№1470 クローズアップ現代「検証 スキーバス事故 ~奪われた若い命~」

 2003(H15)年デンマーク旅行の「クロニクル」は、1回お休みします。
 15日未明に軽井沢で発生したスキーツアーバス転落事故は、乗客・乗務員15人が死亡する、この30年では最悪のバスの惨事になってしまいました。
 昨日のNHK「クローズアップ現代」で、この事故について取り上げていたので、放送の内容を簡略化(一部趣旨を損なわない程度に改変)して記し、私なりの感想を加えてみたいと思います。

********************

 3日前(15日)に起きた、スキーツアーバスの事故。12人の大学生が亡くなった(放送時点)。なぜ、事故は起きたのか。事故を起こした運転手の同僚が取材に応じ、ドライバーの技量の低下の実態を証言した。

(同僚)運転手としての技量がない連中がごろごろしている。業界の問題だよ。

 突然奪われた、若い命。事故は防げなかったのか、検証する。


キャスター 高井 正智:この30年で最も多くの犠牲者を出した、今回のバス事故。国際的な仕事をしたい、学校の教師になるのが夢、人の役に立ちたい、希望に膨らむ12人の大学生の命を、一瞬にして奪い去った。事故後に行われた、バス会社への立ち入り調査。運転手の健康管理をないがしろにしたり、不当に安い運賃で受注したりするなど、次々と法律・法令の違反が見つかっている。ずさんな実態の背景にあると言われているのが、激しい競争だ。貸切バス会社の数は、平成12年の規制緩和以降急増、それ以前の2倍近くとなり、競争が一気に激化している。平成19年には吹田市で1人が死亡、26人が重軽傷を追うスキーバスの事故が、H24年には関越自動車道で、バスが道路脇の壁に衝突し、7人がなくなり、38人が怪我をする事故も起きている。事故が起きるたびに、国は運転手が一人で乗務できる距離の短縮をしたり、バス会社が適切な運賃を得られるよう、規制を強化してきた。しかし、悲惨な事故はまたも繰り返された。

(続いて、遺族・関係者の方々への取材になるが、ここでは省略)

 12人の若者の命を奪った、今回の事故。その背景に何があるのか。
 一昨日行われた、バスの運行会社イーエスピー(ESP)の会見では、法令違反を重ねていた事が、明らかになった。

(ESP社長) 事故当日は点呼せずに、バスが出かけてしまった。

 運転手の健康状態を確認する、出発前の点呼を行っていなかったばかりか、出発前に「業務終了」の確認印まで押していた。
 事故を起こし、死亡したT運転手(65)。先月、ESPに契約社員として雇われたばかりだった。T運転手を良く知る人物に話を聞く事ができた。先月まで約5年間勤めていたバス会社の社長だ。T運転手は小型バスで、日中に近距離を送迎をする仕事を主にしていた。

(バス会社社長)小型しか乗らないって、自分で言っていた。大型は乗らないって、ウチでは一切乗らなかった。

 しかしT運転手は、大型バスを運行するESPに雇われた。ESPの同僚が、取材に応じた。ベテランのこの男性は、研修でT運転手に付き添い、技量に不安を感じたという。

(同僚)ハンドルさばきはやはり疑問があった。進路変更とかが微妙に遅れてみたり、集中力の欠如が見られたから。

 それでもT運転手が雇われる事になったのはなぜか。
 背景にあるのが、深刻な運転手不足だ。H12年の規制緩和で、貸切バス会社が2倍に増える一方、大型バスの免許(大型二種)を持つ人は年々減少(H12年以前120万人強→H26年100万人割れ)。ドライバーの奪い合いになっているのだ。
 ESPは、T運転手の経験不足を認識していた。しかし、運転しやすい高速道路中心ならと、採用を決めた。

(同僚)仕事はいっぱいある。素人でもいいから置いておかないと運行できないわけだから。安全面を考えると最悪だよね。

 そして今回、T運転手は補助ドライバーとして、入社後4回目の大型バスの運転に臨む事になった。メインのドライバー役は、ベテランのK運転手だった。
 午後11時、39人の乗客を乗せ、原宿を出発。斑尾高原に向かう計画だった。主に高速道路を担当するはずだった、T運転手。しかしこの日は、一般道の峠道でもハンドルを握っていた。人手不足の中、早く経験を積ませようとしたのではないかと、同僚は考えている。

