№1433 BUS Life vol.2 (笠倉出版社)

「BUS Life」の第2号が先月22日発売になりました。少々遅くなったが、ここで取り上げます。やはり月刊にはならないようです。
 多少バスがある風景写真を多めにしているのが、他誌と差別化しているポイントでしょうか?表紙見返しの、西日本JRバスが印象的でした。
 渋谷駅西口は今月末(29日)よりバス停の移動が始まる事になり、これから数年で大きく様変わりするのでしょう。

富士ボディ5E車 終焉までのカウントダウン
 個人的な思い出から記してしまうと、初めて5E車を見かけたのはまだ学生だった頃、正月の寒川神社で、初詣輸送にあたっていた神奈中バス(日デ)でした。特に角ばったパネルで構成されたヘッドライト周りが新鮮だった印象があります。
 富士ボディ自体生産終了からもう13年、5Eとなると生産終了から四半世紀だから、ほとんど見られなくなっているのも当然だろう。ついこの間までモノコックモノコックと言っていたのに、やはりバスの世界はサイクルが早いと感じます。
 ここで取り上げられた車両は大半がスクールバスまたは教習車、良くて予備車という状況で、現状である程度一般で乗れる可能性が高いのは、鞆鉄道の新川の車両でしょうか?大分交通は皆予備車・共通車だが、全国相互利用ICカードで乗れるのはここが唯一。
(下津井としずてつはスクールバスなので一般の利用は不可)

万歳 バスライフ!
 他の乗り物と同じで、どんな楽しみ方をしても良いと思うが、やはりローカル路線を走るバスの写真集が、一番印象的でした。私も、こういう写真を撮りたいといつも思っているが、思うだけでほとんどできていないのは悲しい。
 特に季節感を出すのは、タイミングの問題もあるからとても難しい(桜なんて本当そう)。それとバスは他交通と違って公道を走るので、マイカーや自転車、歩行者などが被ったりする可能性も小さくないからなおさら。加えて電柱・電線も目障りだし。
 本格的な出版・販売は難しいが、他人に見てもらう程度なら、DPEを扱う写真店で写真集をいくつか取り扱っている(プラザクリエイトのフォトブックなど)ので、一考の余地があるのではないでしょうか。他にも色々アイデアはあると思います。
 シャッタースピードに関しては、LEDの表示が読めるかどうかは、私はとりあえず気にしません。バスそのものがキチンと撮れる事がまず第一なので。こだわりとしては、私は「回送」は撮りません(鉄道でもそうです)。どんな希少価値がある車両でも。それ以外の「教習中」とか、会社名の表示などの時とかは撮るが。

The バス会社 西日本ジェイアールバス

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 JRバスはどこでもそうだが、西日本もご多分に漏れず、一般路線バスの割合は相当小さくなってしまいました。全284台中一般路線車は61台のみ、21.84%に過ぎません。京丹波〔営〕が乗合車のみ8台、近江今津も乗合車のみ7台で、これだけでは…、と、一瞬今後の存続が心配になってしまいました。
 ただ、京丹波〔営〕は全車両がこの2~3年に導入されたノンステップ車だし、PiTaPa導入も金沢〔営〕に続いて、近江今津・京都〔営〕で始まっているので、残存路線は、しばらくは現状維持を期待して良いのでしょう。
 関西で高速バスを持つ営業所は、移転した所が多い。
 歴史がやや軽い感があり、「メガドリーム」や、一部一般路線で採用されていたオンデマンドバスあたりは触れられても良かった。

尼崎市営バスに乗りに行こう!
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 せっかく全車両ノンステップになって大きな話題になったのに、もったいないと言えばもったいない。ただ、尼崎市自体は決して大きな市ではなく、民営バスのネットワークもあるので、独立した市営バスとしてやっていくのは難しいのかも知れない。
 来年の運行終了までの間には、どこかでまとめて撮る機会を作る予定です。でも、ギリギリになるかも知れない…。
「BUS Life」誌は、現役車両のリストまでは作らないようです。

