№1446 3発機リスペクト TRYJET STORY(イカロス出版)
なぜ今になって3発ジェット旅客機?と思ったのだが、今年はJALのDC-10が退役(=日本から3発ジェット旅客機が全滅)から10年、ANAからL-1011 トライスターが退役して20年の節目になる事から、今この時期の刊行になったのだと思います。
まず現役の3発ジェット旅客機(と言っても今は全て貨物機)を並べた後、日本の3発ジェット旅客機の歴史を、豊富なカラー写真を並べてつづっています。1964(S39)年5月15日にANAがB727をリースで就航させてから、JALのDC-10-40が2005(H17)年10月31日一杯で退役させるまでの41年余り、B727、トライスター、DC-10、MD-11の4機種がANA、JAL、JDA(→TDA→JAS)の3社によって日本の空に就航していました。
後のテキストにも現れるが、B727はともかく、トライスター以降のワイドボディに関しては、急激に伸び続ける日本の航空需要と、手狭なままの羽田・伊丹両空港という状況のせめぎ合いの中に、居場所を見出そうとした戦いに明け暮れた歴史だったのかなと感じました。
特にJASのDC-10-30 2機に関しては、前にもどこかで書いたが、せめてホノルル線・シンガポール線が少なくともデイリーで飛べていれば、機体そのもの、ひいてはJASという会社自体の運命も、少しは違った方向に向かったのではないか、今でも思います。
テキストでは3発機の総論、その後はB727(ひいては日本のジェット旅客機)を巡るANAとJALの確執、そしてDC-10vsトライスターの受注競争が取り上げられています。
B727の導入競争は、今となってはバカバカしくも思われるでしょう。基本的にどの機種を導入するかはそれぞれのキャリアが自己責任で決めるべき事でもあり(一歩間違えば、今年のSKYみたいな事にもなるが)、役所が介入すべきではない、という意見は今では当然でしょう。ただ当時はまだ両社とも、体力は今ほどではなかったろう、機種選定で体力を使い果たしては、肝心の安全運航に悪影響を与えかねないとの判断があったのかも知れません。
とどめを刺すのは、やはり「ロッキード事件」でしょう。詳細は省かれているものの、結構生々しい裏話もあって読ませる内容だったと思います。総理大臣まで逮捕されるのだから一大事だが、当時私は子供だったから内容が全然解らなくて、全容が理解できるようになったのは、ずっーと後になっての事でした。裁判は時間がかかり過ぎだよなあとも思いました。丸紅の元社長に実刑判決が出て裁判が全て終わったのが、トライスターが引退する1995(H7)年になっての事であるのだから。
この事件を除外して見ると、直接対決に思えるANAトライスターとJALのDC-10は、実は導入の動機や時期がはっきり異なっています。少なくとも後のB777やB787とは明らかに事情が違う。
ANAはトライスター→B747SRの順だが、JALはB747SR→DC-10の順。
トライスターは1974(S49)年3月10日が初就航で、DC-10は1976(S51)年7月1日。
トライスターの国際線就航は1986(S61)年3月3日と遅く(元々国際線の機材としては想定されていなかった。初導入当時のANAには国際線自体なかったし)しかも皆近距離路線、一方のDC-10は就航翌年には早くも国際線に就航、しかもニューヨーク線から南回り欧州線、東南アジア線にも順次就航。
ANAは、当初はトライスターで輸送力増強を図ったが、やはりそれでは足りなくなり、B747SRの導入に踏み切った。逆にJALはB747とDC-8の間を埋める機材が必要になってDC-10を導入した。そういう流れになろうかと思います。
最後にJASのA300(双発)まで持ち出して、この機体が実はトライスターやDC-10を差し置いて「勝ち組」になった、そうとも読める結論が面白い。唯一3発ワイドボディを開発したロッキード、マクドネル・ダグラスが揃って、旅客機の市場から退場する事となるのは、歴史の皮肉とも言えます。
後半は、実用化された3発ジェット旅客機8機種(西側5機種・旧ソ連3機種)の概要が記されています。
