この所毎年、12月から遅くとも翌年1月の間のどこかで、大阪に出かけています。この数年は仕事が終わってすぐ、夜の新幹線で移動し、翌1日で大阪の電車・バスを撮影するパターンでした。
今年はもう少し余裕が欲しくて1日休みをもらい(その代わり年末休みなし)、連休にして、まる2日大阪を訪ねました。
今回は主に南海と阪急の電車の撮影に費やしました。特に南海高野線はダイヤ改正を実施して最初の平日となり、どのような動きが見られたのか、大いに注目しました。
最初はあまり良くなさそうな天気予報は、日を追う毎にだんだん良くなってきました。これはいけるぞ!?
2015年12月 6日(日)
今年は日程に余裕があるので、大阪までの往路は夜行バス。今回はJRバスの「青春エコドリーム303号」を選択しました。運賃6,000円+大阪6時10分着の2つのポイントからの選択でした。
この便は週末のみの運行。車両は西日本JRバスの744-8986。
日曜夜の東京駅八重洲口高速バスターミナル。クリスマスが近いとあって、イルミネーションがきれいです。
手前に見えるのは、しずてつジャストラインの清水行最終便。
高速バスのカウンターと、奥には待合室。
「青春ドリーム303号」は、乗場に来た時点ではまだ空席もあったようだが、最終的には満席になりました。
前の便が出発した21時20分、9番乗場に入場。中ドアから乗り込みます。
2階の車内。4列シートは構わないが、夜行としては、やはりもう少しシートピッチが広いといいなあとは思いました。片道6,000円の格安便ではこんなものだろうが。
定刻に出発。同時刻の弘南バス「津軽号」と並んで新宿の高速バスターミナルへ。ここで満席になり、首都高速から大橋JCTを経由して、夜の東名高速を快走します。
23時20分ちょっと過ぎ、足柄SA到着、1回目の降車休憩。
前にいるのは、東京駅を30分遅く出発した「プレミアドリーム9号」(TDL始発で大阪経由神戸行)。ここは、JRバスは昔から東名高速バスの休憩地点になっているので、専用の休憩場所になっているようです。
西側には、バス専用の駐車場が整備されていました。西武バス南紀白浜行、四国高速観音寺行、その他旧ツアーバス組も見られました。
20分停車で出発。
この後三ヶ日で「運転停車」し、ドライバーがJRバス関東から西日本JRバスに交代するが、ここは爆睡で気づかず。
翌日4時過ぎ、新名神の土山SA到着。ここに降り立つのは、初めてでした。足柄とは違ってバス専用駐車場はなく、両端を大型トラックに挟まれてキツキツ。
JRバスの右側3台めは、デリバリーの途中らしき、阪急バスのエルガミオ。
高速バスではしずてつや富士急(小田原発と富士山発計3台)、ウィラー3台など。
翌朝6時前、定刻より少々早めに大阪に着きました。まあまあ、よく眠れたかな。
出発便は6時30分を過ぎないとないので、夜行到着時以外は、まだ閑散としていました。
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当ブログ上からでは発表できない緊急の事態が発生した時は、本体でお知らせします。
明日の晩、本体の更新を行います。3月一杯で事業を終了した小松島市営バスの画像を公開します。また、横浜市営バスのエルガミオを追加します。
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《今日見た・聞いた・思った事》
COP21が、「パリ協定」を採択して閉幕しました。
地球温暖化が待ったなしの状況に陥っていただけに、万が一決裂して終わったら、後々のダメージが深刻な状況になる所でした。これで温暖化がすぐに止まるわけではないが、ともかく全ての国が、最後まで協定通りに実行する事が必要です。政権交代とかで「やっぱりヤーだよ」とかいう事態になってはなりません。
(特にアメリカがとても心配)
この事は、私たちの暮らしにも直接かかわってくるはずです。本格的にCO2を減らし、温暖化を食い止めようとするなら、結構強権的な政策も、場合によっては必要になってくるかもしれません。9月の「戦勝パレード」の時の北京の青空を見て、なんとなく感じました。各種会議開催の度の抗議パフォーマンスも結構だけれど、その私たち自身も、今一度自らのライフスタイルを抜本的に見直さなければならないのでは?ガソリン代が安くなったからってジャブジャブ使い放題、ナントカモールやらカントカアウトレットやらがオープンする度に周辺の道路で大渋滞が繰り返されるようでは、先行きも怪しいものです。