バス運転士になろう!
 実は私も、一瞬バス運転士をやってみたいと思った時期もありました。でも、適性がありませんでした。
 昨今は(一部ブラック企業を除けば)どこも、ある程度はドライバー獲得のために条件を良くしたりしてくれているようだが、適性はかなり大事だと思う。やる気はあっても、適性が十分でないと、万一事故が起こしたりした時、その影響はマイカーなどとは比べ物にならない位大きくなるので。
「誇りを持って運転する事」は、それ自体はもちろん正解だが、誇りを持てるような外部の環境作りも必要でしょう。会社もそうだし、労働者・労働組合側の取り組みも必要(ただし、政治的な要素を持ち込んではダメ。純粋に労働条件・環境の維持・向上のみに取り組む事)。地域社会の協力ももちろん求められます。

未成線・廃止代替バス乗り継ぎの旅
 滝川・芦別を中心とした、北海道中央バス路線の旅。芦旭線は未成線、滝川北竜線が旧国鉄札沼線廃止区間、滝川浦臼線がJR北海道バスの、それぞれの代替路線。
 沿線はどこも北海道らしく雄大さを感じさせる車窓(特に新城峠)だが、それだけに運営は厳しそう。それでも滝芦線は本数が多いし、雨竜までは空知中央バス路線もあるので、何とか利便性は確保されている様子。
 滝川浦臼線が代替した国鉄~JR北海道バス路線は、札沼線の時刻表上に時刻が掲載されていたものでした。札沼線は浦臼~新十津川間が1日3往復にまで減り、JR北海道が置かれた状況を考えると、「廃止」の2文字が現実を帯びる可能性は少なくないと見ています。その際、中央バス路線はどう変化するか。
 このエリアは浦臼から先の中央バス路線はないが、美唄経由で岩見沢方面への乗り継ぎは可能。本数は少ないが。

 いくつかニュースもあるが、天北線廃止代替バスの来年の廃止は初耳だった。数年前の佐呂間町(湧網線)もそうだったが、北海道はバスでも持ちこたえられなくなっている鉄道代替路線が少なくなくなっている様子。天北線も、札幌直通急行が走っていた路線なのに。
(札幌・旭川行の長距離バスは維持されそうだが、ダイヤからして地元優先、外部の利用は難しいかも)
 伊予鉄南予バスの一部撤退もそうで、公共交通への回帰は叫ばれるものの、厳しい現実をどうにも変えようがない、というのが本当の所ではないでしょうか?
 横浜市営バスの「バス窓」車、古すぎて写真に収めていない車両が大半だが、北村ボディの日デ車などは見た事があり、懐かしい。

 さて、「BUS Life」は2号まで出た事になるが、ここまでの2号を見た感触では、メインスタッフが以前手掛けていた「バスマガジン」誌と、それほど大きな傾向の違いは見られないと感じました。所々独自の特色を出そうという所も見えなくもないが、差別化のためには何か一つ、他誌(バス・グラフィックやバスラマインターナショナルとも)と決定的に違う大型企画が欲しいように思います。前号で書いたように、バス趣味の現状は、そこまでは行かない、行けない部分も少なくないのだが。

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《今日のニュースから》
 4日 アマゾン日本法人 労働組合結成
 5日 八戸市・蕪嶋神社 全焼

 上でも少し書いたが、労働組合結成自体は結構だが、純粋に雇用・労働条件の維持・向上等に専念し、政治的な思惑は一切入れない事。これを入れたがために、良くなるものもなっていないのではないか?というのがこの数十年の労働運動の現状だと、私は思っているので。政治・政党とははっきり距離を取るべきでしょう。
 蕪島の神社は震災後2回訪れていて、№468№678で画像をご覧頂きました。ちょっとショックです。早期の再建を願います。