(同僚)技量を試す事も考えたと思う。研修的な形で、ある程度難易度のランクが低い峠だから。やらせても大丈夫かなという感じでやらせたと思うよ。

 事故はどのように起こったのか?日本大学生産工学部の景山一郎教授は、ガードレールの破損状況などから、スピードの出し過ぎが惨事を招いたと考えている。さらに、一見緩やかに見える現場のカーブにも、危険性が潜んでいると指摘する。下り坂のこのカーブでは、視界が狭まる夜間では特に、道が狭くなっているように見え、急カーブだと錯覚しやすいという。

(景山教授)幅が狭くて、きついカーブに見える。相当速度が高く出ているので、やはり危険だと思われた、だから急激な操舵に入ったのだと思う。

 景山教授が推測する、事故の状況だ。速度を落とさずカーブに進入してきた運転手が、急カーブだと錯覚してハンドル操作を誤る。ハンドルを大きく切ったことで、重量がある大型バスには強い遠心力がかかる。重心が高いバスはバランスを崩し、そのままガードレールに突っ込んだと見ている。

(景山教授)運転手がコースに慣れていなかった。それが大きな原因の一つかと思う。
 
 亡くなった、12人の若者たち。バス会社の安全意識の欠如と、国の規制のあり方が問われている。


高井:事故はどうして繰り返されてしまったのか?
安部誠治(関西大学教授):4年前に関越で大きな事故が起こって、それを契機に国も安全面の規制の見直しを図った。ドライバーの労働条件を緩和する(安全規制を強める事)とか、運賃を適正に貰えていないと安全のための投資ができないので、基準運賃を作って、この範囲でやりなさいという事をした。規制を強化したという事。ところが、業界には4500社位貸切バス会社があるが、中にはこのような規制そのものを守らないような会社が一部にある。4500社のうち、日本バス協会に約半分(2178社)が加盟しているが、加盟していない「アウトサイダー」のさらに一部に、規制を守らずにバスの運行をしている会社があり、その実態が今回明らかになったのではないかと思う。
高井:規制を守らない背景は、運転手不足からくるのか?
社会部 宮原 修平記者:今回の事案は象徴的と思うが、業界を取材していると、同じように、それ以上に不安を感じながら運転手を雇用している事業者が複数あった。理由は人手不足だが、それを生んでいるのが、就職先としての人気の低迷だ。賃金を含めた労働環境があまり良くない事、事故の後に規制の強化、一定の距離を越えると必ず二人乗務にしなければいけないルールがあるが、これ自体は安全にとっては大切だが、一方では人手不足を招いている。
高井:規制が逆に人手不足を招いた…。
宮原:さらに外国人旅行者が急増して、彼らがバスを利用するので、人手不足に拍車をかけている現状がある。

高井:今回、事故を起こした会社とは別の会社も取材した。そこからは、安全対策とコストの狭間で悩む厳しい実態が見えてきた。

 20人の運転手を雇う、バス会社の社長だ。安全運行の要である、運転手の「質」に、悩まされている。この日も、運転手の一人が、問題を起こした。

(社長)大変だよ、こんなの。運転手がぶつけたんだよ。(ぶつけられた車のリアのバンパーの裏をさすり)裏からたたいているんだよ。ぶつけちゃって、裏側からたたきなおして、元に戻しているんだよ。それでしらばっくれようとしている。勘弁してくれよ、もう。

 事故を隠そうとした運転手。社長は処分をためらっていた。

(社長)その運転手をどうするか、どういう対応をするか、そっちの方が参っちゃって。

 結局、運転手が辞めてしまう事を恐れて、処分には踏み切れなかった。

(社長)本来だったらいい運転手、100点の運転手をそろえてやりたいけど、今の状況ではちょっと無理。極端な運転手不足になっているから。クビにするより、一緒に働いていって悪いところを直す方が、会社としては利益が出るんですよ。

 会社では、運転手の安全意識を高めようと、様々な取り組みを行ってきた。

(社長)(「運輸安全マネジメント」を示し)これをみんなで読んでいる。みんなで朝の出庫前に点呼で読む。こんな事、やらなくていいんだけど、それをやる。

 社長は、給料を上げて、質の高い運転手を確保したいと考えているが、難しいのが現状だ。
 背景には、バス会社が置かれた、弱い立場があるという。バス会社は本来、旅行会社から、国が定めた基準運賃を受け取る事になっている。しかし、客を集める旅行会社が優位にあるため、バス会社が、基準運賃を大幅に下回る額で請け負うケースが少なくない。その結果、安全対策や運転手の待遇改善にお金をかけづらくなる。
 社長はこの日も、旅行会社からの依頼に、頭を抱えていた。ツアーの距離や時間を元に、基準運賃を計算すると、最低でも13万円あまり(135,720円)。ところが提示されたのは、その半分以下の5万円だった。それでも、引き受ける事を決断した。