私的には、航空趣味に取り組むのが遅かったから、それでもMD-11は6回乗っているが(JAL4回、旧スイス航空2回)、トライスターとDC-10は、国内線で1回ずつ乗っただけで終わってしまいました。B727なんて、ついに乗らず仕舞い。Tu-154は1回あるのに。平成になってからもしばらくは飛んでいたから、もう少し早く航空の世界に足を踏み入れていれば、乗る機会も作れたのにと、ちょっと惜しまれます。
海外からのユニークな飛来機は面白く読めたが、今回若干気になったのは、事故に関わるスペースが必要以上に多く取られていたのではないかと思えた事。事故・インシデントに関しては、3発か否かは関係なく、全く別にデータベース的な資料を作成し、刊行すべきだと思う。
(2009(H21)年3月の成田のフェデックスMD-11の事故が記憶に新しいが、実は私は、間接的に巻き添えになりました。前にも少し書いた事だが、後日改めて書く機会があろうと思います)
むしろ、日本のキャリアで使われた3発機のキャビンの様子とか、コンフィギュレーションコードを並べても良
かったのではないだろうかと感じました。B727あたりだと難しいかも知れないが。
航空に限った事ではなかろうが、「中途半端」というのが、競争が激しくなると不利に働くのかも知れません。4発だがA340も胴体のサイズがほぼ同じで、双発機が台頭すると、あっという間に居場所が少なくなりました。現在、2階がない機体は全て双発です。
客の立場としては、3発機が双発あるいは4発機と比べてどこが良い、悪いは感じた事がありませんでした。歴史の「あだ花」に終わったかも知れない3発機だけれど、その功績は決して小さいものではない、そう感じさせた1冊でした。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
********************
《今日見た・聞いた・思った事》
先月27日の話になるが、JR北海道は来年3月のダイヤ改正時、普通列車の本数の見直しについて、関係自治体と協議している事を明らかにしました。
主力のキハ40形の老朽化が著しい事、利用者が減少しているのにこれまで本数の見直しをほとんど行っていないため、1列車の利用人数が大変少なくなっている事を理由に挙げています。
見直し(廃止)対象の列車は8路線の79本、営業キロにして3341.3㎞に上がります。
(代替で運転区間を延長する列車もあるので、キロ数はもう少し少なくなる)
計画が全部実行されると、札沼線の浦臼~新十津川間は朝9時台の1往復だけになります。となると、いずれ路線自体が持たなくなるでしょう。
また、函館本線長万部駅を発着する普通列車は、函館本線函館方面が下り6本・上り6本、小樽方面が下り4本・上り5本、室蘭本線東室蘭方面が下り4本・上り5本に留まる事になり、東室蘭行は6時30分頃(廃止表明列車の1本前を繰り下げ)の次が15時22分と、9時間の間普通列車がなくなる事になります。「青春18きっぷ」の旅も厳しくなりそう。
北海道の場合、新車を導入する事はやはり難しいのか?札幌圏の電車に資源を集中せざるを得ない状況なのでしょう。気候の違いで、本州の中古車を持ってくる事が出来ないのも辛い所で、JR東海では民営化以降のキハ11形でさえ置き換えが始まっているのを見ると、同じJRでも格差が大きいなあと思わされます。これは既に民営化の議論がなされていた頃に指摘されていた事ではあるのだが。一連の不祥事も絡めて改めて経営形態そのものを問題視する声も聞こえるが、まずはJR北海道自身が、問題をキチンと解決し、安定した経営に戻す事を、労使一体で目指すべきです。そのために地域が犠牲になってしまうのも、問題ではあろうが(石北線では、反対の署名運動も行われているそう)。いずれにしろ、今月半ばが予想される、JR北海道のダイヤ改正が大いに注目される事になります。
キハ40形の老朽化が問題なら、同形9両を購入して使用する計画の、道南いさりび鉄道は大丈夫なのでしょうか?
E235系はどうした事でしょうか?あらかじめ試運転もかなりやったはずなのだが。
《今日のニュースから》
30日 ルネサスエレクトロニクス 山形県鶴岡市工場 TDK売却を発表
1日 新国立競技場 東京都負担395億円程度で合意
水木しげるさんが亡くなりました。ご冥福をお祈りします。交通ではJR境線の「鬼太郎」ラッピング列車に「米子鬼太郎空港」が馴染みでした。個人的には、国民栄誉賞を授与したいなあ。