№1432 駅の時刻表から見る 私鉄ダイヤの変遷 13.西武国分寺線・多摩湖線 国分寺駅

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 №1417の「私鉄名車列伝」は、西武の101系(新)・301系を取り上げました。西武の通勤車を代表する通勤車だった101系も池袋線・新宿線の本線からは全車退役、多摩湖線・多摩川線内のワンマン運転用に40両が残されるのみです。
 多摩湖線及び国分寺線の起点・国分寺駅はJR中央本線との接続駅です。西武の路線では1894(M27)年、国分寺線の前身の川越鉄道が先に開業し、1928(S3)年には、多摩湖線の前身の多摩湖鉄道が乗り入れています。元々が別の会社だったため、同じ鉄道なのにホームが大きく離れているのが特徴です。
 両路線とも基本的に線内折り返しの区間運転のみ発着のため、西武の駅としては地味に感じられるかもしれないが、2014(H26)年度の乗降人員は116,316人、池袋・高田馬場・西武新宿・練馬・小竹向原に次ぐ第6位(小竹向原はメトロ直通客が大半のはずだから、実質第5位)で、所沢をも上回る、実は西武でも有数のターミナル駅とも言えます。
 今回は、国分寺駅の駅の時刻表の変遷から、主にこの両路線のダイヤを振り返ってみます。基本線はあまり変わらないが、細かく見ると結構変わってきている部分も多く見られます。

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1987(H62)年3月9日
 手持ちの西武時刻表で最も古い、第6号から作成した時刻表です。当時は、土曜日は平日ダイヤでした。
 今の目で見ると、両路線とも本数が少ないです。特に国分寺線の休日は、現在の土休日ダイヤの半分強に過ぎません。
 どちらも基本的には線内折り返し、多摩湖線は萩山で系統が分断されています(多摩湖側は小平からの直通)。 多摩湖線・国分寺~萩山間は、当時は17m級の3連が最大で、351系3連の折り返し運転でした。。平日は朝夕共に一橋学園折返しが設定されています。1駅間のみの区間運転は、支線や出入庫を除けば、大手私鉄では結構珍しい形態ではなかったかと思います。
 西武のダイヤでは野球輸送を外す事が出来ないが、国分寺線では試合開始時刻に合わせて、一部の列車が所沢まで延長されました。多摩湖線では萩山行を西武遊園地まで直通としたが、この列車は準急とされ、萩山~西武遊園地間はノンストップでした。
(「平日デーゲーム」は土曜日)
 国分寺線では、西武園競輪開催日には別に日中の一部列車が西武園線への直通運転になります。

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1989(H元)年12月11日
 1988(S63)年12月改正の第7号は手元にないため、次は1989(H元)年12月改正(8号)になります。
 国分寺線は、夕方以降が10分間隔と増発になりました。

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 多摩湖線は、国分寺駅ホームの移設改良工事により、1990(H2)年6月より20m車4連の入線が可能になり、351系はさよなら運転を行って引退しました。これにより、輸送力が増強されました。
 現在の国分寺駅のホーム壁面のガラスに、過去の多摩湖線ホームと、351系の写真が掲げられています。

 1991(H3)年3月11日改正より、土曜日は休日ダイヤとの統合ダイヤになりました。国分寺線は、土休日午後の10分間隔運転時間帯が拡大されています。

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1991(H3)年12月9日
 この時期は各鉄道・各路線とも最終電車の繰り下げの要請の声が大きく、3月改正をベースに、平日ダイヤのみ国分寺線は15分、多摩湖線は28分の最終電車の繰り下げが行われています。

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1993(H5)年12月6日
 国分寺線は終日10分間隔運転が達成されました。一方で野球ダイヤ時の所沢直通運転は取り止め。
 多摩湖線も土休日の朝夕を中心に増発されています。

