№1456 バスジャパン・ハンドブックシリーズS90 越後交通
「バスジャパン・ハンドブックシリーズS90」は、新潟県の越後交通になりました。2001(H13)年のNEW34で取り上げられていて、14年ぶりになります。
正直申し上げて、私は(高速バスも含めて)越後交通のバスには一度も乗った事がない。申し訳ありません。なのであまりああだこうだとは言えないが、今回もデータ分析を中心に記してみます。適宜、NEW34時点との比較も加えます。
◆越後交通グループの車両たち
1. 「越後交通グループ」とは、越後交通と、北越後観光バス・南越後観光バスを合わせた3社。
乗合は越後交通本体がグループ全体の56.36%、北越後が19.09%、南越後が24.55%。高速は本体のみに配置、貸切は本体50.49%、北越後26.21%、南越後23.30%。
乗合の営業所別では、本体の東長岡〔営〕45台、本社38台、三条〔営〕33台、北越後の柏崎〔営〕29台(本体の柏崎〔営〕を加えると39台)で、エリア内では大きな都市になる長岡・三条・柏崎を発着する営業所に集中する傾向があります。北越後の出雲崎〔車〕は田舎の車庫なのに、貸切車5台のみ配置とはユニークだが、車両の画像からして、地元の学校のスクールバスとして定置場所になっているのでしょう。
2. 3社合計しての各用途の割合は、乗合69.92%、高速8.26%、貸切21.82%。貸切車の割合が比較的高いが、スクールバスなどの契約輸送の割合が高いようで、純粋な「観光バス」は81台、17.16%になるかと思われます。それでも昨今の大手乗合事業者としては高い方か。
14年前は乗合323台(53.74%)、高速40台(6.65%)、当時は廃止代替路線用が別カウントされていて(貸切登録)97台(16.13%)、貸切141台(23.46%)、合計601台でした。現在は14年前と比較し、全体では129台・21.46%の減少になっています。乗合は14年前より増えているように見えるが、廃止代替路線が乗合に変わったので、この分をカウントすると、51台・12.14%の減少です。
3. 全用途トータルのメーカー別割合は、いすゞ36.02%、日デ+UD9.53%、日野25.42%、三菱ふそう29.03%で、比較的いすゞの割合が多くなっています。
特に乗合はいすゞが46.67%と半数近く、次いで三菱ふそう23.33%になっています。高速は三菱ふそうが41.03%、日野が20.51%、貸切は日野(45.63%)と三菱ふそう(42.72%)がほぼ拮抗しています。
14年前は「日デが2割近くに増えている」と記されていたが、その後大量に導入される中古車両は日デ車の割合が小さくなったようで、割合は再び減少に転じています。
14年前は貸切にボルボ・アステローペが6台あったが、現在は外国車はありません。
4. その中古車両は185台あり、全体の39.19%と大幅に増えました。14年前のグループ外からの移籍は神奈中バスからの3台だけ(0.49%)なので、大きく様変わりしています。
特に乗合は168台、全体の50.91%と半数以上になりました。貸切も17台あり、16.50%になっています。
(高速はない)
譲渡元は38社局になるが、東急バスが104台にもなり、譲渡車全体の56.22%と半分以上、グループ全体でも24.64%と1/4近くになっています。現在の越後交通は東急との資本的なつながりはないが、14年前には1台もなかったのだし、どういう経緯なのでしょうか。
他では川崎市営13台、遠州鉄道12台が目立ちます。
5. 中古車の激増もあってか、乗合車の平均車齢は17.40年と相当高齢化しています。1997(H9)年式が35台で乗合車の10.61%、1996(H8)年式が34台で10.30%、1995(H7)年式が31台で9.39%。20世紀の車両が244台で、3/4近くを占めています。
最高齢は本社にいる、1987(S62)年式いすゞP-LV314L。これを含め、昭和の車両が3台残っています。乗合車の新車導入は、この数年はコミュニティ用のポンチョまたはローザのみで、それ以外は2010(H22)年のエルガミオ2台が最後です。
車庫別では、寺泊〔車〕が20年を上回っています。全て20世紀の車両です。一番若いのは岡野町〔車〕で、3台だけだが全て2002(H14)年式の元東急のエルガミオで、平均は13年になります。10台以上の配置では北越後・長岡〔営〕の12.80年だが、この数年の見附市コミュニティ用ポンチョの導入が、数字を下げていると考えられます。
高速は7.41年と若い。最高齢は1997(H9)年式の県内高速用KC-MS829S。東京・大阪線はさすがに若く、東京線5.93年、大阪線(2台だけだが)4.00年。
貸切車は契約輸送が含まれている事もあり、13.09年とやや高齢化。「観光バス」だけだと12.14年で、中小型車両に高齢車が多いようです。
6. 乗合車のノンステップ車は78で、乗合車全体の23.64%。
10台以上配置がある車庫では、東長岡〔営〕48.89%、本社42.11%、北越後・柏崎〔営〕41.38%、長岡〔営〕40.00%。逆に三条〔営〕はまだ1台しかありません。3.03%。
今回は、一部車両については、規制記号のみ異なり、実質同型の車両についてはテキストが一本化されていました。書類上の手続きだけの話なので。
なお、いすゞKK-LR333J1、KK-LR233J1はボディメーカーがJBUSになっていたが、いすゞが正当と思われます。
◆ 越後交通のあゆみ
ああやっぱり、越後交通の歴史を語る上で、田中角栄の名前は外せないのだなあ。
(何しろ公式Webでは、「大先生」と祀られている程だ)
