましょう。
ANAは羽田~富山・小松両路線を、次のサマースケジュールから2往復ずつ減便、4往復ずつとする事になりそうです。すでに北陸新幹線開業時に両路線ともB737にダウンサイジングさせていたが、売り上げが半分以下に落ちているそうです。JALの小松路線はとりあえず6往復を維持するようだが、これも今後どうなる事か。
《今日のニュースから》
14日 西アフリカ エボラ出血熱終息 WHO宣言
15日 大阪市議会本会議 傍聴席からカラーボール
大阪市議会では「ヘイトスピーチ」対策の条例案の審議中で、カラーボールを投げたのは条例に反対する者だったようです。議会は中断しているそう。