 1994(H6)年12月7日改正より、行楽シーズン中の国分寺線・西武園直通、多摩湖線・西武遊園地直通が設定されました。
(国分寺線は競輪ダイヤとは別)
 国分寺線では、早朝に1往復のみ、定期で西武園直通が設定になりました。

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1996(H8)年3月28日
 多摩湖線は全体的に増発となり、朝夕は平日・土休日とも10分間隔運転の時間帯が拡大されました。一方で朝方の一橋学園折返し1往復が取り止めになっています。
 野球ダイヤ時の西武遊園地直通は、普通電車に変更になりました(八坂・武蔵大和にも停車)。

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1997(H9)年3月12日改正
 多摩湖線は平日夕方のパターンが大きく変わり、西武遊園地直通が設定され、萩山折返しと交互に10分間隔運転となりました。一橋学園折返しは廃止。
 平日の野球ダイヤは、定期で西武遊園地直通が設定されたため廃止。

 1998(H10)年3月26日、2000(H12)年3月29日、2001(H13)年12月15日の改正は、国分寺線・多摩湖線に関しては一部列車の時刻の修正以外には、大きな変化はありませんでした。
 1998(H10)年11月20日より、多摩湖線・国分寺~萩山間で、(新)101系によるワンマン運転が始まりました。

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2003(H15)年3月31日改正
 国分寺線は、通常ダイヤでの本線直通が設定になりました。日中のみ1時間に1本、新所沢まで延長。

 次の2005(H17)年3月17日改正では、多摩湖線の土休日ダイヤで、10分間隔運行時間帯が拡大されました。

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2007(H19)年3月6日改正
 多摩湖線は、平日の日中が15分間隔に短縮されました。
 所沢線の新所沢直通は、1時間1本は変わらないものの、改正の度に時刻が変わってきています。2005(H17)年改正では毎時37分でした。

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2008(H20)年6月14日改正
 国分寺線の新宿線直通の一部が、さらに本川越まで延伸になりました。国分寺線の前身の川越鉄道は1895(M28)年に国分寺~本川越間を全通させており、開業当時の形態を彷彿される設定と言えます。
 大半は新所沢で、当時運行されていた新宿線の快速急行と相互に接続を取ります。

 2010(H22)年3月6日、2011(H23)年3月5日改正では、国分寺線の一部列車の行先変更以外は、国分寺線・多摩湖線とも大きな動きは見られません。
 2012(H24)年6月30日改正では、多摩湖線で平日午前中に2本、定期で西武遊園地直通が設定されました。
 新宿線の快速急行は廃止になったが、本川越直通運転は継続されています。

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2013(H25)年3月16日改正
 現行のダイヤです。
 多摩湖線は運転形態が完全に変わりました。国分寺口では西武遊園地直通が基本となりました。日中は萩山で分断、国分寺口15分毎、西武遊園地口は20分間隔の折返し運転になっています。
 一橋学園折返し小運転は廃止、朝ラッシュ時も10分間隔運転になっています。
(国分寺~一橋学園間にあった本町〔信〕は、この改正で廃止となった模様。待避線跡は更地になっている)
 西武遊園地口も、ラッシュ時の西武新宿直通急行(拝島で連結・切り離し)は廃止(土休日の急行は継続)、平日朝の普通3本を除いて、線内ワンマン運転が基本となりました。