公共交通機関を整備してマイカーから乗り換えさせる政策も必要だし、それを可能にするようなものを、事業者側を提示し続ける事も大事でしょう。温いキャッチフレーズを並べるだけでは、公共交通の利用が増える事は無い、それはもはや明らかな事なので。
《今日のニュースから》
12日 日本・インド首脳会談 新幹線技術導入で合意
13日 甲子園ボウル 立命館大学優勝
№1450 思い出のトライジェット搭乗記 2.JAL DC-10-40
航空趣味にはまりだして約4年となった1996(H8)年。旅客機に乗る機会は増えていたが、まだ乗った事がない機種が、羽田に発着する中でもまだ残っていました。その内の一つがDC-10でした。長崎への遠征の往路で、DC-10のフライトを選んで乗る事となります。2月26日の事でした。
DC-10とは直接関係ないが、この日の羽田の朝。A滑走路R/W34(現34L)から離陸しようとする機体が、数珠つなぎ…。誘導路上に、8機(画像では6機だが)もいる。これが、当時の日本の空の現状を象徴していました。
搭乗開始、ブリッジからコクピットを見る。その向こうには、B747-400D。
今回搭乗するのは、JA8546。就航から15年、ひたすら国内線で飛んでいました。
キャビンのシートに収まってみると、やけに若い女性の姿が多かった。ハウステンボス目当て?とか思った。ファッション雑誌を指さしながらおしゃべりしたりしている。男の人は、少なくとも私の周りでは1人、2人くらいしか見当たらなかった。もっとも、私の隣の席はその数少ない背広姿のおじさん。ロマンスなんて、生まれるはずもありませんよ!?
出発の頃には誘導路の渋滞も解消されていた。やれやれ。ターミナルを離れてから9分で離陸、大きく右旋回すると、羽田空港の全景が見える。新C滑走路が工事中、という段階でした。
アクアラインの風の塔が、工事中でした。
A滑走路に進入する着陸機が、小さく見えます。
この日はやや北寄りのルートを飛行、甲府盆地も、八ヶ岳も、真っ白。
さて、キャビンそのものは同じワイドボディとあって、印象はジャンボジェットとほとんど変わりませんでした。
ただ、決定的に違っていたのは、酸素マスクは前の席の背もたれに内蔵されている事。
この便は出発が9時30分と遅くて朝食時間を外れたので、茶菓がサービスされました。「夕張のメロンケーキ」。長崎線だったらカステラだろ?とか、ちょっと思った。
いきなり長崎になります。有明海から雲を抜けると、長崎空港の全景が見えてきました。海上に浮かぶ、まるで要塞のよう。
ところが、どんどん遠ざかっていく。管制の許可待ちとかアナウンスがあり、スピードが上がったり下がったり、エンジン音の変化が繰り返される。ホールディングをさせられているようだ。
ようやく許可が下りて、大村湾を滑るようにアプローチ。左手の丘のてっぺんに見えるのは、妙法寺の仏舎利塔。
着陸して、ほぼ定刻通りかな、と思っていたら、誘導路に入ったのに、ターミナルから背を向ける形で、滑走路に正対する形で停止してしまった。誘導路が一部工事中、滑走路を経由してターミナルに向かう事になり、他機の離陸を待つため5分も停止。
さらに何とかターミナルに着いたのに(着陸から14分もかかった)、国際線の乗客が先にターミナルに向かうので、機内でお待ちください…、と再度アナウンス(ここは内際で通路が共用)。ついには、福江行乗継のお客様はお申し出下さい…との放送までありました。
結局、機体から降りられたのは、本来の到着時刻より17分も後になってからでした。フライトそのものは快適だったのに、最後で少々ケチがついた格好だったでしょうか。
荷物受取場も女の子ばかりでした。後方のブロックは団体で乗っていたみたいだし、少々恥ずかしくもありました。
2回に分けて、日本国内線の3発ジェット旅客機の旅について書きました。
改めて書いてみると、特に「3発ジェット」だから、他のワイドボディ(B747やA300)とここが違う、とは正直感じませんでした。それより、ANAでの朝食、JALでの茶菓のサービスのように、当時は国内線でも結構リッチな気分を味わえるサービスがあった事が印象的だったと思います。機体そのもの同様、こんな時代は、もう来ないのでしょう。