(社長)黙っていても、バスのリース料もろもろの経費がかかるわけ。置いていても、計算では1日25,000円。バスの保険だとか、そういうものにかかるわけだから。それをゼロでやるわけには行かない。5万円でも、45,000円でも頂ければ、そのうちから給料を、1万円なり、15,000円なり払っていける。だから私どもはこの仕事を受ける。


記者取材:一方、赤字覚悟で、安全確保にコストをかける会社も出てきている。一昨年から、340万円を投じて導入してきたのが、GPSを使った、このシステム。運転手が勝手にルートを変更していないか、決められた休憩を取っているか、いつでも確認できる。さらに、質の高い運転手を確保しようと、去年給料を2割引き上げた。

(さくら観光バス(埼玉県加須市) 天野 正幸社長)正直お金はかかる。まずはこういった、自分たちのできる所から、安全対策をやっていこう、という所から始めさせてもらった。

 昨日(17日)、この会社が運行した那須高原行のスキーバス。事故の影響と見られる直前のキャンセルも出て、利用者は16人に留まった。片道およそ200㎞の道のり。国の基準では運転手一人で良い距離だが、会社では二人つけて、交代しながら運転させるようにしている。
 安全対策の投資の結果、今年度の収支は赤字に転落する見込みだ(-6,483,974の数字が記されている)。それでも、取り組みを評価する旅行会社が出てきていて、いずれは安全を基準に選んでもらえるようになる、と考えている。

(天野社長)お客様を大事にさせて頂く事によって、ご理解を頂いて、きちんと利益が出るような会社になれると思う。お客様のほうでも、バス業界がどういう状態かというのを理解していただければ、そこまで安くできないぞっていう業界になっていくんじゃないかと思う。

高井:安全にコストをかけるには、赤字も覚悟。驚く実態だが、その背景にあるものをもう一度教えて頂きたい。
安部:貸切バスの客の数に対して、バス会社は過剰気味。なので激しい受注競争になってしまう。そうなると、特に小規模な会社で経営の悪化が進んで、ドライバーの職の改善ができなくなる、高齢化や技能不足のドライバーの増加を招く、一方でハード・ソフト両面でVTR(さくら観光)のような事をやるとお金がない、というような事があって、そういう構造の中で、安全が脅かされる事につながっていく…。
高井:ではどうしたらいいのか?という所で、国土交通省に取材をすると、バス事業者に対して、法令順守の状況のチェックを徹底し、監査の実効性の向上を講じていく、としているが、どうご覧になるか?
安部:一部に法令無視の事業者がいるので、そういう事業者は市場から出て行ってもらう必要がある。監査は一つの有効な手段だが、国土交通省で監査に当たる人は300人程度で、トラックにタクシーにバスがあり、トラックにいたっては6万の会社があるので、監査で問題のある会社を見つける事ができるかというと、限界がある。あまりに対象の会社が多い。関越の事故の後で、基準値制度が設けられたので、この通りにやれば、バス会社の収支はかなり回復して、安全なバス会社になる可能性がある。そういう法令を守らないバス会社は除いていく事が大事。監査だけで限界があるのならば、入口の所で参入のハードルを高くする。例えばバスの台数とか、古さ・新しさとか、こういうのを今一度見直して、体力のないバス会社はなるべくはじいていく事をしていく必要がある。
高井:具体的には…。
安部:大型バスが5台あれば参入できるが、7台とか10台とか…。
高井:体力のある会社だけが残れる…。
安部:そういう仕組みにしていく、それが規制緩和後残されている課題だと思う。
高井:今の過当競争の状態が根本にあって、それを今変えなくてはいけない…。
安部:そこをどうメスを入れるか、問われているのではないかと思う。