 以上、本当に簡単ながら、国分寺駅の時刻表から、国分寺線及び多摩湖線のダイヤを振り返ってみました。多少舌っ足らずな部分もあったかと思います。
 国分寺、多摩川両線とも基本的には線内折り返し運転になるのだが、どちらもほぼ全線が単線の上、国分寺線は小川で、多摩湖線は萩山で拝島線と平面で交差するため、拝島線(さらには新宿線)のダイヤの動向に左右されるからか、時刻そのものの変動が意外に多くなります。
 国分寺線は1993(H5)年以降10分間隔運転が定着するが、時刻自体は改正の度にかなり変わります。
 多摩湖線は日中の増発傾向はみられるが、平日・土休日とも、12~14時台で一旦本数が減少する形態は変わりません。
 両路線とも、2年前のTOB騒動の過程で廃線が取りざたされた路線ではあるが、確かに乗客数は本線(新宿線)に比べたら少ないけれど(特に多摩湖線)、両路線とも沿線の住民にとっても、西武鉄道にとっても重要な路線である事は、国分寺駅の乗降人員を見れば明らかです。外資系ファンドってやつは、ロクな事を考えないよなあ、と改めて思います。
 とはいえ今後の伸び代はあるのかという問題も確かにあるが、国分寺線に関しては、東村山駅の高架化工事が何か影響を与えるでしょうか。2面4線に整理される配線を考えると、西武園線との完全な直通運転の実現もありそうです。多摩湖線は観光・野球輸送もあるが、当面は現在の形態で現状維持、という所ではないでしょうか。

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《今日のニュースから》
 2日 広島 養殖かき水揚げ 1ヶ月遅れで解禁
 3日 麻耶ロープウェー 乗客2500万人達成 記念イベント開催

№1431 バスラマインターナショナル152(ぽると出版)

「バスラマインターナショナル152」が先月末発売になりました。
 表紙は京成バスのベンツ・シターロ連接車と「東京シャトル」、加えて、おお、国際興業カラーの新エルガだ!

いすゞ新型エルガ
 前号に続いて新型エルガが冒頭で取り上げられているが、ここではカラー写真とスペックを中心とした紹介記事に留まっています。5日に「バスラマエクスプレス」新型エルガ特集号が発行されるので、詳細はそちらを、という事でしょう。
 個人的にはQ尺の普及に期待したい。例えば川崎市臨海部は工場などの立地が多く、過去には川崎市営バスで日デの長尺ノンステップ車が集中的に投入された事もあり(今も大半が現役)、似たようなロケーションは多いでしょう。また、郊外の団地では収容力重視のため長尺ワンステップ車の導入が継続されている所もあり、これらの場所でどのような評価がされるかは注目したいと思います。
 8月1日発売開始ながら、これまで営業車のカラー画像がなかなか出てこなかったが(グーグルで検索してみたけれど、見つかっても「コラージュ」なんだもん…)、今回初めてお目にかかる事が出来ました。第1陣は国際興業と西武バス(国際はさいたま東らしい)。Q尺はどこがトップになるか。

 同時に日野ブルーリボンシリーズもモデルチェンジ。ただ、こちらはまだ実物が出ていません。
 ハイブリッドは車高が3,285㎜→3,105㎜と大幅に抑えられ、エルガの3,045㎜と差が小さくなりました。となると、エルガ・ハイブリッドは車高がある路線でも運用できるアドバンテージが小さくなり、キャビン内にバッテリーユニットを置く事が重いハンデになる事が予想される。価格もあるが、ひょっとしたら、モデルチェンジはないかもしれない?

走り出した新潟市の「BRT萬代ライン」
 この秋の日本のバスの最大の関心事は新潟のBRTとなり、大型のプロジェクトとあって、先月の「バスマガジン」に続き、この後取り上げる予定の「Bus Life」「バスグラフィック」でも、それぞれの目線で取り上げられています。
 私は新潟の市民でもないし、この所新潟を訪れる機会もないので、部外者がああだこうだいう事は出来ないのだけれど、まず、連接車に利用が集中したこと自体は、公共交通に関心を持ってもらう点で、決して悪い事ではない。ただ、何度も書いているが、初期の台数が4台とは、距離とダイヤの割には少なすぎる。価格もあるが、最低倍は欲しかった。ダイヤも、当面一般車が入るのはいいが、乗り換えを強いる事を考えると、日中10分間隔は少ないでしょう。まして連接車は9月26日より快速運転になっていて、通過のバス停は20分間が空いてしまう時間が生じる事になり(しかも不規則に)、これもまずい。
 今後南部への路線の展開が想定されているが、まず現状の路線の運行の正常化が急がれる。その上で連接車の増強と便数増を実施し、それから新路線を拡充する方向で行くべきではないでしょうか。
 いつとは言えないが、運行がある程度落ち着いた時点で、私も早めに新潟を訪れて、現況を確認してみたいと考えています。