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№1425でも書いたボストン地下鉄レッドラインの電車が昨日、ブレインツリー駅から運転士がいないまま突然暴走、4つの駅の間を暴走したそうです。大きな事故にはならなかったが、満員の車内はパニックになったそう。日本ではJR西日本の麻耶新駅で足場が崩れ、電車の乗客がけがをしたそうです。今日は関東地方も強風で各路線が乱れて大変でした。
《今日のニュースから》
10日 巨人 杉内俊哉投手契約更改 プロ野球最大4億5000万円減額
11日 電力取引監視等委員会 新規参入事業者送電線使用料例を提示
№1449 思い出のトライジェット搭乗記 1.ANA L-1011トライスター
№1446で、3発ジェット旅客機について取り上げました。
私は、マクドネル・ダグラスMD-11は6回搭乗した事があり、JALの4回は№894・№929・№957・№1372で、旧スイス航空の2回は№1157・№1340で書いています。
また、ボーイングのB727には1回も乗った事がなかったくせに、旧ソ連ツポレフのTu-154は1回だけ、旧バルカン・ブルガリア航空で搭乗経験があり、№186で取り上げた後、№1162でももう少し詳しく書いています。
それなのに、日系キャリアでメジャーな存在にもなり、平成になってからも飛んでいた、ANAのロッキードL-11トライスター、JALのDC-10-40は、共に1回ずつしか乗らずに終わってしまいました。
両機種とも、海外キャリアも全部引退しているから、もはや改めて乗る機会も作れません。
その両機種に搭乗した思い出話を、2回に分けて書きたいと思います。偶然ながら、どちらも羽田発長崎線でした。
トライスターの搭乗は1994(H6)年5月8日、ANA661便でした。
JA8509は1986(S61)年ANA国際線定期初便(グアム線)に投入された、元国際線機材でした。私が搭乗した翌年、1995(H7)年11月30日のラストフライトにも起用される事になります。
羽田で搭乗中のキャビンの様子。「やはり古いな」の印象はありました。特に禁煙(当時はまだ喫煙席があった)やベルト着用のサインのフォントに年期が感じられる気がしました。
面白いのはトイレで、便器に中国語でも注意書きが書かれていました。現代では珍しくないはずだが、中国路線で使われていた機体だったからだろう。
格納庫の脇にウズベキスタン政府機(イリューシンIl-62!)を見ながらタキシングして行くが、前方のスクリーンに目をやると、離陸待ちの機体が4機、これは時間がかかりそうだなあと思っていたら、男性の声のアナウンスが流れてきた。キャプテンアナウンス。
「離陸の順番待ちのため、5分遅れて滑走路34番(当時は新C滑走路供用前)より離陸します。丹沢山系から富士山の北側、琵琶湖、京都、広島から福岡の上空を経由して長崎へ向かいます。高度は9500mで所要1時間43分の予定、長崎は曇りで気温15℃…」
なんだかキャプテンというより、田舎のバスのドライバーの口調に近くて、旅客機の中である事を忘れてしまいそうだが、それだけに離陸前の緊張がほぐれたような気がしました。
出発から20分でようやく離陸、大井競馬場や新幹線の基地を見ながらグングン上昇、地上では曇り空だったが、低く垂れこめた雲を抜けると、青い空と、まぶしい朝日!これが、旅客機の離陸の醍醐味か。
「富士山がご覧になれます」のアナウンスに下を眺めると、雲海から顔を出した、雪を被った富士山が、ゆっくり後方に下がっていきます。やがて雲海も途切れ、御前崎や浜名湖も見る事が出来ました。
改めて、トライスターのキャビン。トライスターは中央部のストウェージがないので、広々とした感じはするが、当然手荷物の収容力はガクンと落ちる事になります。座席は前方が赤、中央が青、後方がオレンジと色分けされています。
名古屋の上空で朝食サービス。当時はどのキャリアも、国内線でも軽食や茶菓の無料サービスがありました。箱詰めの中身はサンドイッチとあずきのデニッシュ、こんにゃくゼリー。今ではとても信じ難い、いい時代だったですねー。
モニターでは、この日の朝のNHKニュースを放映。スポーツニュース。
途中瀬戸大橋とか、今治や国東半島の北を通過してきたのだが、写真がないのはゴメンナサイ。福岡上空。右上に見えるは福岡空港。着陸する機体も見えました。この付近からディセンドが始まります。