********************

 この後、重体だった大学生が亡くなり、乗客の犠牲者は13名(全員大学生)となりました。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りしたいと思います。
 さくら観光・天野社長の最後の言葉は悲痛なものもあるが、結局の所、零細企業そのものの問題にしろ、ドライバーの「質」にしろ、4年前の関越ツアーバス事故以降、日本のバス業界の問題はほとんど改善されていないよなあ、というのが正直な印象でした。
 実際にお客さんを乗せて「研修」というのは、全否定はしないものの、夜間の峠道でやるのはやはり問題でしょう(この道は、昼間はJRバス関東の路線バスも走るのだが)。大手だと最近は教習・訓練に力を入れるようになっていて、私の自宅の近くのバス会社の営業所では … 一般路線バスではあるが … 路線車から転用した教習車でみっちり教習・訓練をやっているシーンを、ほぼ毎日見かけます。しかし、零細事業者では、そこまでやるのは難しいのも事実かもしれません。専用の教習車を保有する事も、訓練のために乗務スケジュールを空ける事も難しいようだから。
 ここではバス業界側の問題に焦点を当てていたけれど、一連の報道を聞いていると、発注する旅行業者の側にもかなり問題があるように思え、こちらの方に焦点を当てていなかったのは、やや疑問も感じました。バス会社からすると、旅行業者もまた「お客様」になるので、言いなりにならざるを得ない部分もなくはないでしょう。
 現状はかなりの部分、バス会社、旅行業者双方の「良識」に任せている部分が大、「どんな小規模事業者でも安全は一番大事なのだから、そこをおろそかにするはずがない」という性善説が、業界にも、我々世論の側にもあるのだと思います。しかし関越事故以降も、犠牲者は出さないまでもちょくちょく観光バスの事故は起きています。そろそろ何かしらの、強権的ではあっても、拘束力のある対策を施さないといけない、というかまずい時期ではないでしょうか。
「バスジャパン・ハンドブックシリーズ」の歴史編を読むと、ほとんどの事業者では黎明期に置いて、小規模事業者に個人事業者まで乱立して大競争になり、結局は皆体力を消耗して統合の道を歩む歴史が綴られています。現状の貸切バスの世界も、同じような状況に置かれているのではないでしょうか。思い切って地域毎にどこかが音頭をとって、経営統合・合併という方向に行く事も、考えられて良いのではないでしょうか?でないと大手も含めて共倒れになってしまいます。

 今回はまたもバスの問題ではあるが、当然他の交通の業界も人事ではないでしょう。特に航空。未だにLCCがもてはやされているが、韓国ではこの所LCCのトラブルが相次いで航空当局が調査に入ったとも聞いています。一昨年暮れのエアアジア機の事故もあります。だからと言って日本のLCCが危険などとは言わないけれど、一昨年には乗務員不足から大量の欠航が発生した事も、また記憶に新しい所。
 繰り返しになってしまうが、外野のジャーナリズムも普段は競争を煽り、格安交通をもてはやすばかり。今回のような大事故が起きてから初めて安全性がどうのこうの言うが、もう少し普段から、格安交通に限らないけれど、安全性についてチェックし、報道する姿勢が必要ではないでしょうか?
 関連して、規制緩和が正しかったのか?という議論もなされるかも知れないが、そろそろこちらも、全面的に規制しろというのも時代錯誤だろうが、ちょっとばかし、我々世論の側も考え直すべき時だろうと思います。
(なぜ規制緩和が叫ばれたのか?その当時の背景も考慮すべきではあるが)
 放送の中で、外国人旅行者の利用が急増しているともされた。もし今回と同様の事故が、インバウンドのツアーで起きたらどうなるのか?無論人の命に国籍は関係ないが、起きてしまえば今度は国際問題にまで発展し、日本のバス業界のイメージダウンを招く事になります。巡り巡って、「観光立国」を目指す日本そのものの大ダメージです。貸切バスの問題の対策は、本当に待ったなしです。

 これ書いている最中、今日も福井でバス事故が起きてしまいました。旧ツアー組の高速バスらしいが、事業者は貸切業界では老舗なんだけれどなあ。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