バス事業者訪問183 京成バス

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 京成バスというと、一般路線車のカラーから、今でも他社と比較してどこか地味な印象も受けるのだが、実は結構アクティブな事業者、と改めて思いました。
 前回は1999(H11)年の51号で取り上げられていて、当時は京成電鉄直営のバス部門、分社はちばフラワーバスとちばレインボーバスの2社のみでした。当時の路線域図はその2社も加えたものになっていて、東金や成東・印旛村にまで路線が延びていました。ただ当時としても習志野から松戸にかけては路線が少ないが、新京成電鉄のバス路線網があったからでしょう。
 今は分社が高度化したためエリアはさらに小さくなった上、細切れになって一般乗合バスだけで繋ぐ事はできなくなったが、それでも京成電車とほとんど関係ない江戸川区や、流山市・柏市、埼玉県八潮市にも路線があるのは、本来の電鉄系のバスが電車の培養を主な役割とすれば、結構驚きとも言えます。歴史上の経緯ではあるが、東武野田線の江戸川台まで入っている。一方、鉄道では重要な駅のはずの船橋は、バスシステム移管のため、船橋行田線(この路線は、土休日は運休)以外の路線はなくなってしまいました。
 輸送人員の推移のデータを見ると、一般路線は2003(H15)年を底として、基本的に右肩上がりになっているのは、頼もしいのではないだろうか。「千葉県は右肩下がりが予想される」としているが、これを見る限りはそうでもないと思うが。今後が不安という事でしょう。京成バスのエリアだと、今後大規模なニュータウン開発はないと思われるし。
 幕張の連接バスは、先日実際海浜幕張まで行った時に見る機会があったが、平日朝ラッシュ時とあって、2~3台が連続して駅前に現れるのは圧巻でした(新潟も、こういうシーンが欲しい)。モロ外国車なので、車内のレイアウト(特に後ろ向き座席)は、乗客にはどう映るのだろうか。このあたりが、日本のノンステップバスの進化のためにも知りたい所なのだが。
(1台「マリーンズ」、もう1台「イオン幕張」広告車がある)
「東京シャトル」については、後に平和交通系の新設があり、格安路線同士の競合が発生しているが、影響はどうなのだろうか?一方、一般の空港バスは、特に成田路線は若干本数が減少傾向にあるように思えます(特に神奈川路線)。やはり羽田空港国際化の影響は避けようがないか。空港問題は東京目線で語られる事が多いから成田は遠い遠いの一辺倒だが、当然ながら千葉県だとそんな事もなく、幕張からだと羽田と成田はほとんど差がない。今後は千葉県内~成田の集客も力が入れられるべきだと思います。
 その他、スカイツリータウンを意識した路線の新設とか、分社との関係(昨今は観客輸送を分社に任せるケースが多くなった。西船橋駅~中山競馬場はちばレインボーバスが運行)など、もっと知りたい部分はたくさんあるものの、この程度の紙幅だと全部は書けないか。それだけ昨今の京成バスの話題は豊富、という事でしょう。
 車両面では、エルガ・ハイブリッドがもう27台もあるのか。BRCハイブリッドも加えると50台になり、日本最大のハイブリッドバスユーザーでしょう。八千代市コミュニティ用日デが1台残っているが、51号の時から残る唯一の車両になります(京成バス運行の1コースのみとなり、東洋バスが運行していた他コースは廃止になっている)。
「アーカイブス」では、バスそのものもさる事ながら、1979(S54)年の時点で、南船橋で「IKEA」の4文字が見られるのは、やや驚きでした。