地元事業者の軋轢に加えて東京の大手私鉄各社の相次ぐ資本進出競争もあり、統合には強力なリーダーシップを持つ者が必要とされたのだろう、とは思います。
気になった点として、1982(S57)年開業のの上越新幹線についての扱いがかなり軽かった事。その後の関越道開通による東京行高速バスの方がウエイトが大きいが、新幹線の開通は新潟県全体に重大なインパクトを与える事となったし、当然越後交通も長距離路線を中心に再編成が行われたはずで、決して軽視はできないはずです。またNEW34以降では新潟県中越地震・新潟県中越沖地震の被害が甚大で、本文でも北長岡〔営〕の閉鎖は記されているが、旧山古志村路線の全廃等路線網への影響が大(車庫の閉鎖もある)で、この辺ももう少し詳細が記されるべきだと思いました。
越後交通に限らないが、新潟県は豪雪に加えて地震が結構多いので大変だと思う。
◆ 越後交通グループの路線エリア
新潟県は基本的に上越地方の頚城自動車、中越地方の越後交通、下越地方及び佐渡島の新潟交通に明確にエリアが分けられます(3社とも昔は鉄道があった)。
越後交通の北限は三条市となり、燕市などで新潟交通と路線が被る所があります。JR弥彦線が、一応の境界か。
14年前と比べるとローカル支線の廃止が目立ち、先述の通り、旧山古志村などでは路線が丸々なくなりました。以前は弥彦にも入っていたよう。一方で小出~穴沢路線が、大白川まで延長されているのが目につきました。
小千谷には越後交通本体に北越後の営業所と南越後の車庫(小出〔営〕配下)、十日町にも本体の営業所の他、北越後(小千谷〔営〕配下)・南越後(津南〔営〕配下)双方の車庫が存在します。
津南の路線は、長野県の森宮野原や和山温泉に入ります。以前は長野電鉄との共同運行で、野沢温泉まで入っていました(越後湯沢発着)。
◆ 終点の構図
14年前は日本海側の出雲崎車庫でした。テキストで触れられているが、加藤氏はその前にも、「バスラマ・インターナショナル」の連載で訪れていた事があります。
今回は内陸で、十日町に近い「鉢」。現行ダイヤでは十日町から6往復あり(年末年始のみ2往復減便)、ロケーションからしたら利便性はまずまず、なのでしょうか。ただ、ダイヤ上はすぐ折り返してしまうので、周辺をじっくり訪ねるのなら、次のバスまである程度余裕を持ったプランニングが必要か。
「朝の上りは3台出るドル箱路線だった」か。そういう時代は、もう来ないのか。
◆ 中越の味と鉄路の軌跡
14年前の紀行は故種村直樹氏による信濃川・中津川バス紀行で、東三条から和山温泉に1泊2日で到着、さらに和山温泉からは雄川閣がある切明まで、無料のバスで入っています。この時は娘さんも同行、旧山古志村の路線にも乗車し、村役場にも寄っています。
(切明には、現在はバスは入っていない模様)
今回の谷口礼子さんの紀行は「中越の味覚」と、中越地方で走っていたローカル線の跡をたどる旅で、東京~高速バスで小千谷に入り、寺泊に向かうルート。方角的には14年前とは逆にたどっています。
新潟県も残念ながら越後交通もそうだし、新潟交通や蒲原鐵道のローカル線が廃線になって16~17年、「ローカル私鉄」と呼べる鉄道はなくなってしまいました。国鉄線も魚沼線に赤谷線(新潟交通が代替)、それに特定地方交通線ではないが、弥彦線・東三条~越後長沢間が廃線になっています。特に越後交通は、最盛期には新潟交通+蒲原鉄道と同じ位の路線があっただけに、乗った事がなかったのは残念です。1970年代半ばに旅客営業が廃止になっていては、子供だった私には乗りようもなかったのだが。
せめて廃線跡を、となるが、越後交通寺泊線に関しては、廃線から40年以上経っているのに、線路や架線柱がいまだに相当残っているのは、少々驚きでした。昨今の廃線は、線路や施設をさっさと片付けてしまう傾向があるので。
(14年前にも出てきている)
そばは解るけれど、長岡はミルフィーユが話題になっているのか。検索してみたら、結構評判の店らしい。
前述の通り、越後交通のバスは1回も乗った事がないので、あれこれ言う事はありません。中越地方自体土地勘がないし。ともかく長岡や柏崎といった都市を中心に、今後も展開して行くのだろうと思われます。ローカル路線が、末永く維持されると良いが。
高速バスは、上越~東京線は北陸新幹線の影響が出てくる事になるだろうか?新幹線の直接の恩恵がない柏崎を経由するので、現状は維持されるだろうが。
次回刊は朝日自動車。S89東武バスと一体で、東武グループのバス事業の全容が明らかになる事になります。
その次は奈良交通と予告されました。奈良交通は「奈良新宮特急バス」に、ついに新車が入りました。新ブルーリボンになり、朝日自動車のグループに新エルガorブルーリボンが導入されていなければ、奈良交通が初登場という事になります。
越後交通を取り上げたのなら、やはり新潟交通もやって欲しい。NEW32で取り上げられてるし、BRTスタートで話題性もあるので。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
《今日のニュースから》
22日 笹子トンネル崩落事故 中日本高速道路などに賠償命令判決
23日 「ダンボルギーニ」 女川町新商店街に登場
「ダンボルギーニ」は、イタリアのランボルギーニ社の「アヴェンタドール」を模しているようです。私が子供のころは、ランボルギーニのカウンタックとか、フェラーリ社の高級車が人気で、「スーパーカーブーム」とか言われていたものでした。
(ブルートレインがブームになるのは、この少し後の事だった)
女川町は震災被災地で最も人口が減少している町だそうだが、今春にはJRも再開したし、商店街オープンが復興の弾みになれば。
イチロー、白髪増えたねえ!?