長崎が近づき、経ヶ岳や多良岳を見ます。有明海の向こうに雲仙岳も見ました。ベルトサインが付き、諫早の上空を経由してアプローチ。
フライトタイム1時間46分で長崎空港着陸。この空港に降り立ったのはこれが初めてだったのだが、四方を海に囲まれていて、好天もあって爽やかな印象を受けました。
機体から降りると、コクピットには、先の機長も含めたクルーの安堵の表情がありました。
機内で頂いた絵葉書から、まずトライスター。
そして、トライスターと直接関係ないけれど、CAの絵葉書。当時はこんなユニフォームだったんだ、という所で。
既に引退までのカウントダウンもささやかれていた頃のトライスター搭乗だったが、どうかその日まで、安全運航をやり遂げて欲しい、そう願わずにはいられない、この日のフライトでした。
次回はJALのDC-10-40です。
当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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昨日の晩、大阪から帰ってきました。2日間とも快晴になってくれました。南海と阪神、阪急の電車を中心に撮ってきました。後日書きます。
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《今日見た・聞いた・思った事》
国土交通省各局や成田空港会社、JR東日本・京成・京成バス・リムジンバス・ビィートランセ、東日本高速道路会社、千葉県警などは、「成田空港のアクセス利便性向上等に関する連絡協議会」を結成し、空港アクセスに関する共同PRを展開する事になりました。
平成に入ってから空港アクセス鉄道の開通、高速道路の整備、低運賃高速バスの運行開始等で利便性が向上しているはずなのに、未だに「成田は不便」のイメージが拭えていないため、今回のPR作戦となった、との事です。
今後首都圏の駅やバス乗場、SA・PAや国内線就航17空港、アウトレットモールなどでPRを展開する、との事です。
それもいいのだけれど、各交通機関の中身の精査、本当に利便性の向上につながっているのか、利用者が満足できているのか、今一度検証する必要もあるかと思います。私は3年前、鉄道に関して今後はこうあるべきだと、独自の考え方を記しました(JRは№774、京成は№775)。改めて全体的にどうあるべきかと考えると、
1.安全性・正確性の確保は当たり前。輸送障害も極力0を。先日の横須賀線地下線の浸水なんて事態は非常にまずい。
2.高速性。全列車が平均的に早い事。
3.フリークエントサービス。待たずに乗れる事。いくら早い列車でも、1本逃したら次の列車は1時間後、では困る。
4.航空運航時間帯への的確な対応。早朝・深夜便もできる限り利用できるように。
というあたりに落ち着こうかと思います。
この観点で言うと、しつこく書いてしまうのだが、特にJR線が一番まずいと思う。有料の〔成田エクスプレス〕偏重で低廉な快速が少なく、その快速はただでさえ遅いのに、昨今は停車駅が増えてきて、列車によっては東京まで1時間30分はかかってしまう。〔成田エクスプレス〕も、日中は1時間間隔が空いてしまう(京成〔スカイライナー〕もだが)。日本は線路容量が小さく、通勤通学輸送を優先しなければならない事情もあるが、逆に言えばその両立を図るべく、設備投資をもう少しやって、線路容量を増やす事も考えるべきだと思います。これはJRだけではなく京成もだし、さらに言えば成田だけではなく、羽田も関空も中部も、その他全国各地の鉄道アクセスがやるべきでしょう。
その他、案内面では多言語への対応も、全交通機関で必要になってきています。英中韓は最低限。
ともかく成田空港の位置自体は変えようがないし、第三滑走路の新設が現実味を帯びてきています。羽田空港の地位が高まってきてはいるけれど、日本の空における成田の重要性は未だ変わりがないと思います。それ故、空港と運命共同体にある各交通アクセスが、この機に今一度現状を点検し、全ての面で全世界に誇れるサービスの提供を目指すべきでしょう。
《今日のニュースから》
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