********************

《今日見た・聞いた・思った事》
 昨日の関東地方の大雪、わが町戸塚は、少なくとも2年前ほどではないと思ったが、ニュース映像とか見ると、所沢あたりはハンパではなかったようです。
 交通の混乱は予想されていたものの、京王の千歳烏山とか、東急の三軒茶屋あたりでは改札の入場規制が行われて、かなりの混乱が引き起こされたようです。京王は桜上水・高幡不動・若葉台の3車庫から68編成出庫するところが16編成、所定の1/4以下しか出庫できず(相模原線・調布~若葉台間は倒木でしばらく運転できなかった)、通常の2~3割程度しか運行できなかった事で混乱に拍車をかけたようです。
 あと、運行状況を知らせるスマホのアプリとか、公式Webの運行情報が機能しなかったという問題も続発したそうです。私もPCからいくつか見たのだが、京急の公式Webは、朝方はずっとつながりませんでした。エラー表示になって、400形電車(黄色+赤の時代)が現れるだけ。神奈川新町のポイント故障のため一部不通になっていたので、運行情報を知ろうとアクセスが集中したためと思われます(あとで京急からお詫びのメッセージがありました)。スマホに関しては、運行状況の情報に関わる新しい問題が浮上したのだろうと思いました。
 私は幸か不幸か休日だったので損害はなかったが、ともあれこんな混乱は御免です。でも関東はどうしても雪に弱いから、また起きてしまうのだろうなあ。せめて混乱を最小限に留める対策を、普段から求めたいと思います。

 JALが、E190の就航を発表しました(J-AIR運航)。5月10日、伊丹~鹿児島線から。クラスJが設定され、ユニバーサルPC電源も配備されるそうです。でもWi-Fiは付かないのか。MRJのJAL就航は当初予定の2021(H33)年からさらに遅れそうなので、E170も含めてしばらくはリージョナル路線の主役となりそうです。

《今日のニュースから》
18日 プロテニス八百長疑惑 英BBCなど報道
19日 コープさっぽろ ファミリーマートとの提携発表

№1469 思い出の海外旅行クロニクル 21.2003年デンマーク 3

画像

 ユトランド半島の南西部に位置するリーベは北欧で最も古い町の一つ、だそうで、夜景でも有名です。リーベの宿泊をはさんで、ユトランド半島のローカル線を乗り歩きます。

2003年 5月13日(火)

 カストラップ空港駅から出発する夜行ICは、フレデリクスハウンの他、エスビアとストルーアへ行くユニットを交えた3階建て。コペンハーゲン中央で進行方向が変わる。座席車だが、検札の後はひたすら眠る。

画像

 翌朝着いた、フレデリクスハウン。この駅は10年前、スウェーデンのエーテボリからフェリーで着いて、泊まった場所でもあります。

画像

 駅のカフェテリア。

画像

 駅の近くの教会。

画像

 スカーエン行Nordlyske Jernbaner(ノールリスケ・イェンバナー?)のDC。これまで何度か乗ってきた私鉄の標準タイプのDCだが、トリコロールカラー。乗車券は運転士自ら発券。スカーエンまで42DKK(≒780円)。

画像

 田園地帯は、シェラン島あたりと比べると、やや地味に映る。時々鹿を見ます。

画像

 終点のスカーエン駅。構内は結構広く、コンテナ車も見えるから、貨物列車も走っているようだ。駅舎も切符売場(8時から)に代理店も入っているから、駅舎として機能しているようだ。
 曇り空のせいか、寒い。

画像

 中間のオールベック駅。スカーエン行ホームはずいぶんと乳母車が多い。

 フレデリクスハウンからオーフスまで、IC3で戻ります。ローカル線に乗り換え。

画像

 スキャーンへ行くDCは、DSBと同型ではあるが、「ARRIVA」カラーになっていました。デンマークでは、一部のローカル線やバスがアリヴァ社の運営に移行していました。スカンレイルパスで乗れます。

画像

 その車内。シンプルなボックスシート。

画像

 デッキには非常時の脱出方法が記されています。ガラスをハンマーで叩き割って脱出、という事。

画像

 イカストで列車行き違い。外に出ると風が冷たい。列車が近づくと、横断場に音声と警報で注意が促されるのは、何となく日本と似ている。

画像

 どんよりした曇り空の元、田園地帯を行く。時々は青空も見えてくるようだが、雲が流れるのがとても早い。

画像

 スキャーン駅。

画像

 ホームには、アリヴァのDCが3本並びました。次はエスビアへ。

画像

 エスビア駅。お城のようだ。今度はリーベへ。

画像

 リーベに向かう途中の車窓。発電用の風車が回っている。

画像

 リーベ駅。到着すると青空が戻ってきました。今日はここに泊まります。

画像

 ユースホステル。予約を入れていたわけではなく、ちょうど小学生の団体さんがゾロゾロ入ってくるので、オーフスの一件もあってイヤな予感もしたが、ここは空きがありました。宿泊代にシーツと朝食を加え、+手数料4%で183DKK(≒3,400円)。