最近のラッピングバス
 正直言うと、私は今でも、ラッピング広告バスは好きではありません。しかし、バス事業者としては安定した広告収入は欲しいし、ラッピング作業がある事で生計を立てる事が出来る人々がいるのも事実で、もはや全否定する事は出来ない事も理解できます。
 昔のバス車体の広告は、地方のバスを中心に、ホイールベース間に直接描くのが主流だったが、ラッピング自体も決して新しいものではなく、昭和の終わりの東武の定期観光バスでも見られたそうです。最近のコミュニティバスもそうだが、文字だけでなく、手の込んだデザインとか、人間を描いたりするとなると、写真に勝るものはないという事でしょう。
 広告主のライバルが沿線にある場合なんて、どの程度配慮があるものだろう。神奈中バスの舞岡〔営〕だと、ブリジストンの工場の目の前を、横浜ゴムやダンロップのラッピング広告車が走っていたりするので。公道を走る分にはOKなのだろうが。逆に、特に商業施設の広告車だと、その施設への路線への運用指定もされるケースが多いようです。
 新車は対象外、となると、新エアロスターの広告車はまだ、でしょうか。来年あたりから見られるでしょう。
 やはり広告車は少なめの方が良いです。その方が、広告車自体も立つでしょう。

各地の新車から
「京都・岡崎ループ」は、3129号車のカラーは馴染みだが(広電の1900形が今でも同じ色)、3128号車の赤系は、どの時期のカラーだったのだろうか。
 近江鉄道の高速車はやはりレジェンドブルーだが、関西なのだからもう少し違ったデザインにしても良かったと思う。少なくとも、昼路線としては重いと思います。成田に行って西武バスを撮った時にも感じた事で、上半分は白にしても良いのでは?

 ミャンマーのバスは、日本の中古車はいくらでも画像を見るが、現地生産のバスは初めて見ました。なかなか味のあるデザインと見えました。

 次号は欧州のBRTレポートが載るそうで、新潟の一件があるので、比較という意味でしょうか。
 ところで、アメリカに行って感じた事だが、バスラマ誌、というか日本のバス趣味誌自体、アメリカって意外に盲点だと思いました。特にボストンはイギリスの影響を受けている事もあるのかシステムが欧州に近いし、シルバーライン(特に空港発着系統)はBRTと言っても良いと思う。車社会のアメリカながら、さすがに大都市ではバスも含めて公共交通が健闘しているし、グレイハウンドを筆頭に長距離バスが津々浦々発達しているのだから、一度どこかでアメリカのバス、ひいては都市交通事情なんて読みたいと思います。日本やその他アジア、欧州と比較して、どこがどう違うのか、興味が持たれます。国土があまりにも広いので、特に市内バスは全体像がなかなか見えないだろうが。

 当ブログでは直接のコメントは受け付けないので、何かありましたら、本体の「日本の路線バス・フォトライブラリー」上からメールを下さい。折返し返事をしたいと思います。何か質問がありましたら、やはり本体上からメールを下さい。解かる範囲でお答えをしたいと思います。質問と答えは当ブログにも掲載します。
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 ロシアのエアバス機墜落事故は、ISが犯行声明を出しているが、正直眉唾物だと思う。ロシア機とは言え、中小キャリアを狙って、何か意味があるものなのか。いずれにしろ、ブラックボックスの早急な解析が求められます。それにしても、サンクトペテルブルグを目指していたのなら、ウクライナ上空を経由する事になると思われるが、マレーシア機事件でロシアは何とかウクライナのせいにしようとしたがっているようだけれど、だとしたら、ウクライナの上空を飛行させるルートを取るのは、あれ、変だな?と思うのは私だけでしょうか?

《今日のニュースから》
31日 シャーロット・ケイト・フォックス ブロードウェイ主演デビュー
 1日 全日本大学駅伝 東洋大学初優勝