画像

 体育館ではこの通り、子供たちが遊戯に興じておりました。欧州のYHは、特に郊外や地方でこんな感じのところが多い。

画像

 大聖堂。

画像

 何のパフォーマンスだったでしょうかね?年配の人たちがフォークダンスを踊っている。それが終わるとロックのライブだ。もう21時を回っているのに存分に明るい。

画像

 リーベといえば「夜警」。22時出発でツアーがあるので参加してみました。おじさんの後を、30人位の人たちがついていきます。おじさんは子供たちの人気者だ。所々で止まって解説がある。時々笑い声も聞こえてきます。1時間弱、という所でしょうか。

********************

2003年 5月14日(水)

 翌朝のYHの朝食は、それ自体割と豪華だが、皿やコーヒーカップが素晴らしい。思いのほか歳を召した方々が多かった。

画像

 運河。

 リーベ駅から、列車の旅が続きます。ユトランド半島を横断し、フレデリシアへ。

画像

 テナア駅は、駅舎が閉じられ(有料トイレはつかえる)、今一つ冴えない感じ。

画像

 テナアからブラミンへ向かう途中の車窓。牛の放牧が行われている。また頭上に黒い雲が現れ、雨もパラつく。今日もまた、天気は不安定そうだ。

画像

 ブラミン駅は、駅舎とホームの間にタクシー乗り場がある。ここの窓口は、平日は昼間はずっと開いているのに、土休日はお休み。

画像

 キオスク兼ミニバー(カフェ)は毎日オープン、なのに。雰囲気がいいです。
 フレデリシアへ行く列車はローカルながらIC3だった。ユトランド半島では、ローカル輸送でもIC3がかなり使われているよう。10年前もそうでした。ICへの直通運用なのだが。
 時々土砂降りになる。

画像

 フレデリシア駅。

画像

 駅のすぐそばに、Eタイプのタンク機関車が静態保存されていました。
 ヴェイレを経由して北上、ストルーアに向かいます。

画像

 ヴェイレ駅。撮影時点では小康状態になっていたが、到着したときには完全に土砂降り、雷まで鳴って、駅の外に出る気力が失せてしまいました。
 ヴェイレの前後は、デンマークにしては珍しい、ちょっとした山越え区間になっていました。雨降りと思ったら陽が差したりして、今日の天気も本当に気まぐれ。

画像

 ストルーア駅。

画像

 ストルーア駅ホーム。
 コペンハーゲンまでIC3のLyn54列車で帰ります。

画像

 湾の近くを走る。
ところが、「まもなくヴィンセルプ」みたいなアナウンスが入った後、駅の手前で停止、ノロノロピタの連続になる。全線規模の踏切システムの不具合かと思うのだが、どんどん遅れが増幅していく。
 オーフスで1時間の遅れになってしまいました。列車はここから1本後のLyn56列車に変更になりました。3ユニット増結し、12両編成となってコペンハーゲンに向かう。

画像

 田園地帯。上空は青空になって、菜の花も美しいが、この雲の様子で天候の不安定さが解るでしょうか。
 再び戻ってきたフレデリシアで、さらにIC4を増結。フュン島・シェラン島は最高180㎞/hで飛ばす。DCで180㎞/hとは凄いのではないでしょうか。

画像

 コペンハーゲン中央駅到着。Lye54列車としては、1時間遅れとなりました。列車が長くなって、前方に増結されたIC4は、完全にはみ出してしまっていました。

 宿代をケチって、また夜行でオーフスまで往復します。何度行けばいいんだよ?

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


《今日のニュースから》
16日 台湾総統選挙 民進党蔡英文氏大差で当選
17日 「下町ボブスレー」 ジャマイカ代表が正式採用発表

 総統選挙というと16年前、初めて台湾を訪れた時を思い出します。「クロニクル」でも書いたけれど、あの時も民進党の候補が勝利したが、背景には国民党の分裂劇があり、台北などで大変な騒ぎになったものでした。今回はこのまま平穏に事が収まるでしょうか。

№1468 思い出の海外旅行クロニクル 21.2003年デンマーク 2

画像

 コペンハーゲンを基点として、シェラン島北部の近郊電車とローカル線を乗り歩きます。ユニークな電車が走っていました。
 翌日はIC3でユトランド半島に渡ります。

2003年 5月11日(日)

画像

 近郊電車「Sトーク」が発着する、ノアポート駅。

画像

 新型近郊電車は「X31系」というの?ヘルシンオアからコペンハーゲン、カストラップ空港を経由してスウェーデンに渡り、マルメからさらに一部はスウェーデン国内へロングラン運用されている。DSBとSJ、双方に所属があります。
 その車内。

画像

 折りたたみ式のサイドシートが並ぶ、フリースペース。乳母車の乗車、自転車の積み込みなどを想定しているのでしょう。

画像

 ヘルシンオアへ向かう途中、クランベンボーで途中下車してみました。

画像

 駅のすぐ右手は砂浜、真夏は海水浴場になるようです。

画像

 ヘルシンオア駅。かつてはスウェーデンのヘルシンボリまで連絡線があり、国際列車の客車の航送も行われていました。私も夜行で通過した事があるが、エーレ海峡の鉄道の開通で廃止になりました。
(現在も、民間のフェリーはある)
 ただし、駅に降り立つのは初めて。またずいぶん重厚な駅舎。

画像

 海岸では、釣りをする人が多い。青空の下、ヨーロッパの休日の一シーンが展開されています。

画像

 クロンボー城。

画像

 ギレレイエへ行くDCは私鉄で、Hornbækbanen(ホルンバーク鉄道、というの?)。スカンレイルパスでは乗れない。前日乗ったのと同じ旧型車両。

画像

 たんぽぽ畑の中を行く。きれい…。海の近くを走っていると思ったのに、海は見えませんでした。

画像

 島の西部に位置するギレレイエ駅。ここで、ヒレロズ行に乗り換えます。また別の私鉄。Gribskovbanen。グリブスコフ鉄道というのか?(デンマーク語は発音が解らないので、違っていたらスミマセン)同タイプの3連。

画像

 初めて、運転室の仕切りの窓から前方を見る事ができました。森の中を走る。人家は少ない。

画像

 ヒレロズ駅。

画像

 フレデリクスボー城。

画像

 チラホラ見かけていた、Sトークの新型に乗ってみたいと思います。ヒュンディエへ行くA系統で乗車。
 小型車体で、4車体を背中合わせにして、この部分で分割できるようになっている。一時期JR東日本京葉線で試用されていたE331系は、これをモデルとしていたのではないでしょうか?ただし、こちらは1軸連接。

画像

 その車内。ボックスシートはベンチ風で、幅がかなり広いから、いまひとつ落ち着かないかもしれない。
 スピードは出るが、2軸だからか少しフワフワした乗り心地。かつての日本の第3セクター鉄道のLE-CARのような感じ。それにしてもさすが北欧、ご覧の通り、犬とか乳母車とか自転車とか、本当に何気なく電車に乗り込んできます。

画像

 コペンハーゲン中央駅を過ぎると、海に面したニュータウンという印象の団地の中を行く。

画像

 A系統の終点Hundige(ヒュンディエ?)駅。ここもまた、ニュータウンの一角という感じの橋上駅舎。
 乗車した時点では、この新型はAとEの2系統に集中的に運用されているように見えました。

画像

 コペンハーゲン市中に戻って、プチ観光。市庁舎。

画像

 クリスチャンボー城。

画像

 コペンハーゲンは1996(H8)年以来7年ぶりだったが、その間で大きく変わったのは、地下鉄が開通していた事でした。
 2路線あるが、当時は合わせて10㎞強の短区間に留まっていました。
 小型の3連で、完全自動運転。

画像

 その車内。

画像

 最前部は簡易運転台すらなく、完全に特等席。

画像

 M1系統は地上区間がある。沿線はまだ開発途上という感じで、M1系統の終点Vestamageri(ベスタマゲリ?)駅付近も、車両基地以外は何もない。住宅地は遠く。
 地下鉄は後に路線を延伸、M2系統はカストラップ空港まで乗り入れているそうです。

画像

 今回2泊したユースホステル「アマガー」。M1系統のベラセンター駅が最寄となり、アクセスが向上していました。中も近代的です。

********************

2003年 5月12日(月)

 都市のYHという事もあるのか、朝食は曜日を問わず7時~9時30分と早い。この朝はグループ客が多かった。
 地下鉄でノールポートに向かう。ラッシュ時は本数が多くなっているが、乗客は平日のラッシュなのに少ない。
 コペンハーゲン中央駅に移動し、オーフス行きのLynに乗ります。前日の快晴が一転、曇り空で、風がやや強い。

画像

 オーフス行Lyn(リュントーク)。ICより上位に来る列車。
 2日前オデンセに行った時のICもそうだったが、ストアベルト海峡をクリアする海底トンネルの開通に合わせてフレデリシアまでは電化が完成、同時にIC3の電車版IC4(通常のボギー車4連)も作られ、DCとの強調運転も行われています。この列車では、オーフス直通がDCのIC3、後部のフレデリシアどまりが電車でした。なお、IC3は新色に移行中だった。
 ストア海峡トンネルを3分33秒で通過、フレデリシアで電車を切り離して、オーフスに向かいました。

画像

 オーフスからは、ローカル線を訪ねます。まずグレーナへの路線。
 左側は、一部の路線を運営するArriva社の車両。同型で、DSBからの移籍?

画像

 途中のホアンスレト駅。行き違いがあるのだが、デンマークは運転部門の合理化が進んでいるようで、運転の職員が出てくるという事がありません。

画像

 雨交じりの曇り空の中、農村地帯を行く。牛や馬が目立つ。

画像

 終点のグレーナ駅。駅舎はあるが、列車は駅舎から遠く離れた、バスターミナルのすぐ脇に到着する。駅舎は、もう本来の機能はないようだ。

画像

 オーフスに戻る直前、左手はKalø湾。

画像

 もう一路線、南のオッダに行く私鉄に乗ります。HHJの運営で、標準タイプの旧型DC。
 スカンレイルパスはつかえず、往復で60DKK(≒1,110円)。

画像

 その車内。左右対称で、座席の向きが違っています。これまで乗ってきた標準タイプもこんな感じでした。

画像

 青空が戻ってきました。緑の大地とのコントラストが美しい。

画像

 オッダ駅。駅舎は立派ではあるものの、コンビニスタイルの売店はあるものの、鉄道の窓口みたいなものは皆無。運転の駅員さえいないようだった。
 折り返しの列車でそのまま戻ります。

 オーフス郊外のYHに泊まるつもりだったが、せっかく最寄り駅からえっちらおっちら歩いてきたのに、空きがない…。平日だからとタカをくくっていたが、空き地に観光バスがいて、子供たちが遊んでいたから、彼らが止まっていたのか。欧州のYHはこういうケースが多い。
 ホテル探しも面倒だし、若干予定変更。一旦ICでコペンハーゲンに戻った後、夜行でUターンし、フレデリクスハウンに向かうプランとしました。

画像

 帰り道の田園地帯。

画像

 21時を15分ほど回った頃、ようやく西の空に、太陽が沈んでいきました…。

 この列車はカストラップ空港行だが、コペンハーゲン中央駅で大方の旅客が下車、ガラガラになって空港に向かう。
 旅客便の出発は、もう明日の朝までありません。
 両替を済ませた後、フレデリクスハウン行夜行の発車まで待つ事になります。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
 当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。


********************

《今日見た・聞いた・思った事》
 貸切バスの惨事が起きてしまいました。亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。この30年で最悪のバスの事故になるそうです。海外のTV局のニュースサイトでも取り上げられていました。直接的にはドライバーの健康問題とか行動などが鍵となろうが、根本的にはバス会社の体質そのものがやはり問題だろうと思う。早々に捜索の手が入ったそうだが。
 貸切バス自由化の政策自体が正しかったのか、もう一度そこから議論を始めるべき時でしょう。「性善説」はもう成り立たないと思い知るべき。盲目的に自由化で競争しろと煽ってきたジャーナリズムの責任も大きいが。去年も1月はバスの事件が多かったし、今年も京王バスの一件があったばかりで、業界全体がどうしたものかと思います。
 あと、死亡した乗客の一部はシートベルトをしていなかったそう。高速バスや貸切バスでは、どんなバスでもシートベルト着用を意識付けましょう。

 ANAは羽田~富山・小松両路線を、次のサマースケジュールから2往復ずつ減便、4往復ずつとする事になりそうです。すでに北陸新幹線開業時に両路線ともB737にダウンサイジングさせていたが、売り上げが半分以下に落ちているそうです。JALの小松路線はとりあえず6往復を維持するようだが、これも今後どうなる事か。

《今日のニュースから》
14日 西アフリカ エボラ出血熱終息 WHO宣言
15日 大阪市議会本会議 傍聴席からカラーボール

 大阪市議会では「ヘイトスピーチ」対策の条例案の審議中で、カラーボールを投げたのは条例に反対する者だったようです。議会は中断しているそう。